1.17 阪神・淡路大震災 あの日を忘れない ~記憶・教訓・共生~

あの日から29年が経ちました神戸市の東 遊園地 です犠牲者を追悼する頭領今年は共にと いう文字の形に並べられまし た元日に石川県を襲った野半島地震の被災 者に寄り添って共に助け合おうという 気持ちが込められてい ます1995年月 午5時46 分淡路島北部を震源とする阪神淡路大震災 が発生しまし たマグニチュードは 7.3神戸市や淡路島の一部地域では最大 震度7の激に見舞わ れ 6432人もの尊い命が犠牲となりまし た今日で発生から29年となり 今年日の夕方には半島地震が発生し現在も 被害の全容は明らかになっていませ んそんな中で迎えた阪神淡路大震災の追悼 式典失われた命への愛と記憶の 継承災害に対する警戒をめてはいけないと いうことを 胸に刻み人々が黙祷を捧げまし [音楽] たこの番組はKクラフトの共産でお送りし [音楽] ます こんばんは今日は特別番組1.17阪神 淡路大震災あの日を忘れないようお送りし ます今月1日の地震で甚大な被害が出たの 半島では今も多くの安否不明者の捜索が 続いています被災された方々に心からお 見舞い申し上げ ます今日の特別番組では阪神淡路大震災 から29年が経過した今私たちがその記憶 と教訓をどのように継承しているかを 改めて考え ます神戸を中心に行われている追悼式店の 模様を参加所から生中継でお伝えし ますまた震災直後のアア市内を撮影した未 公会のアーカイブ映像と当時の政策 スタッフのインタビューを通じてあの日の 状況を振り返り ますそして関西各地で行われている防災の 取り組みを紹介災害への備えの重要性を再 確認し ます阪神淡路大震災では6434人が命を 失い4万3人以上が負傷しまし たまた10万等以上の家国が全開しその数 倍の建物が損傷を受けたことで多くの人が 家を失いまし たさらに経済的な影響心理的ストレスなど 二次被害も広範囲に及びまし た29年前の地震から私たちは何を教訓に

し継承してきたのでしょうかあの日を 振り返り考えたいと思い ますでは阪神淡路大震災からの復興の シンボルとも言える神戸市の東遊園地に つなぎます松本さん上田 さんまた先日1日に発生した令和6年1. のいが行われている神戸三宮の東遊園地 ですこちらでは地震の発生した午5時46 分に合わせて犠牲者のにが捧げられました お祈りする場所だと考えてい ます 年明早々に北陸地方を襲ったの地震建物の 東海や火災避難所の様子が29年前の神戸 の姿と重なり今まさに被災している北陸の 人たちに思いを寄せながらの追悼となり まし た毎年公募で選ばれていた東の文字も今年 は半島自身の被災地に思いを寄せ共に 助け合おうという意味が込めれ が選ばれまし たそしてこの後3回目の黙祷は間もなく 午後5時46分に行われ ますまたの半島自身が発生した午後4時 10分にも犠牲者への黙祷が行われまし た多くの方が東の近くに集まって1分間 静かな祈りを捧げていました この時間に合わせて訪れている方も多い ようでし た訪れている方の中には震災を経験して いる方も ます私たちは先ほど何人かにお話を伺い まし たスで被災したという44歳の男性は 亡くなった5人の同級生の名簿の前に いらしていました毎年頑張って生きると いう決意を伝えに来ているということでし た今まであまり伝えるということはしてこ なかったけれど教えている野球の生徒や 身近な子供には経験を伝えていくと話して いまし たまた淡路島で被災した43歳の女性は5 歳の娘さんを連れてきていましたボドの 新元地淡路島というのを見ながらここで ママは自信を経験したんだよと話してい ました語り部というほどではないかもしれ ないですがでも身近な人に経験を伝えて いくんだという人がいらというがとも象的 でし た以上東遊園地からお伝えしまし た現在の東遊園地の様子でし た追と式店は全国にも広がり東京でも追悼 の催しが行われています東京千代田区の 桜井 さん太さん方がいらっしゃいまして日比谷 公園の小学道で開催されている1.17の

集いの東京会場からお伝えし ます16時15分から200個の キャンドルが並べ始められ神戸から届いた 希望の明りをキャンドルに灯すセレモニー が行われまし たこの後17時46分には全国と同時に 黙祷が捧げられ ます は2参東区身の30代の男は当時2歳だっ た自分を守りいてくれたのは母でした母が ついでくれた命や当時のことを風化させ ないそんな思いで今日は参加していますと 話していまし たまた東京都内から参加のお母様と12歳 の娘さん親子からもお話を伺いましたう 並びでいいですかお母様は兵庫で災し知人 を7人失う経験をしまし た娘さんには毎年この時期が来るたび命の 大切さを伝えているそうですそして12歳 の娘さんは学校で震災の話をすることも ないし語りが少なくなっていることも引い ています今日はこの会場に来た皆さんから 色々な話を聞いて震災のこと知りたいん です ち落ちちゃうと東京での1.17の集いは 震災の記憶を全国に広め若い世代に伝える 重要な機会となってい ます一旦スタジオにお返しします後ろに 余裕があります東京日比谷公園からの リポートでした続いて神戸市長田区の広川 さんはい神戸市長田区にある鉄人広場から 1.17神戸に明りをイン長田の模様をお 届けいたしますえこの催しは震災犠牲者を 追突し新長地域の復興の歩みを伝えるため に開催されていますここ新永は阪神淡路 大震災の当時多くの建物が壊するなど 大きな被害を受けた場所ですまもなく黙祷 が行われますがこちらの会場では地元の 方々を始めえ中高生や大学生の皆さんが討 を並べたり募金活動をしたりするなど重要 な役割を果たしていらっしゃいますここ からは神戸時女子高校のボランティア部 部長でいらっしゃる石山さんにお話をお 伺いしますよろしくお願いしますよろしく お願いします今日お手元にお持ちいただき ましたのは学生の皆さんが手作りされたと いうブローチですねえこちらは募金して くれた方にお渡しするつまみがつまみ工と いう作り方で作った花のブローチになり ますえどんな思いでこちら作られましたか はいえっと1番は募金してくれた方に何か お返しできないかという思いで作りました そして裏に災害に備えようという メッセージをけさせていただいたんです けどこのメッセージを通して震災について

考えるきっかけになってくれたら嬉しいな という思いで作り 若い世代の皆さんができることどんなこと だと思われますかはいえっと1番は阪神淡 大震災を語り語れる世代が少なくなってき ていると思うので私たち若い世代がまた次 の若い世代へ伝えるっていうことが大切だ と感じていますと若い世代が若い世代へ 伝えるという中でやはり震災を経験してい ない私たち が語本当に震災を語っていいのだろうかと かいう不安はあるんですけど私たちが震災 の話を聞いてどう感じたかどうこれから どうするべきかという自分の意見や思いを 織り混ぜながら次の世代へ語り継いでいく ことが大切だなと考えていますはい ありがとうございますえこういった若い 世代の皆さんの思いや願いもたくさん込め られた催しとなっていますまもなくが行わ ます長田区からの中継でし たまた宝塚市と芦屋市でも阪神淡路大震災 の犠牲者を追悼する催しが行われまし た宝塚市では昨日の午後5時46分から 追悼セレモニーが行われまし [音楽] た 会場となった宝塚大橋付近には市内在住の 現代美術家大野両平さんが義への新婚と人 と町の再生を願い制作した石のオブジェ聖 の石積と金属性の生のモニュメントがあり 宝塚市内で犠牲となった119人と同じ数 の明りが灯されまし た黙祷の後元宝塚団の 歌を捧げまし [音楽] た阪神淡路大震災慰霊と復興の モニュメントがある芦屋公園では1.17 芦屋市祈りと誓が行われまし たモニュメント前に設置された台には朝7 時から 芦市長や遺族らが次々と訪れ調した後花を 備え亡くなった人たちの冥福を祈りまし た阪神淡路大震災では芦屋市も震度7を 記録甚大な被害を受けまし たまもなく阪神淡路大震災の犠牲者を追悼 するための黙祷が行われ ますまずは東遊園地からそして長田東京へ と中継をつなぎ ますではまずは東遊園地の様子を見てみ ます現在の神戸市中央区東遊園地の様子 です現在5時45分もう紐くれてかなり 冷え込んできていると思いますがご覧の ように多くの人が訪れてい ます 1.17共にという討RAが並べられてい

ます199会場には多くの人そして小さな 子供さんご家族連れの姿も多く見られ ます29年前の震災の経験がある方ない方 いらっしゃると思い ますそれぞれがあの日に思いを馳せ 懐かしい人を忍びそしてこれからの世代に 何を伝えていくのか考えていらっしゃるの だと思い ます今日は晴天の1日で空は青く晴れまし たがその分かなり気温が下がりましたこの 明りは現在奪われた東遊園地もかなり 冷え込んできていると思い ますまもなく黙祷が始まり ます午後5時45分30秒をお知らせし [音楽] ます午後5時45分40秒をお知らせし ます分せし ます午後5時45分50秒をお知らせし ます ない午後5時46分共同お知らせしますせ し ます 北東 [音楽] JA おり ください皆様ありがとうございました皆様 ありがとうございましたこの後はそれぞれ の各阪犠牲 追が捧げられまし た東遊園地には多くの人が集まり黙祷を 通じて個人を忍びまし たでは現在の東京日比谷公園の様子を伝え てもらいます桜井 さん 年は30年という大節をえ ますというはでの方のえ合的なとあるん です東京では震災を直接経験していない 世代も参加し災害の教訓を共有する黙祷が 行われまし たこちらの会場では16時過ぎから参加者 1人1人にマイクが手渡され今日参加した 理由ご自身の経験今思うこと取り組んで いることなどを理形式で共に語り合う時間 が設けられました中には当時のことを 思い出し涙ながらに話す方の姿もありまし たひれ冷え込みも増してきていますが希望 の明りの柔らかな光と参加者が作り出す とても温かな空気に包まれて ます東京の会場で たでは続いて長田の鉄人広場の様子です川 さん え黙祷の後こちらの会場は静寂に包まれて いましたがえたった今太鼓の演奏が力強く 始まりましたえ先ほどこちらの会場で当時

ボランティア活動をされていたという年配 の男性にお話を聞くことができましたえ 若い世代の皆さんが震災当時の思いを 受け継いで行ってくれたらそんな風にお話 されていましたまたですねペルにルーツを を持つ20代の男性からは日本にえいる 外国人のためのコミュニティを立ち上げた とえそして日本にいる日本語の分からない 外国人のためにえ今後も被災した際には 様々な支援をしていきたいというお話も ありましたえまたですね地震の多いペルで の防災支援をジャカを通してされている そんなお話もお伺いしましたがえこういっ た阪神淡路大震災での知識たの経験が こんな風に生かされているんだなと感じ ました長田会場からは以上 です続いて東遊園地の様子です松本さん 上田さの催のために会場内各所にござい ます募金箱に募金のご協力をお願いいし はいこちら先ほど目が終わったのですが 協力まだの前に多くの方が集まって はい先ほど涙をう人の姿も見られ ましこちらには神戸市で当時の経験を多く の人に知ってほしいと人と防災未来 センターなどで語りべとして活動されて いる佐々木さんにお越しいただきました 佐々木さんにお話を伺いますよろしくお 願いし ますさんは神戸市立学校の で変た経験をお持ちだということです炎症 を免れた学校の教室や廊下体育館などに 1000人を超える避難者が集まっての 共同生活だったということですよねそう ですねあのこの地図があるんですけども この赤色が前哨茶色が全開緑色が反回の 航空ですはいでこのように大変な被害を 受けましたのでそうですねはいあの今半島 の避難所の状況なども色々お話聞きますが 避難所運営に携わった経験に基づいて被災 した際には何を心得るべきだと考え でしょうかはいあのこのように家が失われ るっていう私のクラスも4038にいまし て7人が前哨でした6人が全回だから本当 にあの半分の近くの子供が家がなくなると いうことで今野半島で起きている地震も まさにその家中だなと思そうです ねはいでこれあの写真なんですけどもあの はいみ学校の山側の方が避難者が住んでる 南側で子供たちという風にあのしましたで これ中にあの教室の中で洗濯物を干して いらっしゃいますけどもこんな様子が続き ました本ですねはい生活してらっしゃる 様子というのが分かりますねはい子供たち も色々活躍をしてくれたということなん ですよねであの学校の方としてもあの避難

者と子供たの関係をよくしようていうこと であの災が好きなお父さんにあのさまもの ないの植え方を教えていただいたりしまし たでまた5年生と6年生は避難者のチーム も作っていただいてリレ大会などをしまし たでその中であの子供たちが色々あの ボランティア活動を頑張りましてこはの 掃除ボランティアですへえそれ からこれは長田区役所がえ遠遠方にあの 避難さた方に案内場をあの来年次の月の カレンダーを送られるんですけどもその カレンダーの色のお手伝いもしました本当 にね様々なことをされていますけれども そうやってやっぱ子供たちにも何かをして もらうということが大切なんでしょうか そうですねあのこれはあの地内の住宅にお 手紙を案内上届けているボランティアです うんうん はいこれはあの肩叩きボランティアお避難 所で生活されてる方の部屋に行きまして肩 を母さんを方を叩きましたの歌を歌い ながらあの肩ボランティアもしましたそう やってやっぱ子供たちと避難者の方がこう 繋がっていくっていうことが大切なんです かねそうですねやはりあのえっと同じにい ますのでですから避難者と一緒にこう 交わりながらあの避難者の方を大事にし ましたでこれあの優しさ忘れないでって いうモニュメントなんですけどもはい大切 そうですねあのえっとこの優しさ忘れない で作ったのは小学校3年生の女の子でした けどもうんこの双葉小学校の横に双葉公園 があるんですけどそこで一緒に遊んでくれ た大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんに優しさ を忘れないでていうことでけましたと言っ てくれましたそれだけこう優しさっていう ことがこう身にしみた時だったということ でしょうかやっぱりあの全国世界から頂い た優しさを忘れないで生きるっていうのが 大事なことだと思っておりますはい今後 こう教訓の継承というのがこう色々課題も あるとは思うんですけれどもどのように 思われましたあの今年年賀上にえ東北から お招きした中学生が今気仙沼市のえ保健士 になったという年賀状が届きました本当に 嬉しい年賀状で涙を流して家で喜びました はいうんねそれだけこう経験が伝わって いっているということですよねはいあの これからも優しさ忘れないでっていう 気持ちで頑張っていきたいと思っており ますはい佐々さん今日は貴重なお話どうも ありがとうございましたはいありがとう ございまし た次に1.1のい実行委員会の堀内正美 さんにお話を伺います堀内さんよろしくお

願いどもよろしくお願いします堀内正美 ですお願いしますえ今回ノ半島地震が1月 1日に発生しましたえ討RAの文字は被災 地への思いを込めた共にはい黙祷も行われ ましたえ改めて何を感じられている でしょうかそうですね この竹ずえちょうど今回で25回目になる んですよね最初旧あ小学校っていう小さな 学校ででそれがこちらに1999年に移動 してえその間いろんな様々なえ阪神だけ じゃなくてナホとか号の座床であったり 中越がありえ東日本熊本様々な災害がある 中で1つ1つがバラバラにじゃなくて やっっぱりあの災害の島ですからね日本は だからみんなで共に力を合わせて再生して いこうという思いを込めて今回は共にと いう文字を選びましたりございますえ今回 29年目ということですえ阪神淡路大震災 1.17のついで大切にしていることや 思いなどをお聞かせくださいそうですね あのここの場所っていうのは広場ですはい だからみんながいつでも来れるようにえ別 にえ何年やったから終わりとか何年目が 節目だとかよく言われますけどそういう ことではなくてえ1月17日になったらえ ブラッと皆さんが訪れてきてていうのは 今年初めて来れたって方もいらっしゃるの 先ほどお会いしたんだけどやっと29年 経ってえここに来ることができましたあの 地下の名簿あそこにもまだ入れないまだ 怖いという方もいらしたしえそうやって 初めての方ね普通29年も経ったらもう いじ いらっますそうじゃなくてまだまだ 受け入れられない方もいるんでそういう方 たのためにもこの場所をいつまでもえ守っ ていきたいなていう風に考えてます なるほど先ほどあの私も話を来てる方に話 を聞いたんですけどもえっと7に住んでる 方でしてま関西人であればやっぱりここに はこのあかんやろうっていうことで今回 初めて腰になったんですけどもえ5歳と3 歳の娘さんを連れてってましまここにる ことで人への思いやりだとかそういとを 勉強してほしいというにおっしゃってい ましたがまそういったところもでしょうか ごめん出身はどこ僕はあの広島なり広島 っていうとさその平和教育であっ たりそのその日が8月6日うんその日がえ 1人1人の中でえ行き続けているでしょう 自然と8月6日になったらやっぱり原爆を 考え平和を何かって考えるだから1月17 日っていうのが本当に自然災害を含めて人 の命って何なのかっていうのを考える機会 になったらいいなってそんな風に思った

出身どこ私は神戸市の東七です何歳だった の震災の時は小学校5年生でしたていう ことは足し算したら年齢が分かっちゃうね 本当ですね大丈夫 ですそうそういろんな様々な思いが逆に あるでしょそうですねやっぱり1月17日 っていうのは特別で私も毎年来られる時は この場所に1月17日は来てうん目するん ですけどやっぱりここに来ていろんなこと を考えるとこう当時の友達だったりあの 家族をなくした友人のことだったりそう いろんなことを思い出しながら今自分に何 ができるのかなっていうのを考えて過ごし てますそうねだからこの被災地にとって 今日っていうのはあの普通は12月31日 が大晦で1月1日元旦で新しい年になるん だけどなかなかあの新年1月1日におめで とうって言いにくいどこかこの1月17日 が過ぎてやっとあの1年が開けて新しい年 に入るんだってなんかそんな気持ちに なれるそうですねうん今日はだからえそう いう意味でこの神戸にとって被災地にとっ て元旦なのかもしれないねうんだからそう いう風にやってさ日本の最時期の1つとし てこの1月17日っていうのが残っていっ てくれれば嬉しいしえもう1つやっぱり今 リアルな話としてはノの方たちがまだまだ 支援の手が届いていないんでうんあの国は あの個人は来るなって言ってるけどいや いやいやそうじゃなくてやっぱり個人の 思いをどんどん向こうに届けていく中で 支え合っていかなきゃいけないなって そんな風に思いますね はい堀さん貴重なお話ありがとうござい ましたどうもありがとうございまし失礼し ますありがとうございました各地の現在の 様子をご覧いただきまし た追悼会場に来られていた人々などにお話 を伺って 震災を経験した方々の生の声を通じてその 思いと教訓を共有し ますもう1年で30年節目の年になるかな 思ったらまたあ心新たにですねこってまた 野半島 で1月1日ですか自あるで今なを苦しん でる人が多くおるのでまそれと兼ねてです ねお祈りいたします いろんなその時の写真とかまビデオとか 残ってるんでそれを見てですねやっぱり 構成に残してですね伝えていきたいなと 思っております今回の野半島の地震のあの 映像を拝見していて30年近く経った今で も同じ光景が再び起るっていうことに本当 にあの心を痛めました私たちこの29年 積み重ねてきた

災した生活の中でやっぱり助け合って自分 たちの備えをあのお互いに分け与えられる やっぱりそういう普段の繋がり作 りっていうのがやっぱり1番基本で大切に していかないといけないことなんだないつ そういったあのま自信もあの他の災害も そうです自然災害もそうですがあのま他人 ごじゃないいつか来るっていうのはこう 身の回りの点検というかそこがやっぱり あの大事なのかなと思います年はに起こっ たあの野半島自身とかでもいきなり起こる んだなと思って日頃から準備がま必要なん じゃないかなっていうのはとても感じまし たま我々はその震災をま経験してるんです けども今被災に遭われた皆さんにまず 寄り添うというかね寄り添いでまた傷つい た心思いえそういったものを共有すると いうことが一番あの我々にとっても大切な ことがじゃないかなという思ってます ちょっと阪神淡路もやや薄れてきてるかな という印象持っておりましたのでまた 改めて震災の大変さということを日本全体 であの表示できたらいいなと思っており ますまうちも子供がいますしねそういう 子供にもね伝えてま是非長く伝えていく ことをね願っております小学校の時に震災 にあってすごくその時は学校も行けなくて あの色々環境の変化もあったんですけれど もでもあの私もあの大人になって子供も 生まれましてあのその震災の気持ちをあの 子供に もね伝えていけたらな絶対に風化させたく ないという思いが大きいので若い世代の皆 様にも是非こういうとろにも足を運で いたいたりいろんな面であの知って いただいてずっとこれを風化させないよう にお願いしたいと思い ますあの震災から29年ということですが それは決して遠い昔の話ではなくて皆さん 今もその記憶を持ってそれをまた次の世代 に伝えていこうとされているんだなと思い まし たでは続いてJコムと災害連携協定を結ん でいるNHK大阪放送局で制作した企画を お届けします兵庫県で若手演奏家を支援 する活動を続けている73歳の男性がい ますその胸のうちには29年前の阪神淡路 大震災で失った息子への思いがありまし [音楽] た躍動感のある演奏を披露する若手演奏家 たち プロとしての活躍を目指す彼らの音楽活動 を支援している泉さん [音楽] ですよかっ

たご高校の教員として音楽を指導してきた さん定年後学校などで開かれるコンサート を若手演奏家たちに紹介し活躍する機会を 増やしてきました ステージを踏むごとにやっぱりスキル アップしていくんですよね演奏の場をある のでそれを自分の技の演奏力を高めるため の1つの機会にして立派な演奏画になって ほしい [音楽] と泉さんは29年前の震災で長男のたさん をなくしました 当時小学4年生で10歳になったばかり でし た自宅は 全開幼い頃から2階で家族と一緒に寝てい たた さんしかしこの日は1階で1人で寝る練習 をしていまし た泉さんは怖いからと2階に上がってきた 息子と一緒にてなかったことを今でも後悔 してい ますあの時に一緒におれば助かってたん ちゃうかなという ね何とも言えないというか もうそれ今でも悔まれます ね定年後10年間若手演奏家の活動を支援 してきた泉 さん70歳になる節目で活動からと考えて いまし たそして70歳を迎えた3年前家の整理を していた時にある映像が見つかりまし た災前に泉さんが撮影したさんの映像でし た 運動会 や幼稚園での発表 会中にはさんが歌う姿 もさんは普段からよく歌を歌っていたと 言い ますってるビデオを見 てやっぱ将来どしてたんだろうなていう こと考えたんですよ [音楽] ねたさんの歌声を聞いた泉 さん若者の夢を支え続けていきたいと思う ようになりまし たお父ちゃん頑張るよと頑張ってねていう ねなんか言ってるような感じに私は取られ てしまうんよ ね自分を頑張ろうというやって生きてる間 は頑張ろうという勇気が湧いてきたという か [音楽] ねその後泉さんはたさんへの思いを胸に 秘めながら支援活動を続けてきまし

た これまでに400を超えるコンサートで のべ1500人あまりの若手演奏家が ステージに立ちまし た演奏家ってすごく食べていくのに 難しかったり演奏する場が限られてくるん ですけどこうやって演奏する場所を提供し てくださるのですごいありがたいなって いう風に思って ます 去年11月に開かれた音楽鑑賞 会関西各地で活動する若手演奏家12人が 集まりまし [拍手] [音楽] た 泉さんは今希望に満ちた若者たちの姿にも 励まされていると言い [音楽] ます 今日もね見ててねなんとか気持ちが 込み上げた分あります [音楽] ねま息子もも背中をやっぱ押してくれてる んですよ頑張ってよっていう励ましの言葉 をかけてくれてると思います よ今月1日に起きたの半島での自信を受け て泉さんたちはコンサートの会場で募金箱 を設置するを検討しています集まったお金 を議金として送り被災地を支援していき たいということ ですここまでNHK大阪放送局が制作した 企画をお伝えしまし た多くの車が行きかう高速道路の橋や大阪 物レールの橋などコンクリート構造物に 関わる補強メンテナンス工事を担うのが岸 市に拠点ををくKクラフト弊社の ミッションは社会の当たり前を維持し 続けるためにより安全により安心できる 施工力を用いてより良い街づくりを担い 最高の仕事を成し遂げること匠の技で安心 な未来へ株式会社K クラフト1月1日に発生した令和6年の 半島地震により被災された皆様に心よりお 見舞い申し上げ ますJCでは被害を受けられた地域を支援 するため災害議員金を2月29日まで 受け付けてい ますお申し込み方法は募金オンデマンドと JCOMのホームページの二通りとなり ますJCOMのテレビサービスにご加入の お客様は募金オンデマンドから簡単な リモコン操作で募金することができ ますホームページからはご加入いただいて いない方の申し込みも可能です

皆様からお預かりした義援金の総額にJ コムが同額を加算して日本赤従事者を通し て被災地にお届けいたし ます皆様の温かいご支援をお待ちしており [音楽] ます今日は芦屋市のスタジオから特別番組 1.17阪神淡路大震災あの日を忘れない をお届けしてい ますスタジオには神戸学院大学で防災教育 などをご専門に研究していらっしゃいます 現代社会学部社会防災学科の舟木信教授に お越しいただいています舟教授は学校に おける防災教育の現状と課題新たな防災 教育ツールの開発災害経験者の語り継ぎに 関する研究などに取り組んでいらっしゃい ます舟木さんよろしくお願いいたします よろしくお願いしますえ今日で阪神淡路大 震災から29年ということです舟木さんが 防災教育を研究テーマにされたきっかけと いうのはどういうことなんでしょうかそう ですね私があの大学院で防災を勉強してい た時にあの2004年のインド洋大津波が 起こってそこの被災地に行ったのが きっかけですはいそこあのその時は スリランカに行ったんですけれどもま被災 した方からたくさんお話を聞いてで やっぱりこう津波っていうこと自体を知ら なかったっていう風におっしゃってたん ですよねあでやっぱりそ知らないと逃げる こともできないで津波は英語でもこう津波 なんですよ津といますねであのま津波は 元々日本語がベースなんだから日本人の君 にもっと教えてほしいっていう風に言われ てであの防災教育でやっぱりこう伝える ことま知っていることで 救える命があるんだという風に思って防災 教育を研究しようと思いました今あの学校 で大学で学生さんに教えていらっしゃい ますけども学生さんはもう20歳前後と いうことで本当に震災の記憶がない震災を 知らない世代ということになりますよね そういう意味で記憶の継承ということは どういう風に感じてらっしゃいますかそう ですね学生はもちろんあの震災を知らない 世代なんですけれども興味関心持ってる子 も多いんですよであのあのまえっと今日も 朝東遊園地に行ってきましたっていう風に 言ってた学生もいましたしこうまだまだ こう直接経験される方が身近にいるので こう話を聞きたいっていう風な格好はあの 中にはやっぱり多いなという風に感じて ますそのやっぱりこう被災市ではその神戸 では特に若い人への教育っていうのは本当 に小さい頃からしっかり行われてる印象は ありますよねそうですね今日も私あの小

学校と中学学校にえっと防災の授業を見に 行ったんですけれどもやっぱりちっちゃい 時からやることっていう風なのは非常に 重要だと思いますしこう経験された方から しっかりお話を聞いてその話をこう自分の 中でこう解釈して伝えるっていう風なこと を是非して欲しいなという風に思ってます はいえこちらのスタジオ芦屋市にあるん ですけれども芦屋市は震災で452人の 尊い命が失われましたそして今市内に住む 人のおよそ4人に1人は震災を経験してい ません時間が経つに連れ薄れゆく記憶を どのように次の世代に継いでいけばいいん でしょうかそんな中去年11月29年前の 震災直後のアア市内の様子を記録した ビデオテープがJCのアーカイブ室から 見つかりました映像を撮影した当時の社員 はどのような思いでカメラを回したなの でしょう か今回震災を経験していない世代である JCOMの山田梨奈が主材を担当しました はいあの今回見つかったアアのテープなん ですけども当時アアのケーブルのテレビで 働いているスタッフが撮影したということ もあるて芦屋の街並がたくさん映ってい ますで私は震災の翌年に生まれたのであの 阪神は時代震災の経験がないんですけども 私のような震災を知らない世代や子供たち にどう震災の記憶やあの教訓というのを 伝えていけばいいのかということを取材し てきまし [音楽] た私が働く芦屋市の事務所で去年たくさん のビデオテープが見つかりまし たテープに記録されていたのは29年前 震災で大きな被害を受けたの景色でし た当時の番組制作スタッフが震災の2日後 から半年以上にわって撮影したテープだ そう です復興へと向かうアアの人たちにこの 映像を見てもらうにはまだ早いという判断 のもと長らく眠ったままになっていまし [音楽] た私はし のがこんなに大きな被害を受けていたこと に驚きまし [音楽] た当時の話を聞きたいと思いこのテープを 残した先輩たちに会いましたお願いし ます震災から2日後変わりはてた芦屋の町 を取り続けたカメラマンの上田 さん そして 震災後の足を記録し続けた口子さん ですま私たちはそのね上田さんの式のも

計画を立てても全部全あの地域をもらし しょうということで結構日日をかけてあの 取りまし たまず自分たちにできることは私にできる ことは何だろうというのをまず思いますよ ねそれは この状況をねやっぱり映像で残すべきじゃ ないかとというのがやっぱり発端ですねで 後々までこれを伝えていく必要性があるん じゃないかという思いが1番強かったと 思います ね現実とは思えない3条目の前にそれでも 記録を取り 続けるそれがどういった気持ちなのか私に は想像ができませんでし [音楽] た1階がなくなってしまったマンションだ とかここ取っといてくれるって言った やっぱカメラマンさんがそれに抵抗を感じ てねそんなん取っていいんかなとかその 子供とかお年寄りの生活用品が道端に出さ れてるの見てなんか もう本当に何をどう取ったらいいのか うんどっち見てもねもうお家は壊れ てるもう全てがその世界なの で1番感じたのはねあそのいろんな人を 見るじゃないです かそれで実際その主催されて建物が壊れ てるそこで片付けをしてる人たちが いるそれでま打ちひしがれてる人もいる わけですよねそれでやっぱりその色々な 不幸があったりするわけですからだそう いう面でやっぱり自然というものに対して 人間ってのは弱いなと思うん です思ってたんですねだけど も2日3日経って役所ので避難されてる人 たちを取っ たり見てるとねあの私たちは言っても 頑張るよと言ってくれるこちらもお疲れ様 ですご苦労様ですという声がかけて いただくそういうのを見てるとやっぱりだ けど人間を強いと思うんですねだ人は弱い けど強いというような感じを受けたのは 事実ですよ ね森口さんも撮影中に人の優しさに触れた ことを今でも覚えているそう ですあの被災された方はすごくやっぱり 自分の怖かった体験とかカメラっていうの はあまり意識されずにお話をねさあのして くださる方が多かったです自分たちが被災 されてものがなくなってるのに使えるもの があったらあの皆さんどうぞ使ってくださ いっていうもの置いてあったりと かやっぱもうご近所でもうどんだけ 助け合いしたかていう話はたくさんお伺い

しまし [音楽] た 何のために取り続けるの か全ての場所を撮影することができなかっ たお2人は撮影をしていて葛藤や後悔も あったと言い ますしかし29年という時が経った今この 映像を改めて見ることで伝えたいことが 確かなものになりつつあるよう です自然災害っていうのはいつ来るか わからないしそれに逃れることがなかなか できないとだから今の若い人に言えること は誰も避けられないからとにかく何が できるか何をすべきかていうのを考える べきじゃないかとこれを防ごうなんてのは できません からそれが1番まあの若い人に言えること じゃないですか ね自信の怖さそういうのが表現え見て もらえる人に え分かってもらえたら一番いいかなと思う んですよ ねあ今こうやって震災知らないっていうね 世代の方々に見ていただけるんやったら それは意味があったかなっていう風に今 感じています 私のような震災を経験していない世代が 中心になってもこの記録を伝えていくこと が今の芦屋に生きる私たちにできることな のかもしれませ ん聖堂小学校では当時の在高生8人が震災 の犠牲になりました 29年の時が流れた今でも1年生から6年 生までの全校児童が毎年審査について学ん でいます阪神淡路大審査が起こった日今 数字のカードを持ってるですこれをその 住文に並べて欲しいんだけどちょっと誰か お願いしていいですかはいありがとう今 こうやって並べてくれました がこれが分かるのは聖堂小学校のみんなだ から です日本全国の小学生が分かるわけでは ありませ んそうなの毎年ずっと聖堂小学校ではこう やってど学習を続けているのでこの数字が 簡単に並べられるし見たら分かるんです それが当たり前なんですた子供たちが震災 を学び続けるのは決してあの日を忘れない という強い思いがあるからですあ だってその地震が起きるまで生きてたわけ 誰も語り継いで行かなかったらここにこの 人がいたんだよその人確かにここで元気に 生きてたんだよていうことすらなくなって しまうよ

ね語り継ぐことによって亡くなった命や その人のことが忘れられなくなってきて その人はず行き続けていくんだだから 語り継いていき [音楽] ます 残されたテープには震災から2日後避難所 になっていた聖堂小学校も移っていまし [音楽] た記録映像に収められた当時の街並そして 言葉による語り継ぎは震災を知らない 私たちが当時に思いを巡らせる貴重な時を ついでるように思いまし た [音楽] はいえVTRご覧になって舟木さんいかが ですかはい当時のあのまJCさんがね撮ら れた映像がすごくこう当時の生活が分かる 生々しいでもなんかこう感じるものがこう 色々あるような映像だったような感じがし ますそしてなんか撮られた方にもいろんな 思いがあったんだなっていう風なことが よくわかりましたそうですね多分当時悩み ながら撮影されていたと思いますけども それが29年経ってやっぱりこの映像が あの時の状況をこれからの世代の人に 伝える1つのなんというかその手がかりに はなるのかなという風には思いますよね そうですねえ取材した山田さんいかがでし たかはいあの私もまず自分の知っている アアの町がこんなにも当時大きな被害が あったっていうのが1番驚いたっていう ところもありますしあの上田さんと森口 さんお2人の取材を通してあの震災はいつ 起きてもおかしくはないけれど心の準備 備えというのは誰でもできると思うという ようなことをおっしゃっていてとても印象 的だったんですねま私たちのような震災を 知らない世代っていうのはあのいつか来 るっていうのは分かっていてもどうしても そのイメージってなかなか湧きづらいと 思うんですでそういった中でこういった あのアアのテープのような映像が残って るっていうのはとても貴重なことだと思い ますしこの映像を通して私たちのような これから生きていく人たちに震災のまそう ですね教訓だったりとか記憶っていうのが 伝え続けていけたらいいなと思いました はいあのカメラマンのね上田さんの人間は 弱いけどでも強いと思いましたっていう 言葉もすごくなんか印象に残りましたはい え震災を知らない世代ということ記憶の 継承ということでご覧いただいたんです けども舟木さんはこの点についてはどう いう風にお感じになりましたかそうですね

やっぱりこう震災を経験していない人たち がま私自身もそうなんですけれども やっぱり自分ごとしてこう震災の経験を 捉えるっていう風なことは決して簡単な ことではないと思うんですよねはいでも やっぱいろんな方の話を聞いたりその被災 された方の後悔に触れるえさっきVTRに もすごく後悔してるっていう はい災までそのま災者の方々は明日が いきなりこう亡くなるっていう風なことは 想像されてなかったと思うんですよねで そういう風なことをえっとご遺族の方は 多分色々な思いであの29年過ごされてる と思うんですけれどもそういうお話を聞い てこう辛かったこと悲しかったことって いう風なのはの話を聞くとやっぱりこう その方にしか分からないんですけれどもで もその気持ちに近づくことっていう風なの はできるんじゃないかなと思うんですよな のであのやっぱすぐには無理かもしれない んですけれどもそういう話をこう聞いて やっぱりこう自分の中でこう自分の経験と 重ね続けるっていう風なことが重要じゃ ないかなという風に思ってますはいえ今回 の取材山田さんが担当してくれました ありがとうございましたありがとうござい まし たではお知らしをお知らせを挟んでに強い 制社会の構築に向けての関西各地の 取り組みに焦点を当てます地域 コミュニティの絆や連携の重要性そして 地域での具体的な防災対策を紹介していき ます多くの車が行きかう高速道路の橋や 大阪物レールの橋などコンクリート構造物 に関わる補強メンテナンス工事をうが岸市 に拠点を置くクラフト弊のミッションは 社会の当たり前を維持し続けるためにより 安全により安心できる施行力を用いてより 良い街づくりを担い最高の仕事を 成し遂げること匠の技で安心な未来へ 株式会社K クラフト1月1日に発生した令和6年の 半島地震により被災された皆様に心よりお 見舞い申し上げます JCOMでは被害を受けられた地域を支援 するため災害議金を2月29日まで 受け付けていますお申し込み方法は募金 オンデマンドとJCOMのホームページの 二通りとなりますJCOMのテレビ サービスにご加入のお客様は募金オン デマンドから簡単なリモコン操作で募金 することができ ますホームページからはご加入いいてい ない方の申し込みも可能 です皆様からお預かりした義援金の総額に

Jコムが同額を加算して日本赤従事者を 通して被災地にお届けいたし ます皆様の温かいご支援をお待ちしており [音楽] ます今日は特別番組1.17阪神淡路大 震災あの日を忘れないようお届けしてい ますここからのブロックはJCが発信する 地域の安心安全コンテンツこちらJC安心 安全化で紹介した関西各地の地域防災の 取り組みなどを舟木さんと共に見ていき ますえこちらがこれから紹介します 取り組みの一覧です地域力事情教授若い力 とテーマを3つに分けてご紹介します舟木 さんは防災教育の専門家でいらっしゃい ますけども地域防災の重要性や課題など どういう風に考えていらっしゃいますか そうですねあのやっぱりこう阪神時代震災 では倒れた家の下敷きになってなくなられ た方があの多くてでやっぱ自力で脱出が 困難だった方っていうのはたくさん いらっしゃったと思うんですよねでも私の あの知り合いも弟がこう柱の下にこう挟ま れてて倒れあの出れなかったところを近所 のお父さんたちがこう助けに来てくれ たっていう風に言っていてまそういう風に こうすぐに公的な期間からの助けっていう 風なのはこう来ないかもしれないんです けれども地域の方々でまずは助け合うって いう風なことはすごく大事だなという風に 思ってますはいでは最初は地域力をテーマ にご紹介していますえ住民のアイデアを 取り入れた京都市有林学区の取り組みまた 女性たちが地域の交リーダーとして活動 する八市の味野小学区の取り組みをご覧 いただき [音楽] ます京都市下行区の有林 学区市上河原町界隈と京都駅の中間に位置 する市街地で1200年以上の歴史がある 地域 です歴史的な景観を残す ロジや町屋は防災上の課題も多く災害時の 対策や避難経路を把握しておく必要があり ますそこで有輪学区では自主防災会を 立ち上げ防災待ちづりの取り組みを開始街 のことをよく知るための街歩きを行い住民 のアイデアや街の情報をまとめた防災 街づくりマップを作成オンラインマップに は新しい建物などが反映され ますですねあの消化線とか消化器とか AEDとかまそういったあのえっとものが どこにあるかっていうこととかあとまユニ 学の特徴であの街屋であるとかあの路地が 多いっていうの特徴がありますのでまそう いったあの災害上危険がある箇所であり

かつ街の魅力になっているようなものが どういう風に分布してるかっていうことを えっと記載してい ます災害が起こった時の一時集合場所には 祠やお地蔵さんなど町のシンボルになる ところが選ばれていますあの学民の皆さん に防災意識万が一の時はあそうやってそう やったとかそういう意識をあのつけていっ てもらえるのが1番防災に役に立つかな皆 さん分かっていただけるかなと思ってそう いう風に向かって進めていきたいなと思っ ており ますこの日の訓練では消化器やAEDに ついて学びいざという時に誰もが使える ように地域の防災力を高めていまし た大阪府東部の町八 市そんな八市の味その小学校区では地域は 地域住民全員で守るという考えのもと 子育て世代の女性たちが地域の防災 リーダーとして積極的に活動してい ます [音楽] 現在みその小学校区の防災リーダーは14 人そのうち11人が女性 ですまさかね自分たちがその二手になる なんてまあ思ってもなかったんですでも もしねお昼間何か起きた時私ら指加えて 待ってんのそんなわけにはいかへんやで 自分の子供守るために自分たちでなんとか せなあかんやんていう話になって人任せ から我がことに変わってきたんですね 私たちが入ることでいや私たちやったら こうして欲しいよねこれってもうちょっと 配慮いるんじゃないのっていうのは子育て 以外にもやっぱ弱者高齢者とか障害お持ち の方の身になって考えれるっていうのは 女性ならではの目線かなっていう風に思い ました女性だからこそできることっていう のがいっぱいあるように思います地域の ことは地域の人みんなで取り組むのが大事 なんやなって思い ます住民のアイデアを取り入れた京都市 有林学区そして女性たちが地域の防災 リーダーとして活動する八市の味その小学 校区の取り組みを紹介しましたいや本当に ねなんかあの楽しいなという風な感じがし ました先ほどちょっと音声の調子が悪た ようですね失礼いたしましたえVTRご覧 になって船木さんいかがでしたかあそう ですねなんか地域の方でマップを作ったり こう女性の方々が中心になって訓練をした りっていう風なのなんかすごくやっぱり おっしゃる通り頼もしいなという風に思い ましたしこう自分の地域は自分で守 るっていう風に思われるだけではなくて

行動している姿っていうのがこう 素晴らしいなという風に思いましたそう ですねなんかあのさんはこうマップを作っ たりとか訓練をされたっていう風な経験 ってありますかあの私も当時東七区にいた ので本当に震災の怖さ知っているつもりな んですけどまちょっとハザードマップ ぐらいは見たりはします行政から届いた ものでも実際に自分が訓練に参加したりと いうことはないんですよねでそもそも訓練 っていつやってるのかなどこでやってるの かなぐらいだったりするんですよね 恥ずかしいところうんうんうん確かにあの なかなかこう訓練に参加したたことがあ るっていう人は少ないんですけれども なんかよくこうまポストとかに入ってる 地域の広報士であったりとか市のあの察し とかに防災訓練やりますっていう風なこと は書いてあったりするんですよねきっちり そういうとこまで見なきゃいけないですよ ね地域のことを知ろうという気持ちが もっと必要なんだなっていうことですよね そうですねそういう目を持ってこう資料を 見るとその情報が届くのかもしれませんね はいわかりましたえでは続いのテーマに 行きましょうか続いては次女教授です大阪 市の外国人住民と共に防災活動を行う 取り組みそして兵庫県芦屋市のスマート フォンを活用した防災の事例をご覧 いただき [音楽] ます関西1の大都市大阪市人口270万人 のうちおよそ 5.615万人以上の外国人が暮らしてい ます過去の災害では日本人に比べて外国人 が被害を受けやすいというデータもあり これから起きる災害でも外国人に多くの 犠牲者が出る可能性があり ます大阪市内には日本語が得意でない 外国人が避難してきたという想定で訓練を 行っている地域があり ます受付では翻訳アプリなどを活用して 外国人がスムーズに避難できるように訓練 し ます緊急時の電話がありますのでそれで 連絡して くださいこうした地域の訓練へ外国人の 参加を進めているのが災害外国後での情報 発などを行う 阪国です避難所っていうのを知らない 外国人はたくさんいますのでまず避難所が 何かをしてもらうことがまず1番で実際 避難上に行けるように自分で行動できる ように促すことができるかなと思ってい ます地域の住民の人にはまずそこに暮らし

てる外国人がいるっていうことをして いただくそして避難上運営する時にも 外国人も一緒になって担い手としてポ をすることができるっていうことにつがる かなと思ってい ます芦屋市川町の一部地域は2018年の 台風21号で川の水が溢れ出たことによる 浸水を経験しまし た予測ができる災害に対して即自に情報を 得られるのがスマートフォンなのです がえ私そんなにスマホ得意じゃないという ところが最初で情報どうやって取るのって いうまずそこにきましてでそのスマホを じゃ誰かに教えてもらいたいよ ねそこで栗川町は社会福祉協議会地元の 高校と協力してスマートフォンの操作が 苦手な人を対象に防災面での活用法も含め た口座を 開催基本的なに加えて災害情報を得るため のアプリのインストールを高校生たちが サポートしまし [音楽] た災害発生時に怪我人が出たという想定で 参加者同士がスマホのアプリで連絡を取り ながらの急所訓練も行われまし た機種が何なのかその言葉すら分から なかったっていうか高校生ななり皆さん方 が教えてくれはったりしてあとちょっとし たら30mmの雨降りますよとかそういう 情報が入るようになってそれはもう自分で は大きく変わったなというやっぱ自信とか が起きた時ってあのその人の意思情報が すごく大事になってくるのでいち早く家族 の人とかに共有して安全なところに避難 できるようになってもらえたらなって すごく思ってい ますもしもの時身近にスマホ操作が苦手な 人がいたら周りがしっかりサポートして あげることも大切かもしれませ ん外国人住民と共に防災活動を行う 取り組みそしてスマートフォンを活用した 防災の事例をご覧いただきました舟木さん ご覧になっていかがでしたかはいあの今ね ノトの災害でも外国人がこう困ってい るっていう風なお話っていうのはたくさん あのメディアでも流れてるんですけれども 私の知り合いもいもあの半島は時代震災の 時に日本に来て4年目で日本語が全然 わからなくて困ったっていう風な話をされ てたんですよねでそれその話を聞くとね やっぱりこう避難所が先ほどのVTRにも あったんですけどもどこにあるか避難所が どこなのかっていう風なことが分からない むしろ避難所って何なのかっていう風もう 避難所っていう意識もちょっとないかも

しれないですよね外国人の方はねそうです ねであの避難所でこう少し立つとお弁当と かこう炊き出しとかやってるじゃないです かで私の知り合いはそれをこう外国人の 自分がもらいに行っていいのかどうか 分からなかったっていう風にあの言われて たんですよねうんその支援を受けていいの かいけないのかそれも迷ってしまいますよ ねちょっとねそうですねでやっぱりこれ からこうどうなるのかとか家族と連絡が 取りたいけれどもどうしたらいいか分から ない当時は携帯とかもなかったのでねなの でそういうことが困ったっていう風に言わ れてたのでこの避難所でこう外国人を取り 取り残さない取り組みっていうのはすごく 心強いなという風に思いましたうんうん ですねでまたスマートフォンを使ったと いう取り組みもありましたねうんうんそう ですねなんかあの高校生がこうなんか サポートをしてるっていう風なのがすごく こう微笑ましく思えたんですけれども やっぱスマホが苦手な高齢者はたくさんい ますし私の母もあのちょっと子供にこう見 てもらってるぐらいなのであの全然こう 多分うん ま孫世代というかね高校生や中学生むしろ 小学生の方がスマホの扱いにはこう 詳しかったりすると思うんですよねなので えっとさっきのVTRにもこう困ってい たら手助けよっっていう風に言われてたん ですけれどもなんか多分普段こうスマホを 使っている人たちはそれが使えないって いう風なことすらわからないのかもしれ ないのでまちっちゃい子からできるプチ ボランティアだと思ってあの困っている こう方がいらっしゃったらまん自分が できることや知ってることを当たり前と 思わずに是非声をかけてほしいなという風 に思いましたこの中スマホ勉強会をする ことで若い世代とこのま年配の方々の なんか仲間意識というか繋がりもできて それが地域力にもつがるんじゃないかなっ ていう気がしますよねそうですねあのま 高齢者の方は若い子に声かけられると すごく嬉しいと思うんですよなのでそう いう風なこう気持ちの面でもあのすごく いいりはいだなというに思いますはいでは 続いては3つ目若い力がテーマです神戸市 と大阪市の取り組みをご覧いただき [音楽] ます阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた 神戸の 町今ここで災害でもいつもの食事を作ろう という学生たがい ます彼女たちは2014年から活動して

いる神戸学院大学の学生団体防災女子の メンバー です災害が起きてもいつもの食材でご飯が 食べられるようまた発災からの日数に 合わせて必要な栄養を取ることができる ように大学の先生の助言を受けながら様々 なレシピを考案しています 全ての料理に缶詰めやどこの家庭にもあり そうな食材を使っています日常の食材を 少しでも多く買っておくだけで災害時にも こんな食事ができるんです調理器具も できるだけ 少なくライフラインが止まると水やガスの 節約が必要になり ます袋を使ったこちらのはおよそ20分で 完成しまし た防災女子は年に数回地域で調理口座を 開いてい ますこの活動を長年重ねてきたことで徐々 に彼女たちの考えが浸透しているよう ですもう簡単にでき るってことですね過去の経験上ですけど道 の真ん中にいても食材自体は手にが入った んでりたいなと思った時になんとかな るっていうことが一番のいいところ です災害時の状況を想像しどんな食材を 備えるか家族で話し合うことも大切です その際にご家庭でポリ袋調理を試してみて ください大阪市天皇地区に住む泉家は家族 全員が防災費の一家です災害への備えを常 に意識しながら過ごしてい ます 私たちは普段の生活をそのまま防災に応用 できるようにしてい ます泉さんの自宅にはツ缶が多く備蓄され てい ます非常食としてはもちろんのこと停電を した時にはランプの代わりにもなるんだ そう [音楽] ですペットボトルも明りになるというのは 長男のさん当時史上最年少の9歳で防災費 になりまし [音楽] たこのライトだけだと真っすぐにしか光が いかないのでこのレモンティを上に乗せ ます光を乱反射させてより高範囲を照らす ことができるペットボトル ランタン正さんの実験ではレモンティが 1番明るかったそう ですお父さんの趣味にも備えが ウォーキングをする時に避難所マークや 災害用マンホールトイレを目印にコースを 設定しているそう ですこれならいざという時迷わないで住み

ます身の周りにある物や行動を災害時に どう活用できるのかを考えてみるといいと 思い ます大学生が提案する災害時の食事の作り 方そしてご家族がの資格を持つ一家ご紹介 しましたいかがでしたかあはいあの大学生 はうちの大学の学生の取り組みなんです けれどもあの職の観点からえっとま若い人 たちなんですけれどもやっぱりこう どんどんどんどん防災のこと考えて欲し いっていう風なことでこう女性の力って いう風なのをここでもこう生かしてあの 学生たちが提案してくれてますであの やっぱ災害時に備えるっていうとどうして もこう非常食を買ったりとうん う特別なを買わないといけないんじゃない か思われてる方多いんですよねでもあの 彼女たが言っていることはあの今こう家に あるものを少し多めに買っておいたり そもそもこう災害が起こった時に冷蔵庫や 冷凍庫のものをうまくこう活用できるよう な方法なのでこう特別な備えだけではなく て日常の延長にこう備蓄があるっていう風 なことをま皆さんも既にされてることが こうはい事の備になるんだっていう風な ことを再認識していただきたいなという風 に思いますはいえそんな中でですねえ舟木 さん小学校の先生と一緒にこういう防災 マニュアルというのを作られたんですよね そうんですこれどういうものなんでしょう かそうですねあのやっぱ小学生はもしかし たら1人でいる時にこう自信に合うかも しれないそうですね族が常に一緒という わけではないですから子供1人でっていう こともありますよねそうはい峠校中であっ たりとそういうにこうどうしたらいいか いう風なことをやっぱり考えさせたいって いう風なことで先生たとあの作ったんです けもまずはちょっと落ち着いてほしいなっ ていう風なことでこうお腹風船というかま 呼吸を整えるっていう風なこをしましょう とであのま体で怪我がないかってのを ちゃんと見て確かめて欲しいなっていう風 なことを言ってこういう風な絵を書いて ますなんかこう血を見ると痛いっていう風 に思ったりとかあの感じ始めることあるで やっぱちょっと感じてほしいなでやっぱ 自分があの大丈夫だなっていう風に思っ たらこう大切な人のことを思い浮かべると 思うんですよねその時にこうあはい家族は どこにこういるんだろうとかえっとどどこ に連絡をしたらいいんだろうかっていう風 なことを書き込むようになってあ家族の 名前を書いてそれぞれの時間割りというか 大体の1日のスケジュールを書き込める

ようになってるわけですねそうですね今 この時間はお父さんはこにいるなとか お母さん何してるなっていうのを普段から 意識するために書くということですかねあ そうですねであの書きながらやっぱりこの 時はこうだっていう風な話し合いもできる と思うんですよあはいでここに電話番号 書いておくとあのいいかなと思ってますで えっとやっぱ家族の電話番号って覚えて ますかはいあの携帯に登録してるので番号 は覚えていなかったりしますねうんそうな んですよねでもしかしたらこうバッテリー がねあの持たないかも えのは複数持ていていなという風に思って ます携帯電話が繋がらなかった時にあの NTTの災害用伝言ダオ171のような そういうシステムを使うっていう風なこと もできるのではないかなと思いますはい この171ももう皆さんよくねあの災害 伝言ダイヤル171というのは知ってると 思うんですけどまかけたことがないので どういうふにかけてどうれいうんのかも 分からないという方も多いんじゃないです かねそうですよねであのそのためにあNT の回し者ではないんですけれどもえっと 体験利用日っていう風なのがあってで今 まさにかけれるんですよああこのやはり 1.17に合わせて今の期間はこの171 が使える体験できる期間ということなん ですそうですねあの防災とボランティアの 日の週間の間15日から21日までの間 本月21日まではいかけて試せますで えっと書ける時にこう必要なのがこう電話 番号ですはいでえっと家族の電話番号って 多分いっぱいあるんじゃないかなと思うん ですよそうですね家の番号もあるし お父さんお母さんお兄ちゃんお姉ちゃん みんな持ってたりしますね番号そうなん ですよねその時にこう子供はあれどの番号 にこう書ければお母さんやお父さんの メッセージが聞けるのかなっていう風に 思った時にやっぱ決めておかないといけ ないと思うんですよねあそのどの番号に かけるかというのもしておかないとうん それぞれの番号に紐づいてメッセージが 録音されるわけですねそうですねなので あのせっかくこう私はあの自分の携帯に メッセージを残したのにですね誰も聞いて くれなかったっていう風なことになりかね ないので家族でこうメッセージを残す時は この番号だとかお父さんの番号お母さんの 番号っていう風なのを是非共有してほしい なという風に思いますはい是非ご家族でね 話し合っていただきたいですよね えここまで神戸学院大学の船木さんにお話

を伺いました船木さんありがとうござい ましたありがとうございまし たJCでは令和6年野半島地震災害議員金 の受付を行ってい ます皆様から寄せられた募金は同額をJC が加算し日本関従事者に寄付し同者を通じ て救援活動復興支援などに使われますされ た地域の皆様の救援復興のために今私たち にできる最大限の支援をお届けしたいと 思います皆様のご支援をお待ちしてい ます今日は特別番組1.17阪神淡路大 震災あの日を忘れないようお送りして まいりました29年前の記憶と教訓をどの ように継承しどのように生かしそしてどの ように備えるか災害は必ずやってきます 災害が起きた時あなたはどう行動しますか それまでにどんな準備をしますかお1人お 1人が今日という日を木にそれぞれ考えて いただきたいと思い ますそれでは今日はこの辺りで失礼し ます 北斗 [音楽] Y [音楽] この番組はKクラフトの共産でお送りし まし た 多くの車が行きかう高速道路の橋や大阪物 レールの橋などコンクリート構造物にわる 補メンテナンス工事をの が クラフト弊社のミッションは社会の 当たり前を維持し続けるためにより安全に より安心できる施工力を用いてより良い 街づくりを担い最高の仕事を成し遂げる こと匠の技で安心な未来へ株式会社K [音楽] クラフト [音楽] [音楽] T [音楽] [音楽] L [音楽] [音楽] JA [音楽] [音楽] [音楽] HV

あの日から29年。『記憶』『教訓』『共生』という3つの視点を通して地域防災について考えます。
追悼式典が行われている神戸市内の会場からの中継や、29年前の記録映像、関西各地で取り組んでいる地域防災に関する活動などを紹介します。

◆番組ページ(放送地域・放送時間等をご確認いただけます)
https://c.myjcom.jp/jch/west_01/special/shinsai.html

#生放送 #特別番組 #阪神淡路大震災

Leave A Reply