(17)謎の夜行フェリーで敦賀に行ってみた! 新日本海フェリーの旅【日本一周 船の旅 新潟~敦賀港】

[音楽] メリークリスマスそしてあけましてお めでとうございます私どもの会社からのお 知らせです株式会社asは観光誘株式会社 に名前を変えました2024年も皆様から の案件をお待ち申し上げております詳しく は動画のコメント欄のところに説明用の 動画のリンクを貼っておりますのでご覧 ください観光有株式会社を今年2024年 もよろしくお願いいたし ます こんにちは新潟県の新潟市新潟港山下不に 来ていますこれから乗り込みます船が新4 海フェリーのライラック北海道は苫小牧 からやってきて途中秋田とえここ新潟に 寄り道をしました通常は新潟行きとなるの ですが週に1便だけさらに福井県の鶴賀 まで足を伸ばすことになっていて今日が ちょうどその日になるように工程を組んで きましたこれからこれに乗り込みまして 福井県を目指しますあでもターミナル結構 人いますね上船は出行の15分前となって います今は2の最中北海道から送られてき た様々なものが降りているところです貨物 の輸送は無人高層というやり方が一般的で こういう風な頭だけが今入っておきこの中 にですねあそこにあるような後ろの部分 トレーラーだけが置いてある状態で船が 輸送していますさっき入っていた頭の部分 が今この中で担当する後ろの部分を探して 連結の作業をしているはずです連結が 終わると奥から貨物を連れ出して誘導に 従い身長にこの坂を下っていくことになる わけですかっこいいす ねこの方々がいるから日本の物流は 成り立っているのです鉄道輸送もフェリー 輸送もありますがトラックと連絡しなけれ ばいずれもその進化を発揮することはあり ません基本はトラックなのですもちろん ここは地ですからこのように取り出すもの もいれば積み込んでいく車もいるはずです ただ基本的には到着の貨物でありまして あまりここから発送するってこはないん じゃないかな新潟敦賀館はちょっと近い ですからねフェリーというのはどういう風 な感覚でやってるのかというと例えば東京 から九州まで道は続いていったとしても それを全部トラックドライバーに運転して もらってガソリン台もかけて行くのでは 割高だし大変だからじゃあ間のところ 例えば横須賀から新文字の間だけは船で 行ってそこの前後の区間をトラックで連携 していくことでトータルのコストを 下げようというのが基本的な方針ですだ からトラックの間に挟み込むそのフェリー

の区間が基本的に長ければ長いほどコスト を低減につがるのでちょっとここみたいに 近いとあまりトラックは利用しないかも しれませんねしかしトラックではない一般 上表者やバイクの方となるとまた別のよう で皆さんぞろっと並んでますね週に一瓶の この珍しい区間に乗って楽しみたいという 方もそれなりにいるんじゃないかと思い ますご乗車のお客様にご案内申し上げ ますまもなく戦開始となりますということ でフリーターミナルも結構人が多いですね だからターミナルも僕が持っていたよりは 人がたくさんいる印象で20人ぐらいはい ますかね多いと思います よ は開始の案内か なのお客様のご注意ください 新日本海フェリーライラックに乗るのは 今度は2度目です2日前に乗ったわけです があれが北海道に行ってまた帰ってきたの に乗っています昨日はここから見える品川 の加工部分覚えてますかバダ島の時目線に 宿泊したのですがその時に停まったホテル が多分どうかこの辺にあるんだろうと思い ますがここから眺めた景色を覚えて いただいてますがこんな感じですね夜に 新海フェリーのライラックがまた北海道で 出ていきますという皆さんにご覧いただい たかと思うんですけれどもあれと同じ場所 にまた今来ているわけですねそして本線 ライラックの出行が16時30分ですが 今日はそれよりも10分前にあそこにある 佐線の乗り場からジェットホイルの水星 ですかね水星がちょうど両に向けて出行 するところだそうです目の前を通過するの は見られそうですまたまもなく出行10分 前ということで急ぎ作業を進めている ところだと思いますが新潟から敦賀まで 向かう車たちの列がずらりいっぱい乗り ますね佐木線が動き始めましたから今16 時20分あと10分後には全員の席って 出行しないといけないよです今ちょうど テイクオフの作業をしているところですよ シートベルトをちゃんとつけてくださいお 客さん水をバンバン吹き出してますでも 結構加速しなきゃいけないんで目の前で 上がるところまでは見られないかなうま ジェットフイルは今回たくさん紹介する ことができましたからねもう十分だと思う ことにしましょうちょうど気づかなかった けど佐木線の時丸も出航してたんだ今日 からまた運用に復帰してるんです ね音がはホタルの光が流れてますね出行と いえばこの曲10分前の時点でまだ常用者 の案内をしてたので出行を遅れるかなと

思ったんですけどもぴったり時間通りでし た鳥連中に見送られて品川の加工から日本 海に再び戻りますしかしなぜこんなに鳥が たくさんいるのかと言いますとエビ線を 持ってやってる人がいっぱいいるためです ねこいつらオを仇で返しますからね せっかくやっている善意の人にも襲え かかってさ起こせみたいな勢いで突撃して くるのでもう次はないでしょうもう少し 知能があればより楽に生きられただろうに トってのはかわいそうなものだなと思い ます天気はですねさっきまで晴れていた ものどんどん曇ってきてしまったんですが ちょっとこれからどんどん悪くなる見込み なんですけれどもしかし里島はとても はっきりと見えていて斜めに山がくっつい たイ槌の形をしてるような2つの山並みが はっきり分かりますここで山が折り重なっ てるじゃないですかでこれの奥側が大里 手前側が小里この2つがうまく絡み合う ことによって里島が生成されたのですそこ へ向かう2隻の佐木線の客船の コンビネーションも見えています新潟の川 の港を離れましてそしてここからずらっと 見る広大な左が見応えありますねだいぶ 埋め立てられていますがしかしよく見ると 鳥取作みたいなところをサボ具化して作ら れている雰囲気だというのが感じられます 日本有数の巨大な左地帯なのですねなんか 等感覚に釣り人かきっとなんかあそこの定 は連れとそういうポイントなんでしょう ねよく見れば人だらけ日曜日の新潟県民の 楽しみがここに提供されているようです ちょうど里海峡の方から飛行機が降りてき ましたボーイング737かな新潟空港に 降りていく光景こちら側から見るのは船に 乗っている時ならではですね鳥が邪魔 しようとしてきましたね新潟の海沿いは 砂浜ばっかりなんでこういうものを建設 する空いている土地がたくさんあったん でしょう来にたくさんの海たちがついてき ていましたがちょうどこの辺りで鳥たちも どこまでが港なのか自分たちの言っていい 範囲がどこまでなのか分かっているかの ように船から離れ始めました新潟市の中枢 品川の加工部のところからずっと海沿いに 長く伸びてきた防波堤もここまでこれより 日本海に出ますもう出たというところかな ララはここで大きく左手方向に火事を切っ て少々遠心力で傾きながらコンパスで縁を 描くようにして新潟港を出ていきます そしてこれからどちら方向を目指していく かと言いますとま大体この方角かな里島の 小港前回の動画で紹介したような方面まで 目指すような形で進みます現在地がここで

目的地通路はここなんですけれどもノ半島 が海に突き出ている関係で佐近辺をこう かめるようにしていくのが最速の航路に なるんですね江戸時代からそのルートは 変わっていません秋田新潟と寄り道をし ながらはか北海道から大阪を目指す新日本 海フェリーはまさにレマロン北前船と呼ぶ べき存在ですまだエビ線がもらえるので鳥 もついてきてはいますがさっきよりも随分 その数が少なくなりましたライラックの ソト数は1万2129Tそして公開速力は 22.7ノットかなり速い部類ですカモメ たちもそのついてくるのがめどくさくなる でしょうで今回利用してる部屋なんです けれどもいやなかなかいいすよそうここも 魅力に感じるだろうし皆さんもこれはいい んじゃないかと思う部屋なではないかと 思ったんですけどもこれこういう和室です ねちょっとこう狭めの海に面した和室で ございますこれ外がこう見えたりとかです ねあっちに里島があるなとかくとこう 分かるんですけれどもステートB和室と いうんですがこんな感じの張り替えられて いるえ新しめの生子にちょっとなんか こんな所員作りじゃないですけれどもなん かそんな雰囲気の常的なやつがありえこの 中がですねクローゼットというのか和風 クローゼットになってるんですけれどもま 荷物が置実際に置いてあるとかですねこう いった形の玄関等を除いて3畳となってる 部屋でございますでえ1人で乗った場合は ですねあの1人で利用できるあの2人分 払う必要がないという点もありがたい部屋 にはトイレがないので共用となりますが 洗面についてはありますあとですねこれは すごいいいなと思うんですけどここですね シグこの引を閉めてもう1枚の引を開けて くださいその中にシグがあります直接的な 書き方でえこれを実際にこう言われる通り 玄関を閉めてですねもう1回開けると確か にシングがあるんですよねあとザブトンと かもありますがましかしあのこっちにも あるので別にそれで十分なんですけど一応 3人でも利用できるそうですで予約する時 になんかネットで確認事項みたいなのが あって3人でも確かに利用できますけど3 人で利用すると狭くなります狭くなっても いい場合はチェックボックスで入れて くださいみたいなこ出てくるんですよでま 僕は1人なんで十分広いんですけども 向こうから入り込んでくる青色の光がいい 感じなんですがここにも謎の扉がついてて これなんだ思ったら何もないんですよこれ 閉めるだけなんですが要はカーテンですね こうすることによって外の明りを中に入れ

ずに暗いまま朝を迎えたい人とかはバチっ と閉めることもできるわけです閉めると またより船らしさがなくなってそれはそれ でいいですよねそれもう早くも太も敷いて しまったんですけどもどうせだったら ゴロゴロできる方がいいですよね他の国内 交通でゴロゴロできるものつうとまあの サンライズ瀬戸出雲号がありますけどそれ 以外にはもう船しかないでしやなんか昼間 でもはい寝てくださいみたいな感じで布団 つきの部屋に案内されたりとかしますから 佐木線とかそうでしたよねやっぱこう いうならではですよいいよねちょっとお腹 が減ってるんだよな実はお昼ご飯あんま ちゃんと食べなかったはずなんで鮭の弁当 そういえば食べましたけどあれ美味しい けどちょっと量少なめですからねそろそろ 夕飯の時間になるかなよく洗濯されたいい 匂いの布団リラックスしてぐっすり眠れる と思います明日ね5時30分にはもう鶴 学校に到着してしまうので相当早起きする 関係で今日もは早く寝ないといけないん ですねせっかく浴衣まで来たものの レストランはさすがにちょっと浴衣だと いけないので風呂とかちょっとその辺 うろうろするだけだったら大丈夫なはずな んですけど一旦着替えましょうわ窓から あそこに見えてる明りはあれ多分両つこ ですよね意外に近くを通るんだなスマート フォンの充電がなくなったので枕元に ちょうどあるコンセントで貯めておき仙内 に繰り出しましょうトイレはこの スリッパーで行けばいいけどレストランは ダメだと思ってよこっちだな乗っている ステートBは2種類ありまして店員3名と 書いてあるやつは和室タイプです今乗っ てるやつでこっちの店員2名という方は 1番最初に新界フィリに苫前から乗った時 ですねこんな感じの部屋を利用したと思い ますがあれがこっちです本線ライラックに はないようなんですが他の船にはステート Aというのもついてることがあってそれ ちょっと高い代わりにトイレがついてる そうですレストランよりご案内申し上げ ます ただいまレストランでは夕食のご用意を 整いましてお客様のお越しをお待ちいたし ておりますお食事の案内放送がかかりまし た新日本海フェリーには2種類の レストランがあって上級の方はグリルと 呼ばれていますそれはこれですねこれは 事前に予約している方もしくはスイート ルームの方がご利用になるそうですでに あそこに本日のご夕食をお食べになるやご なき方の分の準備が整っているところです

が私は今回予約していないので食べません ちなみにグリルを利用した場合のご飯は これになります金州前々回に苫前から出行 する時にすでに食べたメニューですからま 同じの食べてもなというのもあって利用し ませんでした一方で今回初めてレストラン を利用することになりますがレストランの メニューもなかなかすごいですよ国産ウジ え動産ホタとサーモのポアレセット安く ないいいですよね普通に東京とかに新日本 海フェリーと名前のレストラン出して ほしいわ たちょっと外まで人がはみ出てる なレストラン横のゲームコーナーで ちょっと時間を潰してから行くことに しようぷよぷよかちょっと多分ね冗談抜き にしばらくやってないと思うんでえこんな 感じでいいかな連鎖が大事なんですよ ねこうか な難しい な連鎖できないですねちょっとねにやるの がすごい久々なんで [音楽] ねこんな感じでこう何回も何回もこう続け て消していくと高徳点になるんですよま あまり大した結果は出ませんでしたけれど も懐かしいですねボンバーマンもあるのか それやりたいですけど残念ながらボンバー マンは使中止になってます感染症対策だ そうですなかなかいい時間潰しになりまし たお客さんは今帰り始めの第1便が出た みたいな感じかなえ向こうにポツポツと 明りが見えているのがサドですサのも そろそろ見えてくると思います向こうの あの青白い明りとかがあっちがねさっき までいた小木とかではないですかねまた雲 が出ている関係で新潟の方向がはっきり 分かりますね空が新潟市の街明かりで 照らされているあそこが日本海側最大都市 の新潟ですこちら方面に柏崎とかがあると 思います意外なことにこのサ海峡サの明り がかなりたくさん見られますね昔から船の 通り道として使われてきたところだから あっちは海岸線が今でも賑わってるつう ことなんですかね大して新潟県本土の方は というとあまり街の明りは見えません本線 も佐に近いところを航行していますし昔 からこっちの方がメインルートなんですよ ねこっちはまそんなに船がたくさん通 るってことじゃなかったんじゃないかな 本線のレストランの名前はタヒで入口の ところに水道がついていますまこれで手を 洗ってから乗ってくださいねってことなん だと思うんですがこの品揃いが異常に豊富 なビッフェ形式になっていましてこの中

から好きなものを取ることになっています 大学の学食がスーパーデラックスになった ような感じですでそれと別にこういった 温かい料理に関しては注文してから作って もらう方式 でいいすよねライスかパンか選べるんです けれどもと言われてライスにしましたあと はフルーツこれだけはビッフェ形式で別に 注文しましたがこれで全部で1760なっ たかなそんなしないですよね国産のいい 食材使ってる割には安いですよバター ソースみたいなのにヒタヒタになってホタ はレアのですからいや本当いいす よまだ食べかけなんですがちょっとね暴飲 暴食とか近年はあまりやってなかったん ですけどあまりにもうまいから追加注文を ギリギリしてしまいました味噌バター コーンラーメン800円ですみんなにも 食わしてあげたいわこれ僕最近20代半ば になりまして小食になってきたんじゃない かなとか思い込んでいたんですが全然 そんなことなかったですねもう1杯ぐらい ラーメン食べられそうだなまちょっとね量 も実際少なめだったのかもしれません今 里島の西方の方まで出ていましてそろそろ 光ると思うんですけれども雨が降ってるん であ光りましたねはいあれです1928年 発電島で小木の港に入る時にあれを手本に するのだそうです沢崎花灯台があるのが ちょうどここのここの1番出っ張った ところなんですけれども新潟県に4つ ぐらいかなある重要公案のうちの1つが 小木ですちなみに新日本海フィリーの客席 は基本3階建てになってるようでして 345階の3階建てなんですがこの下の3 階が案内所そして4階がグリルカフェ大 浴場売店あとはオープンデッキなどになっ ておりましてでさらに1個上に映画ルーム とあとはスイートデラックスルームがあり ますつまりこの4階が1番色々なものが あるフロアということになるのですがその 4階がステートルームなんで結構楽ですね 正確にはこの回にレストラングリルカフェ 売店大浴場サウナスポーツコーナーゲーム スポーツコーナーがあんのかあエア ホッケーのことですねスポーツコーナー ゲームルームがあるとでここら辺のものは この下の貝なんですけれども様々なものに アクセスするのに結構便利がいいんだな ちょっと鍵 がやっぱりねあのここに書いてある通り たまに開けづらくなることがあるようして 取っておく手前に引っ張っ てで部屋に戻るとこれですからねすごい いいよちょっとくちゃくちゃにしてしまい

ましたがこの部屋のスリッパーは3速で ここにも歯ブラシがなぜか歯ブラシの種類 が2種類ありますがまともかくハブラシが 3つありコップも2つプラス1でタオルも ここに3つということでしていつでも3人 で利用できる前提で整備されてるんですね ただ椅子とかは基本は2個布団も2個しか 出していないということのようですあた 救命同意ですよねこれ開けないでください となってますが3と書いてあるからこん中 に3個入ってるんでしょ多分まだ8時に なったばっかりなんですがもうちょっと 早いので寝る体勢に入ろうと思ってるん ですけどもこれタオルこれしかないのかま バスタオルみたいなものは装備がないん でしょうね必要だったら持ってきて くださいて僕はこれだけでも入れますけど ま別に全部多分どうせ選択するんだろう から2個持ってっちゃおうお風呂に入って きたんですけどもこんな感じのですねあの 普通にのれがかかっていてゆと書いてある 今回は露天ブロではなかったですね新4海 フェリーの中には露天ブロの形式のところ もあるそうですで装備もそんな特殊なもの はなかったかなうんまなんかサウナがあっ たんですけどそれってなんか他のフェリー にあったかなごめんなさいちょっとそこら 辺がねもしかしたら新日本海フェリー特の だったかもしれないなってみば思いました その後売店に行ってまいりましてま売店も 結構終わる直前だったんですけれども慌て て入ってですね2分前まだいいですかと 言ってえ1分でそこで買ってきたのでご 迷惑にはなっていないはずですで買ってき たのはこれなんですけれどもま結構好きな んですねあの梅ジュースえあ部屋にあのお 茶セットがあるからそれでいいかと思った んですがスイートルームだとグラスセット があったかと思うんですけどこのステート ルームはこれだけなんですねま別にこれに で飲んでもいいでしょ日本酒とかだったら これに入れたら美味しく感じるかもしれ ませんちなみにステートルームとは何なの かっていうのはまちょっと僕も分かって ないところなんですけどスイートルームは 一揃いのもうなんか何でも揃っていて部屋 が2つあるみたいな大体そういう意味の ようなんですがステートって何ですかねま 1部屋で一応富重ない暮らしができるん じゃないですかねみたいなのにステートと つくことが多い気がします船特有の使い方 ですよ ねうん これで飲むよりは美味しく感じますねその 後9時になりましてもう明日早いから

寝ようと思うんですけれどもそろそろです ねノ半島が見えるはずです現在地を地図で 見てみますとこんな感じですノ半島のもう すぐ北なところです目的手の敦賀がここ ですからま随分迫ってきているということ が分かりますですからもう寝ないといけ ないかなという時間なわけですねえ進行 方向にするとこんな感じでこれより しばらくだいぶ丘と近いところですねえ 沖合い10kmほどのところを高校ことに なりますえこの中で最もピカピカと頻繁に こちらに明りを向けてくる目指す東台が ありますがあれがノート半島の北端の六光 先でしょう観光時として有名な六光先私も 行ったことがあります1883年明治16 年に作られたとても古い灯台で今でも当時 のものを使い続けているそうです観光地と して奈海六高先今の時代の価値観ではもう だいぶ返品なところにあって金沢駅から夜 のこの時間空いている時間に高速道路に 乗ってなおも2時間半もかかるといいます 往復で5時間ですしかし船ならばむしろ ただの通り道陸続きならぬ海続きでサやの が昔いかに交通の便利の良かった場所で あるかということが分かります新潟を出行 した本線の航路すぐ近くのところにある 大きな街といえばあげられるのはおそらく 2つで1つは小木です先日訪れたように街 の中に昔からの家がぎっちりと並んでいて その他本線が敦賀まで行く途中に出っ張っ ていて寄りやすい大きな町といえば島が ありましてここは例えば物の集まるところ として和島朝市というのがありましたし それから文化の発信源としてユネスコ無 分化遺産になっている大きな脱脂行列を やったりですとか有名な和島塗りなど昔は 本当に様々な進んだものがあったそうなん ですけれども今ではやはりこの和島もノ 半島のものすごい奥としてとてもアクセス の大変なところみたいになってます高速 道路も来ないような見の地みたいな感じ ですけれど昔は海が高速道路だったわけ ですから インター降りたらすぐ目の前にあるみたい なすごい便利なリチだったんです ね鉄道の時代になってから様々な場所の リッチ条件がぐるっと180°反転して しまったようですもう寝といた方がいい でしょうね今9時半で明日のアラームはえ 5時半にセットするじゃ間に合うわけない な仙内放送は4時半からて言てたんです けどそんな早く起きたいとも思わないん ですね5時だねしかし実際には4時30分 には仙内放送がかかるらしいのでそれで 起こされるのはちょっとまだ早いかなと

思いましてボリュームを今最大になって ますがこれをこうしてしまうことができる んですよオフにこれで自分のアラームで 起きれば良いという仕組みですよしそして いい香りの温かい布に車って幸せな眠りに 着いたのでありまし たおはようございます今どころかあそこに ね青い明りが付いてるからなんとなく感じ られるかもしれませんがもうすでに鶴賀 校内に入っています時刻5時21分 仙内放送入れとこうもう ね流行 客用ゲートの準備が整い次第徒歩のお客様 の選となりますということでもうすでに 呼び出されてますね順次行った方が良さ そうですけど岩壁があそこに見えてます から多分そんな大急ぎで行かなきゃいけ ないという状況ではなさそうですただ車の 方は5時15分には呼び出されていまして このタイミングでもう遅れると他の方にも 迷惑かかるから早く来てくださいみたいな 呼び出しの放送もかかっています基本フェ リーってみんな車積み込んで乗りますね あんま徒歩で乗る人っていないんですよも もフェリー会社さんの企業案件とかですね あの宣伝のためにえ紹介させていただくっ てこともありましたけどやっぱ基本は自動 車を積み込んででそれでどういう風にして やるかっていうのを紹介するの重視します よねあのフェリー会社さんは自動車の運搬 で1番稼ぐそこが収益の柱ですからあの いくらわ私みたいなね徒歩の乗客が増えて も自動車がたくさん乗ってくれないことに はあの会社としては存続できませんので それが重要になりますだからなんかその他 にもあのフェリー会社さんが他の YouTuberをあの承知してで宣伝の 動画作ってるっていう事例結構僕も色々見 てみたんですけどやっぱ基本はあの自動車 で乗る前提の動画作てだからあの僕は免許 を持ってないしもうどこでもタクシーで 行けばいいやみたいなこと言ってるんです けどなんだったら今度タクシーであの フェリーに乗ってみようかなそうすると タクシーを積んでる間ずっとメーター 上がり続けるんで降りる時には2万ぐらい 多分メターが上がっちゃうと思うんです けど忘れ物はないですねちょっとこのね 敷布団が少々薄いんですよだから寝ると 畳みの硬さが少々伝わってくるところでは ありますもしそれが嫌だったらま2枚目3 枚目があのありますので必要だったら敷い てもいいのかもしれません僕は別にそこ まで気にならなかったけどただ夜中2時 ぐらいにね風のせいなのかなものすご

ガタガタガタガタガタガタ猛烈に船全体が 振動していた時がありましてその時は ちょっと目が覚めちゃいましたねそれが 終わったら寝てました [音楽] けど鶴賀フェリータミルすごい綺麗ですね 3階建ての吹き抜け構造みたいです鶴賀校 は世界に面する港町日本海の方面出ていく のに便利なわけですがしかしやはり基本的 には貨物の取り扱い量の7割は定期 フェリーが担なっているんだそうです新4 海フェリーと金海優先の活躍ぶりです なんか本当に天気悪いですね明るくなって 見てみたらばこんな視界の悪さライラック があそこに止まっていますそしてお隣にも もう1つ大きなフェリーが止まっています ロロ線というやつです金海有線KYK ラインのハトって書いてありますね北斗か 北斗だ戦績口はつみだそうですえ敦賀と 博多の間を結ぶフェリーでして残念ながら 一般の人は乗ることができません乗せで くれリアはねあれに乗れば日本一周達成 だったんですけれども貨物自動車だけを 積み込むローロー線と呼ばれるタイプです にこに大きなセメントの運搬線らしきもの が止まっていまして違うかな原料の バラ積み線かななんか今多分ね持ってきた 石をここから取り上げるところだと思い ますから見てみましょうUFキャッチャー です ね頑張ってますでも多分すぐに引き上げる と思いますこの下に下ろしてから 引き上げるまでの時間が短くなければ定 時間が伸びてしまって船の運用の効率も 悪くなりますからねということで上がるん じゃないかと思うんですがどうでしょう 巻き上げていると思いますはい来まし たただここからバラバラあ見えますね見え ます見えますやっぱなんか白い感じの石だ と思うんですがセメントとかそういうやつ の原料なんじゃないのかなと思いますあの 気ツガ丸から下ろした先の工場がこれです ツガセメントの工場です立派ですよねこの 奥の山のところから見下ろせば工場は一応 全貌は見えるということなんですけれも ちょっと今日は視界が悪すぎますからねお おおしかもなんかもう1個あれも金塊優先 のフェリーじゃないかと思うんですが残念 ながら視界が悪すぎて何も分かりませ ん金塊優勢のフェリーがここに止まってる 状態はちょっと珍しくて毎週月曜日の朝 しか多分いるのは見られないんじゃないか なそれ以外は運行してるんですが今日だけ 運休日なので止まっているのが見られたの ですまたあちらには朝鮮半島や中国大陸

方面とのコンテナのやり取りをする外交 貨物の港もありますでこの辺りの地質を 見るとやっぱ岩が多いみたいですね あんまり砂というものは見られません岩が ここに粉砕されてるのありますがでなん ならここに巨大なですねえ大きな山なんか もあるわけですけどもこの辺りの恵まれた 地形を見てみてくださいこれ奥の方に 入り込んだ深い利があって外洋からの波の 影響はあまり受けにくいものと思いますで おそらくあま砂の地形でもないので水深も 昔結構あったんじゃないかと思うんです けどどうでしょうねまあの船がつけるのに はね結構条件のいい味だったと思いますよ でおそらくなんですが敦賀だけではなくて ですねえこの若狭方面福井県のこの辺りは もうずっとこんな感じの良さそうな港入江 がたくさん並んでいるのですでこれずらっ とある良い港たちなんですがもっと西の方 に行くとね麻鶴東米鶴西米鶴とこの後 訪れる大きな港もありますけれどもま舞鶴 までの間はですね他に大きな街ではオバマ ぐらいで規模で言えば断然敦賀がまトップ ですよねこの辺周辺ではなんでがえこの中 で一番条件がいいのかというとおそらく ですねこ琵琶が近いからだと思うんすよね ツガが一番この琵琶に近い入りですから ここがよく使われるということになった はずですおちょっと今霧が一時的に晴れて ますね下線したライラックもはっきり見え ますかっこいい です金塊優先これもいいですがやっぱり あっちの沖合いにいるのもあれも金海優先 ですね金海優先と書いてありますギリギリ 見えます 2匹の旗印がここにこうあるのが見えます ので日本優先のグループだと分かります ツルガというのはどういった場所かと言い ますと京都や大阪の玄関口なのですまず もっと後半に見てみるとですねこの日本 海側の様々な年から北前船とかによって この敦賀に物がやってきますそして敦賀 からちょっと頑張ってここをリロで山を 超えて滋賀県に入りますとこの塩津という ところから琵琶に入りますで琵琶は船使い 放題ですからここでビューっと行って大津 まで行くで大津でまた行ったらば頑張って ちょっとリロを超えていくと京都に行く ことができますで京都にも行けるし京都 からあはまた船でずっと連絡していくと 先日お話した通り大阪方面まで抜けること ができるということであまり陸上を使わず にここ敦賀から京都大阪まで行くことが できる体制が江戸時代には整っていたの です江戸時代当時水上輸送の状況は比較的

良かったのでした重いもも船に浮かべば 比較的簡単に運ぶことができたのです一方 で船で運ぶことのできない陸上輸送にに ついてはこれはとんでもなく非行率であり ました馬車もなかったですし第8車もう こんなんしかないんですよねこれが主な 輸送手段としてやっていましたから運賃も 高く時間もとてもかかりました金沢から 大阪へお米を回送していた事例があるので それを紹介したいと思いますが当初はです ね金沢からまず日本海を経由して敦賀まで やってきてそして敦賀から塩津までは リクロで頑張って峠越をしましたで市に たどり着くとそこからは船が使えますから ここから大津までの間は琵琶湖経由となり ますそして大津で陸上げをした後伏見まで 東海道でちょっと峠越えをして伏見から 大阪まではもう一度ここから淀川を使うと いうことでリクロをなるべく削って船だけ で行けるような便利なルートを取っていっ たんですがこれすら非行率でありまして 結局西回り航路というのが開発されて下関 まで大きくわざわざ大阪が目的地だという のにこんなに迂回しながら行く方がまだ低 コストであるほどだったそうですこれは 本州があまりにも長くて日本海と太平洋を 結ぶ地点が地理的につがる海峡と関門海峡 しかないためにこうなったものであります 1884年の時点でこの鶴賀からの鉄道が 長浜で琵琶戦と連絡していましてこれで 初めて日本海道太平洋がまともな連絡手段 で結ばれるということになったのですこれ によりまして太平洋と日本海の接続点が 事実上津軽海峡と関門海峡そして敦賀から の鉄道と3箇所に増えたわけでありまして これには歴史上重要な意味があるものと 思いますしかし道路整備が進んだ現在では 鶴賀校に到着する貨物の全部がもう自動車 で運搬されるようになっていまして鉄道の 時代ではありませんその中心を担うのが 上船した新日本海フェリーや今見た近海 優先のフェリーたちですちなみに到着する 貨物の7割をフェリーが輸送しているそう です鶴賀湖の鉄道は2019年に完全に 廃止されてしまいましてこれらもオフ レールステーションとして自動車の拠点と して今でも一応使われていますそして太平 洋側の貨物とか人を鉄道を使って日本海側 特に大陸ですね外国へ積み出し拠点としし ても鶴川は重要な地位を一時期閉めてい まして当時の倉庫も一部観光地として保存 されていますじゃ実際にその敦賀の港から 鉄道が引っ張りこまれてですねここから山 を越えて太平洋方面を目指していたわけ ですその鉄道に乗ってみましょう新引田

大江塩の方面に向かいます大阪行きの新 快速電車です今は鉄道でなければもしくは 道路でなければ大阪に行くことができませ んがあと半世紀ぐらいするともしかしたら 新日本フェリーで本当にそのまま大阪まで 行けるようになるかもしれませんよ多分 ならないとは思いますけど0とは言いきれ ない状況です000年ほど前からなんとか して敦賀から直接大阪まで船を入れること はできないだろうかつまり人工的な船の道 を作ることはできないだろうかということ は考えられ続けていましたそれをね今から 見に行ってみようと思います鶴賀は船が つく場所としてはとても良い港なんです けれども周りを見るとこのように高い山に 阻まれていますだからこそね船が波が静か 穏やかなところにつつけるような構造に なっていたんだろうと思いますがこれだけ 周りを山に囲まれていますから超えるのは 相当苦労するわけですでし次の新引田まで の間にぐるりと1回転するような景色を 見ることになりますこれからこの右手の山 の上にエンを描きながら登るループ線の 区間ですただ相にくこのループ線が ほとんどトンネルなんで乗っていても あまりちょっと気づかないんですけど もトンネルを抜けると左手に一瞬鶴賀の 街並が見えるということでさっきまであ あの辺にいたんだ鶴賀の港はあれだていう のを見られるのが面白いポイントです今 状態にするとこんな感じですねここから ぐるりと今逆の野地を描いてるような最中 ですまとは言っても初鮮電車ですからね 運転手さんが前方の安全を確認してここは ちょっと距離が長いなと思いながらレバー を引いてもらえればあとは電気で自分で 走ってくれるんでいいんですけれども昔の 人たちはこれを登っていかなければいけ ないわけですからねとんでもなく重いもの を持ってその昔の人がどれぐらい苦労して いたのかというのを知ることのできる場所 があるため敦賀の1つ隣の新引田でおり ましたすごい新しそうな駅に見えるんです が実際そこまで古い駅ではないんです けれども新大阪とか新横浜みたいな都会的 なものを連想すると全然違います正直周り には何もないですこれが新引き駅です元々 は別のところに引き機があったんですが そっちを通っていくと山道が険しすぎると いうことでルートを付け替えました本来の の方面までは1kmほど歩くと行けます それで引田の街の方に行こうと思ったら ここで歩道がなくなっちゃったんでま幅が ね両方とも広いとはいえなんかこっちに道 もありそうだし歩行車用の道路があんのか

なと思ってこっち回ってきてみたんですが もうたげましたよ何これ 上は敦賀に向かう深海速みたいなが通っ てるようですけど ええで見たところ道みたいだなと思ってね これスプリンクラーみたいなあるじゃない ですか期の積策だと思うんですよで調べ たらねこれやっぱり旧国道で2015年 までは今の横のあの大きな道はなくてこれ を行かなきゃいけなかったって言うんです ね鉄道用のトンネルだったわけじゃない でしょう西ては新しすぎますからねあ橋な んだこの橋梁の名称和って書いてあり ます へえこんな滋賀県と福井県の重要なところ にこんなものが2015年まで現役で残っ ていたと信じられない しかしおかげで歩行者注意とはありますが 何の苦労もなく歩けてい ますもうもうそこが引だ な相当大昔に伸びで切り込みを入れて なんか切り出そうとしたもしくは切り出し たのかなという大岩がありますがこれを 過ぎると急にお家が並び始めますまさに 宿場町の街づくりですね入り口もあんな風 に曲がっていて奥を見渡しづらいように なっていますし江戸時代当時からの街が そのまま残っているようですこれを まっすぐ向こうに進んでいけば日本海反対 側に行けば京都大阪ということになります すごいなそしてある程度進んでくると急に 水が流れている場所がありましてさっき まで降ってましたから水量も増えてるん じゃないでしょうかザーザー行っています これが引田の特徴です街の中にこんな川が 流れていますもうちょっとこれに沿って 進んでみましょう落ちないように気をつけ ないとねなんかこの川に降りられるような 構造をしてますよねここもそうですただ水 が流れてるだけじゃないんだなということ は感じられますま先に行ってしまうとこれ が日本海と京都大阪を結ぶための大切な 三筋だったんですけどねなんだこれは なんか軍事施設みたいにお掘りの高いお寺 がありますねちょっとこれについてはこれ 以上は分からないんですけれどもお寺 みたいだなお飛び出し坊野もありますここ はまだ福井県敦賀市なんですけれども 飛び出し坊野といえばあの滋賀県のえ交通 安全のものとしてとても有名なんですが実 は歴史的にはここは滋賀県と結びつきが 深いばかりか滋賀県だった時もあるんです ねなぜ敦賀が福井県ではなく滋賀県だった 時代があるのかというとさっき言ったよう に琵琶こととの結びつけが強いからです

敦賀に到着した貨物は京都で先日見た高瀬 船のようなものだと思いますこういうもの に積み替えられてそれを人が頑張って 引っ張ってですねそれをあのロープをつけ てこれをこう遡るということをやって敦賀 からこの山相の引田まで昔上がってきたの だと言いますそしてもうこれから先には川 で行くことはできないからここでついに 陸上ルートに切り替えてそしてその先琵琶 を目指してこの険しい峠道を超えていった のだということがスが港ライオンズクラブ の方が立てたこんな看板によって解説され ていますすごいですよね鶴賀を出発し引田 の船川を引き上げられてきた川舟はここで 上りに米などあの日本海の商内地方とか ですね加賀とかからやってきた米などを 下ろし下りに今度向こうから多分あっちの 伊勢とかそういう方面から運ばれてきた 太平洋側の資源を持ってこちらの方へ下っ ていく下りにを運ぶということで行ったり 来たりしていた拠点なんだそうですあ なんか当時を再現したようなベンチもあり ますねこんな小さいやつでやってたのかも そうかもしれないなさっきの解説にはあの 2ソが並んでこれを登っていくようなこと はできなかったとありますだからあの みんな縦に並んでいったんだそうです けれどま今の感覚ではなんでわざわざ こんなものにジャブジャブと使って船に紐 を括り付けてそれをエやコラと引っ張って いかなきゃいけないのかそんな バカバカしいことなんで昔の人はやってた んと思うかもしれないですが昔はあの細路 がなかったのでそこを安定して運びあげる ことのできる車もないしまあったとしても ですね川の上であればこっち向きにあの 流れがあるという不便はあっても物があの 浮力を使って水の上に浮きます浮かびます から物を頑張って持ち上げなきゃいけな いっていう手間はないんですよねだから 逆向きであっても川の中にわざわざ ジャブジャブと使って登っていくっていう のは結構真しな陸上の移動方法だった らしいですそしてこれは人口で作った運河 なんですね敦賀運河というのが正式な名前 ですえ元々は1816年に作って結局すぐ 廃止したとかなんとか色々書いてあります がまご存知のように結局実現はしていない んですけれども本当大真面目にこの敦賀 運河というのを現代においてもを作ろうと いう風な動きはないことはなくて日本海と 琵琶そして大阪を直接船でしかも新日本海 フェリーみたい結構大きな船をこんな ところにですねまトンネルになるでしょう けれども通してそれで大阪まで行って

しまおうそれをやれば日本の観光とか クルーズ戦とか物流も随分良くなるという 壮大な鶴賀運河の計画は言われている ところなんだそうですで実際にちょ ウキペディアを見たらえ自民党の福井県 議連の方がそういう風なのを提唱している んだそうですまそれは正直実現性としては だいぶ低いんじゃないかという気がします があの数十年前ですね高度成長とか 1990年代とかですね太平洋戦争の前後 ぐらいにも真面目に検討されていて調査と かもしていたことはあるんだそうですごい ですよ ねいつかこれがとんでもない幅になって 地下トンネルになってこれで本当に京都と かまで京都行きの新日本海フェリーが出る かもしれないですよフェリーサンフラワー がこっちまで来るかもしれないです京都 大阪行きの新日本海フェリーが将来できる かもしれないというツガ運河の計画が歴史 上本当に部分的にこの辺りだけは成して ここに姿を見せているという点でロマン 溢れる場所だと思いますあんまり見に来る 人はいないようですけど昔の船らしきもの 色々展示されていますこういったものに 積んで運んでたようですね展示室もあり ましたいいですね鶴川が描かれています あの排になってしまいました今はもう使わ れていませんとか言ったJR貨物の駅とか がこの辺にありますオレールステーション ですねでそこのところからお水がこう川が こう引き込まれていてこれを改造して船を 通せるようにしたわけですけれどもこれを ずっと山の方へ遡っていきますとどっかね この辺ああったあったこれですね引田駅と 書いてあります駅というのはあの鉄道の駅 のことではなくてそもそもは宿場町のこと なんですがこの引田駅から先さらに山を こう頑張って越えていく と塩琵琶の1番北のところにたどり着き ますそしてここからやっと船で漕ぎ出す ことができるのがこの琵琶です その水運の連絡ルートについて書いた図と かですね別の見方でもありまして鶴川に 到着した貨物がここから船でこう遡って ずっと結構行けるんですねずっと遡って いってですねさっき鉄道のループ線とかが あった原とかですねそこら辺も超えて ずっと行って現在地この引田の里で陸揚げ をします上げをする場所がここなんだ船玉 りってのもちゃんと描いてあるわでここ からはあとは頑張ってリを一生懸命超えて いきはかな琵琶を目指すということになる ようです日本海から運ばれてきた塩お米 これは下りにですね日本海方面に運ばれて

いくお茶だってでこれをこんな紐を 括り付けてこの紐を頑張って引っ張るん ですねその光景がこれだこんな強そうな人 たちが3人がかりで一生懸命引っ張ってい ますでも大八車で運べる量はこの船に詰ま れてるによりうんと小さかったでしょう からこれでも比較的効率は良かったん でしょうね雰囲気のいい街ですし何より この街に住んでいる人たちがここは船の町 なんですよというのを大切にしてるのが 伝わってきていいですねあとは引田の宿場 町の裏側のところに回ってくるとこんな何 に使っているわけでもない変な コンクリートの土台があります向こうは 道路ですけれどここは何にもないのに土台 だけあってしかもやけに降るそうです砂利 がたくさん混じっている昔のコンクリート という感じこの妙に1段高くなっている ところは1964年まで国鉄引き機があっ たところなんだそうですその当時のホーム プラットフォームが今でも残っています もう列車はここには来なくなりましてその 代わり先ほどの新引大に置き換えられたん ですけれど もこの電柱なんかもしかするとその当時の 信号通信用のケーブルなんじゃないですか ね駅の跡地が公民館みたいなものとして 活用されているようです他にも跡地は駐所 であったりとかもあるんだ ねというような公共的な役割を持つところ に色々と転換されています電車の音が 聞こえますね今の引き駅はちょっとこの 高いところにあるのです昔はここが引き駅 でし たであとはねこの駅の跡地のところに 株式会社ネクストっていうあの運送会社 さんですかねこういう風なトレーラーが たくさん止める場所があるんですけどその トレーラーのナンバーを拝見しますと札幌 とかですねこれも札幌かな札幌ですね幌 札幌とはなんで札幌ナンバーがあるの かって言うとつまり日本海を新日本海 フェリーとかそういうやつで生きしている 大量の今の時代の物流を担うトレーラー たちなわけでしょうムランいいですね KYKライン苫小牧の車ですねこれは KYKラインというのは近海優先会社日本 優先の系列の船会社ですさっき港でもね あの遠くに霞んでるのとかオレンジ色の船 が見ましたけれどもあれが金海優先で敦賀 の物理用になっている大切な会社です まさにこれこそと和の船溜まりじゃない ですか江戸時代から今に至るまで様々な姿 が変わってきたように見えてやっている ことは基本的には変わらないようです江戸

時代当時の船だまりも再現されています ここまでですね日本海から船でやってくる ことができたのはここから先は後は頑張っ て自力でおそらくは車とかも使わずに物を せようという形であの山を合力みたいな人 が超えて行っていたはず です結構面白いとこでしたじゃあ新引田の 駅に戻りましょう帰り道もよく見たら KYKロジステックと書いてありますね まずいなあトイレに行ってる間に電車が来 てしまいましたあれに乗りたいんですけど こういう構造なんで行けないんですよね 結構踏切りが閉まるのが早くてね開くかな 無理だろう な開かないすね3分ぐらい前にはホームに 行っておいた方がいい な1時間に1本しか電車来ませんのでもう 1時間待つかっていう話になるんですが それは面倒なので電車が今越えているこの 峠道をタクシーで越えようと思います タクシーで行くことにしたんでそれはいい んですけれどもここにね警報がなったら 横断禁止と書いてありますまそれはそう じゃないですかなんですけど今みたいな 状況でもこれ出たくなっちゃう人がいると 思うんですよえ1時間に1本なんじゃない かみたいなでタクシーで行くっつったら 何千もかかりますからねま普通の人は ちょっと嫌だと思うんでそうするともう来 てないし行っちゃえって言って渡る人いる と思うんですけどあのここはねまどこもほ ダメなんですけどここなんか特にそんな ことやんない方がいいと思いますよ法律に 違反するとか云々以前にもしかしたら列車 が遅れててね後続の特急がもスピードで 通過するかもしれないですから本当死ぬ 可能性あるんでこんな看板がついて るってのはねやっぱ半端なことじゃない ですよもう命よりは1時間もしくは何千の 方がいいんじゃないですかやめといた方が いいと思いますそれで今の鉄道はこの深作 トンネルつったかなこの峠のトンネルを これで抜けていくんですけど相当長い トンネルです明治時代にに初めて日本海 やってきた鉄道が云々ていう話をしました がその時代の鉄道がこんなトンネルで峠越 したら多分息が詰まっちゃうんじゃない ですか時速の危険もあるし技術的にも きついと思いますここから滋賀県の方に 続く山波日本海側と太平用側の境い目とし ては比較的穏やかな方ですがとはいえ かなりの険しさだということ見た目でも 分かりますこれを物を運んでいたわけです がそれも大変ですがこれを鉄道で超えてい たのも大変です昔の運転士さんたちは相当

苦労ていたようですそして機関車で トンネルを超えている時に窒息して なくなってしまうような事故もたくさん 発生したのでそのままではまずいという ことでここに新しいトンネルを掘っ てより良い電車を走らせるようになったの でし たその長い峠のトンネルを抜けて滋賀県 よりやってきた特急サンダーバード号 です遅い な そんなもんか速度制限があるんですか ね今はこのルートを使っていますが昔は 違いました目路一番最初に鉄道が通った 三筋をタクシーで辿ってみましょう現在地 がここ新引田で今はこの長いトンネルを 抜けて琵琶の方に出ますが昔はこっち柳と いうところを大きく回っていましたで当時 のトンネルがねこんな風に残ってて今でも 車で通れるんです よ 通ってきた道路そのものが配線跡だったん ですねここに 大昔日本で今残っている鉄道トンネルとし て1番古いのがこれだそうですすごいです よねまだ一応道として現役で残されてい ますこれがありまして今通ってきたあっち のあのトンネルはですねねもう今自動車 交通のように大きく復されたものです昔 鉄道はここをまっすぐ進んできたようです がここでですね自動車は急カーブぐーっと 大きなちょっと危ないカーブをして向こう の方に曲がっていきより広い道を作ったと いうことです鉄道のトンネルの方に ちょっと見てみましょうおお すごい明治14年と書いてありますあの 明治時代ってのは当然明治元年から始まっ ているので超冷期ではないように見えるか もしれませんがやっと鉄道が開通したのが 明治5年の1872年でそれから9年後に はこんなトンネルを山奥に通してい るっていうのは結構すごいです平坦な ところに鉄道敷くのとこんな山奥に穴も 掘りながら列車を通すのとではまるでその 必要とする技術力は違いますわずか10年 で大きく進歩したんですね雨がちょっと 強くなってきましたまあいいです確かねあ そうそうそうですよね1936年に量産が 始まったD51型上機関車通称デコ1は このコトンネルのサイズに合わせて作られ たと言われているという話は聞いたことが ありますこの敦賀と米原の間の鉄道は 何よりも重要な区間だったはずですしかも 雇い外国人が作ったんだろうと思ったん ですけど違うんすねえ日本人技術さによる

ものとしては2例目だと書いてあります そうなん だ相当頭いい人たちが最新の技術を理解し てこれを作ったということですね当然レガ で巻かれたトンネル です中はもうも真っ黒になっていますこれ はね薄汚れてまま薄汚れてるんですけど あのこれなんか山のあれが汚れてるとか じゃなくて蒸気機関車が猛烈にここで戦時 中でもねバンバン煙を吐き出しまくります んでそれでここにたくさん付着したのが今 も残っているということでしょうじゃあ次 のトンネルに行きましょう次がねメイン ディッシュの柳瀬トンネルです運転士さん に頼んでちょっと助手席に座らして もらおうか なのがそれぞれ合流する木の本に着きまし た道の駅とセットになったような駅ですね 道の駅では2が打っていましたなんで海の 魚である西がこんなところで売っているの かというのはまた今度多分オタルの会で 説明すると思います明治の鉄道の時代に なると日本海を改装されていたお米たちは まず敦賀の港に集まって上陸しそこからは 鉄道に乗り換えて進みます険しい山道など もありましたがましかしとにかく陸上を 従来と比べ物にならない速度で移動できる ようになりましたそして長浜の駅に たどり着きあとは船に積み替えて琵琶に出 ていくということになります琵琶について しまえば後はこっちのもの滋賀県内をほぼ 自由自在行きたいところへ向かうことが できるわけです例えばあそこに米原があり ますがあの辺が米原なんですけれども 行こうと思えば別にあそこまで船でブーっ と行けば行けますからねあっちに大津が あるわけですが大津にも行きたければ行け ますということで実際に行っていましたえ どんなうになっていたかというとここ長浜 から大津まで船でビュっとってですねで 大津今の琵琶浜大津駅からはえちょっと ゼゼ駅の方に戻った後ゼ駅でスイッチ バックをするような感じでJR稲駅伏見 稲荷の辺りからぐるっと回って京都に入る というルートで鉄道が使って回送されて いったのですということでまた戻ってき ました実はねちょっと僕が現金を全く今 なくしてしまっていた関係で3分ぐらい しか見る時間はないんですけれま見る場所 かきられてるから3分ありゃ十分でしょう 昔はこういうので物を運んでたんですよね これじゃあ飛行率ということで鉄道なり船 なりを整備したわけでした複製だそうです けれどもさっきの琵琶線昔は太線という 会社でしたがそれが看板をこんな風にして

うちの会社を作りましたからという風にし て広告するための 看板これは長浜から大津まで行く琵琶線の 時刻表ですね1日に6便出てたのか なでその日本で最初の鉄道連絡線の 乗り換えをすお客さんたですここは上東1 等2等の待合です ね昔はここ長浜からあれに乗って湖を渡っ て京都方面大津まで向かっていたんです ねで時間になったらここから駅員さんとか に呼ばれてはいそろそろ船の時間ですから 乗ってくださいねみたいに言われたことと 思います今日辿ってきた道筋について時刻 表運賃表が出ています が長浜から神崎までまだ直通してないから 多分まだ全通してないんでしょうねここで 鉄道と連絡した日本で最初の連絡戦がこれ らしいんですけれども第1太鼓丸早いすね 相数516T14ノット持てるんですが 当時だったらもう相当早い部類だと思い ますよとりあえず急長浜駅に戻ってきまし た結構いい作りです ねその後はまた浜駅から北陸線に乗って次 に前原に向かいました元は浜で終であった 鉄道ですがその先米原駅まで伸ばされる ことになったのでしたちょうどねこの時 電車同士の連結を行うタイミングま結構 北陸線でよくある光景かなと思います前原 まで線路が伸びた経緯ですけれども元々 長浜と大津の間で連絡線の運行がされてい ましたがやっぱりこの辺りも船だけじゃ なくて鉄道あった方がいいなということで 長浜から米原へそして大津から米原へ それぞれ線路が伸ばされることになりまし てそれぞれが当たった点が米原であります そして米原が交通のターミナルになったの ですその後東海道本の線路を左手に見 ながら新幹線で京都に向かいました元々 この辺りには鉄道はなくてもう船で十分な んじゃないか作る必要はないんじゃないか 言われていたけれど結局今では新幹線を 通すことになっているわけ ですさてその後京都に行って何をしたかと いうことなんですが実はちょうどこの日 京都の鉄道博物館でイベントがありまして それも一斉1台の大イベントだったと思い ますが非常に貴重な前に作られた超豪華 車両を前の最後のこの機会どうぞご ゆっくりお楽しみくださいと車内 アナウンスがあったようにこの車両が引退 する前の最後の機会に走らせてくれると いうイベントがありました特急用の車両な んですがそんな早く走ったわけではないん ですけれどもしかし貴重な機会でしたね これです舞手492号車1939年生の

当時総理大臣とかが乗っていたような車両 ですこんなものがまだ残っていたのかの すごいですけれもついにこの車両がをりく ことになりましてしかも僕は小学生の時 からこの車両に乗りたかったんですが小学 生の時以来1回も一般のお客さんを乗せる ことなく13年間全く乗るチャンスは なかったのですがついにこの時最後の最後 にほんのわずかなくりでゆっっくりした 速度ではありますが京都鉄道博物館さんが 貴重な機会をくださり憧れの一等車に乗る ことができましたどうもありがとうござい ますという経験をした後また琵琶の方面へ 戻ることにしました時間までましたので 時間が足りずうどんを冷やしてこれ閉めて からですねもう1回強につつけるとぬるく おいしくいただけますさてここを京都への 水の玄関口はかつて大津校でしたこの大津 から琵琶水運を使いまして一番よく行かれ ていた反対岸は日本海に最も近い琵琶の 一番奥塩津でした大津とシの間を船で輸送 することにより日本海の海のさや大切な塩 などをなるべく早い速度で効率的に京都へ 送り込むことができたのです次はこの横行 するような形で通っている線を使い塩津の 港を見に行きたいと思い ます京都から敦賀方面行きの新快速電車に 乗りまして進行方向の右手 に琵琶の一番奥が見えましたここが琵琶の 北端 です昔はここまで大津から船を使って たくさんのものを運んでいたんですね特に この今画面の真ん中ありに来つつあります 番狭くなっているとが 昔あそこから宮京都へ向けて日本海側の 様々な物資を運んでいたそうです小線の 列車はその塩の港の跡を後ろに見すぎる ようにして大見塩駅に入っていき ます進行方向の一番後ろから眺める琵琶の 景色がこれが最後に見える鉄道からの琵琶 の景色ということになりますここが京都へ 続く海の道の始まりでもあるということを 感じられ ます大見駅に到着しました古生線と北陸 本線の合流地点昔も今も道の合流地点重要 な幼少であるということは変わりませ んゴミ駅はなかなかキャラの濃い駅でね 列車の本数は少ないんですけれどもなんか 他では見ないなという独特のなん 古めかしいわけじゃないですけどね ちょっと怖いような雰囲気を持っています ここからタクシーをお呼びしまして塩の港 の方へ行っていただきました歩くとだいぶ 時間がかかって日が暮れてしまうから です

塩津から車でま10分もかからないぐらい のところですよね塩津エンチがあります ここを目指していただきます琵琶湖の1番 北の 部分かつての塩津の港の後 ですさっき通ってきた小生線の高架橋が 分かれていきまし たで結構距離があるんですけれど もタクシーで連れてきてもらいました さっき列車で走ったのがあそこの橋の上 あの辺りからこちらを一度見下ろしたので ありましたが到着したここが琵琶の北端 塩津の港の後ですもうちょっと向こうに 行ったところに本当の塩もどっかねそこら 辺に本物があったと思いますが平安時代 ぐらいから昭和30年とかまで使わてたん じゃないのかなここが京都の湖の玄関口 だったんです ねからずっとあの山をま徒歩とかそういっ た手段で越えてきてやっと到着したここ からは船が使えるということで琵琶湖水運 の拠点として活躍した大津を通用なす ところだったのでしたあ一応今でも港 らしきものが残ってますね漁業される方の 漁船がたくさん止まっています残念ながら 一般の人はこの先は漁業関係者以外 立ち入り禁止ということで入れないのです がま立ち入り禁止と書いてあるところの 手前まではまあ多分大丈夫なのかな釣りは 禁止だそうですですけど今でも使われて いるというのは素晴らしいことですが江戸 時代ぐらいまでのここの賑い用はこんな ものではなくもう歩くのも困難なほど昔人 がたくさんいたと昔の文献に出たのだそう です港の機能はもうすっかり廃されて しまったようですがしかし今でもこの横に は国道303号が通っていて物流の拠点と して日本海側へ向かいたい人たちが次々と ここを通っています基本的にこの場所の 役割は今でも昔と変わっていないのですね ところでこの国道303号ですがこんな 感じで琵琶の北端部分の上に橋をかける ような形で湖の上を通過しているんですが なぜかと言いますとまこの辺りの土地が あまりないからでしょうね元々は元内陸の 部分をですねこの辺りを通る塩街道という のを使っていたのですがま例によって人が もう全然歩くのも困難なほど賑わっていた 街がまだここに残っていますからその中を こういう大型の自動車がバンバン走って いくというのは無理ですだから街の外側に より早く作れる道路を整備しなければと いうことでここに国道303号がまた 新しく敷かれたわけですけども賑いの街を かわしていこうということになるとこう

いう風な走り方になるんですねトラックに トレーラー和の北前船たる新日本海 フェリーで運ばれてきたあるいはこれから 運ばれていくものもあるかもしれませんえ そしてですねこのカーブの道路を建設して いる最中に相にく残念なことではあります けれどもここに遺跡が発見されたんだそう ですでその道は旧塩津街道という道でえ まさに琵琶湖の方へ向かって日本海から ずっと山を越えてきた大昔の道なんだそう ですがいつの道なのかと言とここにも書い てありますが平安時代ぐらいの土木工事 平安時代からこの琵琶水温やっていたので その当時のものが発見されたんだそうです それはすごいですねこんな頃から五眼工事 とかやっていたわけですからいかに重要な 場所だったのかということも分かります こんな感じで土と石とそれからまのこの こういうやつをこう固めてそれで船を使い やすいようにということで工事していた ようですそんな当時のものが残ってたん ですね発出されたものを元に全盛紀の様子 を人が歩くのも難しいという風に言われた ほどのその様子を再現したのがこの図だ そうですおそらくま現在地どっかこここう いう場所なんじゃないかと思われるんです けれども造船所があって琵琶を水で運んで いく船をここにつけてみたりとかですねえ こういう風な船が切断してえ物を今ここに に2をやって積み込んでいくところであっ たりとかとても大切なところだったんです ねなんか平安時代とは思えない時代の先端 を行っている感じがします当時の建物も また江戸時代のものは随分少ないようです けれどしかし当時を思わせるような狭い 道幅でありますしクとかが色々あってです ねここでまた商業も大変活発だったん だろうということを想像させます昔敦賀 から運ばれてきた様々の貨物をここでもう 一度船に積み替え場所として琵琶の1番北 の物がたくさん集まる場所として人々が 忙しく働いていたはずですなんか引田 みたいな感じで町の奥が見渡せないように 入り口出口のところが大きく折れ曲がって いるように感じますそしてもう当時の 名残りはあまりないように見えますがこの 塩の街の人たちがここが元々船の町だった というのを今に伝えるために当時のマルコ 船というんですね昭和30年ぐらいまで 本当にこんなのでやっていたというんです が江戸時代やそれ以前から続いていた伝統 的な船の姿を電柱の下にっています家一見 一軒が大きいし迫力がありますよね豪邸 みたいなものばかりですよその旧塩津街道 から少し離れた現国道寄りのところに道の

駅があるんですが道の駅でいいのかなここ にね水の駅って書いてあるんですよ昔から の船の歴史をじてるんですねえここにこれ 当時のものなのかなマルコ船の本物も展示 されているそうですあれだマルコ船の館と いうことで無料でいつでも見学できるん ですけどもなんかこれは実際に使ってた ような感じの作りですね和木で持って作っ たワブというやつだ本当に実際使われてい たものそのものなんだそうですで実は他に もこの近くにマルコ船の館というのがあり ましてでそこで明治時代にあそこの港が どんな感じだったのかとかですね割と最近 の様子も紹介してくれているんだそうなん ですけれどもあこうやって中に積んでたん ですね基本はやっぱ北前船的な構造なんだ なこのもっとなんか充実した展示ががある らしいんですけれどもあに5時で終わって しまっておりまして今日はもう見ることが できませんいや残念だな駿がはもっと早く スタートしておけばよかったなちなみに サイズはめちゃめちゃでかいです道路が まだ整備されていなかった時これで琵琶の 上をスス行っていたんですねちなみに動力 は反戦ですま昔って必ずしも街道という海 の道と書いても水上交通を意味するもので はなかったらしいんですけれどもまどうな んですかでもここにこう書いてあったら こっから先の琵琶の中がちゃんとうまく いきますようにここの琵琶周辺が栄えます ようにみたいな願いで書かれたものだと 思いますけどねスルが日本海を開始て東北 北海道までと繋がっていたこここそまた 京都の玄関口なわけですねしばらく待つと またつかに向かう峠越の電車がやってき ましたこの辺りはさすがに本数が少ない です峠越の区間って今でもそうですよねと はいえ1時間やそこら待つさえすれば どんな時でも夜遅い時間でもこの峠を簡単 に超えられですから昔の人たと比べれば だいぶ便利になりましたよねそして糸も たやすくも夜ですからねトンネルの中なの かそれともただ外を走ってるのかも分から ないような感じであっという間に敦賀に 着きました今度は新幹線も来ると言います からね便利な世の中ですよまできること だったらこの新幹線がなるべく早く大阪に 繋がればとは思うんです けどなんか足元みたいな音がするんだな ここはさらに特急電車も来ましたもうすぐ 通過してっちゃいます昔はもうとても大切 だったをつるがの2つの港も特急電車には 関係 なし信じられないことですよね京都を出 たら福井まで止まらない電車です敦賀駅

までは戻ってきましたけれどもこの後どこ へ行くかなんですが次の目的地はまた 北海道の苫小牧です苫小牧まで戻ります ここまでのルートをご確認いただくと 苫小牧東港出行して秋田新潟と寄り道をし て鶴賀にたどり着いたわけですがこの敦賀 から行けるところは他にはありませんので 今度は直行便の北道をただ戻るわけでは ありません別ルト苫東に戻ります日本一周 を歌っておきながら北海道が苫小牧だけて のはちょっとふざけてますからね の駅からとりあえずバスに乗ってある程度 敦賀の町の中心分まで来ました敦賀駅は 歴史的にはだいぶ街外れの方になります からね元の中心は港ですからそういう時間 ということもあってちょっとシャッターが 折りがちになってしまってはいますが敦賀 の大アーケード街です本当に立派ですよね このアーケードそんな中で鶴の名といえば これだですね有名ですよね僕もね行った ことはないんですよ知ってるんですけど 19時45分ラストオーダーのソース活動 屋さんだそうです一番普通のカツ丼を注文 して食べてきたんですが990円だったん ですが結構見た目以上にサクサクしてて 軽い感じでね意外にスイスイと食べられ ましてですねえあんまりいったりもしなさ そうな感じですこのでかいビルの中が なんかこう上の方まで飲食になってるよう な感じでしたね閉店の時間までいまして それ出てきました今8時しかしフェリーの 出行は実は23時55分なのですまだ4 時間もありますま正直もうやることはない ので最後に夜の鶴賀湖周辺を見て今朝は まだ見なかった部分ですねえそれで終わり にしたいと思います日本優先の煙突の マークがついています金塊優先の博多行き です何という名前か分かりませんが後ろ から今自動車を積み込んでいる最中の フェリーです一般の人は利用することが できません写真に撮るとこんな感じです やっぱりアカ2を筆頭に輝く2のラインが 美しいですねそしてその奥になんか似た ような感じの2匹の旗がここにこう輝いて いるのがありますけれどもこれが今から 乗る新日本海フェリー苫駒行きです20時 30分入行ということでちょうど今鶴賀 進行に入っていくところです今私の立って いるところが敦賀本港昔からの敦賀湖です ね江戸時代以前から使っていたところな はずですま船も来ましたしもうそろそろ私 も鶴賀を去る準備ということで早いですが フェリーターミナルに行っておこうと思い ますまその前ですねここに鶴賀公駅って いうのがあるんですけれども昔太平洋側

から初めて伸びてきた鉄道が終点として 使っていた旧敦賀湖駅をイメージした再現 施設ですま戦争で壊れてしまったのだそう でで戦争で壊れてしまったのかな大正2年 のものを再現したと書いてありますから 昭和初期の多分全盛紀ぐらいにみんなここ から海外へ出ていたんでしょうねでもう 繊細で当時の資料は残っていないので近い ものとして再現したとのことです1900 99年の建物ですからま現物を見たことが ある人がこの建物が建てられた当時はまだ 結構たくさんいたと思いますだから ほとんどまそんな感じのものなんじゃない ですかやってる時間に来れば鉄道博物館と して無料で見学できるんだそうですけれど もうここに来るのはね3回目ぐらいなん ですがやってる時間に来たこと1度もない んだよねまた本来のすでに鉄道駅としては 廃止になった敦賀湖駅のところですが ライトアップされたこんな古めかしい建物 が立っていてこれ私この間っていうか今朝 来た時は知らなかったんですけれどこれが 鶴賀のムゼウムだそうですねナスドイツの ユダヤ人迫害の時に日本は同盟国だったん であんまり表だってそれに反対しがたかっ たんですけどしかしこれはひどいだろうと いうことで杉原千という人が命のビザと いうのをユダヤ人にたくさん発行してま それによってユダヤ人難民がたくさんえ シベリア鉄道を通ってこのウジスから敦賀 までえ命からから逃れることができたと いうことでそれを記念展示するものになっ ていますこれはねやってる時間に来たこと はないんですよムゼウムってのは ミュージアムのことですから見られるです けどその後はもうやることも特にないので タクシーを廃車して1400円ぐらい かかりましたけれどもま早めにフェリー ターミナル行ってしまうことにしました メリークリスマスそしてあけましてお めでとうございます私どもの会社からのお 知らせです株式会社asは観行誘株式会社 に名前を変えました2024年も皆様から の案件をお待ち申し上げております詳しく は動画のコメント欄のところに説明用の 動画のリンクを貼っておりますのでご覧 ください観光有株式会社を今年2024年 もよろしくお願いいたし [音楽] ます

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#スーツ交通
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39 Comments

  1. 地元福井の者でもへぇ~と感じる内容でした。普段目にしていても知らない事だらけでした。
    1:05:25 敦賀のヨーロッパ軒、メニュー表を見て欲しかったです。 そこには「福井で2番目に美味しい店」と書かれている筈です。敦賀のヨーロッパ軒は「本店」なのですが、福井市内の片町に有る「総本店」に配慮して「2番目」を名乗っているんですよ。普通盛りでもどんぶりのフタが半分浮いていますが、大盛を頼むと完全に浮いてしまってます。若者やそれなりに大食いの方以外は「えっ!?」と驚くボリュームで…私は食べれません。

  2. 新潟を紹介😢ありがとうございます。
    間もなく😢日本最後、スイッチバック式バスターミナルが😢無くなります。その時も😢是非来て下さい

  3. 敦賀行きは確かに早朝着なのでシーンとした駅で寒い中、電車を待ったなぁ
    冬の小樽行きの船では大浴場の湯船がめちゃくちゃ波打って大人気なくはしゃいだ思い出😂🌊

  4. 基本的に琵琶湖の水面は標高85mあるので、敦賀湾からそのまま運河を使って通す事は無理です。
    フェリーほどの大きさともなるとパナマやスエズの様な閘門を使って高度差を補う必要があります。
    京都蹴上のインクラインを滑車と併用して、錘となる水の入る容器に琵琶湖からの水を流し入れて水の重さで敦賀側から引っ張り上げるような装置でもあれば小舟程度の大きさなら十分引っ張り上げられると思うな。
    敦賀から西周りの北前船航路についてもやってください。

  5. 愛知県在住の者です北陸新幹線開業は愛知県とっては不便ですしらさぎがどれだけ便利だったか東京ばかりえこひいきするなとJRにクレームの電話かけました

  6. 今更ながら、早々米原ルートにして米原まで延伸させれば良かったのではと思う🤔
    米原って周りなんもないから、何とかなるのでは😅‪‪❓

  7. 6:20、砂丘は昔(昭和中期)にはもっとずっと長かったのですが、大河津分水が出来た結果、信濃川の水量が減って、海流に侵食され、どんどん短くなって行くのを、現在、必死に護岸工事等で砂丘を守っているところです。

  8. 自分は小さいころにマイテに乗ったことがあります。よく覚えていませんが何かで篠山口から大阪を経由して京都に行き観光して丹波口か二条から山陰本線で福知山に行って一周するものだった気がします。あといつも時間がないからという理由でうどんに水いれてるけどそれなら最初から冷たいのを頼めばいいのではw

  9. 琵琶湖も水上輸送の要だったとは知りませんでした。
    敦賀が港町として栄えていた理由も納得しました。

  10. 船で日本一周が中断された動画のなかで、敦賀の海運・陸運の歴史を北陸新幹線の開業に合わせて投稿し、改めて延伸の意義を知らしめる作品でした。

  11. めちゃ地元に来てくださっていたのですね💕
    よくぞ紹介してくださった
    この辺りは掘れば山ほど歴史的なものがあるので是非また来てください😊

  12. 23:50 タクシーに乗って更にタクシー共々フェリーに乗船って面白そうですね。理解頂けるタクシー会社か気の合う個人タクシーの方となら共に良い船旅が出来そうですが船内では運転手さんと同室なのかとか、その割り増し料金等も気になります。・・タクシーの運転手さんとスウィート2人乗船旅 ?

  13. 「新」日本海フェリーというわりには、昭和な雰囲気で笑いました。
    嫌いじゃないですよ、当方昭和な者ですからね。レストランとか相当
    頑張ってるようですね。

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