【ゲスト】ウエスコ・ジャパン岡本直さん【ラジオ】松島睦のONE HOUR TALK 018

[音楽] こんばんはライトニングクラッチマガジン 編集長の松島淳がお届けするワンナー トークの時間がやってまいりましたこの 番組はYouTubeでも聞けるんですが あの無料アプリーのYouTube ミージックからだとバックグラウンド再生 もできるんであのそちらで聞いていただく のが良いかと思っております詳しいことは 概要欄に書いてあるのでご確認ください え今日はですねちょっとね私 え自分のねかなりプライベートな話なん ですけれども今年52歳になります72年 生まれで4人家族なんですが私まだ家って 買ったことないんすよ今月ライトニングま ミッドセンチュリーの特集をやっていて 最新後素敵なね家とか部屋に住んでる方 家具とかそういうのを見ていて自分の家 羨ましいなっていつもこういう特集を見る たびにカリフォルニアスタイルなんか見て もそうなんすけど思うんですけど未だに僕 は百夜族でずっと家は借りて住んでます 買ったことがないんですいや実はもう ライトニングのスタッフなんかもみんな 結構いい年行ってる人間が多いんで40代 以上なんでほとんどがえみんなね家買い ましたとかえマンション買ってるとか立派 だなあと思うんですけど僕はね1度も買っ たことがなくて他の買い物には結構散在は 誰よりもしてる方だと思うんです けど家が変えてないっていうね最大の理由 は気分が変わった時に引っ越した引っ越し たくな るっていうのが1番大きいんですけれども なんかねどうせ家を買うんだったらこう いう家がいいっていう理想があるんですよ それを考えちゃうとなかなかねあの自分の 予算の中で買えるものっていうのがなくて またね僕まとかなんですけども東京生まれ 東京育ちなんでどうせ住むなら東京に家が 買いたいって思っちゃうんですよねそう するとねもう高すぎちゃう しね今からもう50過ぎてえローン組むと かっていうのもちょっと考えても地獄だし 宝くじでかいのでも当たったら家買いたい なとかって最近思うぐらいであとは息子 2人いるんで息子たちにお前ら頑張って 働けよっていうことぐらいしか言えないと いうねで結構ねでもえ社屋でもう何十年も 暮らしてるわけですけれども基本的にはね えっと庭つきの社屋にこだわってきてて 社屋のくせにちゃんと庭があってみたいな そういうところがとかの方だとまだまだね 安くてそれなりにこれがね渋谷役でとかえ 世でて言うと大変なことになるんでしょう

けど僕は死の方なんであの支部ではまだ あるんですねそういうところがだからま4 人家族が住めるサイズのえにつの家みたい のを実は常に探してます常に探しててあ いいのがあるなって思ったら見に行ってで 基本的にはねそこでピンと来るか来ないか でピンと来たらもう引っ越しちゃうんです よ なんですけど生活券はね買えないようにし てるんで今住んでるえエリアには今東京の 長府市なんですけど長府市にはもう何十年 住んでんだろうなえ30年近く25年 ぐらいかなえライトニング入る前からだっ たと思うんで25年ぐらいはもうえずっと 長府に住んでるんですけどその中で点々と してる今のところが長で3件 やっぱりね一刻一条のアジじゃないけど家 は持つべきだ家は買うべきだなんで家買わ ないのってすごくやっぱり皆さんに言われ て心動く時もあるんですけどいやいや俺が 欲しい家はねここじゃなかなか今まだ実現 できないんだよねみたいなだ時々イギリス とか行って不動産屋に日本の不動産屋と 同じようにこう物件がり貼られてるんです ね窓のところにそういうのとか見てるとあ こういう家に住みたいの俺こないだも思っ てすごい郊外でいいなここって思った家が あったんですけどえ販売価格が日本円にし たらね250億とかねえみたいないやもう 狩ができますね自分とこの敷地内でもうね 馬走らせなきゃいけないみたいな広大な庭 があって庭園があってええそれでお城 みたいな家が立っててもう多分門まで歩く のにま門まで歩けねえんじゃないかと門 までは車使わないて無理なんじゃないか みたいなそんな家だったりを見ていいなあ とか年末年始もなんかねえBSの チャンネルでハワイの物件情報っていうの をやってて海沿いのえ12LDKみたいな よくわかんないそういう家とかを見て てらしとで結局ね何に素晴らしいと思うか というとあのま僕歴史好きだっていう話は 昔前からねここでも何度も話してるんです けどやっぱり歴史の重みがあるんだよね家 にすごくあの古古い時代に立てられてそれ を綺麗にリノベーションしてる家とかって 言うとこれかっこいいよなと思ってしまう だすごくね僕自体もあの日本にはないんす よなかなか そういう古いそれこそ明治の時に建てられ た家とかってねあのそうそうあるもんじゃ ないし私の母の実家なんかはねまさにそう いうあの農家だったんですけど古い木草の 平屋の大きな家だったんですけど田舎の方 でねそれを見てこういう家を

リノベーションして住めたらいいだろうな えなんて子供の頃に思ったぐらいなんです けどを綺麗にしたらすごいなかっこいいな と思ったんですけどあのもうないですそれ も取り壊されましたやっぱりねなかなか 日本のルールの中ではレギュレーションの 中では古い家に住む古い家をずっと長く残 すっていうのは非常に難しいしあとは基本 気候とま木造建築のえ家を綺麗に保つって やっぱりすごいお金がかかることなんで 難しいんだろうなと思いながら住むんだっ たらでもそういう家がいいなってずっと 思ってたんです住むんだったらというか 買うんだったらだから多分僕はそういう家 に住むという夢は永遠に達成されないまま この世を去ることになるんじゃないかとえ 最近ちょっとそんな風に感じ始めてるん ですけどねできればね郊外がいいなとかえ 人込みが苦手なんで色々考えるんですけど 皆さんはねあの家って持ってる方はどう いう決心で買ったのかなと家族からの プレッシャーを跳ねのけるのが一番大変か なと思ってますやっぱり家欲しい家欲しい そんなもん買うんだったら家買ってく れっていう話はすごくされるんだけどでね 今日ここ来てるところがね家ではないんだ けどある意味僕の理想すごく古い建物 ちょっと後ほどね詳しく聞こうと思うん ですけど 木の針がダーンと太い針があってえの中を 綺麗にリノベーションしてお店にしている ところに今いますえ場所ね大阪大阪の ウエスコジャパンの総本山に来ております ここはねおそらくこれは工場だったんじゃ ないかなと思うんだけどかなり歴史のある 建物なんですよで天井も高くてそこでね中 でってるものがまた歴史を感じるものも 多いしディスプレイもまさにそこにマッチ したような形になっててすっげえかっこ いいお店えなんですねちょっとこれを家に 家を作るんだったらやっぱりこういうのが いいなって思わせてくれるここに来るたび にいつも思うんですけれどもそんな場所 からお送りしたいと思いますえ本日のねえ ゲストはということでねウエスコジャパン の 代表え岡本さんに出ていただきますのでえ 皆さんどうぞお楽しみ にそれでは本日のゲストウエスコジャパン 代表の岡本さんですよろしくお願いいし ますよろしくお願いしますま初めに ちょっと ウエスコ並びにウエスコジャパンのはい話 をま皆さんに説明って言となんですけどお さいをしときたいなと思うんですけども

はいはいウスコというのははいアメリカの ま歴史のある100年以上の歴史のある はいワクブーツブランドそうですねまあ ウスコはいま100年以上前はま100社 ぐらいえ物会社がアメリカにもたくさん あったんですけどもはいはい今はこう メイドインUSAで作られてる会社 はかなり少なくなってまジオと共にはい はいはいエはその中でまメイドインUSA を貫いてるええうんまアメリカの伝統的な 技法ステッチダウン製法というのに こだわって作ってる会社はいほで100年 ぐらいま今年で正確に言うと106年目な んですけどまはいずっと家族経営まそんな に大きな会社じゃないのでねずっとも家系 でまあ従業員もそんな多くなくうん えずっとまそういう創業者が始めた ポリシーを守りながらはいブーツを作り 続けてる会社ですねうん私も何度かえ ウエスコのアメリカのポートランドですよ ねはポートランドえお邪魔したことあるん ですけれどもすごくこう雰囲気になる会社 でし雰囲気がええそうのどかなま周辺も すごくのどかな場所にそうそうですねあれ はやっぱりま森とかが多いエリアじゃない ですかそうですねやっぱり森林のそういう 産業が盛んだとこなんでねやっぱりね木が 多いっていうかねまロガーっていうかきこ さんが多かったとはいええええええうん いややっぱりそだからこそその土壌 で育ったというか生まれたですブランドと いうことですねま元々は えっとまジョンヘンリーシューメーカーさ んっていうはいはいまあ19001878 年に生まれた人なんですけどもまその人の えええお父さんはいえ元々オランダから 移民してきてほうほうほうほうでアメリカ にに入る時そん時アメリカに入ると移民の 人たちは色々こうえっとそういうアメリカ のそういう入る時のそういうシステムで はいなんかいろんな名前をつけられてた みたいでうんでそのおさんはまクラスさん ていう人うん人はあなたはシュメーカーっ ていうのを名乗りなさいって言われてそれ でたまたまじゃないんだそうでミシガンの 方えええプラスメカていうのを名乗って はったんですけどもメーカーて名乗ってた んやけども靴屋さんじゃなかったお父さん はお父さんはそうです大工や大工をしてて はいはいそうで大工してたんですけどもま 大怪我してえええ大空の仕事ができなく なってそん時に子供やったはいうんその そうしたジョンヘンリーシューメーカー が15歳ではいその新聞配達しながら家計 を支えてたんですそれだけではあかんと

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うんというかどうしてそのウエスコという ブーツに惚れ込んだきかていうのはほん えっとまあ10代中ぐらいから僕もあのえ ねアメ村でアルバイトしたり働き出して はいはいはいはい でまずっとアメリカ村にいてたわけですよ はいでま働いてたところがまアメリカの ヴィンテージクロージングをはいえ始める 段階でこれからヴィンテージをやろうって いう段階でま僕がま任されてバイヤーやっ たのでよくアメリカに行ってた買いつけに ほうほうほうほうで僕は元々ブーツが足元 のブーツのあの形状えすごい好きだったの で革靴ていうそれでもワークブーツが すごい好きではいそういうドレスブーツと かあれじゃなくってビスポだじゃなくって やっぱり僕はもう物和物が好きでアメリカ 行った時にまいろんなヴィンテージのねま リバイス屋とかいっぱい探すんですけども 僕はブーツをはいはいそん時一生懸命 ブーツを探して たまブーツなんかすごいいろんなブランド がねこう何千速も山になってありますね あってこう置いてあってその中からブーツ をこうピックするで選んでたらええ大体 ワークブーツってねボロボロなんですよ やっぱり激しく使われててぱ第一に測れて ないからやっぱ労働者のブーツっていうの でねはいでそれでこうピックアップして 色々ブーツ選んでたらはいなんか ね1つのブーツだけええそのブーツ ブランドだけね川がめちゃくちゃ行きてる んですよほうほうほんで破れてないで まだまだこれ吐けるぞとはいそればまね 1940年代とか50年代のええね今から 言うたら70年ぐらい経ってるブーツが はいまだまだ吐けるような状態でねほほで それがねやっぱり何千速の中で何速か出て くるんですよでそれ見てたらはいこれは どこのブーツブランドやと思っで調べて たらまだ現存するとはいまだこうアメリカ に現存するとこれはずっと行かなあかんの ちゃうかみたいなはいおおそうでそん時に あのアメリカのえオレゴン州まで行って 本社まで行ってそれがウスコだったわけ ですねウスコだったんですそのもうそうな んですよいつもある山の中でそうピック するたびに気になってにとってそう頑丈だ なすごいなと思ってたのは全部ウエスコ だったとそうウエスコだ でほうほうほうまそのブーツがね僕の足の サイズ履けるのは僕はビンテージウスク ブーツ履いてたのでそれを履いてウスコ 行ったらはいはいなんでお前そんな ヴィンテージ履いてんねんみたいなほう

ほうほうほうほうほでそれでま仲良くなっ てで何回か行くうちにえええまそんなに 好きやったらうんやってみるかみたいな おお日本のまえ総代理店総代理店いう形な んですかうん総代理店って元々そんな 苦しい感じじゃなかったと思うねんけど ねはいこれねでもねみんなに話してもね ちょっとみんな信じがいかもわからないん ですけど普通はねなんかねうんアメリカの 会社となんかそうソダ店の契約とか結ぶ たらねすごいこんな契約書とかはいはい はいはい多分サインしてうん想像します なんかねなんかあったらま訴訟の国やから やぱなんかあったっていうのでたくさん ええやると思うんですけどえうちないん ですよ一切そんなの契約書がないそそんな ことあるんすかそうほこれみんなね喋って もね信じてくれへんけどないんですよだ から人間対人間であお今までこうやってき てるんではいはいはいでやっぱり こうなんすかね人間同士の付き合いて なかなかそんなこと普通ねええ僕もそんな に英語ができるタイプじゃないのでね誰 じゃないんですけどま信用してていたのか ほうほうほうこんなねうんわかないとか 珍しいでしょそういう契約しかないいや いやいやそれはちょっと驚きですえ今まで ねいろんな人どうやって撮ったんですかよ 聞かれるんですよなんかねあのどうやって そういうはい契約できたそうそうそうで 自分で考えててでもよくわから ない好きやったっていうのとえまあ日本で もねそこのアメリカでも取り扱ってたので そのウスコブーツをうんでウスコブーツに 行くうちにそん時ねやっぱりブーツ文化 ってなかなか日本ではなかったんですよあ 福屋さんがメインで服がメインでブーツは ちょっと置いてあるぐらいの分かります何 速か置いてあってサイズは選ばれへん形は 選ばれへんねあの言うたブーツに足を 合わせろみたいな 欲しかったらそれ合わして痛かってもハゲ とか多かってもハゲみたいなちょっとそう いう時代の文やったのではいえええ僕は ウスコ行くうちにこんだけカスタムできん のにええもったいないなんでこれを日本人 は知らんねやと思ってこんだけ川も選べて ワークブーツではいカスタムでき一層から カスタムできるなんてないああはこれ やっぱ利点は生かさなかんのじゃないか いう考えててで自分でやるってなった時に はえそういう利点を生かしてはいはい えっと日本の人たちにやっぱりちゃんと そういうあったことをええええやっぱり こう人々のね言うた1人1人の趣味とか

ライフスタイルにはいはいアッタブーツま バイク乗りしたらバイク乗りをま ファッション楽しみやったらいろんな形が あっていろんなレザーもできるからそう いうのはいその人の個性にあったブーツが できるん時間かそれもねうん足方も測れて ま気言うたはいはい足のサイズって やっぱり違うでしょ皆さんええうん左足 右足の大きささえ違う違うそうですねうん そうあるからでそういう細かいことまで でき るっていうのを日本でサービスして広げ たいなと思ってねやり始めたんですよね僕 がやり始めた頃ってのはほぼみんなウソ ブーツでほぼ知らなかったんでね基本的に そんなに有名じゃなかったんですよね20 何年前とか20そうそういう意味では すごい貢献アメリカ本国に対してもうん そのウエスコの知名度をはい日本でまある 意味火をつけてって言たあれですけど広げ てうんうんそれがもう今や日本だけじゃ ないじゃないですかそうなんですよね 世界中でね結構あの愛校者がいてぱりそう オーダーがたくさん入るっていう状態に なったのでそうですねその貢献度たるや うんすごいいそれねあの誰もやってなかっ たすごいあの感謝していだいうんうんうん あの今の現ねCOからも感謝されて僕も リスプしてるしとかこういうね好きな仕事 をねはいやらしていただいてなかなかこう 好きな仕事ねできるってなかなかないじゃ ないですか言うたらねそうですねそうで 自分の好きなアイテムでしょ言うたら ブーツねブーツ好きから始まってブーツが ねはい自分がもし履いてたものをずっと こうねえ何にできるっていうのはすごい 幸せうんつうんうん感謝してますけどね でウスコの100周年の本もねえ6年 かかって作らしていただいてはいええね あのあれはもう普通はねあのアメリカで 作るええ感じの本だと思うんですけどま僕 はわがまま言わしてもらって日本日本でね 作って英語とうんうんうん日本語日本語と 両方入れてっていうのをねえま友達のね 友人の田中さんに作ってもらったんです けどはいうんあれもすごい感謝いただいて ねあれがえっと2018年の12月にその アメリカでもそう100年のパーティーが あったんですよ本社でほほでいろんな えっと普段会われような親族はいの人たち もねもうそこもやっぱりファミリーなん ですねファミリーなんですよね今までだ からうんねジヘリ集メーカーには6人の 子供がいて18人の孫がいてまその人の 子供がいてるからはいそういうファミリー

が全部集ファミリーですねそうだから全 社長のねとかその息子とかもみんな来て いただいてはいおでねでその時はボブシ メカさんもまだ生きてはったのででボブ 集名カさんの奥さんとか言た上平集名カの 息子さんとか生きてはったのでそういう人 たちがみんなね本持ってねサインくれてき たんですよ僕もそん時ね涙でそうなってね 本当そういう感激ですごいリスペクトして いただいてすごいそうありがとう言われて えなかなかないなと思ってそういうことを ね彼らが作ってるブーツやの逆にこうね 感謝されてこうね来てみんなサインを求め られたっていうのはうんうんすごいもう 自分の人生の中でもなんかねあのすごい 幸せな時間でしたねすごい感じでしたいや すごいと思いますよだって元々本当の ワークブーツまうん本当のワーカーが履く うんブーツだったわけですよねそうですね ウエスコのブーツといえばそうそれをえま 日本ではえタウンユースで履いてる人も 多いしうんバイク乗る人たちなんかでは もうもう当たり前のようにウエスコ選ぶ人 たちがうん特にアメリカのバイク乗ってる 人たちなんかはうん皆さんウエスコでって いう人多いじゃないですかまあねあの今 やっぱりこう個性が出せるんでねウソ ブーツはねやっぱりそういう意味で選んで いただいてるとこはねたくさんあって うんありがたいなと思います普通に履く だけならねすごいオーバースペックだと 思うんですようん言うたらもう一足あっ たら一生はけることねあの言うたら修理も できるしソル効果リビルドまでできるから はいそうだからそういうことを考えると ええええねアメリカなんかでやっぱりねお じいちゃんが吐いてその子供が吐いてね孫 が履く3大履くっていうのも結構ね多いの でうんうんうん普段白にしてはね週に1回 だけ履くにしたらすごオーバースケてねだ その人た買った人はうんま子供も履ける やろうしまサイズをね合えばねちょっとね サイズも直すこともできるのでねそういう こと考えればすごい長で吐けるしえええね 破れることもねほぼないのソウルがやっぱ ステのセーファやからソウルが剥がれると かいうのもないのではいうんまあ一生ける としたらねすごい こう捨てずに住むからね究極のエコやし やっぱりねなんこほそうですねまだこんな 日本日本でね世の中でエコエコ騒がれる前 からずっとそれをやってきてるわけです からねそうですねやっぱり足元って愛着枠 でしょやっぱりあのウスコなが特にこう 新品の時よりもやっぱ足馴染ではいやれて

いった時の方がやっぱりかっこいいじゃ ないですかやっぱり川のやっぱり軽変化も ねすごい愛着がくからやっぱりねうん通の こわかしうちのお客さんでもブーツ持っ てる人っていうのは1速では終わらず やっぱり何十速を持ってる人が多くてはい はい家でこうね自分でこう棚をブーツなの を作って並べてねでそれをめてねそうまお 酒飲んだりとかね手入れしたりを楽しむっ ていう人もねえええすごい本当に多いので ねそういう少ない話じゃないのでえ男って やっぱりずっと子供っていうかねやっぱり 1人の時間ま家族とおっても10分ぐらい は1人の時間あった方がね男の人って結構 多分好きなんですやっぱそういうの1人に なって好きなことするって没頭何かに没頭 したいっていうのあるでしょやっぱりね うんそういう時間があってまた楽しめる他 も楽しめるっていうか自分の好きなことに 打ち込めるっていうかやっぱり川好きな人 多いよねやっぱり川製品が好きな人が本当 に多いよねもうま正直うんライトニング なんかで1番えまお馴染みのコンテンツは たたあるんですけど例えばデニムだったり カジャだったりとかバイクだったり家だっ たりっていう定番的な特集ってあるじゃ ないですかはい何度やっても絶対滑らない のはブーツの特集ですああ1番強いです うんもそれは僕20年間もう20年以上 ライトニングやってきてえ出た答え ライトニングの読者みんなブーツが好き だそんな感じでですねええそれもずっと昔 からなのかなやっぱり日本にそういう ブーツの文化って元々はなかったと思う ねんけどやっぱりこうはいはい高度成長期 まね日本に入ってきたのはブーツがそう いうアメリカのブーツが入ってきたのは 選挙80年代ぐらいから多分ね増えてきた と思うんやけどもそうそうですね何かの やっぱりまそれは映画の影響であったりと かいろんな影響も多分ねあるとは思うけど もねうんまあうんぱブーツってかっこいい よねいやもう造形として身につつけるもの の中であの存在感大きさとその立体感とて 他には実はあまりないんですよねうんそう で表情がどんどんこう豊かになっていく 楽しみ えねメンテナンスしてソウル張り替えて うんまた愛着が湧いてみたいなね僕も今 ウエスコのブーツでソル張り替えなきゃ いけないやもう2速ああ持ってきて ください持ってこないといけないなと思っ てていつでも持ってきてくださいそうです よいやでも本当ねそういう意味ではそこに 注目した着目したっていうのがうんまあ

すごいすよねコロンブスの卵じゃないす けど誰もやってないけどふと始めてあうん いうそうだからワンブランドだけのブーツ サンデルはまずなかったのでいろんな ブーツ言うたらセレクトショップみたいな はたくさんあったんですね うんうんはいっ揃えてカスタムして システムをま作れたていうことに関しては すごくやっぱり日本に広がったそういうね 芸人っていうかね気になったっていうのは あると思いますけれどうんあとはこの なんて言うですかねプレゼンテーションの 見せ方いいブーツを歴史のあるいいブーツ をうんこう見せる見せ方がうんまさにこの お店なんですけど今大阪のえウスコの大阪 にのこのお店いるんですけどもこの プレゼンテーションというか空間作りも 含めてうんうんこれすごいことやってます よねね冒頭でちょっと話したんですけど うんこの建物 自体普通なかなか目つけない建物そうです よねこの建物自体はは昭和12年に建て られた1937年に建てられた建物でほま その船中を逃れてね木の工場が残ってたて いうのがあってだから上の天井見てもらっ てもねこう木の針とかこうね古そのまま はい残ってる元々はこう大きなその昭和の 頭の頃は風呂釜の工場やったらしくてへえ 大衆浴場の風呂釜を作ってたみたいななか 大きな工場やったみたいですけどえま たまたま僕ここ地元っていうこともあって そう元1番最初は港区で始めたんですけど もでえうんえやっぱりこうブーツをこう 修理する機会とか入れることによって やっぱりすごい大きな音がなるのでやぱ 地元に帰ってこの辺は言うたら物作りの街 うん工業したいなのでま音がなっても バイクの音がなっても機械の音がなっても 竿の周りが気にならないっていうのがあっ てうんうんうんでこの辺でま生まれた ところでえ探してたらまあたまたま 見つかってそういやそこでお店兼工房そう ですねやっぱりこう売りぱしいっていうの は絶対しくなかったのでやっぱりこうね ちゃんと修理もできてそうそれば日本で アメリカにいちい送るとね送料とかかかっ てしまってねすごい高なね期間もかかるの で日本でね全部修理ができるように11を そういう体勢も整えたり思ってでこう修理 も見れるように中が見れてねお客さんも 見れるようになっててそうま古い機会が 置いてあってそうそうまそアメリカの工場 見てアメリカ工場もね見えるんですよ ショールームからこう作業してとまそう いう感じにえええ作ってそうま安心して

あの修理してとこも見れるしまあのはい すごいこう臨場感があるっていうかね リアリティがあるんじゃないかなと思って ねえこういうお店をね あのまお店県なんですけどもねこういう とこをなかなかなかなか こういうこの古いもう間もなく100年 っていうことですよねだからこの建物そう ですね90年近く経ちますよねもうねうん に目をつけて心配はなかったですかそんな 古い建物大丈夫なのかなとかいや結構ね これでもねえっとリノベーションはしたん ですよああそうなんその時にはいえ色々前 のレガもビンテージのレガを貼ったりとか はいはい板張りやったのをねちゃんとこう ね厚さを作ってレガを貼ったりとかここに もガラスを入れんのもねええええええ 難しいんですよね古い盾もあれああいう 屋根のとこもあれもガラスもはめ込んで ますのでああどど木の枠がいがんでるから はめ込むのがねちょっと難しかったって いうのもあるんですけどもまなるべくこう アメリカの工場に近い雰囲気で2本でやり たかったのでええええままリアリティの ある店作りっていうのはちょっと本物を やっぱりねやっぱ本物見るっていいじゃ ないですか触ってもらってね手に取って もらって履いてもらってね置いてあるもの もねあのそれこそヴィンテージのレーザー ジャケットもそうブーツだけじゃなくて そうとな何を言ってもやっぱりなんと言っ てもバイクですよねこのヴィンテージと いうかもう古いうんやっぱりこれも歴史 そのものだったりとかうんえっていう バイクが飾ってあったりうん小物1つとっ ても歴史を感じるものポスターなんかも そうですけどうんなんかすごい統一感が ちゃんと出ててうんま個人的にはやってる ことは30年前と変わんないんですけどね 同じことずっとやりつけてるんですけども やっぱりこう飽きないえ掘れば掘るほど やっぱり こうね掘りたくなるっていうかそういう はいやっぱり革製品っていうのはやっぱり そういうとこあるでしょ言うたらこう癖に なるっていうかねもっともっと知りたいと かもっともっとこう掘り下げたいっていう ところあって特にこういう僕とこやってる のはブランドみ歴史があるのでもっとこう 掘り下げてはいうんうんねブーツも 母ちゃんにしてもやっぱりねこうもうほっ てもほってもこうなんか味が味がこうね 噛んでも噛んでも染み出てくるみたいな そうだから面白くてやめれないんですね やっぱ飽きないっていうかねやっててもで

別に僕らも着てる服も昔から変ってるわけ じゃない ずっと 同そうもう若い頃からやっぱりアメリカの ものが好きでうんそうですねそういうま 古着だったりも含めてつけてたんですか そうだそう高校とか中学時代に勝ってた ユズのジパンがもう66のね3000なも で売ってたが66の前戯とか後期やった からね安かったですよね普通にそが神秘の 方が高かったからそうはいええそそうユズ とがめちゃくちゃ安かった時期でしょまだ そのビンテージ部分が始まってないから あああそうペケペケにしてもファーストに セカンドにしても安かったはい僕も アメリカで買い付けてたから安い値段で 書いてたからはいはい大体その時安い値段 で書いてるのわざと高くつけることはない んでねやっぱり買いやい値段つけてたんで はいはいうんやっぱり10万いかずに 買えるもんが多かったですよその当時でも ねあうん今やもう高いでしょペケペケもね ノセカンドもねレとか言たらもうね何 10万下手すりゃ百万っていうの出てき ちゃううんうん時代になっちゃいました からねうんええねなんでもこうないものに は価値がついてみたいななってしまってる 状態ですけどはいねまだからでもなぜかね ヴィンテージのブーツ好きは少なかったん ですよ僕がとかその時ブーツを境しるほぼ いてなかっただからアメリカ行ってブーツ をこう漁ってると独占状態みたいな感じ ビンテージとかねユのブーツうんええそう ですかだってその頃やっぱりみんなね デニムのミンテージがそうワーク系のとか ねああいうアロファシャツであったりとか はいはいまレザージャケットはいてました けどブーツまで行く人いてなかったんです よねあだからその時はだからもう好き放題 こうねブーツをこう合されたっていうかね そううんでまウエスコに出会ったんです けどねうんそうそうそういういやあの アメリカで出の出会いが今のこのウエスコ ジャパンに繋がってるっていうストリーは すごくあのお話としてすごく面白い話なん ですけど今でもアメリカにはちょくちょく 行ってはいるんですかそうですねうんま この中でねまちょっと行きにくかったって のはあるんですけどもま今年も行きますよ はい頑張ってねやっぱりアメリカ好きなん でねでこの中なる前は2018年は アメリカビンジのバイクでね2回走ってる んでね横断してるんでねやっぱりねはいえ あれもキャノンボールキャノンボール レースに参加しようと思って応募したん

ですけどええ言うたらエントリーから外れ てしまってあそうだったんですねそうその 友人の人たちはねエントリーできたんです よ僕はもうね最初でもう外されてしまって はいはいうんうんでも一緒に走ったろうと 思ってねアメリカまでバイクをケなしでケ なしで ねあの1928年のハーレイをアメリカ まで運んでほうほうほうほそうそう自分の ね持って何何日ですかアメリカアメリカ 横断ねまずはこのえこっちのはい木村信也 さんに作ってもらったCBの方でははい ええロスアンジェルスからメンシ ポートランドまでロスアンジェルスから ポートランドはいポートランド約 5000kmをはい7日で走りましたした メイン州ってことはアメリカの東の上です よねそうですはいはいはいはい向こうにも ポートランドドっていうのがあるんですあ んですへえメンシポートななま1inだ から 700kmぐらいねええま大阪から新潟 ぐらい毎日走ったんですよそれはね キャノンボールレースがねどうしてもその 7日後に始まるからそれまで行かなあかん ていう命があって普通やったらもっと ゆっくり行きたかったんですけどこういう レー用のね言うたら姿勢のバイクで セパハンでねそうですよねツアラーで行っ てるわけじゃないですそうなんです よそれで行ってまええままそれでも景色を 楽しみながら行ってね楽しみだったんです けどはいはいええええま7日間ね結構 ね7日8両あってメイン集ポートなの着い た時はねやっぱりね足もね紫色に張り上げ ててはいあのちょっとね汚い話なんです すごい初め人生初めて欠便が出た めちゃくちゃ欠便が出たんですよびっくり するぐらいのそれ疲労から来るものなん ですかか血が止まってたのか溜まってたの かああそういうことか同じ姿勢をうん ずっと溜っななからそうそうそうそうそう ああで体もそうですけどうんバイクだって ま新しい新車のバイクで行くわけじゃない じゃないそうですそうそうそう途中途中 当然メカニックまあの川がねえうちのね 言うたら取締がねあのバイクいじれるんで ほうほうほ すごいメテしてもらってま川がおらんかっ た僕はねちょっとねバイクでねずっと走る ことはできんかったよなと思いながらね ほっとね毎回メンテしてくれてま安全に 走れるようにはいはいしてくれてねまその おかげもあってなんとかね5000km 走り切ってメシポートランドまで行けて

ええで次の日には1928年のハーレに 乗り換えてはいんでメイン州ポートランド からオレゴン州ポートランド目指してね それでれもじゃ今度は東から西行そうなん そうなんですよ無茶しますねそれはねあの 1日ねまあ400kmとかなんでもう ちょっと時間かけてね行けたんでやれたっ ともバイク自体がもう古いのでうそうです よねそうだからまあ今度はトラブル続きで ねマシントラブルでねそっかそっかそうま それもいい人生経験になりましたけどね ああでもま路上に止まっててねバイク 止まってて色々してたらねやっぱりね いろんな人が寄ってくるんですよね親切に やっぱりこうほんまねええまだまだ アメリカもスタもん違うなと思ってね やっぱ人間人が優しいなっていろんな みんなね心配してくれてありあるかこれ あるかとかねえうん俺これ持ってるぞとか ね色々ねいろんなこうもう涙せなってね 本当ねも毎回人の優しさに助けられてええ ね何度かオゴ週までね途中ねあの故障で 走られへん期間ありましたけどもそれを クリアしながらねほおレンフォートランの 本社までそれで走ってウスコの本社まで 行ったですか行ったんですよおお行ったら ねみんな ね出迎えてくれてんのかな思ったらね みんなね仕事してて ねさらっと到着 みたいそうだったんすねでもついたら みんなね喜んでくれてもうほんまに走って きたんかみたいなええうんそうでウエスコ の繋ぎ聞いてたんでいやいやもうね宣伝し てきたよアメリカ中てい そりはそういや早々するな東から西って僕 は車でも行ったことないんでうんええまあ でもアメリカってやっぱりね日本の自然は ねやっぱりねすごい細かく美しいけど アメリカて壮大でね草原でねまた違う自然 のね偉大さっていうのをねバイクで走てる とよけこううん感じることがはいはいはい はいできて本当にうんえそういうのを思う と やっぱりできる時に大陸横断しててよかっ たなと思ってねやっぱり健康ねその後すぐ コロナあったからやろうと思ってもでき なかった可能性があるので確かにやるって 思った時のタイミングがねやっぱり良かっ たっていうのがやっぱりねあると思います まそれははい今の今後のね人生重ねていく よですごいいい経験者だとおおまだまた次 の計画もあるんですか次ねええ一応あるん ですよえ一応ねまたバイクで今度はねえ ゆっくり楽しみながら走りたいとおとって

そう1つのちょっと街とか文を楽しみたい あま年行くと多分そういう方が楽しいん じゃないかレースやったからねもう毎日 こうね気がせてね行かなあかんとかなって しまうから今度はゆっくりゆっくり見れて ないとこちょっと見てみたいなと思って それはまあねまあね近々っていうかねま数 年のうちにはちょっとやってみたいなとは 思ってますうんまこれが1つのうんうんま ね今普段もえ結構足はバイクが多いんです か日本でもうーんま冬場はねそんな乗こと がね最近ね年行くとねなかなかねあ寒く なっですねなくなるまあね毎日さっきも 言うたよに毎日まエンジンをかけてみたり とかはいはいはいはいそううんええまあね 家帰ったらねすぐ山が近いんで家帰ると ちょっと夕日見に行ったりとかねバイクで ねロマンチックですねまそうすごい信号も ないしね走りやすいのでちょっとね あうんそういうのはねあのよくしますね 夕日をあ見に行くちょっとねあの娘とか 後ろのしてねちょっと夕日見に行こうかと かって一番幸せなやつじゃないですか お父さんとしてはうんそうですねまだね 乗ってくれんのが ねえまそういうのでま昔みたいに昔やっ たらなんかね絶対乗らなあかんとか気張っ てね言うたらね絶対バイク乗っとかなかん て今はもう楽しみながら乗るっていうこと に心がけてはいそうな乗りたい時に乗 るっていうそういうあれに変わってきまし たねああうんそううんだからちょっと バイクの楽しみ方もちょっと変わってきた のかなっていうの昔はね毎日バイクで通勤 して雨が降ってもね毎日バイクで帰ってね そうそういうのしてましたけど今はもうね 結構自分に鞭打つのが好きなですか昔から いやいや苦労は勝手でもするタイプですか いやいやそんなことないですよできたらし たくないあそうですかでもしたくないけど も気いついたらそのになってることはある かわからへんね多いかもわかりませんね 自分では望んでないねんけどもまそんな ことになることもやっぱ人生あるでしょ 色々ねまあまあまあまえついたらねうんで もまどんな状況でもま楽しむようにはいえ しようかなと思ってますねあとはまこの年 になったんでねやっぱ人にはできるだけ 優しくしようと思ってね心かけてます今は もあの一応言っとくと僕もう松さんと 出会えば多分20年ちょっと前だと思う んすけど最初から優しかったですよはいあ ありがとうござい ますあのはっきり言って顔はね怖いんです よ重心で圧力もあるんで怖いんですけど

岡本さん昔から優しくていつも来ると 美味しいお肉を食べさせてくれるっていう 方なんでそれはお肉を食べさせてくれるか 優しいというわけじゃなくて ただねこのお店自体はなんて言うんですか ねすごく派なイメージがあるんでああり ますよね一元さんすごく入りにくいんだと 思うそうなイメージがねだからねお客さん も初めた頃やっぱりねこう男の人が多かっ たんですよやっぱバのりとかやっぱり いかつそうな男の人多かった今はね カップルで来られる方とか夫婦で来られる 方がねうんうんうんうんやっぱり増えまし たね女性でもウスコブーツ入ってる方増え ましますもんね結構ねはいそうそれもまた かっこいいんですよ女性が生いたらはい はいはい女性が履きこなすとねまたねああ いうヘビーなブーツを女性が自分の スタイルで入っこなすそれスカートでも ありですしそうですねジパンでも めちゃくちゃかっこいいしええ僕のこれは 僕の勝手な個人的な意見なんですけどね はい女性ってやっぱり流行をすごく意識し てうんえマシーズン買い替えなきゃいけ ないマシーズン買う靴みたいなうんうんの だったりあとはすごくなんて言うですかね スーパーブランドに名前に弱い部分が うん以前は強かったと思うんですけどはい 最近の若い女性の方々ってはい靴に関して は他のことはよくわかんないです周りに あんまり若い女性がいないんであの靴に 関してはみんないいものを長く履けるもの を買おうっていううんうんうん話をすごく 聞くようになったんですよあそれやっぱり ライトニングの影響もきそういうのね やっぱりあとはやっぱり付き合ってる彼氏 がそういうのが好きとか旦那さんが元々 ずっとそういうのが好きでうんうんはい はいそういう話を聞いてるとかええうん うんでなんかすごくねあのいい靴が欲し いっていう声をあのうちの社員なんかも 含めて うんうんすごく増えましたねあそれはでも 変わったなと思っていいことですね やっぱりこうえいいものをこう長く使うっ ていうのはねはいもも日本文のね底にはね あると思うんでうんそうですよね本来は そこか日本の文化だったんですよねなんか 忘れちゃってるところが僕なんかもあるん ですけれどもそううんええだ使い捨ての 文化じゃなくっていいものをこう長くえ はいりこう使い続けるっていうああ使う ほどやっぱ愛着が湧いてっていうのがね へえ確かに日本の職人さんの道具なんかも そういうものが多かったりとか大事なもの

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09:18 ゲストトーク 
ライトニングやクラッチマガジンの統括編集長である”親方”こと松島睦が音声のみでお届けするラジオ番組。毎回ゲストを呼んで業界内の知られざる話や、若かりしころのアメカジ昔話などで盛り上がる。

#radio #podcast #wesco

1 Comment

  1. 早くて安くて見た感じが上手いことが良しの価値観が優勢の世の中で、ブランドのポリシーを貫くのは困難も多かったはずですが、お話一貫して楽しそうだなぁと思う。。すごいことですよね。毎回言いますが、このラジオは若者に聞いてもらいたいです。

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