【ゆっくり解説】藤沢市母娘ら5人〇害事件の犯人の末路が…

こんにちはゆっくり霊夢ですゆっくり魔 理沙だぜ今回は藤沢市親ら5人丸い事件を 紹介していくぜこれは3つの事件で5人の 命が奪われた事件の総称で犯人は藤制覇と いう男だこの男が1人で3つの事件を 起こしたのあしかも3つの事件で逮捕され た後にカメラに向かってVサインするなど 全く反省していない態度も話題になったな 何人もの命を奪ったのにVサイってそのふ って一体どういうやつなのでは今は藤沢市 親5人丸外事件の詳細と犯人の藤制覇に ついて深く掘り下げていくぜそれじゃ ゆっくりしていって [音楽] ねまずは1つ目の事件の横浜事件から話し ていくぜ富と被害者の男Aは少年院で 知り合った仲間だったんだAは1981年 3月に少年院を対処して自宅近くの空調 設備の会社の配管校として働き始めていて 藤は2ヶ月後の5月に少年員を対処した後 Aの社員量に転がり込んで同じ会社で働き 始めるようになった少年員での出会いって 悪い予感しかしないよねでも藤が来た直後 から2人はまたひったくりなどの犯罪を 始めてしまい結局藤が働き始めた5日後に 2人とも会社を辞めて社員量を出た後は ひったくりでいたお金でアパートを借りて 2人で住み始めたAAはせっかく仕事に ついていたのに藤と再開したことで悪の道 に再び戻ってしまったのねそうだなちなみ にここからAの命を奪うまで2人は計8件 総額145円の窃盗を起こしているそんな によく捕まらなかったわね藤は反抗には かなり慎重な人間でターゲットを あらかじめ決めて計画を立てたり証拠を 残さないように行動していたんだだから 捕まらずに反抗を続けることができた ひったくりって行き当たりばったりかと 思ってたけどそうじゃなかったのねそう して2人で盗みを続けていた1980年8 月5日の夜Aは藤島の財布から20万を 盗んで逃げてしまうんだ突然どうして当時 Aは丸物の密売もしていたんだけどそこで 70万から80万円の借金をしていた らしいそれで藤からお金を盗んでしまった のね怒った藤は実家に隠れていたAを発見 してAとAの母親に10月5日までに 20万円を返済しろダメだったら母親が 月々5000円返済することと要求して 映画丸物の売買で稼いだ7万円を奪って いった消費者金融で無理やり借金させよう ともしたがその時に映画知ったくりのこと を警察に実施したらお前もおしまいだと 言い出したから裏切ったAを消すことを 決めるんだなるほどお金のトラブルから罪

をばらすと言われてAを消すことを計画し たのねあその後藤島は狂気の小型や包丁丸 タイを焼くためのガソリンなどを用意し たり反抗後に身を隠せるアパートを借り たり準備しながら返済期限の10月5日 まで待ったが映画お金を返済しなかった 一応返済期限までは待ったのねそうだなで も返済がなかったから10月6日の深夜に Aの家に向かってAを見つけた藤が問いた 出すとAわ金を返す気はない今までの反抗 を警察にばらすぞと言ってきたんだお金を 返済するどころか脅してきたわねここで 内心激怒した藤田が何かと口実をつけてA をバイクに乗せると一気のない畑に連れて 行った後持っていた包丁で脅してうつ伏せ になるよう指示してガソリンを背中から かけたそれで火をつけのあでもその日は 小雨が降っていたこともありうまく日が つかなくもたもたしていたらAが逃げよう としたため藤島はAの足を刺して逃げられ なくしたその後暴れるAを落ち着かせる ために俺が悪かった医者に連れて行って やると油断させて小刀でめった差しにして 命を奪ったんだひどいわねその後藤は現場 から逃走明け方に通行人が倒れているAを 発見し警察に通報した藤は逃げた後はどう したのAの上着に入っていた現金 1万7000円を抜き取って服をコイン ランドリーで洗うとビニール袋に詰めて 駅前に捨てたひったくりと同様に証拠隠滅 にも抜かりがないわねそうだな狂気も川に 投げ捨てて包丁を買った紙袋も捨てようと バイクで走っていたな日の夜10時頃交通 違反で捕まってしまうんだそうなのそこで Aの事件についても追求されたのああ事件 前に藤がAを追いかけ回していた目撃情報 があったことからAの事件についても 取り調べを受けてるんだけどその時は結局 証拠不十分として釈放されている証拠隠滅 した後だったものねもしそこで藤島が逮捕 されていたらその後の2つの事件は起こら なかったのよねそうだなじゃあ次は2つ目 の事件について話していく [音楽] ぜ次は2つ目の事件の藤沢事件だこの事件 が起こったのは横浜事件から2ヶ月半後の 1981年11月20日だ藤はナパする ために高校の近くで下校時間に女子高生を 物色していた1人の命を奪ってるのに堂々 としてるわね証拠がないから簡単には 捕まらないと思ってたのかもしれないな そして同級生と自転車で帰宅していた当時 高校2年生のBさんを藤島がナパしたんだ その時に藤島は偽名を名乗って自分の父親 は社長で金持ちだと嘘をついてBさんから

自宅の住所や電話番号を聞き出した偽名を 使ってるってことは一応警戒はしてるのね そこから1週間後藤からAさんの家に電話 が来て2人は12月15日に熱海の遊園地 にデートに行くことになったちなみにこの 時のデート台は全て藤島が出している 金持ちだってアピールしてたんだもんね きっとひったくりで稼いだお金だったん でしょその通りだぜでもそのデートでA さんは藤島と会わないと感じたらしい そんなことを知らない藤島は12日後の 12月27日Bさんに会いにアポなしでb さんの家に行くとBさんはなんで急に来る のよと怒って藤を帰らせたんだAさんの 態度で藤は脈がないって気づかなかったの かしら全く気づかなかったらしいぜその後 大晦に2人で出かける約束をして藤はB さんに告白したんだけどBさんは他に好き な人がいると断ったんだそれでも諦めない で交際を求めるとBさんはあんたなんか 嫌いとはっきりと拒絶したふは付き合える と思っていたけどAさんに全くその気は なかったのねそれでも諦めきれない藤は 高校や自宅に電話したり下時間を狙って 校門の前で待ち伏せするようになったが 同級生に守られるように下行していたB さんに声をかけることができずにいた藤島 の行動を同級生にも相談して守ってもらっ ていたのかもねそうだろうな直接話すこと を諦めた藤島はaさんの家に電話をかけて 電話に出た父親にAさんにお金を返して もらえてないからお父さんが代わりに返し てほしいと話したんだでも父親は藤の話を 信じなかったから今度は直接Aさんの自宅 に行って父親と話したんだ藤はaさんにお 金を貸してたのいやこの時のお金とは熱で 使ったデート代のことだぜデート台を返 せって言ってきたのああBさんはデート台 は借りたんじゃなくて奢ってもらったと 言ったが父親はこれ以上関わりたくないと 考えて藤にデート台を聞いた上で 3000円を払ったこの時に藤はうちの娘 とはもう付き合わないでくれと父親に念を されているこれで藤はBさんを諦めたの いや島はその後もBさんのことを諦めきれ ずに電話やいたずら電話を繰り返したりB さんの自宅で金を返せと騒いだんだ自宅に 来た時は父親が警察に通報するぞと怒鳴る と藤は逃げていったらしくこの出来事が きっかけでBさん一家の丸がを決意する ようになる完全なストーカーによる逆恨み ねそんな時藤は少年員仲間で当時19歳の 少年Cに偶然で会うCは施設から脱走して きた犯罪で食べていくと言っていてその日 以降藤はしと行動を共にするようになる

そうだったのねある時藤がしにBさん一家 を襲計画を話すとCは計画に賛同して反抗 に協力することになったそして事件当日の 5月27日の夜8時頃シと藤島は新聞屋を 語ってAさんの自宅に突入したんだ夜に 新聞屋さんが来るなんて不審だと思わ なかったのかしら実はこの日の日中に本物 の新聞屋が集金に来ていて母親が不在で 新聞台を払えなかったその新聞屋が集金に 来たと思って疑うこともなくすんなりと ドアを開けてしまったそうだったのね玄関 のドアが開くとしと裏に隠れていた藤は家 の中に突入して玄関の鍵をかけて電話回線 を切断したその後自宅にいたBさん13歳 のBさんの妹Bさんの母親を刃物で丸いし たんだBさんの父親はいなかったの父親は 反抗時間から30分後に帰宅して3人の丸 タイを発見しているぜ帰宅したら妻と娘 たちが襲われていたなんてっていたたまれ ないわねそうだな藤島たちはその後 タクシーで藤島の実家に行って服と靴を 変えるとひったくりなどであらかじめ用意 しておいた30万円を持って電車で逃走し たその後は西に逃走して反抗寺に来ていた 服は大阪や兵庫で処分しながら博多まで 移動したんだ逃走資金を用意してたりと 今回も用意終冬ねそうだなそして事件の2 日後の5月29日に博多駅に着くと福岡 市内の旅館や深夜営業の大人向け映画館に 1週間ほど滞在たこの逃亡生活中に3つ目 の事件が起こるん [音楽] だ最後の事件は尼崎事件だこの事件の被害 者は藤沢事件で共犯だったCだ一緒に逃亡 してたしの命を奪ったのどうして裏切られ たからだ藤はCもAのようにいつか裏切る んじゃないかと疑っていたそこでCを試す ために財布をポケットに入れたまま ネタ振りをしたところCは財布を盗もうと したんだああやっちゃったわねが持ってい た小刀をCに突きつけると藤と一緒にいる のが嫌になったとしが行ってきたらしい そこで藤島はCの命を奪おうと決意した そっかじゃあそこで襲ったのいやCを襲 機械を狙っていたが福岡ではタイミングが なくて兵庫県崎市に移動した6月5日に 結構したそっか怒りに任せて襲うんじゃ なくてちゃんと証拠を残さないようにした のねそうだなまず強盗に入ると嘘をついて 夜9時頃近くのマンションに入ったその 屋上へ行く階段の踊り場で背後からCに 小刀を突き刺したんだ刺されたCは慌てて 階段を降りて逃げようとしたが藤間に 追いつかれてしまい滅多差しにされて命を 奪われた滅多差し前の事件の時も思った

けど人の命を奪うことに躊躇ない感じが 恐ろしいわよね裏切られたら容赦ないと いう感じだな藤はその後逃走して午後時 45分頃マンションの住民がCを発見して 警察に通報したことで事件は発覚したこれ が3つの事件の概要なのね3つの事件で藤 はかなり計画的な反抗をしてるように 見えるけどどうやって逮捕されたのじゃあ 次は藤が逮捕された生殺と裁判について 話していく [音楽] ぜ藤沢事件と尼崎事件は事件現場の状況が 似ていたことから同一班の反抗として捜査 されていたんだ現場の状況が似ていたって 具体的にどこが似ていたの丸外方法と狂気 だ藤沢事件も尼崎事件も小刀でめった差し にされて小刀は被害者たちに刺さったまま だった狂気を残して逃げているの計画的な 藤島なのに意外ねこれも藤の計画だったん だぜそうなのああ狂気を持って逃亡した方 がリスクが高いと判断してあえて狂気を さしたままで逃げているもちろん狂気に 指紋は残してないんだぜそうなのね藤はC の命を奪った次の日にタクシーを乗り継い で名古屋に行って新しく服を購入すると 帰り地を浴びた服をコインランドで選択し て捨てた事件の後の藤の行動が冷静すぎて 怖くなってくるわこの辺りの行動も事前に シミュレーション済みなのかもしれないな その後電車で東京に移動してきたんだけど この時点で所持金はほぼ尽きてしまった ため公園にいた手配しに仕事を紹介して もらい翌日から埼玉の建設現場に住み込み で働くようになったいつもならお金が なくなったらひったクリア盗をしてたのに どうしてここではしなかったのかしら警察 の目を恐れてたからではないかとれてるぜ そっかなるほどね埼玉で仕事をしている間 藤島は家族や少年院時代の仲間に何度も 電話しているんだ電話どうして仲間への 口止めと情報収集それと金を借りるためだ 警察が来ても余計なことは言うなと釘を さすために電話したのねそうだなでもこの 電話が逮捕の決め手となるんだそうなの ああ3つの事件に関して藤島は重要参考人 ではあったけど決定的な証拠は出てい なかったでも少年員代の仲間の父親が事件 のことを警察に話すな話したら一家を皆ま 氏にすると藤から電話がかかってきたと 警察に通報被害届を出したことで警察は 脅迫容疑で藤の逮捕場を請求できたんだ そっかなるほどね藤は他の仲間にも電話し ていて埼玉県内にいることが分かっていた そこで埼玉県内を徹底的に操作していたら 藤がいた作業院宿舎の近所の貸店で藤島に

似た男が旅買い物に来るという情報を得た 目撃情報が出てきたのねそうだなその過 し点で警察が張り込みを始めると何も知ら ない藤が貸店に来店してきて尼崎事件から 9日後の6月14日に逮捕されたんだもし 藤が仲間に電話しないで逃げ続けてたら 逮捕はもっと遅れてたかもしれないわね そうだな逮捕された藤は当初反抗を全面 否認していたんだけど追求していくうちに 容疑を認めて実況したことでマジ容疑で 改めて逮捕したそれでやっとマジ容疑で 逮捕できたのねでそこから裁判はどうなっ たの1982年10月から始まった裁判で 藤島は目標して弁護側は脅迫容疑で逮捕さ れたのに別件で取り調べを受けた丸人の 自白も強制拷問によるもので証拠にはなら ないと無罪を主張した自白はしたけど裁判 では無罪を主張したのねちなみに目秘権や 自白の共用を訴えたのは藤が以前から六方 前書呼んだり少年時代の仲間から得た知識 を利用したためだと言われてるぜ六方前書 呼んでたの犯罪のための準備はすごいわね その後の裁判で藤は新犯人は他にいて自分 は無罪だと話したり容疑を一貫して否定し ていたが1986年3月の裁判でいきなり 5人の命を奪ったことを全面的に認める 発言を始めて弁護側も無罪ではなく上場 借料を求めるようになった急にどうしたの おそらくこのまま行くと系は免れないと 判断して方向転換したのではと考えられ てるぜそそっか最悪な事態は免れたいと いう思いだったのねそれと裁判が進むに つれて藤島がじまる未遂をしたり異常言動 や幻聴を訴えたことから弁護側は長期の 交流で精神障害を起こしている可能性が ある仮に精神疾患があれば自白は無効だと して裁判所に精神鑑定の依頼をしたでも藤 自身は日が立つに連れて反抗を公開する ようになったと話したため裁判長は精神 官邸の依頼を却下したなんだか藤と弁護側 の発言がずれ始めてる気がするわねそうだ な実際にこの時弁護人は藤島が何を考えて いるのか分からないと言っているし藤島も 弁護人を変えてほしいと訴えていたから 弁護人と藤の考えが違ってきたのかもしれ ないなそっか最終的に判決はどうなったの 1987年11月の休憩後半では検察は系 を休憩後側は無罪で仮りに有罪だとしても 無期懲役が相当と主張したが1988年3 月の判決では検察側の休憩通り直系判決と なった5人の命を奪ってるんだもの当然だ と思うわ裁判長は直系判決の理由として 横浜事件で証拠不十分で釈放されたことで 完全犯罪に自信を持ち藤沢事件を計画した 稀に見る凶悪残酷な反抗で磨って短絡的な

同機にの余地はないとした確かに裁判長の 言う通りだわ藤はその後控訴したのああで も控訴新直前になって藤が突然もう助から ないから構想やめると言い出したんだ じゃあ構想取り消したのいやそれでも控訴 心は始まったんだけど後半が進むたびに 控訴やめたいと言って弁護側に説得されて たらしい本人が控訴したくないって言う ならやめちゃえばいいのに実際に1991 年4月には控訴取り下げが提出されてるぜ じゃあこれで経和確定したのねいや弁護側 が再度最新請求をしたんだ藤島は判決の ショックによる精神障害があり控訴 取り下げは無効だという弁護側の主張が 通って最新は始まったんだけど結局最新で も極刑が覆えることはなくて結局2004 年6月15日に藤の極刑が確定している 最後まで弁護人と藤島のずれがすごかった わね藤島は今も服役中なのいや2007年 に経画出行てこの世にはいないそうだった のねちなみに藤といえばVサインが有名で 今でもその映像が残っているんだけどV サインああこういう場所から裁判所へ移送 される時に報道カメラを向けられた藤は車 の中から笑顔でVサインをしてるんだこの 他にも平定後や大底する時に膨張石や報道 カメラに向かってVサインをしていて そんなことをしているから反省してないと 思われるんだと裁判長にも注意されてる 笑顔でVサインっていうのが藤の異常さを 物語っている気がするわ小さい頃から こんな感じの性格だったのじゃあ最後に藤 の追いたちと藤の家族について話していく [音楽] ぜ藤島制覇は1960年8月21日に 神奈川県で生まれた生まれてしばらくは 両親に可いがられて育ったが6歳の時に妹 が生まれると両親は妹を出来合いするよう になった特に母親は藤島の教育は父親妹の 教育は母親という取り決めをして藤島に無 関心になってしまったらしい完全に愛情が 藤島から妹にシフトしたみたいねそうだな 寝ている妹を藤島が起こしてしまった時は 激怒した母親が藤島を縛って押入れに 閉じ込めてたりしていたらしいそれって またいじゃないのそうだな妹が生まれる までは普通に愛情を注がれていたのに妹が 生まれてからは母親の愛情は全て妹に注が れるようになってしまったそこから藤の 精神は歪んでいったと考えられているそっ か父親はどんな人だったの父親は親戚の 会社で働いていたが次第にギャンブルに はまって借金をするようになって母親がお 金を渡すのをしると暴力を振っていた らしい父親もひどい父親だったのねただ

子供は好きだったようで藤も父親には可愛 がられていたみたいなんだそうなのああ 藤島が小学2年生の時に学校のジャングル ジムから落ちて大怪我をしたんだけどその 時父親は寝ないで看病をしてくれたらしい この出来事は藤にとってかなり印象的で 少年院で人生で最も嬉しかったことを聞か れた時にこの出来事を話していた悪い ところはあったけど子供にとっては良い ところもあったお父さんだったのかもね そうかもしれないな小学校に入った藤は 勉強もせず同級生とトラブルを起こして 保護者に連絡されることもあったでもそこ で藤の母親はトラブルの原因が息子にある にも関わらず息子の言うことだけ聞いて 学校にも抗議していたんだ藤間には無関心 だったののにクレームには行くのねすると 藤は何をやっても母親が守ってくれると 思い込み問題行動はどんどんエスカレート していったそして小学4年生のある日同級 生の女の子の方に鉛筆を突き刺す事件を 起こしてしまう怪我もしてるし言い逃れ できないわよねそうだなそしてこの事件 以来母親は藤島の訴えを一切信じなくなっ てしまうんだ学校から何か連絡があっても ニなり役なり好きにしてくださいと全く 関与しなくなったあれだけ学校に講義して た母親があ母親の後ろ立てが亡くなったふ はクラスメートからさらにいじめられる ようになってふという名前からもじった トンマという名前でからかわれたりモップ で叩かれたりといじめはどんどん エスカレートしていったかってくれる人が いなくなっていじめがひどくなったのね 母親に丸2体と助けを求めたが母親は藤の 言うことは全く聞かなかったそれにしても 母親も極端よね母親は当時では珍しい高頭 女学校を卒業していてかなり頭が良い女性 だったらしいでも気がものすごく強くて 父親の実家ともうまくいかなかったんだ頭 が良くて気も強いと自分の考えが正しいっ て気持ちが強かったのかもしれないわね そうだなちなみに制覇という名前は母親が 古典文学から取った名前だと言われてるぜ 名前も自分でこだわってつけたり生まれた 時は愛情持って育てていたはずなのに妹が 生まれたことで愛情のほ先が変わって しまったのね母親の愛情がきちんと藤島に 注がれていたら藤の人生は変わっていた かしらどうだろうな少なくとも母親の極端 な性格や行動は藤島の性格に影響している ことは確かだろうな中学校に入るといじめ はさらにひどくなって藤丸スカイが同級生 で作られたりかなり厳しいいじめがあった らしい藤マルスカイひどすぎるわ成績も

かなり悪くて中学生活のほとんどの通知表 は1だったただこの頃から両親と藤島の 関係性が変わっていくんだ藤島は中学卒業 するから家庭ない暴力をするようになった んだけど体の大きくなった藤を両親は制御 できなくなっていただから両親とも藤島を 放置するようになったんだもう手に負え なくなってきたのね中学卒業後は進学せず 自宅の近くにある自動車部品工場で働き 始めるが3ヶ月で退職その後父親の会社に 口利きをしてもらったり他の職場でも働い たがどれも長続きしなかったそして食を 点々としている中で窃盗に手を染めていく んだ藤の盗癖はこの頃から始まったのね そうだな警察にも何回も逮捕されていて 成人するまでに度々少年員送りになって いる少年院にいる時は家族の面会は ほとんどなく仮隊員をする時の手続きも 家族が拒否してなかなか進まなかった らしいここでも両親は無関心というか放置 だったのねそうだなちなみにここでの少年 員生活でAとCに会っている1981年5 月に少年員を退院した時藤は21歳だった んだけど両親からの受け入れを拒否され 公生施設に行くことになったその時には すでに大胆な完全犯罪をするという野望を 持っていたと言われてる公生施設にはどの くらいまでいたの1日で脱走してるぜ1日 で脱走して自宅に戻ったんだけど家族に 拒絶されたことでAのところに転がり込ん だんだここで横浜事件の最初につがるのね あ横浜時見は少年員を出てから半年後の 出来事だ両親にはことごとく拒否された 人生だったのねそうだなでも藤は ひったくりで稼いだお金を持って時々実家 に帰っては10万から20万円ほど渡して いたらしいそうなの両親に受け入れを拒否 されてたのにどんな心境だったのかしら俺 は稼げるんだということをアピールし たかったのではと言われてるぜなるほどね もしかしたら自分に無関心だった母親に 認められたい気持ちもあったのかもしれ ないわねそうだなでも母親は横浜事件の時 警察に藤島のありいを聞かれて事件当時は 家にいたと藤を庇う証言をしているし藤が 交流されていた時唯一面会に来ていたのが 母親だったらしいそうなんだ自分で放置し ておきながら息子をかったり面会に行っ たりするなんて正直母親の気持ちは全く 読めないわ藤もそんな母親に翻弄された 1人なのかもしれない なということで今回は藤沢市親子5人丸が 事件について解説したぜどの事件も人に 裏切られたって思いが恨みに変わったのね そうだ

ただBさんの事件は一方的に裏切られたと 思い込んで反抗に及んでるし裏切られても 人の命を奪っていいことにはならないから な確かにそうねみんなの意見や感想などが あれば是非コメントしてくれると嬉しいぞ よかったらチャンネル登録や高評価も よろしくお願いしますでは今回はここまで 最後までご視聴ありがとうございました

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21 Comments

  1. 横浜ドリームランドのパチンコ屋でナンパした女の家で見ていたテレビに藤間のニュース。女が「藤間君って悪い人じゃ無いよ」って言うから尋ねたら、藤間の前カノだった (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

  2. 藤間の生い立ちや生活環境には同情せざるを得ませんが、やったことは許せませんし、警察の車の中や法廷でVサインしたことに、反省の欠片も見受けられません。

  3. この犯人 犯罪を犯して 気が晴れたんだろうか?もし 私の息子が
    同じ犯罪を犯したとしたら 抱きしめて 抱きしめた後 この手で 殺めるかも。

  4. 藤間の生い立ちなんかはどうでもいい
    女子高生の家族、殺めることには極刑が等しいとおもいます
    藤間が、極刑になって安心しました

  5. こいつのやったこと(特に畑一家・岸殺害)は許せねぇけど異常とも言える家庭環境や悲惨な生い立ちには同情を禁じえないよな。俺の年下のダチは藤間と似たような生い立ちでいくつか共通点が多い。けどダチは藤間よりも比較的恵まれた環境だったから藤間みたいにならなかったけど一歩間違えたら藤間みたいになっていたと思うと怖いわ

  6. やっぱり父親ガチャはその後の人生に影響を与えると分かる。
    犯罪まで行くのは少数だろうけど。
    イジメをしてた人間も同罪だね。

  7. 小学校入学あたりまで両親に可愛がられていたなら、勉強をしなかったり問題行動を起こしたり、学校生活のスタートで失敗したのは本人の責任だと思う。

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