総集編】この子らが何をした…犯罪者からも蔑まれる凶悪犯達<子供を狙った事件>

[音楽] 2004年栃木県小山市で幼い兄弟の行方 が分からなくなる事件がありましたある 大人たちの大な言動や振る舞いなどが子供 たちを悲しい結果に導いてしまった事件に ついて追っていきます事件は2004年9 月11日栃木県山市に住む幼い兄弟2人の 行方が分からなくなったことがことの 始まりとなってしまいました行方が分から なくなったのは当時4歳の小林か君と弟で 3歳のは君です2人は当時40歳の小林 泰典さんの次男と3なでふ3人は小山市の 知人男性のアパートに老をしていました この老先の知人男性は当時39歳の下山 明広で彼が兄弟を連れ出した後兄弟は家に 戻ってこなかったのです行方不明から2日 後未成年者誘拐の容疑で逮捕されたのが 下山でしたそして逮捕翌日の13日になっ て山は兄弟を川に投げ落としたと恐るべき 事業を始めたのです一体なぜ下山は幼い 兄弟を川に投げ落とすなどという教皇を 働いたのでしょうか下山は栃木県小山市の 裕福な家庭に生まれ経済的に不自由する ことなく育ちましたただ恵まれすぎた環境 は時に人を飛行に走らせることもあります 下山がまさにそのパターンで中学生の頃 からタバコやシナーに手を出し無面許で バイクを乗り回すなど放題であったよう です高校新学後も生活態度が変化すること はなくそのまま卒業を迎えています卒業後 は父親が経営する建設会社に就職し 1990年頃からは取締り役を務めていて 学生時代からは一変したかのような環境で あったようですそして結婚して子供にも 恵まれましたが約1年で離婚をしています 直後には別の女性と交際をし始め1995 年には再婚をしました 相手の女性も再婚で連れ子がいましたが 下山との間には一難一女が生まれています 夫婦なは良行で下山も小煩悩であったこと もあり家族で幸せな生活を送っていました しかしそんな幸せな生活に限りが見え始め ます会社の経理を1人で担当していた下山 の母親が高いし父親と下山で会社を経営 するもあっという間に経営が悪化して財産 を失ったのですその後の2002年には 下山は産業廃棄物処理の仕事をしていまし たが不法登記を犯して上役3年執行猶予5 年の判決が言い渡されています執行猶予 つきの判決とはいえこの出来事が転落の 始まりで夫婦中を冷え切らせるにも十分な 出来事であったようです2003年には 離婚が決まり子供の真剣を巡って夫婦感で さらにみができてしまうのです最終的には 下山になついていた実施の娘とその弟は

下山の元で育つこととなりましたそんな 下山親子のとろに後に居ろすることとなる のが小林さんとその息子兄弟だったのです 実は下山と小林さんは学生の頃からの 知り合いでかつて2人は揃って暴走族に 所属していたことがありました当時の下山 は先輩に当たる小林さんのことをあん ちゃんと呼んでいたそうですただ当時は 先輩後輩の立場が2人の間には明確にあり 上下関係がはっきりとしていましたつまり 下山はちゃんである小林さんに全く頭が 上がらない関係であったのです先輩として 下山より強い立場にありかず君と斗君の 父親である小林さんに関してですが小林 さんは高校卒業後には塗装校として真面目 に働いていたそうですただ小林さんも下山 と同じく一度結婚をしていますが結局は 離婚にいりその後再婚をして3人の息子が 生まれています長男にはわずかながら知的 障害がありましたが次男と3は顔立ちで 夫婦自慢の息子たちであったようですただ 三男が生まれた頃から小林さんの仕事に 対する向き合い方が変わっていったと言い ます気分によって仕事を休む日があり収入 が安定せず経済状況が悪化していっていた のですそんな状況に耐えかねた妻は子供 たちを残して家出押してしまいますこうし て小林さんも2002年に再度離婚が 決まり3兄弟全員を小林さんが引き取る ことになったのですただどうしても手が かかる長男だけは実家に預け次男3難は 小林さんが責任を持って育てることとなり ましたしかし日中に仕事で外に出る父親に とって幼い兄弟の世話をするのは困難で しかありません実家の方も小林さんの母親 が仕事をしながら孫である長男の世話を することになったため生活は破綻していき ましたこのような状況もあり結局2003 年7月に兄弟は児童用語施設へ入所する こととなりましたただ小林さんは子供たち との生活を望んでいて施設から一刻も早く 引き取りたいという思いがあったようです 生活環境を変えてでもその思いを実現さ せようとした小林さんは元妻の兄のつで 東京で働くことを決意しますそして元妻と も復縁すれば施設も子供を引き渡すと考え 元妻を説得しました小林さんの元妻には 復縁の意思はなかったようですが小林さん の説得に折れたのか2人で自動相談所に 報告したことで子供たを引き取ることにも 成功しましたそして実家から長男も 呼び寄せて家族5人で状況して再スタート を切ることとなったのですただ小林さんに とって東京での仕事はクロの連続であった ようですそれに加えて独身男性が他に2人

住む量での共同生活を強いられることに なり家族5人でクラスには厳しい環境で あったのですこの環境に耐えることができ ず元妻は再び子供を置いて地元のへと帰っ てしまいました頼れる人が近くにいない 場所で子供3人を父親1人で育てるのは 無理としか言いよがありません小林さんは 2004年6月まで東京で働いたものの 経済的にも厳しくなったことで山市の実家 へ戻ることになりましたただ実家にいたの は体調を崩した母親と母親の再婚相手でし た小林さんはこの母親の再婚相手との 折り合いが悪かったため長男だけを実家に 預け6月順には次男と三南を連れてある 場所に向かいましたその場所こそが しばらく前に再開し連絡を取っていた下山 の家だったのです先輩である小林さんが 子供を連れてしばらく置いてほしいと頼め ば後輩で頭の上がらない下山は了承する しかありませんでしたただ23日なら構わ ないがそれ以上は勘弁して欲しいと伝えた そうですしかし一方で小林さんが下山から 家に来たらいいうちにも子供がいるから気 にしないでいいと言われたそうですこの 段階ですでに話の食い違いが生じていて そんな曖昧な約束しかできていない関係性 で共同生活がうまくいくはずがありません でした下山にはこの時小学生となった娘と 息子がいて昔の裕福さとは無縁の生活をし ていましたそこに小林3人が転がり込む3 日経っても出て行くどころか規制するかの ように偽ったのですその偽り方は常識とは 駆け離れていたようで下山の娘は近所の人 に次のように話していたそうです小林兄弟 が好きかって部屋を荒らすお父さんが壊れ かけた扇風機を使っているのにおじちゃん はクーラーを1日中使ってお金も払って くれない下山はエアコンのある部屋が1 部屋しかなかったようですがろの身であり ながらその部屋を小林フが選挙していたと いうのですそこは日当たりも一番いい部屋 でしたがその部屋を使用しながら小林さん は家賃も高熱費も支払わにいました影響は 子供にも出ていて下山の娘は自分の家族の 分だけでなく小林不の家事もこなしていた そうです下山親子にかかるストレスが相当 なものとなりましたが下山自身が先輩で ある小林さんに逆らうことができません そして同居開始から1ヶ月が経つ前に下山 はそのストレスを幼い小林兄弟へとぶつけ てしまうのですそのことに気がついた小林 さんは行し下山に対して裁を加えています 小林さんは自分の大切な子供を傷つけられ たのですからここで警察に届けてたり下山 の家から出て行けば良かったはずです

しかし小林さんはどちらの対応も取らず 下山の家に居り続けました実は2人は再開 してから何度も違法薬物を使用していた ようで後ろめたい秘密で繋がっていたの ですどちらも経済的に余裕がない中違法 薬物を使っていたことで警察に連絡が できる状況にはなかったのですただ大人が 苦手な理由で警察に連絡はできていなくと も小林兄弟の異変に周囲の人は気づいてい ました2004年7月8日には小林兄弟が 近所のコンビニに姿を表した時店長が兄弟 の顔の傷や体が痣だらけであることに気が つきましたこれを見た店長が警察に連絡を したことによって小林兄弟は自動相談所に 保護されることとなりましたその後父親が 迎えに来ましたが子供たちは実家で暮らす ことを条件に引き渡されたと言いますその 約束通り小林フはしばらくは実家で過ごし ていましたがなぜか8月には再度下山の家 に戻ってきていますそして再び始まった伊 老生活が最悪の事態を引き起こしたのです 事件が起き始めることとなった2004年 9月11日この日は近くの教会で長青面の イベントが開催されるため下山は自分の 子供と小林兄弟を連れて出かけました12 時には子供たちが帰宅しているのを小林 さんは確認していましたがその後昼寝をし ていますそして15時頃になって息子たち がいないことに気がついたのです18時頃 になっても帰宅せず心配した小林さんは 下山の携帯電話を鳴らして息子たちがどこ にいるかを訪ねましたしかし下山は一緒に いないと答えるだけでその後に幼い兄弟 たちが帰ってくることはありませんでした 実はこの下山の答えは嘘でありこの時小林 兄弟は下山と一緒にいました嘘をついたの は小林さんに制裁を加えられると恐れた ためでしたこの日下山はイベントから帰宅 してしばらくすると一緒に連れて行ってと せがむ自分の子供と小林兄弟を車に乗せて 外出しました下山はガソリンスタンドに 立ち寄り給油や戦車車内清掃などをしてい ましたがここで小林兄弟の弟斗君が騒ぎ 始めてしまったのです下山が注意をすると 君はおじさんうるさいよと反抗をしてきた そうです小林節の身勝手な領でストレス まみれの下山はこのは君の反抗に凄まじい 怒りを感じたのです下山は小林兄弟を ガソリンスタンドのトイレに連れ込むと そこで手をあげてしまいました小林兄弟に は下山につけられた痕跡がくっきりと残り 兄弟の痛たかし姿を見てようやく我に帰り ますしかし下山がここで真っ先に思ったの は兄弟への謝罪や治療をどうするかという ことではなく小林さんにばれたら自分がお

なじめに合わされるという恐怖心でした 以前に下山は小林さんから今度兄弟に手を 上げたら激しい制裁を加えると警告をされ ていましたそのため自分が制裁を加え られることはもちろん娘や息子にまで危害 が及ぶかもしれないことを危惧したのです そしてどうすれば手を上げたことを隠し 通せるか考えていた時小林さんから兄弟の 居場所確認の電話が入ったのですとっさに 一緒にいないとを告げましたがこの嘘も バレれば無事では済まないはずですそこで 下山は制裁を免れるべくなんと小林兄弟が 今後見つからないように始末してしまおう という驚きの思考に行きついてしまったの です始末する場所として思いついたのは かつて仕事で行ったこともあって土地感の ある山市内を流れる思い川でした思い川は 水深が深く流のため川に息して流して しまえば発見されないだろうと考えたの ですこの恐ろしい計画を立てていること など知らない車内の子供たちは下山が目的 地に向かう道中で全員が眠っていました 思い川にかかる橋に到着すると下山は眠っ たままの兄弟を車から下ろしそのまま1人 ずつ5m下の川に投げ落としたのですこう して自分のしでかしたことを隠した下山 ですがすぐに誘拐容疑で逮捕されることに なり反抗を自強することとなりました今日 を元に警察が思い川を捜索したところ9月 14日に弟のは君が9月16日には兄のか 君が代わり果てた姿で発見されましたこれ により下山は9月17日に殺人容疑でも再 逮捕されることとなりましたまた逮捕後の 調べで違法薬物使用についても明らかと なっています下山のしたことは事件に至る までの兄弟への集を考えても避難されて 当然のことでありますただこの事件では 下山以上に避難されたのが被害にあった 兄弟の父親である小さんでした最初に 見つかったは君が発見されると小田さんは 会見を開きましたが子供に対する愛情が 全く感じられないものであったのです しかもその時点ではまだかず君のアンピは 不明でしたが父親はかず君がすでにこの世 にいないと決めつけた発言をしていたの です最愛の子供の生存を最後まで信じない 態度はこうもつ親の考えとしては信じがい ものでしたそれに白をかけるように9月 30日には父親の違法薬物使用も明らかと なり逮捕される結末を迎えています下山の 方は2005年9月8日の裁判で死刑判決 を言い渡されています暴行され眠っていた ところを突如暗闇の急流に投げ込まれた 苦痛や恐怖さ測り知れないとしての判決 でしたこの裁判では小林さんを始め児童

相談所警察など多くの大人が関わりながら も最悪の事態を防げなかったことは惜しま れるともされましたそしてこの死刑判決を 不服とした下山は控訴をしましたがこの 裁判は思わぬ形で集結を迎えます控訴心が 始まるのを待っていた2006年6月4日 下山は風をこじ出せ罪を償うことなく東京 高知所で息を引き取ったのです小林さんを 恐れ子供を生きたまま橋の上から川に 投げ落とすという反抗の末に幼い兄弟が命 を落としたというこの事件ですがあなたは この事件で責任を負うべきは誰だと感じた でしょうか確かに下山の反抗は決して許さ れることではありませんが下山もこう持つ 親であり自分たちの子供を守りたいという 気持ちがあったのだと思いますそんな中で 小林フが王兵な態度を取れば怒りたくも なりますし我慢に耐えかねていたことも 理解ができますこれを表すように世間から は小林さんが下山の家に若者がで居ろをし 始めたことが事件の引き金となったと見る 声が上がっています父親たちが我がの可い さで子供たちの本当の幸せを考えなかた ことが事件の原因の1つになったことは 間違いありませんこの事件を受けての社会 的影響は大きくこれをきっかけに子供虐待 帽子を目指すオレンジリボン運動という ものも始まりました苦しむ子供を1人でも 減らそうとした活動が今現在も続いてい ますそして兄弟の供養のためにと思い川の 堤防には兄弟自蔵が置かれボランティアの 協力もあってこの悲劇は語り継がれてい ます同じような悲劇を2度と起こしては ならないと大人たちに強く訴えかけた 悲しい事件の1つとなってい [音楽] ます2005年広島県広島市で下校途中の 女の子が突如行方不となりました心配する 家族にもたらされた残酷な報告と明らかに なった反抗の卑劣さに怒りしかわかない 事件について追っていきます事件は 2005年11月22日15時頃広島県 広島市秋区の空地にあったダンボール箱 から女の子が発見されたことで発覚しまし たすぐに女の子は病院に搬送されましたが 16時頃に帰らぬ人となってしまったの です女の子の胸には名札がついていて身元 はすぐに判明しました発見されたのは近隣 の小学校に通う当時7歳で1年生の木下 愛里ちゃんでした発見された11月22日 ありちゃんの通小学校では来年の入学者を 対象に実施される修学事件診が行われる 関係で児童なは午前事業を終えた後に全員 が下行をしていましたしかしありちゃんは 一向に帰宅せず心配した母親が自転車で

通学路を探し回るも見つからなかったの です不安に思いながら娘の帰宅を待つ中 突如警察からアイリちゃんの不法の知らせ がもたらされた両親の気持ちは計りしれ ません病院に駆けつけた両親は代わり当て た姿の娘を前に泣き崩れるしかありません でした朝に元気に投稿して行ったはずの ありちゃんに一体何が起きたのでしょうか ご前授業を終えたアイリちゃんはいつも 一緒に下行する友人が相対をしたためこの 日は12時35分頃に1人で下校をして いったそうですただ同じ方向へ帰宅をする 同級生の男の子から声をかけられたりする などしていて途中までは普通人で歩いてい たようですしかし学校から500mほど 離れた場所でありちゃんが同級生たちと 別れて1人で歩いている姿が目撃されたの を最後に行方がえてしまいましたそして ちゃんは家につくこともできずダンボール 箱に入れられた状態で空地で発見されるに 至ったのです発見時のダンボール箱の蓋は 閉められた状態であったそうですダン ボールは家庭用ガスコンロの梱包用のもの でその中にアイリちゃんは口をテープで 塞がれ膝が折れ曲がった状態で入れられて いました紺色のジャケットに灰色の スカートといった制服などは身につけてい ましたが下には前後が逆で靴下は左足のみ 吐いていましたまた発見当日の22頃には ダンボールのあった空地から400mほど 離れた駐車場の植込みにゴミ袋に入れられ たランドセルなどが発見されました地方 開方からアイリちゃんは首を閉められた ことにより窒息で命を落としたことそして 事件に巻き込まれたのは13時から14時 の間であると判明しましたさらに腰から下 には何者かによって手を出されたと思わ れる傷跡が複数確認され方には涙の後も あったそうですわずか7歳の女の子が恐怖 に怯えなが命を奪われていったという目を 背けたくなる事実が明らかとなったのです 警察は捜査本部を設置し犯人大保に向けて 捜査を開始しましたまずアリちゃんの下校 が12時35分以降であることを確認し 同級生と分れたのが12時50分前後で あることも分かりました地方解剖の結果を 踏まえても下校途中に1人になってから あまり時間を置かずに事件に巻き込まれた ことが推察されました24日には反にされ たダンボールが東広島市の両店で販売され た家庭用ガスコンロのうちの1つである ことが特定されましたさらに翌25日には ガンボールに使用されていたテープから 指紋を検出しありちゃんの衣服からは犯人 のものと見られる汗も検出されましたこう

して重要な手がかりを掴みながら操作を 進める中ついに両半転でガスコンドを購入 した客が割り出されましたこの購入客が ペルー国籍のホセマヌエルトレスヤという 男で事件現場の近所に住んでいることが 明らかとなったのですさらに事件当日の 11月22日12時50分頃このペルー人 の補の家の前にある石団である光景が目撃 されていましたそれは石団に座った南米系 外国人男性と赤いランドセルを背負って 灰色のスカートを履いた女の子が向き合っ ている光景でした南米系外国人男性は ペルー人の補と考えて不自然はなくこの 女の子はみから発見されたアリちゃんと見 て間違いありませんでたこうして土地感が あり事件前後に不審な行動があることから 捜査本部は息の容疑で補に逮捕上を出して おいましたがその時すでに補は行方不明と なっていましたそのため11月29日に ホセを全国に指名手配して翌30日早朝に 三重県鈴鹿市の地人宅にいたところで身柄 を確保し逮捕しました補容疑者はペルーに 妻とアイリちゃんと同年代の長男長女を 残し2004年4月にピサロホセフアン カルロスという名を使って来日をしてい ました不法入国後には自動車関係の仕事に つきその後に人材派遣業の会社で経理の 仕事をしていましたしかし日本語での会話 が満足にできなかったことから最終的には 代謝するに至っていますそして事件の約1 ヶ月前に現場近くのアパートに引っ越しを してきていて1人暮らしを始めていました 事件直後には捜査員がポセの自宅に 聞き込みに訪れていて地図で空地の位置を 確認した時にが分からないふりをして日本 語が不自由なそりを見せていたと言います 逮捕後の取調べでは反抗時刻には現場周辺 にいなかったガスコンロは購入したが ダンボールは事件前に捨てていたと教し 事件には無関係であると出張をしました しかし身柄を広島に移相されそこで 取り調べが行われるとついにアリちゃんの 事件について実況をし始めたのです補正 容疑者は自宅前をたまたま通りかかった アイリちゃんにスペイン語でこんにちはを 意味するオーラなどと挨拶をして言葉を かしたそうですその直後に自分の欲求の 趣くままアイリちゃんを自宅へと連れ込ん で手を出した上その発覚を防ぐため首に手 をかけるという最悪の手段を選ぶに至った のです反抗後は動かなくなったアイリ ちゃんに服を着せガンボールに入れて黒色 ビニールテープで梱包した後自転車で近く の空地まで運んで息をしましたそれから 一旦自宅に戻り今度はランドセルなどを

空地に捨てようとしたものの近くに人がい たことから離れた駐車場に捨てたと言い ますこうして反抗の証拠隠滅を測った後 ポセはタバコを購入し同じアパート住む 親戚と一緒に買い物をしています買い物 から帰宅しった後にはコーヒーを飲んで 料理をした後に今でテレビを見るなどして 過ごしていました何の罪もない女の子の命 を奪っておきながら波食ぬ顔で日常発を 送っていたのですしかも捜査段階でせは ありちゃんと話をした際に命を奪えという 悪魔の声が聞こえてきたなどとも教をして いましたそして裁判でも補は反抗について 悪魔に言われたなどと語り命を奪うつもり もなく設目的でもなかったと述べました こうして弁護側は新身喪失もしくは新身 攻略状態だったと出張をし無罪を求めたの です一方の検察側は性欲を満たそうとした 反抗で借料の余地がなく米国で残忍な反抗 だとして死刑を休憩しました実はポは母国 のペルー国内でもにわって未成年に対する 犯罪で告発されていたことを認めていた ため検察は補に犯罪成功があるとしたの ですしかしベルムでは取り調べを受けた だけで有罪判決となったことが一生されて いないため裁判では全科なしとして扱わ れることとなり両系を決めるための資料に は持ちいないとされましたそして2006 年7月4日の判決後半では補に無期懲役が 言い渡されました悪魔という教は罪から 逃れるための言い訳で責任の力はあると 認めたものの被害者数が1人であり反抗に 計画性がないなどとしての判決でしたこの 判決を受けて双方が控訴しましたがこの後 裁判は複雑な経過をたどることとなりまし た2では一新判決を審理不十分として判決 を破棄して差し戻しとなったのですこれに 弁護側が彫刻し最高裁では2進判決を破棄 したことで交際に差し戻しとなりました やり直しにとなった交際では2010年7 月28日に一新判決が不当とは言えないと して無期懲役を言い渡した一新判決を指示 し双方の控訴を棄却しましたこの判決に 対して双方とも上告しなかったため ようやく補の無期懲役が確定となりました 裁判の中でアリちゃんの父親は何も悪い ことをしていない幼い子供を平気で暴行し 必要な人間を絶対に許すことができません と訴えており一新判決を前にした6月26 日には記者会見で次のようにも述べてい ましたアイリは声を出すと殺されると思い 涙を流しながらも暴れなかった何も悪い ことをしていないから暴行が終われば返し てもらえると思ったのでしょう性的暴行は 拷問に等しい犯人は2度命を奪ったのです

またアイリちゃんと仲の良かった弟はどう やったら生き返るのと言っていたそうです この言葉に母親からアイリちゃんは星に なったんだよと教えられると弟は昼までも 空に星を探すようになったと言い わずか7歳の女の子を恐怖のどん底に 突き落としその反抗の卑劣さから家族を 一層苦しめたこの事件2011年3月には ありちゃんが通っていた小学校で同級生の 卒業式が行われ終了後には母親にあり ちゃんの卒業証書が渡されました母親は 卒業証書を受け取りながら涙ぐむ様子も 見せていてアリちゃんが同級生たちと一緒 に卒業できたという嬉しさと共に悔しさも あったはずですあなたは犯人である補に 下された判決の両系についてどのように 感じたでしょうかなぜ被害者や遺族ばかり が悔しい思いをしなければならないのか 改めて現在の法体性や仕組みに対して声を あげたくなる事例です命を奪う行為は当然 ながら相手を侮辱する行為によって心にも 体にも傷をばせる教行が紛れもなく凶悪 犯罪でありより一層厳引く処罰されるべき だと強く訴えかけた事件の1つとなってい ます 1996年沖縄県名市で女子中学生が拉致 された上さらに命を奪れました類を見ない 凶悪事件の犯人の捜索とその裁判に多くの 人が注目した許しがい事件について追って いきます事件は1996年6月21日19 時5分頃沖縄県名川の合道で女子中学生が 拉致されたことが始まりとなってしまい ました拉致されたのは当時15歳の中学3 年生の美香さんで部活から帰宅している 最中でした美香さんは途中まで一緒に帰宅 していた友人と別れ1人になったところを ワンボックスカーに乗る男たちに打ちされ てしまったのですこの卑劣な犯罪を実行し 後に逮捕されることとなったのは逮捕当時 38歳の柳末森と37歳の上野正という 2人の男たちでしたこの2人は一体なぜ 女子中学生をターゲットに教皇を働いたの でしょうか犯人の1人であるには鹿児島県 種ヶ島出身で中学校卒業後は地元を離れて 愛知県名古屋市で就職し鉄工職として整形 を立てていましたその後公安作業員に転職 をしましたが仕事に関して問題はなく順調 に日々を過ごしていたようです1979年 頃には結婚をし3人の子供にも恵まれてい ます仕事もプライベートも順調でその後も 家族と幸せな生活を送るかに思えました しかしそんな柳にはパチンコ小月で多額の 借金を抱えているという大きな欠点があっ たのですこの借金返済のために柳は自家用 者を売却するなどしましたが家出をすると

いう困った行動も取っていたのですこの 困った行動はその後改めることもなく柳は 1992年のある日に突然家れをしてから は家に戻ってくることはなかったと言い ます一向に戻らない柳に愛をつかしたツは 訴えを起こし後に離婚が成立することと なります一方で妻を放っておきながら 彷徨う生活を送っていた柳は1996年1 月から沖縄での生活を始めましたただ沖縄 に来たもののすぐに職探しに動くわけでは なく那覇市内の公園などでホームレス生活 を送っていたようですそこで日雇いの建設 作業員を斡旋していた人材派遣会社に声を かけられたことで柳は建設作業員として 働き始めましたこの職場で出会ったのが後 に柳と共に犯罪を犯すことになる上野で ありました上野も柳と同様に公園にいた ところを誘われて建設作業員になってい ます上野は北海道波市の出身で4人兄弟の 末っ子として生まれ育ちました中学時代の 上野は人付き合いを苦手としていて先輩と の関係をうまく気づけなかったことから 部活も半年で退部してしまうような人物で あったそうですそんな上のも中学卒業後に は北海道を離れ愛知県内の運送会社に就職 をしていますさらには結婚もして子供も 生まれ空満々な生活を送っているかのよう に思えましたところが上野は突然会社を やめ1995年3月から沖縄での生活を 始めたのですこうして似通った共通点も ある2人は仕事現場は別々ではありました が会社が用意した宿舎では同質で次第に 仲良くなっていったそうですただ2人が 打ち解けていくのと対象的に務める 建設会社の景気は悪化の一途をたどってい ましたついには会社は実の倒産状態にまで 追い込まれ給料の支払いも滞ってしまった のです働いても収入が得られなければ会社 側に不満を抱くのは当然のことでした柳と 上野も会社の経営者に不満を抱くように なりついには退職を決意することになり ますただ2人は素直に退職を選んだわけで はありませんでした1996年6月14日 那覇市にあるホテル駐車場に止められてい た建設会社社長の所有する白いワゴン車を 盗んで姿をばせたのです車を奪った2人は 車を国神軍国神村の戸崎近くにある宇海岸 へと走らせましたなんと2人はワゴン車を 利用してナパをしようと考えていたのです ただこの日はナパが成功することはなかっ たため2人はここで社中泊をしています6 月19日には2人は常用者のダイヤを砂浜 にはめてしまった観光客の夫婦を助けに 入るなどして1日を過ごしていましたこの 助けた夫婦はプレとしてビデオカメラで柳

と上野を記念撮影していたと言います そしてこの日柳は上野にとんでもない話を 持ちかけたのですそれは1人でいる女性を 拉致して乱暴するという最低最悪の計画 でした海岸を訪れる女性を見かけたこと から女性をターゲットとした犯罪を企んだ のですこの柳のとんでもない申し出を上野 も了承し2人は相談の上計画をさらに具体 的に立てていったのですまだこの時は女性 に乱暴した後で女性の命を奪うことまでは 決めていませんでしたただ目的を達した後 には命を奪うかもしれないと漠然とながら 考えていたと言いますさらには後に狂気と なる長さ約2mの紐もこの頃に海辺で拾っ ていましたガソリンスタンドでの給油も 済ませ着々と反抗に向けて手はずを整えて いったのですその間にも2人はターゲット となる女性を物色していましたまた ターゲットにする女性は抵抗されてもで 抑え込めような少女にしようと決めていた そうですそんな計画を立てた2人が事件 当日にいたのが孫の中学校の校門付近でし た校門付近に車を止め女子生徒を物色して いた姿は複数の生徒に目撃されていて不審 がられていましたこの不審な姿を目撃した 生徒たちの話では車に乗っていた人物は頭 に剃り込みを入れた怖そうなお兄さんで あったそうですそして中学校から出てくる 女子生徒を確かめていた2人に目をつけ られしまったのが美香さんであったのです 美香さんは両親と兄弟がいる5人家族で 仲良く生活をしていました美香さんは 真面目で成績も優秀で困っている人には手 を差し伸べる優しさも合わせ持つ評判の 生徒であったと言われていますまた動物が 好きで獣医になる夢を抱いていたそうです そんな美香さんは所属している バレーボール部の練習をいつもより早く 終えてユニフォーム姿のまま自転車に乗っ て友人と共に下行するところでした校門を 出た美香さんは通学路の途中にある小さな 橋の多元で連れ立っていた友達と別れまし たこの時のじゃあまたしたという何気ない 挨拶が友達とかわした最後の言葉となって しまったのですこの時友人と自転車で下行 する美香さんたちを柳たちはワゴン車で 尾行をしていましたそしてこの友人と彼 1人でキロについた美香さんを待ち伏せた のですそんな恐ろしい男たちが巻き替えて いることだと知らない美香さんがワゴン車 の横を通りすぎよしたとで柳と上野は ワゴン車から降りましたそして美香さんに 名の市街地にはどう行けばいいのなどと 何気なく道を訪ねるふりをしたのですみか さんは困っている人を放っておけず親切に

対応する人柄ですまたこの声をかけられた 場所は美香さんの自宅まで約600mほど の距離でちりに明るい場所でもありました 道を訪ねられたかさんは自転車を止めて男 たちに道順を伝えようとしたのですしかし その瞬間に柳と上野が本性を表しました 2人は悲鳴をあげるみかさんをはじめにし てワゴ車に無理やり押し込んだのです さらには事件発覚を送らせる時間稼ぎの ため美香さんの乗っていた自転車をすぐ そばの川に投げ捨てましたこうして2人は あっという間にみかさんを拉致しワゴン車 で走り去っていってしまったのです人通り の少ない能動での反抗で自転車も川に 投げ捨てていたことから柳たちはラチは そう簡単には発覚しないと持っていたのか もしれませんしかし事件が発生した6月 21日はちょうど下しに当たる日で拉致さ れた時間の19時5分頃はまだ日が高い 時間帯でありましたさらには美香さんの 悲鳴を現場から50mほど離れた場所に 住む男性が聞いていました男性はすぐに外 に出て悲鳴の聞こえた方角へと走り少なく とも2人の男が乗るワゴン車が走り去るの を目撃していたのですワゴン車は美香さん らちした直後軽自動車と衝突しかけいて この軽自動車のドライバーがワゴン車の 最後の目撃者でありましたダチと逃走の 瞬間を目撃した男性は19時9分に100 登板通報をしています警察は通報内容から 一刻を争う次回だと判断し通報から3分後 の19時12分には近隣の警察署に緊急 配備の指令を出し25分には配備を完了し ています名から南に抜けるポイントで検問 を実施してワゴン車を捉えようとしました しかし柳と上野はこの警察の捜査網を買っ ていました警察が重点的に検問を始めた南 方向ではなく北方向へと逃走していたの です北側の見本は反抗現場から約10km 離れた国道の1箇所しかありませんでした しかもワゴン車は国道をもスピードで北上 して逃走していたのです緊急配備を実施し てもワゴン車は北側の検問が始まり前に すでに検問地点を突破していましたまた この緊急配備が行われていた時県南部の方 でも別の事件が発生していたという タイミングであったそうです当然その県南 部で起きた事件にも捜査員を向かわせ なければならず白いワゴ車の捜索に当たる 捜査員の数が限られていましたこうした 悪運の強さからワゴ車は検問に引っかかる ことなく沖縄本島の北端に位置する国上村 方面へとワゴ車を走らせていましたそして 拉致から約1時間後の20時頃国が未戸の 人のない指導に車を止めて嫌がるみかさん

にしたのです2人はこうして欲求を満たす とこの反抗の発覚を免れようと今度はミカ さんの命を奪ってそれを隠す決意を固め ましたそしてさらに一目につきにくい林道 へと車を移動させたのですワゴン車を移動 させると再び2人は美香さんに乱暴して 挙げ句さらに財布の中身を奪いました柳と 上野は比々にも美香さんの何もかもを奪っ ていったのですみかさんは男2人に襲われ とてつもない恐怖にも襲われていたはず ですがそれでも懸命に逃げるタイミングを 測っていましたその一瞬の隙が21時30 分頃に訪れておりミカさんは走って車から 逃げ出していたのですしかし成人の男2人 に追われて逃げきることは叶わず再び 捕まってしまいました柳は逃走を測った 美香さんに首を閉めることを言い放ち海で 拾っていたロープを取り出しましたそして ロープをミカさんの首に巻きつけロープの 片方を上野に握らせたのですさんは自分が 何をされるか悟り涙を流しながらいきもを したそうですしかし散々卑劣な行為をして きた柳と上野がこの命乞いを聞き入れる ことはありませんでした2人はロープを 引っ張り合いみかさんを帰らぬ人にして しまったのですしかし卑劣な行動はこれで 終わらずさらに続きます動かなくなった 美香さんも2人は国がミソソのさ中の崖下 へとガードレール越しに投げて生きをした のです行現場は地元民でもほとんど入る ことがなく造林関係者など限られた人しか 立ち入らないような場所でありました そんな場所にみかさんを残し2人はミカ さんの制服や教科書などが入ったリュック サックなどは行現場から虹に800mほど 離れた場所に捨てていましたそしてワゴン 車のナンバープレートを取り外し反日の夜 は国神村宇の砂浜で車中泊をしました翌 22日朝2人はワゴン車を近くの戸崎付近 の王道まで移動させ取り捨てました車を 乗り捨てたことで移動手段を失った2人は 歩きながらヒッチハクをして名島で戻って くると市内の公園で一泊しました23日 からは徒歩で何かして沖縄市内の公園で2 泊しましたがここで事件が公になり捜索が 行われていることを知ったようです警察 から逃れようとさらに歩いて何かして26 日からは浦添市の公園で野宿をしていた そうです一方で警察は夏事件として操作 本部を設置し反抗車両の特定と聞き込み 捜査などを行っていましたワゴン者が検問 に引っかからなかったことから犯人は沖縄 本島の北部の捜査網にいると考えて北部を 重点的に捜索していたのですただ北部には 森林地帯が多く捜索は難行するばかりでし

た拉致を目撃した男性の証言によって逃走 車両が白いワゴン者であることは分かり ましたが犯人の正確な人数や民党年代など までは残念ながら分かりませんでした ワゴン車と衝突しかけた軽自動車の ドライバーも犯人の人証やナンバーなど までは覚えておらず目撃情報にも限りが あったのです手がかりが少なく犯人像も 絞り込めない中で始まった捜索活動ですが 事件発生翌日の22日7時から警察官 180人に加え学校関係者や住民200人 が捜索に参加していたそうです美香さんの 保護第1とし無事であることを信じて捜索 活動が行われていました24日には鹿児島 県警から応援のヘリコプターが駆けつけて 上空からの捜索を実施25日からは捜索 範囲を本島中部にも拡大し27日からは 県内全域を捜索対象としました捜査本部も 特別捜査本部に拡強化し県警捜査員の 1/4にあたる650人を捜査に動員する こととなったのですそれでも捜査に進展は 見られず28日15時からは公開捜査に 踏み切りましたが決定的な手がかりは得 られないま月日が立っていきましたただ 警察だけでなく市民も捜索活動に協力し 続けていて7月に開催予定であった名の 夏祭りを中止して美香さんの捜索に全力を 上げる取り組みもされていました知事が 県民に捜索活動への協力を呼びかけること もしていて県全体で美香さんの捜索が行わ れていたのです懸命の捜索が続く中実は7 月5日午前に戸崎近くの農道でナンバー プレートが外れたワゴ社が見つかってい ましたこのワゴ社こそ柳と上野が反に使用 したワゴ者でありましたところが特装本部 が監を行ったものの柳と上野の指紋は採取 されましたが美香さんの指紋や移流品が 見つからず警察はこのワゴン車について 事件との関連は薄いとの見解を示していた のですこのため警察の操作は足踏み状態と なってしまいましたがこのワゴン車発見の ニュースを耳にした柳と上野は焦りを感じ ていましたそれまで一緒に逃走し公園で 野宿などをしていた2人はワゴン車が発見 されて以降は別行動を取り始めていたの ですまたワゴン者は元々2人によって盗ま れたものであり被害届けが出されていまし たその東南者から柳と上野の指紋遺留品が 見つかったことを受けて被害届けを受理し ていた那覇警察署が7月18日にワゴン車 が事件に関与した可能性は捨てきれないと して窃盗4位で2人を全国に指名手配し ました少しずつ警察の捜査の手が2人に 届き始めていたのです別行動を取り始めた 上野は浦添市内の球場付近で生活し日雇

労働で生活費を稼いでいました一方の柳は 沖縄県内を点々と移動しバチンコで逃走 資金を得ると沖縄を出て九州山陽四国へと 移動していきましたただそれでも逃走し 続けるのに疲れたのか12月下旬には出身 地の種ヶ島へと戻っていたと言いますこの 種ヶ島への規制で家族から刑事が調べに来 ていると言われたことで柳はついに逃げ きれないと思い12月28日に出頭したの です窃盗容疑での逮捕でしたがその 取り調べが一段落した12月31日に捜査 員が窃盗以外の余罪を訪ねるとようやく 上野と共謀して美香さんを手にかけ息した ことを実況しました1997年1月1日 早朝から柳を立ち合わせて警察は意したと される現場の捜索に当たりましたそして ついにバレーボールのユニフォームを北 美香さんが発見されたのですただすでに 事件発生から半年が経過していたため発掘 化している状態での発見となり首には狂気 の紐が絡みついたままの状態でありました 美香さんが発見されたことで逃走中の上野 の行方の捜索も本格化し1月11日には 上野に似た男を見たとの通報が寄せられ ましたそこで警察が1月12日に浦添市の 球場を調べベンチで寝ていた上野を発見し たことでようやく逮捕となったのです 1997年4月24日から始まった裁判で は2人は基礎事実を全面的に認めましたが 明かされた反抗内容や双方の教育はひどい ものとしか言いよがありませんでした柳は 美香さんの首にロープを巻いた時に上野に 対して遊び半分でどちらがやるか じゃんけんで決めようと言ってじゃけをし たなどと話をしていたのです上野はこの じゃんけんの話を否定していましたが2人 で何の罪もない女性の命を奪ったことは 紛れもない事実でありましたそして当然の ことながら最後まで美香さんの無事を祈り 続けていた遺族は極刑を望んでいました みかさんの父親は法廷でお前たちは私たち 家族を苦しめるっていう犯罪を今も続けて いるんだお前たちに生きる資格はないと 述べていて母親も娘の苦しみを癒すような 判決をお願いしますと陳述していました 検察側は拉致から息まで2時間半という短 時間の反抗であることからも極めて計画的 で凶悪な反抗であるとして死刑を休憩し ました弁護側は計画性を否定し上場借料の 余地があると主張をしました そして1998年3月17日の判決後半で 柳と上野には無期懲役が言い渡されました 極めて比々非常な反抗で検察の死刑休憩に も相応の理由があると理解を示したものの ばたり的な反抗で構成可能性は肯定できる

として極刑を回避したのです検察側は両系 不当として控訴しましたが1999年9月 30日で控訴は棄却されました一新と同様 に被害者が1名でバータ的な反抗で計画性 が高いとは言いきれないと判断がされたの ですこの判決に検察遺族が落胆した一方で 柳とその弁護士は我々の勝利だと笑ってい たとの話もあります本当に反省し構成の 可能性がある人が取れ行動なのか思わず 疑問を投げかけたくなる話ですそして上告 はされなかったため柳上野の向き懲役が 確定となりました下校途中の女子中学生が 欲望にまみれた男たちにされ命まで奪われ たこの事件困っている人を助ける人の優し さを利用した卑劣な犯罪としか言いよが ありませんそれでも被害者が1人計画的と は言えないとのことで極刑回避となった この判決をあなたは納得ができたでしょう か行現場となった林道脇の斜面には遺族や ボランティアの手で混流された観音像が 静かに立っていて事件を風化させないよう 願われています横島な考えを持つ犯人の手 から誘拐や拉などの心配をしなくてもよく なる世の中になることを願わずにはいられ ない事件の1つとなってい [音楽] ます2014年兵庫県神戸市で女児を狙っ た卑劣な事件が発生しました反抗の計画性 や全科同期残虐性などの市民感覚を反映し たはずの裁判結果に誰もが納得できなかっ た怒りしか湧かない事件について追って いきます事件は2014年9月23日16 時10分頃兵庫県神戸市長田区の雑木林 から不審なポリ袋が発見されたことで 明らかとなりました発見したのは警察で 警察は数日前から行方不明となっていた 小学1年生の女の子の行方を捜索していた ところでありましたこの捜索中の警察が 雑木林の方からする匂いを察知して雑木林 市内を確認したところ不審なポリ袋を発見 したのですそしてそのポリ袋の中からは 捜索中であった女児が代わり果てた姿と なって発見されたのです発見された女児は 当時6歳の小学1年生田みれさんであり ました学校から帰宅した後遊びに出かけた と思われるミレイさんですがその後いくら 待っても帰宅してこなかったのですそして 警察の捜査によってミレイさんが見つかっ た現場の医品などを手がかりに1人の男が 容疑者として浮上しミレイさんが発見され た翌日の9月2日その男は逮捕されました 逮捕されたのはミレイさんが愛されていた 木林のすぐそばに住む47歳の無職木野 泰弘でした木野は気候が目立ち近隣住民 たちからは変な人と噂になっていたような

人物であり過去に別の小学生の女児を 追いかけるなどもしていた人物でありまし た一体なぜミレイさんはこのキノに目を つけられ事件に巻き込まれてしまったの でしょうか逮捕されたキノは1966年 11月に大阪府で生まれています家族は 両親とキノの3人でしたがこの家族は君野 が幼い頃に離散するに至りましたキノが2 歳から3歳の時に両親が離婚し父親に 引き取られることとなったのですまた小学 生になる前には鹿児島県南九州市にある 父親の実家に引っ越していますただ父親は 仕事の関係で大阪に残っており木野は高校 を卒業するまで鹿児島県で祖母に育てられ ていましたそのため親と過ごす時間は 少なく祖母との生活時間の方が長かった ようです寂しい教ではありましたが同級生 などによるとキノは真面目で大人しい学生 でありトラブルを起こすこともなかったと 言います親と接する時間は少なく愛情は ほとんど受けずに孤独ではありましたが 育ててくれた祖母のことは慕っていたよう です親から得られなかった分の以上は 代わりに祖母が注いでくれていました そんな君のは高校卒業おきに育ててくれた 祖母の元を離れ自立に向けて足を踏み出し ました業後の進路は陸上自衛隊で1985 年9月からは宮崎県に配属されていました ただこの自衛隊での生活は長続きせず わずか2年足らずで体感しています体感後 キノは鹿児島県や熊本県の食品会社やパ 工場風俗点の客引きなどの職を経験してい ますつまりどの職も長続きせず職を点々と していたのです定食につかず生活を送る君 のは酒が入ると人生土でもいいなどと こぼしていたと言いますパチンコに時間を 費やし借金も抱えることとなり生活も凄ん でいたようですさらにキノにとって大きな 出来事となっていたのは1992年頃に 祖母を失っていたことでありました先行を 上げに家に訪れていた姿が近隣住民によっ て目撃されており家を出ていても祖母を 慕っていた様子が伺えますただその支えの 祖母も失い食も安定しないキノの生活は 凄み続けていました また時期は不明ながらキノは30代の半ば 頃には結婚もしており少なくとも娘が1人 生まれていたようですただ結婚生活も 長続きせず離婚し娘も母親側に引き取られ てキノはずっと会うこともなかったと言い ますそんなキノが2008年頃に住んでい たのは大阪府西であったようですここでノ はなんと暴力団組員となっていましたただ 組員になったもののノはここでもきしませ んでした組の約束ごとを守らないなどの

トラブルを起こし1年から2年ほどで波紋 となったのです波紋された後には大阪を 立ち移り住んだのは兵庫県神戸市であり ましたここでは風俗店の逆引きなどで収入 を得ていたと言いますしかしここに来ても 手につけた職は長続きせず結局やめて しまったのですこうして職を失った君のが 頼りにしたのは生活保護でありました生活 保護の子宮によって生活を成り立たせてい たのですただそんな状況になっても君のは パチンコがやめられなかったそうです食費 を削ってまでパチンコに金をつぎ込んで おりまともな生活を送るには程遠かった ようですそして住んでいた家でも生活の 荒れ不合が現れていたと言いますゴミ捨て も生ならず部屋はゴミ屋敷とかしていたの です近隣にも悪影響を及ぼすこのアレア から苦情も続きアパートを追い出される ほどでありましたそしてついには窃盗など の犯罪行為に手を染めていくこととなった のです2011年には刑事事件を起こした ことで2013年5月まで服役生活を送っ ています刑務所に習慣される際に受刑者は 知能テストを受けることが定められてい ますがそこでキノには軽度の知的障害が あることもこの時判明していますそのため キノはその後知的障害者に交付される領域 手帳を所持するようになったのですそして 出書 が腰を落ち着けた場所が神戸市長であり ました事件当時に居中していたアパートに は2013年7月から入居していたよう ですまた自宅ではパソコンを使って出会系 サイトに夢中になっていたと言います そんな生活を支えていたのはやはり生活 保護でありここでもキノの生活ぶりは近隣 住民から機械な人であると認識されるほど でありましたノは騒音トラブルを起こし たり毎日酒を飲んで泥酔して近隣と論する などトラブルが耐えなかったのです他にも 下着姿で街中をうろついたり規制を上げる などして嫌な目で注目を浴びる存在でした この迷惑行為と取れる気候の数々は警察に も知られていましたそして警察もその迷惑 行為を受けていた被害者であったのです なんと2013年8月以降から事件に至る まで君のは100等板通報を約260回 繰り返していたと言いますひどいものだと プロ野球の結果を尋ねるためだけに電話を することもあったのです基本的に通報内容 は意味不明なものが多く緊急性のない内容 ばかりでありましたただそんな通報でも 確認などで警察が出動することになったの は10数回にもなり事件の起きた9月だけ でも3回の100登板通報があったのです

幼少期の真面目で落ち着いたことの印象 からは一変するまさに転落していた様子が 伺えますそしてその転落の果てに無関係な 女児を巻き込んだ最悪の事件を起こすこと となったのです運命の2014年9月11 日後に被害者となってしまうミレイさんは 朝体操服に着替え準備を整えると学校に 向かおうとしましたそんなミレイさんに 母親は今日のご飯は何がいいと話しかけて おり何気ない親子の日常会話をかわしてい ましたただこの会話が母親と娘との最後の 会話となってしまったのですこの日ミレイ さんは授業を終えると14時45分頃に小 学校を出ていますそして15時頃に祖母の 家を訪れておりそこにランドセルや体操服 などを置いてから友人の家へと向かいまし たしかし遊ぶ約束をしていたはずの友人は 急遽遊べなくなりミレイさんが1人で近く をうろうろしていたようですこの頃の ミレイさんの様子は防犯カメラの映像や 複数の人に目撃されていました15時15 分頃にはコンビニの防犯カメラお気に入り の日さを持って1人歩く姿が映っており 17時過ぎには自宅から500mほど離れ た公園や高校のグラウンドの前の道を歩い ている姿が目撃されていますただそれ以降 ミレイさんの目撃情報はえていました そして足取りが分からなくなった後に ミレイさんに接触していたのがキノであり ましたキノは偶然にかけた歩き回るミレイ さんの後をつけていたのですそして夕方頃 ノは相手になってほしいとの理由でさんに 話しかけました絵のモデルになってほしい と声をかけ自宅アパートに誘い出したの ですこの誘いかけにミレイさんは乗って しまいキノの自宅へと入ってしまったの ですキノはミレイさんにジュースを飲ませ 自分は焼酎を飲み始めましたただ アルコールが入った君のの未さんに対する 思いは当初の話し手になってほしいから 変わっていましたミレイさんの体に触れ たいという大切な考えが浮かんでいたの ですそしてとキノは自宅にあったビニール ロープをミレイさんの首にかけ意識を失わ せたのですさらには動かなくなったミレイ さんが息を吹き返すことを懸念し無に 向かって包丁を複数回振り下ろし悲劇が 起きてしまいましたこの後にはさらに許し がたい反抗を行っており英利な刃物を使っ てミレイさんを複数に分け神戸指定の ゴミ袋やスーパーのレジ袋などに入れて9 月16日までに近くの雑木林に息をしてい ますこのような斬撃が起きている時ミレイ さんが帰宅してこないことを心配した母親 は親類や友人だとともに近所を捜索してい

ましたしかし発見できなかったため当日の 19時5分に警察署に届け出ています警察 はすぐに動き出したもののミレイさんの 足取りをすぐにはたどることができず緊急 性があるとの判断を下しましたそこで翌 12日には公開捜査に踏み切り使命や 顔写真などを公表して広く情報提供を求め たのですこの警察の捜索中に君の愛してい たと考えられますが雑木林にゴミ袋を運ぶ 様子は近隣住民から特に不審なものとは見 られていなかったようです普段から ゴミ出しのトラブルもありこの雑木林に ゴミ捨てをしていた経緯から普段と同じ 光景と思われてしまったのですそのため 捜査は難行していましたが近隣の防犯 カメラの映像からミレイさんの後を追う ようにして歩くキノの姿を捉えたことで キノは不審人物として捜査戦場に上がって いました警察はを早期にマークし始めてい て9月16日には捜査員が自宅を訪れて ミレイさんの所在確認をしていたのです ただこの時はすでに息も終えており自宅に ミレイさんの姿はありませんでしたキノも 警察に酒を飲んでいただけで何も知らない と答えていたと言いますしかし捜査の手は 確実にキノに近づいていました9月21日 には未名を使って知人と共に神戸市表目の 教会へと行っていましたが礼拝寺の士から の話で罪には必ずさきがあるとの内容に手 を振るわせていたと言います出された食事 もほとんど手をつけず牧師がアルコール 依存なのかと尋ねると静かにはいと答えて いたそうですこの出来事の2日後雑木林 から6つのゴミ袋が発見されうち3つから ミレイさんが変わり果てた姿となって発見 されました袋は何十にもされており雑木林 市内に無さに置かれていたと言います そしてこのゴミ袋の中に大きなな手がかり が残されていましたミレイさんが身につけ ていたと見られるワンピースやサンダルの 他に君の名義の診察権や公共料金の領収書 タバコの吸殻が入っていたのですこの事実 から警察はすぐにマークをしていたキノに 対する任意同校を求めましたこの任意同工 義もキノは泥水状態であったそうですその 後発見されていたタバコの吸殻から検出さ れたDNA型がキノと一致したことが 決め手となり逮捕となったのです 逮捕後の加創作ではミレイさんが行方不 明治に所持していたリュックサックが 見つかりましたまた室内から検出された 微量の血液のDNA型を調べたところ ミレイさんのものと一致したことも確認さ れました生されたゴミ袋からはキノの指紋 も検出されており動かぬ証拠が次々と

見つかっていったのですキノは逮捕後官邸 地を経て刑事責任能力があると判断された ことから殺人と説目的誘拐会息の罪で起訴 され舞台は法廷へと移りましたただこの 裁判が波乱の裁判となったのですキノは設 目的で誘拐した記憶はありませんと基礎 内容を一部否認していました弁護側も誘拐 した理由を話し相手になってほしいと思っ たからとして設目的を否定設目的誘拐罪で はなく未成年者誘拐罪にとまると主張し さらにはアルコール依存症で当日も明定 状態にあったことから意思決定に影響を 与えたとも強調したのです検察側は君野が 事件前に幼女の説動画を見た履歴もあり 性的興奮が高まった状態で反抗に及んだと 主張しました性的欲求を満たすために誘拐 して命を奪ったと断じたのですそして ロープを使って閉めただけでなく最低でも 4回包丁を振り下ろしたことを指摘し残酷 な反抗な上ゴミ同然に捨てたとして避難し て死刑を休憩しましたこの検察側の主張に 対し弁護側は前例と比べても死刑回避が 相当と訴えていますそして2016年3月 18日市民感覚を取り入れた裁判院裁判に よる判決は休憩通りの死刑判決でした当時 被害者1人の事件で死刑と判決が出たのは 全国4例目でありました偶発的な反抗とは 言えず殺は極めて強固と避難し過去に被害 者1人で極刑が下された判決とも比較した 上で生命士の姿勢が区長である場合死刑 選択はあり得るとしたのですこの判決に 弁護側は即日控訴しており舞台はプロの 裁判官のみで審議される交際へと移りまし たそして2017年3月10日この交際で 暮らされた判決はなんと一新覇気の無期 懲役であったのです検察は上告し最高裁 まで争われることとなりましたが検察や 遺族の思いも虚しく2019年7月1日に 上告は棄却となり君の懲役が確定となり ました最高裁では計画性が認められずキノ の生命侵害は全科を含めても本件の一回 のみにとまる計画性が認められず性的被害 も伴わない場合の過去の裁判例と 照らし合わせると直系は選択されてはい ない生命警視の姿勢は明らかだが甚建著だ とまでは言えないと指摘され裁判官全員 一致の意見で上告棄却となりましたこの 判決に落体したのは遺族であることは言う までもありませんさんの母親は代理人弁護 士を通じて次のような内容のコメントを 発表しています娘は理不尽に命を奪われ ました6年しか生きられませんでした裁判 院裁判では長い時間をかけて審理して被告 人に直接質問をして被告人の犯した犯罪の 悪質さや被害の重大さを正面から捉えて

いただきましたその上で事件の残虐さや 被告人の反省のなさを見極めて死刑以外に はないと判断していただきましたその判断 を高等裁判所や最高裁判所が覆してしまっ たのは納得がいきません裁判官は前例を 大事にしているだけで1人の命の重さを 理解していただいていないとしか思えませ ん亡くなったのが1人であれば死刑になら ないという前例はおかしいと思います計画 性がないとか全科がないというのもそれ だけでは死刑にしない理由にはなりません そのような前例だけで判断して命の重さを 直視しないのであれば何のために裁判院 裁判をしたのかと思いますこの悲痛な声に 同情する声は多く最高裁の判断に対して 疑問じする声は少なくありませんでした ただこの判決が玉へと覆えることは残念 ながらもうありませんわずか6歳の女の子 が偶然であった男に突如未来を奪われた この事件あなたはこの事件の詳細を知った 上で君野の反抗は生命士の姿勢は甚し著だ とまでは言えないと思ったでしょうか一部 報道ではミレイさんが家庭で寂しい思いを していてよく1人で外を歩いていたという 情報もありましたが例えこれが事実であっ たとしても命を奪われていい理由にはなり ません事件後現場周辺には防犯カメラの 設置が進み犯罪を防ごうとする動きが加速 したと言います不審な人についていかない よう教え続けることは大切ですが抑止力と して防犯カメラなどを設置して犯人に反抗 をためらわせることも大切ですそして何を 犯罪者は厳しく罰せられることを示すこと も大切なのではないでしょうか特に未来 ある子供が被害者になる事件は多くの人に 影を落とします時代が変わるとともに前例 も変わっていくはずでありその時代にあっ た裁判で正しく厳しく罰せられることを 望まずにはいられないとても納得の行く 判決ではなかった事件の1つとなってい [音楽] ます2004年奈良県で先生の女の子が 誘拐された上に命を奪われました犯人の 遺族感情を逆でる態度と言動に誰もが怒り で震えた事件について追っていきます事件 は2004年11月17日14時頃奈良県 奈良市学園中の路上で女の子が誘拐された ことが始まりとなってしまいました誘拐さ れた女の子は奈良市の小学校に通う当時1 年生で7歳の有山楓さんでした楓さんは 学校からの帰宅途中車に乗った男に声を かけられその車に乗り込んでしまったの ですそして楓さんを誘拐した犯人の男は 当時36歳の新聞配達院小林香でした小林 と楓さん面識は一切なく後に小林は女の子

なら誰でも良かったと教をしていて 行きずりの反抗だったことが分かってい ますなぜ小林は女の子の誘拐などという 最低な犯罪に呼んだのでしょうか小林は 大阪府大阪市の出身で1968年に3人 兄弟の長男として生まれました両親は プロパンガスなどの販売を手がける燃料店 を経営しており父親はしつけに厳しい厳格 な人物だったそうです父親は小林や1歳下 の弟が悪いことをすれば暴力をふうことも あったようですが母親がそれをかって仲裁 に入ることも多くあったそうです厳しい 父親そして対象的な優しい母親という両親 の元で小林は成長していきましたそして 小林ににとって母親は家族の中でも特に 信頼できる存在でした人と話すことを苦手 としていた小林は学校でもいじめの標的と されやすく孤立することも多くありました そんな小林に寄り添ってくれる母親の存在 はけがいのない存在であったはずです しかし小林が小学4年生の時に母親が産卵 を妊娠し出産を迎えた時に悲劇が起きて しまいます三男の出産はナザとなり三男は 無事出できたものの残念なことに母親は 帰らぬ人となってしまったのです支えの 母親を失ってしまった小田はその後は父親 と祖母2人の弟との生活を始めることと なります父親は変わらず厳しい性格でした が祖母が可能な限り孫の相手をしていた こともあり小林たちも祖母を頼っていた ようですただ三男が障害を持って生まれた ためどうしても大人たちは三々につか なければならないシチュエーションが多く ならざるを得ませんでしたそのため小林と 次男は放置される時間が多くなってしまっ たのです成長するにつれて父親との衝突も 増え学校でも孤独だった小林は徐々に飛行 に走るようになっていきましたただそんな 中でも小林は生活のために新聞配達の アルバイトをしていました1984年には 私立高校に進学していますが入学語も家計 を助けるためにこの新聞配達のアルバイト は続けていました学業と家計を支える仕事 を両立させながら高校生活を送っていた 小林ですが高校3年生の時にあるトラブル を起こしていますそれはクラブ合宿で鳥取 県に訪れた際に偶然見かけた小学生の 女の子2人とのやり取りの中でトラブルを 起こしていたのですこの頃から小林には 可愛らしい女の子にいたずらをしたいと いう気持ちが強くあったそうですそして 幼い女の子をターゲットにしたトラブルを その後次々と引き起こしていくこととなる のです小林は高校卒業後には大阪市の飲食 店に就職したものの続かず箕市で新聞配達

の仕事へと転職していましたこの職場内で のトラブルはありませんでしたが職場の人 も知らない小林の一面は職場の外で現れて いました1989年12月小林は箕面市内 で5歳の女の子2人との間で起きた トラブルの罪により逮捕起訴されたのです そしてこの裁判の結果小林は懲役2年執行 猶予4年の有罪判決を受けることになり ました執行いう月のため釈放後の小林は 日掛け場は普通に日常生活が送ることが できましたそしてトラックの運転手として 再スタートを切ったのですが小林のジョジ との間で起きるトラブルは収まることは なかったのです逮捕されてから2年も立た ない1991年7月21日にまたも小林は 見知らぬ女児との間でトラブルを起こして います5歳の幼稚園児に近づいたところ 泣かれそうになったため女の子の首を両手 で締めつけたのです この事件で小林は殺人未容疑で逮捕され その他の罪でも起訴された後懲役3年の 実験判決が下されましたこの判決で以前の 判決の執行猶予も取り消されることになり 約4年間の服役生活を送ることとなりまし た仮出所となったのは1995年11月の ことですが4年の服役でも小林の本質は 変わることはありませんでした出所後は各 新聞配達点を点々としラーメ屋などの飲食 店での勤務をすることもあったそうです ただどの職場も短期間でやめてしまい勤務 時間の長さや給料の安さなどの不満を口に していたと言いますそうした小林の考えは 勤務態度にも現れていました遅刻や無断 血筋が多く金の横領などもあり最悪の勤務 態度だったのです小林に対する周囲の評価 は信用できない責任感がない嘘をつくと いうもので褒められたものではありません でした仕事以外でも離婚して子供がいる などという虚言を口にしていた小田は周囲 の評価など気にしていなかったのかもしれ ませんただ幼い女の子に対する執着心だけ は変わらず持ち続けていたのです2004 年1月以降から務めていた大阪の新聞販売 店では4月に小林が約23万円を持ち逃げ したとして被害届けが提出されています5 月上旬から小林は結しており6月からは 滋賀県内の別の新聞販売店に勤務したもの の勤務の悪さから1ヶ月半で解雇されてい ます次に7月から務め始めたのが奈良県の 新聞販売店でしたこの奈良の新聞販売店に は12月末までキグすることになりますが この間にも子供用の下着などを盗んだり 当時6歳の女児との間でまたもトラブルを 起こしていましたそうして出所後も周囲が 危険と感じる行為を繰り返していた小林が

ついに取り返しのつかない事件を起こすの です2004年11月17日小林は職場の ストレスやパチンコによい散在での イラつきからジョジとの間でトラブルを 起こしたいと考えるようになっていました 10時頃から車を運転してターゲットと なる女の子を探していきましたそこで偶然 見かけたのが学校から帰宅途中だった楓 さんだったのです小林は1人でいる楓さん をターゲットに決め車を止めて楓さんに 近づきましたそしてどうしたん乗せて行っ てあげようかなどと話しかけ楓さんを警戒 させないよう言葉巧みに車に誘導していっ たのですこうして楓さんを車に乗せて 連れ去ることに成功した小林は忘れ物を下 からと話して車を自宅へと走らせます小林 の自宅マンションへと到着すると今度は 荷物を運ぶのを手伝って欲しいと楓さんに 頼み込みますこれを聞き入れた楓さんは 小林の自宅へと足を踏み入れてしまったの です自宅で楓さんは算数の宿題に手をつけ ていてうまく問題を解いていく様子やそれ までの会話の受けから小林は楓さんが しっかりした子であると認識しましたそこ で小林はこのまま楓さんを自宅に返せば親 に話をされてしまい警察に捕まってしまう と考えたのですそこで小林は目的を果たし たら命を奪うしかないととんでもない考え に至ってしまいました15時頃に宿題を 終えた楓さんを小林は今度は風呂場へと 誘いいたしますそこで小林はトラブルと なる行動を起こしますが楓さんは拒否反応 を示したことから湯舟に沈められて帰らぬ 人となってしまったのです楓さんが誘拐さ れ命を奪われたことなど知りよしもなく 家族は楓さんが帰宅しないことを心配して いました17時過ぎには一向に帰宅しない ことを不審に思った楓さんの母親が小学校 と警察に相談通報をしていましたしかし 両親や学校関係者などが周辺を捜索するも 楓さんは見つからず時間だけが過ぎていっ たのです一方の小林は自身の目的を果たし たとアリバイ工作のためにキング先に 出向き行きつけの料理店にも足を運んでい ました自宅に戻ってからは動かなくなった 楓さんに対してさらに楓さんを傷つける 行為にまで及んでいましたその後楓さんの 所持していた携帯電話に娘を暗示た母親 からの着信が入りますその電話で動揺する 母親の声を聞いた小林はある考えを 思い浮かべたのですそれは世間を騒がせて やろうという願大欲求でした小林はその 欲求を満たそうと動かぬ楓さんの姿を撮影 し娘はもらったとの一分にその写真を添付 して母親にメールを送信したのですさらに

は自分の携帯電話にも写真を転送していて その写真は行きつけのスナックで店員打に も見せていました離婚した妻との間に同年 の娘がいるから心配たなどとにっぺながら 写真を見せていたようですが周囲はそんな 小林の態度から犯人ではないかと疑ってい たそうです小林は世間を騒がせる目的と 今後腐敗していくであろう遺体を処理 しようと夜のうちに楓さんを車で運び出し 22時頃に奈良県駒軍へぐ町の道路速光に 楓さんを生きして逃走していったのです娘 はもらったという恐ろしいメールを20時 頃に受けた母親はすぐに警察に連絡を取っ ていました警察も誘拐事件と判断し楓さん の捜索を行いましたが11月18日の0時 5分頃に発見された楓さんが家族の願いも 虚しくすでに冷たくなっていました警は すぐに特別操作本部を設置しての操作に 乗り出しました地方解剖の結果楓さんの 死因は推しと判明しますが見つかった速攻 に当時は水が流れておらず肺に溜まってい た水は綺麗な浄水であることが判明します そのため楓さんは水道水を張った浴や洗面 機などに顔を押し付けられたことで命を 奪われたものであると判断がされました この教行が行われた時楓さんは服を身に つけていなかったと見れなくなってから服 を着せた痕跡もあったと言いますまた楓 さんの体には本人以外の暴発も付着してい ましたこの暴発を調べると楓さんとは 異なる成人男性のものであることが分かり 本人とは異なるB型の血液も検出されまし たこうして犯人像が徐々に明らかになる中 聞き込みなどからは目撃証言も得られて いきました事件当日に楓さんが不審な男の 運転する車に乗り込むところが目撃されて いたのですしかし代の要求などもないまま 動かぬ楓さんが見つかるという状況から 警察は犯人の反抗目的を絞り込めないまま でしたいくつか手がかりはあったものの 犯人特定まには至らず事件に関する報道も 徐々に減っていきましたこの報道の現象に 不満を抱いた小林はさらなる恐怖を楓さん の家族にもたらすのです事件発生から約1 ヶ月が経過した12月14日レジスに楓 さんの母親の姉から連絡が入ります少し前 に楓さんの携帯電話から着信があったと いうのです父親が楓さんの携帯電話に電話 をすると繋がりはしたもののすぐに通話は 切れてしまいましたしかし楓さんの携帯 電話は破壊されず誰かの手元にあるのは 明らかでしたそして母親が自分の携帯電話 を確認すると1件のメールが届いていまし たそこには次は妹だということだと事件 発生時に送られてきた楓さんの画像さらに

は以前楓さんが家の前で撮った妹の写真が 添付されていたのですこれを見た両親は 不安と恐怖に突き落とされたと言います ただ警察がこのメールを含めた楓さんの 携帯電話からの複数会の連絡記録を解析 するとある事実が判明します次は妹だとの メールを送信する際に犯人は自分の携帯 電話にも内容を転送していたことが判明し たのですまた全て同じ基局経由での発信で あることも分かりエリアをしっての重点 操作を行いました そこから反抗に使用されていた車は緑色の トヨタカローラ2であることやこの車が 当時貸し出されていたことそして車の借主 は反抗尾とされる日は休日でありいが なかったことも判明しましたさらにはその ありいがない人物が飲食店で被害者が移っ た携帯電話の画像を店員や客たちに見せて いたことも明らかとなったのですようやく 警察は周年の捜査の末犯人の小林香に たどり着いたのです警察は12月30日に 小林を任意同行し事情聴取を行いました それと同時に小林の自宅の加捜索も実施し たところ楓さんのランドセルや携帯電話 などが発見されたことで小林はついに逮捕 されました2005年4月18日に開かれ た初後半で小林は殺人強制設騎士脅迫誘拐 に加えこれまでに及んだ別の女児への トラブルや下着などの盗など8件の罪に 飛ばれました検察はそこで小林の教長所を 朗読していますがその内容は反省の気持ち も構成する自信もない早く死刑判決を受け 世間に名を残したいという驚くべきもの でした小林は精神鑑定を受け反社会性人格 障害と診断されました官邸後も裁判は茶番 だと述べ楓さんの両親に謝罪することなく 後半は進みましたそして2006年9月 26日に小林に言い渡された判決は死刑 でした被害者は1人でですが小林の全科と 反抗に際しての計画性があったこと遺族の 処罰感情などから系が下されることとなっ たのですこの判決を聞いて小林はにやりと 笑いナッツポーズを取ったと言われてい ます最後まで被害者と遺族の気持ちを魚で する行動を取り続けた小林は弁護人の控訴 を取り下げ死刑を確定させましたそして 2013年2月21日に大阪高知所で小林 の刑が執行されましたしかし楓が生きて 戻ってくることはありません楓さんは面倒 身のいいお姉ちゃんであったと言いダンス が大好きで看護師になる夢を持つ女の子で あったそうです事件で散々傷ついてしまっ た楓さんの父親はこのような辛い思いは誰 にもして欲しくないと2021年の公演を 引き受けて楓さんの生きてきた道や事件の

再発防止に関して語りました事件直後から は峠工事の子供の安全対策が強化される ようにもなったと言いますまた事件年の 2005年6月からは子供を対象にした 出所者情報提供制度の運用が開始されまし たこの制度は13歳未満に対する正犯罪で 服役した人物の出所予定日や居住予定地 などの情報が法務省から警察に伝えられる というものです子供を守るための仕組みや 制度の見直しなどのきっかけとなったこの 事件小児に対する正犯罪の再犯率は高く 残念ながら身近な犯罪の1つです親が時中 子供たちをことは不可能ですが親自身も 何かしらの対策を講じ社会全体もこれに 答えていかなければならないと強く思わせ た事件の1つとなってい [音楽] ます

この世には人としても最底辺、
さらには犯罪者の中からも蔑んだ目でみられる
救いようのないクズと言える犯罪者がいます。。

00:00    小山市兄弟投げ落とし事件
16:03   広島小1女児殺害事件
26:25   名護市女子中学生拉致殺害事件
46:01   神戸長田区小1女児殺害事件
01:03:47  奈良小1女児殺害事件

世に知られていない事件はまだまだあります..
動画としてまとめるべき事件がありましたら
ぜひコメント欄から教えて下さい。。

■関連再生リスト■
関連再生リスト:【総集編】

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●チャンネルテーマ:
 過去に起きた日本の事件の概要や発生原因・
 犯人の人物像・解決に至った経緯などを
 提供・共有することを目的としています。
 
 また未解決事件が解決に向かうよう
 このチャンネルが一助になれればと考えています。

 事件や巻き込まれてしまった災難事の
 時代背景や経緯・きっかけ・解決方法などを理解し
 今後いつ起きるか分からない身近な事件や・
 凶悪事件の発生防止などを価値提供として
 チャンネルを運営します。

●チャンネルについて:

 動画内であった出来事や事例を視聴者さんに
 推奨・助長する意図やショックを与えるような
 意図および目的は一切ありません。

 動画に使用している画像及び動画は
 <フリー素材>をメインに構成されています。
 シーンや文言に適したものを使用していますので
 その点ご承知おき頂ければと思います。
 
 当チャンネルでは一部有料の画像提供サイトを
 使用させて頂いています。
 ・iStock

 バックグラウンド音源に関しては
 以下のサイトを使用させて頂いています。
 ・YouTube オーディオライブラリ
 ・甘茶の音楽工房

●補足:
 当チャンネルに掲載されている、画像の
 著作権は各権利所有者・団体に帰属します。

 当チャンネルは著作権法第32条(引用)に
 規定される範囲で画像を引用させて頂いております。

 引用をする<必然性>におきましては
 ・未解決事件については解決に向け
  視聴者様の有効な資料・画像として
 ・解決事件については視聴者様が今後
  事件に巻き込まれないための教訓資料として
 記載をさせて頂いております。 

 掲載物において問題がある場合は
 権利者本人様より直接申告をお願い致します。

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#関連再生リストは概要欄を参照 #未解決事件 #真紅の事件簿

20 Comments

  1. AしきSEIHEKIを持つ大人の趣味のために、未来ある少女の人生がKYOUSEI-SHUURYOUされることが繰り返されるなんて。嗚呼、無情。しかしそれでも、判決は加GAI者の未来を優先するアマいものが目立ち。ご冥福を祈念いたします。

  2. 同じサムネ画面に子供達と犯人達の写真並べられることすら気分悪い
    こういう犯罪は更生反省なんて本当に出来るのだろうか

  3. おはよう御座います。今、見ています。幼い子供達が巻き込まれる事件が多いですよね。友人に川に投げ落とす、性的被害で殺される、沖縄県の事件も胸糞悪い事件で崖下に投げ落とすとか、聞けば聞く程どの事件も酷いですね。普通に日常を送っていた子供達が、突然襲われ性的被害にあい殺される、さぞ無念だったでしょう犯人は何食わぬ顔して逃げて行動していたようですが、捕まって良かったと思います。個人的意見ですが、話しの中に出て来た犯人は全員死刑で良いと思います。無期は必要無いと思います。亡くなられた方のご冥福をお祈り致します

  4. 子供に手をかけるとかてか他人の命を奪うとか極刑確定にしてください。

    無期懲役とかマジであり得ない
    命は二度と戻ってこないのよ!

  5. これから先、外国人居住者が増えたら子供に対する性的暴行が増える気がします。
    今でもかなり犯行が目立って来ていますので大袈裟ではないと感じる。

  6. こういう事件の刑は死刑とか無期懲役とかなのに、なんで虐待死とかの刑は数年とか軽いの?
    何年も何年も子どもを苦しめておいて数年で出てくるのは意味がわからない、、、

  7. 無期懲役ってタダで住めてメシが食えて普通に生活できる
    こんなのが刑罰なのか?
    家もない明日の食事にも事欠く人間にはご褒美でしかないだろ

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