【京都で活躍中の三者によるトークセッション】未来の京都のまちをより良くするためにできること

こんなえ さ皆さんこんにちは瀬と申します今日はお 越しいただきましてありがとうございます えっと今日はえっとトークセッションと いうのをえっと2回で行わせていただき ますえっと大体トークがえっと50分 くらいでその後質問タイム20分みたいな 感じでえタイムスケジュール組んでますで 今日なんですけれども えっとえっと3名の方にえっと今未来の 京都の街をより良くするためにできること ていうことをテーマにお話をえっとして いただこうかなと思ってますトセッション なのでまあのえっとセッションまお 話し合い雑談を聞きながらてい方が ちょっと楽しいかなと思ってるのでそんな ピキでえっといけたらいいなと思ってます えっとまずは簡単なんですけれどもえっと 今日登壇してくださる方のえっと自己紹介 僕の方からえっと触りだけさせていただい てご本人の方からえっとちょっと詳しく やっていただけたらなと思ってますえっと ちょっとこちらモニターに出てる順で えっとご紹介していただこうご紹介し ていこうと思いますすいませんはいえっと 1番えっと上からですねえっと西澤鉄夫 さんえですこちらですね株式会社西沢 ステイという えっとえ観光業をえイラでいらっしゃる えっと会社の代表をされてますえっとさん じゃここから先はい己紹介どうぞはいせ皆 様よろしくお願いします の鉄と申しますありがとうござい ますえっとま平は観光葉を中心ですねえお 待の糸宿泊業やあの津京都という宮川町に コキングスペースを運営しながそこに事務 所を置いたりしておりますまた旅商品も 作ったりという形でま観光業を中心にし てる企業でございますのであの本日楽しみ にしてますんでどうぞよろしくお願いし ますありがとうござい ますでは続いてえ川かさ高おじさんですね 株式会社え川活家のえ専務鳥島様ですでは 川さんよろしくお願いしますはいよろしく お願いいたしますえ川総本の川と申します え弊社はですねあの大正6年創業の共 つけ物をしておりましてえその4台に 見習いという形で今え専務という方を いただいて仕事させていただいております えっとまあの生さんとこう待繋いでこう 色々話できたなと話をいただきまして今回 参加させていただきましたどうぞよろしく お願いいたし ますありがとうございますえっと最後 えっと1番奥におりますのがえ当社代表の

西村でござい ますさおはようごい ます ます2020年から9年から代表させて いただいてますえ私ま14年ほど走にいる んですけどあ私は14年ほど生にいるん ですけどま元々私入った時からこう京町屋 の取り組みての始まってましてそれからま あの京町屋をこう旅館の投資器したりとか シェアハウス作ったりとかコキング スペース作ったりとかあのいろんな腰 仕掛けをしながらあの面白いこう活用を 生み出していくことま結構私も企画が好き なんでいろんなことをやってっております 今日はあの楽しく話せると思いますんで よろしくお願いし ますありがとうございますえっとでは早速 なんかあの話を伺っていきたいなと思うん ですけれども今の街をよりよくするために できることすごくなんかあの大なテーマな んですけれども皆さんまあの京都で 先あのま そのとなっているましてることとかをまず ちょっと伺えればなと思ってるんですけも えっと田さんどうでしょう何かあの観光を するはいはいそうですねあの私は元々 サラリーマンの時代が4年ほどありまして さらに今をやめてから独立したのが 2016年ぐらいでま8年ぐらいえ営業し てるんですけどもま独立で最初の方って秋 が全然わからなかったのでどういう商した かわからなかったんですけどもま その町屋の宿泊説を始めた後にこれを 増やし続けると街が壊れるなみたいな実態 験がちょっとありましてでその時にお金は 儲かってもそれが世の中のた7辺になっ たらちょっとちゃうんかなみたいなのが あったんですねなのでまその時気づいたの がま儲けも大事やけど街が良くなるのも 大事やなみたいな気づいたことやったりし たのでまその時からま2016年に機内を 始めさせていいてから2017年とか すごい葛藤があったんですけどまその時 からはま世の中のためにもなるし自分の 会社のためにもなるみたいなまずその 世の中のためになるかみたいなのがまず 大事かなっていうのはえその時はずっと 大事にしていることやったりします ねあの今あのこちらに世のため人のためで 護しっていうのがねになると思うんです けどもうんその中であの結構人に観光を 当ててるような印象がありましてはいなん で人に当ててるのかなっていうのをく 聞ければなと思うですけどねあなんか そのま僕が今35歳なんですけど僕が

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ことを一緒に考えようていう風にしてまし てうんでただこう普段の生活してるとどう してもこう普段の言葉遣い生活とかになっ てしまうんでそうじゃなくてちょっと 背伸びしてうんま1年に1回でええから あの札のついてへん寿司者に行ってみよう やとかうんへえそういうこともま実現 できるかどうか分かりませんでもやった方 がいいよっていう話をしててうん普段うん 贅沢にするんじゃなくたまに贅沢した時に なんかこういう用感ってあるやんかこれを 継続できたらすごいよなとかっていうこと ちょこちょこ言ったりはしてますね めちゃくちゃいい話ですめちゃくちゃいい 話なんか社長そういう の我々もあの札のないお寿司たいんです けどなんかまうちはあの新しい顔する時に これ思ったようにこう成功したら美味しと 行こかみたいな話がありまして過去にこう めちゃくちゃ高い料理屋にこう連れていく 罰ゲームをさせられたこが岡崎のね某某 レストランにねはいそうですねうんきまし たけどねいいですよねそういうのはねそう ですねスカリてやっぱ大事だなと思ってて サさんも他のコワーキンとかなり スタイリッシュだったりとかいろんなあの 要素を入れてらっしゃると思うんですけど そこはうんそういったホスピタリティの面 で何かあの他とは差別化してえっと 好になってくれる呼び込みたいなていう 思いがあるのかなと思んですがいかがです かそうすねあの1つすごい共感するのが あのケモ屋さんのルヴだよみたいな話を ちょっとしてはったことがあってでうちも まその例えるならばこうラグジュアリー ホテルと同じようなこう接客をしたいなっ ていうのでまコギングの料金別に安くいい 料金じゃなかったりするのでいや高い料金 いいてるんだよというのをちょっと やっぱりスタッフにもこう自を持って もらうようにっていうところでまいい店に 行くっていうともなんかそのいい店をこ ここがいい店やでとかっていうのを情報を 提供するもそうですしあランチた行けるよ とかっていうのもそうですしで積極で大事 にしてるのが結構フレンドリーさを大事に はしているのでそういうこう日日の ラグジュアリー的なこう立場の価値観を 自覚は持ちながらもただそのシュッとして こういらっしゃいませと のでとあこんにちはていうようにしようて 言ったんですよあのお帰りみたいなそう いうホスピタルきよて言ってたんですで オプの初日もうちはもいらっしゃらませっ て言わないから絶対いらし言ったあかんん

だけどこんにちはてやでて言った瞬間にお 客さん僕がいらっしゃいませ大でってスタ がしたてあんだけいらっしゃいませ言った 言ってためちゃくちゃ声でいらっしゃいま 言ってみいあったけどまからそそういう 失敗もありましたけど自のずこんにちはて 言ってあのすごくこう温い出迎えでいうの 意はしてますねはい僕らまあの不動産会社 なのでオープンハウスとかするんですよ そん時もあんまりいらっしゃいませて言わ ないことが多いですねそんてことやぱそこ はなんか非共通してるなとフランクな方が なんかやっぱりね繋がってるからいやそう ですよねえそういえばうちってなんであの なんだっけスーツ配信になったんでしたっ けああ深いですね 元々は言ってええのかなあの我々があの不 動産しする時に公務店さんていう顔して 行った方が紹介先の不動産会社の方の なんか立場が守られるっていうのがあって コテの顔して来てくれっていうのでシデの 下身に行くっていうことが多くなりまして ですねなんであのギラギラしたこのスーツ を着ていくよりかはまなんか現場のおっ ちゃんみたいな格好してくるという方が うんうん向こうにとっては都合が良かった らしいですねうんあの仲介会社にとっては でまそこからま僕らとしたらまそういう 過去でもいいんだけどやっぱこう クリエイティブなことしてる不動産屋さ んっていう風に見てもらった方がいいので まなんかもう思い切ってスーツ廃止って いうのを123年前かなしましてまこう おしゃれかどうか分かりませんけど クリエイティブな会社いうことでまあまあ そんな感じではいやっていたというね 123でた結構早い方ですよねま早いです ねもっと前かもしれねですねうん145年 前かもしれですねあね123年前僕 サラリーマンたったけどバリバリスーツで ひNGとかもうま本当にこう硬いルールが 決まってます 白さ白シャじゃない白シャじゃない とにかくその不動産屋さんの持ってる イメージがまあんまりねよろしくないなと 思ってるが多くてねその逆を行こうという ところでねはいやっておりましたそうなん ですね全然入った時からみんなTシャツと かだったんでああいいわ思いならちょっと それはねエリ付きぐらいね ししすいません はいあの職人さんの制服ってなんか どんな元々はねほんまにま今もそうですよ 作業技が中心なんですねうんでただ やっぱりこう食品の衛生規範がどんどん

厳しくなっていって今はこう 髪の毛が全部隠れる帽子であるとかマスク も絶対着になってますし手洗いとかもこう 絶対小6がってうん昔はほんまにもう前 これにキャップカブって入ってたわけで 勝手 にら食べてる感やったですけど今は絶対 できなくなったんでそうただこれが逆に あのあか僕はうんえ先輩職人とかからこう 直接教えてもらってそうれ食べ るっていうことちっちゃい方ができてたん ですよねうんそれを僕の息子にそれができ ないんですようん子供が勝手に入ることが できなくなってしまって教えることが なかなかできなくなってで今ってあの多 食品触る時ってギにる手袋です必須なった ですよねはいですでこう手で感じ るってことはできなくなったんですよねあ 我々こう透ける時とかもその水分量とか 実際手で感じてそれバを決めたりしてたん でそれが教えられなくなったのがちょっと 難しいんですねなるほどそれは難しいです んで技術の伝承っていう部分ではちょっと こうある程数さすとかあなるほどね なるほどちょっと 難しいじ位置でもなんかちゃう位置やっ たりするじゃないですか確かにそれが ちょっと難しいなっていうのは今感じてる 最中なですよねそれはあのそ学びたいって いう人はやっぱりその日本の方でがそれ今 今は外国の方が多いですね私も あの私も元々ちょっとことで働かせて いただいてたんでその時時がも色々考えて たんですけどこで特に荒お店出さして もらった時 に来られるお客さんみんな外国の方でで 日本人のスタッフでもちろん働いてるん ですけど誰1人英語喋れないと かすごいこれ日本人だけ喋れへんじゃな 増て 我々ちょっとずも語れるようにしことが あってま今はあの半ぐらいが外国人の人に なってますかねすごいすね半分半分ぐらい 外国の方ですね先進的うん先ま多分こう 伝統産業と言われるこう共の中では多分 外国人さは多い方やと思いますうんでまだ はそこまで言ってないですけどいつか 外国人の上司ができるよていう話も若い子 かとかみんな言ってますしだその子が水も 伝えやすいとかうんうんうんやっぱり 学ぼうという姿勢がすごい強いんですよね ですんでこう喋っててもなんかこっちも すごい楽しくなってくいろんなこと教えて あげよ一瞬クラスのスパイラルを描ける みたいでなんか毎日が楽しいなっていう風

に思ってますでそれ直和されて日本の スタフも頑張ろうてってくれますでやぱに こう鎖国じゃない 日本人なか難しちゃうか なやってみてめうんそうなんか めちゃくちゃ伝統産業なのであの日本人の 方の合いが圧倒的に多いかなって勝手に 思っ ちゃそうでもないでもないですねやっぱり こう日本に来られるとか学びたりとか思い がすごい強いんですよねうんやっぱりこう 京都に住んでるとなかなか観に行かない 結構興味が薄くなってしまってたりかする じゃないですかうんじゃなくてこう外国 から来られると日本にすごい興味特に京都 に日本興持ってこられて一緒計こすごい 一生懸命やってくれるんですようんそれに やっぱ日本人もこうこう一瞬に高まって いこうみたいなうんうんないいきっかけて いうような気がしますねモチベーションの 高い方多いすぎですねそれはすごい思い ますね うんさんはあの外国の方は 結構そうですねスタッフはうちは外国の方 まだいないんですけどもあの海外の方のお 客さんはやっぱり多くてですねあの祇とか 宮川町の方にあるのでま常に毎日絶対にお 客さんで海外の方がいらっしゃる状態で日 もコワーキングスペースでも海外の方が4 日連続で使ってくださったなんで結構日常 的に海外の方がその特定の国じゃないん ですよねうん中国の方ばっかりとか アメリカの方ばっかりいくってもう本当に こうカの方が並んでるけど全員国籍が違う みたいなうん面白いなでパッと見たらカの 方んですよ全員いや俺ここでここやでここ やで全部大陸が違ったりとかそういう面白 さはありますねはいそういう方たちに対し てはやっぱりあの最初はこんにちは からいらっしゃいませいそこはあのハロー の時が結構あ ハロ英語はご動なん 僕はあのヘラヘラぐらいなんですけど ペラペラではないんですけどやっぱりその 僕ずっと意識してることがありましてあの 四角説のチェックイン時とかもずっと海外 の方時もチェックイン対応とかしてるん ですけれどもうますぎても嫌やなって ずっと自分に聞がしてますだ コミュニケーション取るようにはしてるん ですけども僕が海外行った時に一生懸命 日本語喋ってくれたらすごい嬉しいんです よただペラペラたちょっとなんか日本住ん でたみたいななるなるほどでなんかその辺 のちょっとその

あの安倍というかあなるほどすごい意識 なるほどなるほどね確か社長英語ペラペラ はいおせじませんけどね子供にはね ちょっと一緒にやろうよって言うてます けどねまだまだですねはいさんの方の今 英語の方されてますそれもあの従業員ね 一緒に働いてますんでまずあの仕事のこう 片付けるといどういうのか向こうの日本語 も 喋喋教えてもらってそれを使ってほで 外国人のお客さん来られた時に実世私も出 てみてでちょっと片言へこやってみて 続けるかこうその販売さんに確認して もらっていけてる よすごいつけもが説明が難しそうなうん 難しいですね最ま野菜の単語を覚えるとか あこれをどういうま香り付けしてるとか 味付けしてるとかっていうのも全部単語な んですよね単語を覚えてあとはこううん スタッフがうまいこと言っての聞きながら なんとなくカカを覚え てそんなことっますね8生のねあのお客 さんももう3割4割外国人になってきてる んでうんあのすごい時代が来たなっていう のがも思ってますずにまあの皆さん住んで くれるわけではないですけどセカンド ハウスとか帽子とかねいろんな形の関わり 方があるんでまそういう形でも京都を 盛り上げてもらえるならうんなんかこう街 を潰して潰される方かはぱ使いたいって 言ってくれる方が増える方がま京都の街に は絶対いいしうんはいまあまあそういう形 でまあまあ言い方増えていったらねうん僕 だとしてコミュニティも広がっていくし 思ってそろそろ英語やらなあかんす ね僕も頑張り ますやっぱりあの街並みが残っていくと かってのはすごく街に対しては重要でそれ に対しては僕らの用ができてるかなと思う んですけどうんそれ以外のその文化をつい でいくっていうことになるとやっぱり川 さんうんのうなあのベト産業があったりだ たりとか あのもう1回来てほしいあのきちんとした 京都を体験してほしいて西田さんのような 事業があったりとかこいうことをま行って いくことでやっぱり京都ってじりじりより 良くなっていくんじゃないのかなとか思っ てましたでちょっと話が街になるんです けど川さんとお話してる時に京都って えっと実は技術の町やで話をされたと思う んですいろんなあの材料を集めてそこで 加工してそれがどんどん産業になっていく それがで京都の確信が生まれていく要因な んじゃないそれはあのえっと漬物をその

やられてる中でどういったとこでそういう のを番感じ 誰ですね あの物の分野で言うと確か胸野菜っていう のあるんですよねただそれってすごい狭い 範囲で作られててま年間作れるから作れ ないんですよね多分普段皆さんが食べられ てる茄とかキュウリとか年中ありますよね っていうのはそれは北から南まで一生懸命 作ったはが集まってきててっていう状態 ですけどもまその時期その時期によって味 が違うとか川の分厚さが違うとか色々ある んですそれをいかに年中同じよう に作り上げていくかていう技術を我々は こう磨いてきてるっていう状態なんですよ ねですからま1台地ではなくっていろんな ものが集まってそれをどうやって美味しく 確保しようかとかていうのがま京都ですし ま今京都の物やですしま多分料理ですとか まこういうですかこうえこういう立てとか そういうのそうやと思うんですよね いろんなとこから集まってきて技術がえ 決勝されて出来上がってそれを昔あの天皇 さんが住まれてたで献上するとかお寺さん の本山が値するとそういうとこに献上する とか結局相手があることなんですよねいい ものをより良く作って喜んでもらうために 現状していこうみたいなそういうテジの元 にあると思うんでこれ物づくりに対する 技術っていうのはどんどん磨かれていっ てる街ではないかなという風に思いますね うん確かにうちも結構あの待やる回収だと 技術に結構ストイックなとありますよね そうですねあのまずまずまずもってその今 マアのようなこの伝統候補ができる職員 さんめちゃくちゃ少なくてですねま公務点 で言うとねそこそこいるんですけど設計者 になると本当に腰と握りあとま新築を待ち でやるっていう取り組みをやったことある んですけど新築で伝統候補できる人間って 多分日本に5人ぐらいしかいないんじゃ ないかなっていうそんなに10人5人 ぐらいじゃないですかねその申請をして こう許可を通すっていうところができる 人間実はもうほとんどいなくてですね滋賀 県のはなんかの党みたいな設計してるうん あの設計しているんですけどこう科学的に ちゃんとこう計算しないといけないので それができる人とも本当にいないていうの とま法整備が追いついてないのでなかなか こご伝統候補の新築できなくたですね今度 京都市がね簡単にできるにしようっていう のをはいはいあの京都新聞にやられてまし たけどうんもう少しそういうのができたら 抹茶がどんどん減っていきますのでま

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私もりってますし子供たうんなとこで生活 してますんで自然とこうやって短なもに なっていくっての大切かなと思いますので ねそこご協力いただければなという思い ますで枚漬けですね千枚漬けとキウリです キリリよろしくお願いますありがとう ございますはいきましょうはいでは最後 指名 あ指名ですか あのさんもしゃってましたけど100年先 を見てみたいな話をしてらっしゃったじゃ ないですかそれ8さんもそういう思いが 持ってらっしゃると思うんですけども結構 京都の人と話する100年先を見てみたい 皆さんよくおっしゃるんですよねなので今 だけのことを考えてま100年先まで来て やろうと多分思ってらっしゃらないので 自分のいない世界の元まで考えて今をお 生きて商売きしってる方すごく多いなと 思ってますなので待合を残すっていうのも ま1つだと思いますしその僕が待合をって いう思いも実はそのこの今僕らが見ている ものを自分の孫の世代とかにもや伝えたい なっていう思いがあるので結構5年先をっ ていうのすご僕もやっぱりまた今日聞いた なと思って今日の人とかえま町はそれが 体現してるものまさにこうち100年以上 のものが多いと思うので100年前の人が 多分こう想像したかわからないですけども 思いを持って残していただいてるものを またこうやって活動させていただいてって いうところはすごいこうそういった100 年前の方からバを受け継いてるっていう 感覚があるのでなんか僕らもそういう未来 にバトをつけたらなと思ってででもそう いうのを思いで一緒にやってる方京都で たくさんいらっしゃってなかこう今だけ じゃなくって未来の100年先を見据えて え色々こう今亡くなってしまう今日末 ちゃんに対して僕もすごこう心を痛めるの で100年先100年先から振り返って今 何ができることていうのをえ1人じゃ何も できないと思うんでこういったここに 集まった方々とか本当に橋さんカカさんと かこのの京都本当にいろんな方々と一緒に こう100年先から見て今できることって いうのをみんなでできたらいいんだろうな と思いましてなん今日そういう機会になれ ばと思ってはいこの後いっぱい買い物し たいと思いますすいませんあの長 ありがとうございましたありがとうござい まし [拍手] た DET

伝統産業の継承を行う老舗、まちに新たな拠点を創り出した新規企業、不動産の側面から町家を保全継承する八清。それぞれで活躍する三名によるトークセッション!
京町家が減少し空き家も増えるなか、中心部から子育て世帯が流出する状況にある京都のまちにはこれから何が必要か?
未来の京都のまちをよりよくするためにはなにができるかを考えます。

株式会社ニシザワステイ 代表取締役
西澤 徹生(にしざわ てつお)
1988年生まれ。京都市中京区出身。
小学生の頃に披露したダジャレ100連発、高校生でのM-1甲子園出場など、人を笑わせたい一心で生きる。
大学卒業後は、JTB西日本に就職。その後独立し、2016年に京町家の1棟貸し宿泊施設を開業。
京都大学の観光MBAを卒業後、2022年にバー&コワーキングスペース「SIGHTS KYOTO」を開業。
インバウンド富裕層向け観光コンテンツ「1/KYOTO -キョウトブンノイチ-」など旅行業も展開。
持続可能な観光の実現を目指している。

株式会社川勝總本家 専務取締役
川勝 隆義(かわかつ たかよし)
1977年10月生まれ。大学卒業後、京都中央信用金庫に就職。
その後、大丸百貨店東京店、京都府南丹市日吉町の農家を経て、創業大正6年川勝總本家の4代目見習いとして製造部を中心に従事しながら、経営に携わる。
川勝總本家は、初代が八坂神社向かいの門前で開業。花街や周辺の飲食店へ大八車を引きながら、訪問販売を始め、徐々に川勝の名が関西圏を中心に広がる。太平洋戦争・バブル崩壊・リーマンショック等時代の波に翻弄されつつ百貨店を中心に店舗を拡大し今に至る。

株式会社八清 代表取締役
西村 直己(にしむら なおき)
1979年2月 京都市山科区生まれ
2021年7月 代表取締役就任
趣味は旅行と食事。 特に家族と頻繁に色々な場所に出かけており そこでしか出来ない体験をする事や景観や建物を 見ることを楽しみにしています。何をしていても仕事と関連付けてしまう合理主義的なところはありますが、先々に事業として展開したい事を自分自身で試してみたいと探求心が旺盛です。

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