国営による最後の〇〇〇/道道912号大津長節線など
皆さんこんばんはずです今回は北海道道 912号大津長武線などを発します 北海道道912号大津長部室線は中川郡 東高町内を結ぶ一般道道です総園長は 6.3km沿線には東高町大津の集約や 長部施行がありますそれでは行ってみ ましょう国道336号を走っております 広町から東行町に書いての間は付近で ナウマン像の化石が発見されたことから ナウマン国道の相性がついております国道 指定以前待機症目部からウフ町京の間は 堂々299号ウフ待機戦でこれから行く 堂々912号も一部がそ線に入っていまし たそれはともかく沿線には数10kmに わたってガソリンスタンダーをるか焦点の 類いもないので走行する際には注意が必要 ですそんで持って青看板こちらのコス点を 右に曲がり堂々912号に入りますカステ は直進の道がなくこの右折する方が国道の ルートでし た少し進んで左にある脇道は球道です現在 の堂々912号は海岸線を通って大津と 連絡しますが球道は山をしてで大津旅行の 付近につがる道でかつての堂々裏方待機戦 そして国道だった時期もあったと思われ ます道路の沿線には長武が広がりますが 日々に遮られてまだ見えませ ん進んでいくとなんか路駐の車が釣りな でしょうかちらっと湖の姿が見えまし [音楽] たで青看板があり右折すると長部に引く ことができます路線から外れますが せっかくなので寄っていきましょうていう かお腹が空いたので何か腹に入れたい レストランとか売店があればいいんです がとか海岸には多数の海石庫が存在し長部 もその1つ調節はアで自らかじり弾ける ところを意味する血に由来します大きさは 周囲5km太平洋とは左で部てられてい ます湖周辺はハマスの作原生火炎です地福 の少ないとか海岸は内陸部が開拓される 以前の交通路であり明治初期に東海岸 ドーナとして整備明治後期には根室から 苫小牧に至る道の一部でした広大塚に限定 すると大津道路とか誘導浜街道とも呼ばれ たです今走っている道は東高町の大津広 海岸線ですがカステの街道の今の姿と言う べき [音楽] かさて駐車場がありますが結構人が来てい ます [音楽] ね水遊びをしている方がいます足が立つ 様子なのであまり水深が含ないのか調べる と最大水深2.0m平均1.5mだそう
ですかつての街道だった海岸はわびしい 雰囲気しかし西側の誘導沼と比べると観光 自然としていますちなみにこの先の海岸も 一応大津広海岸線の扱いにはなっている ようです空腹で深層だった私は売店で カップヌードルを購入してで食しました この日は夜までこれで持たせましたさて道 を戻って堂々912号に復帰長武の無から 大津の集落まで海岸道路になり ます関西11年に東江地が幕府直轄地と なった後北方警戒の観点から交通路の整備 が急務とされ戸川の加工に位置する大津に は早々に駅馬を設置日高ととかとかと釧の 交通の幼少になりました交通路の整備が 進むにつれ大通の往来も増してきまた避増 の事情としても発展とか内陸部の開発物と して海雲及び道路交通の重要な拠点となっ た大津はとか発生の地と呼ばれます大津の 再生期は明治30年代で人口2000人を 超えたと言います帯広釧官さらにカ勝ち峠 の鉄道開通によって交通の幼少としての 大通の役目は終わりましたが対象昭和に かけては空酒量で人が集まりまし たさて道路は左側路線直進は通行止めです 通行止めの先は大津漁港のコーナーになり ます実は今の道は大津漁港がり式になる 以前の球道 ですとか開拓の拠点とされた大津ですが湾 がなく質量時の手間や大型線が入行でき ないの問題がありました宮の整備は住民 他年の願いであり昭和45年度から大規模 な集が開始昭和54年に折り込み式徐行が 完成し土地内の拠点基地として利用されて います大津地域の余裕は先が 近年は人工不可放流の成果によって低地 編み代用の水が92%を占め上げされる鮭 の奥は釧市の水産加工上に出荷されてい ますその他の魚種の水が低いため鮭の陸上 状況が漁業経営に大きく影響する難点が ありクソア松川島の中間育成オイル事業に よって経営の安定化を図る取り組みを進め てい ます 道路沿に予選が並んでおります突き当たり 骨点額が路線ですが右に曲がって球道走っ てみ ましょう中道突き当たりはバケ度が設置さ れています右に曲がると大津漁港こちら側 は普通に入ることができ ます開口記念費中川一のこちらは開拓なら ぬ開拓費大津漁業共同組合65周年び大津 漁港減災対策施設着工記念だそうです隣に は平成15年戸勝置き地震の際の津波被害 の写真まかなり劣化してますけどおはこれ までいく度も津波に見舞われ昭和35年の
地地震が特に人台平成23年の東日本大 震災の際の津波でも大きな被害を受けまし たそのため現在でも減災のための対策が 進められていますバケの先の球道には誰も 使わなさそうなあやがこんなとこにあって も入っていきにくいと思うんですがその先 はロバがぶち切れており向こうに反対側の 球道が見えます荒れたアスファルトから 入るハマスが今風に言うと えいさて道を戻りまして路線に復帰し ます漁港から離れ大津の市街地に入ってき ました青看板があり堂々912号はこの 交差線で終わり私は直進して大津の市街地 を見てい ますかつては戸賀開拓の去年だった乙明治 35年にはバト同士の名張麻から誤想中の 敵対親分が切りこされるという血生臭い 事件もきていますそんな出来事からも当時 のつの楽境を伺うことができます現在は それも夢か幻 か さてちょっと海岸に出てみ ましょう冬の大津海岸はジュエリーアイス で知れますジュエリーアイスはとか川の氷 が海岸に打ち上げあれ火の光を浴びて 光輝く現象 ですま撮影は夏なので見ることはできませ ん 十勝川の加工に位置する大津は海村以来 幾度も水害に襲われています現在は河川 回収も進み集落と都川は大きな堤防で当て られました堤防沿にはヘリポートが整備さ れており水防拠点として災害時のヘの圧着 場所として使用されていますさて大津の 集落はこの辺にして続いては北海堂堂 911号大津旅子線を走ります この路線は東高町の大津と旅コラを結ぶ 一般道道で総遠長 7.3km路線の原型となったのは明治 26円に改作された大津メモ間を結ぶ大津 街道と呼ばれる道で現在の国道38号の 原型でもありますで進んでいきますと国道 336号の光典右折してちょっと国道に 入りますこの先には都川を渡る都加工橋が あります加工から約4kmのうちにかけ られたこの橋は東校町と裏方丁を結び 1992年進行延長928M橋ができる 以前は都川によって交通が過酷されてい ました旅クイ都川と呼ばれ国道の都川とし ては全国で最後のものでしたというわけで 最後はタコライ祖の後を見に行ってみ ましょうせっかく裏に入ったんですがすぐ に引き返して対岸に戻りますこの活動では こういうのが二上3寺です交差点に戻って きまして右折し
ます現在は堂々911号に編入されている この区間都川が現役あった頃は国道でした 都川場は都加工橋から約6km上流にあり ました都川の線をは明治4年には既に記録 があり橋の整備が進まで明治昭和にかけて 数多くが運用されました旅子都川は明治 40年設置対岸の裏方側からは相牛丹歌 当選とも呼ばれました道内の国道都川と いえば石海川加工に設置された石海川加工 当選場も知れますがアアが自動車を渡せる フェリー神だったのに対し旅線で渡すのは 人とと自転車バイクまででした船も動力 なしのボートで川の両眼に払れたワイヤ ロープを伝っていくという人力極まれない ものでしたさて当選場跡地についたので車 を取り ましょうこのように跡地には記念費が設置 されています船着場までの球道は今でも 線形が残っています入口付近には声がが あったようです都川は定時製で先導さは 近くに住む方が似合っていたようですテマ チってどれくらい回っていたんでしょう かちょっとショートカットして堤防の上 まで来まし たこれがロバの続きです ねこの先に船場があったんですがが現在は 草で川を見ることはできませんロバだけが かの大陰といったところ かということで今回は北海道道912号 大津長武線などを走りましたかつての とかちの表街道歴史に思いを発せながら ドライブしてみるのも一教ですでは以上 ですありがとうございまし た JA
今回は北海道道912号大津長節線などを走っていきます。
長節湖って浅いんですね。
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BGM、効果音素材
DOVA-SYNDROME 様
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40 Comments
国道336号は整備時期が遅かったこともあり、旅来渡船は平成初期まで残ってましたし、砂利道区間もありました。国道なのに渡し舟、国道なのに砂利道、と驚かれていました。十勝民としては渡船を体験しておけばよかったと思ってます。
北海道ツーリングで何回も通った道ですが、そう言えばと思って1990年版のツーリングマップル見たらナウマン国道336号はダートで旅来に「橋は架かっていないので注意」と書いてあります。釧路方向から吉野共栄交差点を右折し忘れてそのまま突っ込んで行き止まりで呆然とした思い出があります。
旅来渡船を取り上げてくれるとは思ってもいませんでした。現在は面影を見ることが出来ませんが、平成4年まで現役だったことを考えると、近年まであったことに驚きます。
現在の国道38号の原型となった大津街道、かつて十勝の中心地だった大津。今を生きる人には信じられないようですが、先人達の歴史が詰まった地でもありますね。
現在でも一部に大津街道だった頃の雰囲気を残す砂利道があったりします。
河口橋の完成、渡船の廃止は地元民にとって大きな節目だったと思います。
長節湖に向かう道の左手にある山道は旧道だったんですね。分からないで侵入したことがありますが、現在でも利用者があるようでセダンで走破出来ました。
この渡し船、高校生の時に地図見てみつけて免許取ったら行こうと思ってたのに、気がついたら橋が架かって無くなってしまったんですよね(^_^;)
行ってくれてありがとうございます♪
大津の近くにある十勝太の旧道もなかなか
こんばんは〜浦河から釧路まで弾丸道路で良く行った 稀 デストロイヤー出没するので注意
動画の1:20で「左にある脇道は旧道です」と言いながらスルーするのはゾヌさんにあるまじき行為。
さてはお前ニセゾヌか影武者だな? 本物なら現道に目もくれず、無意識に旧道に突入しているはず。
誰が座るかと問われれば・・・・・
・・・・・歩いて来て坐るアホの在るという
平成2年4月に免許を取得して1ヶ月後に実家の室蘭から北海道半周(室蘭~えりも~釧路~知床~網走~旭川~札幌~室蘭)した際にまだ十勝河口大橋ができる前に来ました。当時は渡船の存在を知らなかったです。確か大津から豊頃市街まで出て茂岩橋から釧路へ抜けたと記憶しております。当時渡船の存在を知っていればと思います。今は十勝在住なので周辺の海跡湖にワカサギ釣りや山菜採りなどでたまに通っています。私も堀淳一さんの本を読んでから旧道好きでゾヌさんの動画で通ったことある所がでるとニヤリとさせてもらっています(さすがに廃道に入っていくことはしませんが・・・)探索の際にお怪我の無いよう気をつけてください。これからも動画配信楽しみにしております。
あっしは小学校からスピードスケートをやってたんですが聞いた事ある強いチームの街だらけで😂
浦幌や豊頃や芽室などは小中学校時代速い選手が沢山いました🎉
コレは旧道散策フラグかな?
十勝海岸はJRがないからか観光客が少ないような?
網走の原生花園も好きですが十勝も好きです!
高評価(定期)
山道や海岸旧道もいいがこういう町中の旧道や北海道開拓の人々の苦労の痕跡をたどるのもいいなあ
こんばんわ💫
北海道も地震は過去にいくつか災難にあってますね。東日本大震災の時は津波等でかなりの被害があったようですが私の住む神奈川県でも他人事ではありませんね!なぜなら富士山が近いので、普段は美しさに見とれてますが、何時噴火しないとも限らないのですから😰ね〜😂 そういう思いで観た今回の動画、ちょっと感慨深いものがありました👍
ありがとうございました✨
曇天の下で旅来渡船跡に草木の生い茂る情景もエモいです
橋ができるまでは迂回せざるをえませんでした。対岸見えてるし何とかなるだろと行ってみて結局迂回に、と言う思い出があります。
平成の初めに免許取り立てで、橋が架かる前、ダートだったころのR336を何度か走りました。旅来渡船場付近からまっすぐに広尾方面に抜ける道が国道だったのでないでしょうか(現在は町道か)。河川敷に降りた先に国道の標識がたっているのを見た記憶があります。
十勝川国道渡船。廃止される3年前から数度訪れました。公園のボートに毛が生えた程度で側面に【開発局】の文字がでっかくペイントされ、ワイヤーを手繰り寄せながら対岸までを渡していました。バイクはダメでしたよ。当時既に「レアな十勝のみどころ」として道新発行のガイドにも掲載され、ライダーにも知られていたため訪れる人もパラパラいましたが、マナーの悪い人もいたせいか船頭さんは「ただ往復するだけの人」「車やバイクで来ている人」にはかたくなに乗せませんでした。旧国道からの入口には「国道渡船」を示す道標もあり商店や民家もありました。
旅来渡船はあまりネットで取り上げられてないから、とても為になりました。考えると、旅来渡船も雄冬定期船も平成4年廃止なんですね。
いつも楽しく見ています!
いつも思うのですが、ゾヌさんの年間走行距離が気になる・・・
この海岸沿いは道だったと言われてもちょっと遠慮したい感じですが、この辺は明治2年の地図だと当縁(大樹町)オホツナイ(大津)シャクベツ(尺別?音別?)と言うルートになっているのでそれぞれ歩けそうな間隔の距離なんですよね。でも砂浜ですからねえ。
滋賀県の大津に比べたら寂しい土地やな
2000年代中頃だと思うんですが、大津漁港に1頭のゼニガタアザラシが住み着いて、何度か見に行ったことがありました。
当時もう立派な成獣で、寿命が20年だそうなので、今はもう生きていないと思いますが。。。
旅来の渡し船乗りました。ただの往復はダメだったので片道乗って次の便で帰りました。えりも〜釧路を走るチャリダーが結構利用したようです。
R336号の渡船場、懐かしいですね。乗ったことは無いけどツーリングで前までは行きました。1990年に撮った写真には小屋と時刻表、その奥に国道336号線の標識が立っていました。丁度動画の12分30秒辺りかな。
そこの堤防の法面、高校生の時オヤジの会社のバイトで手伝ったなぁ(´・ω・`)
夢か幻かという言葉がこのチャンネルの主軸ですよね
エモい…。
カップヌードル食べたくなりました(笑)!
今回はマジメ回ですね。
でもゾヌさんの解説は北海道大好きな私🔰にも
とてもわかりやすく、面影を想像しながら拝見しました。
ありがとうございました。
最近、ゾヌさんの動画にめぐり逢い、吸い込まれるかのように過去動画を視て👍️をポチっとしております。
自分では、旧道はとても行かれませんが、熊の出没が増えております。
ご安全に😅
大湯の歴史と現在が分かって勉強になりますね✨
長節湖は水深も浅く景色を楽しめそうです👍
渡船場跡地も薄っすら残る痕跡が良いですね😊
ロープ伝いで渡っていたことに驚きます。
秀逸な内容が魅力のゾヌチャンネル。
何時もありがとうございます😊
国道336は昭和末期から平成初期の砂利道時代は北海道のツーリングスポットとしてもてはやされましたが、全線舗装化後は話題にもならなくなってしまいましたね。
両岸の渡船場付近にもきちんと国道の標識がありました。
旧国道はから道道に編入された区間にマイナス表示のキロポストがあったと思いましたが…どの辺りかは忘れましたw
渡船跡から川面に行けないのは残念。藪をかき分けて進むかと思いきや、このときのゾヌさんの行動は一般人と同じだったか!
お疲れ様です
そちらからですと遠いですが
釧路管内の方へは、行くことはありますか?
懐かしい。私の母の生家が長節の山奥にあり嫁ぎ先が対岸の集落でした。
当時の交通状況はR38位しか舗装されておらず、勿論自家用車などあるはずもなく母は渡し舟でやって来たそうです。
冬は十勝川は氷に閉ざされ酪農を生業にしていた父は冬の生活費を稼ぐ為、馬そりに乗り川を渡り長節の山へ材木運搬のアルバイトをしていました。
私も小学校に入学する前に母の実家へ舟で行った記憶が朧気ながらあります。確か渡船場にはコンクリートブロックを積み上げた20メートル程の桟橋が有りました。50年以上前の話です。 映像を見て一気に記憶が蘇ってきま した。有難うございます。
舗装されてる〜
勉強になるのでチャンネル登録させて頂きました。
大津の町中にある食堂のホッキカレーがおいしいのでオススメです。十勝河口橋、立派な橋だとは思っていましたがまさかできる前に船で川を渡っていたとは知りませんでした😳