【土讃線】自転車で全駅訪問してみた⑨【佐川→伊野】

はいこんにちはタスロキネ YouTuberのひよです今回は土山戦 の各駅を自転車で訪問する日の第9回目坂 駅まで来ました坂駅の駅舎はレトルな木造 建築にまだな屋根があるのが特徴です大正 13年の開業当初からのものですが民営化 の時にリニューアルされましたこの屋根は その時につけられたものやと思います窓口 はありますがつ2023年末完全に無化し ましたしかしサス川特急停車駅校内も面戦 の構造を持ち列車の行き違いができ ますそして者のこちら側なんだか素敵な 展示がありますねそうここはNHKの 朝ドラ満々の主人公のモデルとなった牧の 富太郎博士の生まれた町このドラマは ファンがとても多いようで坂を訪れる人が 増えてきているのでしょう元々は普通のの 観光案内所だったのですがすっかり牧の民 太郎仕様になってい ます駅前広場もとても大きく大然の人が 訪れていることが分かります ねでは早速その街を見物しましょう牧の 富太郎博士の席をたり ます町には白壁の建物が多く立ち並んでい ますね昔から作り酒が多くのを連ねてい ますここで右手に見えるのが旧村け住宅 その昔作り酒屋として材を出した黒金屋の 建物となりますヘド時代一般の人は苗字を 持たないことが多くまるまるやという風に お互いを野望で呼び合っていましたそして この黒金屋こそ校長を代表する思想会社司 ボタンの全身 ですもう少し歩くと今の司ボタンの坂倉が 見えてきます今日は連休中ということも あって幻覚の人がたくさんいますね 今でこそ坂尾の思想会社は司ボタンで統一 されていますが昔はいくつかの家が それぞれにお酒を作っていましたその1つ サイダはあの坂本両馬の親戚にあたり黒金 屋との交流もあったそう ですそして牧の富太郎博士は作り酒屋を 営む屋に生まれます江戸時代もほとんど 終わりに差しかかった1862年分球2年 のことでした キアの建物は残念ながら旅カスなる台風に よって倒壊してしまいましたが博士の 生まれた建物は復建され牧の富太郎ふさ館 という博物館になってい ます展示室では博士の遺品や地質の手紙 現行などが展示されてい ますそしてその裏に階段がありますねこの 上に博士が領期に遊んでいた神社があり ます階段の脇をふと見てみるとコの合間に 生って型のぱこれバカオレですよね博士が 声なく愛した植物です今はまだ花の時期で

はありませんがちょうど梅の花のように 見えることからバイカオレと言われます しかもこれは日本固有種で特に四国で成育 している種は四国バカオレと呼ばれ ます小高い山のてっぺんに上がってきまし たここは金神社と言います博士はからの者 きとはバカオレなどを採取し植物への興味 を広げていったと言いますこれが植物学者 としての原点だっったわけです ねそしてこちら名光感は博士が10歳の頃 から通った塾です博士はここで官学だけで はなく近代西洋の地理天文学ままび学問の 所用を深めましたこの名光感は坂領主深が 創設したもので爆発という激動の時代坂の 街が教育に力を入れていたことが伺え ますこの塾は牧の博士だけではなく爆発 まで数多くの人材を排出しまし たやが時代は明治になり名官は教育制度の 改革のため坂小学校になりました牧の博士 もそのまま入学することになり ますしかし小学校での勉強はすでに明光家 に習ったことばかりだったのでたた2年で 渋滞してしまったそうです日本をを代表 する植物学者が小学校を中退してたなんて 現代の人々を勇気つけるできことです ねそして博士が19歳の時いよいよさら なる地形を求めて初めて東京に行きます 当時は今のように交通期間なんて発達して いませんでしたから徒歩と船で向かいまし たでも神戸から京都横浜から新橋までの間 は当時開通したばかりの鉄道を使ったそう ですその後は決して順調とは言えませんが 植物学者として着実に歩んでいくことに なり ますさてうちまだお昼に何も食べてないん ですよねというわけでこの旧浜口家住宅で 少し食事を取りますここももたもたの作り 屋で今ではカフェよいとなんでい ますこの家が建てられたのは明治時代の 初め頃2013年に回収はされていますが 作りはほとんど当時のままですももなの家 らしく中はとても広いです ねラッキーなことに奥の座敷に案内され まし たうちが頼んだのは若めうどんですここの メインメニューはカレーなのですが残念 ながら売り切れてしまったんですよね しかしうとも非常においしいですメの香り がいいですね続いてまっちゃ前菜ソフト クリームを頼みました抹茶のフろがソフト クリームの甘さとうまく溶け合う贅沢品 でしたお食事の後はしばらく建物を見学し ていましたこの座敷長の品がシンプルなの がいいです ねここには立派なお庭もあり京都を代表

する庭無双書籍が出かけたとのことです今 はちょうど紅葉のシーズンでもみが色づい ています ね隣の部屋にも小さいですが常生があり ますわを張った正面もいい味を出してい ますね こちらのお部屋にはテーブルも置かれてい ます名刺に入ってからはこんな風に和室に テーブルを置くことも検されましたそして この壁ですが竹を編んだシルたもになって います高い技術が必要でお値段もかなりお 高いんとちゃうかなさすが号症の家です ね外装も立派です白壁に黒ウルシを塗った 窓が生えます ねができたことを示す杉の葉っぱを丸く 切ったやつこれを杉玉というのですが こちらも不があり ますさて流れ惜しいですがそろそろ次の駅 に参ります他にも坂には坂地質など そもそも魅力的な施設があるのですが少し 時間も遅くなってきたので先を急ぎ ますここから少しの間だけ松山に向かう 松山街を走 ますの街道の宿場町だったんです ね街道と山線は平らのところをまとめて カーブし ますそこで川が見えてきましたこちらは 春川と言います坂の町はこの川沿いに 気づかれたんです ね春川は生線の仁淀川のシです仁淀川は 非常に水質が高くまた深い青が特徴なので ミドプルーとして観光地のひつとなってい ます特に有名なのがこのニブですね竜の神 様が住まうという伝説がありますうちも この間行ってきたのですが非常に神秘的な 光景でし たさてしばらく川沿いを走っていくと次の 駅西川に着き ます裏口に来てしまいました ね古めかしい歩道を登ると駅校内に入る ことができ ますこの歩道駅のと接続しまして駅の東西 の移動にも使えます同線無人駅なので駅を 突きて反対側に行けるようにしたんですね とかやと考えられない仕様 ですそして古先教からは駅の様子を見る ことができます極めてノスタルジックで あるためこの駅の風景は青春18切符の 2023年夏のポスターに選ばれまし たこの駅は2面線の構造を持ち坂町の中心 駅である坂駅よりも立派な構造をしている のが面白いですねまたこの駅は線路が開表 した大正13年3月30日から営業して おり坂駅よりも半年ほど早く開業してい ますおそらくこちらの方が土地の確保がし

やすかったからかなと思います坂川の方は 鉄道が敷かれる前から宿場町が広がってい ましたから建物の合間に駅を作るのが大変 だったのかもしれませんそして1番ホーム には駅舎が隣接していますかなり大きい 駅舎で中も広々としてい ます緑の窓口はありませんが代わりにニと ブルーの窓口というものがあります面白い ですねまたニドプルースクエアという部屋 があり地域の人々の交流スペースであっ たり観光案内所として使われてい ます駅舎の開業は対象13年駅の開業初 からのものでですこの区間土山戦の ほとんどの駅舎がそうです ねさて国鉄の民営下後この駅者はJR四国 な所有となり ますしかし2015年老朽化に伴う維持比 削減のためJR四国は取り壊しを検討して いました運営会社なので収益を重視するの は当然ですよ ね一方JR四国は坂町が管理できるなら無 省で上とする案も提示していました 坂町はその条件を受け入れ大震官も含めた 階層工事を行い2017年に今の姿になり ましたさすが古い町坂を要する地体やる ことが息です ねしばらく駅の周りを散策していたのです が大変なものを見つけてしまいました ボロボロになった霊車 です完全にパンクしています ね古いもを大切にするのはいいですが何も こんなもんまで残さんで もでは次に参ります次はとさか です土山線はこの後右に大きくカーブして あのお山の裏手に回り ますしばらくは春川に沿って走りますする と春川はこの辺で1番大きい柳瀬川と合流 し ますしかし稲瀬川と並走するのは一瞬で 土山線は高知方面を目指して急カブを切り ます ここから地形が意味不明になるんですよね 痛がずっと続いているように見えますが 途中でアップダウンつまり分水霊がある みたいなんですよ列車に乗っていてもどこ がてっぺんなのか分からなかったのですが 自転車ならじっくり見ることができます ね瀬川の谷から離れて少しすると早速あり ましたここで登りから下りに転じてい ます列車が来ましたが坂道を登ってきて そしてここから下っていってることが 分かりますどうやらここから道の流れを 分けるポイントのようです ねなるほどここで江戸参戦を通すために 切り通しになっているんですね元はもう

ちょっとだけ標が高かったようです通りで 形が分かりづらくなっているわけ です改めてこの辺りの地を見るとやっぱり この地形ちょっと変です普通のを分ける ポイントは山の両線にある両方に坂がある んですけどここはほとんど片方にしか坂が ありませんこういった地形を片峠というの ですが前の動画でご紹介した7峠と同じと いうことになります土山線の高知より西は 片峠のオンパレードです ね普通の峠でも鉄道を通すのは厄介なのに 片峠だとなおさらです鉄道は基本的に坂道 に弱い乗り物で普通の峠ならトンネルを 掘って坂道をなくすことができるのですが 片峠にはそんなもの掘れないですから ね七子峠の時は大きく線路を開させること で坂道を緩和しましたがここは真正面から 行きますとはいえ無作では安全に鉄道を 引くことはできませんあ工夫をしている ことが伺え ます基本的に山道は最初の方がきつくそこ から徐々に緩やかになっていきますそこで 最初の方は土を持ってできるだけ勾配を 均一にすることにしました素直に地形に 従って下っていく道路に対し線路がまだ 高い位を通っていることが分かります ねそして片峠であっても比較的平らな 川沿いを進むのは定石同にですここでその 川をまきますこの川は草川といいこちらも 川の支流 です分水霊の向こを流れていた稲瀬川も 仁川水計どちらも初めは別々の方向に流れ ていたのですが最終的にどちらも仁側に 流れ着くのは神秘的です割れてもすに アバントゾンもうストイの歌が思い出され ますちょうどここにカキのさびなるものが ありますね影響温会のもしそうなら地域の 人々の憩いの場となっていること でしょうしばらく行くと草川のうがった谷 はどんどん広くなります土山線はこの谷を 通ることで坂道を緩和し進むことができ ますそしてようやくと3戦と道路の高さが 同じくらいになりましたこの辺りで ようやく次の駅戸坂に着き ますとさかの駅舎は大正13年開業当初 から飲むのですが右の時に大幅に縮小され ましたやはり維持管理が大変ですから ね中には土山線の古い写真が飾ってあり ますねSL牛にそんな橋とったんや 星4っていうのは西日本にいる怖い妖怪 です四国88か所第82番札のネロには 牛木の角が奉納されています駅校内は22 線の構造元々は小包の配達業務も行ってい ていくつか側線もあったようですが今では 取り払われてしまってい

ますはいでは次に参りましょう次は岡 ですここから引き続き草川の畳にを進み ます支流が何本もあり坂川の水量も どんどん増えていること でしょうしばらくすると次のバの駅に着き ましたこの駅は今までと打って変わって とても監視な作りをしています海峡は昭和 35年と比較的新しくその時にはもう列車 の本数もするほどでもなくなっていたの でしょうとはいえ駅のそばには待合室が あります列車の本数が少ないので長い時間 待つ必要がありますから ねそれから悪な地域って冬になると結構 寒いんですよ被害と雪も積もりますからね 寒さをしのぐための工夫と言える でしょう駅は一面一線の防戦ホームです そしていつの間か自体が変わっていました 高岡軍日高村村なんです ね平成の市町村合併の後村として存続して いる自治体って少ないんですよ 経済的に余裕がないといけませんから ね日村の視力といえばやはり川への観光 需用でしょうかそしてとの栽培が盛んだ そうですホムに周囲の観光案内があります ねめ大いなるものがあるそう ですそして岡花駅のすぐそばには草川が 流れています最初あんなに細い流れだった のに随分と大きくなりました ねまた向こうに大きな池がありますこれが メダ池で正式には坂川調整池と言います またの湿地体に草川の洪水対策のために 作られた調整池だそう ですさて奥駅にの国道33号線が追い かぶさっていてそこから駅を見下ろすこと ができ ますでは続いて参りましょう次は開業直後 の土山線の終点であった坂 ですいえば今走っている国道33号線が旧 松山街道だそうです坂尾で一旦分れたの ですが違う谷筋を通ってまた交流したよう です道に沿って谷を降りてくるとだんだん 家も増えてきましたここが終点になるのも 納得です ねそして草駅に到着しますなんと駅舎が 工事中でしたこの駅舎上の方がちょっと 見えていますがとてもレトロないい駅なん ですよ駅舎は昭和23年に立て替えられた もので民営化後に改築石車をイメージした 作りだそう です西坂駅と同じように老朽化をきっかけ として日高村に譲渡されただいま耐震家と 回収をしているところ です駅前には立派な位の木があります ちょうど頃です ねやと大きな音がしてきました近くで

イベントでもやっちょんかなと思いました が線路に沿ってだんだん近づいてくる [音楽] 模様なんやと思ってみたらなんと観光列車 がやってきました戸駅付近で見た四国と佐 時のけの物語ですこの列車は元々特急列車 に使われていたギア185系という車両を 改造したものです側面がつやつやしてい ます ね前面には版を持した素敵な装飾がつけ られてい [音楽] [拍手] ます発車間際にまた音楽を鳴らし ますそれと地元の人が手を振りにやってき たではありません か観光列車でよく見られる地元のお見送り たいですこの音楽は地元の人を呼ぶための ものだったんですねは1人しかいません でしたが時期が良ければもっと人が集まる の でしょう四国のように特に地方では モータリゼーションが進んで鉄道の地位は 下がる一方ですしかしこういった観光列車 をきっかけとして少しでも地方の鉄道が 活性化してくれればいいですよ ね観光列車が行った後駅はまた静寂に包ま れまし たさてここからは大正13年10月に開業 した区間に入ります 次の駅に行く前にこんなものがありました 仮説の待ち合い室ですねまあまあの広さを 持っていることが分かり ます新しい駅舎はもう少し待つ必要があり そうです完成が楽しみです ねさて改めて参りましょう次は小村神社前 ですこちら日村なんですがガラス張りの とても綺麗な建物ですついに2023年に できたばかりでとてもピカピカです続いて 草川を渡ります川を下ってきたはずなのに ちょっと細くなったような気がしますね 自炊がうまくいっているということかも しれません辺りはすっかり暗くなってき ましたやというのにかなり渋滞しています ね不動はありますが気をつけないといけ ません ねそしてまもなく村神社前に着きまし た少し行ったところに信号があったので駅 の方に渡れそう ですちょうど列車が来ました ね2両編成なのですがお客さんはあまり 乗っていないようです車に乗っている人が もう少しでストリーをしたら渋滞も感さ れると思うのですが色々主張があるの でしょう

ねではホームに上がります大村神社前は 土産戦で1番最後に設置された駅で 2008年に開票しました一面一戦の防戦 ホームという簡易の作りですが周囲には街 がいくつかあるので需要が見込まれたの でしょうそしてこの駅の近くには名前の 通り小村神社という神社がありますこちら は土佐二宮とも呼ばれ成586年に見され たと言われていますすごいですね駅名表に も格好が来て土佐二宮と表記されてい ます実際駅を出たところに神社があるので お参りしてきますましたもう暗くなって しまっていますが形態はとても広く風格の ある神社であることが伺えます今ある車田 は放映2年1705年に作られたもので 日高村の有文化祭となってい ますまた奉納されている刀は国宝に指定さ れていますしこの菩薩面は国の重要文化剤 となりました二宮があるということは一宮 もあるということでしてこの自転車旅の後 初詣にきましたこちらモド3先にあり土佐 駅が最寄りです形態は一段と大きく正月と いうこともあって相当な人手ですね西暦 420年頃にできたと言われておりさらに 相当古いですね今の本殿配電などは元気2 年1571年にできたもので国の重要文化 財に指定されてい ますさてこの一宮ですが中世の日本におい て神社士の連絡をまとめる役割を与えられ ていましたまた国の偉い人は国内の神社を 中に参拝していく決まりになっており 一の宮二宮の順番に巡っていたと考えられ ています今は後の神社も平等ですが昔は 神社にも序列があったんです ねでは小村神社に重めつつ続いてまいり ます次は墓 です墓はちょっとだけアクセスの悪い ところにあります 国東から外れると真っ暗になってしまい ました ね着きました墓です墓も一面1戦の防戦 ホーム昭和39年10月1日に開業した 比較的新しい駅で東海道新幹線と誕生日が 一緒です ねここはもう井町に入っています井の金行 にあり列車本数もままありますが今は誰も いません一の国道のバイパスには車が ピュンピュン走っていますさて次の駅に 向かいましょう次は井町の中心井駅 ですここで大きな鉄橋を渡りますこれこそ が仁淀かです今まで仁川の様々な支流の 近くを走ってきましたがこちらがとうとう 本流になりますもう暗いので明日はまた 改めて見にき ましょうそしてもうしばらく行くと井に

到着します はいでは今回の動画はここまでになります 次回は井から出発して顔を見つつ等々高知 駅まで参り ます最後までご視聴ありがとうございまし たまた次の動画でお会いしましょうまた [音楽] ね

土讃線沿線の佐川は、旧松山街道の宿場町であると同時に
植物学者 牧野富太郎博士の生まれた町としても有名です。
今回は佐川を散策し、博士の足跡をたどります。

BGM・効果音素材
効果音ラボ様 https://soundeffect-lab.info/
VSQ様 https://vsq.co.jp/special/se_music/
HURT RECORD様 https://www.hurtrecord.com/bgm/22/nami-oto.html
甘茶の音楽工房様 http://amachamusic.chagasi.com/
ニコニ・コモンズ https://commons.nicovideo.jp/works/nc265249

画像素材
いらすとや様 https://www.irasutoya.com/
illust AC様 https://www.ac-illust.com/

参考文献
Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/
国土地理院地図
https://maps.gsi.go.jp/
配線略図.net
https://www.haisenryakuzu.net/
川の名前を調べる地図
https://river.longseller.org/
GPSCycling
https://gcy.jp/
こうち旅ネット さかわまち歩きガイド(佐川くろがねの会)
https://kochi-tabi.jp/search_spot_activity.html?id=6543
高知県立坂本龍馬記念館 龍馬について
https://ryoma-kinenkan.jp/feat/
高知の生産者紹介 司牡丹酒造株式会社
https://kochi-marugoto.com/producer/295/
高知県立 牧野植物園 牧野富太郎
https://www.makino.or.jp/dr_makino/
NIYODO BLUE! 牧野富太郎ふるさと館
https://niyodoblue.jp/spot/detail.php?id=17
ゆったり旅する さかわのしおり 金峰神社
https://sakawa-kankou.jp/spot/19
ゆったり旅する さかわのしおり 名教館
https://sakawa-kankou.jp/spot/11
JBpress オートグラフ 初めての上京後、自由民権運動にのめり込んだ牧野富太郎、なぜ脱退したのか|植物学者・牧野富太郎の生涯(2)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/75410?page=2
ゆったり旅する さかわのしおり 旧浜口家住宅(さかわ観光協会)
https://sakawa-kankou.jp/spot/3
日高村教育委員会 小村神社と国宝・金銅荘環頭大刀ほか 【下分宮ノ内】
https://www.kochinet.ed.jp/hidaka-v/sub4_1.html
日高村/JR四国 土讃線日下駅の駅舎譲渡について
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/91f3b3b0bbbcb877833678967daeb4feca0c1888.pdf

目次
0:00 佐川
0:40 牧野富太郎のふるさと「佐川」
8:12 西佐川
11:02 西佐川-土佐加茂
14:31 土佐加茂
15:35 岡花
17:47 日下
18:25 再び「志国土佐・時代の夜明けのものがたり」と遭遇!
20:54 小村神社前
23:33 波川
24:24 伊野

2 Comments

  1. 佐川駅からちょっと離れた場所に 客車が保存されてますし 酒蔵の街です  

    30日に 土讃線100周年記念祭で 予土線のホビートレインが佐川に停まるので ぜひ  そして佐川の出身の声優 小野大輔さんの 地元でもあります

    日下家も2日前リニューアルしましたよ

  2. チャリ鉄お疲れ様です🚲️😊
    僕も朝ドラ放送前から牧野植物園に通ったりして、牧野富太郎や彼の研究した植物には興味を持っていましたが、朝ドラ化がきっかけでますます富太郎さんの事が大好きになり、佐川町にも足繁く通うようになりました🤠✨生家跡や名教館、牧野公園、青山文庫にも何回も行きましたし、今回そんな佐川の町をひよりさんと一緒に行けるとは思わなかったです😆💓
    富太郎さんのお陰で植物を見るのが好きになりましたし、本当に富太郎さんには感謝の気持ちでいっぱいです🙏🌱(バイカオウレンダイスキ🌼)
    ラストスパート、頑張って下さい💪🛤️🔥

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