第22回玉野こころの講演会「音楽とこころの健康 ~ 音楽で癒える体験 ~」

え皆さんこんにちはえこんなに満潮のです ねお客様がえ来られると思っておりません でした驚いております本当にありがとう ございますおさなありがとうございます えこの タイトル音楽と心の健康え私は今あのえ 川崎領福祉大学の総合講義でですね健康と 音楽というのをも20数年担当しており ますえその場はえ生の音楽をこうえ提示し ながらですね音楽のまあ公用とかそういっ たことをま学生さんに教えておりますで その時にもピアノのえ松本佳子さんには あのずっと非常金の講師としてですねえお 願いをしておりますそれとえっと音楽で 言える体験というのはあのこのタイトルは なかなかえ素晴らしいなと思いますえ私が つけたわけではないんでえ提案をして いただいてそのまま使わせていただいて ますが癒されるっていうのはあの受け身な んですけど言えるっていうのは自らえその 心を自分自ら癒すとそういうことがえを 意味しているのかなとえ言える体験って いうの素晴らしいえ言葉の使い方だなと いう風にあの思います改めて思いますええ それをですね今日はまお 話と音楽とこうえ取り混ぜながらですねえ 皆さんに1時間半っていう長い時間です けども終わってみるとあってだったなと いう風にあの感じていただけるようにです ねえお話演奏ができたらいいなという風に 思いますえ先ほど市長さんのお話もあり ましたあの元え私もあの県におりましたの で職員でしたのでえそういった繋がりあ るってのあの今日えお聞きしてあ えご縁をちょっとあの感じた次第ですそれ ではまずですねえ音楽から入りたいと思い ますえ上のライトちょっと落として いただくとより雰囲気が出るのかなと思い ますあの寒い日があったり暖かい日があっ たりしながらですねま3カ仕で春に向かっ ていくとえいう今時期かなという風に思い ますま体調も崩しやすいんでねえ気をつけ ないといけないんですけどもま春をま血 望む曲同じタイトルの曲をえ2局メドレで 続けてえみたいと思いますまでこういう風 なあの曲 をえま演奏するていうのはえ普段あまり あの聞かれることがないかなと思います けれども今日はいろんなタイプの演奏の 仕方をしてみたいという風に思っており ますもう部署消化であったり海洋局であっ たりジャズであったりスタンダードえま そんなえ曲を取り混ぜながら釈の魅力に ついてもちょっと見直していただけると 嬉しいなという風に思っておりますそれで

[音楽] は [音楽] こ [音楽] 今日いろんな曲を演奏する時にですねあの ご自由に ハミングな声で歌うのはあるかもしれませ んけどあのえご一緒に歌っていただくのも あり [音楽] です [音楽] いいです [音楽] ね [音楽] あ [音楽] H [音楽] H [拍手] [音楽] H [音楽] あ [音楽] H [音楽] 皆さんよくござだと思いますえ春よ恋い 同じタイトルなんですけども最初の曲がえ 田竜三郎さんえ実は私は高知県のれで広田 さんもえご事件ということですねえそれ から次はま皆さんよくご存知の松さんのえ 春よですねえこの2局よく続けてあの演奏 することが今の時期あのありますえ昔 ながらの春の曲っていっぱいあるんです けどね3月なるとおぼろ付きよとかもあり ますしえおぼろ付きよちょっと言ってみ ましょうかちょっと 早あの今日はね無茶振りをします全然予定 にないことをどんどんあのやってこ ハプニングは楽しいので いける好きよえ皆さん好きはご存知ですよ ねあの文部省消化 のすぐに出てこないねあそうそうそうそう [音楽] これ ねこうやってできましょうはい [音楽] え [音楽] [拍手] [音楽]

H [音楽] [音楽] ありがとうございましたえ本当にあの日本 の昔から歌われてる務化え同様最近あまり 歌われることがま少なくなってるという風 にも聞きます え工場の月とかねえ中学校の音楽の教科書 には必ず持ってたんですけど最近それも 持っていないというちょっと寂しいなと いう風に思いますみんなでこう共有できる 曲をですねま流行りの曲もあっていいん ですけれどもそういった曲がやはり え皆さんの共通のですね思い出として え歌として残っていってほしいなという風 に思っていますまそういったこともえこれ からですねスライドを使いながらちょっと お話をするえ内容には入っておりますで私 のえ演奏はまあのまた後ほどたっぷりとさ せていただきますがえスライドを使い ながらですねま私とま私のあの個人的な ですね音楽との繋がりそれから家族とのつ にもちょっと紹介しながらまそれそういう 歴史音楽との歴史がすごく大事だなと それぞれ皆さん1人1人お持ちだと思い ますのでえそういったことで えその話から音楽のま公用と言いますかね そういった話にちょっとつなげていきたい と思いますえずっと続けてきた講義でもえ 使う使っているスライドもありますえ講義 ではあまりあの個人的なことはありしませ んで今日あのえ個人情報がいっぱいあの私 の情報がありますけれどもえ全然構いませ んのでこれ配信されてるんですよね おそらくねえあ後日後日ですねあ全然問題 ありませんのでえそれではえちょっと座っ てスライドの話をせていただきます途中で 音あの自由に入れていただきたいと思い ますでよろしくお願いします何もあの決め ておりませんそういったあのえ即興性と いうのが私は大好きです ねえ私は あと日でえ70歳になりますえコという ことです え昭和29年2月22日生まれですもう ちょっとで70になりますで私はあま高知 県の生まれと言いましたでえこれが私の父 と母がえ新婚当時の写真ですあの父はえ漁 町で開業しておりました えま母ああの父はあの高知県生まれなん ですけれどもえ母はえ実は母方がえ倉敷市 ですえま栗坂というとこで母方のえおばあ ちゃんがいますそれとえ父方結婚してえ えっと小さい頃都合したのがえ広島県の クレ

地というところですねクレですまそういっ たことでえ兄弟3人のま次女ということで 母はちましたえ父は男3人兄弟の長男です で乗っておりますのがですねえ母はえ当時 まこ三角のりをするような男乗りのえ実用 者ですまこういったあの古い自転車とか 自転車バイク私趣味でえいっぱい集めて おりましてですねこの母の乗っていたのが ですねえ関根号であったりとか父が乗って いたのがえ自転車バイクですねこれはえ え本当にあの初期の自転車かバイクかこう ね え自転車にエンジンがついたような感じの バイクですけどもえこういったあま大きな メーカーではなかったようですけどもこれ をえ探し求めてですね実際には2つ2つ ともまこのものそのものではないんです けど集めたりするのが講じて今大変なこと になっておりますえまそれを皆さんに見て いただけるように整備をしたいなとも思 たりもしておりますでこれが私が2歳 ぐらいの真ん中ですね兄が2歳上でおり ますえ今父の後をついで開業工事でして おりますでえ当時の土佐宇佐町というねえ ジョン万次郎というえが出行した漁師町 ですえそこのえ家の前でトヨタのあこれは トヨペットコロナですかねの一号えります で母は実はえおの総社でいました え 80 うえ8で亡くなりましたけれどもえずっと ま広島音楽所学校えエリザベトとえ音楽 大学と言いますかそれの初期の卒業生でし たで宮道男先生と一緒にあの ええ舞台で引かしてもらったことがあるの よというのが自慢でしたね えそういった母に育てられて私も小さい頃 から音楽に親しみましたまずバイオリンを 7歳から始めましたがえ13歳ぐらいで ちょっとえ初見が私は苦手だったので家で 家に転がっていた尺Richを吹いて遊ん でいたらあそっちの方が向いてるかもね つっていうことで尺Richをえ習わせて もらいましたそこでそのままもう 650え8年7年うん吹いてることにに なります13歳から8をえ習っております あの吹いておりますで実はですねその母の え母方のおじいさんですね祖父のいこに 藤井清清水と書くんですけれどもえ広島 クレのえあ医者の息子だったんですけども え東京本学学校今の芸大ですね行って山田 工作の後輩土ですねえ作曲をえ一生のうち に2000局近くしたというそれを母から 聞かされていましたがたまたまその藤井清 の音楽祭にえ私がえ招待されまして演奏

する機会を得ましたえ藤井清の音楽という のはですねまなかなかこう知られてない曲 が多いんですけれども不思議なメロディ 使いをしてですねえ山田工作をしてま日本 で1番のえま素晴らしい作曲だという風に あの書いている文章もありますま藤井清の 曲を今に蘇らせたなという風に私もあの 思っておりまして清の書いているものの本 の中にですねえ私の曲は4550年は理解 されないだろうとただしえその理解する人 が現れたらえ自由にえまえその人の思う ようにえ演奏してもらえばいいというに 例えば10なんかもいいかもしれないと 書いてあるんですねえびっくりしまして あのそれを予言がえもし私だったとしたら ねえ頑張らないとなというに思いましたで え藤井清はえ竹久夢路あるいは山えっと 北原白州野口条まそういったあのえ作のの 市にですねえ曲をいっぱいつけております もう何十局もつけていますこれはあの学府 の表紙ですねまそういったこともあってえ まをえ続けてきてよかったなとでこれから の私のの目標は藤幸の曲を1局1局ですね え自分なりにこうえ今に蘇らせることが できたらいいなという風に思っております え興を研究している方のリサイタルに呼ば れて吹いたりということも今しております そして [音楽] えっと常智津川さんという方に私が アメリカに留学している時に知り合いまし たえシアトルのワシントン大学にま感染省 の研究に行ってえいる時にですねえ紹介さ れまして伺ったところですねこのジジ スタファさんの反省を描くえ ドキュメンタリーフィルムが作られてい ましたただし音楽がまだついていないと いうことで非常に悩んでおられたそうです ディレクターがですねえこの定日高川さん とワシントン大学の名誉表示もされた日経 2世の方ですえこういったあの噴水とえま 彫刻を組み合わせたような作品がいっぱい あります実はえ岡の県庁にも今ちょっと 移動がされていますけども噴水があります えそれとえ福山元々福山班のえ過労の地筋 だということで福山美術館の庭にも噴水が ありますえ機会があれば是非あのご覧 いただきたいと思いますで私があの土産 代わりに尺を吹きますとですねちょっと奥 様が奥様は実はあの岡山のえ森の方の出身 の方でしたけどもえアメリカに移住されて ねえ結婚されたわけですけどもえ紹介し たい人がいると言って紹介してくださった のはこの女性えディレクターですねえ ジーンワーキンショという方ですえ彼女は

え鬼太郎さんのえドキュメンタリー フィルムをえね撮ってえテレビのえ アカデミー賞であるエミー賞というのを もらったこともあるという女性でしたで私 に依頼されて2週間ほどしか時間がなかっ たんですけれども局をえ提供6局ほど提供 してえおりますそれがえ留学から帰ってき た後にですねえあなたはエ賞を取ったわよ ということでえこういった像も送ってきて いただきました日本人でえ1994年にえ 私がこれを頂いたんですけど初めてのえ 受賞者だという風に聞いておりますま アメリカに勉強に行ったのにまあのこう いった書を取ったっていうのはなかなか ですね大学の教授に言えなくてですねえ 叱られるんじゃないかと思って言わなかっ たんですけども山陽新聞さんがこれをえ 聞きつけてですねあの取り上げてください ましたまそれを記念してと言いますかあの えスカイアウィンドというその ドキュメンタリーフィルムで使われた曲を 中心にですねCDを作りましたえ今日 先ほど持ってきてくださってる方がいて びっくりしましたはいあの手売りでねえ1 枚1枚売っておりますえ今日残念ながら 持ってくるのを忘れましてですねえもし あれでしたら検索していただけるとあの ネットでも購入いただけますまこういった あの書いだいたことをきっかけにですね いろんなところで演奏する機会が増えまし た例えば私の えあの買っていた小学校土佐町のう小学校 というところで松雲さんにも来ていただい てこれ先輩よこそという番組がNHKで ありますねそれのま地方版みたいなもので 出演をさせていただきましたま勢の後輩と 一緒に演奏をしたりとかね非常にあの え嬉しい思い出となっていますそれと音楽 はやっぱり医療の世界色の現場でえ必要で はないかなと思っておりましたアメリカに えいる時もですねいろんなとこで音楽が生 の音楽が病院でされてるというのをあの 当たりにしましたでえこれは倉敷第1病 第一病院のロビーコンサートというのを あのえさせていただいてそこでのえ非常に あの音楽が もうコンサートホールに行けないようなね 患者さんにその場で聞いていただけると いうことで本当にあのあこれは病院にとっ ても患者さんにとっても素晴らしいあの 活動だなと言ってこういったことを あっちこっちでさせていただいてる中で ですね日原茂明生え106歳で亡くなられ ましたけどもえからお声がけいただきまし てえ岸本君あのユニークなねとてもいい

ことをされてるとでこれ音楽療法という こと今あの研究をするえ団体を 立ち上げようとしているので是非入って 欲しいという風にお声がけいただきました で最終的に日原先生え立長になられた学会 日本学療法学会ですね え2004年にえ川崎両副時代で え開催させていただきました2500人の 参加者でもう非常に大きな盛り上がりを 見せましたですねでいろんな場で音楽がま 医療福祉の場で使われてるというのはあの この頃から日本では大きく広がりましたで 日原先生がえま設立に関わられた日本で 初めてのホスピスえ緩和医療を主にするえ こういった病院ですねえこちらでも演奏 する機会を得ました本当に3週間平均する とそれぐらいであの入賞した方は次々とお 亡くなりになるというも要するに治療では なくて痛みや苦しみをえいろんな薬とかね えあれ取りながらえ最後のえ時をま迎える まで心をね穏やかに過ごすという場所なん ですけども今は緩和医療の中では在宅まあ そういったケアというのえどんどん増えて いますけどもえこういったところでですね え手厚いえそういったあえ介護を受け ながら過ごすというのもえこの場所 とても素晴らしい場所ですね礼拝所があり ましてここから富士山が見えるという場所 ですでNHKのN教のえ出席チェリストが ここで最後を迎えられるということでもう 車室状態だった方がですねここで最後の コンサートを抱いたとの感動的なNHKの 番組がありましたまその場所ですえここで え松雲さんにも来ていただい て演奏しました本当に151へのもう2度 と会うことはというその中でですね本当に あの音楽がその人の心をこうついで るっていうのを間のあたりにしてやっぱり こういったところでの音楽というのは すごく重要だなという風に思いましたで皆 さん方と対象のいい方とですねえこの後お 茶会もえさせていただきましたベッドで そのまま来られてる方それとカメラがあっ てですねまお部屋から出られないような 状況の方もえ楽しむことができるという そういう配慮がなされた場所でし たでこれはえっと下え山口日石ですかねえ こういったえ病院でえいち早くこのピアノ 生のピアのえロビーにおいてで毎朝え10 分15分をですねボランティアの方が演奏 すると え外来が開く前前で前にですねそうすると そこで呼ばれていって吹きますとですね 演奏するとすっ皆さん歌われるんですね もうあの歌が病院の中にあるという音楽が

病の中にあるというのは当たり前の状況 っていうのあこれは素晴らしいなと思って て当時私が務めておりました川崎医大えの 付属病院でこれをやらせていただきたいと いう風に言いましたま実現はしたんです けどちょっと右曲折がありましてですね 岸本君はなんか売名行為をしようとして いるとかそういう噂が立ったりとか色々 あったんですがま病院の中で音楽をする 意味っていうのはなかなか理解されなかっ たんですねけど実際これを実現をさせます とですね素晴らしい効果がありましたこう いった大勢のえ入院患者さん外の患者さん そしてご族医療スタフも100人以上の方 が集まられてですねえ敵をしながら来られ た人もいますえ本当に状態があまり よろしくない方もおられましたえその場で ですねなんか奇跡的なことが起こったん ですねあのベッドで植物状態で来られてる といえ方の奥様がですねえ演奏がわった後 来られましてこの人は先生の尺がをえ聞い てるう確かに聞いているというのが分かり ますね涙を流されたらしいんですね全意識 がない状態という風に聞いていたんです けれどもでそれはなぜか絶対この聞いて涙 流したっていうの分かるというのがですね みひさんの悲しい酒を私は吹いたんですね で1番好きな曲だったというまその意識が あるかどうかはあのちょっと分かりません けれどもダイレクトに脳のえにえ音楽が 届いたということの反応として涙を流され たということでもう主人の先生方も びっっくりされましたまあの回復をするし ないというのではなくてですねその奥様が 言われたのは分かっているというのがあの 確認できたのが1番嬉しいとでえこれから 耳元で歌ってやったり歌ってあげたりとか ねそういったことはあのやっぱりえできる といういうふに言ってくださいましたま そういった経験からですねこのえ最初は丸 書を出さされましたけどもなんかあのえま まずいことが起こったら岸本君責任取り なさいというやつですけどえ実際にはです ねえずっとこれはあの定期的に続きました ね23回やりましたかねでえっと国立感染 症研究所にちょっと務める9年ほどですね 2000年から2009年まで務めた間に ですねえ新宿区のえ初めてのグループ ホームがあってそのえ設立された方にお 声がけいただきましてそういったところを 訪問え演奏をしましたわざわざ岡山からえ 松雲さんも来てくれてですねくださって それでこういったところでの演奏をしまし たでこの奥の方にあのちょっとこうえっと ねま

あうとうととしているか寝てるかなという 風な感じの方はおられますねで実はです です ねほえっとソラ節を吹いたんですね皆さん こ手押しでて言ったらシャキッとなってね もう大きく手をこうえ叩かれたんですねあ この人にはこの曲が聞いたというかあのえ そういう刺激になったんだなと思ってです ねだからそれぞれの方にはそれぞれの 思い出の曲とかえがやっぱちゃんと インプットされてるんだなという風にあの この時には思いましたでそういった グループホームでえ夏祭りをやったりする 時にですねこういったあの訪問をして一緒 にえそこの入所の方々と楽しい時間を 過ごしましたがここでちょっと見づらいか もしれませんけどもえシミ線を引いておら れる方が着物の方がおられるんですね え分かりますかね右の方にえ芸者さん元 芸者さんだったということですね朝何を 食べたかさっぱり覚えてないけども昔え 引いてた曲はすらすら引けるとで即興でも 合わせられるというあ音楽のそのえ 染みついたそういったねえちゃんとこうえ 体にえ入っているものはそのままえ なかなかえ消えることはないんだなという 風に思いましたでその方を中心にですねえ 国立感染症研究所のえ文化祭にえロビー コンサートにお呼びしました皆さんも来 られて非常に喜ばれましたでこの者さん元 ねえさんも写線を自賛して ええ参加してくださいましたでさらにはこ 後日ですね一緒にステージにもこうやって 立ったりとかですねあ音楽が次々とこうえ 人のついでいくんだなという風にねえ やっぱり音楽の力ってすごいなという風に は感動した覚えがあり ますで先ほどのえ川崎以のロビー コンサートですけどもえ最初丸所だったの がですねえこういう風に新聞に取り上げ られますとですねえ感謝書をいただきまし たえやっぱりあの病院にとってはですね こういったことが報道あのされ るっていうのは病院のイメージのアップに も繋がるということだったと思います えまあの ちゃんとこの紅葉がここにも書いてあり ますよ ねでえっと借だけじゃなくて私ギターを 引きながら歌ったりもしてですね色んな ところを問をさせていただいてますこれ クリスマスコンサートでえですねでその中 で先ほどのえ賞の後なんですけれどもえマ なというえマな市を切り出す仕切り板が ありますまここメイジの初めぐらいだ

100数十年前からえ切り出しているその 現場のその仕切りのえくぼみに水が溜まっ てましたそこへステージをえてえグランド ピアノを釣りおろして太鼓とかねえ ステージを作ってタイマを対てというこう いうイベントを10年ほどお手伝いをさせ ていただきましたえ非常に楽しい えそのイベントでしたで私の社市長のえ 桐山龍山こ日山龍山先生もここにえおられ ますまそういったあのえ発の繋がりでです ねえこの真成のコンサートがえされました で10年これをお手伝したご褒美にですね 無理を言ってマンな市の尺八を作って いただいたんですよ石のえアジ師の石橋も その前に作ってもらいましたけども万成市 の石橋があまりにも素晴らしいんで いろんなところで今吹かせていただいてい ます今日はあのえ桐山 流山のどのですね藤原商山さんもえ確か そのえ万成の尺をね持っておられるかと 思いますけどもえ非常なあの貴重な あ作るのが大変手作りで作ったものです けどもえそれをちょっと今聞いて いただこうかなと思いますえ普通の石橋と どうよ違うかっていうのを聞いて いただければと思い [音楽] ますこれが マダ8です加工癌ですね御影桜御影とも 言います非常にあの美しいえちょっと派手 なあの模様えピンクが入ってたりするので 普通の破壊しにされる方は少ないという風 に聞いてますがいろんな記念費とかそれ から顕在として使われてますえ石原湯次 さんはこのマナ市のえお墓に入っていると いうことも聞きましたえこれはマなのです ねえ浮田さん浮田関西さんにゴを行って 作っていただきましたさじゃあえ 3.5kgあごめんなさい2.5kgあり ます普通の尺が350gですよ非常に重い ので短めの曲 を指がこう震えがくる前にえねえ追われる ような曲をえ吹いております物のけをお 聞き ください [音楽] [音楽] JA [拍手] 結構な重さですこれは えはですね支えるのがこの右の右手の中指 とですね親の2本なんですあとはこう 動かす指なので結構ここに答えるんですね え何局もは吹けませんし今1番で終わり ましたけど2番まで吹くと結構あのえます

しかし音素晴らしいですよねうんあのこう すっと降りてくるような石の笛は昔から ですね神を下ろす神おろしのえ笛というに 呼ばれてたらしいですねえ縄文時代の遺跡 からはですね岩笛というえ穴が1つ空い てるだけのそういったあの石がよくうえ出 としたりえ神社に奉納されていたりという ことがあるようですえそういった笛を きつく服とですね超音波が出るんですねで 犬笛のようなえ人間の耳ではえ聞き取れ ないようなそういった音が出るので皆さん あの小さい頃夜笛を吹いてはいけないと いう風なあの言われたことないですかねま あれは あの近所迷惑だからというのもあるかも しれませんけどもそういったえ力をですね えあるそういったあの笛を吹くとですね 遠くで犬がこうをしてたりとかねえそう いったことがあるようでまそういったあの え力を え感じていただけたとしたら嬉しいです どうもありがとうございまし [拍手] たそれではちょっと引き続き えスライドの方でお話を続けたいと思い ますちょっと暗くしていただけますかねま そういったことでこのえ石切りコンサート からえ石の笛ということであのいろんな笛 を私は今自作もしたりしており ますでは板取りでえーま杖になるような あの枯れたやつですかそれでシハを作っ たりですとか えーあそういえばく焼きとか美前焼きそう いった焼き物のシハもねえ作っていただい たりもしてますまそれぞれ音のやっぱり 特徴があの違うんですけれどもえ8も木で あったりとかえそれからジュラルミン アルミですねそういったものであのえ最近 作っている人もいますなぜかと言うとです ね所外国行くとですねあの特に観想した 地域に行くとえ尺よく割れますえ イスラエルに行った時に一晩で2本割れ ちゃいましたえ湿度が20%以下のような ところでま竹が育たないような場所ですね そういったところでは発はちょっと厳しい ですねそういったところではあの割れの 割れることのないような材質えそういった 借はがあってもいいなという風に思います で今日本では発の平均 え的なですねあの吹きての年齢が70歳 超えているちょうど私より上の人がメイン になってしまっていますで若い人にもも 日本のこういった伝統楽器をえ演奏して もらいたいなという風にあの常々思ってい ます

え絶滅危惧種になりかけておりますのでえ 釈の魅力を若い人に知っていただきたいと ま一部和がバンドとかいうねえ日本の楽器 を使ったバンドが海外で受けてたりもし ますでむしろ今海外の方々がこの発の魅力 に取り憑かれているえ中国台湾世か ヨーロッパアメリカですねえそういった 欧米のえ方々も発に注目してまどちらかと いうと善と言いますかねそういったあのえ 古典的な着発に魅力を感じているようです 私はえポップスを吹いたりジャズを吹い たりしますけども後ろのむしろ向こうの人 は昔の石波にこう憧れてるというそういっ たあの武士道ですとかねぱそういったもの に憧れるんだろうと思いますけれどもそう いった尺は海外で人気になっているという ことはえまえ日本にもそういったブームが 訪れてほしいなという風に思いますそれで はちょっとスライを進めますで先ほどの エミシをいただいたりということもあって ですね音楽療法の話とこうの演奏という ことであちこちでこれは高知県の5台さん の えお寺の客電ですねあのお隣に牧野富太郎 先生の牧野植物館植物園があったりする あの場所ですで有名なえ前奏の方がえ作っ たお庭のバックにですねこういった演奏を したりとか えこれは神戸で えポートピアホテルですかねあったえ国際 エイズ学会2000人以上の海外の方が来 られてま日本の店頭楽器として着発と対抗 えあるいはまジャズのえベーシスト ギタリストをお呼びしてオープニングの 演奏をしましたその時の写真ですで ちょっと若える写真ですけどもこれが30 代ですかね私もう40年近く30数年前え 今大変なことになってますイスラエルです ねイスラエルの街角で学会に行った時にえ 尺をえストリートパフォーマンスをして いるバリの方と一緒に吹きましたで彼のえ バリのケースにはいっぱいあのギャラと 言いますかチップが入りましたまこういっ たあの街角でのえストリート パーフォーマンスていうのは書外国で あちこちでやってきましたこれはえジョン レノンがえ打たれたダダハウスというね ニューヨークのえセントラルパークの一角 ですえストロベリーフィールズという ところでイマジンをかせていただきました え平和を祈るえ曲ですねそれからこれ は東ドイツの学会があったえベルリンの壁 が崩れたあの壊れたその直後ぐらいだった と思います向こうのジャズのバンドとえ 音楽で交流をしましたこれはえ

フォルクローレのえっとペルとかボリビア のですねバンドともま同じようなハのよう なケナねえありますえケナも吹かせて いただいて尺も吹いてもらいましたこれは オーストリアあのチロルのバンドと一緒に えエーデルワイスを多分え演奏したかなと 思いますで次はストックホルムえ スウェーデンのストックホルムの街角で オランダの女性が え学学校の学生さんがフルートを吹いて おりますであの誰も見向きもしないんで ちょじゃあ一緒にちょっとやりましょう かっていうことで石橋とえ共演をしました でフルートのえケースにはまだお金が入っ てませんでしたけども石橋と一緒に演奏し 始めるとすぐにえま足を止めてですねこう やってえお金を入れてくださる方がいてあ これはいいなと思ってえアンティーク ショップの前で1人で吹いてみました30 分ほどえ吹いたんですけどもえ アンティックショップのえご主人がですね 帽子を貸してくださいましたそうすると ですね30分で20ドル相当のまあのえ 末田のお金ですけども入ってですよすごい なつってで今日うちにあの夕食食べに来 ないかという風に誘われましてえっと学会 場のえレセプションをすっぽかしてそちら に行かせていただきましたやっぱ交流はね え音楽での交流は言葉がいらない言葉 超えるですね本当にえそれを実感をした 次第ですえ財布落としてもこれがね尺は がればいけるのだたで次はえアメリカの 南部の短波というとこでえ学会がありまし たまここで講演をさせていただいた時に ですねこの学生さんと一緒にえ演奏しまし たでここで演奏した曲はやっぱり南部なの でジョージアですねジョージア前前ですで これちょっと言ってみましょうかね 途中で次々と思いついて演奏し [音楽] ます よいしょ [音楽] K [音楽] あ [音楽] JA [音楽] DET [音楽] 松本か [音楽] [拍手] [音楽]

さん [音楽] [拍手] [音楽] か [音楽] [拍手] [音楽] T [音楽] [音楽] あ [音楽] ありがとうござい ますえ即興と言いますかジャズ え毎回違う演奏になるのが あ自分でもこうえ楽しいんですねえこう いったあのジャズを拭くのに発は実は すごく向いているなと思いますえま半音と かそこら辺のねえテクニックはもちろん 必要ですけどもえフルートではできない 表現ができるということでこの時もえ短波 のねえここのえコンサートの時もフルート の教授音楽の教授がですね私発の方に絶対 あのやりたいつってえいうぐらいですねえ 発の魅力にえ取り付かれたって言って くださいまし たあのそういった楽器を尺八の良さを いろんな方に知っていただきたいと もちろん民用古典えそういった尺八も桜3 局のねえ春のみを含めてですねそういった 伝統的な音楽もとてもえ尺はえ魅力的なん ですけどもこういったあのジャズとか即興 えそういったものに非常に向いてる楽器だ ということも知っていただければと思い ますでえちょっとスライド進めますけれど もえ街中でこういったあのストレート パフォーマーがえ演奏してる時にはですぐ にこう飛び入りをしてえ音楽での交流をし えしてみます えとてもあの喜ばれますしですねええエサ というなあのことにです えなりますので楽しみにしていますそれ からあの石橋でまいろんなあの イベントそれからチャリティ協力させて いただきましたこれはえもう随分昔になり ま昔と言いますかえ月日が立ちました けれども阪神淡路大震災のチャリティの コンサートをさせていただいたりえしまし たそれからえっとあの川崎洋服時代での あの講義にもえ来ていただきましたえ方 です落仁さんというえダウン症の天才 ピアニストえお母様がえ彼の才能をですね え伸ばしてま言葉もうまくこうえ出ないん ですけれども音楽に関してはもう天才的

ですねえ私の8とギターのCDよスカイア ウィンドていうCDがありますけどその曲 をですねピアノに全てこう 転換をしてですね不明全くなしでえ演奏し てくれます私の曲すごく気に入ってくれて ですねで彼にえ何度もえ抗議に来て いただきましたそうするとですね あの障害って何だろうと学生がですねもう 本当にあの衝撃を受けたという風な レポートがいっぱいありますダウンシって 何もできないと思ってたいやとんでもない とえ本当にあの才能をばせばですねま彼の なえま初動家もおられたりしますよねそう いった実をうまくこう伸ばすということが できればですね障害に関わらずま普通の方 以上のえとんでもないあのそういったえ 能力をが秘められてるということをえま 実際に彼は示してくれましたでまた是非 やりたいと思ってますコロナの間ちょっと できなかったんですけどもそれとえ いろんな方と今コラボレーションえ昔から していますけども特にギタリストの田中明 さんていうねえ日本とアメリカでえ指を 使うフィンガーピッキングスタイルの ギタリストですけどもえ日本とアメリカで 優勝したとで彼がアメリカで優勝した時の えま正体演奏に僕もえ一緒についていき まして向こうでえ発とえギターの コラボレーションをしましたま一緒にCD も作ったりをしておりますえまたあのこの の23日ですかねえ彼と京都で演奏する 予定になっていますまそういった形で いろんな方とのコラボレーションあの とってもあのえ月の可能性が広がるなと 思ってますあともう12枚で終わります けれどもそれとですね私あの先ほど母方が えの富永というんですけどもえクレの出身 で実は長男がえ原爆で亡くなっております え東大のえ学生だった時にです学都人でえ 大本営広島のえ大本江で爆進地の真下にい たということで骨も見つからない状態でえ 亡くなりました え最初ですねあのえ長崎でえ原爆記念の ミサの後にですね演奏え会をということで 始まったのが9回ほどえずっと通ってえ 浦上天主堂でのコンサートというですねえ 音楽会というのずっとえ協力をさせて いただきましたえ完全なボランティアです けどもえここでやはりえまそういった え日合の死を遂げたですねえ叔父も含めて ですねえ戦争の悲惨さをこうえ思いながら 平和を祈りながら演奏をするというなこと をずっとやってきましたイタリストの方 それからあの今日も来ておりますけど私の 息子なんかともコラボでえここで演奏させ

ていただきました まここでえ演奏した局はまもう1ぺ今演奏 したいと思いますやはりえ天主堂ですので えアメイジングレースが1番ふさわしいか なとえいうことでえ平和を祈るえ気持ちで 今あの戦争があちこちでねまたえ広がると してる続いているという中でですね やっぱり音楽はえ平和を祈るにはやっぱり ふさわしいえなと思いますのでアジン ブレースを演奏いし 1番長い尺とえ普通の尺持ち替えながら 演奏したいと思い [音楽] [音楽] ます [音楽] H [音楽] H [音楽] H [拍手] [音楽] T [音楽] [拍手] [音楽] T [音楽] [拍手] ありがとうございましたアメイジング グレスお送りいたしましたえ最後えっと私 がえ川崎福時代で講義で使っているえ スライドの中からちょっとご紹介をしたい と思いますで私はあの音楽健康と音楽と いうえその講義の中でですねえま音楽と人 の繋がり歴史的にこうえどんな繋がりが あったかということをちょっと イントロダクションでえお話をしています 例えばですねいつの時代にも音楽があった というのはまいつの時代っというのがどの 代なかちょっと分かりませんけども おそらく人が人類がですね え言葉を喋る以前からも音楽があったとま 声ものとそういった音が えと共にねえ人類はえま生きてきたという ことがまこれはあのエジプトの壁画です けどもいろんな楽器がもうこの時代には あって建言やえ社線の原型みたいなやつ ですよねそれから笛もありますねえこう いったことがあのの証明されているわけ ですけども遺跡からもですねいろんなもの が見つかっています親戚時代ですから2万 年ぐらいまでの間にですねこう端のような え指穴がちゃんと開いている

えー鶴かまつったあの足の長いえ鳥の骨中 が空洞ですのでこれのような音が出るはず ですね実際に音が出たとえ割れてないもの から往復と音が出たという風にえ ネイチャーというねええ学術雑誌に報告さ れていますでそさらに3万5000年前 もうこれは励ましの骨性のものがですねえ 見つかったとドイツのえ洞窟で同家で 見つかったということですね えまこれも増えとしてちゃんと音がなると いうことでもう本当に遡れば人類と音楽の 歴史というのはですねかなり昔からあった だろうとま想像ですけれどもえ例えばです ねえ先ほど言いましたよ言葉がない時代 言葉としてねちゃんと成立していない時も 声とか音でコミュニケーションをしたと いう時代がきっとあったと思いますし だんだん言葉が発達してくるとこれは歌と してですねいろんなあのえ歌とかえこう その祈りと えー音楽ということでですねあっただろう という風に想像はできます例えば病気と いうのは悪霊が取りついてなるという風に ずっとあのいろんな各地でえ考えられてい た日本もそうですねそれからあの イヌイットの方々そういったところを音と え声でですねそれを退散させるというえ そういったあのま儀式的なものがえ世界 各地に残っていますまそこからずっとあの 記述されるような時代にあの お言葉がねえそれからえそういった記述と いうのが残ってる時代え例えば旧約聖書と かねそういう時代ギリシャとかそんな時代 だと思いますけども えーどんどん発達をしていきます例えば 労働これはあのしんどいエジプトのね ピラミッドを作る時にえみんなで声を 合わせて重い石を運ぶとかねそれから宗教 と結びつきあるいはま時には政治と 結びついたりしてえ音楽はま発達と言い ますかねえ発展をしてきたという風に思い ますでえクラシックに代表されるような 芸術としての発達というのはもうすすごく え中世以降ですねあります楽器がどんどん 開発されて演奏技術あるいは作曲の技術 ですねそれがあの盛になったで応答として 残せるようになったのはえエジソンとかね ああいう時代以降ですよねでそれによって 音が再生できる危機がどんどんえレコード から えそれからテープレコーダーそれからCD MD今やもう この空間宇宙空間と言ってもいいでしょう けどもそこには音楽が溢れているわけです それをこういったスマホとかいろんなもの

でえ簡単にこうダウンロードできるという ねもう音楽が今 あ溢れるほどえ身の回りにはあるという 時代になりましたでそれに伴うてですね もうその地方にしかないような音楽は どんどんえ消滅していくっていうのこの グローバル化の差がと言いますかあの 仕方ない 面かもしれませんけどもちょっとそういう どこでも同じような音楽という風になって しまうのがちょっと残念なところもあり ますけどもえどんどんえ商業活動として ですね1局当たればえ田ヒルがええっと6 え6万枚じゃえ600万枚かえねえ最初の CDが売れてまそれでものすご大のお金が 入るとそういった業活動とつがるというね えことでえ発達してきました今やCDも なかなかね えと変われなくなってえアーティストが 大変だという時代になってきましたけども ま本当にあの当たり前にま音楽があるとで その中で自分のやっぱり好みの音楽自分に とって大切な音楽っていうのはちゃんと 自分としてこう持つというのは非常に重要 だなという風に思いますそれが音楽療法に も使えたりします でこれはあのトルコのえっと遺跡を訪問し たというこのえ先ほど言ったねあの穴が 空いた石を拾ってきましたま確かにそう いう音がしますえちょっとこの画像だけ ちょっとお見せするだけですけどもそこで ですね音楽と心の関係ま今日の講演の中で もちょっとお話ししたいなと思ったんです けども音楽によって心がどういう風に動く かということなんですけども一応一定の 報告法則があるとわています一定というの がですねあのみんなが同じように感じると はあの限らないんですで音楽は時間芸術と 言われておりますねえっと四角で写真とか 絵はずっとそこにありますから何度でも 見れますけども時の流れと共に音楽は流れ て消えていってしまいますでその流れが あることによって物語性ですとか音楽音楽 こうなると思ったけどちょっと裏切られ てえ計にこうエキサイティングなあの展開 になったとか予想が予想通りで安心したと かいろんなそういうね物語り性が音楽には ありますそこで悲しみとか陽気さを音で こう表現することによってそれと同調のね え気持ちになるというなことがありますの でそれをちょっとやっていただきましょう かねえっとすごく悲しみ を呼び起こす例えば早々曲お葬式の曲です ねあのえありますねなんですけども えこういう暗くてえ低くてテンポが遅いと

[音楽] いうこれ聞いてるだけでなんかこう陰鬱に なりますよ ねありがとうございますで例えばですね 普通に引いていただいたらどうかっていう のを浜辺の歌をえっと教科書音楽の教科書 的な引き方でお願いし [音楽] ます はいあありがとう淡々とありがとうござい ますえでこれがですねすごくこう悲しいえ 浜辺の歌をちょっと演奏していただけます [音楽] か [音楽] ああていう感じですよねありがとうござい ますあの曲がどういう風にあのえ効果を もたらすかって提示の仕方演奏の仕方です ねそれがすごく影響えあるっていうのはお 分かりいただけたかと思います逆にすごく ウキウキするようなねえ店舗が早くてえね え明るい町長でメジャーなことでえそんな 感じでじゃあ浜辺の歌をやってみて [音楽] くださいありがとうございますあの心の中 でですねこうリズムを刻んだりねえ自然に こう体が動くとでこれ電図をついでると ですね自分であのリズム取ってないつもり でも筋肉がピクピクとね電磁あの電極を ついだ出るという風に言われてますまそう いう生理的な音楽による反応っていうのが まあのあるわけですねまそういったことで え音楽どの音楽が聞くとかいうのはないん ですね私も癒しのCDやというほどあの 探して聞きましたけども全然癒されなかっ たですねCDで癒されるっていうのは本当 にあのの人がその曲やえねえ音にこうえ心 をこうえ動かされないとあまりえただ え癒されますよじゃなくて自ら癒される 言えるという状況にあるとですねすごく あの効果があるという風に思いますそれで 今日あの市長さんの話もありましたま現在 はストレスま非常に多い大きい時代ですで ストレスに対して人々はどういう風な反応 を示すかていうの従来はえ3つのFと言わ れてましたファイトえストレスにうかす ようにそれをねえ元気でえ逃走するという のとフライトですね逃避する逃げることも 大事なんですねで日本人はこれが苦手で3 番目のフリーズ固まってしまうという フリージングを起こしてもう逃げられない という風に自分でもう思ってしまってえ どんどん落ち込んでいってま最終的にはえ を選というなことがねえ起こってしまい ますえ未だにえ2万ま3万人は切りました

けど日本はえ先進国の中で非常にあの自殺 のあのえ方が多い自殺率の高い国になって ます日本中やっぱり真面目気真面目ですよ ねで自分のせいだという風になんか自分を 責めてしまうということがえあるようです がまあの4つ目のFをえ私はずっと提唱し ていますえそのストレスをま受け入れた たり折り合いをつけたりま漂ったりする ことでまうまくこうねえそのストレスをえ ま逃すと言いますかねえそういったものの 助けに音楽はなるんじゃないかなとここに 音楽の出番が多いにあるという風に私は あの思っていますですから自分でご自分で 積極的に音楽を取り入れてですねえ歌っ たり聞いたりねえ場合によってはもうあの 体を動かしたりしながらですね音楽の公用 を是非あのえ利用していただきたいなと いう風に思いますで え精神状態と音楽その中でですね特に うつ病に対しての音楽の使い方では ちょっとあの注意をする必要があります あるいは えま統語出張症というその妄想の激しいえ 状況の時に音楽の使い方を誤るとどんどん 妄想が広がってしまうということも言われ ていますで普通のひどい時には音楽は 受け入れる余裕は全くありませんでちょ こう上向きになったかなという時にですね え好みにあった音楽でしかも非常にあの 暗い え自分の心のえありよと同じような曲をえ 小さな音でゆっくり聞くということでです ねえ同調させる同期させるんですねそれは 同質の原理と言いますけどもえBGMとし てそれそれを聞きながら体をゆっくり 動かしたりえマをしたりねそういったこと を全身のリラクセーションをしたりすると いうことで音楽を使っていくといいと言わ れてますでうつの人に元気になろうつって こういろんなねそういう音楽を使うのこれ 逆効果になりますでこれはもう音楽療法の 中ではもうよく言われていますが同質の 原理 えその時の心の状態にあった音楽をえ使い ましょうということが言われてますでそれ はアルトシラていう方の理論ですけれども え先ほどのそのの状態の話もそうですが 今度逆にですね非常にこう怒りが体から もうえあの発散されなくてこうする苦しい という時には無しした気持ちと同じような ですね激しい言葉あの汚い言葉もそれから 大きな音リスそういったもので発散すると これは若者のエネルギーがあり余ったな 状態の時にえパンクであったあったりとね えいろんなあのえありますよねヘイヘイと

こいろんなあの えなんて言うんだっ けラップラップえラップをええやって バトルをするとかそういうねあの発散を するというなこともえそれも同質の権理な わけですねそういった気持ちと同じような ものをえ選んでえ発散するとでだんだん やっぱりあの年齢がを重ねるとですねそう いったあの激しい音楽というはこう 受け入れるのが難しくなったりするわけ ですけどもそれはそれでえその時々えその 年齢にあった音楽というのを選べばいいか なという風に思いますでこれ20年ぐらい 前にえ えっと井原先生と一緒に音楽療法盛にされ てたええ篠田先生が作られた平均的な日本 人の音楽歴というこれは耳 は7ヶ月腹の中にいる時点でも聞こえて ますで亡くなる直前まで耳だけは聞こえて いるという風に言われています一番え人の 感覚のえ臓器の中ではですねえ長く人とえ ねえ一生を過ごすということですで大世紀 にまよく言われますよねあの退京とかねで そういった時にクラシック聞かせればいい というのではなくてですねやっぱり お母さんの声であったりとか歌声であっ たり話声そういった穏やかな声を聞き ながらですねえ体積を過ごすことがえいい んじゃないかといつもあの夫婦喧嘩をし てるような声を聞かされるとですねえお腹 の赤ちゃんもあのいいえ影響がないんじゃ ないかと言われていますで新誠治入期ま こういった時は本当にあのお母さんが抱て え心臓のえところにえ耳をね当ててそれで 怪し声小歌を歌ってあげるというのがもう 全てを委ねられるというそういう子供のえ 心の安定安心につがるとでそれは情緒の 安定ということですね えいいということで小歌温度っていうのは え湯川令子さんがあの社にね行っておられ ます本当にそうだなと思いますで音楽聞か せればいいんじゃなくてそういったあのア コンタクトも取りながらえそういったえ 怪し声ねえ同様を聞かすというのは とっても大事なえ後々の情緒の安定に つがるという風に言われてますあと学道機 先ほどちょっと同様の話とかしましたです ね消化とか学校での歌っていうのは やっぱりえ一生えこれは思い出としてです ねえ繋がりますえ大切なもんになりますの でえ是非あのえみんなで歌える曲をえその 学童機にはえいっぱい持っておくという ことが大事かなという風に思いますポそれ ポップスもいいんですよいいんですけども えみんなで歌える素晴らしい消化ね部消化

それから同様ありますよねそういったのを いっぱいこう歌えるようになっておくと いうのはえ熟年高年期になった時にですね そ役立つと思いますで春機えま青年機です ね年まいろんな好みがありますので それぞれの好みの音楽を自分で取り入れて まあるいは自分で演奏したり歌ったりする というのえそういった形で日本の日本人の 音楽歴ではえ気づかれていくで熟年以降皆 さん下曲ナツメロだけですかじゃないです よねもうあの僕もそうですけどもコキが来 てもフォークソングやえグループサンズの 曲やねロックビートルズも含めてですね そういった曲が自分のえ青春の曲として やっぱりあるえ親父バンドがこれはじじえ じじバババンドなってもいいと思います 自分でその積極的に音楽をですね楽しむと いうことがえこれからは本当に大切だなと カラオケでもいいんですもちろんえ カラオケえいいと思いますま昭和のえ大 ストアがどんどんなくなっていくのはあの 寂しいんですけども僕なんかまさにアリス 世代なんですね谷村慎二さん えアリスの曲でえ自分で引きがりをしてえ 8以外のその音楽いっぱいえ楽しんだと それが今僕のの中にも生かされてるなと いう風に思いますでそれぞれがえ自分の 音楽を楽しむ音楽を持つというのはとても 大事だなという風に思っておりますで音楽 療法のちょっと歴史についてですけども第 1次世界大戦の後ですねえptsgだと 思いますけどもえ先兵えたねえ正位軍人を 問をするプロの演奏家たちがですねその 音楽の効果に驚いたと癒されたという風に あの皆さん言ってくだだったということ から音楽療法がアメリカで主に発展をして 日本も1950年代60年代にあの導入を されましたがそれを日原先生方がですねえ 1980年代ですねこういったあのえ学会 を作りえ日本学療法学会に発展させという ことでで今いろんな施設で音楽がもう 当たり前にえま集団音楽療法がもうです けど使われてますねえ治療としてという よりはまこれはリクリエーションとしての 側面も大きいんですけどけれどもまそれを 専門に やる音楽療法師さんもえ多くえまえ認定を されていますまこれは国家資格ではないん ですけどもえそういった方々がま複数 の施設を尋ねたりあるいはごご自分が いろんな介護職をねえダブルでえ資格を 持ったりしながらいろんな施設でえ活躍を されていますまそれがどんどん発展すると いいなという風に思っております先ほど 言いましたように音楽療法はえ精神家だけ

でなくてですねえーまリハビリのえ痛みを こう忘れさせてあこんなに手が足が動くと 思わなかったという風にあの音楽療法やっ てる時に皆さん体を動かしていただくと ですね普段は痛みでなかなか動きが悪い ところがどんどんこう動かしされてると いうことがありますえ医療現場ではま婦人 化でおさの時にですね普段聞いてのCDを 流しながらあるいは意識間のの手術で音楽 を聞きながらやると血圧も安定するという ことがありますあと歯医者さんが1番古く から音楽使われてますよねBGMがあり ますねあるいはマスキング効果と言いまし て え大きな音では流れてません小さな音で 流れてるのでそれを聞こうというその意識 が働いて痛みの方が忘れるとね恐怖を 忘れるというそういった効果があるよう ですあとは健康管理えメンタルヘルスのね えアスリートがもう試合の直前までずっと 普段聞いてる曲を聞いて安定させてますよ ねえ集中力を高めるといそういったのにも 使われてます健康カルに是非皆さん音楽を え活用していただければという風に思い ますでもう最後の12枚ですえっと私は ダニの え感染症の研究も30年ほどやってきまし たま生感染症もえ研究のテーマだったん ですけども全国にダを取りに行きますこれ は八島の八杉の近くですねえダ取りをした 後にですねえそこに法の演奏をしており いるますでパッと気がつくとですね薬薬猿 が近くまで寄ってきてましたま自然の中で もえこういった音楽がですね動物にもえ やっぱりえ刺激を与えるんだなという風に 思いましたでこのダニをずっとえ調査を する中でですねえダの研究者ってやっぱり ちょっとま変わった人が多いって言います かねえ非常にあのユニークな人が多いんで えどうしてそこまでダを愛せるんだろうと いうことからですねえまテーマソングを 作りたいなと思って作ったのがダニオドと いうえ曲でですねで30年ほどそれあれし てねこやっとダニ温度のCDを作りました 今日はちょっと残念ながら持ってこれて ないんですけどもえダニのダニのえ学会 研究会とですねそのダニ温度全員で踊ると いうこれ著名なあの研究者あの方々です けどね最後にえ全員で えシハと歌とえギターの伴奏に合わせてえ ダニは日本のこの爪がですねこういう風に ま曲がってどんどんこうえ上がってくるん ですけどこれをしながら何温度を踊ると いう非常に怪しい集団のえ光景が繰り広げ られるんですけどもえちょっとダ温度紹介

しましょうかねちょっとお願いしますで 温度ですのでこれ手拍子があるといいなと 思いありがとうございますそんな感じ で 昔昔のその 昔毛のたりがあったとさ今も忘れちゃいけ ませ ん のつが虫あそれ つがのつが虫あそれそれそれこういった 歌詞でですねえありがとうござい ますえあのダのことを知っていただくため の啓発ソングですよね別に茶してるわけで はないというなことでえつが虫病つがなし やて言いますよね昔は筒自体が病気だった と病気という意味だったらしいですねえ筒 がなくお過ごしですかていうのはまつが病 にかからないようにえ過ごしてますかとか そういう意味もあったかもしれませんま これをえ歌うことによってですねダのえ 病気についてあるいはえどんな病原体が あるかということもあの知ることができ ますえちなみにYouTubeでダニ温度 とえ入れていただくとですねみんな踊っ てるのがあの動画が出てきますのでええ 是非あのダニ温度知っといていただければ と思います実はえ環境保険センターであの ダニの調査岡山県くなくえさせていただき ましたえ国の研究費を使ってですねで岡山 はいろんな病気の持ってるダがいるという ことが分かりましたで 温かい日はですね2月でもダに取れますえ まだにですねまだにとかで筒は建の方に 多いんですけれどもえですから野外活動を する時え是非気をつけていただきたいこと がありますえ肌をできるだけ露出しない ようにしてえまできればあのデートとか 怒り人というね虫を虫除けのスペレをやっ ていただくといいかなと思います1番大事 なのはダが取り付いて病原体を入れるまで に6 時間猶予があります家に帰ったら必ず 着替えをしてえついてないか探してお風呂 で洗ってくださいちっちゃいやつもいます んでねえそれを心がけるとダの病気ははえ 防げますえかなり防げます岡山でも残念 ながらこれまで何人もお亡くなりになって いますしえ1番多い季節が5月6月ダが 幼虫が帰ります卵からですねでわっと増え ますでえ冬を越すダもいますので温かい日 には冬にも出てくるということでまダの ことをちょっとえ調べていただけるとあの お分かりいただけると思いますけど岡山は えダ結構いますどこと言いませんけれども 県南部え温かいえところはええなぜいる

かというとですね野生動物がいっぱいい ますえネズミイそれからたぬきま狐もいる かなで伊市鹿と一等の地下とかイシ市には 1000匹ぐらいダについてますからで そういったものがえ家の裏庭に入ってきて いっぱい落としていくんですねで庭仕事 しかしてないのにと庭にダがいるんですで 調査で色々と分かってきましたんでダに ついても是非あのお気をつけくださいえ それでは私のオリジナルの曲を1局お聞き いただければと思いますえララバイという 曲です大人のための小歌というそんな感じ で作りまし たあ時間過ぎてましたねごめんなさい えっとではこれで終わり ますあの余裕がもしあれば1曲あのやり ます大丈夫です かの話にあの熱が入ってしまいまして予定 オーバーになってしまいましたじゃあ1曲 だけ4分ぐらいの曲ですのでお聞き いただきたいと思います今日本当に ありがとうございました [拍手] [音楽] 松本 [音楽] [拍手] [音楽] H [音楽] あ [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] H [音楽] [音楽] あ [音楽] [拍手] [音楽] あ [音楽] [音楽] どうもありがとうございましたえちょっと ガオーバーしていまいまして申し訳あり ませんでしたどうもありがとうピアノ 松本どうぞ音楽ですねえ元気で楽しいえ 人生を送っていただけるとえ嬉しいなと 思いますありがとうございまし [拍手] た

主催:玉野市・玉野こころの講演会実行委員会
講師:岸本 寿男 氏(岡山県健康づくり財団 健康づくり総合センター附属診療所副所長;尺八奏者)/ピアノ伴奏:松本 加代子 氏(インタリュード岡山 ピアニスト)
収録日:2024年2月17日(玉野市立中央公民館にて)
岸本寿男先生は13歳から尺八を始め、医師として働きながらホスピスや病院でコンサートを開催。演奏を聴いた植物状態の患者が涙を流したり、寝たきりの人が急に手拍子を打ちはじめたりした経験などを踏まえ、音楽とこころの健康について、わかりやすく説いてくださいました。
「アメージング・グレース」やオリジナル曲の生演奏も披露してくださいました。
当日は玉野市民ほか、120人が聴講してくださいました。
講演・演奏の模様をお届けします。

権利関係のため、一部映像をカットしております。ご了承ください。

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