【水の郷】閑散期?柳が無い時期の柳川行ってみた。【福岡・柳川】

こんにちはあの女系です本日は西鉄天神駅 に来てい ます今回はお城と詩人が育んだ不溢れる水 の里柳川のご紹介ですよろしくお願いし ますということで特急に乗って向かいます 柳川は福岡県南部に位置する都市で福岡 から50kmほど離れている遠い土地に なりますが西鉄の特は別料金がかからない 上にめちゃ早いので楽に移動することが でき ます約50分で到着しました西鉄柳川駅 です最近回送されたそうで随分おしゃれな 駅舎でした早速ですがここの名物である 川下りに乗りに行き ましょうここで軽く柳川についてのご紹介 です柳川はかつて後の国の南部をめて 川班川場の町で1番の特徴は街中に 張り巡らされた堀割至るところに水路が あり ますそしてなんと言ってもこの堀割を使っ た川が有名で船に乗りながら不溢れる 街並みを優雅に眺めることができ全国的に も人気の観光名所となってい [音楽] ます歩くこと 小月線場に到着です水路の両脇には大量の どんこ舟が止まっています向こうには出発 していく船も見えますねあれが人気の遊園 たる川下りの光景ですとても絵になります よ ねと言いたいところですが実は現在オフ シーズンとなっていますというのも本来 この水路の彩りである柳の木はすっぱだか そのため冬の時期は観光客が結構減ってい ます地名の由来である柳の刃も見れなけれ ばお掘りは川でもないので一体ここは何な のでしょうかいやま普通に柳川でいいん ですけど ねさてチケットを購入して挑戦です片道 1800円掘割を巡りながら約1時間かけ て観光の中心部である花に向かいます町を 見るとを中心に駅が北東部で観光地が南西 部と約2kmほど離れているため駅から 観光する場合は川下りで移動するのが楽だ と思い [音楽] ますここで柳川の川下りについてご紹介し ます実は観光としての川下りは歴史が浅く 1955年頃に発足しましたきっかけと なったのは柳川出身の詩人北原白州の涯を 描いた空たちの花という映画の中で明治 以降行われていた川遊びというここの堀割 を子供たちがどんこ船で移動する場面が 注目され現在の観光目的とした川下りの アイデアになったそう

ですそんな掘割が作られたのはなんと 2200年前やい時代まで遡ります元々 この辺りは有明界の日型とで堀を作ること で水の確保と居住地や感電を整備し生活 基盤を築き上げましたそして鎌倉時代に 柳川城が気づかれ長い時間をかけて現在の 掘割が整備されまし た園長はなんと930km全部繋げると この柳川から千葉あたりまでの距離になり ますとんでもないですよね白の防御の他に 水運や生活腰水農業腰水としても広く活用 されまし たまとめるとやい時代に作られた堀割を 鎌倉から江戸時代にかけて整備し明治時代 に流行った川遊びを描いた昭和時代の映画 がきっかけで現在の柳川川が生まれたと いうわけです長い歴史の決勝とも言えます よ ね現在の川はどことなく江戸時代の雰囲気 を感じます水運で運ばれる面具の米だに なった気分で楽しい ですさてこの川下りは見所満載となってい ますがいくつかピックアップしてご紹介し ますまずは柳川城堀水門400年前に作ら れたもので場内に入る唯一の水門だそう です敵軍が攻めてきた場合はここを締め 上流の堤防を崩すことで適力をご水に流す 仕組みらしいですなかなかクレイジーです よ ねこちらは帰りに撮影したものですが見て の通りだいぶ狭くここだけ水の流れが早く なっています通過する際は先導さの腕が 試されるみたい ですお次はひし神社前にある水上商店 151へ希望車がいれば止まってくれる ドライブスルーのようなものでソフト クリームや剤餅などを洗浄でいただくこと ができ ます私も揚げ餅を買いました1本250円 ややお高いですがまこのロケーションを 考えれば妥当ですよね美味しかった です最後に雲出あみ本来は有明界でウナギ やムツゴを釣るための伝統的な仕掛けです がなぜかこんなところに設置されています 用の展示ですか ね近くで見ると割と新築感があります一応 使えるようになってるんですか ね看板には雲で網と書かれていますなんか のサービスの名前みたいですよ ねということで花に到着です戦場からは 様々な景色を見ることができましたまた 音声はカットしていますがのやお話が とても面白くこの川下りのもう1つの魅力 となっているので是非1度は体験してみて 欲しいですちなみに川の運営会社は数社

ありそれぞれ料金やサービスコースなども 違うためどこを利用するかは事前に調べて おくといいと思い ます船場を出ると立派なお屋敷と感が並ん でおり特別な場所であることがわかります と呼ばれるこの場所は旧柳川阪立花市の 邸宅 です筑後の国の南部を納めた柳川班その 初代阪は16世紀頃の戦国大名立花宗と いう人物 です宗は豊富秀吉の九州閉廷で活躍し報酬 としてこの柳川の領地を与えられ柳川上手 となりました秀吉の号ヶ原の戦いで水軍に ついた宗茂は徳川イアス引きいる東軍に 破れると一度領地を失いますが色々あって 後に再び上司となり ますその後も柳川班は大々立花家によって 当事されてきたわけですが花は江戸時代に 阪の別たとして作られた場所で現存して いる本館庭園感は明治時代の19年頃に 立てられたものだそう です内部には柳川の伝統工芸さもそしてひ 団が展示されています実は柳川はひな祭り でも有名で毎年3月には佐本を使った盛大 なイベントが行われ ます本当は大間も見学できるのですがこの 日は結婚式が行われていたため入れません でしたというわけで続いてはの洋感を見て いき ましょう一応建物自体は繋がっていますが 一気に雰囲気が変わりましたねこの西洋感 は景品感としての役割も果たし当時から 電気設備があったそう です食堂はこんな感じ奥には食器棚の右に 謎の気がありますがおそらく料理の 玄関では洋風的な3つのアーチが見られ ます柱は古代ギリシャのイオニア式で夕雅 さを象徴しているらしい です2階はホールとなっておりピアノが 置かれていますこの場所では車高会が行わ れていたようです ねこれだけ立派な専用感ですが窓の外を見 てみるとこの建物が邸宅の一部に過ぎない ことがよくわかります 見た感じ寝室はないようなので本当に下品 感だけの役割で活用されていたみたいです ね続いてはレストラン対月間の2階に登り ます本日レストランは休業ですが 大広寺から庭園を見ることができるよう です夜は宿泊客に解放されているようで しれたラウンジもありますね 階段脇にはクの体重樹霊800年から 900年ほどあるようで屋根よりも随分 高くまで枝が伸びてい [音楽]

ますテラスからは立花亭と日本庭園小頭園 が一望できます宮城の松島を持ちた庭園だ そうで国の名称にも指定されています曇っ ているのであんまり美しさが伝わらないか もしれませんがとても綺麗日本庭園 ですカモたちも優雅に過ごしていますと いうかよく見るとめちゃめちゃいっぱいい ますねどうやらここはカモの平一だそうで 冬の時期にはこうしてカモたちが池を支配 しますそう聞くと鴨会の貴族たちが車高場 にして頼れているのかもしれませんね鴨 だけにそして個人的に1番壺だったのが このテラスの 角すげえとんがってて実に 面白いまるで追い詰められるように幅が 狭まっていますが奥の部屋にもちゃんと 引きとがあるのがポイント高いですね特別 名称に指定し たいちなみに花南側のお堀には出会い橋と いう木造の橋がかけられていますここのお 堀は幅が広いのでその分橋も立派ですね とてもいい景観です この先は東庭園となっているようですが ホテル利用客だけが入れるみたいです橋 までの見学になりますがこの辺りは不 溢れるいいフォトスポットとなっているの で合わせて立ち寄ってみて くださいようやくですが街を歩いていき ましょうこの辺りは観光地区でうなぎ料理 店が多く並び ます私はウナギが食べられないので チャンポンを食べる予定でしたがうっかり していたことに営業時間が過ぎており今回 は昼飯抜きとなりまし たどこも意外と早く閉まるのでお店の営業 時間は事前にしっかり確認しておき ましょうこちらの橋にははしごが設置され ていますこれは川下りの先導さんがはしご で使うもののようですが最近条例で禁止に なったと話題になっていましたね 昨年発生した京都の小川下りでの事故を 受けてこうしたパフォーマンスが問題視さ れているようで案の定しから撤去を促す 張り紙がされてい ます一応橋という行為自体は法的には問題 ないそうで現在も行われていますが今後 どうなるか分かりませんのでま見たい人は 見れるうちに見に行った方がいいんじゃ ないですか ね さてこの柳川にとって重要な人物がもう 1人いますお次に到着したのは北原白州 成華 です北原白州とは明治から昭和時代にかけ て活躍した詩人作家で近代日本文学に

大きな影響を与えました馴染みがあるもの で言えばや雨降りゆりかごの歌などNHK のみんなの歌で流れているような同様の 作詞を手掛けた人 です白州の家業は酒屋だったそうですが 明治時代に家事で消失しました現在の建物 は昭和時代に復元したものでそのためか中 は若干昭和レトロ感がありました ねこちらには水場もありました水路自体は 当時からあったものかと思われます細い 水路ですがここから生活様子を組みとって いたわけです ねということで北原白州成果のご紹介でし た奥には資料感もあり白州の人生や柳川と の関わりを知ることができるのでこちらも おすすめの観光スポット です近くには入江のような場所があります がこの先は沖の川につがっており の漁もあるみたいです現在は腸みたいなの でほぼ泥一面ですが満潮になればここまで 海の水が上がってくるはず です道路の反対側は掘割の水門になって おりここで水量を調節しているみたいです ね掘割の水は主に沖の川から引いているの でこの水を通る水は元の川に戻ることに なり ますそんな水の中に住む生き物たちを知り たければこちらにある柳川水族館に行き ましょう柳川水族館では主に有明界の 生き物と炭水魚が展示されています正直 水族館というかアクアリウムショップの方 が近い印象でした ねとはいえいろんなでけえ魚が泳ぐ大水素 やTプスアルビノのすぽなど割と珍しい ものが見れる面白い施設なので 気になる方は訪れてみて くださいさて次の目的地に向かいますが こちらも脇に水路がありますね蓋や柵が ないためよそ見してたらうっかりドボし そうで 怖いお次にやってきたのは旧豊島住宅一見 普通のコビカですが実は庭園が名称に指定 されている優れた武屋敷 です内部はお見せすることができませんが 庭も屋敷もすごく面白い作りをしているの でこういう家が好きな人には超おすめ ですそして柳川にとって最も重要な指跡が ある場所にやってきましたこちらはお堀に 囲われた南光フラの中学校 ですというのは冗談でここはかつて柳川城 があった場所となってい ます柳川城は戦国時代の1500年頃加 明久という武将によって築上され現在も 残る無数の堀割に囲われていたため南光 フラの城と表されていまし

[音楽] た豊富秀吉の九州抜後は立ち話が上司と なり300年以上続いていましたが 1872年に家事によって消失してしまっ たよう です現在は中学校や高校に囲まれた広場の ような姿になっており真ん中に古株が残る のみとなっており ますお城自体は残っていませんが城の防御 の一環として作られた堀割は今では水後山 が観光の主役となってい ますそしてそんな美しい水の里は後に偉大 な詩人となる北原白州の感性を育みました このように柳川城は高世にも大きな影響を 与えた存在と言える [拍手] でしょうということで柳川城跡のご紹介 でし た最後にやってきたのはひし神社先ほどご 紹介した川下の水上商店がある場所ですね この神社は柳川城の樹として見され滋賀県 坂本にある大社の分社だそう です特徴は何と言ってもこの巨大なオ覆面 訪れた人々に強烈なインパクトを与え ます演技がいいものではあると思いますが 正直若干怖いですね夢にも出てきそう ですそれだけではありません実はこの神社 経済にミニ動物園のようなものがあり鳥類 や小動物が飼育されています こんなところでフラミンゴが見れるとは 思いませんでしたねまさにお目通り ありがたしこちらにはうさぎ小屋早速1匹 寄ってきましたね残念ながら餌は持ってい ません中を覗いてみると結構な数いますね みんな大福みたいに丸まってて可愛い です以上ひし神社のご紹介でした地味に エンタメ性の高い神社で割と楽しい スポットなので時間があれば是非訪れてみ て くださいということで水後山がのご紹介 でした冬の時期でやや換算としているので 哀愁漂う不の街という印象を受けましたね 見所も多くとても楽しい旅になりました次 は緑の季節にまた訪れたいと思います 個人的に特におすすめの観光スポットは 川下小花北原白州成果旧豊島住宅です よかったら旅の参考にしてください名物の うなぎもお忘れ なくといったところで今回の動画はここ までですもしよろしければチャンネル登録 高評価のほどよろしくお願いいたしますご 視聴いただきありがとうございました [音楽] H [音楽]

あ の

ふとした時に「そういえば柳のない柳川ってどんなんだろう?」と思い、
気の向くままに行ってみました。

▼前回の動画はこちら▼

<今回ご紹介した場所>
・水郷柳川観光(川下り)
・御花(立花邸)
・北原白秋生家
・やながわ水族館
・旧戸島家住宅
・柳川城址
・日吉神社

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クレジット
効果音等:OtoLogic
音楽:しゃろう / BGMer
イラスト:いらすとや / イラストストック
制作:或ノ情景

※動画内の画像や映像等の無断使用はお控えください。

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1 Comment

  1. 御花のイントネーションに違和感が有ります。お→は→な→と平坦に発音します。西鉄柳川駅の建て替えが最近と言われていますが、2015年、既に9年経っているのに最近と言うのでしょうか。

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