【タイからラオス】ラオス南部チャンパサックの歴史 〜120年前まで独立国だった〜
ラオス南部の商業都市白星に来ています 正面の壮大な建物はチャンパーサック パレスホテルちょっと前までこの地に チャンパーサック王国が存在しそしてこの 建物は王族の宮殿になるべく建設された ものでした今日はチャンパーサックの歴史 をたどり [音楽] ますにあるチャンパーサックの町のほ近く に三角水の特徴的な山があります芝の シンボルリガに見立てられた聖なる山 です進行の地として古くから神殿が建設さ れてきまし た世界遺産ワットプーの裏山に何やら巨石 軍がありますこれは巨大な像ですね他には ワなんかもありますただこれらの遺跡は いつ誰が何のために作ったのかよく分かっ ておらずミステリーらしい [音楽] です博物館にあった古代の町を示した地図 です左はクメール時代で右はその全身とも 言える新郎時代の街との ことこの町は石碑に刻まれれている シュレスタプラではないかとされそうで ある の都だったことになりますまあ諸説あり です がちょっと歴史背景を説明しておき ましょう時は5世紀のインドシナ半島 カンボジア海岸部を中心に海洋貿易で発展 してきた船難の北側に新郎という続SEC が誕生しまし た下のオレンジが不な上の赤が新郎 [音楽] です新郎はインド洋とメコン川を内陸で つぎさらには南シナ海ともついでいたと 考えられ ます2023年に世界遺産になったタイの シーテープ遺跡はこのルートの重要拠点 だったわけ です610年には不南国を追い出してこの 辺りの覇者として君臨し次の時代の アンコール王朝の母体となっていき ます現在のシュレスタプラを走るとこんな 感じ風道と森林そして田んぼが広がってい ます水路がありますね城壁のすぐ外側なの で昔のお掘りかもしれませ [音楽] ん軽い登り坂1番高いあたりが城壁 ですここが城壁ですね分かります か別の場所はこんな感じです地図を見ると 水に囲まれた島に何らかの遺跡があり ます正面の林が島なんですが橋をかけて 欲しいところです ね城壁ポイントはこの
辺り島ポイントはこの辺り [音楽] です1990年代に発掘された時の写真 ですがその場所に行ってみても何も残って いませんでした埋め戻されたんでしょう かワプーを歩き ます先時代から宗教施設として機能してき た聖地でしたがレガ作りの建造物は7世紀 頃から立てられていたよう です正面の山の中腹に神殿がありますので 向かい ましょう急な階段を登って神殿までやって きました現在残っている建物の多くは11 から13世紀頃に建造されたもの です神殿の後ろ側には何やら大切に作に 囲まれた 建物レガを積み上げる建設様式は後に新郎 の都になった世界遺産3ボールプレイ クックに見ています ね英文の資料を含めて明確な説明を見つけ られませんでした [音楽] がの中心的な建造物である南北の宮殿です ただ実際は何に使われていたかよく分かっ ていないよう [音楽] です [音楽] アンコール王朝が再生期を迎えたのは ジャヤバルマン7世の知世でした12世紀 後半から13世紀前半のお話 ですそしてオートアンコールと結ぶ道や 宿駅町の両用院が整備されましたその痕跡 がこの地にも残っているのでたどってみ ましょうラオスではどこにでもありそうな この砂利道アンコールへと続く王の道です [音楽] 線が集まっているのがアンコールで右上に 向かう線の終点がワットプー ですバイクではなかなか厳しい道を走り 最後は徒歩で遺跡に向かい [音楽] ます田んぼの中にリンガがあって テンション上がります [音楽] 農家の方にそこに入ってけば遺跡だよと 教えてもらいジャングルに入って小川を 飛び越え ますお何か現れまし た世界遺産遺跡とは思えない探検になり まし [音楽] た壁が崩壊しているところから中に入れ そう です
東門の向こうには崩壊した鏡像があって 右側に神殿それを低い壁で囲っているこれ は間違いなく両用因隕石です [音楽] ね偉大なジャヤバルマン7世がなくなると アンコール王朝の勢力は急速に弱まりこの そ辺りにもラオ族が難してきまし たヒンドゥー教神殿として建設された ワットプーはこれ以降ラオ族の進行する 仏教寺院として存続していきます今も ちょっと微妙なお顔の仏像が大切に祀られ てい [音楽] ます1354年にはラオ族最初の統一国家 であるラ王が告されルアンパバーンビエン ちゃんを中心に発展してきまし た18世紀には北部ルアンパバーン中部 ビエンちゃんそして南部チャンパーサック の3国に分裂してしまい ますそしてその宮子とされたのが現在の チャンパーサックですメコン川沿いの 小さな村なんです が左側のお寺がチャンパーサック王族が 祀られているワットトーンですぐ横には 廃墟があり ますのラオスを務めたこともある分ウの ためにフランスが建設しようとした宮殿 です独立に成功したチャンパーサックでし たが映画は続かなかったんです ねこの美しい予感は王族の住居だったもの でこんな感じの建物がパラパラと残ってい ますどんな歴史をたどったん でしょう建国から66年後の1789年 タイのトンブリ王朝が大軍を派遣して ルアンパバーンビエンちゃんを陥落させ ます 続いてチャンパーサックにも進軍してきた ため幸福して続行となりまし たその後タイは着王朝へと移行しましたが 旧ラオスさんごくは大幅な自治が認められ 王族を中心に国をまとめていきます比較的 安定していた時代は長くは続かず19世紀 後半になると植民地を広げようとフランス がインドシナ半島へと触手を伸ばしてき ましたそして1893年のパクナム事件で 事体は 変その後ルアンパバーンはフランスの保護 国となりビエンちゃんはフランス両院ドシ の首として存続していき ますではチャンパーサックがどうなったか というと直轄植民地として白星から管理さ れるエリアになりまし た王族は権利を大幅に削減された県知事に 任命されています1904年のことなので 今から120年前
ですこれをきっかけに地域の中心は白星に 移り妖怪の立ち並ぶ静かな街が取り残され まし たこのお寺すごくないですか川沿いの古い お寺に西洋を思わせる建物が残ってい ます綺麗に修復されているわけでもなく ちょっと廃墟っぽい感じもたまりませ [音楽] ん [音楽] こちらはさっき登場したワットトーンです 王族をまった仏頭が立ち並んでい ますバンコクで言うところのワットラー ジャボピットに当たります ねいくつか大きな物頭もあったのですが どれが誰の物頭かは分かりませんでした 読めなかったん で [音楽] さあ白星です聖堂川が湾曲しながら メコン川に合流する地点 [音楽] です半島部分に整備された道路が分かり ますがこの辺りが旧市街でコロニアル スタイルの家が残り ます白のちょっと小高い場所に チャンパサックパレというホテルがあり ますというかありまし た元々はさっきも廃墟宮殿で登場した文ウ が1970年代に建設を始めた宮殿でした これも完成しなかったのです [音楽] がごくごく最近まで大資本のホテルとして 営業していたのですが2023年10月に は休業中でベトナム資本のホテルになると 看板がありまし たちょっと前までは3000円程度で宿泊 できたので泊まりたかったのですが残念 でし [音楽] たその後ラオスは内戦へと突入し社会主義 国としての道を歩んでいくことになり ます隣国隊が目覚ましい経済発展を遂げる 中20年ほど前のラオスは本当何もない国 でした山と川とお寺ここ白星には巨大 ショッピングモールやシネコンはありませ んがラオスで一番大きいと思われる市場が とても賑わっているのが印象的 です川沿いの静な村に下がったチャンパー サックですがアンコールの聖地として発展 し王国の首都だった時代もある ところただ2023年に旅行したビエン ちゃんルアンパバーンチャンパーサックで は一番思い出深い街でしたあラオスビール が飲みたくなってき
[音楽] た
世界遺産ワットプーで知られるチャンパーサックは120年ほど前まで独立国でした。インドシナ半島で重要な場所であったチャンパーサックの歴史を紐解いてみました。
#ラオス観光 #ワットプー #アンコール
1 Comment
配信ありがとうございます。興味深く拝見しました。
廃墟になった洋館風の寺院、ルアンパバーンの寺院ワットシェントーン近くのワットキリーの建物と様式がよく似ているのに気づきました。
おそらく同じころに手掛けられたものなんでしょう。
ワットプー、チャンパーサックのんびりして、いいですね。チャンパーサックからパークセーへ復路のソンテウが朝しかないのが難点。
それから雨季には、朝は晴れていても日中雨に降られるので観光の方は注意。自転車よりも車をチャーターするのがいいかもしれません。
パークセーのチャンパーサックホテル、建物の老朽化が進んでいたので、経営が変わってリニューアルするのは良いこと。
最後に泊った頃はTrip Adv.など散々なレビューが多かった。建物の上部までエレベーターが動いていました。宮殿のようでした。
アサインされたのは本館裏の新館で、こちらは建物の廊下まで外気が入り寒かったけれど居心地よかったです。空港まで送ってもらいました。