15年の“休部”を経て強豪・日産自動車九州の野球部が再始動…「社員団結の起爆剤」に

胸に日産の文字を刻んだ選手 たちおよそ600人の社員から激励を受け たのは福岡県神田町の日産自動車九州公式 野球部 です強い日産自動車九州野球部を復活させ たいと思っており ます日州野球部は1986年に日産自動車 九州工場の公式野球部として総部しまし た都市対抗野球に6回日本選手権に9回 出場した競合 ですしかし2009年リーマンショックに よる業績の低迷を受けて活動休止となり ますその翌年野球部のOBが中心となって 立ち上げた野球のクラブチーム神田 ビクトリーズとして最出発していまし た神田ビクトリーズとして活動した14 年間都市対抗野球や日本選手権といった 全国大会に出場することは1度も叶いませ んでし [拍手] [音楽] た乾杯 乾杯去年9月日 は感をするとして野球部の復活を 発表役割を終えたカンダビクトリーズは開 式を開きまし た勝する上山監督の手には選手の名前が びっしりと書かれたボールがありまし た最後の公式戦九州クラブ選手権でえ負け たんですけど審判の方がいいゲームでした とウイニングボールですということで私に くれたのでに全員サインをもらってえ グランドにちょっと置いとこうかな と街に待った復活ですよ日産自動車として は全面的にはこう応援できないでも やっぱりあのキューブだっていうことで いつ復活してもいいようにこうなんて言う んですかね維持できるようにしておくそう いったところがですねやっぱり難しかった ですよねもう野球部があるってことで社員 の1一致団結って言んですかね そういった1つのやっぱり爆剤に なる神田ビクトリーズに所属していた選手 のうち野球部に移籍したのは18人合わせ て30人の選手で戦います1985年選手 やスタッフは日産自動車九州だけではなく その強力企業で働きながら1つの野球部と してプレ する企業 チームズに続き採用してい ます元出し てこう野球部になり大きく変わったのが 練習時間 です神田ビクトリーズの時は集まれる メンバーで夕方に数時間ほど全体練習は週

1回しかできていませんでしたそれが シーズン中は6日から夜まで全員が揃って 練習できるようになりましたま昔はその 夜勤明けで練習したりだとか夜勤明けで 試合に行ったりだとかあったんで選手から したらいいところだなと思い ます野球部の最初の活動は必勝祈願今年の スローガンは覚悟です クラブチームで終わると自分は思ってたの で学生の頃から企業で野球をしたいと思っ てやってきたことがやっと叶うっていう 職場からやっぱ応援されるチームを目指す ために試合とかではどんな状況でも最後 まで諦めないっていうようなチームを 目指していきたいなと思って ます勝たなきゃいけない結果を残さなきゃ いけないというプレッシャーがえ徐々には 来るかと思うんですがそれに打ち勝ってえ 結果を残していきたいビクトリーで 築き上げたものがあるので1年目と言わず え最初の年からどんどん勝負していきたい と15年ぶりに復活した日産九州野球部 全国大会出場を目指し月の都市対野球の 予選に望み ます

社会人野球の強豪日産自動車九州の野球部が、15年の休部期間を経て再始動しました。目標は全国大会出場、チームの意気込みを取材しました。

◆リーマンショックで活動休止→社会人チームに
胸に「NISSAN」の文字を刻んだ選手たち、約600人の社員から激励を受けたのは、福岡県苅田町の「日産自動車九州硬式野球部」です。

植山文彦監督「強い日産自動車九州野球部を復活させたいと思っております」

日産九州の野球部は1986年に、日産自動車九州工場の硬式野球部として創部しました。都市対抗野球に6回、日本選手権に9回出場した強豪です。しかし、2009年、リーマンショックによる業績の低迷を受けて活動休止となります。その翌年、野球部のOBが中心となって立ち上げた社会人野球のクラブチーム「苅田ビクトリーズ」として再出発していました。

◆「野球部があることで社員団結の起爆剤に」
「苅田ビクトリーズ」として活動した14年間、都市対抗野球や日本選手権といった全国大会に出場することは一度も叶いませんでした。日産は去年9月、「従業員の意識改革と一体感を醸成する」として野球部の復活を発表。役割を終えた「苅田ビクトリーズ」は、解散式を開きました。談笑する植山監督の手には、選手の名前がびっしりと書かれたボールがありました。

植山監督「最後の公式戦九州クラブ選手権で負けたんですけど、審判の方が“良いゲームでした、ウイニングボールです”と私にくれました。選手全員にサインをもらってグラウンドに置いておこうと思って」

日産自動車九州・冨山隆社長「本当に待ちに待った復活です。日産自動車としては全面的には応援できない、でもやっぱり休部ということでいつ復活しても良いように維持できるようにしておく。そういうところが難しかった。でも野球部があるってことで社員の一致団結、そういう一つの起爆剤になる」

苅田ビクトリーズに所属していた選手のうち、野球部に移籍したのは18人。計30人の選手で戦います。選手やスタッフは日産自動車九州だけではなくその協力企業で働きながら、ひとつの野球部としてプレーする「広域複合企業チーム」を苅田ビクトリーズに続き採用しています。

◆“職場から応援されるチーム”を目指す
野球部になり、大きく変わったのが練習時間です。苅田ビクトリーズ時代は、集まれるメンバーで夕方に数時間ほど、全体練習は週1回しかできていませんでした。それが、シーズン中は週6日、昼から夜まで全員がそろって練習できるようになりました。

原周嗣選手「昔は夜勤明けで練習したり、試合に行ったりでしたので、選手からすると良いところだと思います。昔は暑さに弱かったんですけど、今年は日が照っているときにできるので、暑さ対策も練習できる」

野球部の最初の活動は、必勝祈願。今年のスローガンは「覚悟」です。

合田有希主将「クラブチームで終わると思っていました。学生の頃から企業で野球をしたいと思ってきてやっと叶います。職場から応援されるチームを目指すために、試合ではどんな状況でも最後まで諦めないチームを目指していきたい」

植山監督「勝たなきゃいけない、結果を残さなきゃいけないというプレッシャーがどんどん来ると思うんですが、打ち勝って結果を残していく。ビクトリーズで築き上げたものがあるので、最初の年からどんどん勝負していきたい」

15年ぶりに復活した日産九州野球部、全国大会出場を目指し、4月の都市対抗野球予選に臨みます。

3 Comments

  1. 社会人野球が衰退の一途をたどる中、それに逆らうように休部だったチームが復活することは、いい流れになるかもしれない

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