【乗れる廃線】急勾配に挑むトロッコ列車と歴史ある廃線に密着

60%ミルを超える急勾配で運行される トロッコ列車そこにはかつて運行されてい た特殊な機関車のDNAをしっかりと 受け継いだある運行方法がありました そしてトロッコ列車が運行される傍途中で 分岐する荒れた線路あの先は一体どうなっ ているのかさらには長らく放置された配線 の末端部に大きな変化がありました皆さん こんにちは鉄です今回はかつての鉄道の 南緒を今も体験できる急勾配に挑むトロ 列車を紹介しますそれでは今回もよろしく お願いしますということでまずやってきた のは群馬県安中市JR新越本線の横川駅 です高崎駅から伸びる新越本線は現在は ここ横川駅が終点となってい ます駅舎の反対側には空地がありそこには かつて使われていた錆びた線路がありまし た現在この駅は2面2線の構造ですが かつてはこの錆びた線路も使われており目 の前のホームははかつて島式ホームでした この駅には複数の側線がありますが現在は そのほとんどが使われていませんこの線路 はかつて一体どんな役目を果たしていたの でしょうかそして今は配線のように見える この線路ですが実は現在もかつてと同じ ような役目を果たしていますその役目とは 一体何なんでしょうかまずはこの線路を 辿っていき ましょう横川駅の側線の一部は今も 途切れることなく続いておりある場所へと 繋がっています線路は右側のホームに面し たものとその左側にあるものの2本残って いますしかし右側の線路上には柵が置かれ どうやら完全に使われていないようです今 も使われているのは左側の線路のみです 線路は駐車場を抜けその先へと続いてい ます新越本線はこの駅が終電のため本線の 線路は右側のホームの先端にある車止めで 途切れていますここにある側線は本線が 途切れた先にも続いているというわけです さらに進むと分岐器があり線路は1本に なっていますアスファルトで埋められ固定 された分岐器は左側の線路に開通してい ますホーム側の線路が使われていないのは 確実のようです線路はその先で行動を 横切っています道路上にある線路には カバーがかけられ大切に保管されているの が分かると同時に現在は使用頻度が非常に 低い線路だということも分かります 道路を横切った先の線路はこの柵の中へと 続いています柵の向こうには小さなホーム と綺麗に整備された線路が続いています JR新越本線は現在は横川駅が群馬県内の 終点ですがかつては横川駅の先にも線路が 続きかつて隣の駅であった軽井沢駅を通り

その先新潟駅まで途切れることなく線路が つがっていましたつまり現在はここから先 次のの軽井沢駅までの約9.2kmは配線 というわけですということで入場量を払い 柵の中へやってきましたこの場所は宇井峠 鉄道文化村といい配線になった9.2km の間で行われていた特殊な運行の歴史が 保存や展示されている施設 です配線になった約9.2kmの区間は 通称薄井線とも呼ばれ横川駅から軽井沢駅 にかけて最大勾配66パミという急な上り 勾配が続く新越本線最大の南緒でした横川 駅から軽井沢駅へと向かう下り列車は勾配 を登り続けその逆は勾配を下り続けてい ましたつまりこの区間を走る列車には強い 動力や制動力を持った車両の連結が必要 不可欠でしたそしてそんな過酷な区間でも 安全な運行ができるよう開発されたのが こちらのEF63型電気機関車ですこの 機関車は右線専用の補助機関車として開発 され運行時は右線を走行する列車の必ず 横川方に2両連結されていました軽井沢駅 に向かう際つまり勾配を登る時はEF63 型が列車を押し上げ勾配を下る時は列車の 速度が上がりすぎないようEF63型の 強力なブレーキで下から列車を支えてい ましたこれは連結機への負担を減らす目的 や万が一EF63画だと列車の連結機が 外れてしまった場合でも列車の暴走を防ぐ ための工夫ですEF63型は様々な車両と 連結を行う関係上自動連結機と密着連結機 のどちらの連結機にも対応した相当連結機 を装備しています相当連結機は現在でも 事業用車両を中心に見ることができます そしてEF63型のすぐ後ろに展示されて いるのはEF62型電気機関車ですEF 62型はEF63型と性能を合わせた強調 運転が可能で薄線を通る客車列車や貨物 列車の牽引を行っていた本務きと呼ばれる 機関車ですEF63型が薄線専用なのに 対しEF62型は主に新越本線の本線上も 走行していました薄線専用のEF63型は 全て横川駅の近くにある横川運転区という 車両基地に所属していましたそして今いる この鉄道文化村こそが当時の横川運転区の 一部を活用し薄線が廃止された2年後の 1999年に開業した薄線の歴史を知る ことができる施設ですEF63型が展示さ れている建物は横川運転時代に車両の整備 工場として使われていたものです工場の 上部には 標識が残っており当時この場所まで河川が 貼られていたことが分かります工場の中に は機械油の匂いがほのかに残り当時の備品 や部品もそのまま展示されていますまるで

今も工場が稼働しているかのような時間が 止まっているような不思議な空間です工場 の中を進むとアプト式時代の車両や反転 フラップ式の発射案内踏切りの警報機や 信号機などが展示されています 警報機や信号機はボタン操作によって実際 に点滅させることもでき ますこちらには薄線がアプト式で運行され ていた時代に使用されていたED42型と いう機関車が展示されてい ます薄井線は開業から1963年まで使用 されていた急戦そして1963年から薄線 廃止の1997年まで使用されていた新線 がありました新線はEF63型補助機関車 を使用しての粘着式つまり一般的な鉄道と 同じように左右の鉄の車輪が左右のレール の上に乗り走行する方式を取っていました 大して急戦はアプト式という方式を取って いましたアプト式とは一体どんな方式なん でしょうかアプト式は通常の左右のレール の中央にラックレールと呼ばれる凹凸の ある特殊なレールを敷いたものですそして 車両側にあるピニオンと呼ばれる歯車状の 車輪がこのラックレールに噛み合わせる ことによって急な勾配でも車輪が滑ること なく車両が走行できるようになっていまし たアプト式での運行を支えていたのが こちらのED42型電気機関車ですアプト 式での運行は1893年の薄井線海洋当時 から始まり当時はドイツ製のSLでの運行 でしたが1912年に電化され以降はEC 40型そしてこのED42型と電気機関車 による運行が行われてきまし たこの車両には終電装置が2種類搭載され ています1つは上空の河川から電気を取る パンタグラフこちらは主に駅校内や車両 基地で使用されていましたもう1つは終電 荷と呼ばれる第3機場から電気を取る装置 が装備されこちらは薄井線の本線上で使用 されました薄線の急戦にあるトンネルは 建築限界が小さく画然が設置できないため 第3気場による送電となっていました そしてこの車両の特徴は何と言っても車台 下の中央にあるピニオンですこの展示では 車体下からピニオンが見られるようになっ ていますこの歯車状の車輪が先ほど見た ラックレールの凹凸に噛み合うことによっ て急な勾配にも対応してい ますレールは思い車体を支えていた命綱と も言える重要な設備です長年使用されてき たラックレールの山はピニオンの過重に よって押し潰され大きく変形しています この路線の勾配がいかにきついものであっ たかがよく分かります長年薄線の運行を 支えてきたアプト式での運行ですがその

デメリットは速度があまり出せないこと 当時の薄線の最高速度は時速15kmほど にとまっていましたで輸送量の向上のため 行われたのが新線への切り替えとEF63 型による粘着式運転への移行でしたちなみ に現在アプ組織が日本で唯一採用されて いるのは静岡県を走る大井川鉄道井川線 ですここではラックレールとピニオンが 噛み合って走行する貴重な光景を見ること ができます話は鉄道文化村に戻ります工場 の中を抜けると多数の貴重な車両が保存さ されていますここに保存されている車両は 薄線とは関係のない車両がほとんどですが 機関車や客車を中心に日本各地で活躍して いた車両を見ることができます保存車両は ほとんどが生態保存ですが中には今も実際 に走行ができる状態つまり同体保存されて いる車両も存在していますそしてこの同体 保存と冒で見た横川駅から鉄道文化村まで つがる線路には大きな関係があります 同体保存はEF63型の4両が対象になっ ています中央にある12号機向かって右側 にある11号機そして他にも24号機と 25号機がここ鉄道文化村で同体保存され ています鉄道文化村の裏手に回ると11号 機の後ろに連結された25号機の姿もあり ましたかつての薄い線を彷彿とさせる10 連での姿を今でも見ることができます廃止 になった薄井線ですが横川行き方の下り線 の一部は今もまだ使用されており実際に 車両が走行しています一体どんな車両が 走行しているんでしょうか薄線の配線を 走行している車両は大きく分けて2種類 あります1つは同体保存されているEF 63型この車両は一般の方が講習を受け 実際にEF63型の運転ができる運転体験 に使用されていますな距離ながらもう線を 当時の車両が走行している姿が見られる だけではなくそれを運転できるなんて本当 に感動しますこのEF63型は同体保存と いう性質上時々修理やメンテナンスをする 必要がありますその際にEF63型が鉄道 文化村所有のスイッチャーにより牽引され 横川駅と鉄道文化村をつなぐ線路を通り 新越本線へと入船しますそしてそこから先 はJRの現役機関車により牽引され高崎 機関区へと公衆輸送され ます横川駅と鉄道文化村をつなぐ線路は 一見使われていないようにも見えますが EF63型の同体保存には欠かせない線路 でした薄井線の配線後でもう1つ運行され ているのがシェルパ君と名付けられた こちらのトロッコ列車ですこのトロッコ 列車はここ鉄道文村駅から峠の湯までの. 6kmを結びわずかな距離ながら今も薄線

の乗車を楽しむことができる貴重な列車 ですそして実はこのトロッコ列車かつての 薄線のDNAをしっかりと受け継いだある 運行方法が取られていますせっかくなので この後このトロッコ列車に乗車しその運行 方法を見てみましょう薄井線の配線後では EF63型を使用した運転体験やトロッコ 列車が運行されており廃止から20年以上 経った今でも多くの人に注目され続けこの 区間がいかに人気であったかまだいつまで も語り継いでいきたい非常に歴史のある 区間であることが伺えますでは早速鉄道 文化村の施設内に設けられた駅から トロッコ列車に乗車しましょうトロッコ 列車は毎年3月から11月の土日祝日を 中心に1日ご往復12時台を除き1時間 おきに運行されています乗車には鉄道文化 村の入園料の他乗車料金が必要 です列車は3両編成で運行されており機関 車が1両と客車が2両連結されています 機関車と客車は改造車両ではなくこの トロッコ列車用に新たに製造されたもの ですディーゼル駆動の機関車は主に保線用 車両などを製造している松山重車両工業性 ですのんびり走るトロッコ列車とはいえ 急行バイク間も走行するため砂まき装置や 下り勾配を一定速度で走行するための予測 ブレーキが備わっています大きく貼り出し たデッキの利用目的は分かりませんがもし かしたら空転対策などで水タンクなどの 四重を乗せるスペースではないでしょうか 客車は2種類ありますこちらは軽い沢型に 連結された窓のないオープン型の車両です 座席にはクッションがなく木星でトロッコ 列車の雰囲気をより一層楽しむことができ ますこちらは横川型に連結された窓のある 車両です冷暖房やフカフカのクッション 付きの座席も備わりのんびりと乗車を 楽しめます座席は青色のモケットが使用さ れた国鉄型車両のようなレトロな見た目 です窓も開閉可能です最近このロックレは 見かけないですよね車内にはつり革や網棚 もありますどちらもとてもレトロでどこか の車両の廃車発生品でしょうか発射時刻に なり列車は同体保存されているEF63型 を横目に峠の輸液へと向けて走り出します ちなみにEF63型は25両製造されその 特殊な設計から薄線廃止とともに全て役目 を終えました現在は給料が車両を丸こと 残っておりうち同体保存を含めた7両が 鉄道文化マに保存されています残りの2両 のうちもう1両はまた後で見に行き ましょう車は峠の遊行へ向かう際は機関車 が後ろから客車を押す推進運転を行います 客車の先頭の上部には小さなカメラがつい

ており運転士さんは映像で前方を確認し ながら走行します分岐器を過ぎ列車は順調 に走行していきますEF63型の運転体験 は起点の鉄道文化村から400mほどの 運転が可能です上空には運転体験用に河川 が貼られており現役時代と比べ半分ほどの 電圧ですが直流750vの電気が来てい ます運転体験のEF63型が来るのはこの 停止位目標までこの先はトロッコ列車のみ が走行するため河川に電気を流す必要は なく750vの電気はこの外しのところで 途切れています途中にはこの路線でかつて 使用されていた特殊信号発行機が残ってい ました薄線現役当時は先ほどの分岐付近に 踏み切りがありこの装置はその踏切りに 付随するものでした薄井線は上下線別の 伏線で終わりを迎えましたが今もトロッコ 列車等で使用されているのは下り線のみ です上り線は向かって右側にあり ハイキングコースの一部として活用されて います河川を支えるビームが線路2本分 あるのが当時伏線で線路が敷かれていた証 ですしばらくするとカラフルに塗られた 河川中が見えてきましたこれは河川の張 具合をを調整する力調整装置の一部で純水 と呼ばれる重りがどの位置にあるかを 色分けすることによって河川の張具合を 一目で分かるようにするためのものです これはjr東日本の高崎飛車で考案された ものです今度は左側に信号機が見えてき ましたこちらも薄線現役当時のもので現在 は使用されていません列車はここまで比較 的平坦な区間を走行してきました上空に ある河川はシンプルカテナリー式という ごく一般的なものが使われていますしかし この先には最大勾配66.7%mmという 急勾配があるためこの先河川にも変化が見 られます正面右側にはレガ作りの建物が 見えてきましたあちらは急戦つまりアプト 式時代に薄井線の変電所として使われてい た旧丸山変電所です列車は旧丸山変電所に 隣接した丸山駅に到着です 丸山駅に降りました列車はここで数分停車 をするためその間に旧丸山変電所を見学 できます旧丸山変電所所は急戦の廃止と ともに廃墟と貸し放置されていましたが後 に国の重要分化財に指定され現在は綺麗に 修復されています列車は丸山駅を出発し ますちなみに丸山駅に停車をするのは峠の 駅に向かう列車のみで鉄道文化村に向かう 列車は通過となるので要注意ですまだこの 列車は鉄道文化村の遊具扱いのため乗車の 際は乗車料金の他に鉄道文化村の入園料も 必要になり ます丸山駅を出てしばらくすると列車は

いよいよ薄線の南緒の始まり急行バイ区間 へと差し掛かります先人たちの苦労や努力 によって生まれその後も変わり続けてきた う線を身を持って体験する時がやってき ました列車はゆっくりと勾配を登っていき ます右に見える上り線とあっという間に 高低差がついていきこの勾配のきつさが よく分かり ます急行バイク間に入ると河川がツイン シンプルカテナリー意識へと変わります ツインシンプルカテナリー意識は先ほど 平坦区間で使われていたシンプル カテナリー式を2列で配置し大量の電力 消費にも対応したものです急勾配では2両 のEF63型が大量に電力を必要としてい ためそれに対応するための設備です正面に 分岐が見えてくるとまもなく終点の峠の遊 に到着ですこの分岐器は薄線現役当時から あるものではなくトロッコ列車運行のため に後から新設されたものです左側に向かう と峠の遊ですが右側はかつての薄井線の 本線あの先は本当に配線というわけです あの先どうなっているのかとても気になり ますよね後で探索しに行きますましょ そしてかつての薄線のDNAを受け継いだ ある運行方法とは一体何なのかこの後見て み ましょう列車は分岐器を渡り左側の線路へ と入り薄井線の新線の本線とは分れていき ます左側には夕歩道がありますがこちらは 薄井線の急線を再利用したアプトの道と 呼ばれるハイキングコースですつまりこの 場所から薄線は新線と急が通るルートが 大きく離れいき ますそして20分ほどの旅を終え到着する のは峠の由です分岐から先ここまでの線路 もトロッコ列車運行のために後から敷かれ たものです列車はゆっくりとホームへと 入り ます峠の湯に降りました駅周辺には ハイキング交差アプトの道やキャンプ場 公園そして温泉施設などがあり ます駅名の由来となっている峠の湯は駅の すぐ裏のこちらにあります峠の湯は 2001年にオープンした日帰りの温泉 施設ですハイキングコーストも隣接して いるためたくさん歩いたご褒美に温泉に 浸るのもいいですね再びトロッコ列車に 乗り今度は急行配を下りながら鉄道文化村 に戻りましょう今度は機関車を先頭にし 列車は鉄道文化村を向けて走り出しました 列車は駅を出ると分岐器を渡り再び薄井線 の本線へと合流急行配区間へと入ります そして運転資産は機関車に備わる憶測 ブレーキを使い速度を抑えながらゆっくり

と慎重に列車を走らせますこの時車両は前 に4度傾いており車内で立っていてもその 傾きを感じられ ます機関車と客車の間にある連結機を見る と客車側の連結機の肘の部分が機関車側の 連結器に押し当てられているのが分かり ます つまり客車が下り勾配によって自然に速度 を上げようとしそれを機関車のブレーキに よって抑えているというわけです機関車は 転がるとする客車を力強く支えています この機関車は常に横川方に連結されており 勾配を登る時は客車を勾配の下から 押し上げ下る時は勾配の下から客車を支え ますまさに薄線現役当時のEF63型の ような役割をするこの機関車う線の廃止 から20年以上経った今でもそのDNAは しっかりと受け継がれトロッコ列車として 小さく残った薄井線の配線で当時を 思い起こさせる機関車のたましい姿を今で も見ることができ ます再び189系やEF63型の姿が見え てくるとまもなく鉄道文化村に到着です 列車は最後の分岐器を渡り鉄道文化村の ホームへと入ります平坦区間に入り連結機 にも余裕が生まれています大役を終えた 連結鬼は心なしか少し安心しているように も見えます今度は車に乗り換え峠の遊の 手前で分岐していた薄井線の本線の配線が その先どうなっているのか見に行き ましょう鉄道文化村から軽井沢方面に国道 18号線の球道を走り先ほど見た峠の湯の 近くまでやってきましたそしてこの大きな 左川部とというドライブインのある場所を 右折するとその先には峠の輸液の先に続く 薄井線の本線があります曲がった先の道路 は木々に覆われ薄暗く少し不気味な雰囲気 です正面には鉄道のものと思われる小さな 橋梁が見えてきましたこちらが峠の遊の先 に残る薄井線の現在の姿です線路はこの 短い橋梁上でも傾斜がはっきりと分かる ほどの急勾配になっています薄い線が何で あったことを改めて感じられる場所 です橋梁場には勾配表が残っていました その勾配は63パーミル薄線の最大勾配で はないもののやはりかなり急な勾配でした 橋梁の名は坂本稼働橋梁です設計は日本 国有鉄道品川工事局が行い1965年昭和 40年3月31日に進行しています橋付近 は危にれ自然に帰り始めているようにも 見えますが川中や川もしっかりと残って おりここに線路が敷かれていたことが一目 で分かります橋梁は手前側が下り線奥が 上り線ですそしてこの上下線の橋梁の下を 通り左カーブを抜けるとまた独特な光景が

待ってい ますカーブを曲がりしばらくすると山の麓 に敷かれたう線の姿がありました木々に 囲まれた中に残る複雑に電線が入り混じる 光景はとても独特ですここでも高崎飛車 公案のカラフルな河川中が残っていまし た線路は上下線で多少の高低差があり手前 側の低い方が上り線奥の高い方が下り線 ですカカに見えるレールは茶色い錆を 通り越して黒くなっており配線からの年月 を感じさせますちなみにこの場所には線路 に続く階段がありますがこの階段は 立ち入り禁止なので線路にには入れそう ですが絶対に入らないようお願いします 河川中には比較的新しい刑事物が貼られて いました調べたところどうやらこの線路は とある団体の方々が安中市の許可を受け 草刈りや埋もれてしまった線路の発掘線路 の再利用の検討などを行っているようでし たこの場所は薄井線現役当時は多くの鉄道 ファンが集まり撮影スポットの1つになっ ていたようです薄井線はこの道路と少し だけ並行して線路が敷かれていますが トンネルの多い薄い線はこの辺りで道路と 離れトンネルへと入りしばらく沿線から その姿を見ることはできなくなります次に やってきたのは薄井第3橋梁通称メガネ橋 ですこの橋は薄井線の急戦で使用されてい たもので橋の上に線路は残っておらず ハイキングコースとして整備されています 明治時代におよそ23万個のレガを使用し て建設されたこの橋は1か月で完成したと いうのですから本当に驚きます現在この橋 は国の重要文化剤に指定されています急戦 の薄い第3橋梁場からはまた別な橋梁が 見えます急戦から遠く離れた場所にある あの橋梁はう線の新線の橋梁です少し見 にくいですが橋梁は上下線独立して2本 かけられています新鮮の橋梁は コンクリート性で今いるメガネ橋と比べる とだいぶ近大化した作りをしてい ますかつては新線の橋梁場にも河川が残っ ていましたが現在はその一部がなくなって います実は心な人の仕業によって一部の 河川が盗まれてしまったようです国道18 号線の球道をさらに走り旧熊野平駅熊野平 信号所にやってきましたちなみにここも 先ほどの眼鏡橋もそうですが周囲には専用 の無料駐車場があり駐車スペースに困る ことはありませんそしてこの球道ですが 2023年11月に取材した時点では台風 の影響でロカが暴落し熊野平駅から先は 通行止めになっており軽井沢方面に抜ける ことができなくなっていました2024年 3月までに復旧できるようですが訪問さ

れる際は最新情報をご確認ください駐車場 の目の前にあるこの階段を登ると熊の平 信号場へと行くことができますちょっと 階段が急ですが頑張って登ればこの上には 本当に素晴らしい光景が待っています階段 を登った先にはまるで少し前まで列車が 運行されていたかのような綺麗に整備され た線路が広がっていました時間が止まった かのようなとても不思議な空間 ですこの場所では急戦と新線が合流してい ます急戦での薄井線開業当時から新線が 廃止されるまで100年以上薄線の運行を 支えていた信号場です薄線で唯一平坦な この場所は蒸気機関車の給水球そして列車 の交換を目的に熊の平信号場として開業し その後駅に昇格そしてその後再び信号場に 攻殻となりましたこの場所はトンネルに 囲まれており横川方軽井沢方ともに トンネルの高口がすぐ近くにあります横川 方には4つのトンネルの口があり左側から 新線の登り線新線の2線急線の本線そして 1番右側が急戦時代に行われていた スイッチバックに使われていた線路の トンネルです左側2つの新線のトンネルも 急戦時代のスイッチバック設備を活用され たものですまた急戦の本線は現在 ハイキングコースとして再活用されてい ますまたこの場所には変電書が設けられて おり急戦時代から右線廃止まで薄井線への 電力供給が行われていました現在も関係 設備がほぼそのまま残っています変電所の 建物は廃墟化しており周囲の静かな雰囲気 とも合わさり非日常的な空間を産んでい ますこちらも国の重要文化財に指定されて い ます送電の止まった変電書に残る危険高 電圧の警告表示がなんだか悲しげです 軽井沢方のトンネルの高口付近やトンネル の向こう側を見ると線路が再びすぐに上り 勾配になっているのが分かりますこの場所 が本当にわずかな平坦地であることがよく 分かります軽井沢方には下り線の出発信号 機がありましたちなみに上り線の出発信号 機は横川方のトンネルの中にあり ます薄いバイパスを通り軽井沢駅の近く までやってきました奥には北陸新幹線が 通っていますがその手前のすぐ下には薄井 線のトンネルの高口とそこから軽井沢方面 に伸びる線路がありますしかし軽井沢駅 周辺は薄井線の配線後に大きな変化があり ました線路は軽井沢駅に向けてしっかりと 残っていますこの辺りまでは現役当時の姿 のまま特に変わった様子はありません遠く から線路を見るといつ列車が来ても おかしくない現役の線路のようにも見え

ますがやはりレールをよく見ると黒く 錆びついており列車が来なくなってから 長い年月が経過していることが分かります この場所にも信号機がありました信号機の 下には信号観光一表があり次の信号機が 軽井沢駅の場内信号であることが分かり ます軽井沢駅まであと少し緊張感のある峠 越を終えた当時の列車の乗務員さんはここ でようやく一息つけたこと でしょうさらに軽井沢駅よりにやってき ましたこの場所には矢崎踏切があり数年前 までは遮断機や警報機が残っており薄井線 に残存する最後の踏切りとなっていました がどうやら最近になって撤去されてしまっ たようですこの辺りから薄井線の配線後に 撤去などの変化が見られ始め ます最後に薄井線の集団部となる有沢駅に やってきました新越本線は現在の北陸新 幹線の開業や延伸とともに右線区間の廃止 や第3セクター化が進められてきました 軽井沢駅から先は線路だけは今も変わらず 新潟駅までつがっていますが運営会社や 車両運用などは新幹線開業前と比較すると 大きく変化しています軽井沢駅はかつての 薄井線の集団部でEF63型の切り離しや 連結が繰り返し行われていた駅ですそんな 歴史を持つこの駅でもやはりEF63型の 展示は欠かせません給料が保存されている EF63型のうち1両は軽井沢駅のにあり ましたEF63型の近くには当時の蟹沢駅 の駅名表が残されていますそこには隣の駅 として記載された横川の文字たった4文字 ですが少し感動を覚え ますシノ鉄道の起点となった今はホームの 横川行き方に車止めが設置されており線路 も車止めのところで途切れてい ますこちらは2021年10月の様子です この時は途中路は途切れながらも横川駅 からの線路が軽井沢駅の車止めのところ まで続いていましたまたかつて使用されて いた横川方のホームもこの時はまだ残って いまし た改めて現在は線路やホームは綺麗に撤去 されておりかつての薄井線新越本線の姿が また1つ消えてしまいましたどうやら 軽井沢駅周辺には再開発の計画があるよう で線路や使われていないホームの撤去は その一環のようですということで今回は 急行配に挑むトロッコ列車の紹介でしたご 視聴ありがとうございましたそれでは [音楽] [音楽] また

●今回は信越本線の横川~軽井沢にある通称碓氷線を見学してきました。

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26 Comments

  1. 峠の釜飯を買う乗客で賑わっていた頃の横川駅を知ってる世代です。窓が開く急行列車に乗って深い渓谷にかかるメガネ橋を渡り、徐々に空気がひんやりとしていく碓氷峠越えが懐かしい。

  2. 独身時代にも訪問してましたが、2年前に再び訪問し家族と峠の湯でマッタリして来ましたが、やっぱり何回行っても碓氷峠には鉄道ロマンを強く感じざるを得ません。
    峠の湯の碓氷線を眺められるスペースで、かつて峠を力強く走った全ての車両と関係者の方々に乾杯!と心で祈念しながら1人で乾杯してきましたよ(運転手なのでノンアルで・笑)。是非再訪したい場所の1つです。素敵な動画をありがとうございました!(´▽`)

  3. 2005年頃はやる気次第で運行できそうだったが、ちょっと劣化してきたように見えます、軽井沢側は物理的に線路が分断されたと聞く新幹線と引き換えに廃止(経営分離含む)とは本当に馬鹿な事を決めてくれたものだ。今も続くネットワークの破壊、国鉄破綻から何も学んでいないような気がするのだが。

  4. ここは✨何回も行ったんだよね✨この🎉線路の奥の文化村の保存のEFのメンテナンスで❗

    仕様されたの思いだしますね✨

  5. 横川⇔軽井沢間は、ちょっと手を加えれば、まだ使えそうですね。
    実は、私は、ひそかに、いずれまた、横川⇔軽井沢間が復活するときが来るとそう信じているのです。
    つまり「碓氷峠教徒」です。

  6. 坂を上る様なサイクリングが趣味ですが、ギヤ板の減り方がまさにラックレールの歯と同じです😃
    架線が2本になるところの説明、勾配きつくなるとエネルギー消費増えるのも自分の体で実体験済です。
    相変わらずの丁寧な説明、今回は自分のサイクリング経験との相乗効果で理解度100%になりました。

  7. 昨年の12月に行ってきましたが、トロッコ列車は冬季休業との事で乗れませんでした。
    どんな車両が展示されているのかと楽しみに行ったのですが、野外に保存されている車両達の劣化が酷すぎて。
    ガラスが割れてたり、鳥が巣をしてたり、床が抜けてたり…。ひどく言えば、廃車置き場の様な有様でした。
    お金がない事はわかるのですが、ちょっと欲張りすぎたのかと思ってしまいます。

  8. かつて 京都から 夜行急行ちくまにのって 長野で降りて 185系200番台 リレー号塗装の高崎行き快速に乗り換えて 軽井沢で この動画のように 横川側にEF63重連の連結作業を撮影 作業員さんに 「63がないとむりですねえ」 というと 「そうなんですよ」 って 軽井沢を出発すると急に乗り心地が悪くなります 座屈しないように 空気ばねのエアを抜いているようです!63の強烈な抑速ブレーキ?のうなり声とともに トンネル連続する碓井峠をうねうねと下る勾配は凄まじく 車両の後ろが2mぐらい上がっているような気がしました。横川まで来たら ほっとしたことが思い出に残っております!ありがとう!EF63!

  9. 碓氷線の魅力と概略がよく伝わる内容でした。知識の深さに驚かされます。

    私も、この動画と同じ場所を7~8年程前に訪れましたが、当時と、あまり状況は変わっていないように感じました。廃線になった当時から、何らかの形で復活を期待していただけに、現在、軽井沢駅付近で行われている開発は残念です。

    並びに、私は、先月、赤字路線乗りつくしの旅と題して、横川駅を訪れましたが、時間の関係上、碓氷峠鉄道文化むらには、寄りたくても寄れませんでした。私の欲求を満たしてくれた動画に感謝しております。ありがとうございました。

  10. ナレーションの『がせん』に感動しました。

    魅力ある碓氷線。ぜひ碓氷峠鉄道文化むらとともにハイキングコースも訪れたいと思わせる、素敵な映像でした。

    復活を模索している中で、軽井沢駅周辺の再開発で鉄路が剥がされて寸断されたのが、ちょっぴり悲しいです。リゾート地という土地柄、土地を余らせておくのはもったいないのかもしれませんが……。

  11. 第三橋梁に登る途中の資材置き場などに使われていたらしい広場にかまどの跡があってそういうところにも当時の面影があってよいなと思いました。

  12. 動画ありがとうございます
    十数年前、添乗員時代にツアーでトロッコ列車で峠の湯、そこから眼鏡橋まで歩きましたが、66.7‰はけっこう膝に来ましたね
    数年前、またまたツアーで眼鏡橋を訪れ、熊ノ平駅まで滞在時間中に往復してきました
    山津波で職員とその家族が犠牲になった慰霊碑に手を合わせようとしたら、ハイカー姿のおば様が腰かけてお菓子を食べてました…

  13. 以前、熊ノ平から横川までアプトの道を歩いた事があります。
    空気が美味しくてとても良い所でしたね。
    熊ノ平には何度も行っているのですが
    行く度にタイムスリップした感覚になり
    バリケードで塞がれているトンネルから今にもEF63が出てきそうな気がします。
    あそこに立つと時間が止まり安らげるんですよね。
    6月にまた散歩しに行きます!

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