【ゆっくり解説】未成年だから少年法に守られて余裕w➔全員死刑…

どうもゆっくり霊夢ですどうもゆっくり魔 理沙だぜ世の中では毎日いろんな事件が 起きてるけど中には未成年の少年たちが 起こした事件もたくさんあるわよねそうだ なでも犯人が未成年の場合大抵は少年法に 守られて大人よりも罪が軽くなってしまう んだよな子供は大人に比べて判断能力が 十分じゃないとされているから罪が軽く なってしまうのは仕方ないわねでも被害者 のことを考えると痛まれない気持ちになる わそれに犯人である少年たちが自分たちは 少年法に守られてるから何をしても大丈夫 なんて勘違いすることもあるそれで罪も ない人を傷つけたり物を盗んだりする ケースもあるんだよなでもちょうどそんな 風に罪を軽く思って罪を犯した少年たちに 死刑判決が下された事件もあるのよそうな のか少年法の中でも死刑が適用される なんて初めて知ったぜどんな事件なんだ それは1994年に起こった大阪愛知岐阜 連続臨地殺人事件というものよこの名前 だけで事件の恐ろしさが伝わってくるぜ しかもそれを少年が起こしたってことだろ どんな事件だったのか詳しく知りたいぜ それじゃあ今回は大阪愛知岐阜連続臨地 殺人事件について詳しく紹介するわそれで はゆっくりしていって ねこの事件は3人の不良少年によって 起こされたものなのそうなのかこんな 恐ろしい事件を起こす少年って一体どんな 人物なんだそれじゃあ1人紹介していくわ ねまず1人目は事件の市販格とされるK 1975年に愛知県で生まれた少年よ事件 は1994年ということは19歳か今は 18歳から成人という扱いになるけど当時 の基準では未成年という扱いだな母親は 高齢出産のためか出産直後に亡くなりその 後は父親が彼の弟夫婦に容姿として出した のそしてその要望の弟3人は暴力団員だっ たのよつまり幼い頃から暴力や裏社会と いう概念が身近にあったわけだなその後 洋風の事業が破産して彼は幼い頃から孤独 で貧しい生活を強いられることになったわ 実の母親をなくし洋は破なかなか壮絶な 幼少期を送っていたんだなそんな環境だっ たからか窃盗を繰り返すようなそこの悪さ が目立つようになったわそして小学3年生 の頃に無実の窃盗の罪を着せられ警察に 連行される事件があったのそれがトラウマ になってさらに行が悪くなっていったのよ ということは周りから怖がられるような 凶暴な性格だったのかそういうわけじゃ なかったみたい当時お世話になっていた 児童相談所の記録では精神が未熟で弱気な 性格とされていたそうよそうだったのか

意外だなその後1989年に県立の教護員 に入所して卒園後稲沢市の会社に就職した わでもすぐに退職して友達とシンナーで 遊んだりしながら暮らしていたそうよ精神 的に未熟になてしまう病気やそんな環境で 育った人を支援する制度は当時今ほど十分 ではなかったしまともな就職も難しい時代 だっただろうなそれから時々事件を起こし ては少年員に出入りすることになったわ その後少年員で知り合った人に誘われ暴力 団に所属したの事件が起きる前にも度々 少年員のお世話になってたのか2人目は 少年経営よ彼は1975年大阪で生まれた わkmと同じ年だな彼もまた環境で育った のか実はそうでもなかったみたい彼は普通 の比較的裕福な家庭に生まれたそうよただ 両神が保護なところがあったみたいだけど ね甘やかしすぎるのもどうかと思うが子供 は可愛いものだし愛情が全くないよりは マシだな彼は周りとなんら変わりなく普通 の子として育ったわでも中学校に入って から徐々に変わり始めたのどんな風に 変わっていったんだ悪友とつるんでバイク を窃盗したり新な遊びをするようになった わは何があったのか分からないがここから 人生が変わり始めたのかその後定治生高校 に進学したけど半年も立たないうちに辞め てしまったわそれから飲食店や自動車整備 工場など仕事を点々としていたけど長く 続かなかったのそして1992年当時交際 していた女性のツてで元暴力団員と 知り合ったわということは彼も暴力団に 入ってしまったのかえ彼は元区民員の射程 になって恐喝や窃盗でお金儲けをするよう になって1994年正式に暴力団に入った わ普通だった少年がここまで変わって しまったのか3人目はHMという1975 年大阪で生まれた少年よ父親は元暴力団員 母親は火事を全くしないネグレクトの状態 にあったわなかなか厳しい環境だったんだ なそして大家族の子供であったこともあっ てかなりひどい貧困状態にあったの学校で もいじめられていて小学6年生の頃から いじめや家庭環境の辛さから逃れるために シンナーで遊ぶようになったのシナーじゃ 一時的に気持ちは癒されるかもしれないが 根本的な問題が解決できないぜそして中 学校に進学したんだけど不登校になって2 年生の時に母親は蒸発したわそれから彼は 窃盗を行うようになって教護員に入ったの まともに育ててくれる人がいないなら教護 員のような施設にいる方がいいのかもな それで彼は少しでも開心したのかいいえ 教護員を出た後も彼は窃盗を続けて 1990年に少年院に入ったわ退院した後

は色々な仕事を点々として1992年 知り合いの女性との間に子供ができたわ彼 は父親になったのよこんな不安定な状態の 中子供が生まれたのか1994年に ようやく認知したんだけど妻とはすぐに 離婚したわ異常が主な犯人である3人の 追いたちよそれぞれいろんな事情がある みたいだが3人はどうやって知り合っただ 3人とも最終的に同じ暴力団の団員になっ たの彼らは主に恐喝などを行っていたわ ここから本題に入るわ ね大阪愛知岐阜連続臨地殺人事件は 文字通り大阪愛知岐阜の参加所で罪のない 被害者を臨地した上で殺害した事件よ順に 解説するわねお願いするぜ大阪事件の 始まりは1994年9月28日kmとHM の2人が繁華がで2人の男性とトラブルに なったことよ彼らは2人に暴力を古い事務 所に連れて行こうとしたんだけどそのうち 1人は無事逃げ出すことができたわ1人は 無事で良かったぜでももう1人の男性は どうなってしまったんだkmとHMはKと 同じ暴力団の少年Aと合流したわそしてお 金を得るためにその男性Hさんを妊婦とし て工事業者に連れて行こうとしたの彼らは Hさんを拘束したまま工事業者に連絡を 取ろうとしたんだけどなかなか連絡が取れ なかったわ連絡が取れないならもうHさん に要はないよな彼は解放されたのかいいえ それどころか連絡がつかなかったことに イライラして彼らはHさんを殴るけるなど ボロボロになるまで暴行したわボロボロの 状態で今更解放したらきっと通報されて しまうよなだから彼らはHさんにさらに 暴行を加えて最後はベルトで首を縛って とどめをさしたの完全に取り返しのつか ない状況になってしまったなその後彼らは どうしたんだ彼は別の暴力団員に遺体の 処分の仕方を相談して結局高知県の山の中 に遺体を生きしたわ遺体には殴られた後や タバコの火を押し付けられた後があった そうよ暴行された挙げ句山に捨てられる なんて本当に悲惨な事件だなでもこれと似 たようなのが他にもあったんだろえ次は 木川事件について解説するわね1994年 10月つ日彼らと同じ暴力団に所属してい た別の仲間が高校生3人に恐喝をしたのの そして警察に通報され暴力団事務所で大阪 不による固く捜索が行われることになった わ事務所に警察が来るということはそこに 所属してる3人も捜査の対象になってしま うってことだよなその通りで大阪事件の ことが警察にバレてしまうことを恐れた3 人は愛知県稲沢市に移動して身を隠してい たわそれから5日後3人を含めた男女10

名でシナ遊びをしていたの確か3人とも 過去にシナ遊びをした経験があるんだよな でもその10人の中で1人kmを 睨みつける男性王さんがいたわどうして 睨みつけるんだ王さんは過去に交際してい たある女性をケに奪われてしまったことが あるのそのことからケに強い恨みを持って いたのよ異性関係のトラブルは複雑な事件 になる原因の1つだよなケムはこちらを 睨みつけてくる王さんに腹を立てて彼に 殴りかかったの睨まれてるだけなのに そして王さんの体が邪魔でテレビが見え ないという理由で経営も暴行に加わったの それから他の仲間たちも次々と加わって いったわビール便で殴ったりシナーに火を つけたり暴行は約8時間に渡ったみたい そんなに長時間に渡ったのかそれだけの 時間生きてたままいぶられるなんて もちろん彼は亡くなる寸前の状態になって しまったわそれを悟った3人は彼を近所の 木川に流してしまおうと考えて河川敷に 向かったのでも草が追いしげっていて川 までたどり着けなかったのか近くの雑器林 に放置してしまったのなくなる寸前の状態 で放置されてしまうなんて想像するだけで 恐ろしいぜ遺体が見つかった頃には白骨家 が進んでいてはっきりしたシーンは分から なかったそうよということは発見される までかなり時間がかかったんだなそうね次 は長川事件よ10月7か3人と他男女3名 の計6名がボーリング上である男性3名の グループと揉めることになるのどうして 揉めたんだ彼らがボーリング場です すれ違った時相手の男性たちがkmの方を 見て笑ったとして因縁をつつけることから 始まったわはっきりしたことは分からない が言いがかりだったんだろうか恐喝を目的 に言いがかりをつけたそうよそして犯人6 名は被害者を車に乗せたのその時ケムはお 金を奪って解放しては自分たちが逮捕され てしまうのではないかと考えたわそりそう だよな解放すればきっと通報されるだろう しだから犯人たちは人の少ない河川敷に 移動したわそして3人の男性のうち1人を 運転手として利用しようと残し残りの2人 を外に出して暴行を加えたわそして2人が 動かなくなったのを確認するとそのまま 生きしたのなるほどな残りの1人はどう なったんだその人はこの事件が発覚する上 でのキーパーソンになるわ次にこの事件の その後の経過を解説するわ ね長川事件の翌日10月8日臨地にあった 2人の遺体がトラックで通りかかった人に よって発見されたのその運転手はすぐに 警察に通報したわその頃3人と1人の被害

者男性はどうしていたんだ彼らは愛知県に 戻ったんだけどその時kmはKAとHMに 対して別れようと言ったの別行動しようっ てことか別行動もそうだけど仲間割れと 言った方がいいわね当時Kは仲間を殺そう とする胸の発言をよくしていたみたいだ からKAとHMは彼と別れ被害者を連れて 大阪に戻ってきたは被害者も連れてこられ たのかさらなる被害にあってないか心配だ なところがその被害者の処置に困った2人 は彼をそのまま路上で解放したのそして 被害者は通報して2日後3人が指名手配さ れることになったわなんで解放したのかは 分からないがついに指名手配されたんだな そして12日には経営が逮捕され14日に はkmが出頭して逮捕されたのそして翌年 1月18日にはHMがその他臨地に加わっ た人たち全員が逮捕されたわ随分と時間が かかったんだなだがこれで被害は広がら なくなってひとまず安心だな結局彼らには どんな判決が下されたんだそれじゃあ次に 3人の後半について解説するわ ね1995年6月26日名古屋地方裁判所 で3人の初後半が行われて3人は事件に 関与した事実だけ認めたわでもkmは殺意 があったことを否定してHMも大阪事件に ついて殺人罪の成立を否定したのそして それぞれが自分は死亡者じゃないと主張し たのよ罪をなすりつけあったってことだな 1995年8月21日の第2回後半でも 暴行の事実は認めたけど殺意を否定したの だから被告人の弁護士も殺意があったか どうかについて様々な角度から上場する ことになったわ確かに事件の流れだけでは 殺意事態があったかどうかは判断しづらい もんな9月6日に開かれた第3後半ではは 被告人は膨張石の遺族に挑発的な態度を 取ったり笑いかけたりと反省の様子が見 られなかったみたいこれは遺族としても 世間から見ても怒りを買う行動だなそれに 元々同じ教育をしていた3人だったけど誰 が主導だったかをなすりつけ合うように 食い違った教育をし始めたのよ遺族にとっ ては誰が主導かはあまり重要とは思えない な被告人にどんな罰が課せられるかが重要 だったんじゃないかその後の裁判でkmは 死刑判決がKAとHMには無期懲役の判決 が下ったわここで死刑判決が下されたわけ かでもなんでkmだけだったんだそれは 裁判長がkmこそが事件の実行者で彼がい なければ事件は起きなかったKAとHMは kmに追従した立場であると認めたからよ そうだったのかこれが未成年による反抗で 死刑が言い渡された最初のケースだったん だよなその通りよその後判決に納得がいか

なかったのか控訴されたわ2001年に 行われた控訴審判決ではkmKHMの3人 とも死刑にシスという判決が下されたのよ どうして今度は全員死刑になったんだ さっき魔理沙が言っていたように誰が死亡 者だとかそれぞれがやったことに大差は ないという検察側の主張が認められたの 一見kmが死亡者のようにも考えられる けどKAもHMもそれと同等に積極的に 反抗に加わったと判断されたのよ少年法に 守られているとはいえここまでの判決が 下されるという事実に驚きだぜこの事件が いかに悲惨なものだったかを伺えるなそれ から最高裁に上告して死刑判決の回避を 求めたけど棄却されてたのそして2011 年4月1日3人の死刑が正式に確定したわ ここまで来るのに随分と時間がかかったん だな反抗当時19歳だとすると2011年 には36歳になってるよなということは3 人はもう亡くなっているのかそれがまだ 生きてているのよえそうなのかそれじゃあ 最後に現在の状況を解説するわ ね現在kmは東京地所KHMは名古屋 交流所にいるのよそして判決から約2ヶ月 後km経営に対してアンケートが行われた わその結果kmは裁判に対して弁護士や 支援者に感謝はしていたのでも判決には 未だに不服に思っていること交流所の職員 を避難する言葉もあったみたいあまり完成 しているとは言えない状況だな職員を避難 することといいまだ他人に罪を 押し付けようとする姿勢があると考え られるぜそして経営の答えも同様に判決に 不満があったようね自分に課せられた罰は 正当ではないことを主張し裁判所を避難 するコメントを残したわどちらが絶対的に 正しいかなんてことは第3者がどこういう 問題でもないが反省の色は感じられない コメントだなこんな状態の彼らのことを 遺族の人たちはどう思っているんだろうか 2021年5月18日遺族の1人が講演会 を行ったわそこでは犯人たちに極刑は下っ たとしても心は晴れないことを語ったの 犯人がどうなろうと失った大切な人は戻っ てこないもんなそしてその遺族は被害者は 事件の証拠として物扱いされたように感じ たと語ったわそれに被害者遺族をケアする 制度や考え方が十分に浸透していなかった ことも訴えたの大事な人を失う悲しさを 一生背負って生きていかないといけない もんな特に昔は現代より被害者遺族への 支援が足りていなかったようにも感じるぜ でも今でもそういった事件で苦しんでいる 人はたくさんいるんだよな現代は現代で 課題があるわ今は報道関係者だけでなく誰

でもSNSなどで気軽に声を発せられる分 被害者遺族を守ることは特に重要よ ね事件の概要は以上よ19歳の少年たちが 連続でたくさんの人を臨地した挙げ句殺害 そして日本市場発の未成年に対して死刑が 言い渡された事件この一連の出来事につい て魔理沙はどう感じた子供は大人より精神 的に未熟だからなどの理由で少年法は存在 するんだろうなだが被害者からすれば犯人 が大人だろうと子供だろうと辛いのは同じ だ少年法の意義について改めて考えてみ たくなったぜそうよねでも子供の精神の 成熟度合はそれぞれ違うのも事実ね犯人の 中にもあったように親や周囲の環境が精の 成熟を妨げてしまうこともあるわそういっ た子供の養育環境にも目を配って根本的な 解決を目指すのも1つの手段よねただ軽が 重いからと言って遺族の心が救われること はほとんどないだろうそれに金銭的に賠償 したり支援したとしても本当に安心して 暮らせるというわけではないぜそういう 意味では被害者遺族に対する心の気や二次 被害の防止にも目を向けたいないずれにし ても未成年であることを理由にせ惨な事件 を起こしてしまう人が出てこないような 社会を目指したいわね今回の事件は裁判で の判決に注目すべきものだったが死刑判決 まで相当時間がかかっていることに驚いた ぜこういう事件は意外と判決が出るまでに 時間がかかるものが多いのよトント拍子に 結論が出るわけじゃないんだな当たり前よ いろんな立場の人がいろんな角度から意見 を主張してまとめ上げていく場なんだから 裁判や法律って本当に複雑だなもっと学び たいと思えてきぜそれじゃあ私が1日10 時間コースでじっくりレクチャーして あげるわほどほどに頼むぜというわけで 今回は大阪愛知岐阜連続臨地殺人事件に ついて解説したわそれでは次回もゆっくり していってね

ゆっくり怖い事件は、未解決事件、ゾッとするような怖い話、サイコパス、胸糞事件など非日常を味わえるものをゆっくり解説しています。

今回は「大阪愛知岐阜連続リ◯チ殺人事件」をゆっくり解説するわ。

※日本・海外問わず、実際に起きた様々な事件を「注意喚起、再発防止、防犯意識、風化防止」を目的としております。
※動画での惨事や死を取り扱う内容については、関係者を冒涜したり、その行動を助長したりするといった意図はございません。
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません

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12 Comments

  1. この3人全員が主犯でしよ!
    少年法に守られてるから
    極刑は言い渡されない!
    とんでもない考え
    極刑を言い渡されても
    執行されるまでの時間は生きていられる
    被害者はこれからの人生を突然奪われた
    さっさと刑を執行するべき

  2. 死刑にならなくたって、無期懲役なんて死刑と大差ないだろ。
    むしろ死刑の方が楽だと思う。

    どうせ無期懲役なら少しは世のためになるように死ぬまでタコ部屋みたいなトコで働かせた方がいい。

  3. 少年法って、戦後の混乱期に戦争孤児のやむを得ない犯罪に対して制定されたと聞くが、今の時代にはとっくにそぐわなくなっている。撤廃するか、大幅改正しないと、この様な少年法を逆手に取った悪質な犯罪を増長させる事に繋がってしまう!!

  4. 36歳になってもまだ生きてるって…。いつになったら死刑が執行されるのでしょか。
    刑務所でタダ飯食って散々刑務所の物を使って。それらは全て国民の税金。
    死刑が確定したならさっさと処罰してほしいわ!

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