【衝撃!!】日本が開発した砕氷艦「しらせ」が世界で大活躍!海外の人たちが驚いた救援活動の内容とは?【海外の反応】

海水を放出しながら氷の海を突き進む日本 の最強線をご存知ですか最強線とは 文字通り水面の氷を割りながら進む船の ことです北極会や南極会などの氷で覆われ た水域を移動するため一般の船とは異なり 最強設備などが装備されています世界各国 の最強線の多くは探査用や軍事用として 使用され軍艦としての任務を担う最強線は 官とも呼ばれます日本の表戦については 文部科学省では南極観測線と呼んでいます が防衛省では最強官と呼んでいて日本国内 でも組織によって呼び方が変わっています なおこの動画ではこの後の最強戦の呼び方 は全て最強官で統一させていただきます 今回の動画では日本製の最新の最強官 知らせについて海外の人たちも驚いた2つ の性能を解説させていただきますまた動画 の後半では評官の知らせが人名救助を行い 救助された海外の人たちが日本の裁評官内 での対応に感動してしまったエピソードを 紹介させていただきます日本人の対応の 素晴らしさが実感できますので是非最後 までご覧くださいこのチャンネルでは世界 に誇る日本の技術を中心に世界から見た 日本の魅力をお届けしています日本の技術 に少しでも興味のある方や日本のことが 大好きな方は是非チャンネル登録をお願い します日本の技術 図鑑まず始めに日本の最強官の歴史につい て簡単に振り返ってみようと思います日本 で作られた最初の最強官は1938年に 春行した宗也でしたしかし宗也は当初から 再官として作られたわけではなく当時の ソビエト連邦から発注以来を受けたとして 日本の企業によって建造されていた船でし たその頃は日中戦争が激化している年で あったことから結局宗也はソ連へは 引き渡されることはなく翌年の1939年 に大日本帝国海軍が買い上げることとなり ました宗也は日本海軍の運送官として兵員 や食料の会場運搬に従事しましたその後第 2次世界対戦が終わり宗谷は海上保安長の 補給戦としての役割を経て1956年に 南極観測戦として最強官に改造されること が決定しました実は宗野以外にも最強官と なる船の候補がありましたが結果的に宗也 が最強官に選ばれることになった印象的な エピソードがあります選ばれた理由の1つ に宗也がとんでもなく強運な船だったこと が挙げられます一体どういうことでしょう か1942年の1月まだ日本海軍の船とし て活動していた宗也はトラック諸島にてb 24の空襲を受けてしまいますが奇跡的に 無傷で空襲をくぐり抜けることができまし たまた翌年の1943年1月には南太平洋

の部下党付近で今度は敵の潜水艦から魚雷 を4発も発射されそのうちの1発が宗野の 先体に避弾することとなりますしかしなん とその魚雷が不発だったため宗也の先体へ の損傷は警備だったそうです宗也の奇跡は さらに続きます翌年の1944年2月宗也 は再び空襲に合い回避行動を取ったものの 座長してしまい身動きが取れなくなって しまいましたついには乗組員たちに体感の 命令が下り通常であれば沈没を迎えること となりますがここでも奇跡が重なり自然に 先体が利勝できたことにより再び宗はを 続けることができるようになりました奇跡 の復活を遂げた宗也を見た乗組員たちは涙 を流して喜んだと言われていますこのよう な強運な船であることが考慮に入れられて 宗也は日本の初代最強官として選ばれる ことになりました確かに危険極まりない 南極への旅は性能も去ることながら強運と いうことも大事な要素であることは十分 納得できますね日本の歴代の最強感は 1956年から1965年にかけて活躍し た初代最強官の宗や1965年から 1983年には2代目最強官の富士 1983年から2008年には3代目の 最強官の初代知らせが南極観測の任務に つくことになりますこの3代目の西表官の 初代知らせは実は海上自衛隊の最大同様 記録を持っていますその記録とは2001 年12月12日に南極会を公開中先体が 左右に大きく傾きなんと左に53°右に 41°傾いたそうです53°傾くというの はイメージができますか転覆しても おかしくない角度ですよねこの記録は今で も海上自衛隊の最大同様記録として残り 続けています初代の最強艦の宗野に続き3 代目の最強艦でも強運を持ち合わせていた のかもしれませんねそして2009年以降 現在に至るまで運用されているのが最新の 4代目の最強感2台目知らせです三井造船 製のディーゼルエンジンによる電気推進が 採用され基準排水量は 1万20T出力は3万馬力となっています ここからは世界の人たちも驚く日本の最強 感の2つの性能をご紹介していきますまず 1つ目が最新Aの最能力です2代目知らせ の表能力とはどのようなものなのでしょう か2代目の最強艦であった富士の連続表 能力が氷の厚さが約1mの海域を約3 ノット時速約5kmで再可能でしたが 知らせでは約1.5mの氷の厚さまで増強 されています最強能力の向上には理由が あります2台目の最官富士は合計18回 南極への調査を行いましたが実はそのうち 6回しか南極の昭和基地に切断できず南極

の熱い氷に囲まれてしまい動けなくなる 状況を経験しましたその当時富士の最強 能力不足が指摘されていたことから次世代 の知らせでは最強能力を向上させることと なったのですさらに氷の厚さが3Mや5m だった場合は白瀬はラミングをして進み ますラミングというのは聞き慣れない言葉 ですよねラミングとは分厚い氷を通過する 際に最強感を一旦200mから300m 交代させてそこから全速で前進して氷に 乗り上げ船の重さで採用する全身方法の ことを言いますさらに先体から海水を放出 して雪を閉めれせ摩擦を小さくしながら 進んでいきます氷の厚さが1m未満であれ ば約10ノット程度で航行していきます ちなみに10ノットというのは時速にする と18kmですので自転車でサイクリング するくらいの速度で移動しているという ことですね日本の技術 図鑑世界の人たちも驚く日本の最強感の2 つ目の性能が物資輸送能力ですここからは 2代目最強感の富と3代目最強感の初代 知らせと性能を比べながら2代目知らせの 物資輸送能力をご紹介ていきますまず2台 目知らせの全長は138mです富が 100m初代知らせが134mとなります ので徐々に大型化が進んでいることが 分かりますまた2台目知らせは3万馬力と 初代知らせと同じ性能ではありますが富が 約1万2000馬力となりますので約3倍 近くの性能アップとなっています肝心の 輸送能力ですが2台目知らせの相可能物資 の量が約1100Tであり富が約400T 初代知らせが約1000Tであったこと から輸送能力の向上も図られていますなぜ 輸送能力が重要なのでしょうかそれは最強 感の最大の任務が南極の昭和基地へ多くの 観測隊員と観測体が必要とする大量の物資 を届けることだからですより多くより効率 的に物資を運ぶためにコンテナも進められ 2台目知らせではコンテナを56個輸送 することができるようになりましたまた 物資を運ぶのにヘリコプターも重要な役割 を果たしているため大型ヘリコプターも2 期搭載されていますさらに2台目知らせで は2液装置の配置が改善されています初代 知らせでは貨物用エレベーターが ヘリコプターの発着エリアにあったため ヘリコプターの空有作業中には エレベーターが使えず物資の搬出には夜 からの徹夜作業が必要でしたしかし2代目 知らせでは貨物用エレベーターが ヘリコプター発着エリアの外に配置された ことでヘリコプターの空有作業とプッシの 搬出作業が同時に行えるようになりました

これにより上院の作業負担も大幅に軽減さ れることとなりましたより多くの人員物資 を運ぶことによりさらに多くの調査結果を 得ることが期待できます物資輸送能力向上 は重要項目の1つとも言えますねこのよう に日本の最新の再評官知らせは様々な改良 を加えられていることで世界でも屈しの 性能を持つ最強官として現在でも活躍を 続けているのです日本の技術図鑑南極へ 観測隊員と物資を届けることが目的の再評 感知らせですがなんと海外の最強官の救助 活動を行った実績もあります2016年2 月24日オーストラリアの採評官オーロラ オーストラリス号は南極大陸にある オーストラリアの観測基地モーソン基地に 補給物資を届けるため南極の教会に停泊し ていましたその日は風速がなんと50Mに 達する猛烈なブリザードに見舞われ オーストラリアの砕氷官は南極大陸の陸側 に流されてしまいついには挫傷してしまう 事故が発生しましたなんとかブリザードが 収まるのを待ちオーストラリアの最強官の 観測隊員と乗組員の合計68名はボートで 基地に避難することができましたしかし 乗組員は他にも何十名と最強官に残ってい たのです単独での救助が困難であると オーストラリア政府は判断し収容能力に 優れた日本の最強官知らせによる救援を 日本政府に要請することとなりました日本 の文部科学大臣が本部長を務める南極地域 観測統合推進本部はこの知らせを受け急遽 知らせの行動計画の一部を変更し知らせを 救援に向かわせることを決定しました3月 6日日本の裁評官知らせは南極大陸のモソ 基置きに到着しました3期の小型 ヘリコプターで何度も往復し オーストラリアの観測隊員と乗組員計66 名を無事に救助したのですしかしここで 任務が終了というわけではありませんここ から約2300kmも離れた オーストラリアのKC基地まで オーストラリアの観測隊員と乗組員を 送り届ける任務もありました オーストラリアまでは約1週間の後悔と なり日本隊とオーストラリア隊の館内での 短い共同生活が始まることとなりました 最後に館内での日本隊の最大限の配慮に よりオーストラリアの隊員たちが感動して しまったエピソードをいくつか紹介して いきますまず1つ目は食事についてです 館内生活では食事が最も大事なことの1つ ですが館内の限られた食料を オーストラリア隊員たちにも分ける必要が あります日本隊は当然自分たちの食料が 減ることにも同意し日本体の補給庁によっ

て新たな食料計画が立てられました加えて オーストラリアの隊員たちのアレルギーや 宗教的な事情を把握するため事前に オーストラリアの隊員たちのの情報を 聞き取り彼らが食べても問題が出ないよう なメニューを日本の調理員たちは準備し ましたその上調理員が食事メニューの全て を英語で書き毎食ごとに英語メニューを 用意する徹底ぶりでした外部とは遮断され た船内でアレルギー反応を起こしてしまう ことは命に直結する大変な事態です日本体 の決め細かい配慮によってオーストラリア の隊員たちは安心して日本の食事を取る ことがきたのですここで予想外の出来事が 起こりましたオーストラリアの隊員たちに はプラスチックのフォークやナイフ スプーンが用意されましたがほとんど全て の隊員たちが箸を使って食事をしていたの です加えて日本の調理員はパンも準備をし たのですが白米のご飯の方がとても好評 だったそうです日本職の美しさに オーストラリアの隊員たちもすっかり魅了 されてしまったのかもしれませんねその 様子を見た日本隊は巻き寿司作りをしない かとオーストラリア隊員たちに呼びかけた ところ参加者が殺して自分で作った不慣れ な手巻き寿司と共にたくさんの オーストラリア隊員たちが記念写真を撮っ ていたそうですオーストラリアの隊員たち が驚いたのは食事だけではありません日本 の裁評官知らせに挑戦したことによりその 再評官の性能にも驚きを隠せなかったよう ですオーストラリアの隊員たちには小人数 のグループに分れてもらい日本の観測隊員 たちが案内役となって知らせの間の中を 回りながら設備や性能の説明を英語で行い ました白瀬はオーストラリアのオーロラ オーストラリス号に比べて先体がずっと 大きく大型ヘリコプターまでも搭載する 最新Aの最強戦ですさらに選出や観測室も 余裕を持った広い作りになっており何より オーロラオーストラリス号と比べて全然船 が揺れないということも実感し オーストラリアの隊員たちは日本の最強官 の性能にすっかり驚いてしまったようです 最後に日本隊がオーストラリアとの有効 神前を図ろうと企画したイベントによって 座長事故によるショックを受けていた オーストラリアの隊員たちは笑顔を 取り戻すことができましたそのイベントと は日本の話題子ですオーストラリアの隊員 たちに仙内の倉庫に集まってもら 日本の隊員たちによる話題子の演奏を披露 しましたなんと白瀬の乗員の中には話題子 のチームがあったのですオーストラリアの

隊員たちはその話題子の迫力ある演奏に 感動してしまいレクチャーして欲しいと いう申し込みが殺としたそうですその結果 館内で臨時の話題子教室が開かれることと なりすっかり日本の文化にオーストラリア の隊員たちは魅了されることとなりました 日本とオーストラリアのの観測隊員たちは 同じ部屋での寝泊まりだったこともあり オーストラリアに着く前日には観測隊員 同士の渾身会が開かれていましたそして 無事オーストラリアに着くと全員で飛行 看板に集まり記念撮影をして オーストラリア隊員たちを見送りました 過酷な南極大陸からの救出任務も日本の 最強官知らせと日本隊員たちの活躍によっ て無事を得ることができたのです代表官 知らせはシドニーの港に入行しシドニー 市民から熱烈な歓迎を受けオーストラリア 政府やオーストラリア南極局からも感謝の 言葉が伝えられましたオーストラリア政府 が裁評官知らせの総合性能を高く評価した ことが日本政府に対して救援要請を行った 理由の1つですがその後の日本人隊員たち による対応も勘見れば素晴らしい判断だっ たと世界中の誰もが思いますねまさに日本 人らしい振る舞いが世界の果てと言っても 過言ではない南極大陸の地でも発揮された のです南極大陸には必ずオーストラリアを 経由しないと生機ができない場所です今回 の救援活動により今後も日本と オーストラリアのより良い関係がさらに 深まっていくといいですね日本の技術 図鑑それでは今回の動画を作成する際に 見つけた海外の人たちのコメントを日本に 翻訳して紹介しますこんなに大きな船が 勢いをつけて氷を割って進むのとても想像 できないね船を見ているだけでワクワクし てくるよ日本の観測隊員や自衛隊員たちは きっと日本国民にもあまり知られていない ような仕事を南極という厳しい場所で 頑張っているんだねしかも他国の救援活動 まで行うなんて素晴らしいの一言だよ事故 は嫌だけど日本の官にには是非乗ってみ たいなオーストラリアが日本に救援要請を したのは正解だったねただ救助するだけ じゃなくてその後の線内での配慮もまさに 日本らしい対応だったと思う以上が海外の 人たちの反応でしたいかがでしたでしょう か南極の氷は一定量であれば持って帰る ことが可能ということで実際に白瀬の線内 では飲料水としても使用されているそう です1万年から2万年も前の南極の氷を 使ったお水なんて一体どんな味がするの でしょうかいつか飲んでみたいですね南極 という過酷な場所で調査を行い時には人命

救助の役割まで担う日本の調査隊自衛隊の 皆さんにはこれからも安全第1で頑張って もらいたいです皆さんのご意見も是非 コメントで教えてくださいちなみに宗也は 東京小台場の船の科学館で見学することが 可能ですまた富士は名古屋市の行水族館の 隣で見学することができます是非実際に 南極を高校した日本の最強戦を見に行って みてください今後も世界に誇る日本の技術 を中心に日本の魅力をたくさん紹介して いきますので是非チャンネル登録をお願い します日本に生まれてよかったと思った方 は高評価ボタンを押してくださいそれでは 次の動画でお会いしましょうご視聴 ありがとうございました

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【参考情報】
船の科学館
https://funenokagakukan.or.jp/

南極観測船ふじ
https://nagoyaaqua.jp/garden-pier/fuji/

#海外の反応 #日本 #保守

17 Comments

  1. 中学生の頃日本の南極観測隊がオーストラリアに寄港することは何となく分かっていたので将来他の面でも重要な国になるのではないかとボンヤリと考えていた事を思い出します。

  2. 排気量はワカル。(計るの簡単)
    でも、排水量ってどうやって計測した数値なのだろう??? どうやって計るの?
    特に、潜水艦w  ペラむき出しぢゃん? 卓上の数値(軸のパワーと、ペラの角度と面積?)なのかな? むむむむ…  (・_・D フムフム

  3. ちなみに、しらせ、が揺れる時は砕氷行動の時ぬ(´-ω-)ウムオイルモーターで左右にわざと揺らしながら?オイルヒートで艦を温めてるぬ(´-ω-)ウムそして噴水しながら砕氷行動するぬ(´-ω-)ウム装備は?これ?ちょっとした?小型空母並だよなv(・∀・*)ひょっとしたら?小型空母超えた装備ぬ(´-ω-)ウム

  4. 豪砕氷艦救助の時の艦長が観測隊隊長に「豪砕氷艦の救助に向かいます、日程が伸びますし、おかずが一品減りますが大丈夫ですか?」と問いかけたら笑顔で「大丈夫です」と即答されたそうです。
    この件の数年後違う部隊の司令になられた元しらせ艦長さんにお会いする機会があり会話をする事がありました。気さくな中にも凛とした風貌はまさに海の男と言う印象でした。

  5. 確か「宗谷」や「冨士」は 何度も南極の氷の中で動けなく成り、アメリカやソビエトの砕氷艦に助けてもらったと思う。(「しらせ」はそう言う事が有ったのかな?)
    日本の「砕氷艦(南極観測船)」は、「砕氷」「南極隊員輸送」「物資機材輸送」の三役を一艦(一隻)で行う、アメリカやロシア(ソビエト)では考えられない任務を担っている。
    アメリカやロシア(ソビエト)の 砕氷艦は、当時 砕氷の力に特化した細い船体の艦艇を二艦(二隻)同時に使ったはずだ‥‥。(厚い氷の際は、氷に乗り上げてから海水を取り込んで重量を重くして砕氷する。この能力は「しらせ」にも有ったと思う)
    一艦(一隻)だと氷を割れない場合、その艦艇が救助を求める事に成るからだ。
    二艦(二隻)で互いに補う形で砕氷を行う。
    また アメリカやロシア(ソビエト)で砕氷の仕方、フォーメーションも当時は違ったと思う‥‥。
    どちらかが二艦(二隻)同時に幅を持って氷にアタックして一気に荷重をかけ広く砕氷する方式で、もう一方は 一艦(一隻)ずつ交互に幅を持ってアタックするノコギリ型の砕氷をしたと思う‥‥。
    船体の太い輸送能力を持つ砕氷艦(南極観測船)として「しらせ」は 能力が高い艦艇だと言える。

  6. 南緯50度付近の暴風圏を縦断するから1週間位ずっと揺れるんだよね。ロールも凄いけどピッチも凄いよ。凄く揺れるので、部屋の中の椅子を固定しないと部屋の中で転がるよ。
    赤道付近通過時はインドネシアの島の間を通るので海は穏やかで甲板で運動も可能ですね。
    赤道直下では自分の影が出来ないんだよね。

  7. 初代しらせへ京都の舞鶴港で2回乗りに行きました。もちろん岸壁に係留しらせです。京都の桂坂と言う住宅街の中にある「国際日本文化研究センター」の「赤鬼」ってレストランのシェフは元南極観測隊の料理担当。2回越冬されたそうです。
    ちなみに、第一次南極観測隊の隊長「西堀栄三郎博士」は、私の卒業した京都府立洛北高校の前身「京都一中」の卒業生で、私が在学中に講演を聴きました。面白かったです。

  8. 大変楽しく見させていただきました。一つ気になったのですが、砕氷艦、砕氷船の区別は運用するのが海上保安庁であれば“砕氷船”海上自衛隊であれば“砕氷艦“になったと記憶しています。

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