【廃線?現役?】貨物運行が終了した貨物線の意外な現状を観察しました。

列車の運行がなくなった貨物線線路には草 が生え配線の雰囲気しかしそこには 真新しい踏切りそんな路線に列車は来るの か突然現れるトンネルとトンネルの 向こう側から何か来る気配そしてトンネル の向こう側には意外な展開と衝撃的な光景 が待っていましたかつての名車も見学して いきます皆さんこんにちは哲夫です今回は 原かはたまた配線か大幹線路線の末端の先 に伸びる謎の線路を探索しますそれでは 今回もよろしくお願いしますということで まずやってきたのは鹿児島本線の起点文字 公駅ですこの駅は1891年に文字駅とし て開業し本州と九州を結ぶ関門連絡線の 連絡駅としてその大役を担ってきました しかし1940年代前半に関門トンネルが 開業しその大役は現在の文字駅へと譲り この駅は文字公駅となえ現在に至ります 広いホームはかつての九州の鉄道の玄関口 としての証とも言えるのでしょうか現在は 列車到着時以外はホームはとても静かです 文字公駅周辺は文字コレトロと名打たれた レトロな街並みが特徴的な観光スポットに なっています歴史あるこの駅もまたレトロ な雰囲気が残されており文字コレトロの 一端を担っていますこの駅は2面4線の 構造で各ホームには車両が停車しています がしている車両は全てが発車待ちをして いるわけではありません車両の方向膜を 見ると階層と表示されていますまた新たに 入選してきた列車も表示は回送でこの後 営業列車に変わることもありませんでした この駅は日中は列車の本数が多くないため か一部のホームは車両の竜地にも使われて います再び車両が走行する音が聞こえてき ましたホームの向こう側ではフランジの音 を響かせながら車両が入れ業を行ってい ますこの車両はホームに入することなく 隣接する地線へと入していきまし たこの駅のホームの両端には広大な地線が 設けられておりここでもまた九州の鉄道の 玄関口としての本来の姿を残していました この駅の小倉方のホーム先端からはこの駅 の歴史を感じられるあるものが見られます ちょっと行ってみましょうホームの先端 部分は現在はここに車両が止まることが ないためか補修されずに本来の姿のまま 残っています荒れたコンクリートと屋根の ないこの場所は先ほどいた屋根の下とは 違いなんだか取り残されたような雰囲気 です姿勢を低くしてホームを見るとホーム が先端に向かうにつれ4段階に渡って ホームが低くなっているのが分かります ホームは車両の変化や条項のしやすさの 向上のため時代と共に重あげされ徐々に

高くなってきました 段差が距離を置いて4段階になっているの はおそらく編成量水の変化で徐々にホーム の先端が使われなくなり必要な箇所だけが さげされてきたためかと思われますホーム の先端ではこの駅が歩んできた奇跡を見る ことができました地味ながらこの駅の歴史 の深さを感じられる部分 です今度は少し特徴的な車両がやってき ましたこちらは2019年から運行が開始 された821系です よく見ると全面を縁取るように白い点が 付いていますあれは一体何なんでしょうか 近くに行って見てみ ましょう前面にある白い点の正体はなんと LEDでしたこれらは前哨灯というよりも 飾りとしての役割りが大きいようですが かつてはこの縁取りのLEDも全て点灯し て運行されていた時期もありましたしかし 残念ながら現在は点灯されず全く使用され ていないようです上行用扉の左右にも LEDが設置されていますこのようにこの 車両ではLEDが各所で対応されています 線路の集団部にはJR九州の名物とも 言える巨大な車止め標識がありました線路 の集団を示す車止め標識これぐらい大きい 方が安全でいいのかもしれませんそして この駅は起点駅のため車止めの先に線路は ないはずですが実はそうでもなかったりし ますその理由はまた後ほど ホムの集部には腕木式信号機が保存されて います上段の長くて赤い腕木が場内信号機 下段の黄色い腕木が通過信号機です通過 信号機は通過列車が設定されている駅に 場内信号機とともに設けられ出発信号機の 現状を予告する役割で使用されていまし た腕儀式信号機は保存目的のため列車に 対しては背を向けて設置されています保存 とはいえ現役の鉄道施設内に腕式信号機 しかも新型車両との組み合わせは大変 珍しい光景です改札口にはようこそレトロ の街文字校へと掲げられており古いものを 観光スポットとして活かされた街作りがさ れていることが分かりますレトロなこの駅 でも改札はICカードも利用可能な自動 改札機になっていますしかしそのすぐ横に は友人改札時代のラッチが残っています 現在自動改札機が設置されているところに もかつてはこのラッチが並んでいました 駅舎の中は天井が高くとても立派ですこの 駅舎は2012年から約6年かけ耐震補強 などの保存修理が行われ2019年に工事 が完了しレトロな雰囲気を残しながらも とても綺麗に生まれ変わりました駅舎の 外観も大正時代に建設された当時の姿を

残しつつ綺麗に補修されていますこの駅舎 は東京駅の丸ノ内駅舎と同じく国の重要 文化剤に指定されています今度は鉄道 ファンはもちろんそうてない方でも見逃せ ないある場所に向かえましょう今から行く ある場所とは文字公駅から歩いてすぐの ところにあるこちらの施設です九州鉄道 記念官は車両や鉄道に関するものが多数 保存されている施設ですこれは楽しみです ね早速行って見てみましょうと言いたい ところですがその前に気になるものを発見 してしまいましたこちらが先ほどまでいた 駅の駅舎です公駅は点駅のため画面向かっ て左側の小倉駅方向に線路は伸びています が右側には線路はないはずですしかし線路 がないはずの方向に視点を変えるとなんと 踏切りがあり線路があるんですよね実は この線路鹿児島本線の視線でかつては貨物 列車が運行されていましたが現在貨物列車 の運行は廃止になっています今あの線路は 配線なのかはたまた現役なのかそのありを 探りながら後ほど探索しましょうという ことでまずは九州鉄道記念館にやってき ました九州鉄道記念館は屋内外合わせ10 両の古い保存車両と3両分の戦闘部カット 車体その他鉄道に関する貴重な展示物や 鉄道模型運転シミュレーターなどがあり 鉄道に興味のない方でも文字コレトロの 観光スポットの1つとしてお楽しみ いただけるかと思います正面入口の向かっ て左側には3両分の先頭部カット車体が 展示されています左側から485系ED 76EF30とどれも九州で活躍してきた 車両です入り口には9600型蒸気機関車 が展示されていますこの車両は山形県の 米沢駅と新潟県の坂町駅を結ぶ米坂線で 活躍していましたが1974年に遠く離れ た九州地方にやってきて約1年活躍した後 廃車となりましたということで早速中に 入って色々と見学していきましょう 9600型の後ろにはC591号機が展示 されています金色に輝くプレートと黒光り した車体屋根つとはいえ屋外展示のこの 場所ですが車両はしっかりメンテナンスさ れており大切に保存されています足回りに は油が塗られているのかいつでも動かせ そうな同体保存機のような見た目です この場所ではC59歩先頭に1本の線路に 複数の保存車両が列に展示されています次 に保存されている車両はEF10型です この車両こう見えてステンレス車体なん ですEF10型の25号機以降は関門 トンネル区間専用の機関車となりましたが 関門トンネル内では海水が漏れ強い円外を 受けていましたそこで一部のEF10型の

車体がステンレスに改造され車体は茶色に 塗られたものの日本発のステンレス車体の 機関車として活躍しました保存車両のすぐ 横には文字攻撃に隣接する立地線があり 現役車両の姿も見えます隣に立地されて いる813系もまたステンレス車体です こちらボンネット形状が特徴的な485系 クハ481603ですこの車両は1969 年に製造され東京と東北地方を結ぶ特急と して使われてきましたその後1983年に 九州にやってきて日輪やカモなどに使用さ れた後1995年に廃車となりました車内 は当時の姿のままで残されています天井に は分散式の冷房座席は青いモケットに簡易 リクライニングの組み合わせ です車部には冷たい水が当時無料で飲めて いた冷却飲料水の給水器そしてそのすぐ横 には洗面台がそのっていますこちらは 583系の中でも初期に製造され高直 どちらの電源にも対応していますが公流 電源が60hzにのみ対応している581 系と形式名がけられた車両です昼間は座席 特急車夜は寝台を引き出して寝台特急車と しても使われていた車両でしたこの車両は 主に関西と九州を結ぶ特急列車に使用され てきましたが後に外観はほぼそのままに 塗装や内装が変更され形式名を715系と 変え交流区間専用の普通列車向けの車両に 改造され活躍してきましたこの場所では 塗装が581系当時の姿に戻され特急列車 として展示されています車内には3段の 寝台が備わっていたため車体は限界まで 大きく作られておりかなりの重厚感があり ます隣に展示されている485系と比べて も581系の方が屋根が高く その大きさがよく分かると思います車体の 上部には小さな窓が上下2つ並びますこれ は寝台を引き出した際に上段と中段の それぞれの寝台の窓になっていました車内 に入ってみましょうお邪魔しますこの車両 は581系として展示されていますが中身 はほぼ715系のままです車内に入ると気 になったのがこちらの謎のスペースこれは 一体何だと思いますか答えはまたほど 581系583系から715系の改造は 当時の国鉄の経営状況まあり最低限にとめ られています内装の主な改造内容は身体 転換機能の封印や座席のセミクロッシーと か一部トイレの撤去などですちなみにこの 系列は寝台車としての保存は他にもあり ますが普通列車向け改造後の内装が一般 公開されているのはここだけではない でしょうか583系の歴史を知る上では実 はとても貴重な展示車両です寝台機能は 撤去ではなく固定されて封印されていた

だけなので固定を解除すれば寝台を 引き出すこともできます一度封印された 寝台も展示によって一部が引き出されてい ます寝台の設備がそのまま残っているのが まさに封印といった感じで眠っていたお宝 が発見されたかのようですロングシートに 改造された車部はここだけは寝台機能が 撤去され状の高さが際立っています普通 列車向け改造後はつり革も設置されました 普通列車向け改造前はトイレが2か所並ん で設置されていたこの車両ですが改造後は 1箇所封印され使用可能なトイレは1か所 になりましたそしてこのトイレの目の前に は先ほど見た謎のスペースがあります実は このスペース特急車時代には洗面台が並ん でいました改造後も完全には撤去されず このようなデッドスペースになっています まし上口は特急時代と変わらず織戸式で 狭く上行に時間がかかり普通列車には適さ 構造でした屋外展示の最後は14系寝台 客車が展示されていましたこちらも車内が 開放されておりずらりと並ぶ寝台や各寝台 の中も見ることができます屋外の車両展示 以外にも屋内にも鉄道に関する設備や資料 の展示がありますこちらの作りのレトロの 建物は九州鉄道記念館の本館ですこの建物 は九州で初めて鉄道を敷いた九州鉄道が 本社屋として建設しその後鉄道員鉄道省 国鉄そしてJR九州へと引き継がれ鉄道 運行の中核を担う施設として使われ現在は 記念感として残されています中はこんな 感じで開放感のある建物の中に鉄道に 関する設備や資料グッズの販売 シミュレーターや模型などとろせまと並ん でい ます僕はシミュレーターは体験していませ んがどうやら音楽館が制作されたものの ようなので完成度は間違いないかと思い ます一通り見学したところで役目を終えた 貨物線が今現役なのかはたまた配線なのか 調査をしながら沿線を探索していき ましょう調査を進めていくにつれこの路線 の意外な事実と集部には衝撃的な光景が 待っていましたというでまずやってきたの はこの路線にある最初の踏切です先ほど 離れた場所から見えたあの踏切です線路は 文字港レトロの観光地の中を貫いています この路線はかつて文字港駅から外浜という 貨物駅までを結んでいた鹿児島本線の貨物 視線でした2004年に列車の運行が なくなりその後休止期間を経て2008年 に正式に廃止となりました現在は線路に草 が生え現役の路線のようには見えませんが が果たして列車の運行はあるんでしょうか 2008年に廃止となっているはずのこの

路線ですが踏切りの設備は比較的新しい ものに更新されていますということは現役 なんでしょうかさらに歩いてこの路線に ある2つ目の踏切にやってきましたこちら の踏切は先ほどの踏切とは少し様子が 異なります警報機をよく見ると先行灯や 軽費が錆びでくんだ色をしていますこれは 配線になり放置された踏切りでよく 見かける光景やはり廃線なんでしょうかと はいえ海に近いこの場所潮風で錆が進行 するのは早そうなので錆びているのは 仕方ないのかもしれませんさらに隣の3つ 目の踏切りからは文字口の船溜まりが見え ました水辺の観光スポットは多くの観光客 で賑わっていますレトロな水辺の街並みと 底を通る線路なんだかとってもいい雰囲気 です現役なのか配線ななのか未だに不明な この路線3つ目の踏切りまで来ると線路は より多くの草に覆われ一部は線路が見え なくなっていますよく見ると線路も錆びて いるように見えますここまで来るとさすが に配線と言い切ってもいいように思えます しかし驚いたことにレール当面を見ると レールに草が押し潰された跡がありますと いうことはこのレールの上を何らかの車両 が通ったということですやっぱりこの路線 は現役なんでしょうか引き続き探索し ましょうさらに歩くとここまで単線で続い ていた線路に変化がありましたどうやら この辺りから線路が2本に分れているよう です今度は2本に分れた線路上にある踏切 にやってきましたよく見ると左側には一旦 停止の看板がありますということはこの 踏切りは現役ということなんでしょうか しかし踏切から線路を見ると線路はかなり 荒れており配線と言われても疑いはない見 た目ですですそもそもなぜこの場所だけ 線路が2本敷かれているんでしょうか左側 の線路は文字公駅付近から続いている線路 右側の線路はこの辺りだけ敷かれている 線路です右側の線路は完全に錆びており 全く使われていない様子が見て取れます 先ほどの錆びた右側の線路の踏切り部分を 見ると車輪のフランジが通るレール横の溝 が埋められておりやはり右側の線路は完全 に使われていないようです 実はこの場所今僕が歩いているところや 右側の建物が立っているところにもかつて 多数の線路が敷かれていました完全に錆び ている方の線路は先ほどの踏切りから数百 M進んだところで途切れていました現在は 日本の線路だけが敷かれているこの場所 ですがかつては多数の側線が敷かれここに 貨物駅がありましたそしてその貨物駅の 名前は外浜駅そうこの路線がかつて鹿児島

本線の貨物戦として営業していた頃の集部 はここにあったわけですでは過去も現在も 線路はここで終わりなのかと言うと実は そうではありませ ん貨物線現役当時外浜駅から先は田浦公共 輪行鉄道という専用線が田野浦という貨物 駅まで伸びており貨物視線と一体となって の運行が行われていましたつまり線路は この先もまだまだ続いているということ ですこの先には一体何があるのか今はどこ まで残っているのかそしてそもそもこの 線路は今も現役なのか引き続き調査し ましょう線路はこの先関門海峡に面する 船溜まりの横を通っています線路と 船溜まりの間にはこの夕歩道があり 心地よい風を感じながら線路沿を歩けます 正面には本州と九州を結ぶ関門教が見え ますこの辺りは観光客の姿も少なくとても のんびりとした雰囲気ですさらに歩くとと 再び踏切があります今まで見てきた踏切は 少し錆びているものが大半でしたがここは 結構綺麗 です踏切りを渡って線路の反対側にやって きました正面には小さな山がありますが この先線路は一体どうなっているん でしょうか文次公駅付近から続く線路は この先山があっても途切れることなく トンネルの中に続いていましたそれにして も踏切りとトンネルが隣り合う光景は とても珍しくちょっと不思議な光景です このトンネルはメカトンネルと名付けられ ています線路はトンネルの中にも続いて いると思われますが中は真っ暗で何も見え ませんこの先には一体何があるのかそして このトンネル一体どうやって抜けましょう か当然トンネルの中に入る行為は禁止され ているので絶対に入ってはだめです トンネルと踏切りの組み合わせは珍しくて すごくいいんですがこれで踏切りが作動し たらもう最高ですそんな光景本当に見らた いいんですけどねまそれはこの路線が現役 かそうでないかによってしまいますそんな ことを思いながら踏切りを見ているとなん とついにその時がやってきましたそれは ふとカメラを警報機に向けていた時のこと それまで静寂を貫いていた警報機に変化が 訪れまし た 警報機はカンカンという音と共に作動し 始めましたトンネルの向こうから一体 どんな車両がやってくるんでしょうか緊張 の一瞬です遮断感もおりついに車両がやっ てきますいよいよこの路線の正体が分かる 時がやってきますトンネルの中から徐々に 車両が近づいてくる音が聞こえ

ます やってきたのは潮風号とヘッドマークが 掲げられた小さな機関車が牽引する トロッコ列車でしたこれまで辿ってきた 線路は全て現役でした貨物運行の役目を 終えた鹿児島本線の貨物支線と田野浦公共 輪行鉄道の一部の線路は北九州市に 明け渡され北九州市が保有列車の運行を 平成地方鉄道が行う形で観光用のトロッコ 列車が運行されています このトロッコ列車は北九州銀行レトロ ラインと名付けられており文字港駅前の 九州鉄道記念間駅から途中2つの駅を通り 先ほどのトンネルの先にある関門海峡メカ 駅までを結ぶ距離にしておよそ2kmほど の路線です列車は概ね40分間隔で運行さ れており前線乗車しても乗車時間は10分 ほどと手軽に乗車が楽しめますもちろん 途中駅での上行も可能で観光スポットへの アクセス路線としても利用できます車窓 からは水辺の綺麗な景色やレトロな街並を 望みながらのんびりとした時間が流れる トロッコの旅を楽しめます文字コレトロの 観光スポットの1つとして是非お勧めし ますということで今度は九州鉄道記念館駅 からこのトロッコを乗りとしてあの トンネルの向こう側に行ってみましょう実 はトンネルの先にもまだ謎の線路があり ますなんとトロッコの執着駅の先に まだまだ線路が伸びていますこの線路の 本当のマたぼを見に行きましょうトロッコ 列車は2両の客車とその前後に1両ずつの ディーゼル機関車が配置された計4両を1 編成としたブッシュプルで運行されてい ます牽引を担当する小さな機関車は 2006年まで南阿蘇鉄道でトロッコ列車 有す号を牽引していた車両ですこの車両元 をたどれば国鉄の貨物駅で数量の貨車を 移動させるスイッチャーとして使われてい たものです機関車が小さいため客車が とても大きく感じます客車は2008年 まで島原鉄道で島鉄ハッピートレイン号と して使われていたものですこちらはさらに 元をたどると国鉄型のトラ7万型という 無外貨車です車内は向かい合わせの座席と 座席の中央には大きなテーブルが備わって います窓は大きく開けられるようになって おり海辺の心地よい風を感じながら乗車 でき ます列車は九州鉄道記念間駅を出発しまし た客車の先頭に乗ると小さな機関車が 頑張って牽引している姿がよく見えます 列車は文字コレトロの街並みを見ながら のんびりと走行しますございますこの列車 は14時40分発房駅行きです途中館駅広

駅停車してまります 終点までおよそ10分間ラ列車の旅をお 楽しみ ください列車は途中の井光美術館前駅を出 てしばらくすると線路が2本に分かれて いる旧外浜駅を通過しますそしてここまで は旧鹿児島本線の貨物支線の線路を走行し てきましたがこの先は旧田浦公共輪行鉄道 の線路を走行します機関車の最高速度は 時速25kmですこの機関車本は運転の 必要がない貨車の入れ替え作業を目的とし て製造されたため当初の最高速度は時速 15kmほどでしたしかしトロッコ列車 牽引機関車として使用されるにあたり 南阿蘇鉄道時代に改造を受け最高速度が 時速25kmに引き上げられました車窓に 広がる水部や関門鏡を見ながらトンネルの 向こう側にある終点駅へ向けて走行します 入れ替え用として製造された古い機関車が 今も動いていることしかもその機関車が 牽引する客車に乗れるのは大変貴重なこと です観光目的でも乗り鉄目的でも十分に 乗る価値のある鉄道です次は終点茂海目駅 です列車はいよいよ先ほど見たトンネルに 入りますこの向こうには一体どんな景色が 待っているのか終着駅の先に伸びる線路は 一体どこまで続いているのかまだまだ 楽しみはたくさんあります 踏切りを超え列車がトンネルに入ると 真っ暗だったトンネルの内部が機関車の 前哨灯によって明るく照らされます トンネルに入ると客車内も暗くなります しかしこの時客車の天井に注目です客車の 天井にはトンネル内の暗さを生かした光の 演出がありました景色の見えないトンネル 区間そんな退屈の時間も楽しめるよう しっかりと工夫されています列車が トンネルを出るとすぐに終着の関門海峡 メカ駅に到着です時間にして10分ほどの 乗車本当にあっという間に終点について しまいました関門海峡をメカ駅に降りまし たこの駅はトロッコ列車の終点駅ですが 線路上には車止めがなく線路はその先にも 続いていますこの路線は先ほどもお伝えし た通り田野浦公共輪行鉄道の配線を活用し て生まれた観光路線ですしかし観光路線と して活用されているのは一部のみ この先は観光路線として活用されなかった 線路ですこの線路はどこまで続いているの かこの先は使われていないのか調査をし ながら探索していき ましょう駅前には2両の保存車両が展示さ れています茶色い客車はオハフ33銀色の 機関車はEF30のトップナンバーです オハフ33客者は以前は時折り車内も見学

できたようですが現在は車両の劣化のため 公開になっています海に面したこの場所で の展示なかなか厳しいものがありそうです EF30型は九州鉄道記念間の入り口にも 先頭部カット車体として3号機が展示され ていましたがこちらは1号機です大きな 違いは車体のコルゲートの有無ここにある 1号機はコルゲートがなく全面がちょっと のっぴきとした見た目です駅の近くには 本州と九州を歩いて渡れる関門トンネル 人道の入口があり トロッコ列車は公とこのトンネルの入り口 を結ぶ交通機関としての利用もできます 本題に戻って終点の先に続く線路をたどり ましょう改めて位置関係をお伝えします今 僕が歩いているのとは反対方向に関門海峡 メカ駅今歩いている方向が終点の先の線路 が続いている方向です線路は今僕が歩いて いる右側に敷かれてい ますしばらく歩くとのだから線路の姿が 見えてきました線路は関門海峡メカ駅から 途切れることなく続いています線路には 近づくことはできませんがズームして見て みると線路は錆びており車両が通ってい ないように見えます終点から先は本当に 配線ということなんでしょうかしかも線路 は奥に向かうにつれより多くの草に覆われ ており完全に配線といった雰囲気ですこの 先に向けて車両が走ることはもうないん でしょうかさらに歩くとここで意外な看板 を見つけました看板にはJR用地につき 立ち入り禁止と書かれていますが左下には jr西日本と書かれています九州エリアに jr西日本一体どういうことなんでしょう か実はこの近くにはjr西日本が運行する 山陽新幹線の新関門トンネルがありこの 場所にはトンネルに続く車高があるという ことでjr西日本の用地になっています 線路はしばらく道路から離れた場所を通っ ていましたがこの辺りで道路と線路の距離 が近くなり少し線路が見やすくなりました しかしここに来て線路に意外な変化があり ましたこの辺りには田浦公共輪行鉄道が 現役通時天保という信号場があり複数に 分れた線路はその名残りですさらに歩くと 線路と道路の距離がさらに近くなり草も 少なくなりより一層線路が見やすくなって きました振りで関門海峡メカ駅方向を見る と草に覆われた中を線路が通っていますが 線路上に草が入ることはなくまるで現役 路線下のようにしっかりと整備されている ように見え ます線路横にある勾配表もくるどころか 綺麗に整備された状態です観光路線に転用 されなかったこの区間の線路現在も何らか

の目的で使われているのかもしれませんだ としたら一体どんな目的でどんな車両が 来るんでしょうかここで改めて線路を見る とこの線路が使われていることを裏付ける 決定的な証拠がありましたなんとレール 透明を見るとここでも草が車輪によって 押し潰された跡がありましたこの場所に 車両が来ることは間違いなさそうです さらに進むとトンネルを超えてから初めて の踏切りがありましたそしてこの踏切に 記載された鉄道会社の社名に注目ですどう やらこの踏切りを管理しているのは トロッコ列車の運行を行ってい平成地方 鉄道のようです田浦公共林鉄道の名はなく わざわざ平成地方鉄道の名があるという ことは配線になり放置された踏切りでは なくしっかりと管理されている踏切という ことです観光路線ではないこの区間もなぜ 平成筑豊鉄道が管理しているんでしょうか その理由はこの踏切りのすぐ先にありまし たそして線路はこの先もまだまだ続くので もちろん末端部まで皆さんも一緒に見に 行きましょう 踏切付近から線路を見るとカーブした線路 の左側に草で覆われ錆びた線路と分岐器を 切り替える通称だるまとも呼ばれる転換機 が見えましたこの場所には貨物線時代に 門地大久保という複数の側線を持つ貨物駅 がありました錆びた線路は側線の一部です 踏切りから少し歩くとようやくこの線路の 正体が見えてきました線路が続く先には何 やら工場のような建物が立っています 線路場にある工場のような建物はトロッコ 列車の車両基地でここで運行を終えた車両 の地や車両の整備が行われます終点の先に 続く線路は今もまだ現役で運行を終えた トロッコ列車がここまで階層で走行して くるというわけなんですねしかしここで 線路が終わりなのかと言うと実はそうでは なくなんと線路はこの先もまだまだ残って いますこの先は観光路線に転されず田浦 公共林鉄道時代のものがそのまま残って いる配線となります車両基地の先にも かつては線路が残っていたようですが現在 は綺麗に撤去されていますこちらにある 工場のような建物は田野浦公共輪行鉄道 時代に使われていたものです線路はかつて 僕が今歩いている道路のすぐ左側に敷かれ ていました現在はご覧の通り新しく建物が 立っており当然線路は残っていませんもう この先は線路が残っていないのかと思いき や角を曲がった先に我々鉄道ファンを 驚かすかのように2度と列車が来ない 踏切りと配線となった線路の姿がありまし た左側の新しいフェンスと右側の口た配線

の退避住宅街を抜けた先にある静かなこの 場所にはなんだか不思議な空気が流れてい ました一部は途切れた線路もその先は手を つけられておらずそのまま残っています 踏切り後にはは踏切の制御ユニットが残っ ており大久保7号踏切と書かれていました 用途を失い20年近く経過した踏切の警報 機は線路の横で横たわっていました線路は わずかに姿を見せたところで今度は草に 覆われ全くその姿が見えなくなっています 線路はこの先も残っているんでしょうか 引き続き探索をしていき ましょうしかし少し歩くと線路上の草は 少なくなり再び線路の姿が見えましたどう やら先ほどの大久保7号踏切から線路は 途切れることなく続いているようです線路 はこの先緩やかに左にカーブし他の裏布へ と伸びていますすぐ近くに歩道橋があるの で後で登って上から線路を見てみましょう カーブの途中には比較的大きな踏切りが ありました警報機や遮断機には黒いシート がかけられ大切に残されています何らかの 形で線路が復活することを考慮してのこと かと思われますが残念ながら線路が途切れ ている以上復活は厳しそうです障害物検地 用のセンサーにも黒いビニールがかけられ ていたようですが自然と破れてしまったの か風になくビニールの残骸がなんだか ちょっと悲しげです線路はこんな感じで カーブし他の裏布へと伸びています辺りに は工場や倉庫などが広がっており観光 スポットもなく観光鉄道としての転用は できなかったものと思われますそしてこの 辺りが田浦京林鉄道の終点田浦駅となって おり線路はさらに枝別れし専用線として各 工場や倉庫につがっていましたかつては 途切れた分岐器からも右に向かって伸びる 線路があり車両は道路を斜めに横断してい ました線路は分岐器の先で無造作に途切れ かつて線路が敷かれていた場所には フェンスが貼られていますこの先には線路 が残っていないのかと思い やなんと地面にれならもフェンスの中にも 線路が残っていましたそしてフェンスの先 には複数に分れた線路が残っておりかつて の貨物運行の繁栄が伺えますかつては線路 がもう少し先まで続いていたようですが今 線路が確認できるのはここまでですという ことで今回の探索はここで終わりたいと 思いますということで今回は鹿児島本線の 貨物支線と田野浦工業輪行鉄道の配線後の 現状の紹介でしたご視聴ありがとうござい ました それでは [音楽]

[音楽] また

●今回は廃線か?現役か?正体不明のかつての貨物路線を見学しました。

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48 Comments

  1. 途切れた線路が、東日本大震災で、被災して移転したフラCITYにあります昔の福島臨海鉄道の小名浜駅(現イオンモールいわき小名浜)を思い出してしまいました。海岸が近くて保存車両が、劣化していると言っていたので、大丈夫かな?

  2. この路線をこれだけ詳しく紹介してくれたYouTubeを観たことはありません。
    前回門司港へ行ったのは12月だったので、レトロラインは運休中でした。次回は必ず乗りたい歩きたい!

  3. んー、何か一つの番組を観ているかの様な作りで「この人プロか?」って思いました。
    一人で作ったとしたら中々の腕前です。観ていて分かりやすくナレもきちんと原稿書きが出来ていて分かりやすかったです。
    自分も編集という仕事をしている上で、ただ一つ気になったのがパーンダウンと左から右へのパーンが多すぎる点です、テツオさんの特徴として息も付かせぬ早口とカットバックだけに同じパターンを何度も繋げると見てる方は目が回ります。あともう少しナレーション読みの間とワンカットの止め3~5秒を基準に編集すると繋ぎ易さと落ち着いて見る事が出来るかと思います。
    参考までに番組のロケの場合は「頭、止め5秒」「キメ、止め10秒」と決まっており、そのくらい尺に余裕が無いと編集できないのが原則です。

  4. 島鉄時代には無かった乗降口が後付されています。
    島鉄時代、機関車ではなく通常の列車でサンドイッチされていたため不要だったからです。
    乗降口の後付の他、車イス対応スペースも後付されてます。

  5. まだ貨物線が現役だった頃、80年代後半か90年代のはじめの頃ですがこの和布刈トンネルに好奇心で入った地元小学生の二人が運悪く走行してきた貨物列車にはねられ、二人とも亡くなったという痛ましい事故がありました。あれから30年近く達ち門司港地区もかなり変貌し時間の流れを感じます。

  6. 今から40年前、門司港始発の長崎行きの夜行鈍行列車「ながさき」に乗って長崎観光に行きました。発車まで時間があり、改札を出て門司港の昔の駅舎が今でも思い出します。晩飯も門司港駅で購入した駅弁のかしわめし弁当が今でも忘れられません。
    今では、重要文化財に指定されましたね。😊

  7. 地元の紹介ありがとうございます。過去にこの臨港線の除草作業に関わったことがあります。

    トロッコのめかり駅の先に過去にノーサンの工場があり、その先の旧農林省の倉庫の敷地の中を通り、さらに進むと田野浦埠頭の三井セメントへと繋がっていました。

    旧農林省の倉庫の横に線路があり、普段は閉まっている電動のゲートが列車が近づくと開いて通過していました。

    線路も大分剥がされてかっての面影は消えつつありますが、一部でも活用されているのは当時を知る者としてはありがたいです。

  8. 線路を辿ることで歴史にも触れることのできる貴重な軌跡ですね🛤️
    優しい語り口でとても心地良い時間でした⏳
    ありがとうございました

  9. 門司港駅の改修は喜ばしい事ではありましたが
    鉄道駅舎として初めて導入されたとパネルまで貼られていた水洗トイレは
    何度も御世話に成っていただけに形だけでも良いので1戸は記念に残して欲しかったです

  10. 良くまとめられた配信で楽しめました。最近は短時間の配信も多いですが、充分な時間をとって構成されていて見応えがありました。ナレーションも、滑舌、声質共に快適でした。今後も期待しています。

  11. 田ノ浦臨港鉄道線
    過去には糸田町から田ノ浦の岸壁までセメント列車が1日5・6往復していました
    19両編成のセメント貨物でDD51がけん引していました たまに信号所で別の機関車に付け替えて件していたこともあります(機種不明)
    実はセメント以外に築港大久保駅には以前大日本産肥という会社があって2軸ボギーの有蓋貨車に肥料を作業員が積み込んでいました車庫のあたりに国営のコメの定温倉庫があり古米を保管していましたそこには鉄の扉があって列車通過時には自動で開閉していました
    歩道橋の先にあるポイント先の踏切は警報機も遮断機もなく、機関車が通過するたびに警笛を鳴らしていました また機関車の先頭に作業員がステップに乗って旗を振って誘導していました
    とても懐かしい風景でした 風景が大分変っていましたね
    UPお疲れさまでした

  12. 「らち」って漢字では「埒」と書いて、動物の檻の出入り口の意味ですよね。
    乗客の払う運賃で飯食ってんのに、客を「動物」だと思ってる。
    今やオワコン産業、日本の鉄道事業者の傲慢と勘違いがこの言葉に表れてますね。

  13. 門司港レトロ線の取材、
    59634(ご苦労さんよ)❗❗
    米坂線時代は人気カマだったようです。いつも深くまで取材されてて本当にご苦労樣です。

  14. 子供が小さいときにこの電車に乗りました。その頃は北九州方面に頻繁に行っていてよくトンネル出口の踏切を通っていました。
    今も潮風号が運行しているようで安心しました。もう一度乗ってみたいな。

  15. こういう過去の鉄道のやつを見て思うのが

    昔のレール後の地図が欲しいと思ってしまう
    旧〇〇駅とかあるからどこからどう繋がってたとか見つつ探索したり

  16. ホームの段差はデッキ付きの車両を
    ホームの長さはかつての編成長さを
    ホームの幅広さは
    構内で郵便・荷物運搬や販売等の活況を
    思い起こさせますね
    よく今まで撤去や改良されず残ったなぁと思います

  17. 貨物現役時,関門トンネルを数回歩きまして,反対側でサンデン交通のバスで,下関,またはバスの時間で長府駅に向かいました.此の時は西鉄バスで和布刈に出ました.また,門司駅前,小倉駅前では田の浦行きの西鉄バスが多くの乗客を乗せ走行.西鉄路面電車の廃止前の門司電停は田の浦に存在して居ました.平成筑豊鉄道が経営するなら,田の浦~門司港を通勤通学用に貨車移動機のトロッコでは無いレールバス等の気動車をトロッコ以外に走らせれば,筑豊地区依り稼げそうだと常々考える次第です.小倉工場で,特急のヘッドマークのオークションがあった時は,高齢の男性が「¥100万!」,「¥250万」,「¥300万」と競って居たのを思い出します.往復には専ら寝台特急「さくら」,「はやぶさ」,「みずほ」,「あさかぜ」を利用.来る時は「あさかぜ」が多く帰宅は「さくら」利用が多かったです.博多駅以遠は略乗車して居ません.普通列車や急行列車に乗り換えた為と,博多駅に寄った事です.「富士」は時間と空席の関係で小倉駅迄の乗車でした.下関「あさかぜ」,「瀬戸」は下関,岡山迄普通列車移動で乗車して居ました.

  18. 動画に西鉄バスが田の浦埠頭の横を走って居ましたね.メーカー純正のいすゞエルガか日野ブルーリボンⅡの後面ですね.自分が和布刈に行く時は,略車体は自社(西工)製で,皆同じでした.自宅の近所はメーカー純正と,西工を除く車体製造会社(富士重工業,北村等)のバス,純正でも日野は帝国と金産,三菱は三菱と呉羽等でバラエティー豊ですが,西鉄バスは1種類で機関製造会社(バス4社共使用)が違っても,車体が同じで詰まらなく思えましたが,バスのマニアの人に聞くと,西工のバスは人気があったとか.見慣れぬ同じ形しか来ないと思ったのは,バスを愛して居ないとの事でした.その頃の西工のバスは,今でも余り好きじゃ無いです.

  19. なんだよ、門司港のトロッコ列車をわざわざ廃線っぽくネタにしたのか、と思ったら違った(笑)
    トロッコ列車の終点から先が面白かったです。
    門司港、一度行ってみたいなぁ。

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