エンジン技術で成り上がったホンダの苦闘

どうもこんにちは物作り太郎チャンネルの 物作り太郎でございます本日はですねいつ もトヨタばっかまとめやがってとトヨタ ラブの太郎でございますが本日はですね ちょっと浮気をしましてホダについてね やっていこうと思いますそしていつもの プレゼン方式と1人語りをですねミックス させて今回語っていきたいとということで 題名としてホンダ総一郎と揺れる本田と いうことでホンダ総一郎に放火してやって いきたいとでそんなですねホンダ会で ございますが本日はサテライトオフィス さんからスポンサードいたいてます弊社も ね使ってる例えGoogleのワクスです とかWindowsのオフィスなんかも 販売してますので法人の方はですサブスク 契約いただければですねオフィス環境を 一気に整えられたりするわけですねさ オフィスさんいつもありがとうございます 今回物づくり太郎書籍をなんと発見する ことになりましてですね角川さんから出 ますと日本の現場というものはデジタル 変革に遅れてると言われてるわけですよね じゃあ具体的にどこが足りないのかどう すればいいのかとか将来どうなってくのか そういったことを本に書き殴っております ので是非ね4月1予定になってますので 予約をいただきたいと思います角川さん ありがとうございますということで本田会 行ってみましょうホダはですねもう皆さん 社会に説法でございますね日本3大自動車 メーカーの一角になってましてですね国内 だとトヨタホンダ日産ということで Hondaの方が実は販売台数多くなって おりますそして国内2番手の自動車 メーカーになっておりまして時価総額の ランキングでトップ5に君臨するですね もう世界屈しの自動車メーカーと言えると 思います今はトヨタの後ろに隠れており ますがだってアメリカとかだとホンダ ブランドってすごいからねエンジンの ホンダでしょうみたいな感じホダ大好き みたいな方たくさんいらっしゃるし もちろんタイに行っても走ってましたよね とま東南アジアのインドネシアも行った ことありますがインドネシアもねホンダの 車いっぱい走ってますとでHondaの 授業構成ということで自動車メーカーとし ては非常に一子な存在になってますね Hondaといえば自動車のイメージが ありますが実はですねバイクも強いですね ナンバーワン2輪メーカーでございます そしてシビックのタイプRですとかこう いった幸運機もやってますしそして Hondaジェッも飛ばしてるということ

でま小型ジェットでは一教という感じで ございますとまこのHondaジェッの良 さも後ほど語っていきたいと思いますが 自動車にとまらないですね言動機授業を 展開していらっしゃいますねそしてまどう いった会社なのかというとまこのホダの ですねYouTubeから引っ張ってきて おりますが人々の生活や移動を豊かにする モビリティカンパニーだということで まさにもう原付からやってるしスーパー カブやってるしま本当にモビリティ カンパニーと言えるんじゃないかなと思い ますま自動車にこだわらない技術で勝ち にく会社であるとでホンダの言動機の出荷 台数でございますがこれすごい多くてです ね年間 2808台になってるということでま2輪 車が非常に多いですね175.70.14 上げ構成なんか見てみると従もこんなに 多いですね従20万人を超えてですね グループ会社382社と資本金は860円 ということで我が社なんてもほのがンって 鼻息ピってやればぴゃって飛んできますわ で売上として16兆900億円ということ で天文額数字になっておりますと2022 年度第2市販期の累計売上収益8兆853 円と過去最高更新しておりますね会社概要 になりますが社名としはホンダ技研工業を 買会社感じになってますがニュースなんか ではカタカナの本棚が採用されてますね 本社そは東京都港区に置いてましてえ設立 として1948年の9月として代表として は三辺俊博さんがやられてますねえ本田は ですね社長は全て技術出身ということで 東芝の二は絶対踏むか という感じですね東芝は技術畑の社長が やってたんですけど文系がやってですね もう変なことになっておりますから東芝の 悪口はそこまでしろっていう感じですね 怒られちゃうとあの東芝の社長田太郎さん なんかにもですねFacebookで友達 申請が来たりするわけですからあんまり 悪口言えないですねで創業者の本田総一郎 から現在の三さんまで全て牛車が抜擢され てるということこれ伝統になってますねえ 日本を代表する自動車メーカーだが本田の 4人授業はこの数年間低収益の状況が続い ておりますねま直近は5%程度に回復して おりますがコロナ明けぐらいまでですね 収益性で見るとなんとですね営業利益から すると2輪事業2兆2000億円のですね 営業利益 3765円とで一方で4輪事業はですね 7兆8590円のうち1129円という ことで実は2輪で稼ぎ出すのが4輪の3倍

以上もあるということで2輪が非常に優秀 なんですねと2人事業の営業収益が脅威の 17.1ですよめちゃくちゃ高いです2人 事業がなんとか支えて全体の業績を検し てる構図でございますが売上規模の大きな ですね自動車セグメントが今後少年場に なってくるだろうということが言えるとま イトレンドですねとでホダの強さの厳選と 将来に迫りたいと思いますがまずはこの ホダといえばですね例えばトヨタだと トヨタ咲一とか紀一郎とかいらっしゃる わけですけどもやっぱりこの本田宗一郎は ですね彼らよりもブランド力がありますね 本田といえばば総一郎だろうというような イメージが非常に強いとまず彼の物語で 本田に迫っていこうと思いますとまこの 本田総一郎ですねいろんな名言とか例えば ショート動画1分で見るとですね本田一郎 すごいみたいなイメージになるんですけど も彼の本をですね読んでいくとですね現代 の価値観で彼を表現するとパワハラクソ 事事でございます とバクソじじですまあまあでも本田総一郎 そんな側面もあるんですけどもなかなか 憎めないということで一方でホダらしさの 原点でもあるという風なことが言えるん じゃないかなという風に思いますたという ことでここからは1人語りやっていきたい と思いますといっ てらっしゃいということでハイブリッド 形式ですね本来であれば皆さんの方向を 向いてですですねお話ししたいと思います がもうちょっとメモの字が小さいという ことでラジオみたいにですね解説していき たいと思います本田蒼一郎ですね果たして どういった人生を歩んでいったのかですね 解き明かしていきたいと思いますま本田 宗一郎はですね1906年ですね明治39 年11月17日に静岡県の岩田軍ですね 鍛冶屋をしていた本田義平と妻美香の間に ですね長男として生まれます父親は熟練し た家事職人でございまして妻の美香もです ねこの織り技術を持っておりました決して 裕福とは言えない家庭ではあったんですが 本田ソシのびのび育てられまして当時です ね村に初めて自動車がやってくるわけです ねほなそういのもですねその自動車を生で 見まして油の匂いとかですねエンジン音と かを肌で感じましてガソリンの匂いなんか はですねいい匂いだということでいつか俺 も車を作ってみたいという風に思うように なりますとここでエンジニアの魂がですね 燃えるという感じですね高等小学校卒業 ですね15歳になりましてデジ方に行く わけですね東京都本合区のですね湯島の

アート紹介に行きますここ何をやってたか というとですね自動車の整備と点検をやっ ておりましてなんとですねここでも自動車 と縁があるとうわ自動車を近くで見れるん かというかじいるようにですね自動車直し てる職人さんの後ろで見てですね時には 当時触れなかったわけですけども職人の 背中を見て育つという感じですねでアート 紹介でデチ方向始めて10ヶ月になると ですねついに自動車整備に関わらせてもら ようになりまして以降総一郎は持ち前の清 さ武器にめきめき腕を上げていきました アート紹介のですね社長が坂原さんという 方でございまして総一郎のですね熱心査を 認めてですね総一と呼んで可愛がりまして 方向の2年目の正月には規制を許すだけで はなくてですね故郷まで帰る足として オートバイまで貸与えましたこれは総治郎 にとって最初のツーリング経験となって オートバイを気に入るきっかけになるわけ ですねここでオートバイにも目覚めていく わけでございますその後ですね1923年 関東大審査が起こりましてこのアート紹介 にも火の手が襲ってきたとしかし一方で 顧客の車に何あれば大変ということで自動 車をですね1台ずつ安全なところに運転し ないといけないということで震災があった んですけども総置郎の中ではやったぞと 自動車の運転ができるぞということをです ね思ったという風に解雇しておりますと総 司郎は自動車を生まれて初めて運転する ことに感動と興奮を覚えてですね地震など にならなかったと語っておりますとアート 紹介は幸い震災後も営業続けることができ たが残った機械光の大半は実家がやばく なるわけですからみんな散り散りになって いくわけですねえ一方で総一郎のですね 実家は大丈夫でございまして職人さんが 減った中ですね総一郎に仕事が集まりです ねこれも技術習得の一躍になるということ で機械光の穴を埋めてですね1人前になり まして自動車を修理するようになりました アート紹介の社長のですね坂原さんはです ね総治郎に多大な影響を与えており経営者 として義者としても坂原をお手本としてい たとそ郎は後に語っておりますそ郎は坂原 社長のことをですね親父と呼んでしたい ですね後に尊敬する人物を問われた時は常 に坂原さんの名前をあげていたことでも 有名でございます宗治郎はですねアート 紹介からのれんわけということで当時お前 だったらこのアート紹介という名前を 引き継いて営業してもいいぞということで アート紹介浜松視点を開業してですね 総一郎ただ1人だけが坂原からの連はを

許されたということでこの坂原さんから 絶大な信頼を得ていたわけですねここで1 つ天気があるわけですけども当時はですね できたばかりの社員2名の小さな店に細細 と商売を続けるだけの収入しかなかった わけですけど東一郎は発明化でございます からある時偉大な発明をするわけですね それが何かと言うと自動車のタイヤ ホイールのですね中絶性のスポークを持つ 車輪を開発しましてそれまではですねなん と木星の車輪だったわけですよで木星だ からこれガタガタ言うわけでスポークと いうものは例えば自転車もですねハブが あってでそこに金属が伸びてるでしょで それが36本とか偶数の数だけ伸びてるん ですけども輪っかのですねリムを支えてる わけで金属の棒のことをスポークという わけですねそれのテンションによってチリ のですね触れとか合成をですね上げたり 調整できるわけですねでこれのり味にも ものすごく影響するわけでスポークの針を ですね強くすれば合成が高くなってですね 反応がいいような自転車になるわけです けどもこれをですね自動車にも適用したと いうことですね中性の新しい車輪は画期的 な技術確信にございまして自動車をですね 修理してる時に思いついたこのアイディア はですね自動車の快適さを大幅に向上させ 事故も減らすことになりまして世界中の 自動車メーカーからライセンスが舞い込み ですね国際的な副業だったにも関わらず総 一郎は当時の総理大臣と同じぐらいの収入 を得る超大金持ちになっておりますしかし お金に対してですねあまり興味のない総 一郎はお金を貯めずですねハーレー ダビッドソンを買ってですねオートバイ レースを始めたりですねお手性のモーター ボートに迎車を乗せて大騒ぎをしたりです ねはちゃめちゃな生活をしておりましたそ しは27歳の時にさと結婚するわけで ございますが結婚してもですね遊び癖は 収まらずですね芸者遊びにはまっており ましてある日のこと友人と2人で芸者相手 にですね飲めや歌や大き始めまして芸者が ですねそち郎に対してですね反論するわけ ですねそこにカチンと来たですね宗郎は なんと外車をですね2階から1階にですね 投げましで落としましてですねその迎車が ですね電線に引っかかって一命を 取り止めるわけですねなんだることよと もしですねこの温かい時期であれば迎車の 服も薄手でございますので引っかから なかっただろうとつまり芸者は死んでです ね今のホンダ義元工業はなかったという ことになるわけですねこのような

はちゃめちゃ破天候な総一郎さんでござい ますと散々遊んでるように見える総一郎で ございますが次なる自動車業界で成功する ための計画を立て始めておりまして今度は ピストンリングに目をつつけるわけですね このピストニングというものは内々 エンジンのこういう動きをするのかな部品 の中でも特にですね複雑なピストニングが よく壊れましたと総一郎には最高の ピストンニグを作れるという自信があり まして当時の総一郎は同僚に対して何かを 1度見れば俺には作り方が分かるんだぜと 語っておりましたしかしこの時はまだ 物作りの難しさを知らないと1つのものを 非常に高品質に作るというものは言い方 良くないですけど結構誰でもできるんです けどこれを量産に向けて無良品を出さずに 作るというっていうのは非常に難しいわけ ですね一路もここの難しさを痛感すると いうことで当時ですねトヨタ自動車に50 本収めようとしたんですけどもなんと47 個が不良品として帰ってくるということ ですねま組み立てラインの品質管理や使用 する原材料について考えていなかったわけ ですねこれにですねそちのめげませんと 失敗から学ぶということをそちのMODに しておりまして他の人にも繰り返し聞かせ た教訓でホダの競輪の1つになってるわけ ですけども自分の軽減だけではどにもなら んということでなんとですね現在の静岡 大学工学部の受行生になってですね 学び直すということですねすごいですね 成功ですねそして機械工作技術プレス加工 工具政策用の型技術ですね部品の設や製造 について休む間もなく学びましたしかし2 年目のある日ですね退学をこの総一郎 言い渡されるわけですね校長にですねお なんで俺が退学なんだつって校長から試験 を受けなかったものに卒業免状はやれない というですね当たり前のこと言われると いう感じです ね宗一郎は免状をもらっても絶対にくれる という保証はないと免状なんてどうでも いいと仕事のため勉強してんだからもう ええやろと退学を命じられた後もですね この総治郎ですね学校に通い続けると興味 のある事業には忍びで受け続けるという ことですね必要な知識をこれで得た総一郎 は間もなくピストにやその製造に関する 28件の特許を取得しましたそして品揃え を拡大した後部品生さんのために東海正規 重工業という新会社を設立しまして社員は すぐ2000人希になりましたね 素晴らしいですね当時の日本の2代企業 だったトヨタと中島飛行機という後のです

ね日産スバルの全身の会社にですね部品を 供給する唯一の会社となりました最初の頃 は不合格で返されてしまったピストン リングもようやくトヨタの納品として合格 するようになっておりましてそれが元で 先日中トヨタの資本が40%入り資本金 120万円の会社に成長してピストン リングの生産は本格したわけですね やっぱり技術力はすごいとそして1945 年でございます抽選となってピストン リングの製造は完全にお手上げとなって しまったということで物資が届かない サプライチェンが破壊されるということ ですね東海正規銃口の川西であるトヨタ からはトヨタの部品を作ったらどうかと いう話があったがま優先してですね総一郎 これは断りですね東海正規重行の全体を 45万円でトヨタに売り渡しましたそして 総一郎はここから人間休業すると言って ですねまた変わった人ですねえ仕事も やめるということことでもう俺をもう好き なことやらせろということですね戦後の 不興でぐ人々たちを知り目にですね燃やす ほど金のあった総一郎は医療用アルコール から酒を密造して友人に譲ったりですね ひどいですねすでに祭祀もいたがだからと 言って休暇中に働くとか遊びを控えめに することはなかったそうですね不満の多い そんな時期に思いがけず総一郎のですね即 最大の天気をもたらしたのは妻のサチで ございましたと何があったかと言うとこれ もサチさんは戦後ですよ物資がないわけで 大変なわけですから闇1にですねお米を 買いに行くわけですねしかしですね米を 買うことができずですねヘトヘトにくびれ て苛立ってる時にそいが楽しそうに機械を いじってる姿を見てですね一度あなたも米 を買いに行ってみてくださいともう ようやくですねぶち切れると総一郎を嗜め ましたそこで総一郎はわかったと自転車に エンジンをつけてやるとそうすれば楽に なるだろうということですねやっぱり発想 がちょっと他人とは違いますねうん友人の 家を訪れた総司はそこで偶然旧陸軍の6合 無線機発電用エンジンを見つけましてその エンジンをですね自動車の補助動力に 使おうと要するに原付みたいなものですね ひらめきまして総司は近所の街を組まなく 探し見つかる限りのエンジンをかき集めて ですね移動に使えるように何時間もかけて 改善改良しましたエンジンにはですね やっぱりこのガソリンが必要でございます から鉄だと腐食してですね燃料タンクダメ にしてしまいますから燃料タンクが 取り分け難しかったわけですけどここに

ですねおそらくステンレス製のですね油 タポを使ったわけですねなんとかですね 原付を完成させるとこんなものができた から乗ってみろよと進めましたと色々問題 とはあったんですけどもなんとか作りまし て自分で乗ってみろとこれは便利たと 買い物の遠でも苦にならなくなって妻も 喜んだということで妻の喜ぶ顔を見てです ねなるほどと日本の主婦にはこの原付が めちゃめちゃ売れるだろう需要があるに 違いないということですねマーケティング もそういうしろ優れてるわけですねという ことで後に彼はですね製品が期待を超えた 時の妻の反応を買う喜びと呼んでるわけ ですね心を動かすということですねその ような顧客の反応を求めることが会社を 動かす根本理念になったということでここ にも本田の理念につがってるわけですね 原付自動車1台作るのに最低1日はかかっ たがま作れば売れるとところがですね数百 円作ったところで無料に仕入れていた軍の ホスエンジンが初行つきですね事業を諦め なければならないとしかしこの経験が妻の 一言からですね人間休業から復帰すると いうことですね総一郎は活力を取り戻し 今度は1からオートバを作り始めるわけ ですねまずはエンジンから始めようと 小さな工場を浜松に解説しまして父親の 援助で完成した20人規模の工場でござい ましたとその工場で生産されたのは非常に 丈夫で診断性の高い2ストロークエンジン でございましたがまこのエンジンはですね 国内市場では大成功をさめましたね戦後 このエンジンも不足しておりますから大い に売れたということでございますがとても 国外に出せる白物ではなかったそうですと ここからですねそちのパハラ際が深まって いくわけでございますがそち何を大切にし ていたかというともう他と一緒なのが許せ んとも絶対にホダオリジナルがいいという ことで絶対真似をするなというものが口癖 でございましたもちろんこれはあくまで 理想論であり絶対的な基準として例外なく 実現するのは難しいと総一郎自身にもです ねこのことは分かっていましたが65無線 機のエンジンそっくりコピーすれば大体 問題ないんですけども性能は出るんです から工学種として初めて本田に雇われた ですね川島さん後の本田2代目社長はです ねそういう風に解雇してるわけですが ところがですねそいつ路はですねそのまま っていうものがですね大嫌いと会社のです ね独自色を出す画期的なデザインを目指す 小一郎はエンジニアたちが持ってくる設計 図にことごとく失望しましてなんだこれ

信じられねこんなんエンジニアのプライド お前たち持ってんのかとか言ってですね もうこの設計図くしゃくしゃに丸めてです ねけすということをするわけですねで相手 に体操を命じてですねこんな上司嫌ですね ということでエンジン工場でこのまま働く べきかどうか考えてみろとか言ってね今の 宮崎早生みたいな感じですねそんな エピソードも残ってると当時ですねね ホンダ総一郎いくつかアイデア出しており ますが2つ伝説的なエンジンを開発して おりまして1つがですね煙突エンジンと いうことで非常に高性能なまちょっと当時 の技術では作るの難しいんですけども 素晴らしいエンジンを作ってるのとあと ホンダ初のオートバイのエンジンになるん ですがこれA型エンジンと呼ばれており ますこれ何がすごいかと言うとですね通常 空気とガソリンの混合機はピストンの吸気 バルブからエンジンに入るとところがA型 エンジンはクランクケースの内側についた ロータリーディスクバルブから入るように 変更されそれによってシリンダーが入る ガソリンの量を正確に制御できるように なったということで非常にガソリン量を コントロールすることができるわけです から必要以上に燃料を消費しなくなったと いうことで非常にエコなエンジンになる わけですねそういったエンジンを作ること に成功したとでその後にもいくつか エンジンを作ってですね当時A型B型C型 D型ということでD型エンジンというもの も開発されてD型はですねDから取って ですねバイクはドリームとなけられました えこのドリームというものはザPower オブDreamsということで今のホンダ のアイデンティティもなっておりますが フレーズがありますよねそれが会社の キャッチコピーになってるここから来てる わけですねでエンジンの他にもですねこの ドリーム号はですね3つの点で本田らしい イノベーションがございましてまずですね フレームに交換チューブということで パイプではなくてですねプレス加工でも 作れるですねチャンネル高チュブを用いた ということで所有する金型装置でアイに 製造できと続きにですねクラッチのない マニュアル2段変則を採用したということ ですねそして最後に色をマルンにしたわけ ですねこのようなホンダらしい確信があっ たのともう1つ素晴らしいのがこれが1番 僕は素晴らしいと思うんですけども オートバイではですね市場初となる コンベアによるですねオートバイがを コンベアに乗せてですねこういう風に流し

てくという感じですよねそういった大量 生産保食を導入したということでその結果 はある意味で数十年後の日本の製造魚の 成功暗示していたとこのような生産方式 なかったわけですねこのドリーム号は当初 こそ売行きは好調だったわけでございます がトヨタを苦しめたですねドッチラインと いう金融引き締め政策が走りましてこれに よってですね100万人近くの労働者が 解雇されたという風に言われてまして非常 な不興に陥るわけですね為替レトも 360mに固定されるなどですねそして ドリーム号長い坂なんか登るとですね一速 に入れるということでずっとそのローに 入れる足でここのを踏み続けないといけ ないということでまこれが不評になると いうことでございますとこのドッチライン とですね不評からですね本田一気に倒産の 瀬戸屋まで追い込まれるわけですね部品 業者への支払いが遅れたりですね社員に 給料の支払いを何週間が待ってもらうこと もよくあったということでそうちもですね 42歳になっておりまして当時平均事務が 60歳時代でございますから42歳といえ ばかなり高齢に差し掛かる手前であると いうことだと思いますがここで失敗すれば ですねおそらく4番目のキャリアはないと 感じてでですね会社を打しまいまいという ことで非常に頑張ります財政が一迫して その処理に時間を食われてですね苦境脱出 の唯一の道である新しい音葉への設計や 開発に集中できませんでした真剣に自分に 問いかけもし今諦めたら皆視することに なるとそ郎は振り返っているとま惨めな 社員たちの姿を想像した彼らの人生私に かかってるということわけでございますが これはですね僕も社員を食わせると言っ たらちょっと存在かもしれませんが私の 会社をですね追われることになったらどう なるかということを考えるわけでござい ましでここはま経営者たる自分としても ですね非常にシンパシーが湧くところで ございますと彼ら彼女なの人生私にかかっ てるとそしてそういは決断しました財政と いうかバエの側は俺は弱いということで 技術は持ってるけども経営的な側面として もう1人パートナーが必要だということで 奇跡的な出会いということで藤沢武夫さん と出会うわけでございますとそちらこの ように閉じ言ってますもし俺たちが パートナーになるなら彼のことは任せると だが何を作り出すかということについては 一切せ虫成虫というものは腰に当時刀が ありますよねこれ確か中国の事業だったと 思いますが相手を止める時に刀でパッと

止めるっていうことですねそれを成虫と いうわけでございますが技術に対して俺を 成虫するということは受け入れられないと なぜなら俺は技術者だからと藤沢は分かっ たと申し分ない条件であるそれじゃあお金 の方は私が引き受けようじゃないかそして エンジニアの仕事はお任せします1番仕事 にやりやすい方法を私が講じましょうと いうことで営業だったりそして他の面で この田危険工業は次のですね成長の道を たどっていくわけですね自ら出資した 50万も含めて1000万円を調達しまた 東京で新たに便1の営業チームを組織し ホダの市場を人口集中地域へと広げたと 同じく本社も東京に移しまして製造設備の 大半は地方に残ったわけでございますがま 外回り営業プラス経費を潤沢に営業マに 持たせまして時にはですねオートバイの 販売場にですね泊まり込みをさしてですね 換をさせるということででございます 粘り強いオバの販売でですねバイクの販売 大差すぐに月間1000台を超えたそうで ございますとということで総白は重大な 財務上の危機に見舞われず会社を想像力に 飛んだエンジニアリングの場にすることが できましたと新しいモデルのバイクが出る たびにその技術や機能は前のモデルを凌い でいくわけですねということで画期的な4 ストロークエンジンを導入して馬力を2倍 にしたりですね業界人を業転させるような 技術をどんどん出していくわけでござい ますさらにその数年後ですね時代を先取り した2種類のオートバイを生み出します ここで生まれるのが今現代でも残るですね ベンディとですねスーパーカブですね ベンディの良さですね何かと言うと スイングアームということで後ろのタイヤ を支えるショックをですねスイングして ですね吸収するものなんですけどもそこに 対してエンジンを取り付けましてこの エンジンの振動に関しても取り除くことに 成功したわけですねでもう1つですね スーパーカブの良さというものは燃料 タンクというものは当時運転手の前に置か れれててたわけですねまこういうような バイクをですねイメージいただくと前に 燃料があるわけですけどもスーパーカブは 尻の下に燃料をやったことによって前に すごいスペースができたわけですねま燃費 がいいよねっていうイメージがあると思う んですけどもそうではなくて女性でも 乗れるような足を解合したことにスーパー カブのすさというものはあったわけですね 画期的なアイデアを持ってですね次々に ヒット商品を生み出していったと1960

年第初めですねホンダ元工場は設立わずか 10数年で世界の使用市場向けに年間 100万台のバイクを生産する世界1の オートバイメーカーになりましたそれほど 人気を集めたのは抜群のエンジンメーカー だという新しい評判が国際的に広がった ことが大きかったということですねともう 1つ本田は明星をですね上げる出来事が ございますそれはですね1954年伝説的 な宣言をします本田はですね満島という ですね満島というものはイギリスの オフィシアに当たるまタックス平分なん ですけどもま小さい島でございますがここ でのTTレースというものがありまして ここに出て優勝するぞということを宣言書 をしめまして非常に熱のこもっとる宣言を するわけですねその宣言書の中にこれを きっかけにですね海外にも反論を求めると いうことで1950年代からですね本田 総一郎というものはグローバルに向かって おりまして日本だけに閉じこもっていては だめだというですね素晴らしい石がを持っ ていたわけですねま将来を見通という感じ でございます今のマトのTTレースの動画 が今流れてるかもしれません今はでもう きいのレースです ね ンンンということで300kmぐらいで ですね街中書抜けるわけです非常に危険な レースでございますとで当時から約 60kmの山岳コースですね平均時速 160km今もう300km以上出すよう なレースになっておりますが走り続ける 厳しいレースでございました当時の日本は ですね工業や技術では全く無名でま今から 考えられませんね総治郎の一見無謀な宣言 はヨーロッパ人の出生勝ったわけですね そんなことはできはねえだろとこんな風に 日にく慣れておりますヨーロッパの新聞は ですね日本人が土日もですね働くという ことで世界の巨大企業に比べて生産性や 効率が劣ってるから奴らは土日も働いてる んだとしかし総治郎は何十年も前からです ねオートバイレースを経験しており競技 レースにかける熱い思いを失ったことは 1度もなかったこともありますしここで 優勝すれば会社の評価が永久に変わると 要するに最高のマーケティングのチャンス であると注目集める国際大会で成功すれば 即座に本物と認定されるわけですね地道に ですねトヨタのようにいいものを作って いくという方法もありますか本田はですね このレースに勝ってですねF1にも参戦し ておりますが明星を手に入れるという マーケティング方法を選んだわけですね

宣言から5年後の1959年のレースで ございますが125ccでホンダのバイク は6位7位8位11という成席にとまり ましたが2年後にはもっと準備を整えまし てエンジンは現在の飛行機のエンジンすら 超えるですね1万5000RPMと同時に 馬力も3倍にアップしましてですね ヨーロッパ人が業転するということで ヨーロッパのバイクメーカーをフルボッコ にするわけですねついにホンダのバイクは 125ccと250ccで1位から5位 まで独占しまして世界中のメカや顧客にも 本田を見直さざる終えなくなりました イギリスのデイリーミラーシはですね 1961年のレースをホンダエンジンは 世界最高で精密な時計のようだと100 天満点の見出しで記事を出しておりますと ということで本田は世界的に賞賛せるよう になると本田総一郎と藤沢はですね新しい 明星をすぐに生かし数年間温めていたはか に大きな野望の実現に乗り出しということ でそうなんです自動車を作りたいという ことで自動車メーカーへの第一歩を 踏み出すわけですね途中ですが告知になり ます来週のですね2月22日木曜日の16 時から富さんのイベントですねサキラ エコノミーとかカーボンフットプリントと かですね雑炭素の波が襲ってきてると国際 会議の半分はこの議題になってまして大て 中止を含めてですね対応せざれを負えない というかですね今の現在地点どうなってん だというところを議論させていただきます 前回は大盛り上がりで非常に高評価が 多かったイベントになってますので概要欄 からチェックいただいて参加いただきたい と思いますということでお願いし ますなんで当時そのホンダですね自動者 メーカー3人を目論んだかというと オートバイブームは長く続かないことは 分かっていたと一方で自動車というものは 市場がどんどんどんどん拡大していく だろうということなんですねとはいえです ね自動車産業への3人は極めてリスクが 高く費用がかかる上に競争も激しいという ことですね日本では1930年代に日産と トヨタが登場した後長い間3人を目論む ものはおりませんでしたと総一郎とですね 藤沢もですね成功はおそらく難しいんじゃ ないかとということは認識していたわけで ございますが世界一のオートバ会社となっ たホダにはですね他の企業にはない技術や 資源があると信じておりましてそれが優れ たエンジンの製造方法であるとそれとか 組み立てラインの経験もですねウェルト コンベア方式を導入しておりますしそう

いった知見もあるとオートバ事業の キャッシュフローを初期の自動車事業に 回すことだって可能であるということで 自動車産業に勝負をかけると一方でですね 計算省当時の通算省はですね自由貿易に 対してですねアメリカから圧力がかけられ ておりまして日本国もですね自動車 メーカーを復習者ではなくてですね日産と トヨタにリソースを集中して戦った方が いいのではないかということで法案を通す ようなことが進んでおりましたがここに 対してですね僕は絶対できないんですけど も通算省に向かってですねやれるもんなら やってみろと屈しないぞ国にはということ で弊社は株式会社でございますから国の言 ことは聞きませんで通産省に対しても挑ん ででいくわけですねと同時にですね 1960年前後ですね今のホンダを作る石 となった出来事がもう1つありましてそれ はR&D部門を独立させてですねR&D 部分に裁量権を渡すということで短期的な 利益目標が掲げられないように長期的な イノベーションの利益だけを追求できる ような組織体を作ろうとホダの強さの言動 力になるですねこ研究開発部門を喪失する ことも大きかったのかなという風に思い ます実際ですねダはですね収入の5%以上 を毎年ですね緊急開発チームに割り当てて おりまして1957年以降ほぼ毎年水人を 守っておりますと1963年10月ですね S500ということで初めて自動車を販売 するとこれはですね進化した小型エンジン を載せておりまして日本の記者には4人の オートバに過ぎないと国表されたわけで ございますが進化した小型エンジンは かなりのスピードが出て燃費が良かった そうでま明らかに発展途上の自動車となっ てですね今とは伝説になっているとで一方 で海外市場なんですけどもこのS500の 後期モデルをですねアメリカとヨーロッパ にオートバイの販売もがありますからそこ に乗せてですね売ったわけでございますが 当時ですねオートバイはま確かにホンダ さんすごいですねしかしですね日本社に 対しては今でこそ違いますが例えば アメリカヨーロッパの時国企業の車と同じ レベルと見るまでには至っておらずですね 自動車にはバイクより多くの稼働部があり はかに複雑というものが当時の共通認識で ございましたとだが総はですねこうした 偏見を解消する突破校を見出したと何かと 言うとそうなんですこれもエンジンなん ですねすごいですねマスキー砲ですね トヨタの会でも語っておりますがこの マスキー砲というものはアメリカ初のです

ね環境規制になりますが非常に厳しいもの だったんですね例えば一酸化炭素炭素水素 HC等ですね5年で90%削減しろという ことを義務づける内容でございましたと 当時のBIG3GMホードクライスラーは ですね失業者を増やす反業界的な法案だと 猛反発しましたが当時環境問題に対する 懸念が非常に国内で高まっておりましたの で修正案は議会であっさりと可決されたと いうことで自動車メーカーここに対応し ないといけないということになりますが 宗郎さんは技術ですから おおやっと俺たちのチャンス来たぞと ピンチはチャンスということで絶対に チャンスにしてやるぞということですね彼 は社員の前でですね興奮気味に演説をし ましてこのように語っております今こそ 本田が世界の市場を手にするチャンスだと これは素晴らしいですねこんな経営者今い ないですからどの自動車メーカーも全く 同じ問題に直面していると技術は金で買う ことはできないとこれは本田がアイディア と技術で世界の何十ものライバルと競える 繊細一宮のチャンスであると技術でうちが 負けるわけないということを言うわけです ねと面白いでしょだからやっぱ本棚なし さってあるわけですよパハラクソじじで ございますがホダっぽいって言ったらあれ ですけどもやっぱりなんか応援したくなる という感じですねこのCVCCはですねそ 郎さんも一筋縄ではかずですね藤沢さんと 唯一対立するような事件も起こすわけです ねこれ何かと言うと当時ホンダのエンジン というものは空冷式だったわけですよで 空冷式というものはボンネットの中に エンジンが収められてるわけですけども 自然吸気というかね自然の風で冷やすのが 空冷式で水冷式というものはですねポンプ で水をですね押し出してこのエンジンを水 の力で効率的に冷やすという技術だった わけですねでこれに対して対立しまして ですね宗一郎さんはどうしても空冷式で 行きたいということをですね重視すると しかしですねホンダの研究会話チームは 空冷エンジンでは絶対マスキー法の基準を 満たすことはできないということですね彼 らの意見ではガス排出を減らしつつ自動車 の性能を許容可能レベルに維持する方法は 2つあった1つは速度を維持にしながら トルクを減らすこともう1つは空気とと 燃料の金剛率を細かく制御することで どちらも水冷英人を必要としていたという ことですね総一郎は納得せずですね研究会 チームによる霊水エンジンの検討を許可し ませんでしたしかしながらですね本田

総一郎のですね固くな態度はエンジニアの 自主性と矛盾するような内容だったわけ ですね研究テーマの自由な選択は総一郎の 認めの範囲にとまるということであれば ですね同時にそれまで個人の創造の文化に よって成功してきた本田の将来が総置郎 1人の判断にかかってしまうということの にやりイコールになってしまうと藤沢は ですね特にそれを気にかけ矛盾する理念の 対立が本田にとって致命的になることを 予感しますエンジニアたちが異に反して 空冷エンジンの開発をもう無理って言って んだからそこに対して本田創一郎にですね 強いられれば本田の業績を生み出している イノベーションという土台が揺らぐとこと で藤沢は総一郎にですね言うわけですね私 は技術者ではないのでこの点に関しては 触れてこないできましたしかし1つだだけ ご自身に尋ねて見て欲しいことがあります そろに切り出すわけですねあなたは本田 義憲工業の社長なんですかとそれとも義者 なんですかとどちらかを選ぶべきではない でしょうかどう考えてるのかお聞かせ くださいということを総一郎に藤沢は問っ たわけですね宗一郎はその質問の裏にです ね研究開発スタッフがいることを察しし ましたが藤沢の経営者としての体格を素直 に尊敬していたので跳ねませんでしたなぜ 相手がこの問題を打ち出しなぜ最後通告を 突きつけているのか考え会社が本来の死の から外れているのを防ごうとしているのか ということに気がつきましてですね総一郎 は広く動揺します細かい点に立ち入る権限 を失いたくないと思ったが理屈として研究 開発と経営の明確な切り分けを求める藤沢 が正しいことは分かっておりまして長い 沈黙の後ですね総一郎は答えましたやはり 俺は社長としているべきだろうねという ことで藤沢訪ねた冷水でやらせるんですね 総一郎は答えたそうしようそれがいいと いうことですね説得されるということで ございますこの件で藤沢は願っていたのは 本田の価値観を強化することだけだったと 藤沢さん素晴らしいですねそこで社長から 権限を奪ったり社長の立場を弱めたりする 意図はないと分かってもらうためけいまし た本田さんあなたが辞める時は私も辞め ますということですね心は温まる エピソードでございます痛みを伴う瞬間で ありましたが2人のリーダーの協力関係に よってそれぞれの役割を妨げたり2人の リーダーの協力関係はこの事件によって ですねより緊密になりそれぞれの役割を 妨げたり揉めたりせずに再確認することが できたということでございますこうして

ですねホダのCVC新エンジン複合混流 調整燃焼方式エンジンを発表しましたそれ までエンジン設計から大きく飛躍し量産さ れてきた自動車エンジンと全く異なるもの でございましてトヨタの本にはですね当時 ロシアの文献も読みさってですね渋身 エンジンを作ったということが書かれて おります排気ガスの削減目標に従う車両 設計としては職倍をつけてノックスとです ね取り去るということを考えておりました がこれもまだ完成の域に達しておりません でしたしかしならそのような状況かで HondaのCVCCエンジンはそういう 通年からかけ離れたものでございまして 有害な排気ガスを取り除く直売 コンバーターではなくその代わりに1つの シリンダーに2つのキャブレターがついた キキラインが搭載されて副燃焼室に転嫁し やすい恋混合機を送り込むとこれによって 副燃焼室の強力な炎でシダー内のはかに 薄いガソリンと酸素の混合機が着火される そして起きる爆発は強力で効率がいいだけ ではなくかなり純粋で燃え残りの炭素水素 一酸化炭素窒素酸化物の生成を防ぐことが できたんですね本ではついにですね CVCCエンジンを開発しまして シリンダー内の爆発としてはですね非常に 強力で効率がいいものになりましてそして 燃費もいいと1L17km以上という数字 はですね業界で圧倒的な一位を収めるとと こうしてCVCエンジンはですねマスキ砲 の排出基準を何なく果たしただけではなく て自動車業界全体に大きな衝撃を与えて ですねあのトヨタもですねホンダさんと 技術を教えていただけないでしょうかと いうことで公病を垂れてですね教えを こよってるわけですね大半のメーカーは 本田からこの新しいエンジン設計の ライセンス強を受けましたと注目に値する のはジメということでこんな逸話残ってる とGMはですねこのCVCエンジンを全く 認めずですね会長のリチャードですね 1973年に設計を見てみたよおもちゃの オートバイでは使えるかもしれないがGM の車に使えるような死物じゃないねという 風に喧嘩を吹っかけていきますね総一郎は ですね血気盛でございますからこれに対し てですね当時のGMシボレのインパラを ですねわざわざ日本に輸入してですね インパラのエンジンを特地のCVCC エンジンにわざわざ乗せ替えてですね 送り返すということをやっておりますと プレイボイのインタビューに関してもです ね新しいハイガス基準が議会を通過しした 時我々は50人のエンジニアを雇ったが

GMは50人の弁護士を雇ったということ で引にくっておりますねこの辺がですね 痛快なエピソードでございますで1974 年ですねqvccが搭載されたシックが 発売されましてですねもう売れに売れたと その画期的なエンジンが評判となり シビックは世界中で大いに売れてすぐに フォルクスワーゲンビートルを凌ぐ小型の 模範になったと自動車生産の開始から わずか9年でホンダ技術力を武器に世界に カたる自動車メーカーになったのだとそれ から10年も経たない1982年にはです ねオハイオ州のメアリーズビル工場を解説 しましてアメリカにも工場を作っちゃった ということでまさにエンジンの技術力で ホダの開進劇はとまることを知らなかった という感じでございます一方でアメリカ シスが始まった時ですねそと藤沢はすでに 第1戦を敷いておりましたと引いた理由も ですね総一郎と藤沢はもはや自分たちより エネルギシな若い世代がいるので彼らが やるべきだということで若い人たちに道を 譲るということですね俺と藤沢2人で1つ なんだとちょうど見習いの芸者が2人で1 人前と数えられるみたいになどちらかがい なかったら後悔できなかった辞める時も 同じ片方が辞める時にはもう片方もやめる んだよということを言ってます1988年 12月30日ということで僕が生まれた年 でもございますが藤沢武夫はですね新金 梗塞のため78歳でお亡くなりになって おります宗郎は葬儀の場で俺たちはどこ までも明るく輝こうとしたと俺の人生を ここまで幸せものにしてくれてありがとう ということを言ったとことですね本田 総一郎は癌によってですね関付全で障害を 閉じたということこれ1991年の8月5 日に亡になってますね84歳だったそう です世界のメディアがその死を報じまして ニューヨークタイムズは一面でツイート 記事を掲載したと生前ですね宗治郎は有言 代わりに車窓をしてはならないという風に 言ったそうです車窓なんかすればですね 交通渋滞の原因になり世間に迷惑かかると そんなことは車屋として絶対にやってはは ならないと語っていたそうです車窓に 変わる礼の会をですね投稿青山の本社の他 埼玉本拠地の鈴鹿ですよねここではN ボックス作られてますし鈴鹿サキトもあり ますが各製作所で開催されたと会場には のべ6万2人が訪れ総郎を尊んだと以前 から声のあったですねソニーの遭遇者イ さんですね総郎選挙の際に接しお葬式や なさらないと本田さんはこの世の中に色々 なものを残されたがこれは本田さんに1番

後に監視された大事件であるという風に 新聞にコメントしておりますということで はめですけど何か胸のスカットするような ですね男気のあるまさに親父さんという ような方だったんじゃないでしょうかと いかがでしたでしょう物語だからこれいい わけで部下だったら大変ですよまあ終わり よければ全て良しという感じでしょうかと 応援したくなる魅力がその本田総一郎には 詰まってるかなというところがあると思い ますこのいい親父さんて言われてますね 総一郎というものは親父が作り出したです ね本田は今現在少年場にいと2輪事業は 非常にうまくいってるんですけども4輪 事業の方向性ですね売上の大部分自動車 ですからここの利益率でだいぶホンダの 方向性変わってきてしまうということで4 人の方向性が将来を分けるような展開に なってきてるとそしてホダは何の開始かと いうことでございますがそれはですねこの 物語を聞いていただいて分かる通り本田は ですね技術の会社なんですねもうホダの 技術力がこれマーケティングになってる わけですねやっぱり車もホダらしい乗り味 とか言われるわけですよそしてその技術力 の中枢にあるのがエンジンなんですね 例えばこの満島のTTレースでこれホンダ 5連覇してますけども優勝めっちゃしてる わけですねそしてF1レースに参戦しまし たこれも優勝を飾っておりますしそして CVCCエンジンですよこれで一気にホダ のすごさを知らしめたという感じですね そして外せないのがF1にサイド参戦手 ですねこういう風にこののエンジンにホダ と書かれてるわけですよレッドブルーに ですねこのエンジンを供給してるわけで ございまして4つですねパーユニット供給 してるとF1では競合のレッドブルに対し てですねえさんのチームですねエンジンの 供給も行っておりましてフェルスタッペン 優勝しますからねやはりホンダといえば エンジンとイメージする人も非常に多い はずなんですねホダのあのか高いエンジン 音いいよねみたいなねあれからやめらん ないとかねで鈴鹿といえばホンダの本拠地 でございますから画面で見るとですね アップダウンように見えるんですけども 非常にアップダウンがあってですねそして F1回でもですねあの鈴鹿のコースという ものは非常に面白いとワクワクするんだっ ていうような本拠地をF1のコースも持っ てるわけですねしかし本田ですよなんと ですね最近ですよ240年に世界の新種は 全てエレクトリックビクリとですねFCV ですねに集約するということで三辺社長が

ですね就任初会見で表明すると初会見で 表明するということは多分初会見前ににも 決まってたと思いますと社長の主任会見を 飾るという意味でですねこういう風な台本 への発表があったわけですねということで このCivicですよねCVCCエンジン を捨ててですねこのEVに力を めちゃくちゃ入れていくとでこのホ Hondaの動画もすごくいいわけですよ ホHondaの歴史がめちゃめちゃ詰まっ ててこのホHondaのホームページから 見えるわけですけどもこの自動車でやって きたんだけどもそこに重ねるようにこの EVを登場させるわけですねまさに今後の ホンダはEVでやっていくということで ホダはですね核となるものとの決別を決意 すると要するにエンジンはもう俺たちは 切り捨てるんだということ案に言ってる わけですねここにホンダならではあの今自 ネマがあるんじゃないかなという風に思い ますとというのもホンダ総一郎ねそしてF 1のエンジンということでホンダといえば 総一郎総一郎といえばエンジンなんですよ エンジンでこの本田のブランドをですね 世界にとかせたということですねエンジン がホンダの1番のより所だったんですが それを切り捨てるとホダ440年に新車を EVとFCV日本前初のですね脱 ハイブリッド表明をするということで ロイターでも取り上げられてますが エンジンからの脱却インパクトはもう僕と してはめちゃめちゃ大きかったわけですよ トヨタもね最近なんか明夫さんもエンジン 捨てねエンジンも開発してこみたいなこと を言ってるわけですけどもホンダは捨てる と衝撃ですよ愛知県民としてそしてそれ 以上に衝撃だったのは多分ホンダの従業員 だったと思うんですねいや俺たちエンジン で今までやってきたんだぞHondaの 否定にも繋がりかねないような非常にです ねセンシティブな内容だと思いますとと いうことでホダは次の寄りdoorを喪失 しなければならないとじゃあ次はどういっ たところにホダのエネルギーですね エンジニアのエネルギーをつぎ込むのか 難しいがこの言語化がもう必ず必須になっ てるとビジネス構造が変わる可能性がある 今本当に少年場で例えば秋夫さんもさっき 言ったようにエンジンやってくぞって言っ てるわけですねえEVに1回行ったんだ けど揺り戻しが来てるしま今束ちょっとし てるよね停滞気味だよねっていう風に言わ れてる中じゃあEVに全部振って本当に 正しいのかみたいなものもあるし正解が 分からない中でこういうことをやってくっ

ていうのは現場負担が非常に大きいわけ ですねということでソニーとホンダがです ねタックを組むという発表もしましたね この競業もですね模索の中の1個とああの ソニーと本田がと2ともめちゃめちゃ個性 あるからあそこがタク組むんだということ で沸き立った人もいるんですがじゃどの 技術に魂今後注入していくのかということ はあんまり大っぴらに語られてないわけ ですねま本田が受け持つ領域の明確化がさ れてないんじゃないかなという風に外野 からは見えるということですねそしてこの 三辺さんですねこのように言ってます 2040年まで電気自動車や燃料電磁車の 販売比率を100%にするという目標を 発表した時になんでエンジンを捨てるんだ とと言われましたでもホンダはエンジン 技術がすごいのではなくその技術を作って きた人がすごいんですということなんです ですね発言のシーンもリソースを転換させ てエンジンじゃなくて次の技術に対して リソースを込めるんだという意図がある はずでございますと過去の社長が誰もやっ てこなかったこれ柔労働なんですねある 意味過去の社長というものは今までの延長 戦上から新しい技術を開発すれば良かった わけですねしかもEV動体が読みにくくま 少年場何回も出てくるんですけど本当に 少年場だと僕は思ってるわけですね例えば こんな感じでロイターからですね フォルクスワーゲンが東王での電池工場 候補地決定を改めて延期するとよしに電池 工場を規定路線でバカバカ建てる予定だっ たんだけども確か第4工場をですね立てな いって決定したわけです延期ってドイツ 自動車大手フォルクスワーゲンのオリバ ブルーメ会長は1日チェコなど東方4カ国 で検討してる4番目の電池セル生産工場の 後補置決定について改めて延期する考えを 表明したと電気自動車事業が期待ほど 高まっていないことを理由に上げましたと で一方でアメリカですよアメリカでEV 販売が急失速と経験目標に暗雲ということ で在庫は極めて高い水準であるとこれ何を 言ってるかと言うと例えばプリウスなんか は入ってきたらハイブリッドはですねもう 1週間ぐらいではけちゃうそうですねはい 売れますだけどトヨタのですねBZ4x ですねトヨタの電気自動車なんですけどえ 在庫最長で200日と200日動かないっ ていうことで全然EVが売れないという ような代理点の声が届いてるということで インフラも今構築中なので顧客がついて これれてないですという現状が見えてきて ますと各国でEVの低体感が出てきており

自動車開発に数年かかるので例えば自動車 開発してすぐ売れるわけじゃなくてま3年 とか4年ぐらいラインオフするまで時間が かかるわけですねで3年4年経つとEVの 動体も結構変わってるんで果たして全振り してそこが正しかったかっていう判断も 非常に見極めが難しいわけですね非常に 自流を読むことが難しい中でホンダの かじ取りが問われていると政治力で半ば 決まるEVトレンドを乗り越えられるか今 EVに売ったのはいいもののEVという ものはやっぱり補助金政策で買われるとか そういった政治工作もものすごく働くわけ ですね例えばEU初でこのEVやってき ましょうって言ってるわけですけどもこれ トヨタのハイブリッドに勝てないからっ てい風に言われてますし今度EUがですね 中国にやられ始めるとですね中国3のEV には関税をかけるとか言ってですねこの 政治力でねじまようとしてるわけですね そういったところもあるので難しいよねと さらにGMと競業して小型の量産型のです ねEVを一緒にやってこうってしたんです けどもこれ断念してますね高級者について はまた別ですよって感じですねということ でEV一本打法は文字通りこれ本当に本当 大丈夫かというような社内の物議もあると 思うんですねなのでそのリソースを振って くっていうところは非常に難しいとさらに 過去のように技術だけでブレイクが難しい ですよ政治力も関係するしということで まさに少年場であるとEトレンドの流れで ソニーとの競業はエレキに強いソニーに部 があるのかという風に言われるんですけど いやそんなことないです実は本田もかなり 自力を持ってますましてえそれを証明する ようなものが非常にたくさんあると例えば 量産型のFCVなんかも本田が初めて作っ てたりするわけですねまずですねカーナビ ですねこれ実はホンダが初めて世の中に 発表したんですね当時どういったものかと 言うとですね地図が搭載されてるシート 画面に自ら差し込むとはって感じですけど マジでめんどくせえとえ移動に合わせてえ フィルムをこれを交換するわけですねマジ でアナログかよってしかしセンサーと16 ビットマイコンで位置情報を算出してです ねこの座標決めていったということで まさに当時ですよ最新技術とアナログを 掛け合わせたものでま非常に不便であった という風に言われてるんですが初の開発に なってると非常に先進的ですねとで今では ですねホンダのカーナビゲーションはです ねリアカメラで安心プラスラインナップと して進化しておりまして好評白してるわけ

ですねですとかホンダジェットですよこれ 結構すごくてホンダの従業員がですね単身 アメリカに乗り込んでですねあの導銃口が 果たせなかったですねヤボジェットも0 から構築する独走構成と自力が本田には あるわけですねすごいでしょしかもこれ 単に小型ジェット作っただけじゃなくて不 可能と思われたこの2つの羽の上にですね 欲に対してエンジンを搭載してるんですよ で今までの小型ジェットっていうのは本体 にしかくっつけられなかったという風に 言われてましてこれを欲につつけることで どういった効果があったかと言うとまず 騒音がめちゃくちゃ低減するしそして スペースがめちゃめちゃでかくなる結果と してアビオニクスというものはですねこの 航空系の電気部品ですよねこう パナソニックとかが非常に強いんですけど もこれを外気温温度環境が非常に厳しい 環境にさらされるような状態で使われてた んですけどもスペースが広くなったことに よって航空機の中の温度でコントロール できるようになってですね非常にこの アビオニクスの装備を価格低減することに 成功したんですねということでま唯一無理 のこの小型ジェットになっていると飛行機 部品っていうのは300万点とか100万 点とか言われるわけですからこれを1から ですねこのサプライチェーンもやってのけ たということで他の自動車メーカーには ない可能性がホダにあることは疑いよが ないわけですねまこれ自力でやってきん じゃないのっていうホダならできんじゃ ないのっていうようなワクワク感がある わけですねそしてこのカーナビゲーション をですね開発したっていうところがかなり キーポイントになってまして今後の やっぱりビジネスっていうのは ネットワークを抑える重要性があるとカー ナビゲーションというものはですねこの パネルこそがネットワークの中心であると これ何かと言うと日本製造業の次世代戦略 という山田太郎先生がですね15年ぐらい 前に書た本にえ書かれてるわけですけども 自動車というものは今後ケースという トレンドがあってですねこのタッチパネル 中心でま要するにソフトウェア中心で構成 されるだろうでそのソフトウェアの インターフェイスがカーナビゲーションに なるから例えばテスラなんか想像いただく と全てあのパネルで操作するじゃないです かあそこに集約すれてあれで1局で全部 例えば空調もそうだしブレーキなんかも そうだし自動運転なんかも全てそれを統合 管理してくと要するにネットワークを

あそこで作っってくっていうことなんです ねそれを実は1番最初に開発してるんで その自力があるんじゃないかということ ですねなので本田実在自動者の構築のどの 部分をになうんですか例えばこの インターフェイスは絶対もう本田がやる から他のところはそうに渡してもいいけど ここに俺たちのエンジンに変わるリソース を詰め込んでいくんだっていうメッセージ を果たして出せてるかどうかですよね統語 ゲートウェイコントローラーを本田が担い 例えばエンタメとかね映画とかセンサー系 はソニーさんがやってくださいみたいな ビジネスの強調領域と競争領域を言語化 車内でできてるかどうかですよねエンジン がない将来に向けてホンダ牛者の魂をどこ にしけるのかそのような言語化をホンダ 内部で果たせてるかどうかがおそらく ホンダの勝負の別れにになるんじゃないか なという風に外客からは思うともしかし たら車内でこれ行えてるかもしれませんと そして本田はそれだけじゃなくて世界初 ですねレベル3高速道路確か60km以上 で手放しで運転できるという技術だったと 思うんですけどこれを実現してるとこう いった自動運転ののオートノマスみたいな 技術もやっぱ卓越してるんですね統合 コントロール技術はホンダがやるでもいい と先ほどお伝えしたようにねある意味 トヨタマルチパスウェイで俺たちはもう 全部手抜かなくて全部本気だぜみたいな ものもある意味あれも現行化だったと思う んですよねなんでいやエンジンギ者として もハイブリッドは残ってるから絶対やっ てくよみたいなでやっぱり秋夫さん うまかったのはああいう風に発表すると 見捨てられないっていうかこの技術絶対 有効的に使えるんだやっぱりエンジンが なくならないっていうのは現実にあると 思うので非常にうまくかったですよねって いうことでまトヨタある意味うまくやり ましたよねっていう感じですねレジェンド の栄光ですよね過去の本田ということでま この総一郎さんがいった時代ですよまずは ですねピストンリングから入ってですねと かまバイクですよねマトのTT優勝とかで ねCVCCというまエンジン系の技術です よねでそこからレジェンドが残した魂と いうことで技術の継承発展ということで カーナビゲーションとかAWSとかですね あとF1とかJへの再参入っていう感じ ですねやってくと一方で今ですよ新しい 技術の寄りとを模索してる エンジニアリングの転換ということで脱 エンジンということですねだから今までの

セと全然違うわけですよしかもEVって いうのは表現しにくいわけですねだって バッテリーとモーターとインバーターと あとコントローラーだけでしょだそこで どこにリソース吸い込んでいくのって非常 に原告が難しいですよね細かいし ソフトウェアになると出しが難しいですよ ねとかこのCCSですよねガジェットの1 台見本一でございますがアメリカのこう いう風にもうコンセプト発表してましたよ ねまコンセプト発表してですけどリソース の先に対して言語ができてるかっていう ことですねま宇宙事業もやってきますと いう風に言ってると今までの延長戦上では 勝てない時代に突入し技術に対する スプリッツのニコ先の転換機であるという ことですね非常に重量度だと思いますEV というなかなか先ほどお伝えしたように エンジみたいなね技術とはまた違うじゃ ないですかということで表現が難しい課題 とこのホンダの皆様は退治してるとであと は社長人とか刑事がそのEVだったらどこ にリソースを突っ込んでくのと インターフェイスはもう全部ホダがやる からこう統合コントローラーにもう全部 リソースかけて全部このプラットフォーム を作るとかですねそういう言語が果たして できてるかなっていう感じですねという ことでこのソニーとのアフィーラですよね 何が面白いかって言うといじれるように なってると例えばAndroidを搭載し てですねソフトウェアを運転と関係ない ところをこの乗り心地まで含めるかって いうところが議論があったみたいですけど もいじれる価値を提供して新しい価値体験 喪失できるんじゃない例えば光るライトの 色とか外部からソとはダウンロードして それを自分だけのEVにするみたいな感じ ですねそうするとまた新しいですよね アップデートプラステスラアップデートで ま自動運転とかオートノマス技術を発展し ていくわけですけどホンダソニーは ダウンロードしてそして自分で構築した プログラムを流すことによって自分仕様の EVを作れちゃうみたいなねそうなったら また面白いですよねっていう感じですね これはどうなるかっていうのは目が離せ ないですよねっていうのと大変も活発に 進めるホンダに最後触れておきたいと思い ますこのようにですねホンダですねモカの 工場これエンジンを作ってる工場なんです けどこれを閉めるということを発表して ますねま地元には衝撃が広がってるみたい ですねプラスですね八千代工業ということ でガソリンの燃料タンクですよねもう部に

なるとガソリンの燃料タンク必要なくなり ますからこれをですねサプライヤー再編さ せて確かインドに売却したわけですね インド会社にですねそしてホダの子会社の 系列サプライヤーということで確か東海 リカがやってるようなロックキーシステム をホンダロックだったと思うんですけども ミニベア三に売却してますよねということ で大変動いてますよエンジン周辺部品を 中心に再編をかけておりますとで一方で この宇宙にも行くぞということやってます ねこのようにジャクサも10年間で1兆円 の毎年1000億の基金がついております からこれを多分有効活用していくとは思う んですが宇宙産業への挑戦も行いエンジン 部品の技術を残す側面もあるんじゃないか なという風に思いますエンジン制御技術は 流用可能という風に言われてますしま コントロールの部分ですよねそして国も 基金編成を行い宇宙事業へ非常に アグレッシブですよねある意味チャンス ですよねサプライヤーもですね宇宙ビジネ スっていうのは非常に今後めちゃくちゃ 大切になってくるんでこれはまた別界でお 話ししたいと思いますが再編は今後も続い ていくとま激動の時代かなという感じで ございますということでホンダ総一郎と ですね揺れるホダですねま揺れてないかも しれないですねもしかしたら車内で言語化 できてて俺たちはこのEVの中でこれだけ やってってここは絶対勝ちパターンなる からここに全リソースのエンジニアの リソースされてくんだみたいなことが原価 ができてればこれは素晴らしいですねだ けどこのEVの揺り戻しが今起こってる わけですから非常にな曲ですね以上で ございますお疲れ様でしたまホンダナブで はすでに1疎ができてるかもしれませんの でそれいりますが1意見として見て いただければ幸いでございますとそして プライベートで勉強会をやろうかと思って ますのでもしかしたら募集が勝ってるかも しれませんここはですね会員性のですね コミュニティなんかも実は作ろうと思っ てるんでま本格的にこれ指導したら皆さん にお伝えさせていただきたいんでこちらも 楽しみにお待ちいただきたいと思いますと いうことで今回は本田会でございましたが まいつもですね製造業に関連したトピック を扱っております自動車関連だけではなく てですねFA制御ファクトリー オートメーションとかま工作機会ハド体 ですねセミコンアンバサダーしてますので 製造魚で働いてる方は是非チャンネル登録 いただいて応援をいただきたいのと刺激が

あればですねいいねマークとホンダシイン なんですけど今こうなってますよみたいな ね内部の状況ですねそこもコメントで いただければ嬉しいかなサプライの方も 多分見られると思いますので是非ね僕の まとめに対してどう思われたか心境トロ いただければ幸いでございます最後ですね 次回の動画の前にスポンサー動画でござい ます どうぞ2024年のですね仕事以来も だんだん増えてきておりますがPR以来 ですね少し枠がございますので是非お待ち しておりますそして講演会ですねも毎日の ように引き合いが来るんですがこちらも 合わせてですね2024年のお引き合いお 待ちしておりますのでご希望があればです ねTwitterのDMもしくは YouTubeの概要欄のメールアドレス 宛てによろしくお願いしますお待ちして おりますということで次回は未定になって ますが山発動機かもですねもしくは反動体 の回かもしんないという感じでえまた しばらくお待ちいただければ幸でござい ます次回の動画で会いましょうじゃあねち バイバイ

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ホンダの創業者、本田宗一郎の半生の本田の軌跡を紐解きます。
技術の本田がEVに全振り⁉、、SONYとホンダの協業はどうなるのか、、、
最後には、正念場であるホンダの現状もまとめて解説していきます。

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《目次》
00:00 ホンダはモビリティカンパニー
05:55 本田宗一郎の半生
17:24 人間休業から復帰、オートバイ生産
29:25 自動車の開発に乗り出す
42:40 ホンダの現状

【参考・出典資料】
・豊田自動織機 豊田佐吉
https://www.toyota-shokki.co.jp/company/history/toyoda_sakichi/
・鉄リムと鉄スポークって...
http://garage70.jp/wp/?p=4103
・ピストンリングとは
https://www.tpr.co.jp/products/powertrain/pistonring/about.html
・東海精機株式会社
https://www.toukai-seiki.co.jp/company/history/
・(追想録)河島喜好さん(元ホンダ社長)
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO65118070Q4A110C1NNSP00/
・ホンダ エンジン01

ホンダ・エンジン01


・第12部(2)スーパーカブ快進撃【オートバイ三国志】
https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/14287/466/
・スーパーカブ
https://global.honda/jp/Cub/history/product-history/1958_super-cub-c100/
・ベンリイ
https://global.honda/jp/pressroom/products/motor/benly-j/benly-j_1953-06/
・1880-1940年代 Vol.04

1880-1940年代 Vol.04


・Isle of Man TT 2023 – Pure sounds マン島TT 2023 観戦 超絶ハイスピード集

・直筆のマン島TTレース出場宣誓書
https://global.honda/jp/50years-history/limitlessdreams/manttraces/page03.html
・TTレース優勝
https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/history/p02/
・S500
https://www.honda.co.jp/sportscar/sportscar/S500-600-800/
・シボレー・インパラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9C%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%A9
・米国で評価されたシビック・CVCCの燃費
https://global.honda/jp/50years-history/challenge/1972introducingthecvcc/page07.html
・トヨタ会長「EVの市場シェアは最大3割、エンジン車は残る」
https://shikiho.toyokeizai.net/news/0/729742
・bZ4x
https://toyota.jp/bz4x/
・仏政府、「中国製EV」3車種を補助金の対象外に
https://toyokeizai.net/articles/-/724217
・ホンダジェット
https://www.honda.co.jp/jet/innovations/01/
・【電子版】テスラ「モデルX」事故、衝突前に加速した形跡 米当局が調査報告
https://www.nikkan.co.jp/articles/view/476784
・「ホンダロック」が「ミネベア アクセスソリューソンズ」に社名変更
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/298842?display=1

■ものづくり太郎チャンネル ものづくり太郎のプロフィール
YouTube 活動のためミスミを退社。日本では製造業に関わる人口が非常に多いが、
YouTube の投稿に製造業関連の動画が少ないことに着目し、「これでは日本が誇る製
造業が浮かばれないと」自身で製造業(ものづくり)に関わる様々な情報を提供しよ
うと決心し、活動を展開。ものづくり系 YouTuber として様々な企業とコラボレーシ
ョンを行っている。業界に関する講演や、PR 動画制作等多数。

#本田宗一郎#本田技研工業#ホンダ#二輪#自動車#歴史#製造業#ものづくり太郎

39 Comments

  1. EVについては、例えば中西孝樹さんの動画なんて見てみると良いですよ。
    本当に普及するのか、ホンダがエンジンを捨てて良いのかという問題は確かにあると思うけども、ホンダがEVでどんな方向を目指すべきか、EVのどの部分を作るのかということについて答えが得られると思います。

    よくEVは走るスマホと言われますが、その意味は「OS」にあります。「カーナビゲーションのパネルが中心」という言い方は正しくないです。「統合コントロール技術」は正しいです。それが車のOSということですね。

    例えば新しい自動運転システムが開発されたとすると、それをクルマにインストールしてすぐ使えるようにする。例えば新型の音楽プレイヤーアプリが開発されたとすると、それもクルマにインストールして使えるようにする。例えば新型のドライブレコーダを装着したとすると、クルマのOSが自動認識してすぐに使えるようにする。PCにUSB機器を挿したときのように。

    そうすると、EVの世界でもOSメーカーが覇権を取れるわけですね。それがホンダの目指す方向です。EVの業界標準OSを作ると。

    そのあたり、可能であれば詳しく取材して動画作っていただけると良いと思いますよ。

  2. もうこうなったら、ホンダには自動車用のジェットエンジンを作ってもらいたいと思います。燃費効率90%位で頼む。

  3. ホンダももう終わっています。
    ホンダでなくトンダ危険工業になっています。
    エンジン屋がエンジン捨てて何するのって言いたい。
    エンジンについては他の国よりも効率が最高のエンジン効率になっているのに何で終わるの?
    終わってるのはEUの車メーカーです。
    もっとちゃんと認識してください。
    それと内燃機関はホンダジェットも内燃機関ですよ。
    認識をきちんとしてください、話にならない(怒)

  4. 表面的な情報では測れないものが問題なのだ。 開発力の実態、社員のモチベ、中間管理職の覚悟、成功体験のジレンマ

  5. 社員は、顰めっ面😬してますよ。ま、EV化なんて、もうほぼ無くなったので、危ういけど大丈夫ですね。
    トップ変えんと、、、

  6. スマホもパソコンも辞めたソニーは実はエレキに弱い 保険 ゲーム ミュージック エンタメ 特化企業 こんなソニーと組んだホンダ まったく企業みる能力ない

  7. ホンダこそ内燃機の性能でEVシフトに喧嘩を売って欲しかったけどね~
    逆にトヨタがこんなに魅力的なメーカーになるとは・・・。昔は思いもしなかったわ

  8. マスキー法の達成は、久米是さんのCVCCの研究で成し遂げた。宗一郎は、DDACと言う水冷のウォータージャケットに強制的に空気を流す空冷エンジンを作ったが、アリゾナ砂漠で壊れて失敗しCVCCに乗り換えた事実が有る。

  9. EVを推進するのであれば、日本の電力事情を全て原子力発電に相当する発電所が必要だ。
    EVよりもフリーエネルギーをこの世に普及して欲しい。
    電気が如何に簡単に安く供給できるかに可能性があるのかもしれない。
    今の電力事情のままEVだけでゴリ押しするのだけはやめて欲しい。

  10. 脱エンジンでは無く脱自動車なのかな?
    10年程度で自動運転が現実になると言われ、自動車は無人タクシーに取って代わる。またガソリンエンジンの技術は既に頭打ちと言われ革新的なものはもう産まれない。
    トヨタみたいに全方位は無理だし、全固体電池でEVへの認識も大きく変わる。
    移動手段を提供する会社になるつもりでしょう。
    ガソリン自動車は趣味のおもちゃとなり今のオートバイみたいな存在になる。
    つまらんけど安全安心快適便利な移動手段。

  11. 妻・本田さちさんに、幸アレ!😚👍サンキュー
    しかしホンダと関係ない話ですが、マン島レースで完勝する前に、イギリス人が「日本がバイクなんか作れないだろう」と思っていたという話は、ちょっと面白かったですね。
    第二次大戦はアメリカに負けましたが、イギリスはフルボッコにしてアジアから撤退させてあげたのに、忘れるの早いなぁww。イギリスご自慢の戦艦プリンスオブウェールズや、レパルスを沈めたのは日本ですよ💧
    いや、負けた事は忘れて切り替える、その精神力は褒めるべきか?🤔

    あと日本人の労働時間が長いのは、作業効率が悪いんだというのは、現代でも言われていますよね。確かに、効率が悪いことをしている企業も少なくないと思いますが、それだけでも無いというのは、昔も今も同じかなと思います。丁寧な仕事から、ヒット商品は生まれてますよね?

  12. 昨今、EVシフトは世界中の自動車会社が、見直しを迫られていると思いますし、流れに乗って脱ガソリンを考えたなら、今度も流れに乗って柔軟に考えて欲しいですね🤔
    (まあ、正直日本のマスコミがいい加減な情報を流しただけで、海外の会社は本気でEVにシフトするなんて、元から考えてなかったと思いますけど。)

  13. The beach boysというグループが60年代に「Little Honda」というノリのいい曲を歌っていました。自分はそれほど歳ではないのですが、中学生のころに知りました。当時にもアメリカにも影響を与えていたようです。さすが、本田宗一郎。

  14. EVはもう終わり
    "EV化の真の狙いは日本の自動車産業潰し"
    こんな事も見抜けずEVに全振りした挙げ句にハシゴを外されたホンダよ
    お前は一体何処へ行く

  15. 大袈裟でもなんでもなく、

    「パワハラ糞じじい」程度の評価では、令和の救世主としてHondaを導く人物としては、

    「青二才」に止まると思います。

    榊原社長や藤澤さんと同等以上の人物との出会いを活かすことができ、かつ、

    ワールドワイドなニーズに応える(創る)スキルを持つリーダーを育てることこそ、

    Hondaの黄金時代や「おやじ」を再来させる業務になるでしょう。

  16. BEVへの全振りは危険。
    BEVは、航続距離と充電時間が、ボトルネックとなっている。
    BEVユーザーの生の声を聞くと航続距離と充電時間の制約に難義しているとの声が多い。
    現行のガソリンORディーゼル車と同程度のエネルギー充填時間を実現しようとすると、より高電圧もしくは高電流でチャージしなければならず現実的じゃない。
    BEVはCO2を排出しないというけれども、現実は発電所で化石燃料を燃やして電力を作っているわけでありCO2を排出している。
    原発が稼働していればまだ話はわかるが例の事故で政治案件化しており需要を賄えるかどうか疑問。

  17. 二輪は業界トップ、プライスリーダーになれるから17%の利益率が出せるのです、四輪は競争が厳しくて値引きしないと売れないのが苦しい、値引き無しでも売れるヒット車種が欲しいところですな

  18. マスキー法ができる前から、ホンダの一部社員は排ガスにおける人体被害を懸念していていたけど、宗一郎さんは速さを重視していた為、排ガス部門は基本的に事業の隙間、窓際族で、宗一郎さんも特に気にかけてなかった中、マスキー法が発表されて「あ!うちに排ガス研究してるやつおったな!」となって「世界をとりに行くぞ!」となった話を昔読みましたね。水冷式への切り替え、排ガス問題において、宗一郎さんは「世界をとりに行くことと、最初、原付を作った時の自分の意識が変わってしまった。」とかなり反省して口を出すことは少なくなっていった、と言う流れだったみたいです。でも、この流れは「おやじ」と「部下」じゃないとできない関係性でとても好きなストーリーです。

  19. 本田、もっと言えば日本企業の強みと同時に弱点も表裏だなと感じました。自前主義、独自主義、技術者の自治ってのは強みなんだけど当にそれこそがMRJが飛ばなかった理由でもある。

  20. EVに全振りとはホンダらしいと言えばそうなのかも知れませんね。
    以前東京モーターショーでパンフをもらった時、1ページ目にいきなり『ホンダは自動車会社ではありません』と
    ありました。相当な衝撃を受けたと共になるほどと納得もできた事を覚えています。
    個人的にはホンダが自動車の内燃機関と決別するのは非常に寂しいものがありますが、
    将来的にはこの英断が間違いではなかったという事を祈りたいと思います。

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