坂本少佐慰霊碑 林道 折山線 長崎県諫早市【YAMAHA SEROW250 Final / 4K】

坂本少佐慰霊碑
https://maps.app.goo.gl/LTjqeGvKGUh99yg67

「坂本中尉機とボーイングB29(諫早市公式WEBサイト)」
https://www.city.isahaya.nagasaki.jp/soshiki/7/2124.html

坂本少佐慰霊碑の道案内看板
https://maps.app.goo.gl/ekrwABuNgbeo6Fqx6

朝五時半に目が覚め、今日の目的地となる林道を求めてGoogleマップで多良岳周辺をなんとなく眺めていました。
「坂本少佐慰霊碑」の文字が目に入り、バイク仲間の苗字と重なり、出身地も近いことから気になり、また多良岳には林道らしき細い線が無数に走っていることから、行くことを決めました。
「坂本中尉機とボーイングB29(諫早市公式WEBサイト)」を全て読んでから出発しました。

0:00 多良岳グリーンロードから林道折山線を降りて行きます。
https://maps.app.goo.gl/Ppw2GvYdvkEHaWGA7

6:38 坂本少佐慰霊碑
献花は今朝お供えしたかのように綺麗でした。
今日もなお誰かが頻繁に慰霊碑を整え続けていることがわかります。

以下、「坂本中尉機とボーイングB29(諫早市公式WEBサイト)」を参考にして記述します。

昭和19年(西暦1944年)11月21日
B29爆撃機61機が爆撃のために大村上空に飛来しました。
坂本中尉は零戦9機を率い、B29爆撃機に打撃による損害を与えたのち、自らの機体をB29に突入させたそうです。
当時22歳でした。

坂本中尉はなぜ帰還しなかったのでしょうか。
特別攻撃隊ではありません。

坂本中尉機の機体状態による判断でしょうか。
または、坂本中尉の負傷による判断でしょうか。
機体の残燃料、損傷、仇、正義、家族友人、国内外の情勢など色々と思い浮かびます。

出撃から約一月前の昭和19年(西暦1944年)10月25日、B29爆撃機78機が大村の海軍工廠を爆撃し、学徒挺身隊を含む約280名が亡くなっています。

坂本中尉の機体はB29爆撃機突入の際に飛散しました。
慰霊碑に向かう林道のバイク上から、そして慰霊碑の場から、空を想いました。

出撃から四十九日にあたる日に、14-16歳の少女三名が坂本中尉のご遺体を発見されました。

B29爆撃機の搭乗員にも哀悼を。
戦後、日米の遺族が対面するシーンをテレビにて観たことがあります。
徴兵に限らず、志願した人もいます。
10-30代の若い人たちがたくさん亡くなりました。

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■360度動画のおすすめ視聴方法

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SUZUKI(スズキ) GSX1300R HAYABUSA 2017model
YOSHIMURA(ヨシムラ) Tri-oval Cyclone 2END
YAMAHA SEROW250 Final

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Arai RX-7X
NOLAN X-lite X-903
Arai MX-5 Solid Frost
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Video editing software:
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