「第46回農村ベース大学」「東京から宇佐に移住して11年。〜大学院生として世界水準を探求〜」 大分大学大学院工学研究科 博士後期課程 中本 毅氏

笑っ て はいYouTubeをご覧の皆さん現地の 皆さんこんばんは文台ドリームの田村りん と申しますこれから第46回ノーソワを 始めます本日のノーソワは大分大学大学院 工学研究家博校家庭中本たさんに講演をし ていただきますYouTubeをご覧の皆 さん質問のある方は随時チャット機能より お願いいたします なお質問への回答は映の最後にまとめてお 答えいたしますそれでは始めさせて いただきます中本さん本日はよろしくお 願いいたしますお願いいたしますえ座った まま失礼いたしますえ私はえ大分大学え 大学院工学研究家拍手期家庭のえ中本たと 申します本日はえ第46回農村ベース大学 ですけれどもえ東京から宇佐に移住して 11年えは12年目になりますえ大学院生 としてえ世界水準をえ探求しているという えお題でえお話しさせていただきたいと 思い ます本日のご説明の内容ですけれどもえま 主にえ自己紹介となりますあのま自己紹介 ということで恐縮なんですけれどもえで それの後にえ質疑音Q&AですねえでQ& Aあのますでにですねあのドリーム ファーズJAPANやえ大分大学サークル 文台ドリームのええ皆さんからえ事前にえ 質問を募集しておりましてえそれに対する えお答えをさせていただきますでまたえ 時間に余裕があればえその他のえ質問え皆 様からえオンラインでいただいてる質問に もお答えさせていただきたいと思いますで は始めますえ自己紹介 ですえ改めましてえ中本たしと申しますえ 現在のえ肩書きですけれどもえ大分大学え 大学院工学研究家にえ所属しておりますえ 学部が大学日本では4年ありましてで大学 院ですねあのま国によってちょっと異なっ たりするんですけれどもえ日本の多くの 大学院はえ収支家庭というマスターの家庭 が最初に2年間あってでその上にえ3年間 の白紙後期家庭えドクターの家庭があり ますで私はえ今ドクターのえコースにえ 所属しておりますで工学研究家でもあのま 電気電子とかですねあの機械とか建築とか えま生物とか科学とかですね情報工学とか 色々あるんですけれどもえ私はあの情報 工学という分野いわゆるコンピューター サイエンスのえ分野にえ所属しております hciヒューマンコンピューター インタラクションというですね コンピューターと人間の接点をえ扱う研究 室に所属しておりますまインターフェイス

とかですねこうそういう画面であったりと かこうあのキーボードであったりとかです よこう人間とコンピューターの設定になる ようなところを研究するえ研究室におり ますけれどももで主な関心はえ教育です ですのでコンピューターとえ教育の2つの キーワードでえ独自の研究をやっていると いうところでございますでまたあの4月 からはえ履行学部で非常金行使をえ務める ことになっておりましてえ今度ですねあの 4月からえDX人材プログラムというのが 新たに設置されるんですけれどもそこの1 年生の英語の授業を担当するえ予定になっ ておりますま現在あのま既にですね教科書 を考えてありととか真事業の内容を考え たりとかですねそういうことを始めている 状況ですで収支家庭が放送大学通信性の 大学だったんですけれどもを終了しており ましてでその大分の学習センター大分県下 の学習センターがあるんですけれども そちらの同窓会長を務めておりますで プライベートでは家族はえ妻がえ1人ま 当たり前ですけど1人おりましてで子供が え今のおじさん逆ですねはい滑りましたね はいでえ子供が4人おりましてええ男の子 が1人と女の子が3人おり ますえ私はあの1983年にえ広島市で 生まれました今40歳です広島市あの政令 指定都市でこう人口が100万ちょっと いるんですけれどもまその中でもですね あのま周辺部というか郊外のですねあの ベッドタウンのようなところでえ 生まれ育ちましたでえま公立のですね小中 高校にえ通っていましたで何あのまきだっ たこと色々あるんですけどもま特に中学 高校生の時はまスケートボードとかま英語 が好きだったというような記憶があります でえここ卒業までま広島市で育ちましたで あのあんまりですねこういっぱい引っ越し を繰り返してるのであんまりこう資料が 散逸してしまってあのすぐに手元に なかなかないんですけども幼稚園の アルバムがあったのでえそちらの写真をえ ま引用しておりますま歯が抜けて るっていうところがま気になるのとまあと は大体あんまり今と変わってないんじゃ ないかなというえ気がしますけどどどう でしょうかね はいでえ小中高でま高校生活ですねえ大学 生があのこの農村名大学ですねたくさん 聞いていただいてるのでまその高校とか 大学受験のような話もちょっとあのしたい と思いますでま平凡なですねあの普通家の 高校にえ通ったんですけどもまなんでそこ に行ったかって言ったらま近所だったから

という感じでえ入学したんですけれもなん かこうだんだんこう高校に入ってですね こう世の中のことをとか世の中の雰囲気を え考えるようになってですねま空気を読ん だりしてなんかなんか難しい大学に行き たいなという風にこうま1年発起してです ねあの高校1年生の時からあのま平凡な 普通日午後だったんですけどまちょっと ガチでですねあの勉強始めてえま3年間 勉強したというようなえ生活を送っており ましたまどのぐらい平凡かって言うとあの 1学年がですね400人いたんですけれど もえまま結果的にはですねそん中で400 人の中で国立大学に例えばこう現役で合格 した人が0だったとかですねまあのまそう いうレベルの平凡な学校だったという ところですねえであのカリキュラムもです ねなかなかこうあの緩いカリキュラムに なってしまっててなかなかこうま1年発起 してこう難しい学校目指すぞって思っても なかなかそういう雰囲気じゃなかったん ですけどもまたまたま近所のえ進学塾英語 塾があってでそこにえのもを叩いたらです ねそこの先生がすすごいこうま立派な方で こう実績のある方でえそういった優れた ですね英語の指導者がえいたおかげでま その成績がこうまガチで伸びたというです ねあのところがありましたまどのぐらい 伸びたかって言うと本当にこうま例えば その英語だけで言うとあのなんですかね なかなかこうあの社会人になって偏差値の 話する機会もなかなかないんですけどもえ ま面白いのがあの校内の模の偏差値で 400人の中で英語の偏差値が120が出 たことがあるんですねあのあの50が平均 で私120だったっていうですねであの あのそれぐらい伸びたとことですねでま もちろん全国的にもこうまその英語に関し てはトップクラスだったというようなえ ところでしたねでただ一方であのま毎日 勉強はしてるんですけれどもあのまそれ だけというわけでもなくてまそのあの山内 運動というのがあってこう広島市はあの バイク乗っちゃいけなかったんですけどま 免許取ってバイクに乗ってたりとかですね えまここ2年生ぐらいまで毎日こう スケートボードをしたいたりとかでまた あの土日のですねにこう日雇いであのま 行くと6000円とか7000円とか 8000円くれるようなえ引越しセンター があったのでそういうところで日雇いの アルバイトをしてまお小遣い稼ぎをしたり とかですねまそういうこともえしていまし たあアルバイトも禁止でした はいでえま運よですねあのま現役でえ大学

に合格することができましたま高校2年生 の時からえっとまどこに行こうかなって いう風に思っててなんかこうあのま将来の 空気を読んでというかですねなんか いわゆるこうあの賢い大学に行きたいなと いう風にあのまちょっと語弊があるかも しれないですけど思っててでもちょっと すごく平凡なえ2日高校だったのでなんか こうランキングを見ててこうなんか東京 大学とか京都大学はもう受験科目数も多い しちょっとこう無理だなっていう風にこう なんというかあの奪還しててですねあのま 3科目とかであの受験できるえ3科目とか だけこう極めればいけるこう早稲田とか 慶王がいいなっていう風にま思ってたん ですねで一方であのまその田舎の高校生な のであんまりこう早稲田とか慶王のあの 実際の学生もあのま会いに行ったりはした んですけれどもあんまりこうたくさん 知り合いがいるわけでもなくてなんか様子 もよくわからなかったのでで慶っていうの はすごいおぼっちゃん学校だと思ってて あのお金持ちのボンボンが行くみたいな ですねでなんかそういうイメージをこう 勝手に持ってたのでだから自分はこう 早稲田だけを受験しようと思ってですねま 実際大学受験早稲田しか受験しなかったん ですけもえまそういう感じでしたまただ そのあの後ですけども実際こう早稲田も慶 もですね通ってる学生ってなかあのま両方 受験する学生が多いのでま実際中身 あんまり変わらないなというまのがあのま 後ですけどあのそう思いますでなんで 早稲田がいいかなって思ったかと言うとま そのすごく自由な興風と言われててで サークルがですねこう2000とか 3000とかあるって言われててますごい 活動が日本一高なこう楽しい大学と言われ ていたとませっかく勉強するんだからです ねあのあの大学に入ったたらこう遊びたい なって思っててあのまそういう時でこうま 楽しそうな学校をあの選んでたという感じ ですねであの高校生まででま経済学にです ね興味があってま本なんかを読んでたりし たんですけれもえでそれであのま5個受験 して教育学部と政治経済学部と法学部と 奨学部と社会科学部をま今でも記憶に残っ てるんですけど受験してなぜかあの教育学 部に落ちてですねまあと4つかったんです けもええま経済学に興味があったのであの 政治経済学部を選択しましたでえなんで 経済学に興味があったかって言うとあのま 経済の語源がですねま日本語の語言だと あの形成催眠と言われていててあのまあの 経ての収めるってことですね世の中を納め

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語学留学をしましたで会社の内定はもう あのもらってたのであのま半年間こう有 意義に過ごすというような感じで学留学を ていただきましたでえなんで中国かという ところなんですけどもま第2外国後がです ねま中国後だったというのとあのま実家の 父がですね結構あの中国とあの取引がです ねあの自業であったのであの中国に私も あの当時10回ぐらいもう行ったことが あってえあったとま一方でですねこうあの 全然真面目に勉強してなくてあの中国が すごい中途半端だったのであのまちゃんと やっときたいなみたいなところもあって えまその締め国に留学したという感じです ねま中国語力に関してはあの結局こう中国 語検定3級しか持ってなくてまその英検等 と違って英検だとこうま準2級とかですね 準1級とかこうこうあるのであの中堅だと それがないので結構こう実質的には永見2 級ぐらいの感じだとは思うんですけどもま すごくあの今でも中国はすごく得意という わけではありませんとで当時ですねま学 WHOLEも卒業しててでその翌4月から あの入る会社も内定してたんですのであの ま単位も取らなくていいし卒論も書かなく ていいしあのあの就職活動もしなくていい とであのしかもですねあの当時の北京が ですねあの東京のあの物価がこう1/4と か1/5なんでなんかこうめちゃ楽しめる んですねあの同じ小遣いがこう4倍とか5 倍になるイメージですねでのでますごい 気楽な毎日でしたとま世界から集まってる 学生とこう楽しい日々を過ごしてましたと いう感じですねま例えばこの写真で言うと まクラスメイトたちなんですけれどもえ この人はですねこの人オランダ人でこの人 はあの韓国人でこの人アメリカ人でこの 人この人イタリア人でですねこうま雨人 雨人日本人みたいな感じでですね私もこう 今よりだいぶ痩せてると思うんですけどな 感じでこうすごいこういろんな国から 集まっててますごいあのまそれこそ毎日 あの飲めるというかですねあのそういう 感じですごいあの楽しかったなという記憶 があり ますで200年にあの新卒でえ就職しまし たで私あのまインターンシップではですね あのあのま国交省に行ったりあの投資銀行 に行ったりあのマスコミに行ったりですね あとまあの保険会社とかえ都市銀行に行っ たりとかですねあのメガバンクに行ったり とか色々してたんですけどもあのすごい こうもう専門家になりたいなって思ってて でえま投資銀行というですねこうM&Aと かあの資金調達の世界であのプロになり

やりたいなていう風にあの当時思ってまし たまなんでそう思ったかて言うとあのま金 ですねはいであのサラリーマンなのにあの だゴールドマンサックスとかあのモルガン スタンレーとかですねこうあのバンクオブ アメリカとかですjpモルガンとかま聞い たことあるかもしれないんですけれどもの 投資銀行部門のあのあのフロントで働い てる人達てこうサラリーマンなのにあの 数千万とか数円とかですねあの年収がある んですねでこうすごいすごい世界だなと 思っててあの あのなんつうかなあの金ですねはいであの プロフェッショナル思考であの都市銀行の 世界に入りたいなと思ってえいましたで それでえま外子のあのまゴールドマンとか ですねそういうところがこうすごい憧れ だったんですけれどもえまUBSとかです ねあったんですけどもあのクレディスイス とかですねあのあの憧れだったんですけど まそういうところは私がこう知った頃には もう就職のあの採用活動終わっててので あのま日経のですねあの1年目からそう いう仕事をさせていただけるところにあの 行ってましたま結構生々しい話もしてるの でま社名はせ伏せておきますねでえま約7 年間こう会社員やってたんですけどもえM &Aですねあの企業買収のアドバイザリー 業務を中心にあの働いていましたで勤務地 東京でま複数のですねまグローバルな金融 機関とかえ軽コンサルティング会社にえ 勤務していましたでやってることは全部 こうM&Aとかええそういうアドバイザー 業務であったりまもしくは資本市場業務 みたいなことをやっていましたま特徴とし てはあのプロフェッショナルイコール激務 なんですねでえますごい精神的にもあの タフじゃないといけないというのとあの 色々要求がきついというところとあと長 時間労働というえところがありましたま ただそのあの激務とか長時間労働がですね あのプロフェッショナルになりたい人に とってはすごい嬉しいことなんですね なんかもうあの働けば働くほど嬉しいって いうですねなんか成長してるみたいなです ね逆にこう早く帰れるとなんかこう周りの 人に先起こされる方で嫌だみたいなですね こうそういう価値観でし たあであのすま1社だけ名前が出ちゃっ てるんですけどこのえ三菱UFJリサーチ &コンサルティングという会社からえ毎年 ですね何年日本はこうなるという来年のえ 本が出るんですけどま当時ですねあの 2011年私はここにいたのでまその時に あのこの本の中にも私の名前であの国際M

&Aが中学的な企業価値向上策にというえ ことをま書いてあるページがありますえで え東洋経済新法社ですねま最近東洋経済 新法社あの大分合同新聞にあの社長がこう インタビューで出てましたけどこう大分県 の人が今社長されてるみたいですねえ余談 ですけれど もでえまプロフェッショナル思考でですね 働いてたんですけれどもまあの2009年 にですね結婚しまして えで2011年にあの双子がえ誕生しまし たまそのもちろん誕生する1年ぐらい前前 にはえアフタゴができたっていうのが 分かるんですねで えでますごく激務なので えの中でまあのま1人子供が生まれるのと 双子が生まれるのと結構こう負担が全く 違うと思っててでだだと激務とですねま 家庭子育てのですねこう両立に限界を 感じるようになっていきますでえま東京の え子育て環境としましてはえ当時ですね あの待機自動問題っていうのがあった待機 児童ってあの保育所にえ入るのを待ってる え人がいるっていう問題ですね私あの最後 あの東京都港区民だったんですけど港区で は例えばそのあの0歳とか1歳の赤ちゃん の保育保育所にこうあのあま一切ですね 預けようとするとあの1人預かる枠に待っ てる人が100人いたりするんですねもう なんかこうあのとても空いてないみたいな ですねでたまたまうちあの双子だったので そのあの困難ポイントみたいなのが1点 上がってなんとか途中で入れたみたいな ところあるんですけど本当にこう保育所を 探すっていうのがえ当時至難の技だったと でえまた私は広島県出身でま妻大分県出身 なのでえま近所にこう見がいなかったと ですね子育てを助けてくれる身内がい なかったとで共働きでえっとあとその子供 に優しくない雰囲気があったというかです ねあのま大分県う市とかにいると赤ちゃん こう抱えてるとあかいはねみたいな感じで 言ってくれる人がいるんですけどあの東京 だと例えば地下鉄に乗ってて赤ちゃんが 泣き出したりするとうるさいとか言って こう怒ってくる人とかいたりとかですね なんかこうそういう人もこう結構いたと いうかですねまそういうのもこう困難だ なっていう風に感じていましたでまた さっきから激務激務って言ってるんです けどもどのぐらい激務かって言うとあのま 最後の方はですね東京にた最後の方はこう 毎日ですね朝の2時とか3時まで え帰ってくるまで仕事してましてでえでま 毎朝またあの8時とかえま9時までにです

ね会社に行ってるっていうな感じなんです ねでえで休日もあの完全に休みではないと なんか普通にこうま会社に行ったりとか もしくはリモートでなんかやってるという ようなえ感じでこうえ激務でさらに エスカレートしていったという感じですね で特にひどい時がですね睡眠時間があの9 時間だったんですねいや9時間って長い じゃんって思うかもしれないですけどあの 1週間の睡眠時間が9時間なんですねので あの7で割ると1.何時間とかなりますよ ねだからこう2鉄してとかなんか次の日3 時間寝るとかそういうのは普通にあっ たっていうですねまそういうことなんです ねでなんで激務になるかって言うとま そもそもそういうこう投資銀行とかの業界 がそのmとかの業界が一般的に激務だって いうのと私あの基本と国際部門だったので あの世界はこう24時間動いてるわけです ねのであのクロスボーダーのですねあの 国際的な企業買収なんかでこう例えば電話 会議があの例えば東京とニューヨークと ロンドンみんなあの動ける時間とか言っ たらこうなんかま夕方とかですね深夜とか にこう電話会議が始まったりするんですね でこうなんかだから朝1時から電話会議が あったりとかですね朝1時から電話会議が あったらでそれのこう電話会議ですねこう インド人のわけわからない英語をですね こう一生懸命疑似録を取りながらでそれを なんかあのその1時からのあの ミーティング後にこうギロを作ってまた 送ってですねでまたこう8時とか9時から ですねこう日本の業務が始まったりするん ですねでなんか本当にこう1人でこう24 時間戦えますかみたいな世界でこうまあれ はスーパー激務だったなという風にあの 思いますただそのプロフェッショナルとし てはこうその激務っていうのを喜んでると いうかですねえいうような感じなんですね でただそのま赤ちゃん生まれてあの やっぱりこう赤ちゃんがすごくこう可愛い のでなんかこうま家族も仕事もまどっちも 大事なんだけどもうすごくこうもう限界を 感じてるしあのしあのもうどちら か選ばないというこう行き詰まったような 状態になってきててまあの結局はま家族の 方を取ったというような感じですねでえで 233年にですねあのま妻の地元であるう にこう移住してきましたえ3月にですねで えうさに来た感想なんですけどまずあの 保育上あの空いてますかってこう市役所に 聞いたらですねあ普通にこうガラ空きなん ですねあのまもちろんいっぱいなところも 円もあるんですけど死全体で見るとこう

ガラ空きでですねなんかもう今すぐ入れ ますよみたいな感じでこれあのもう待機 児童で苦しんでたものからするとあのこう すごく驚いたというかですねもうマジこう 最高じゃんここみたいなあの感覚をえ感じ ましたでまたあのやっぱりこう子供突然熱 出したり病気になったりすることがこう 頻繁にあるのでえ誰か助けてくれる人が ですねあのま近くにいるというこう安心感 をすごく感じましたでえまうじ来てま初め はこうコンサルはやっぱりこうやりたかっ たんですけどまやってみるとこうあの ニーズはあるんだけどま東京のようにこう コンサルタントにすごくこうあの高い手数 料を払うという文化はないというかですね こうやっぱりこうなんかアドバイスはただ みたいななんかそういうあの感覚が やっぱりこうあのあるなという風に感じて ま同時にこう高校の時にですね英語塾に 通っていたこともてでこうその当時のこう 英語塾の先生のやり方経営の仕方っていう のをま見てたのでま英語塾だったら自分に もできそうだなと思ってあの英語塾をあの 始めましたでちなみにこれあの余談なん ですけど えウシはですねあのま今発売してるえ 2024年版のえ宝島社田舎暮らしの本と いうのでま住みたい田舎ベストランキング というのでですねま上位に入ってますで 人口5万人以上10万人未満の市の中でえ シアせ大部1位とで若者え単者部門2位え 子育て世代部門2位ということでですねま すごいこう あのま色々とですねこう支援政策がま充実 してるようなえ自治体になってますま今の 話 ですでえま英語塾を始めましたとで私自身 はま英語は得意でま仕事でもずっと使って きたんですけれども え教えてる中でなんかこうなんかその私が 教育学を収めたとかですねあの英語教育に ついてこう学んだとかそういうことでは なくてもう身も見真似で教えてるので なんかそれこうあの職人出というかですね それで自分はそれでいいのかみたいにこう 自問自動するようになってですねま英語 指導に携わっているうちにえ言語学とかえ 教育学のま高い専門性を持つこうま指導者 先生になりたいという風にこう思いました でそれでえま社会人なのでま通信性じゃ ないときついなとかまたうさの周りにです ねこうあの通学型のえま通いやすい大学院 というのもあの見当たらなかったのでえま 放送大学ですねま1番大きな通信性大学 ですけれどものえ大学院収支家庭人文学

プログラムというのをえ受験してですね あのま学力試験があったりとかあの面接が あってあの研究計画を出したりとかですね そういうことをしましてえ入学しましたで えっと放送大学はですねこうま結構あのま 知る人と知るというはですねすごくこう 内容が良くてあのま一流の先生が結構第1 戦で活躍してる研究者が揃ってい るっていうのとま教材もえ質が高いという まあまあえて言うならま通信線なので すごく孤独でですねこう頑張れあの孤独で も頑張れる人じゃないと頑張れないみたい な世界ではあるんですけどもますごくいい ところでしたでえま研究して収支論文書か ないといけないんですけれどもまこれ辛く 苦しい場面が多かったですでどんな風に 苦しいかって言うとま1ヶ月に1回ぐらい ですねこう指導教員の人とあのま私の書い たこう収支論文のこう原稿をですねあの レビューしてもらったりとかまもしくは オンラインでゼミなんかもやってたんです けれどもであのその原稿送るとあの大量の フィードバックが返ってくるんですねで あの原稿書いてまワードのファイルですね 先生に送ったらあのコメントつけて返して くれるんですけどこう1回あの1番 苦しかった時ですね40数か所コメントが ついててですねなんかなんかもう メタメリズムねこうすごくこう苦しかった んですねまなんですけどもあのま収支論文 を書き上げる頃にはですねこう不思議と ですねその研究活動っていうのがですね なんかこうあのまドエというかですねこう なんかすごい楽しくこう感じるようになっ てしまっていましたでそれでえ2020年 にですねあのま何年もかかったんですけど もま収支のですね収支学術という学位を 取得することができましたこれ学術って いうのはなんか何かって言うとあのまよく あるのはなんか法学とか経済学とか工学と かですね理学とか文学とか医学とかあると 思うんですけれどもま2つ以上のですね 学問分野をまたがってあの複合的な領域で 研究したえものに対して与える学位が学術 という風になってますですのでま収支学術 とかですね白紙学術っていうようなえ学位 がありますえでえま収支でいいかなって いう風に思ってたんですけどま最後はま 不思議とま楽しく感じるようになって しまいましてでえあのま大分大学のですね こう白家庭にこうあの応募してしまって ですねそしたらあのまその教授と面談し たりしてで受かってしまったのであのあの 社会人学生をですねあの続けることにし ました進学をしてま今今なうという感じ

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毎月1回、安心院農村BASEで行われています。農村ベース大学は毎回講師の方をお招きし様々なテーマでお話をしていただいています。株式会社ドリームファーマーズJAPANと大分大学経済学部「BUNDAIドリーム」の共同運営で行なっています。

株式会社ドリームファーマーズJAPANの公式YouTubeちゃんねるです。
九州大分県宇佐市安心院(あじむ)町でぶどう栽培とドライフルーツの製造・カフェやイベント企画など行っています

☆経営理念「農家のチカラで農村イノベーション」
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☆大分県産の果物を使った無添加のドライフルーツを販売中!
貴重なシャインマスカットのなど農家ならではの商品を取り扱っています!
フレッシュな青果も旬の時期に販売します。
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