SWSとは何だったのか?【前編】1991-93 旗揚げから活動停止まで

[音楽] 男のロマンライブ1990年日本マト会を 激させた新団体SWSの誕生UWFが プロレスの格闘技科実験運動であったのに 対しこのswwsは早すぎた企業 スポンサードプロレス従来の団体のあり方 を根本から覆す大事件でした改めてSWS とは何だったのかシリーズ前編の今回は 1990年のげから93年の活動停止まで を自系列で振り返り [音楽] ますジャイアントババヒール全日本 プロレスは1972年の旗揚げ以来激同の 猪木新日本プロレスに比べると派手さは ないもののマイペースで安定した団体運営 を続けているように見えましたブッチャー の留出にタを発した新日本との神義なき 引き抜き合戦も新半を獲得して事実上勝利 さらには新日のクーデター騒動の余波で 長州リラジャパン勢とタイガーマスクの ライセンスまで棚ぼたで獲得に成功猪木 新日ブームの裏で激しさを増していた日本 テレビからのババおろしの風もいつしか なぎ80年代後半からは長州が抜けたこと に危機感を強くした天竜現一郎が天竜革命 で決起ジャンボツルタとの角龍構想は異様 な盛り上がりを見せ日本武道官を打会場と して満員札止めを連発するまでになってい まし [音楽] た1990年4月19日横浜文化大館で 鶴田対天龍の3巻ヘビー急戦が行われまし た白流対決は実に7度目戦績は若手時代の 2引き分けを除けば3勝3敗でしたがこの 試合は不可解な反戦乱入で波乱の幕開け 結局12分32秒バックドロップホールド で鶴田が勝利し2度目の3巻防衛に成功し ましたこの試合前に天竜はジャンボに負け たらやめると親しいゴよさの記者に漏らし ていたと報じられ天竜の同行に注目が 集まっていました天竜は4月23日ババに メガネスーパーの進行団体から誘われて いる全日本を辞めたいと伝えますがその場 で結論は出ず4月26日馬場と天竜が再び 怪談し結局馬場は押し切られる形で天竜の 自を了承することとなりましたこの時天竜 はマスコミに対しばばさんとの話し合いで 円満に代謝を認めてもらいましたこれから はメガネスーパーの資金援助を受けて 新しく天竜部屋のようなものを作りメガネ スーパーが用意してくれるリングに上がり ますと語り一方の馬場も天竜がメガネ スーパーに行くことになりました天竜とは 今日を含め何回か穏やかに話し合ったけど 全て綺麗な話ができたと思う将来は天竜

部屋みたいなものと全日本との間で対抗戦 が行われることもあり得ると語っています この時点で多のファンは天竜の対談だけで 住んでほしいと思いつつも当然それだけで 住むわけもなく水面下で事態は大きく動き 始めていました実はメガネスーパーの プロレス寝室が初めてけになったのは4月 1日付けのデイリースポーツこの時は 新日本のジジ高の佐野2選手が金銭で同車 に引き抜かれたとの報道でしたがこの動き と天竜離脱が重なり新団体立ち上げかと 一気に大事になりましたそして5月ストか 東京ホテル大倉で株式会社メガネスーパー ワールドスポーツ設立発表会の記者会見が 行われます会見には田中八郎メガネ スーパー社長富永専務そして所属選手とし て天竜が出席しSWSの発足を正式に 発表天龍のカっと激しいプロレスを目指し たいという抱負よりも田中八郎社長の全体 として費用は60から70億円ぐらい かかると思いますとのコメントが関係者と とファンのド肝を抜きましたこの4日後 東京大館で激しに見舞われている全日本 プロレスのシリーズ開幕戦が行われ注目さ れましたここで河田と組八冬組と対戦した 2代目タイガーマスクが自らマスクを脱ぎ 三沢光春となって大声援を浴びまし [音楽] たここからは連日新団体設立に向けた動き が一気に加速します5月15日若松一の 入団と道場主就任を発表6月5日ジョージ 高野の入団と道場主就任を発表6月27日 には横浜仮道場完成疲労パーティーにて 桜田鶴見片山が所属選手として出席引退後 プロモーターになっていた元全日本 プロレスのグレート小JWPデルフリをし ていたミスター林の姿もありました7月2 日全日本を対談したサムソン冬高野俊次5 名の入団を発表7月11日石川孝市の入団 を発表7月12日と13日には早くも第1 回新人オーディションが開催され元新日本 の大家元全日本の平平6名が 合格8月7日にはザグレート歌舞伎八吉 焼きの入団と元全日本の取締り役米沢市の 取締り役就任が発表されました8月23日 アメリカから帰国した佐野直の入団を正式 発表 8月29日維新力の入団と新倉文広の フリー参戦が発表そして8月30日ホテル オクでSWS事業概要発表会ヒロー パーティーを開催天竜ヒール レボリューション若松ヒル道場劇高野引 パラエストラの3つの部屋の正式名称と 選手の振り分け9月の旗揚げ戦が発表され まし

[音楽] たアントバババゼオンプロレスは複数年 契約を提示して離脱者の引き止めを行う ものの結果として選手とスタッフが大量 離脱特にあつい離脱が人段落し一致団結し ていこうとしていたさ中の八と歌舞伎の 離脱はショッキングで一時崩会の噂まで 流れました八脱の理由をスティーブ ウィリアムス戦で追った負傷で前日が入院 治療費を払ってくれなかったからと主張し ましたがババはこれに対しうちは領収書 なり請求所なりを提示したらちんと払って いる契約所にもその旨記載があると反論し ています歌舞伎はシリーズ前に2年契約で 更新契約金も受け取っていたとされますが サインはしていませんでしたそして7月 30日に馬場に対し鶴田と獲得したばかり の世界卓返上と合わせて代謝の意向を伝え ました歌舞伎は以前から馬場のやり方に 反発を覚えており天竜が離脱を明かした際 に真っ先に連れて行ってくれと遺跡を決断 していました一方の新プロレスは過去に UWFジャパン勢など度々大量離脱に 見舞われていた経験を生かし早急な遺留 工作を行い主力級の離脱を食い止めました 同時にジジと佐野に関しては法的措置を 取り星野神太郎などベテラン選手が道場に 泊まり込み若手を監視していまし [音楽] た9月29日天竜の地元福医大館でSWS プレイ旗揚げ戦一前戦い始めが開催され ました名イベントは天竜石川 八高木という元全日本勢のみのタック マッチ目玉のワンデートーナメントでは ジジ対鶴佐野対北原などSWSならではの カードも組まれましたこの大会は福井の ローカルテレビ局のみで放送されまし [音楽] たそして10月18日と19日SSの正式 な旗揚げ戦戦い始め90が横浜アリーナで 開催初日ははワンデータッグトーナメント で高野兄弟組が歌舞伎と組んだ天竜から ピンフォール勝ちで優勝2日目のメインは 天竜対常時高野のシングルマッチで天竜が 雪辱この模様は10月21日にテレビ東京 で放送され私はテレビで感染しました冒頭 から天竜の遺跡に対する釈名的なコメント が続き当時の空気を感じます肝心の試合は DJ風の英語混じりの斬新な実況と不慣れ なテレビ東京のカメラワークに避難合合 だったことしか覚えてませ今改めて見ると 当たり前ですが天も常時も若く結構試合も 盛り上がっていますしかし当時は顔合わせ にストーリーがないせいで激しい攻防にも 関わらず何とも空虚な試合と感じた記憶が

あり [音楽] ます10月16日ドン荒川の入団を発表 11月1日北尾の入団を 発表線を挟んで一気に不この2人の加入が 明らかとなりまし た11月10日からはSWS新横浜仮道場 で道場マチ東流門がスタートしますこの 土上マッチ500円で見ることができまし た私は当時バイクで10分ほどの近所に 住んでいたので何度か見に行きました 横割りから少し離れた場所にある トレードマークのティラノザウルスが シャッターに描かれたま新しい物流倉庫の ような立派な道場超資金距離での試合は スパーリングのようなものでしたがリング の生音が白力でそれなりに楽しめまし [音楽] た11月20日SWSはWWFと2年間の 業務定型契約を締結したと発表このビッグ ニュースを持って激動のSWS旗揚げ1年 目は終了しまし [音楽] たSWSといえば避けて通れないのがこの の週刊プロレスからのバッシング問題です 天竜の全日本離脱直後からシプロの バッシングは凄まじくプロは金であること がはっきりしたなど電流SWSイコール 金権悪というヒステリックな論調で前号 紙面が埋めれこれを規制団体からの 引き抜きに危機官と嫌悪官を示した当時の プロレスファンの多くが指示しました一方 ライバル氏の週刊ゴグは天龍と親しく離脱 前から天竜の苦悩を見つめていた野氏が 編集長であり公平な報道に務めますが センセーショナルな必で当時圧倒的な指示 を得ていたターザ引きシプロの勢いの前で は部が悪く集合は天龍よりで本当のことを 書いていないかのような印象まで持たれて いましたそして旗翌年の2月ついにSWS はシプロに対して取材拒否を通告します きっかけはSWS初となる東京ドーム大会 の広告でしたシプロ編集部のレイアウトで は天竜の口元の部分に夢という文字が 重なっていますそれに対し天竜の口に黒い マスクを被せたように見えるとSWSが デザイン修正を要求しかし結果的に指名に は修正前のものが掲載されこれに起こった SWSが取材拒否を通告というのが表向き の理由ですこれに対しプロ側は真っ黒な 背景に取材拒否を表紙に掲げて対抗さらに その数週間後にSWSに関する一切の情報 の掲載を控えさせていただきますと編集 長明入りで宣言両者の関係は完全に決裂し まし

[音楽] たこの時期合流ま引きいるパイオニア選手 が経内に陥り丸ごとSWSに1道場として 吸収されるという動きがありました5は 田中社長からすでに支度金も受け取ってい たようですが選手会のほぼ全員からモ反対 をくらい立ち消えになります後にも先にも Sの選手会が1つにまとまったのはこの時 だけという笑い話になっています2月日に は第2回新人オーディションを開催岡中原 が降格オーディションとビスに川端2名の 入団が発表されまし [音楽] たここで一旦当時のS所属選手について まとめますレボリューションは天井を 道場主にザグレート歌舞伎石川冬北尾北原 安岡原中原というメンツ後に足原 ウルティモドラゴンも加入します 道場は将軍K若松を道場主に剣道長崎八鶴 中野高木秦中川端新というメンバー パラエストラはジジ高野道場主に高野俊二 ドン荒川 アポロス佐野大片山という面でし [音楽] た3月13日新UWF藤原組との業務提を 発表したユダルフの中で藤原組はもも田中 長からの出資を受けており定型は普通の 流れでしたしかし当時のSWSアレルギー は凄まじくこれが藤原組内部の亀裂を生み まし [音楽] た3月24日にはロサンゼルスで開催され たWWFレッスルマニアに天竜北が日本人 として初出場デモリッションと対戦し天竜 がスマッシュをパワーボムに沈めてしてい ます今思えばなこれは何気にすごいこと です当時のSWSマネーの力を感じ [音楽] ますそして3月30日SWSWWF東京 ドームとの共催でレッスルフェストイン 東京ドームを開催この大会から藤原組が 発散戦そしてjbsワウワウによる放映が 開始されましたWWFからの参加レスラー はホーガンリージョンオブDo アルティメットウォリアーテッドデビアス プレッドハートランディサベージなど当時 の主力勢揃いの豪華メンバーメイイベント は天竜ホーガンの夢のコンビが ウォリアーズと激突し14分3秒フークが ホーガンからリングアウトガチを収めてい ますちなみにこの時舟木はサノとシングル マッチ試合目に若松が藤原組の控室に 乗り込みおかしな真似しやがったら刺すぞ と一悶着あったそうです試合後に剣闘を 称え合う両者の間に若松とドン荒川がいる

のが不穏 [音楽] です4月1日兵庫神戸ワールド記念ホール でレッスルドリームイン神戸を開催この 大会は気なさ2つの事件が話題となりまし た1つ目は鈴木ミノ対アポロ菅原戦SWS 対藤原組の対抗戦として行われたこの試合 両者が全く噛み合わず津原の試合放棄と なってブーイングが飛び交いました続はの にアポロが仕掛けてきてるぞやっちまえと レフリーである空中からまで合サインが出 てるのに行けず試合後にゴチと藤原から 死ぬほど怒られたと語っていますドーム からの両人への互いへの不審感が暴発した 結果のまさしく泥試合でしたそしてもう1 つがジョンテンタと北尾工事の一戦北尾は 不可解なセメント暴走の挙句レフリーに 暴行反則負けとなると場外でテンタに 向かってマイクでやちやろうやちばっかり やりやがってと暴言を ドームでの初戦はテンタが勝利していて 順番的には北尾が勝つのがセオリーなの ですが若松やドアが余計なことを吹き込ん で疑心夜になった北尾が勝手に固くなり 暴走したのが真相のようですさらに北尾は この時精神に入った田中社長夫人に うるせえババーと暴言を履いて椅子を 投げるという暴挙この一見以降田中社長の プロレスライが一気に覚めたと言われてい [音楽] ます 当初は謹慎1か月とされた北尾の処分です が甘すぎるとの猛批判を受け4月4日緊急 理事会で北尾の解雇が決議されました処分 の理由として試合後の野調発言が対戦相手 の天端にだけでなく観客に向けての侮蔑で もあったという点が特に問題となっていた 記憶があります天龍はこの件に関し皆 いろんな会社や団体で嫌な思いをしてこの 団体にやってきたんだだからこそ維持を 示して欲しかったと語っています同じ相撲 出身で元綱という逸であり新日本でも行か せなかった素材だけに何とかしてやろうと いう思いは強かったと思われますが幹線 北尾の行動はある意味で企画がぎました それでも後にWarでまた面倒を見る あたりに天竜の男木を感じます余談ですが 6月10日愛知県大館で現代の各団体の ビッグマッチによく見られる一本花道を 日本で初めて採用したのがSWSだと言わ れていますこれは提携していたWWFの 演出方法を参考にしたものでで当時は敵と 味方が同じ花道からと違和感がありました が今では当たり前の風景となってい [音楽]

ます7月19日田中社長が退任して オーナーとなり新社長に天竜が就任します 北尾事件に加えてこの頃には内部の天竜派 と反天竜派の派閥感の対立が激化し断る ごとに反転派が田中社長に訴ということが ついでおりのじめとお力関係をはっきりさ せる意味合いで天竜が社長になったのだと 思われます天竜社長就任の初仕事は足原の 復帰入団でした借金を理由に全日を解雇さ れて以降マト会から姿を消していた相棒の 入団は天竜にとって心強かったこと でしょう7月31日水大島トレーニング 事務落成式を開催8月9日横浜アリーナで 旗揚げ1周年記念大会期限1年を 開催9月13日川崎市麻丘に落した本道場 を披露10月12日文化放送にてラジオ 番組激闘SWSプロレスの放送が 開始10月14日emlとの業務定型を 締結これに伴って浅いウルティモドラゴン の参戦も決定しましたこの後にんでも メガネスーパーからの資金援助は宅で 横割りで1周年工業トレーニングジブに 道場の建設ラジオ番組メキシコemlとの 定朝の獲得と文字面だけ見たら順風満パン なのです [音楽] が12月12日2度目単独では初の東京 ドーム進出スーパーレッスルイン東京 ドームを開催メインは天竜とホーガンの シングルマッチ歌舞伎は後に自転でこんな 状態でよくドームで工業が打てたものだ たださすがに田中さんも懲りたのかこの 年末は全道合同での忘年会は開催され なかったと語ってい [音楽] ます1992年1月12日には甲羅ケ ホールで昇龍激闘ザバトルホールが開幕4 月17日と18日には東京大館でバトル メッセージと対してメインの天龍隊 リックフレアーの2連戦が行われました この大会はテレビ東京が録画中継してい ます [音楽] 5月14日ついにというかとうとう天竜派 と反天竜派の対立が表沙汰となり八と中野 が記者会見を開いた上でSWSを対談し ます八と中野のラストマッチはダ ブーイングに包まれ試合後に八が観客席に 投げたSWSジャージが観客から投げさ れるという地がつきます5月18日には天 波と転派がマ2つに分かれたカード編成で の新シリーズが開幕5月23日に緊急理事 会を開き7月以降天竜派と反天竜派の2波 に分れての活動が決定されまし [音楽]

たそして5月25日東京全日ホテルで理事 会の決定事項を正式に発表この年の6月 シリーズを持って活動を止しと高野鶴見派 の2団体への分裂が決定しました要するに SWS解散会見ですメガでスーパーは各 団体に対しWarには2年間NWには1 年間のスポンサー量を援助すると発表し ましたがこれは当面援助はするかとあは 勝手にやってくださいという話でしたその 後SWS最後の後楽園大会を終えた天領は レボリューションのメンバーと共にリング 場で挨拶電を心配したファンが200名 ほど会場に残りました天竜は俺は絶対 裏切らないからここは帰ってくれ俺は絶対 に嘘つかないよ信じてくれとファンに 語りかけると1000円と拍手が起こった というゴグの報道に対しシプロは特切りを 受けてリグ場で万歳する天竜と レボリューションメンバーそしてその ショルダーには誰がこんなSWSにした タザお前だよと当時のプロレスファンは 全員突っ込んだわけ [音楽] です 6月19日長崎国際大館戦線復刻92を 持ってSWSとしての工業活動が終了し ます足原の故郷長崎で行われた最終工業は WWFが外国人同士のカードも含まれ感染 した地元の方曰く長崎とは思えない豪華な 工業観客の入りも上場だった模様です SWS最終試合は天龍原ウルティモタイ 歌舞伎白エストラーダ戦でパワーボムから 天竜の勝利でした [音楽] 6月27日反流派がNWの発足を発表6月 28日には天竜派がWarの設立を発表8 月9日にNWはプロ上げ戦を行いますが そのわずか数日後の9月10日週刊文春に 高野兄弟によるSWS騒動の顛末とメガネ スーパーを通に批判する趣旨が掲載され ますこの一見で高野兄弟は離脱新たに中野 と八を北に加えたPwCを旗揚げします 分裂した閥がさらに旗揚げ前に分裂して 世話になった会社も批判立とり後を濁し まくりというのがまさにこのメンツの進骨 調ですその後nwy新力をエースに上田の 助との構想など活動を続けましたが工業 成績が低迷やがてメガネスーパーからの 資金援助も打ち切りになります そして12月日曜のSWS参加団体となっ ていた藤原組も内分が発生し工業活動を 停止これを持ってメガネスーパーは プロレス協会から完全 撤退こうして華々しく旗揚げしたSWSは わずか2年2ヶ月で完全崩壊となりました

SWS失敗の原因とは一体何だったの でしょうか次回後編ではSWS誕生の裏側 から短期間で崩壊してしまった要因につい て解析しますご期待ください [音楽] さ

天龍をエースに擁し、「早過ぎたスポンサード・プロレス」と言われたSWS。100億円とも言われる巨大資本を投下した異色のプロレス団体は、何を遺し、何故失敗したのか?

【前編】では、1990年の旗揚げから1993年の崩壊までを、時系列で振り返ります!

【チャプター】
00:00:00 オープニング
00:04:20 相次ぐ離脱者、部屋制度の発表
00:05:54 激震の全日本&新日本の対応
00:07:15 プレ旗揚げ戦
00:07:45 横浜アリーナ 旗揚げ2連戦『闘会始’90』
00:08:44 道場マッチ『登竜門』開催
00:09:33 WWFとの業務提携を発表
00:09:51 1991年 週プロとの対立が激化
00:11:31 剛竜馬の合流失敗
00:12:08 当時のSWS所属選手
00:12:48 藤原組と提携
00:13:11 天龍&北尾、レッスルマニア出場
00:13:36 WWFと共催で東京ドーム大会を開催
00:14:30 みのるvsアポロ、北尾vsテンタの「W事件」
00:15:54 北尾解雇
00:17:06 天龍新社長就任、阿修羅原 復帰
00:18:33 2度目のドーム興行開催
00:19:03 1992 天龍vsフレアー
00:19:29 そして崩壊へ
00:20:11 SWS解散会見
00:21:23 SWS最終興行
00:21:58 終局、それぞれの道へ

▼【男のロマンBlog】
SWSとは何だったのか?①1990年~天龍全日離脱、旗揚げ戦!
http://hobby.red-cm.com/?p=393

SWSとは何だったのか?②1991年~週プロと対立、WWFとの共闘!
http://hobby.red-cm.com/?p=396

SWSとは何だったのか?③1992年~そして崩壊へ!
http://hobby.red-cm.com/?p=399

▼【最新情報はTwitterで!】

50 Comments

  1. 伊豆大島のトレーニングジムは今は放置されて廃墟になっているようですね… 玉袋筋太郎がラジオで語っていました

  2. SWSで記憶に残っているのは部屋制度でしたがイマイチわからなかったのと、新日勢が多く離脱して全日の天龍軍団と戦うしか盛り上がる要素はなかったとも感じますね。

  3. 当時高校生で、小学生の時から新日本プロレス派の自分は正直言って天龍以外はどうなの?って思って観ていた記憶がある。ホーガンやロードウォーリアーズは凄いなって思ったけど。

  4. 大変興味深く視聴させていただきました。当時私は20代後半でしたが、全日本時代に天龍革命で会社に大貢献した天龍さんの人間性を、理解しかねていた時期でした。後半が楽しみです!

  5. 1990年はまだまだバブル絶頂期で資金飽和状態だったから団体設立したのでしょう。UWFのスポンサーとしてプロレスに関わっていれば良かったのに。そもそも集客力のあるレスラーが天龍さんだけでは無理がありすぎましたね😅

  6. 仮に武藤の引き抜きが実現していたとしてもSは潰れていたと思う。
    それくらい当時の週プロの影響力は異常だった。
    その週プロがマッチメイク含め全面支援したのが全日本プロレス
    等身大かつ少数精鋭の戦いで一大ブームを築いた。

  7. 橋本がインタビューでプロレスにこんなにお金を出してくれる人を批判してたらプロレスにお金を出してくれる人がいなくなるよ❗という言葉が今になったら凄く印象に残ります。

    当時私も週プロ派で金権プロレス=悪みたいな感じでしたので

  8. バリバリの新日ファンで創刊号から週刊プロレスを愛読してましたが、週刊ゴングへ変えた思い出。
    当時の山本さんの筆が暴走というかあきらかにコントロールされていたのが印象的でした。

  9. 次回に語られると思いますけど仮にターザン:週プロのバッシングが無かったとしても
    SWSは団体として長続きはしなかったと思います…
    (勘違いしてる人多いけど当初噛みついてたのは週プロ単独で馬場が依頼するのは
    大量離脱が起こってからの話のようです)
    当時の選手達にとってメガネスーパーは超太いタニマチ以外の認識がなく新日本が
    ブシロードに買われた時のような意識とはまるで違っていたのです
    田中社長も途中でえらいもんに手を出してしまったと後悔したのでは?

  10. 当時のプロレス界は、
    団体が自分たちで興行をして、
    チケットを売り物販をして収入を得て、プラス全日本新日本であればTV放映権料がある・・という、
    言ってみれば家内制手工業のようなかなり単純な構造をしていたわけで。
    そこに巨大な資本を持って、
    自分たちの団体(それも選手は既存の団体から引き抜き)を作って参入してくる者がいたら、
    それは排除されるよねという話。

    橋本真也は「プロレス業界にお金を出してくれる人を・・」と勘違いしているけど、
    田中社長はプロレス業界にお金を出したのではなく、
    自分のコントロール出来るプロレス団体を自分のお金で作っただけ。
    単純に “スポンサー” という存在では括りきれない存在で、それこそ全日本新日本の経営陣からみたら、商売敵でしかないわけで。
    早い遅いの問題では無く、
    参入の仕方自体が拙かったよねという話。

  11. 天龍選手大好きでした。
    この団体ですが
    言葉悪いですが、
    金のことにあまりにも先に走ってる
    レスラー、
    所属した団体で崩壊を体験
    したレスラーが
    寄り集まり、しかも
    部屋制とか敷いて派閥が
    できやすい体質でスタートしたのは不安でした。

    猪木さんみたいに
    苦しくても、天龍さんを
    ピラミッドにした団体なら
    うまくいったのかなと回顧しました。
    反面、全日本は
    三沢さんが男気を出したファイトで結束を固めていきました

  12. いつも細かい解説ありがとうございます。
    当時、自分もターザンに踊らされた、週プロ信者でした。
    ライガーも金を出してくれる人を悪く言うな!と、言ってたような記憶がありますが、あらためて田中社長は凄い人でしたね。
    後半も楽しみです。

  13. こんな前例があるのに10年後に長州がさらにWJというとんでもない団体作ってアッという間に潰すんだから。
    そしてそれにも付き合ってしまう天龍のお人好しさ。

  14. SWS崩壊の原因は、元々はUWFやムタが好きだったのに、網にかかった天龍を主軸として妥協した事。金目当て寄せ集めごった煮のレスラー獲得。各道場がそのまま派閥利権とおなじ様相で、天龍以外カリスマ性も人気もない分際が田中社長に利権漁りしたこと。北尾の八百長発言以降プロレスの仕組みを知った田中社長が、そんな程度の低いレスラー共に愛想を尽かした事ではないでしょうか。

  15. 部屋別制度を導入するって当時はなんのこっちゃって思ってたけど、現在では男女も全ての団体がガッツリチーム作ってるもんな。

  16. ていうかなんでこの時代はこんなに大量にプロレスファンが居たんだろな?後楽園ホールなんてどんなインディでもやってたし。でそこそこ入ってたし。今の感覚で独立なんてできないようなレスラーが独立ラッシュするし。両国クラスが凄いハードル低く感じたよね

  17. ター山みたいな事して
    生きていられるのが少し
    不可解になるここの顛末
    馬場御大まで引き込んで
    しかも金をゆすりとるとか法人としてのBBM社にも管理責任ある
    犯罪行為のオンパレードで
    今なら間違いなく背任で挙げられる

  18. 天龍以外パッとしないのに客が入るわけがない。
    何なら天龍だってパッとしないのに。
    その天龍のライバルが不在なのに部屋制にし、並か並以下の選手を勘違いさせてしまった。

  19. 北尾の八百長発言で大人の階段を
    登れた当時高校生のオレ😂
    ひな壇レスラーばかりだったから
    しょうがない😢

  20. スポンサーのやってた事はそれほど間違ってないように感じるが、それ以外の現場がひど過ぎた。天龍のライバルがジョージやカブキではどうにもならんですね。UWF風のレガース付けた石川がスモウタックル、サソリ固めとか失笑以外の何者でもないでしょ。

  21. 最終興行の長崎大会、見に行きました。確かにSWSの長崎大会の中でも1番盛り上がった。結局、天龍頼みになってしまったのかな、仮に武藤が旗揚げから参加しても同じ道を辿った気もする。

  22. まぁ、餅は餅屋ならぬメガネはメガネ屋って事ですね。
    参入に際して「F1とどっちがいい?」というやり取りがあったのは有名ですが仮にF1を選んでもダメだったのはラルース(エスポ、ゲオ)、レイトンハウス、フットワークを見れば明白ですからね。

  23. もし武藤を獲れてればね。確かに寄せ集めで最後まで有機的結合は見られなかった。カブキが一時期ノーペイントで試合してたのって馬場への意趣返しだったんですよね。最後も移籍を切り出して「この間やった金を返してくれよ」と言われ袋入りの札束を突き返した時、胸がすく思いだったと術懐しています。裏切った相手をいとも簡単に許す猪木と違って馬場は裏切った日本人を絶対に許さないからね!北尾VSテンタについては別に謎はありませんよ。単に北尾が未熟で勝手に暴言を吐き、横綱の自分が何で幕下止まりのテンタに負けなきゃならんのだという身の程知らずだっただけです。新日本とWWFの提携料が5千万と聞いたカブキがフロントを口説き落として一億円での提携を旧知の佐藤昭雄に了承してもらったんだよね。東京Dの動員を見たSWSのフロントが「これなら一億円も高くないですね」と言ってもらったのに、新日本系のレスラーからは「外人ばかり優遇しやがって」とヤッカミ。天龍VSジョージや天龍VS谷津でドームが一杯になるかっつーの!(いやいや私はガチガチの新日派です)

  24. メンバーに一流レベルが
    天龍とカブキぐらいしかいなかった
    頭の悪い選手を大量に集めたら
    上手く行く訳ない。田中社長はプロレスをよく知らなかったため選手の
    レベルがわからず悪戯に混乱を深めてしまった。そして本当に悪意の塊で反社会的なター山の暴走が加わって破滅へのレールが敷かれてしまった。当時のファンの頭の悪さも酷いとは思うけど、天龍選手のレボリューション以外は才能もが人気なさすぎて各団体のお荷物になっていたレスラーかリストラされたレスラーばかりのSを好きになる理由がなかった。今となっては物凄く奇異な事に思えますが当時は雑誌だけがメディアでたまたまそこにいた無能な悪人の意見が全てだった。SNSが世界を変える前はター山のような屑がとてつもない権力を握って醜い心のままに私欲を追求出来たんだから恐ろしさを感じてしまう。

  25. 多くのスターになれたであろう選手の運命を狂わせたよね。まあ新しい会社を作って給料も今より上げてやるからウチに来いってのは普通っちゃ普通かね。

  26. はじめまして
    主様の声が秀逸
    超えは作れない。
    感謝しかありません。
    自称プロレス関係者も
    唸る着眼点に驚きしかございません。
    横綱にふさわしいのは主様!
    ありがとうございます。

  27. 残した功績は多いんだけどね。
    お金を出してくれるバックの必要性、今はどこも親会社有り
    道場制は、現在のユニット制に。
    初の、入場に花道を使用。

    不運なのは、北尾テンタ事件、
    鈴木みのるとアポロ事件
    片山明のケガと続いた事。

  28. SWSは意外と特集してくれるチャンネルが少ないと思うので、UP主の解説には期待していました。駆け足でのSWSの歴史、時系列がよく分かりました。田中社長は「失敗したのは選手の引き抜きをした事なんですよ」と語った事が有りましたが、私も田中社長がバッシングに対抗して引き抜き宣言をしたので、SWSに反感を持ちました。SWSに行っても天龍さんは好きだし、頑張ってほしかっただけに引き抜き宣言は頂けなかったですね。後編も視聴させて頂きます。

  29. 結局新日や全日と違って猪木や馬場さんをしたってついてきたわけじゃなく金目当てできtqdq毛で天龍の下でやるのは我慢できなかった天竜にリーダーシップがなかっただけSWSがつぶれたのは天龍が人間的にできたいなかっただけ

  30. 星野勘太郎がw
    泊まり込んで♬選手の
    離脱防止w
    それって1984年の長州軍団の
    離脱騒動の時も♬
    星野勘太郎さんは
    泊まり込みでやってますね‪🤣‬‪🤣‬‪🤣‬

  31. WWFとの業務提携..
    かなりの高額をw
    吹っかけられたんだろうな♬
    新日本プロレスも過去にw
    それが原因で提携解消しましたからね🤣🤣🤣

  32. SWS騒動wの頃は
    まだ ガッツリ週刊プロレスとか
    週刊ゴングとか♬毎週 購読してたので よく覚えてますよ(*^^*)
    当時の週刊プロレスのSWSに対するw
    バッシングが目に余る♪ものが
    あったなぁ〜(*^^*)

  33. 仕事がスタートし週プロは立ち読み😎✨
    特に騒動は知らず
    UWF②がTV📺放映を待ち望み

    さっぱり分からんかった頃

    鶴田が覚醒もTV📺見てないし

    RINGSしか見てないから
    インターと新日の抗争も知らず

    ファイトで
    ゲーリーオブライトの殺人スープレックスには
    興味を持ち

    全日見だしたら
    オブライトは🥲︎

    たまに全日30を見ると川田戦が多く

    川田選手のタフネスぶりには脱帽

    新日に渕選手が単身乗り込んだ際は
    たまたまチャンネル📺つけてたし

    馬場ちゃんは
    度胸満点の渕正信を

    もっと早くから売り出してくれたらね〜🤷‍♀️🤷‍♀️

    最近 天龍が鶴田を覚醒させた流れや
    鶴田の
    自己評価は
    増してます🎉

    天龍オカダを
    TV📺で見せてたら
    オカダを見たかも

    有料放送されたから
    せっかくの天龍引退からのオカダお披露目もしなかったオワコンTV📺

    RINGSも他の猪木ファンは見てないから
    話は噛み合わないし

    UWF①から
    TVは時代を映さずに落ち目に😎✨

    猪木引退試合は久しぶりに録画して

    帰宅してから見て

    BOOK・OFFで馬場猪木の昭和本や雑誌はチラ見

    最近は力道山自伝を2冊読み漁り

    やはり昭和プロレスは面白い💪🔥🎉

    天龍猪木も当時は知らず

    世が世なら全日天龍社長が見れたし

    天龍ファンは
    あの人社長になれたのにと
    居酒屋で零してたしな

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