【実話】17人無差別殺傷の大事件を起こした加藤智大元死刑囚…家族の現在が悲しすぎる「秋葉原通り魔事件」【ずんだもん&ゆっくり解説】

2008年6月8日の日曜日賑東京秋葉原 にトラックで突っ込み横断歩道を歩いてい た人たちを跳ねた後怪我をした人たちを 救護しようとした人や通行人を次々とナフ で差し合計7人もの人命を奪い10人に 継承を追わせた犯人加藤智彼には事件から 14年後の2022年7月26日死刑が 執行されました秋葉原無差別大量人事件と も呼ばれるこの事件の背景にあったものは 何だったの でしょう僕の名前はズンだもン地元の金融 機関に務めるお父さんと専業婦のお母さん 3歳年下の弟との4人家族なのだ今日は お父さんが僕たちのために建ててくれた 新しい王地への引っ越しの日なのだズンダ モンは1982年9月28日青森県御所が 原町で父24歳母27歳結婚2年目の夫婦 の長男として生まれました両親は同じ金融 機関に務めていた先輩後輩の間柄で結婚後 母はいわゆること武器代謝して専用主婦に なりましたズンダモンが生まれた当時は 五所がらしないのアパートで生活していた 一家でしたが弟が万1歳ズンダモンが4歳 の時に青森市内24LDKの家を新築モス グリーンの壁の1戸建てで新生活が始まっ たの です引っ越しから間もい 頃わーんわーん クスクスズンだもンどスタまさか2人だけ で歩いてきたのかおばあちゃんお母さんが お母さんがお母さんがなしたのさ出てい けって言ったのだあれまあそれで歩いて ここまでえズンダモの母親はズンダモンが 幼い頃から我が子とても厳しく教育する人 でしたいたずらをすればズンダモの首を 掴んで2回まで引きずっていき窓から 落とそうとしたり冬の雪が降る中でも薄で 家の外に閉め出したりしました見かねた 近所の人がもう許してあげたらと取りなし てもあの子が悪いことをしたのだからと 取り合うとはしませんででした母に出て いけと言われたズンダモが弟を連れて 泣き泣き頼っていった祖母の家はズンダモ の家からは約4kmの道乗り幼い兄弟には 大変な道中だったに違いありませんしかし 祖母が車まで兄弟を家まで送り届けてもお ばあちゃんに泣きついたからって許される と思うなよという具合に母親に負けず劣ら ず父親もいたって冷ややかな態度でした この頃の一家を知る近所の人たちからは 事件後にあの両親は厳しすぎた逆とけの 違いが分かってなかったんじゃないかと いう証言が続あげられていたそうです小学 2年生の頃2人なし23が624がAとは なんてまだ服覚えてないのごごめんなさい

なのだそんなダメな子にはお仕置きしない とねごめんなさいなのだごめんなさいなの だズンダモンが小学2年生になった頃には お風呂で服を暗証させられ間違えると 仕置きと称して頭をお風呂の湯に突っ込ま れたそうですそんな母親に与えられる罰が 辛くてずんだもんがなくと母親はスタンプ カードを作り泣いたら1つスタンプを押す 10個溜まったらもっと仕置きをするから ねと言われ夏は虫風呂のような屋根裏部屋 に閉じ込められたりずんだもの口にタオル を詰めてその上からテープを貼ったりして いました後にこの頃のことを裁判で訪ね られた母親は全てしつけの一環だが今思え ばそこまでしなくても良かったと思うと 述べてい ますさっさと食べなさいずんだもんご ごめんなさいなのだ急いでいるのだがご飯 が多くてなかなか減らないのだそうやって お母さんのせいにしたいんだねそういう わけではないのだただ単に食べるのが早く ないだけなのだがもういいあんたここから 食べなさいさあここで食べなさい分かった のだズンだもが食べるのが遅いとイライラ した母親は床に広げたチラシの上に 食べかけの食事をぶちまけてそこから食べ させたそうです時にはそれがさらに エスカレートし廊下に巻いたこともあった とかしかしずんだもは文句を言えばご飯を 食べさせてもらえなくなると思い黙って 耐えました信じられないまた失敗したの ごめんなさい許して欲しいのだ全く小学校 5年生にもなっておねしだなんて次は気を つつけるからさらし者にするのはやめて ほしいのだ実は小学校高学年になっても おしが治らなかったズだもですが母は そんなズだもに対し布のオムを履かせて さらにそのオムをこれみよがしに外に干し たそうですズンだもはそんな母に対して 自分より弟への態度の方がまだ優しさが あると持っていましたズンダモンが小さい 頃からあまり夫婦仲の良くなかった両親は ズンダモンが中学生の頃はさらに関係が 悪化しました父は家に寄りつかず母と ズンダモと弟は黙って食事をすると後は それぞれの地質で過ごし1つ屋根の下に 暮らしていても冷えとした家族関係でした はイライラするのだこの気持ちをどこに ぶつけたらいいのだ祝しこんなことがし たいわけじゃないのにでもどうしてもやめ られないのだ中学卒業が迫ってくると ズンダ門はそのフラストレーションを実質 の壁を殴ることで解消するようになって いき部屋の壁が穴だらけになってしまう ほどでした高校

入学今日は高校の入学式なのだこの高校は お母さんの母校でもあるけど僕が入学し たいと希望したわけじゃないのだ思えば お母さんは僕の夢を否定し続けてきたのだ 子供の頃大工さんになりたいと言ったら なんでそんなものになりたいのよと言って こき怒られたのだ小さい時からずっとこの 高校へ入学して北海道大学に行けて言 聞かされたのだ小学校中学校と成績もよく スポーツもできたずんだもんしかし母は テストは100点で当たり前という考えで 作分やが工作読書感想文まで全て指示通り に仕上げないと厳しく出席されていました 学校に来ていく服もお母さんがきねていた し部活動もお母さんの気にいるものじゃ なきゃダメだったのだ友達を家に呼ぶこと も許されなかったし中でガールフレンドが できたもそんなもん成績のプラスになら ないでしょと反対され彼女からもらった 手紙を冷蔵庫に貼り付けられたのだあの子 と付き合うのはやめなさい付き合いをやめ ないと転校させるとで言われて仕方なく 別れたのだ何もかもお母さんのいのままで 僕の死体性なんてどこにもないのだ高校 進学後なんだか燃え尽きたような気がする 全く勉強に身が入らないのだ入学して最初 の試験はビリから2万目だったのでさんは ひどく分外していたけど仕方ないのだだ から志望校を北大から変更したいと言った のだがだったら合格したら買ってあげる 約束の車は買わないからね遠こってしまっ たのだおかしいと思うのだ僕は今まで お母さんの望む通りに行動してきたのだだ からお母さんが約束を破るなら僕も4年生 大学には進学しないのだズだ門は元々母の 暴行ではなく別の高校への進学を希望して いましたどうしても同じ高校へ行かせ たかった母親は大学に受かったら車を買っ てあげるとズダ門を説得しましたそれを 信じて進路を決めたズダ門でしたが母の 希望通りの大学に進まないことを宣言する と母だったら車は買わないと言い出します ズンだ門は母に対して目にはめ羽は歯とわ んばかりに母の望みとはまの進路を選ぶ ことで約束を破った母に講義の意を示した のです21年4月短期大学進学高校を卒業 した後ズンダモンは遠く離れた付県にある 自動車整備士要請に特化した私立の短期 大学へと進学しましたはトヨタで自動車を 設計したいと思ってこの学校に入ったのに やる気が起きないのだそれもこれも父さん のせいなのだ奨学金の支給を受けているの にそれが父さんの口座に振り込まれていて 僕には渡してくれないっておかしいのだ どうしてこんなことを父さんはするのだ

よしこうなったら自動車整理士の資格を 取らないのだそうすれば父さんはなぜ だろうと考えるのだそして考えるうちにあ 奨学金を渡していないことをズンダ門は 不服に思っているんだな解いてくれるに 違いないのだ小学金のことで父親に対する 不満を抱いたずんだもでしたがいつもの ようにその不満をストレートにぶつける ことはなく父親が自ら築いてくれることを 期待しましたしかしその期待は破れさらに 大切にしていた1台100万円以上の バイクも事故で敗者になってしまいずんだ もはますます自暴時期になってしまいます 需要は真面目に受けず両でも同室の友人に 迷惑をかけるようになり卒業後のことを 尋ねてきた教員には教員取得を取得したい ので国立広崎大学に編入するのだと語って いましたがそのためのアクションは何も 起こさず卒業前には等々量も追い出されて しまいます何の資格も取得できず進路も 就職も決まらぬまま単体を卒業することと なりました2003年4月短大卒業仙台へ 岐阜を離れたずんだ門は青森時代の友人 たちが住む宮県仙台市へと向かい友人の 部屋で位相浪を始めましたしかし最初に 転がり込んだ友人は東京での就職を見つけ て転居してしまいますあのアパートが借り たいのでお金を貸して欲しいのだ仕方なく ズンダ門は母親に連絡を取り愛鍵を渡す ことを条件にお金を貸してもらいますセハ は変えられないから仕方ないのだ2003 年7月になり警備の仕事についたズンダ モン仙台のズンダモのアパートの近くには 東京に行ったのとは別の青森時代の友人が 住んでおり札幌の大学に進学した青森の 友人たちもしばしば遊びに来て仲良くして いたそうです仕事の方は順調でやがて巡 社員となったズだもでしたが固定級となっ たため時給で働いていた頃より手取りが かなり減ってしまいました2004年の春 よっしゃこれで僕も今日からドライバーな のだズンダ門は運転免許を取得しました 走行距17万kmのスバルインプレッサを 30万円で購入し車いじりに夢中になり ますタイヤ山フラー様々なパーツを購入し ちょっと暗いならなんとかなるのだと消費 者金融に手を出し始めてしまいました一方 事はというと先代の警備会社でまたもや 言葉ではなく行動で自分の不満をアピール したのですが理解してもらえず勢いで会社 を辞めてしまいます2005年3月親には 言いたくないから黙ってアパートを 引き払うのだどうせやめたならずっと年間 だったトヨタで仕事がしたいと思って非 観光の面接を受けたけど不合格だったのだ

仙台の友人宅に転がり込んでいたずだもん でしたがしばらくして埼玉県押しにある 自動車メーカーの工場の仕事に着くことに なり埼玉に引っ越しましたよし今度こそ 頑張るのだなんと言っても僕の好きな自動 車関連の仕事だからな日8000も 100円だけど人間関係は悪くないし作業 もやりがいがあるのだ月収は27万にも なるし不満はない休日には木原に来て ゲームを見たりできるしメイド喫茶の メイドさんに会いに来るのも楽しいのだ ズンダモは一見埼玉での生活に馴染んで いるように見えましたが青森時代の友人 たちとは岐阜の短大時代以来始めて疎遠に なってしまい短大時代は少なからず一緒に バイクに乗ったりゲームをする友人がいた のですが埼玉では全くの1人ぼっちになっ てしまいましたその反動からかんだもは 携帯サイトの掲示板にのめり込んでいき ますそうだそろそろ新しい車でも買うのだ 今度はスポーツカーがいいのだ埼玉での 仕事がうまくいき始めた頃にズンダ門は マフラー改造済みの松田のスポーツカーを ローンを組んで70万円ほどで購入しまし たしかしズンダ門には仙台時代の消費者 金融での借金が残っており新しい車の ローンと重なって次第に生活が苦しくなり 始めますやばいのだこうなったら日曜日も アルバイトでもするのだなんとか返さない と大変なのだ借金に追われる生活に余裕を なくしたズンダモンは些細なことで揉め事 を起こしそのことへの講義として無断で 代謝し会社の刈上げ量からも出ていって しまいます自分の不満や怒りを言葉では なく行動で表現してしまういつものずんだ もの行動パターンがまたしても現れたの です仙台の友人のところに一旦転がり込む と休みを取って遊びに来たのだと嘘ついて 時間を稼ぐ間に新しい仕事を見つけ今度は 茨城県つばに向かいます2006年5月 茨城県つば今度の工場は住宅関連設備の 工場なのだまた両生活だけど前と違って ワンルームの個室だし場環境もまあまあな のだつばでの仕事は充実感もあり同僚との 関係も良好だったものの親しい友人はでき ず埼玉時代と同じく秋葉原に通う以外に 休日にすることのないズダ門はさらに掲示 板にのめり込みました僕にとって掲示板は 変える場所なのだ今の僕の存在を認めて 受け入れてくれるのは掲示板だけなのだ ところがある日掲示板でトラブルを起こし たズダ門は一気に掲示板の仲間から避け られるようになってしまいました阻害感を 強めたずんだ門は世中にイけがさして自ら このよ去ることを思いつきその結構場所を

故郷の青森のとあるバイパスと定めます 職場を無断で放棄すると車で仙台や秋田を 経由し青森に到着しましたこれから トラックに車で突っ込んでいくのだ友人 たちにメールを一斉送信すると次には2年 ぶりに母に電話をかけますこれからあの世 に行くのだぞなんですってちょっとズンだ もんおいズンダもンのメール見たか見たよ どうするあいつ本気なのか俺メールするわ 友人からのメールを最後に見たいと思った ズンダもはハンドル操作を謝り車を壊して しまったため計画は失敗に終わります ごめんねずんだ もんよく帰ってきたね子供の頃あんなに 辛く当たってごめんね悪かったよどどうし たのだどうして母さんがこんなに優しいの だ抱きしめられたのなんて生まれて初めて なのだしばらくゆっくりと休むといいわ家 にいていいんだからびたズンダ門は3年 ぶりに実家に帰りました母はズンダ門を 温かく迎え入れ昔の自分の教育の雪過ぎを 謝罪しました実はズンダモンが短大に進学 した後ズンダモの弟は高校を早々に中退し 一時期は引きこもりになっていたのです さらにズンだ門が食を点々としていたこと で私の教育が間違っていたのかもしれない あんなに優秀だったはずの息子たちが2人 ともこんな人生になったのは私のせいなの かもと母は母で反省を深めておりズンダ モンが起きする1年前お前たちがこうなっ てしまったのは私のせいねごめんなさい 母さん分かってくれたんだねと弟と和解を 果たしていたのです母親はズンだ門に対し て完用な態度で接し友人たちも歓迎会を 開くなど温かく接してくれました当時単身 不妊中の父のいない実家で母と息子だけの 暮らしが始まったのですやがてズンだ門は バスやトラックの運転手になりたいと考え ますだったらお金を出してあげるから大型 免許を取ったらお母さんありがとうなのだ お母さんのおかげで大型免許も取れた ズンダ門は未経験者でも採用していた地元 の運送会社に就職その終了前には友人のB 君と特定のゲーム機を置いてあるゲーム センターを巡る旅を企画し正月休みを利用 して途中の都道府県のゲームセンターに 立ち寄りながら京都まで車で往復する旅に 出ました自分の運転を信用してくれて 嬉しかったの だ2泊3日という教皇軍でしたが友人にも 恵まれてズンダ門は2007年地元での 新しい生活をスタートさせました毎朝午前 3時起きは辛いけど僕の牛乳を待ってくれ ている人がいるのが嬉しいのだズンダ門は 給食の牛乳を配達する仕事につきました

真面目で丁寧な仕事ぶりが評価されて入社 してすぐに社員に昇格したのです友人たち とは楽しくやれているしカーさんとも 仲直りできたのだ仕事も安定したしあがい もあるし同僚もいい人たちなのだお金の 問題もなくなったしなんて毎日幸せなのだ 言うことなしの毎日を過ごしていたズだも でしたが完璧に見えた毎日が破綻し始める のはわずか2ヶ月ほど後のことでした世界 崩壊の始まりズンダもン父さんと母さんは 離婚するんだへそんな家族の再生を願い 始めていたズンダモンに両親の離婚はね耳 に水の出来事でした2007年7月ズンダ モンは実家を出て運送会社の近くで 1人暮らしを始めましたそれと同時に掲示 板への熱が復活し仕事やリアルの友人との 付き合い以外の時間は掲示板への書き込み に費やすようになっていきました同じ時期 にネットの出会い系サイトで1人の女性と 出会いますこの人きっと彼女はいないん だろうな彼女は初対面の時にずんだ門に 対してそう思ったそうですその後この女性 と何度か遊ぶことになり僕と一緒になれば いいのだそれはないからというやり取りの 後しばらくして彼女が目を変えたことで 交際は終了してしまいました見れないぞ ナイスな企画を思いついたのだいつも通っ ている掲示板の常連を訪ねて全国を回って みたい最後に北九州の管理人にあって感動 のフィナーレを迎えるのだ夢が広がり まくりグせっかく思いついたけど会社員を しながらじゃ難しいのだ企画を立てた ズンダモンはせっかく就職した運送会社を 2007年9月中旬に辞めて旅に出ました 掲示板の常連のところを尋ねる途中 メンバーのうちの女性にす好きです 付き合って欲しいのだと打ち明けたものの あっさり振られてしまいますたどり着いた 北九州であった管理人に慰められて青森に 戻ります仕事も勢いでやめてしまった家族 も笑笑で居場所がない今度こそ行くのだ もう寂しいのは嫌なのだ旅企画の時に降ら れた彼女からだ二十歳になったら会いに 行くね今19歳だからあと半年で会いに来 てくれるのだ生きていく目標ができたのだ ずだはって就職活動を始めるもののやがて 彼女が実はまだ18歳であったことを知り ます約束は1年半も先ということになるの だそんな先の約束なんてわからないのだ やっぱりもうあの世へ行こうかな中央線に 飛び込んで夢の世界へ旅立ってやるのだ 事故により電車の到着が遅れておりますあ 誰かに先起こされたのかなんてこった しばらく電車が来ないのだこうなったら車 の中で衰弱するのをのだズンダ門は秋葉原

駅で飛び込みを測りますが断念し駐車場に 止めた車で半月もじっとしていまし た管理人から半月も同じ車が止まって るって通報があったけど君はここでいつ から何をしてるの命が尽きるのを待ってる のだ青森ナンバーじゃないか俺も北海道の 出身だ同じ北に育ちだな若いもが早まった げね管理人さんも駐車場台は待ってくれる とさもうぺ頑張ってみれ知らずの僕のこと を信用してくれたのだ信頼に答えないと いけないの だ1年発起して派遣会社に登録して静岡県 裾市にある自動車工場での仕事を決め塗装 チェックを担当するようになりました仕事 はきついけど好きな車の仕事だ頑張るのだ お給料が溜まったら年末に手土産を持って 駐車場台を払いに行くのだ遅くなって 申し訳ないのだ休みの日は仕事仲間と遊ぶ ようにしよう秋葉原に遊びに行くのだ額 たいやいる行く行く仲間4人で鍋 パーティーするのだやるやるズンダ門は 仕事にせを出し猶予されていた駐車場台を きちんと支払いましたこの頃は会社の仲間 との関係も良行で一緒に遊びに出かける こともありましたそんな中ゴールデン ウィークに父親に借りたままの軽自動車を 返すために青森へドライブに行った時よく 考えてみたら僕は車のローンも踏み倒した し借りていたアパートも夜逃げ状態のまま なのだもしも地元の友人に接触したりし たら迷惑ををかけてしまうかもなのだズだ 門は誰にも合わず車をショッピングモール に放置して裾の島で戻りました家族は崩壊 したし区切りを重ねた故郷には戻れないの だ地元の友人たちにはもう会えない僕が 帰ることのできるリアルない場所はもう ないのだズンだ門はこれまで故郷の青森で 自分に不都合なことがある度に行方を くらませ周りに迷惑をかけてきました地元 に寄りをなくして舞い戻った静岡で傷を 追った心に追い打ちをかけるような握手が 続きますすまんが生産調整なんで6月中に は解雇させてもらうよ嘘でしょ破リりって やつなのだ仕事がなくなってしまったあれ 僕の名前で掲示板を荒らしまくってるやつ がいるのだこのハンドルネームは前に トラブルで使えなくなったやつ荒らして いるやつが僕だと思われ始めている なりすましこよやめるのだじゃないと僕は ひるぞ僕がったらなりすましのせいなのだ 派遣切りで仕事を失いさらに掲示板でも なりすまし被害にあって追い詰められた ズモは自決をほのめかして抵抗しますが なおもなりすましはやまず最終的には荒れ たスレッドに誰もいなくなりました

2008年5月31日もう何を書き込んで もレスがつかないのだもうすぐ樹海なのだ 仕方ないのだ僕は嫌われもだから必要の ないものは猿のみなのだひばを合法にすれ ばいいのに挑発しても常連すら反応しなく なったのだなりすましと荒しか書き込んで いない2008年6月3日には書き込みは ずんだもんただ1人となってしまいました いくら書き込みをしても反応がないことに 焦り孤独を深めたズンダモンは変身を求め てさらに書き込むという悪循環に陥ります 1日200件以上も書き込みを行ってい ましたが誰からも返信はありませんでした そうだ何か事件を起こすて言ったらどうな のだそうしたら誰か心配したり止めて くれるんじゃないのかこうして誰かの気を 引くためのネタとして始まった反抗計画が が坂を転がる雪玉のようにどんどん 引っ込みのつかないものへと変貌を遂げて いったのです2008年6月5日朝から 掲示板に書き込みをしても何の反応もない のだ管理人になりすましについて訴えても 何もしてくれないのだイライラするまだ 何かに期待してる自分にイライラするのだ どいつもこいつも僕のことを無しやがって 顔だよ顔全て顔とにかく顔顔顔顔顔顔なの だなりすまし被害によって受けた心の ダメージが女性に相手にされなかった過去 の傷にも染みてしまったのか容姿に関する コンプレックスを吐き出しながら明け方の インターネット掲示板に連投し続けた ズンダもンその後気を取り直して仕事に 出かけたもの のいつも選択してぶら下げてあるはずの つなぎがないのだどうなってんだよこの 会社はやめろって言いたいのかずんだもは 月光しぶら下げてある他のつなぎ全てを床 に叩きつけ缶コーヒーを壁に投げつつける とそのまま工場を出ていきましたズンだも のつなぎ発見電話して教えてやろう先輩 から確信なの だもう知らんのだムシムシ ズンダも君帰っちゃったって聞いたよ君の つなぎが他のところに紛れてしまっていた ようだどうか機嫌を直してくれないか今日 は休ませて欲しいのだ見つかったつなぎの ことを知らせる先輩の電話も無視して アパートに帰り先回りして待っていた会社 の人のセットにも応じず部屋に入りお酒を 飲んでいたのです2008年6月6日午前 2時48分やりたいこと人転ばし夢は ワイド消毒線なのだ明後日の秋葉原の歩行 者天目をナイフでめちゃくちゃにしてやる のだ通販で買っても間に合わないなズダ門 はナイフの購入のためだけに静岡県裾野市

のアパートから御殿場線東海道線新幹線 北陸線を乗り換え福石まで出向きナイフ などを購入しています店では収支やかで とても2日後に社会を新刊とさせる事件を 起こす人間には見えなかったそうです 2008年6月8日東京 秋葉原ほんの数人こんな僕に長いこと 付き合ってくれてた奴らがいる全員一斉 送信でメールをくれるそのメンバーの中に まだ入っていることが少し嬉しかった車で 突っ込んで車が使えなくなったらナイフを 使えますみんなさようなら 時間 です門は歩行者天国が始まった後の6月8 日午0時33分頃沼津で借り受けた レンタカーの2tトラックで赤信号を無視 しもスピードで交差点に突入横断歩道にい た計5人を跳ねてうち2人の男子大学生と 無職の70代の男性の計3人が命を落とし ましたズンダ門の強行は名も止まりません トラックを降りてナイフを握り逃げ惑う人 たちに向かって突進します おおそこまでだきえ止まれ堤防ごときで 止められるものかなのだこれは純色かも しれないだが市民を守らなくては邪魔を するな打つ ぞトラックを降りたズンダモンは福井で 購入したナイフを振りかざして交差点に 駆りながら計12人を次々に差しました 携帯で100登板通報していた女子大生 など計4人が命を落としました跳ねられた 5人を救助していた人たちを襲ったズンダ モンは駆けつけた警察官と退治し最後に 拳銃を向けられるとナイフを取り落として 座り込みすすり泣きましたズンダ門を パトカーに乗せた後警官が自分の大波防護 ベストを見ると左胸と脇腹の3箇所に刺さ れた後がありましたこうしてズンダ門が 現行半逮捕されたのは午後令時35分 およそ2分間の強行でしたズンダ門は女性 被害者を手にかけようとした容疑で現行犯 逮捕続いて6月20日に7人の命を奪った 容疑で再逮捕9月30日には9人に重継承 を追わせた容疑で追走権10月9日2警官 にナフで切りつけた容疑で追走権されまし た10月10日にずんだ門は起訴されまし た3ヶ月間にわって行われた精神鑑定の 結果統合出張症などの疾患などは見られず 完全責任能力ありと判断されましたズンダ 門は初後半を前に7人の遺族や重継賞を 追った被害者たちに謝罪の手紙を送りまし た手書きではあったものの全て同じ文面の 手紙に対し受け取りを拒絶したり誠意が こっているとは思えないと捉えた人も多く いたそうです2010年1月28日東京

地裁初後半まずはこの場を借り手を詫び させてください亡くなられた方怪我をされ た方ご遺族には大変申し訳ありません僕に できるせめてものつなはどうして今回の 事件を起こしてしまったのかを明らかに することです唯一の居場所だったサイトの 掲示板が荒されて書き込みがほぼ消えて しまい自分の存在を認めさせ復習したいと 考えのですね事件を起こした原因としては ネット上の掲示板への嫌がらせです僕は 言いたいことや伝えたいことを言葉では なく行動で示して相手に分かってもらおう としてしまいますこんな行動を取って しまうのは母親の影響だと思います 派遣切りにもあっていますね底辺労働者と して扱われ社会に恨みがあったのでは事件 と関係ありません派遣先にも恨みはあり ません私はずだもがなぜ今回の事件を 起こしたのか分かりません害者や遺族の方 には申し訳ないと思いますが経済的な損害 賠償は不可能ですずんだもを見放すことは なくできる範囲で答えていきたいです犯罪 市場まれに見る凶悪事件で人間性のかけら もない悪魔の所要命を持って罪を償わせる ことが 正義検察側は前回後半で直系を休憩して いるが責任能力の有は解明されていない仮 に責任能力が認められても系を貸すべきで はない現在は公開しており構成の可能性が あるとして責任の重大さを修正考え苦しみ 抜かせることがふさわしい系回避を求め ます初後半以降13ヶ月をかけて29回も の心理が繰り返され系を求める検察側と 極刑回避を求める弁護側が対立しながら 第一審の裁判は判決の時を迎えます 2011年3月24日第一審判決後半被告 は事件前に3回も計画を遂行するかどうか 悩んでいるし逮捕後は警察官と話して涙を 流しており善悪の判断能力や行動制御能力 に疑問を差し挟む余地はない事件の遠因に は母親が原因と見られるズダ門の人格の 歪みがあるしかしズダモンは事件当時25 歳を過ぎていて正育歴とが与えた影響は 限定的で刑事責任を大きく現示させるもの とは評価できない事件を思いついた発想の 危険さ反抗対応の残酷さ次々と人の命を 奪った必要さや冷酷さはいずれもズダモ 自身の人格にねざしたもの一面識もない無 防御な通行人を次々に手にかけた刑事責任 は最大級に思い被告人を直系に処する ズンダ門には直系の判決が下りました父親 は判決後の5月なのか青森しないで取材を 受け真中を語っていますよそ様と比べて 教育がそれほど違っていたとは思いません 私らとしては見守るしかない一心の直系

判決の後控訴したズンダ門でしたがズンダ モ自身は知てせず被告認質問も行われませ んでした2012年9月12日に迎えた 控訴心判決は高速客一心に引き続いての 直系指示となりましたご両親の陳述所も 読み上げたんだがだめだったね2人は なんて言ってるのだ責任は息子だけでなく 私たち親にもある被害者や遺族の方々に心 からお詫びしたい一心の時と言ってること が違うのだ両親は僕に向き合うことより 世間を選んだのか結局どこまで言っても僕 たち親子は分かり合えることはないんだ 2015年2月2日2審判決後ズンダ門は 最高裁に上告しました事件から7年後の 2015年2月2日ズンダモンに下された 最高裁の判断は本件上告を棄却する本件は 秋冬な準備のも強固な意思に基づき観行さ れた無差別事件であり結果は極めて重大で あって社会に与えた衝撃は大きいズダ門は 派遣社員として職を点々とする中で社会へ の不満を募らせるとともに孤独感を深めて いたところネットの掲示板内で嫌がらせを 受け派遣先の会社内でも嫌がらせを受けた と思い込み嫌がらせをしたらにその行為が 重大な結果をもたらすことを知らしようと して反抗に及んだ同期経緯に借用の余地は 見い出せない上告は棄却されこの歪んだ門 の極刑が確定しました2022年7月26 日事件から14年後の2022年7月26 日第2次最新請求中だったズンダモは東京 高知所で系に処せられました今年39歳 でした軽の執行に際してのズンダモの言葉 は伝わっていませんが死刑囚表現点という 展示会に2015年から毎年イラストや エッセを起行しています2018年には 人生ファイナルラップという挑発的な作品 も応募しています母の攻撃さがアパッチ見 ての振りのもしくは2人だりのチ帰りたく ないそんなうち人生あと何周平成のよに 昭和の風習あこでしか通じぬ優秀飛びつい たのは派遣模集俺は母の夢叶えるマシ 生きる意味なし魂虐待しより少しマシ黙れ リア充やかましい残り人生あと何周不満は ない安い月収禁していない顔のび望んだの は居場所の補修公式かかって来いや首肉 食い込むザタワや 超えられないやあとはよろしく や読書家だっただけに自分について書かれ た様々な本についてそのことごとくを否定 してきたズンだもんラップの中でも精神 分析する野者真意虫ならもういいやときっ て捨てていますがズンだ門の真意とは何 だったのかそしてそれを理解してくれる人 は本当にただ1人もいなかったのでしょう か兄のずんだもは自分のことを母のコピー

だというその幻なら自分もまたコピーと いうことになる兄がコピー1号だという なら自分はコピー2号に過ぎない事件発生 から6年が経過した2014年にずんだ門 の弟は自ら命を立っています親しくしてい た雑誌記者に送った長い文章にはせっかく 馴染めていた職場をやめていこうわ自分の 主情がバレないように人と深く関わらない ようにしてきたこと仕事も住居も点々とせ ざるを得なかったことやそれでもすぐに マスコミに転居先を嗅ぎつけられて障害 ただ1人だった恋人との関係も壊れたこと を綴り自分たち兄弟のことを振り返った後 亡くなっています母も事件を受けて メンタルを闇入院その後に母が身を寄せた 実家では祖母が救世してしまいます父も 務めていた金融機関をやめざるを得ずその 後はマスコミの取材構成に追われて夜も 明りを灯すこともなく息を潜めるように 暮らすことをよぎなくされたそうです弟は 自分を加害者家族に下ずんだモトの面会を 望み5通以上の手紙を高知書に送り続け 実際に何度か足も運びましたしかしズだ門 は変身を出すことはなく面会も差し入れも 全て拒絶したままでした弟が自ら命を立っ てから8年後形状に向かうずだ門の今中に 弟の姿が浮かぶことはあったのでしょうか 長年に渡る母親との革質の中で死体性を なくし周囲の人間に対する怒りや不満講義 といっった感情の伝え方をはき違えていた 犯人でしたが一方ではメディアによって盛 に検電された労働環境の厳しさ学歴社会の 歪負け犬と見なされることへの怒りといっ たものが反抗同機ではないと後半の中でも 出版した4冊の本でも繰り返し述べてい ます事件から16年近くが経過した今 私たちは秋葉原通り事件についてもう一度 考えてみる必要があるのではないでしょう [音楽] か

【実話】17人無差別殺傷の大事件を起こした加藤智大元死刑囚…家族の現在が悲しすぎる「秋葉原通り魔事件」【ずんだもん&ゆっくり解説】

ご視聴ありがとうございます!
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https://www.youtube.com/channel/UCmeDAX1o1BDHq0sQ0xkDk7Q

こちらは実話をもとに作成した創作ストーリーです。
特定の個人・団体を非難する、誹謗中傷する目的での投稿は行っておりません。

また、こちらの動画では
過去に起きた事件の詳細や犯人の生い立ちを解説することで
同様の事件を起こさない方法を考えるためのきっかけを作ることを目的としております。

▼お借りしている素材▼
VOICEVOX:https://voicevox.hiroshiba.jp/
立ち絵(坂本アヒル):https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10…
いらすとや:https://www.irasutoya.com/
ポケットサウンド – @pocketse

▼参考資料▼
・毎日新聞
・チャイナネット
・J-CAST ニュース
・産経ニュース
・読売新聞オンライン
・JIJI.COM

#ずんだもん#ゆっくり解説#事件

33 Comments

  1. 毒親の犠牲者なのかとおもってたけど、本人も結構移り気な気分屋とわかってモヤモヤ…被害者の方がとにかく無念だろうに…

  2. 学生時代に支配的な親によって彼女と別れさせられた事、母親との関係改善によって初めて手に入れた家族を離婚によって奪われた事で、深い孤独感を感じ掲示板依存になったのかも知れません。子供は親に認めてほしいと思うものですから、ちゃんと褒めて認めてたら彼の人生は変わったかも知れません

  3. 私も似たような家庭環境だっただけにツラさはかなりわかる………
    が、無関係な人を犠牲にしては駄目だ。
    何の意味も無いし何の価値も無い。
    何も良い結果を生み出さない。
    自分を虐げた奴等より酷い奴に成り下るだけなのよ。

    この両親は自分の子供を自分の所有物、玩具の類としか思ってなかった。
    自分の意見を全て肯定して受け入れてくれる子供がくれる無償の愛に溺れて取り返しのつかない事をやってしまった。

    終いには弟さんまで………
    ホントにやりきれない。
    せめて慎ましやかで良いから人としての生活がちゃんと出来ていれば………
    あんな2ちゃんねるみたいなカオスな場所に入り浸っていなければ……

    事件を起こしたりしてはいないが、
    加藤の様にツラい境遇の人はまだまだいるのだろうか?と思うと……

  4. こういう言葉を出すのは大変に失礼と思いながら、犯人は幼いころから、両親の愛情を受けて成長していれば、とても良い大人に成長したと思います。頭がよく律儀で、他人の気持ちを汲み入れる面もあり、犯人を狂わせたのは間違いなく親だと思う。

  5. 同じ両親の被害者同士だったのに加害者家族にされ、やり直そうとした人生を崩された弟の事を思うと辛すぎる
    面会もやりとりも拒否され自殺するしかなくなった弟のことを加藤はもっと考えてほしかった

  6. もう少し何かが違えば、あんな事件も起こさず普通に生きていけた奴だったのかな。
    ところどころ真人間の節はあったのにな…

  7. 今まで生きてきて、ある程度の事件を報道で見てきた。そこで思うのが報道には隠されたバックグラウンドは確実にあるということ。
    我々は裁判官ではない。裁く人間ではない。だからこそ考えないといけないんだと思う。加害者を否定するだけなら、第二第三の加害者をもしかしたら自分たちが生み出してしまうかもしれないのだから。

  8. 事件は許されないけど、虐待でひん曲がるのはすごくわかる。
    自分は絶縁に成功したけど、一度暴力に適応した人間は平和な世界には適応できないことがある
    自分もいつか同じ轍を踏まないか不安で仕方ない

  9. 私も、同じような虐待を受けてきたから、
    みんなが「虐待のせいでこうなった」って言ってるのが
    イマイチ分からない。

  10. 観ていて頭がおかしくなりそうだった…精神的に参ってるのか
    死刑が執行された当時のコイツより、まだ自分が若いから将来こうなりそうな想像ができてしまうのが怖い…

  11. 幼少期に耐えがたい経験を何度もすると、
    精神を守るために、
    意識に対して脳が「これは現実ではない」と誤認識させるそうですね。

    そもまま成長すると、つらい経験をした時に、
    「現実ではないから何をしてもいい」と無意識に思ってしまうそうです。
    だから、思いついた行動をそのまましてしまうんですよね……

    自分も幼少期は似たような境遇ですので、
    成長した現在では、
    つらい体験をした時には「これは現実だ」と自分に言い聞かせて、
    とっさに思い付いた事は絶対にせず、
    しっかり熟考する事を心がけてます。

  12. 親がクズ過ぎて無差別殺犯なのに、主犯がこのクズ親で犯人が従犯に見えてしまう。でも、犯人は死刑でしか罪を償えないとは思う。クズ母親は悲劇のヒロイン面で泣き真似しながらしぶとく生きていくんだろうな。

    この両親も死刑にしてほしいくらいだ。

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