【史上最長片道切符12-1】海の車窓が一番美しいローカル線を見つけました。 山陽線・呉線 西条~仁方

えおはようございますいや東広島結構寒 いっていうのは聞いていたんですけれども やっぱ寒いですね今日は第12日目え1月 20日の土曜日ですまとりあえず西城駅 方面に向かうバスに乗って在来線駅まで 到達しないとなあれかなご乗車ありがとう ございますこのバ は [音楽] え20分かけて最上まで戻ってきましたえ またですね山陽本線を引き続きえ乗って いきますえこっからえ東に40分ほど三原 駅まで行きえ三原駅で乗り換えです 乗り換えるのはクレ線えクレ線の途中駅 新潟という駅単なる無人駅の1つに過ぎ ないんですがえなんと昔はですね連絡線が 接続していました非常にマイナーなんです が新型航路と言いまして連絡線でですねえ 四国に渡ることができたわけです四国では またマイナーなえ予算線の堀江駅まで行っ てえそっからちょっとだけ乗ってえ松山ま で今日はゴールとしたいと思いますいや運 が良かったな待ってたらちょうど貨物列車 が広島方面からやってきましたよでも1両 しか機関車は繋いでいないですねEF 210型多分そんなに貨物列車の重量が 多くないんでしょう [拍手] か僕が無知なだけでしたけれども補助の 機関車は一番この後ろにつけていますね今 係り員さんが連結を解く作業しております 機関車の連結が解除されましたあの 入れ替え灯と言いましてえま白い前哨灯と え赤い美島これを両方つけていますこれだ と駅校内をこの機関車は移動していますよ とそういう合図になるわけ です発射していきました補助の機関車はえ この前の機関車が出発してさらに僕が乗る 電車が出発していったらあれもですね前進 していきまして向こう側にある引き上げ線 に入ってまた広島方面へと折り返していく んだと思い ます助機関車の連結を解く作業が見れて すごく楽しかったですこういう風に貨物 列車に補助の機関車を連結する例は最近 までここでしか見られなかったんですが なんと今年2023年に入ってから大阪の 都心部でも見られるようになっています 元々地上を走っていた線路が地下に移設さ れて勾配がきつくなったのでここと同じ ような運転がされるようになりました最上 駅何本か電車が留め置かれています補助の 機関車を置くスペースが昔ほどは多く必要 なくなったのでえ代わりに電車を置いて いるとそういうことでしょう高原地帯に

ある西城から海沿いの見原までゆっくりと 列車は勾配を下っていきますあまり こっち側は勾配がきつくないので補助機関 車とかは必要ありません西城から2駅行っ た白市駅広島空港の無駅として有名です 広島近郊と呼べるのはこの白市あたりまで でしょうかここから先は一気に本数が減っ ていきます白市までは日中15分に1本 電車があったんですがここから先1時間に 1本の区間です確か23年ぐらい前まで 30分に1本あったと思うんですがコロナ で利用者が減ったの気に国鉄時代と同じ 本数まで戻ってしまいました車窓もかなり 山の中に入ってきたなという感じで一見 すると大幹線を走っているとは思えない ような景色です東広島市内最後の高知駅駅 に面白い看板がありましたJRを利用して シティ電車の延長ともう今ではシティ電車 っていう呼び方はほとんどされないと思い ます多分国鉄からJRに切り替わってすぐ の平成初期からずっと置いてある看板なん じゃないでしょうかね高知駅の利用者は 平成の初期には結構いて1日2000人も の人があの乗車しっていたんですがもう今 ではその1/5以下にまで利用者減って しまっています少子高齢化と車社会化の ダブルパンチでまここまで減ってしまって いるんでしょう山陽本線は沼川が作り出し た渓谷に沿って進んでいきますこの区間 結構景色は綺麗でしたねその自然が続く 景色の中いきなり巨大なアチ教が現れます 広島空港大橋とという名前でアーチ部分の 幅が日本で1番長いそうです2011年に 完成しましてこのアーチの部分はマツダ スタジアムがそのまますっぽり入るぐらい の幅になっていますかなり巨大です名前の 通りあの橋を渡ったらすぐ広島空港で おそらく広島空港を出たと思われる飛行機 も飛んでいる姿が見えました基本的に沿線 はのどかな田園風景ですごく美しいんです がこういう風に谷がすごく狭まっている ところもあって結構地形の険しさも感じ られます前回ちらっと話しましたが山陽 本線は基本的に山陽道っていう昔からの 街道筋に沿って建設されましたがこの西城 と三原の間については山陽道とは全然違う 場所に線路が通されていますおそらく地形 が険しすぎて江戸時代以前の技術だと街道 を通すことができなかったんでしょうね 住んでいる人も少なくてさっきの高知駅 から次の駅までなんと12kmも駅間が 開いていますその険しい谷筋の区間も 終わり高速道路や町が見えてきました次の 本郷駅からはサド旧山陽道に沿って線路は 進むことになります川の対岸に険しい岩山

がそびええその中腹ありを山陽新幹線が ズバっとトンネルでぶち抜いていますこの 山の上に新高山城という戦国時代のお城が あって一時期は武将小早川市が本拠地とし ていたそうです小早川が三原に移った後は 山陽道の宿町として発展してえ現在では 三原のベッドタウンのようなところになっ ています険しい山々を30分かけて降りて きました次が新幹線も停まる三原駅です駅 は1970年代に高架の駅になりまして それに伴ってこの区間線路の付け替えが 行われています今では目の前の山を トンネルでぶち抜いてそのまんま見原の 高架駅に入っていきますが元々は向こう側 まで山を迂回して走っていたみたいです トンネルを抜けるとすぐに見原の町が 広がります人口およそ10万人他の瀬戸内 海沿岸の町と同じく工業が発達しています 江戸時代まで広島班の市上三原城の城下町 として栄えていたんですが明治初期に鉄道 が伸びきた時になんとですねえ三原城の大 部分を取り壊してしまってそこに駅を建設 しました当時はお城っていうのはもう旧 時代の異物で何の価値もないと思われてい たそうです今ではわずかなお堀と石垣のみ が残る遺跡みたいになってしまってい ます三原駅でクレセに乗り換えですここに ね目の前に素晴らしい電車が止まっている んですけれどもこれが昔ですね関西の深 快速で使われていた117系という電車で 1970年代の製造だったかと思います 未だにね岡山ではこういう昔の電車が使わ れてるんですよね当時としては画期的だっ たこの転換式クロスシートと言ってえ進行 方向に応じてこの座席の向きを変えられる と普通電車では初めて採用されたのがこれ だったんじゃないかなそういう画期的な 車両だったんですけれども今は岡山で寄せ を送っていますクレセの電車は古いやつで はなく広島近郊で走っている割と新しい 電車いやガラガラでしたね今日は土曜日だ だったのであれですが平日はもうちょっと 乗っていると思いますあらかじめ言って おきますがクレ線はめちゃくちゃ景色が いい路線ですこのシリーズで今まで出た 路線の中でも多分3本の指に入るぐらい海 が美しいところだと思いますさあそのクレ 線さっきまで乗っていた山陽本線と山陽新 幹線を見ながら三原駅を離れていきます ここから三原の市街地を左に回り込むよう にしてえ南へと一旦進んでいきます三原は 散歩を山に囲まれていてどの方向に抜ける にしても軽い山越が必要になりますクレ線 も例外ではありませんさっきまでずっと 並走していた布川を超えますともうすぐに

その峠越えの区間が始まりますもうこっ からね結構景色がいいんですよクレセは 少しずつ高さを稼いでいって三原の町が 遠くに一望できるようになっていきます ちなみに手前に森みたいなのがあってその 奥にちょっとした兵が広がっているのが 分かりますでしょうかあそこは三菱重工業 の鉄道の工場になっています映像では見え ませんが中に立派な試験用の線路も敷いて あて路面電車や進行通システムなどの開発 がね日々行われているところです最近だと 時速120kmで走れる高速の新交通 システムなども開発されていますこの辺り 崖崩れが非常に多いのかかなりの低速で 通過していきましたjr西日本お得意の 必殺徐行ですね運転士さんが線路に異常が ないかどうか目視でゆっくりと点検し ながら進みます中国産地の山奥の方じゃ ないとないのかなと思っていたんですが まさかこんなところにあるというのは意外 でした木々が生えているところを抜けます といやこれですよ朝日を受けて混じに輝く 瀬戸内会です今まで瀬戸内会の真横を走る ということはありましたが真上から 見下ろすというのはもうここぐらいしか ないんじゃないでしょうか鉄道に詳しく ない人からしたらこの景色を見せてくれる ために原速しているんだと思うかもしれ ないですがあくまでね必要に迫られて保守 点検のために減速していますそして ありがたいことにですねこの車両の窓 ガラスはUVカットみたいなのが特に入っ ていなくてちゃんと景色本来の色を車内 から見ることができますそこそこ新しい 鉄道車両だと紫外線や熱線をカットする ために窓ガラスの色が結構変わっていると いうことがあって本来の景色が楽しめない とそういうことがよくあるんですがここは カーテンを下ろさないといけない代わりに 窓ガラスは透明になっていてしっかり景色 が楽しめますいやそのおかげで美しい瀬戸 内界を楽しめました山の上にもこの景色を 堪能するためにいくつか別荘が並んでい ました最初の駅津波駅に到着この後も高い ところからではなくなりましたが引き続き 生徒内会の美しい景色を楽しめますクレ線 には普通列車だけではなくて観光用の エトセトラという列車も走っていてお酒 などを味わいながらこの景色を楽しむこと ができます普通列車だとどうしてもね窓側 の席に座れなかったりしますので景色を どっぷりと堪能したいのであれば観光列車 痛くでしょうもちろん車でもね国道が 海沿いを走ることがすごい多いので楽しく ドライブができると思いますまた原速区間

に入りました最近は広島県の沿岸部非常に 豪雨災害が多くてよくにもなりますよね クレ線も梅雨の時期など結構運転見合わせ になっていてまつまり雨による土砂災害の 危険がすごい高い地域を走っているとなの で減速して線路が安全なことをちゃんと 確認しているわけですこち抜きでねこう いう車窓が20分か30分ぐらい続きます いやクレ線素晴らしいですねこういう景色 を子供の頃から見ていたらすごくね穏やか な性格になりそうですさてこの辺り一体も 瀬戸内海沿岸の霊に漏れず工場がたくさん のきをつねていますあれは造船所ですね この辺り一体を含めて瀬戸内海の西側は 日本でも有数の造船が盛んなエリアです 作った船を関門海峡を超えてそのまま大陸 の依頼主の元へと運ぶことができます つまりリチがいいということですね先体を 持ち上げるための巨大なクレーンがのきを つねています今日が海晴ということもあっ て青空や瀬戸内海の海にすごくマッチする 光景ですこの辺りのクレセの駅は近くにね 工場が結構あるということで駅を利用する 人も結構いると思われる方もいるかもしれ ませんが実際には使う人はかなり少なくて 1日の乗車人数が100人から200人 ぐらいとそういう駅が多いですやっぱり ほとんどの人が車をつかんでしょう ねさてこの辺りでよく目を凝らしてみると 奥の方に四国と本州を結ぶ島海道が見えて います手前に見える小さな島瓢PU島と 言ってひょっこり瓢PU島っていう歌が ありますが一説によればあれが歌のモデル になった島なんだそうです島街道を渡る 高速バスに乗った時に運転手さんがねその 解説をしてくれましてそのおかげで未だに 覚えています次に見えてくる島も結構有名 です大の島と言って戦前には毒ガス工場が 設けられていました現在でも毒ガスの開発 施設の移行が残っています明治時代から この島は要塞として使われていてその重要 性から終戦まで島は地図からも消されて 存在自体が抹消されていたそう ですで有名な大島へお越のお客様は次のた でお降りください大くの島は今ではうさぎ の島としても有名です人間におそらく食料 として持ち込まれたウサギが大繁殖して 特に若い人にはウサギに触れ合える島とし て非常に人気がありますただの海駅から 歩いて5分ぐらい行ったところにフェリー 乗り場がありましてさっき島街道の橋が 通っているのを見た大三島というところに 行くフェリーなんですがまそれが大島にも 立ち寄るとそういう感じですそこまで アクセスは悪くないですね駅名表にも

ウサギがねちゃんと足られています たの海からは三原市のお隣竹原市に入って います目に入ってきたのは竹原火力発電所 映像には写っていませんが沖合いには燃料 を船から運び出すための専用の桟橋もあり まして結構立派な発電所ですその発電所の 最寄り駅として建設されたのが秋長浜駅 JRになってから建設されましてまそれ だけ利用者がいるのかなと思いきや1日 100人ちょっとの乗車しかありません JRか5にできた駅にしてはかなり少ない ですと言ってもこの駅があるおかげで 100人ぐらいがあの車通勤ではなく電車 で移動していてその分周りの道路の渋滞が 緩和されているとそういうことまで考えれ ば駅があることによるメリットも少なから ずあるのかもしれません電車は市野中心駅 竹原駅に間もなく到着駅舎の反対側には 三井金属の巨大な工場があってまここも例 に漏れず工業が盛んだなというところです が元々この工場の敷地戦後すぐぐらいまで は潮を作るための演出がたくさんあった そうでそこを再開発して工場が立っている んだそうです今でも地名としてでは塩町と いう名前になっています江戸時代には全国 の潮の生産量の8割をねなんと広島県が あの担っていたそうで今でもねあの有名な 博多の塩みたいに広島県は日本の塩作りに は欠かせない場所になっていますさて竹原 から広島市内までの移動ですがこのクレ線 を使うと広島駅まで1時間と45分どんな に早くても1時間半はかかりますしかし ですね別のルートとして高速バスも走って いて竹原から内陸に入って動画前半で出て きた広島空港の辺りでえ高速道路に乗ると このルートだと竹原駅から広島駅まで1 時間ちょっとさらに市街地中心部まで1 時間15分ほとで連れて行ってくれてJR にとってはかなり手強い競合相手になって いますと言ってもバスはかなりルートが 違いますから競合はかなり限定されていて 今到着した秋津についてはJR一択 でしょう ねただの海からはしばらく海が見えてい ませんでしたがこの辺りから再度車窓に 瀬戸内海が復活してきますこの時間帯風が ないでいて鏡のように美しい海面の景色を 見ることができました奥に白く霞んだり口 が見えますがあれは四国ではありません 大崎上島という島です結構大きくて大崎 上島町という1つの自治体になっている ぐらいなんですが本州と橋で繋がっている わけではないんですよね瀬戸内会にある 結構大きい島だけど離島っていうね結構 面白そうなところです1度ぐらい行ってみ

たいですクレセに乗っていると23駅ごと に山越がありますここでもトンネルで市を 越えまして東広島市からクレ市に入りまし たクレはご存知の通り明治新以降一貫して 海上軍事力の拠点になってきた町ですその 重要性から1935年に全通して以降は 急行列車が運転されまして一時期は寝台 特急も経由していましたしかし1975年 に新幹線が伸びてきて以降そういった いわゆる優等列車はなくなりまして現在で はご覧のように原速運転が一部でなされる ほどま細細とまでは言えませんが地方の1 ローカル戦としての運営がなされています と言ってもクレや広島に近づくにつれて 利用する人は徐々にま増えていきまして次 の安浦駅などは1日500人ほどの乗車が ありますこの区間ほとんどの列車はクレ市 内の拠点駅広までの運転になっていますが 朝や夕方には広島まで直通する快速列車 なども運転されていてこの辺りまで来ると 十分広島市内まで通勤通学ができる距離に なっています遅ればせながらこの辺りの海 すごい綺麗でしたねお気合いにイケスが ちらほら浮かんでいるのが見えますが おそらく牡蠣の養殖がされているようです クレはなんと牡蠣の生産が日本一だそうで クレに来たら戦艦ヤなどの観光に合わせて ぜひプリプリの牡蠣も味わってみて ください国道185号線に沿って列車は ひたすら西へと進んでいきます終点に結構 近づいてきたのにこの列車全然人が増え ないですね平日の朝だったら6両編成が 走ることもあるんですが曜日や時間帯に よって結構利用者数に差があるみたいです クレの街が近づくにつれて体感としては 結構住宅地が増えてきました車窓から見た 感じだとこの見原から広までの間は結構 古い民家が多いように感じますこれは完全 に僕が今考えた推測なんですけれど平地が 少なかったクレは先日中までかなり住宅足 に悩まされていて当時としては珍しくこの 辺りの家からクレまで通勤をするという 列車通勤があったんじゃないでしょうかね クレの最盛期だった昭和初期とかに建て られた家が未だに残っていてま結構古い家 があの多いように見えるとかそういう感じ でしょうかま完全に今のは水速に過ぎない ので聞き流していただければと思います 三原からずっと列車に売られて瀬戸内の海 を見てきましたが次がいよいよ下車をする 新潟駅です詳しくは次回解説をしますが 1982年6月一杯まで国鉄の連絡線2堀 航路が運行されていて対岸の愛媛県松江市 内にあります堀江駅までを結んでいました 先日の通りもう残っていませんので代わり

となるコールを使って四国まで渡ります クレの街が出てくるのを楽しみにしていた 方ちゃんと次回出てきますのでよろしくお 願いいたし ます はい新潟駅に到着しました意外とね見原 から1時間半ぐらいかかったかなあの途中 でjr西日本を得意の必殺所効区感が結構 ありまして距離のありには結構時間が かかりましたこれ駅舎は元々あったん でしょうけれどももう今は街室だけにあ ごめんなさい奥に駅舎がありますね 向こう側のホームからだったらあの駅舎 から出てもこっちの方はもう無だから どうせホームに通じる階段作っていいやて いうことでこうなってるんですねせっかく なんでね側に行ってみましょう [音楽] か

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史上最長片道切符の旅12日目では、広島県中部から愛媛県に入り、松山市まで移動します。
今回は、東広島市の西条駅から、山陽本線・呉線を経由して呉市内の仁方駅まで移動します。
山陽本線は近世の西国街道(旧・山陽道)におおむね並行するように走っていますが、この西条~三原の区間ではほとんどの区間が西国街道とは違う場所(瓦坂峠、松子山峠など)を通っています。平地がほとんどない、沼田川(ぬたがわ)の険しい渓谷に沿って線路が通されており、江戸時代までは歩いて通行するのは困難だったろうなと感じさせられる地形です。
本郷駅付近でようやく西国街道と合流し、次が新幹線こだま号も停まる三原駅で呉線に乗り換えです。三原は広島藩の支藩として栄えましたが、山陽鉄道が駅を建設するために立派な三原城のほとんどを撤去してしまいました。三原駅はそのおかげか町の中心部に非常に近い場所に立地しています。1970年代に高架化された三原駅は新幹線も停車するほか、フェリーで芸予諸島の島々と結ばれており、広島県東部における交通結節点の一つです。三原市の現在の人口はおよそ9万人で、他の瀬戸内海の都市と同じく工業が発達しています。

三原で乗り換える呉線の車窓は、今までの史上最長片道切符の旅シリーズでも指折りの絶景です。特に三原と須波の間の峠越え区間では、筆影山の中腹まで登った列車の眼下に瀬戸内海を見下ろすことができ、高所から海を見ることができる日本でも数少ない車窓です。国道の185号は海岸のすぐそばを走るため、列車にのみ許された景色です。
その後も呉線は多くの区間で海沿いを走り、穏やかな瀬戸内海を楽しめます。休日を中心に観光列車「etSETOra(エトセトラ)」も走っています。
山と海岸線に挟まれたわずかな土地に線路が敷かれていますが、時々現れる平地には造船所を中心とした工場群がひしめいており、多くの雇用を生み出しています。しかしJRを使って通勤する人は少ないようで、三原~広の各駅の多くは利用者が数百人ほどしかおらず、典型的なローカル線の様相を呈しています。

うさぎと毒ガスの島・大久野島の最寄り駅である忠海(ただのうみ)、「安芸の小京都」の異名を持ち、重要伝統的建築物群保存地区(重伝建)に登録されている竹原、日本酒の生産が盛んな東広島市・安芸津などを通り、呉市東部に位置する仁方駅で下車しました。
仁方駅からは、1982年6月まで国鉄の「仁堀連絡船」という航路が運航されており、国鉄の普通乗車券にこの航路を組み込んで旅をすることができました。戦後すぐに運行を開始した仁堀航路は、当初こそ石炭不足により列車の運行もままならない状況において貴重な移動手段として重宝されていましたが、時代が下ると他の民間航路との競争に負けて閑古鳥が鳴き、末期には一日2往復のみの運転となっていました。

この動画では、フリー動画サイト「DOVA Syndrome」からダウンロードした以下のBGMを利用しています。
(作曲家名は敬称略)

鴎とバイク 作曲:のる
https://dova-s.jp/bgm/play14939.html
Under The Sky 作曲:MFP【Marron Fields Production】
https://dova-s.jp/bgm/play5556.html
轍は続くよどこまでも的なBGM 作曲:鷹尾まさき(タカオマサキ)
https://dova-s.jp/bgm/play13534.html
HAYABUSA 作曲:GT-K
https://dova-s.jp/bgm/download2528.html
天駆ける船 作曲:G-MIYA
https://dova-s.jp/bgm/play1870.html
To tomorrow 作曲:FLASH☆BEAT
https://dova-s.jp/bgm/download12639.html
青空の下 作曲:オオヒラセイジ
https://dova-s.jp/bgm/play8754.html
World Heritage 作曲:雨宮
https://dova-s.jp/bgm/play3881.html

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日本は世界有数の鉄道大国です。鉄道を愛好する人の数も世界と比べて圧倒的に多く、桜が咲き誇る時期にも、雪に閉ざされる季節にも、多くの「鉄道ファン」たちが全国に足を延ばし、各地で汽車旅を楽しみます。

そんな「鉄道ファン」の間で、究極の鉄道旅行とされているものが「最長片道切符の旅」と呼ばれるものです。
JRでは、ルートが1本の線になっていさえすれば、基本的にいくらでも経路の長い乗車券を買い求めることができます。そのルールをもとに、理論上考えられる最長の経路となるものが「最長片道切符」と呼ばれる切符です。
1枚の切符で、日本列島の北から南までいろいろなところを巡りながら旅をすることができ、毎年多くの鉄道マニアがこの切符を買って旅行をしています。

現在、最長片道切符の経路の長さはおよそ1万キロです。しかし時代をさかのぼれば、JR、そしてその前身である国鉄は今よりはるかに多くの路線を持っており、もっと長い距離を1枚の切符で乗ることができていました。最もその経路が長かったのは、1982年6月23日から同年6月30日までの間です。鹿児島県の枕崎駅から、九州、本州、四国、また本州に戻り、東北地方を北上して北海道の様似駅まで、総延長13423.7キロメートル。極東のロシア・ウラジオストクから、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬まで行けてしまう長さです。

今回私は、この「史上最長片道切符」のルートを全てたどる旅を行います。途中には廃止された路線を通る区間もあるので、すべてを鉄道でたどることはできません。そういった区間では、並行して走っているバスに乗ります。ところどころ存在する、バスすら廃止されてしまった区間では、徒歩で移動することもあります。
1982年から2022年、40年の月日がたち、「史上最長片道切符」の沿線地域の交通事情は大きく変化しました。その時代の流れを皆様にご紹介しながら旅をしていきます。

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5 Comments

  1. 三原近辺は降りたことがなくて、呉へも松山からの海路か広島からの鉄路でしか行ったことがありませんでした。美しい車窓ですね。いつもありがとうございます。

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