【史上最長片道切符12-2】民間フェリーに完全敗北した「旧・国鉄の連絡船」がいました。

はい新潟駅に到着しましたこれ駅舎は元々 あったんでしょうけれどももう今は待合室 だけにあごめんなさい奥に駅舎があります ね向こう側のホームからだったらあの駅舎 から出てこもこっちの方はもう無だから どうせホームに通じる階段作っていいやっ ていうことでこうなってるんです [音楽] ね この新潟から出ていたえ国鉄の煮航路と いうのは非常にマイナーな存在でしてあの 当時はね国鉄職員ですら連絡戦の存在を 知らないという人も結構いたそうですこの 煮コールはあの戦後すぐの輸送力が不足し ていた頃に開業されたんですがもうその 期間が終わりますとずっと換算としてい まして1982年の事故起用だともう1日 たった2往復一石のフェリーがえ朝往復し てまた同じ船が夕方に一往復するとたった それだけの運行でしたもうフェリーで自動 車の構想などもやっていたそうですま あまりにもお客さんが少なすぎたので 1982年の6月30日1杯でえ廃止され たわけでしたこの航路が廃止される前まで はこの煮航路とあとはえ香川県と岡山県を 結んでいたえ羽航路この2つの航路があっ たのでえ社長片道切符に四国を組み込む ことができていたのですこの濁り航路が 廃止されたことでえ四国へ設で行く手段は 羽航路1本だけとなって最長片道切符の 経路に組み込むことがもうできなくなり まし た二駅の駅舎からえ連絡線の乗り場までは 大体徒歩10分ぐらいかけて移動しなけれ ばいけませんでした堀江の方もそうですね でおまけに濁りもえあとは四国側の堀江も 普通列車しか止まらない小さな駅でで接続 も全然取れていなかったみたいです この後乗るんですけれどもあのクと松山を 結ぶ民間のフェリーもありましたからね 無人駅同士を結ぶ不便な濁り航路もあんま 意味がないということでもう廃止された わけです最長片道キップの長さもね一気に 300kmぐらい短くなりましてもうそこ からずっと経路に四国を組み込むことは できなくなっていますちょうど新潟桟橋て ありますねもう旅客線で発着しているもの はありませんニホコールとは全然関係ない とは思いますが結構ね桟橋に向けて立派な 剣道が伸びてますねいや地味に立派な桟橋 の建物があるなちょっと中に結構人がいた ので入るのはやめておきますがこれがどう も国鉄の煮コルの桟橋だったらしいですね 向こうになんかフェリーみたいがあるので なんか航路がまだ残ってるのかなと民間で

あるのかなと思って調べたんですけれど ちょっとよく分かりませんでし た こっから四国方面を渡ることはできないん でね別のコールを使おうと思います ちょっと新潟から移動しますさっきの新潟 駅南口からあのクレにバスが出てるんでね ちょっと急ぎますそれに乗ってクレコを 目指し ますは 広高新潟からクレバではJRだと4駅で 多分20分くらいでつくんじゃないかなと 思いますがえ今回はですね面白そうなので バスにしましたクレは坂の町として有名で 斜面にへばりつくようにして住宅街が 広がっているんですがこのバスもねそれを 通るということでクレならではの景色を 楽しみながら移動することができます早速 山越のトンネルですこの新型の辺りももう すでにクレの公害住宅地みたいなところな んですが住宅地の中にああいう山越の トンネルを見かけることはなかなかあり ません国道ということもあって結構交通量 もあります山を超えるとク市内の広地区に 入ります僕が勘違いししていなければクレ 市内で2番目の拠点みたいなところがこの 広地区でJRも広駅を境いにして一気に 電車の本数が増えますここはクレの中心部 と同じぐらい兵が広くてま住むのには適し ているんでしょうねマンションや一軒屋が たくさん並んでいて国道沿には便利そうな お店がたくさんありますおお商店街もある んですね今の商店街駅からは結構離れて いるんですがえ実は昔クレシには路面電車 が走っていてその停留所が近くにあった 名残りで今でも商店街があのにあるんじゃ ないかなと思います道路の交通量もかなり 増えてきました信号待の時間をなくすため のね立体交差工事みたいなのがちょうど 行われていて立派な強がすでに姿を表して いますこの動画を撮った2ヶ月後に開通し たそうで道路事情はどんどん良くなります うわあとんでもないところに家が立ってい ますまだ人住んでるんでしょうかねよく あんなところに生活できるなとすごく関心 してしまいますさてずっと国道を走ってき ましたがここから右折をして球道の方に 入っていきますバスが通るために交差点の 手前に停車禁止の塗装がされています 大きめの地方都市だとたまに見ますねこう いう停車禁止なやつってあんまり守られ ない印象があるんですけれど車が通ってい ないタイミングでうまく通ることができ ました交差点にこれから乗るフェリーの 広告がねちょうど掲げられていました

ちょっと古くなっています がちなみに国道をそのまま走り続けると 休山トンネルというのがありましてそこを 一直線に突っ切って直接クレシ街へ出る ことができます2年に開業した割と新しい 道です対してバスの飽和と言うと割と 遠回りでありつつもえ周りに住宅とかが あって需要がある球道の方を今でも運転し ていますバスは球道に入ってきました球道 は結構傾斜がきつい道なんですがえそれで もしっかりと片側2車線が確保されてい ますこれぐらいの坂道はクレの中ではそこ まで大したことがないようで普通に家が 立ちまくっていますそして驚くべきことに ですね1960年代までは路面電車もです ねこの坂が結構急なな道を走っていたそう です普通鉄道って坂道に弱いのでこんな ところをまさか走っているとは思いません でしたなので今乗っているバスも路面電車 の廃止大体のバスみたいな感じなん でしょうかね乗り物にへばりつきようにし てバス手までの階段が伸びています衛星 写真で見ると5件ぐらいこの上に家があり ましたシャドも伸びていないのにどうやっ て家を建てたのかが不思議でなりません峠 を超えてクレシの中心部側に入ってきまし た相変わらず民家が所せまと並んでいます 多分昭和初期ぐらいからこういう光景が ずっとあったんじゃないでしょうかクレは 明治初期に海軍の珍珠府ができてから軍の 町として栄えてまた戦後になっても海上 自衛隊の基地が置かれたりあとは戦艦など の造船技術を活用して鉄工業が栄えたり などですね自衛隊と工業の街として栄えて きましたしかし最近ではその工業が あんまり調子が良くなくてえ特に今年 2023年に日本鉄の生鉄所が完全に稼働 を停止したりしまして今クレの人口は ものすごい勢で減っているそうですクレシ としてはちょうど今が少年場といった ところですね観光はねすごいクレや楽しい ところなので皆さん是非ねクレに観光にお 越しいただければと思いますバスに乗り 続けてクレの中心市街付近までやってき ました国道沿いには歩道にアーケードも あってま一見栄えているようには見えるん ですが今日土曜日にもかわらずあんまり 人通りは多くないです郊外のショッピング モールに車で行ったりとかあとは広島市内 にバスや電車で行ってしまう人が多いん でしょう か はい電車だと20分足らずで来れるかと 思いますがえ40分ぐらいクレ駅まで かかりましたねそれでもねやっぱりあのお

年寄りがすごくご利用されていましたあの 坂の途中のバステがすごい密な感覚で並ん でいたのが印象的でしたこれがクレの駅舎 うん1980年代ぐらいの駅舎って感じが し ますクレといえば戦艦大を建造した街とし て知られていますかねクレは明治から海軍 の珍獣府が置かれておりますま戦艦を造し たりと色々ね軍事機密が多かったという こともあってクレの市街地に入った記者は ですね昔は車掌さんが全部閉めて回ってい たとそれぐらい軍事機密に慎重だったそう です これから向かう松山行のフェリーが発着 する中央桟橋までは駅からね大体歩いて7 分ぐらいだったかなと言ってもずっとこの あの歩道橋で2階を結ばれていましてえ こっからですねこの夢タウンていう商業 施設をぶち抜いてえずっとJRク方面まで 続いていますこの辺に全部大型の商業施設 が撤去しているんですが多分元々は国鉄の 線路が閉ていたのか工場があったか でしょうねこっちにある建物がえ ミュージアムでえこっちに行きますとこれ がえ中央桟橋ですね未だに造船所がクレに はありまして外国席の船も結構多い でしょうが造船がされていますあこれは 日本の船ですねト丸だこフェリー ターミナルからいくつかのコールが出て おりましてえ例えばこっちですねこの ちっこい船これはスーパージェットと言っ て高速線ですねあっちにはあの車両が 乗れるフェリー用の乗り場もありますがえ 向こうに見えている陸地あるいは実は島 でして江田島あそこへ向かう船も発着して います江島は1つだけで江島市っていう 自治体を構成していましてえ広島市内とも 結構距離が近いのでえなんと船であの広島 市内まで通勤できてしまうとそういう 面白いところです以前動画をあげた淡路島 と明石市の関係に似てますね私が乗る松山 行ですが松山行きもねスーパージェットっ ていう高速線とあとフェリーと2つあり ましてそこにフェリーが発着しますただ どちらも始発は広島なのでえ出行時間直前 まで乗ることはできません目の前にね立派 な造船所が立ち並んでいますねその横には 海上自衛隊の施設もありますえスーパー ジェットはですね結構早くてえ松山まで1 時間ぐらいえ対してフェリーの方はま やはりあまりスピードが出ないので2時間 ぐらいと倍近く所要時間の差があります 待合いターミナルで街をけしているとお 広島方面からやってきました食がすごく 綺麗ですよねコト白の組み合わせシパセオ

と言って2020年ぐらいに就航した かなり新しい船ですクレからはですね20 人ぐらいが徒歩で乗り込んだかなそれ プラス車もあのもちろん挑戦することが できますフェリーなのでねこれから紹介し ますが内装もねめちゃくちゃかっこいい ですよ僕が今までに乗ったフェリーの中で 1番かっこよかったですまずは客室外 デッキからあの全般的にですね曲線があの デザインに対応されていて無意識のうちに 安心感を感じるようなデザインになって いる気がしましたクレの造船所などを見 ながらビールを買ってこの辺りに腰かけて のんびり過ごせばもう2時間もあっという 間だと思います一旦客室に入りましょう線 客室千美とあるので多分ここが必ず進行 方向の後ろ側になるんだと思います靴を 脱いでゆったり過ごせるスペース撮影した 時は割と空いていましたがゆっっくりと 流れ去るスペースを見ながら船旅を楽しむ ことができます結構スペースが広かったの で小さいお子さんとかを室内で遊ばせるに はちょうどいいんじゃないでしょうか座席 下にはこの黒いのがコンセントかな新しい 船などでちゃんと装備されていますサイド 外に出てきました奥に見えるのがさっきの 千客室ですいややっぱりかっこいいですね 今度は階段を上がって3回屋上に行きます ここが一番すごかったななんと言っても この謎の円球上のスペース公園とかにある 屋根付きのベンチを極限までかっこよくし たような感じです割とプライベート性が あるのでカップルとか家族向けの座席って いう感じでしょうかもちろん1人で利用し ても全く問題ないですこの船フェリーのに は結構小さい方で常用者も35台しか乗ら ないんですが本当にいろんなスペースが あります確かね売店とかもあったかなこの フェリーは広島港からだと3時間弱ま高速 線の倍ぐらい時間がかかるんですがその分 ですねお客さんを飽きさせないように仙内 にいろんな工夫がされているなと感じまし たさて今度は先頭選手部分にやってきまし た映像だとちょっと見えにくかったので 写真でのご紹介になりますここが1番 メインの座席っていう感じですかね目の前 にはもちろん迫りくる瀬戸内の美しい景色 が見えますすごい座り心地が良さそうな 椅子がずらっと並んでいましたさて余談 ですが瀬戸内海域線のグループ会社がえ シースピカーというクルーズ線を持ってい ます名前の通りシーパセオと同じような コンセプトでま中内装とかが設計されて いるんですが今年広島で開かれたG7 サミットで宮島に首脳たちを運ぶためにも

使われていますこのCスピカークルーズ戦 ということもあって上船するのにね 1万5000円とかそれぐらい平気で かかってくるんですが今挑戦しているシ パセオでであれば同じような雰囲気を かなり手頃に楽しむことができるという わけです今ご紹介しているシーパセオは 瀬戸内海っという広島県側の船会社の船な んですがえもう1個ですね愛媛県側の石崎 基線という会社もこのコールを共同で運行 していますこちらの方もねシーパオと同じ ぐらい船が新しくて挑戦する船がどちらの 船会社のものであっても内装は本当に 素晴らしいですどちらの船会社の便に挑戦 しても思い出に残る効果になることは 間違いなさそう ですクレの港を出てから10分ほど経ち まして遠くに広島の市街地が見えるように なりましたこの距離からであっても高層 ビルがニョキニョキとそびえているのが見 て取れますやっぱり広島は都会ですね出航 してからもしばらくは陸地と並走するよう に船は進みますそれだけこの辺りの海が 陸地の中に入り込んでいるということです 目の前に見えている工場はさっきもちらっ とお話しした日本製鉄の生鉄所ですどうも 今年2023年に完全に稼動を止めて しまったようでらくは数千人規模の雇用が 失われたんじゃないでしょうか元々は旧 海軍の工場があったところなんだそうです ねこれからは10年ほどかけて徐々に設備 を解体していくそうですクレコを出て15 分ぐらいで立派なアーチ鏡が見えてきまし たここがこの航路で最大の見所でしょうか 温度の瀬戸という海峡ですこれからここを 通っていきますあらかじめ地理関係を説明 しておきましょう温度の瀬戸があるのは ここです本州と倉橋島という島後に挟まれ ていて広島と愛媛を結ぶ結構重要な航路な んですがえ狭いところだと80mしか幅が ありません狭いにも関わらず漁船や フェリーなど大償様々の船が生きかいまし てえまた潮の流れもかなり複雑なんだそう ですなので昔から交通の南緒とされてい ます今まで通ってきたクレワンはご覧の ように周りをほとんど陸地に囲まれていて 波が穏やかで停泊するのに便利そして 万が一え外国の船が攻めてきた時も入り づらい地形になっていますまなので江戸 時代まで寒村だったクレが海軍の珍珠府に 選ばれたのですまた補足ですが今回の広島 クレと松山を結ぶコールはこの温度の瀬と 通りますが新潟についてはクワに全然面し ていないので日本連絡戦は温度の瀬とは 通らず全然違うところを通っていました

さてシーパセをその狭い温度の瀬戸を通過 していきます海峡には2つ橋がかかってい ますがフリーが通ることを考えてどちらも 水面からかなり高いところに橋桁が設け られています最初にくぐったのが新しい第 2温度大橋で後にくぐったのが何もつか ない温度大橋ですなんか温度大橋の渋滞が 激しかったので2本目の橋を作ることに なったそうですねいや活気がありますまた 最近までですね対岸同士を結ぶ日本で1番 距離が短い当選があったそうなんですが つい最近廃止されたそうですねいや残って いたら乗ってみたかったです最大の見所 温度の瀬戸を超えたところでですね ちょっと景色を見るのはやめてしまいまし たこっからは正直島がたくさん出てくる だけででま紹介してもしょうがないかなと いうことでしばらく線内で休憩です座席に しっかりコンセントがついていて安心して 動画の編集ができますこの美しい大ウバを 見ながらパソコンで作業をするっていうの はねなんか贅沢な気分がする一方で ちょっとこんな時でもね作業に追われて 惨めな気もするしよくわからない気持ちに なりましたさてこの航路ですが基本的に1 日9本運行がありますもう1個の高速線 スーパージェットも大体同じ本数です そしてクから乗る場合ですねこのフェリー については朝1本以外はえ全てクレに停車 します一方でですね高速線は半分ぐらいは もう広島と松山の直行でクレには止まら ないようなダイヤになっているのでそこ だけ注意です高速線の話をしていると ちょうど反対方向のスーパージェットと すれ違いましたあれは多分石崎起線のやつ ですね広島へ向けて猛スピードで走ってい まし た1時間ほど編集に没頭しまして気づい たら四国がすぐそばまで迫っていましたと いうかもう横側四国ですね予算線の場駅と かその辺りだと思います穏やかな瀬戸内会 ということでパソコン作業しても全く酔う ことなく移動することができましたやって きた方向にズームしてみますがもう島に 遮られていてクレは見えなくなっています さすが瀬戸内界です最後の20分ぐらいは もうずっと四国と並走します高川半島と 言って松山の北の方でちょっと飛び出た 部分です山が海岸線のすぐそばまで迫って いてそのおかげでこの辺りのJR予算線は すごくね景色がいいになっていますズーム しているこの辺りがおそらく堀江駅周辺 二本航路のも片方の桟橋があった辺りです この後ちゃんとそちらにも行きます進行 方向右手西側に広がっているのはこれは島

です五島と言います初見では絶対に読め ないですねこの辺りに広がる靴諸島の1つ で他の島ともども高浜港からフェリーが出 ていますはるか遠くの方にガントリー クレーンが見えていますね松山の工業港 ですこのフェリーはあちらの方までは行か ず前の松山観光校というところまでです 割と歴史が浅い港で大型線を着眼させる ために作られましたおちょうど福岡県の 小倉行きのフェリーが止まっています こちらは夜行フェリーです以前ね挑戦した ことがあり [音楽] ますいや素晴らしいフェリーでしたね 2020年に就航したばっかり就航して から1年ちょっとしか経っておりませんえ こっからですねイオ鉄道の連絡バスで高浜 駅というとこまで行ってそのまんま電車で え松山方面へと向かいますあの高浜線を もう1kmぐらいしかないので延伸し ようっていう話もありますがご覧の通り こうちょっとした山に阻まれているので 全く計画は進んでおりませ ん この電車の始発駅の高浜駅のすぐ目の前 からもですねえこの松山に割と近い島々へ の連絡フェリーが出ており ますこの高浜駅もだいぶ活かした駅舎が 残っていますこの鉄の高浜線って四国で 初めての鉄道路線なんですよ海魚当時の体 としたらすごい駅舎です普通に現役で使っ ておりますそこに連絡バスの乗り場があっ てそのまま階段を歩いてもうすぐこの電車 の乗り場まで来ることができます鉄は どんなに長くても4両編成までしか電車は ありませ ん早朝深夜を除けばね15分に1本の間隔 で運転されていますちょっと高浜駅であの 高速バスの乗車券を予約してもらっていた んで1本遅い便になりましたが連絡バスと 電車は10分ぐらいで接続していまして 非常に便利ですえ今いるのがえっとこれか 高浜駅えバースで連絡してやってきました えこっからどこに行くかと言いますと いきなりですねニホコールの片の執着点 堀江駅までは行かず一旦このえ2つ進み まして山というところまで行きますこのね 三っていうところが非常に古くからの港町 でしてえ戦争の被害とかもなかったんで かなり古い建物が残っているんですよ ちょっとそれの見学をしようと思います [音楽] ルありがとうございまし [音楽] た

[音楽] あ 確か昔は東京の京王電鉄で走っていた車両 じゃないかな伊鉄は中古車を基本的に使っ ております山駅この三浜の最寄りはこの三 駅なんですけれどもねちょっと面白い方法 で3に向かおうと思いますんでここで降り ましたいやしかしさっきのバ新寺駅は 素晴らしかったですね1回降りてみたい ですけれどもまあ一部の駅を除いて無人駅 ででしかも鉄のみで使えるICカードは あるんですがカとかいかとかニモかなどは 使えません車掌さんにエキプを渡して駅を 降りますでですねこっからこっちに曲がる のかなこの石畳の道路がね何かがあるよと いうのを伝えているようでございますが この港山も結構古いお家が残っており ますこれより先100m行き止まりと意味 な標識があります行き止まりには実際て いるんですが車だけでありまして歩行者は 行き止まりでありませんちょうど見えてき ましたねあれです線を使って三浜まで渡り ます今ちょうど出ていってしまいましたが ねあの無料の当選がここには出ているん ですよ三渡山とこの大岸が江戸時代から 物流の拠点として栄えましたえ3になって おります未だにわすげえな漁船の数半端 ないですねえなんと線は無料でしてこの スイッチを押せばえ通報できます とたた今ご高齢の方を三の方に渡していき ましたね直後で申し訳ないですがまた 折り返して来てくれましたここは向こうの 方まで橋がないのでねこういう風に当選が 今でも交通手段として生きており [音楽] ます なかなか古い木造線ですけれども元気に 活躍しておりますうわすげえなエアコンの 室外機みたいなやつが木の囲の中に入れて ありますよちょうどね僕が着いた直後 ぐらいにあの自転車の方がボタンを押され てまた船は呼び戻されていきましたもう いかにも両しまししっていう感じの非常に 幅の狭い道をずっと歩いていきますここも ね登録有文化剤明治14年地区か土曜日 だけですがカフェもやっているそうです 江戸時代まで日本にはこの窓にガラスを はめるという文化がなかったのでこの上と かもね柵で覆われていますこれがね時代 から明治時代初期までの家の特徴ですね こっちもそうですね上に窓がありません下 は多分回送してあり ますまた別の建物えっと割と新しくて昭和 初期の建物らしいんですがえっと当時の 特徴が色残っているそうでしてあの建替え

直前に関東大震災が起こったんですよ火災 でものすごい被害を受けたとその教訓から 炎症に強い銅板をここに貼付けております これが珍しいってことであ有文化財に指定 されているそうですねなんかこの三浜は 最近になってからあの観光地としてあの しっかり手入れをされたそうでしてこう いうコミンカカフェなんかもできており ましてねインスタ場合には結構いいんじゃ ないでしょう か 僕も初めて来たのでどのルートを通れば 間違いないっていうのは全く言えないん ですが普通にねあの小道に入ったらこう いう多分明治か江戸ぐらいからあるような これは醤油の暗かなそういうのが残ってい たりです ねこの遠藤味噌醤油さんのありが一番 生かしている感じになっていますが ちょうどね三出身というご夫人とちょっと お話したんですけれ普通に歩いていれば どこにでも古いものが残っているという ことで ねまとめサイトとかでここは行っておいた 方がいいみたいに乗っている建物が多分 色々あると思うんですけれども全然そう いうの見ね見て予習とかしないでもね普通 にこの道の街中を歩けばこういう古い建物 にたくさん巡り合えるそういうところです この目の前の建物一見すると地味です けれどもよく見るとこれは明治末期か対象 初期ぐらいかなそういう感じの建物が平然 と残っております 山駅の隣駅3駅があれなんですがそっから こうねずっとまっすぐ商店街みたいな通り が伸びておりましてまここを歩くのも1つ いいと思いますこっちにもね結構昔からの 建物残っていますからねただこういう駅前 からずっと続く通りというのはま昔は結構 栄えていたので昔の建物から建て替えられ てこう新しい建物が増えていたりしますの でより奥に入った方が色々出会いやすいん じゃないでしょう かこれは旧浜田委員元々病院だった建物今 雑貨屋さんが居しておりますねすごいな 国土交通大人賞令和3年度地域づり表彰だ そうですねあこれはいいでこう電球があっ て夜になるとすごい綺麗でしょうね こここれはコミカ旅館だそうですねこ裏 からだとよく見えますがしっかり残って ますねああいうところに止まってね明け方 にこの辺を散歩すると多分自分もねここの 住民の一になったような感覚に浸れる でしょう さっき降りた山駅と隣の三駅までやってき

ましたえ一番最初に建設されたのはえ松山 市駅とこの三駅の間でしてそれだけですね この三が松山の海の玄関口として非常に 重要だったということが伺いますまただ ですね三の最寄り駅はもう1個ありまして さらに蜜の港町から離れた方歩いて10分 ぐらいですがJRの三浜駅がありますだと 結近いですがこのJRの三浜駅だとね歩い て15分ぐらいはかかるでしょうか伊鉄の 方が建設されたのがえ1890年代なのに 対してえこっちのJR昔の鉄道省予算線は 1920年代なんですよ結構時代が空いて い [音楽] ます15分に1本あの昼間でも電車走らせ てますけれどあんなガラガラでやっていけ てるんですかねちょっと心配になりますね い鉄はえターミナルの松山市駅が街の中心 部にあって便利がいいしえ電車も15分に 1本来るとま大してJRは1時間に1本 ですで松山駅も含めて駅が街のちょっと 外れの方にあるのでねまなかなか苦戦を 知えられておりますまただJR松山駅が 硬化化して今再開発をやってる最中なんで それの発展具合によってはもっと利用者が 増えるかもしれません国鉄時代の四国は かなり経営が悲惨でしてえまず電荷区間は 一切存在しないし伏線区間もほとんどない でしかも鉄道路線は全て赤字国鉄からJR 四国に切り替わった時に唯一黒字だったの がえ松山と高知を結ぶ急行バスとそういう めちゃくちゃな状況でのJR転換になり ました着きました予算本線の三浜駅こっ からあの画面の右の方向に1駅行くと松山 でえ左の方向に2駅行と二コルの接続駅 堀江駅です結構本数あるなと思ったらこれ はあのワクチン接手会場への無料シャトル バスでえ実際にはこっち7本だけしかバス はありませんね本州方面から鉄道で松山に 来て3で向かうとなったら多分ね松山駅 までえっと特急で行っちゃってえそっから 徒歩5分のところにですねえ伊鉄高浜線の 大手町という駅がありますからそっから 電車に乗り換えるのが一番手っ取り ですえっとってきた切符一応ね元々広島で 夜行バスに乗る予定だったんで解体地まで 取っていたんですが結局新潟までしか使わ なかったです [音楽] ね予算線はこっから先ちょっとね景色が 綺麗な区間があるんですけれどもね地上 最長片道切符の旅ではそちらまでは行き ませんはい堀江駅に到着56年ぐらい前に 実は1度来たことがあるんですよそん時は 連絡戦のことは全然関係なく普通に

タクシーで送ってもらったんですけれども 何も変わらないですねこの貨車を改造した 待ち合い室があります意外と時間帯によっ てはあの朝とかすごい本数が多いですね 30分日本ぐらいありますが14時台 ぐらいになると途端に全く電車がなくなり ますすごいなJR切符発売所簡易託駅と 言って駅前の商店とかにねあの切符の発見 をJRが依頼したりするんですがその時の 看板が残っておりますこの堀江駅も連絡線 の羽場とはかなり離れておりましてこっ からとでま15分ぐらい歩く必要があり ますごめんなさい10分ぐらいで普通に 行けちゃいます ねはい歩いて10分足らずで濁りコの跡地 にやってきましたちょうどあのバスは松山 市駅から直通でやってこれますちょうど タイミングが良かったなあ非常に家になる 港のの景色です ねもう今は普通の公園みたいになっている んですがこっちの方にねちゃんと記念費が あるんですよ濁りコールア国鉄本社船舶部 の次長と国鉄の本社はさすがに煮コールの 存在は忘れていなかったみたいですただ それ以外の説明書きとかはね何もありませ んでしてまここにありましたよということ は一応伝えてくれており ます多分この辺にあのパと連絡する桟橋 みたいなのがあったんでしょうねあれは 多分違うと思いますけれど今はねちょっと した道の駅みたいなのができておりまして 地元の人が釣りにいむごく普通ののどかな 港になっていますあ多分これですねここに 不自然にあのガードレールがあります けれどもこの先があの車両カパに続いてい たんですねあなるほどね奥の方に陸地が 見えますがあれは 本州ではないですね具体的な名前は分から ないですが島だと思いますやっぱり瀬戸内 会は波が穏やかだわ全然波のバシっていう 音がしないですわこれは四国の人たちも みんな優しくなりますよこの堀江にも結構 古い家が残っています今治の近くにある橋 浜っていう無人駅にも前降りたことがあっ たんですがそこもえ漁港として非常に栄え た名残りとして古い建物がたくさんある ところでしたこの辺は無人駅は1つ1つ すごい小さい駅もそれぞれ昔からの歴史が あるみたいですねちょっと仲してしまい ましたが今日最後の列車え堀江からえ松山 駅までえ向かいますあと10分しか ないと [音楽] ざい 陽明です口左側です行きのため2

[音楽] 本 [音楽] her え終点松山ですお出口左側1番乗り場の 到着ですえ各駅停車伊行き会ベタご利 ください3乗りは16時51分発車特急 列車島行は階段タご利ください2番乗りは 17時28分発車ですご乗車ありがとう ございました終山 です もうあと数年で地上駅の松山の様子を見る こともできなくなりますしかしねこの県庁 所在地で特急が発着するにも関わらずこれ 線路3戦でプラットフォームも2面しか ないんですよねよくこんな球体然とした駅 の構造でやっていけてたなと思いますが この特急がねえっと1番線に列停車してい たりとか色々特殊なことをやっていた駅 です JR松山駅はレトロすぎるんじゃない かってぐらいレトロであのそこのバス 乗り場とかもね屋根も少しずつちょっと 揺らせておりますしそこの電光検事板で すらちょっとレトルな怪我してき ますということで12日間やってですね やっと1/とかそれぐらいですよいや こんなに時間かかるんですねこの市上最長 片道切符の旅はえっとこの辺で一旦 ストップにしておこうと思いますあのもし ですねこの動画シリーズが皆さんからご 好評いただければえっと続きをまやろうか と思いますしもしあの全然伸びないとなれ ばですねちょっともうYouTubeやめ てあのしっかりまともな食につこうと思い ますしっかりね手に食をつけたいと思い ますもしねしっかり定食について欲しいと いう方いらっしゃいましたら低評価ボタン を押してくださいまさすがにそれは冗談 ですけれどもあの是非ね高評価ボタンを 押していただいてえ知り合いの人にもあの 進めていただければと思いますではご視聴 ありがとうございまし [音楽] [拍手] た [音楽] 1 [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽]

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史上最長片道切符の旅12日目では、広島県中部から愛媛県に入り、松山市まで移動します。
前回、瀬戸内海の車窓が美しいJR呉線に乗車し、呉市東部に位置する仁方駅で下車しました。
仁方駅からは、1982年6月まで国鉄の「仁堀連絡船」という航路が運航されており、国鉄の普通乗車券にこの航路を組み込んで旅をすることができました。戦後すぐに運行を開始した仁堀航路は、当初こそ石炭不足により列車の運行もままならない状況において貴重な移動手段として重宝されていましたが、時代が下ると他の民間航路との競争に負けて閑古鳥が鳴き、末期には一日2往復のみの運転となっていました。
この航路と宇高連絡船(岡山県~香川県)を経路に組み込むことで、最長片道切符は四国を経由することができていましたが、仁堀航路が廃止されたことにより宇高航路(のちの瀬戸大橋線)のみとなり、今日に至るまで四国は最長片道切符のルートから外れてしまうことになったのです。1982年(昭和57年)の6月23日に東北新幹線(大宮~盛岡)が開業し、同30日に仁堀連絡船が廃止されるまでの8日間が、最長片道切符の経路が史上最長(13423.7キロ)となったわけです。
仁方駅の桟橋は、駅の南にある連絡船乗り換え専用改札口を出て徒歩10分ほどのところにありました。仁方港は2007年を最後に他の民間航路も全て消滅していますが、脇には桟橋の待合所が残っており、これは仁堀航路も使っていた建物のようです。また動画内では発見できませんでしたが、桟橋のロータリーの一角に仁堀連絡船があったことを記念する石碑がひっそりと立っています。

仁堀航路に最も近い民間の航路は、同じく呉市内の阿賀港と堀江駅を結ぶものでしたが、そちらも2009年に廃止され、現在は広島港~呉中央桟橋~松山観光港を結ぶ航路のみが存続しており、そちらに乗船するために呉駅まで移動しました。
連絡船との乗換改札があった仁方駅南口のロータリーから、広電の路線バスに乗車し、呉市第2の拠点である広地区をなどを通っていきます。基本的には国道185号を走行しますが、休山の山越えの区間のみバスは旧道に逸れて呉越峠を越える道路を進みます。1960年代まで呉市電も通るなど長らく呉市内の交通の動脈でしたが、渋滞がひどかったため2002年に休山トンネル(休山新道)の供用が開始されたことで旧道となりました。
旧道は結構な坂道ですが、沿道にはお構いなしに住宅地が広がっています。呉市は明治時代から海軍の呉鎮守府が置かれ、江戸時代までの寒村から大変貌を遂げた街です。平地が狭いため坂の上にまで住宅が進出した景観が既に戦前から形成され、坂が多い街として知られます。このバスでも、峠越えの途中にあるバス停からお年寄りがたくさん乗車してきました。

JRでは約20分で呉駅まで到着するところ、バスで50分近くかけて呉駅まで移動しました。駅の北側には呉の中心市街地が広がっていますが、一見したところ土曜日にも関わらずそこまで人通りが多くないように見えました。
戦後、呉は旧日本軍が解体されて以降も栄え、海軍を引き継いだ海上自衛隊の基地や、造船技術を基にした工業が盛んな都市として長らく人口20万人台を保ってきました。しかし近年は産業の衰退が進んでおり、現在は中国四国地方で最も人口減少率が激しいそうです。2023年には呉港の近くに位置する日本製鉄の工場も完全に稼働を停止し、人口減少に拍車がかかることが危惧されています。人通りの少なさはその表れなのかもしれません。
乗船するフェリーが発着する呉中央桟橋は、呉駅から徒歩7分ほど、屋根付きのデッキを伝うことで雨に濡れることなくアクセスできます。近くには戦艦大和の博物館(大和ミュージアム)や海上自衛隊の呉基地近くの「歴史の見える丘」(ヤマトが建造された造船所などを望める)などの観光資源も集中しています。

広島~呉~松山の航路は2社による共同運航で高速船(スーパージェット)とフェリー(クルーズフェリー)が運航されており、合計19往復と、かなりの便数が設けられています。呉~松山の所要時間は、フェリーだと2時間、高速船だと半分の1時間です。今回は広島県側の会社、瀬戸内海汽船(もう一社は、愛媛県側の石崎汽船)が運航するフェリー「シーパセオ」に乗船しました。
2020年に就航したとても新しい船で、温かみと新鮮さの両方を感じられる内装が最大の特徴です。極めつけは屋上のデッキで、緑色の芝生に上屋付きのベンチが点在する、まるで最新の都市公園のようなデザインには目を奪われました。共同運航する石崎汽船のフェリーもほぼ同じ年代に建造された船で、こちらのデザインも温かみがあります。どちらに乗船しても、2時間の船旅でも飽きることはないでしょう。

波が穏やかな瀬戸内海ということもあり、2時間の航海中ほとんど揺れることはありませんでした。特に周りのほとんどを陸地に囲まれた呉湾にいる間は全くと言っていいほど波が立っておらず、この地が海軍の基地に選ばれたのも納得です。
その呉湾の数少ない外海との出入り口である「音戸の瀬戸」をシーパセオは通ります。この航路最大の見どころで、上空に架かる2本の橋の下をくぐります。本州と倉橋島の間にある音戸の瀬戸は古代から海上交通の要衝であり、幅が最大で100メートルほどしかないために衝突防止のためフェリーは最徐行で通過します。
音戸の瀬戸で呉湾を抜けたのち、1時間ほど瀬戸内海の島々を眺めながら快適な船内で過ごすと、船は松山観光港に着きます。そこから連絡バスに2分だけ乗車すると、伊予鉄道高浜線の終点、高浜駅に到着です。駅前にある高浜港からは近隣の忽那諸島へ向かうフェリーが発着しており、遠方の広島・小倉へ向かうフェリーが発着する松山観光港と対をなしています。
この航路と高浜線の電車を、連絡バスを介して乗り継ぐことで、松山市の中心駅である松山市駅(伊予鉄)まで移動することができます。呉駅から松山市駅まで、フェリーだと約2時間40分、高速船だと1時間40分で移動できます。また、広島市の中心地、紙屋町からだと、路面電車と高速船、伊予鉄の乗り継いで約2時間40分と、とんでもない速さです。

0:00 仁方駅
0:22 今回のルート
0:31 仁堀連絡船(仁堀航路)
1:41 仁堀桟橋跡
3:02 仁方~呉(広電バス)
7:29 呉駅・中央桟橋
9:51 広島~呉~松山航路(シーパセオ)
14:10 音戸の瀬戸
16:18 航路のダイヤ
16:50 松山観光港
18:25 高浜駅
19:41 伊予鉄道 高浜線 梅津寺駅・港山駅
22:04 三津の渡し
24:05 三津浜の街並み
27:59 伊予鉄三津駅とJR三津浜駅
30:45 堀江駅
31:31 堀江桟橋跡
33:53 予讃本線 堀江~松山
35:22 松山駅
36:22 締め
37:04 お知らせ・ルート振り返り
38:46 使用金額・ED

この動画では、フリー動画サイト「DOVA Syndrome」からダウンロードした以下のBGMを利用しています。
(作曲家名は敬称略)

切なき思い出を辿る旅 作曲:alaki paca
https://dova-s.jp/bgm/play14759.html
スペースホッパー 作曲:まんぼう二等兵
https://dova-s.jp/bgm/play4517.html
天駆ける船 作曲:G-MIYA
https://dova-s.jp/bgm/play1870.html
鴎とバイク 作曲:のる
https://dova-s.jp/bgm/play14939.html
HAYABUSA 作曲:GT-K
https://dova-s.jp/bgm/download2528.html
World Heritage 作曲:雨宮
https://dova-s.jp/bgm/play3881.html
青空の下 作曲:オオヒラセイジ
https://dova-s.jp/bgm/play8754.html

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日本は世界有数の鉄道大国です。鉄道を愛好する人の数も世界と比べて圧倒的に多く、桜が咲き誇る時期にも、雪に閉ざされる季節にも、多くの「鉄道ファン」たちが全国に足を延ばし、各地で汽車旅を楽しみます。

そんな「鉄道ファン」の間で、究極の鉄道旅行とされているものが「最長片道切符の旅」と呼ばれるものです。
JRでは、ルートが1本の線になっていさえすれば、基本的にいくらでも経路の長い乗車券を買い求めることができます。そのルールをもとに、理論上考えられる最長の経路となるものが「最長片道切符」と呼ばれる切符です。
1枚の切符で、日本列島の北から南までいろいろなところを巡りながら旅をすることができ、毎年多くの鉄道マニアがこの切符を買って旅行をしています。

現在、最長片道切符の経路の長さはおよそ1万キロです。しかし時代をさかのぼれば、JR、そしてその前身である国鉄は今よりはるかに多くの路線を持っており、もっと長い距離を1枚の切符で乗ることができていました。最もその経路が長かったのは、1982年6月23日から同年6月30日までの間です。鹿児島県の枕崎駅から、九州、本州、四国、また本州に戻り、東北地方を北上して北海道の様似駅まで、総延長13423.7キロメートル。極東のロシア・ウラジオストクから、ユーラシア大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬まで行けてしまう長さです。

今回私は、この「史上最長片道切符」のルートを全てたどる旅を行います。途中には廃止された路線を通る区間もあるので、すべてを鉄道でたどることはできません。そういった区間では、並行して走っているバスに乗ります。ところどころ存在する、バスすら廃止されてしまった区間では、徒歩で移動することもあります。
1982年から2022年、40年の月日がたち、「史上最長片道切符」の沿線地域の交通事情は大きく変化しました。その時代の流れを皆様にご紹介しながら旅をしていきます。

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7 Comments

  1. 松山市までの史上最長片道切符の旅お疲れ様でした。
    ここまで、幅広く楽しんでもらってすごく良かったです。
    この企画が中止になるのが寂しいです。
    お仕事がお忙しいですが、体調に気をつけてください。
    この企画の続きを待っています。

  2. いつも拝見しております。他の方も最長片道切符の動画を投稿されていますが、廃止された路線や第三セクターに転換された路線も他の公共交通機関を利用して旅行されているので感心します。お仕事がお忙しいと思いますが、体調に気を付けて頑張って下さい。佐世保から応援しています。

  3. このシリーズも含め、いつも楽しみに見させていただいております。

    個人的には是非続けていただければと思っております。

    お仕事お忙しいと思いますが、
    どうぞお身体にはお気を付けてください。

    次回の動画も楽しみにしております。

  4. 梅津寺といえば、東京ラブストーリーのラストクライマックス、カンチとリカが別れた所なんだけど……もう知らない人も多いのかなぁ。自分も聖地巡礼に行きました。

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