大江町キリスト教会 2024年2月4日 礼拝
おはようござい ます2月最初の礼拝をお捧げいしましょう どうぞお立ちくださいご一緒に私たちの 救い主に向かって賛美をお捧げいたします 新聖歌60番です そのままお立ちいただいたままで 私たちにイエス様が教えてくださった「主の祈り」をご 一緒にお捧げいたしましょう どうぞお座りください 続きまして 交読いたしましょう 皆さんと私とで交互にお読みしましょう アーメン お祈りします 愛する私たちの天のお父様 あなたの皆を心いっぱい賛美申し上げます あなたがおられなければこの世の人生は無に等しく思います 悪者が悪いことをして栄え 結局強いものが勝ち 悪くても見つからなければ得 そして何でも好き放題した方が幸せと いうようなことがまたまかり通るような 時代だとしても主よ 誠の神様、真実の神様が本当のさき主 ですたえ一時 の繁栄がありまた喜び楽しみがあったとし てもそれは一時で あり本当の意味の幸せそして本当に 素晴らしい人生とは正しいものに宿るのだ と教えてくださり心から感謝いたします その深い真実な言葉に私たちは今日も 励まされ また私たち自身を点検しながらまっすぐに 歩むことができ ます主よ私たちも弱りやすいものであり がっかりしやすいものでありまた時に悪の 誘惑に負け て結局好きなように生きた方が良いかの ように勘違いしやすいものですからどうか 神様誠の道に進ませて くださいどうぞ私たちが弱り果てる時 あなたが心理を持って教えまたあなたの 優しい愛によって励まし助け導いて くださることを今日もよろしくお願い いたしますまた私たちにそのあなたを 見上げそして心理と愛と正しさに向かって 求めて生きる仲間を与えてくださりその 仲間同士声をかけ合いながら励まし合い ながら祈り合いながら今週も進むことが できますからありがとうございますそう です教会は神様の家族また 私たちの憩いの場所です心から感謝 申し上げますどうぞ礼拝もあなたが祝し 導いてくださりこの画面の向こうにおら
れるお1人お1人の上にも等しい恵みで どうぞお支えください祝福を豊かにお注ぎ ください願いつつイエス様の名前を通して お祈りいたします それでは今日の箇所をお読みします 今日はここから「悪い農夫と要の石」と題して御言葉を取り付かせていただきます 今月から聖書日が始まり、私たちの教会では教会みんなで同じ聖書 の箇所を味わいましょうということで えそんなに長い箇所ではありませんえ少し ずつ聖書の箇所をみんなでえ読んで進めて いきたいと思いますそれは新しい川袋とし て御言葉なるキリストをしっかり入れする ということにつがありますその励ましの ために今月のメッセージはこの聖書日課 から取り付いでいきたいと願っており ますということで今日はマルコの福音書の 12章の1節から12節ですここには武道 園の例え話が書いてありますこの例え話は イエス様がえイエス様を避難するために 取り囲んでいる最市長立法学者パリサイ人 たちに対してお話しなさった例え話ですえ どういうお話かというあらすじをちょっと え見てまいりましょうまずえある人が 素晴らしい武道園を作りましたどうして 素晴らしいかと思えるかと言いますと1節 ののところにある人が武道園を作った垣根 をめぐらし踏み場を掘り見張りやを立てと 書いてありますこの付属品と言ったらいい でしょうか武道円と言ったら武道の木が 1番大事ですねブドの木があるから武道円 なんですねそのブド円のそれだけでなく それをぐるりと囲む守るためのかきねが あるそしてそのブドを収穫してえそして 加工するための踏み場を掘ってそれを作っ ているそして見張りヤグまで立てていると いうことですからもうこれさえあればいい でしょっていうようなそんな手の抜いた 武道園ではない もう必要なものは全て揃えますいや必要な ものだけでなくこれもあった方がいいと 思えるそのいろんなものをちゃんと備えて もうあれですねホテルだったら泊まれるば いいそれで止まれればいいでしょっていう ホテルではなくえこういろんなものがこう 付随してあるというそういうえみつ星しい ホテルみたいな感じですね本当に 素晴らしい武道園あれもこれもちゃんと 設備が整っているというそういう武道園を お作りになったということですそして その武道園を作った主人がえ農婦たちを 雇ってその農婦たちに管理を任せました そしてその武道園がえ時期を迎えまして 収穫の時期になりましたそこでその武道園 を作ったオーナーですねその主人がその 収穫の取り分を受け取りに自分のところ
から下部を使わしますさあ収穫がとても いい収穫が出たはずですよえオーナーにご 主人にどうぞその え預かりちっと言うんでしょうかねその 収穫を収穫の一部をお支払いくださいと いうことで下部を使わしましたするとこの 農婦たちはなんと何1つ渡さないどころか 暴力を振ってこの下部を追い返しました これはあの借りているものとしたら ちょっと考えられないことですねえ自分 たちが借りてるんですからどうも ありがとうございましたこれだけ 素晴らしい収穫がありましたつきましては この文がお支払い分ですっていう風にお 渡しするのが当然なんですけどもこの納付 たちは全くそれをし ないで主人はあれどうしたかなということ でなんともう1回別な下部を送りました ところがその下部が到着するやなやその 農婦たちはまた暴力を振ったりまたは殺し たりしたということなん ですこれは1度や2度ではなかったよう です何度しもべを送ってもその下部をえ 暴力を古いまた殺したりして全くその収穫 の取り分を渡そうとしなかったということ です最後に主人 はなんと自分の1人息子大事な跡取を送る ことに決めました今まで下部たちを送って 散々な目に合わされたけれどもでも息子 だったら自分の明大もう息子だったら きっと敬ってくれるだろうちゃんと責任を 果たしてくれるちゃんと応じてくれる だろうと思って息子を送りましたところが この息子を見た途端そのノフたちはああ あいつがあとだあいつを殺して武道園を 乗っとるそう決めましてこの息子を殺し そして投げ捨てました これを知った主人は とうと怒りノフたちを死刑に処しました これがこの例え話のあす ですこれはどういうお話でしょうかこれを 私たちが見た時にえそういう悪いやもいた んだなというそういう読み方でいいん でしょうかそれともは武道園の農婦っての はこういう悪いやがいるから気をつけろっ ていうことかなというそういう武道園また 農婦たちに気をつけろということでしょう かいえいえこれは例え話です例えてるん です何をどう例えているかと言うとこの 武道園のオーナー主人これは神様を例えて いますそしてこの武道園の管理を任された 農婦たちは宗教指導者たち今この目の前で イエス様がお話ししているその目の前で 聞いている最長立法学者パリサイ人たち
です今イエス様に文句をつけてイエス様を 避難し吊し上げようとしているその人たち のことですそしてええ何度もえ主人から 使わされそして暴力をふわれ殺されていっ た下部たちこれは神様から送り出された 迫害された予言者たちのことを例えてい ますそして最後の最後にこの息子だったら と送り出したその殺された息子というのは イエス キリストイエス様のことを例えています 実際この例え話と同じように彼らはイエス 様を十字架で殺しまし たこのようにこの話を聞いている人たちに 向けてイエス様は例え話であなた方がして いること考えていること は自分では自分のていることが分からない でしょうけれども例え話で客観的に自分の やっていることを見たらどんなにまれな どんなに悪いことをしているかを気づくん じゃないんでしょうかということでイエス 様は例え話で話してくださいまし たさあ皆さんここで私たちはこの例え話の お問題点って言うんでしょうか何が悪かっ たのかこの農婦の何が悪かったのか本当に もう私たちはこれを聞くだけでなんて ひどいノフたちでしょうかもう後で死刑に されて当然です何人殺したんですかという そういうことですけどもちょっと おどこがどう悪かったかを今整理してみ ましょう何が悪かったのかそれは大きく 分けて3つ悪いことがありましたまず1番 目この農婦たちは借りた身の上であり ながら王な主人を無視して武道園を自分の もののようにしていまし たこの農婦たちは武道園の管理を任されて はいるんですけども所有者ではないんです 所有者は主人神様ですそれなのに自分の 利益ばかりを求めていまし たこの例え話を読みながら私たち は自分は大丈夫かなと自分の身にも 置き換えながら読む必要があると思います 私たちもオーナーである神様を無視して まるで自分のもののように考えてはいない だろうか私たちが神様に貸していただいて いる与えられている管理を任されている この 地球この自然界また個人的なレベルで言う ならば与えられている 家族 仕事そして自分の体 健康これをもう自分のものだと思い込んで 自分のものなんだから好き放題して何が 悪いという風に勘違いしているとしたなら ば私たちもこの悪い納富たち
となんら変わらない存在ではないでしょう か私たちは神様に任されている農婦 ですオーナーは神様です神様がこの地球 この世界をお作りになりました神様のもの ですこの命この 体これも神様が私たちにくださった元々神 様のものでありその管理その お私たちに管理を任せてくださってる 私たちに任せて私たちに与えてくださって いるそれをもう自分のものだと勘違いし 好き放題して何が悪いと思ってはいない でしょうかこれが1番目の間違いですね2 番目え悪かった点の2番目はえ払う べき収益を主人に払わなかったという部分 ですもう自分のものだって勘違いしている から払えなんて言われるとはなんて何を 言うんですか全部全部私のものですと言い たくなって しまう全部自分のものだと思う から感謝しなさいなんて言われてもはあ何 が私のものですよ何を感謝するんですか誰 に感謝するんですかどうしてですか私が 頑張り私のものですっていう風にえ思うと したならばもう私たちもノフこの悪い悪い ノフと似ているのではないでしょう か私たちに任せてくださった私たちにに 与えてくださったそれによってこのように え収益ではないけれどもこのように恵みを いただきましたこのようにえ私たちは幸せ をいただきましたこのようないいことが ありましたという時に感謝しますと応答 するのはごく自然なことですだって元元は えいきもとますか借り物ですからもう本当 にいやこれのおかげでこうなりました感謝 しますというのはごく自然なことのはず ですですから私たちが感謝のお祈りをする のはごくごく自然のことです感謝しなさい なんて言われるとえ感謝しなきゃいけない のなんていうことではないのです感謝する ことがごくごく 当然そして私たちが献金するのもこの感謝 の心ですお賽銭のようにこれの私の願いを 聞いてもらうためにこれぐらい支払います というそういうようなあことは献金では ありませ ん武道園の収益私たちが頂いたものから このように素晴らしいことになりましたと いう収の中からオーナーにご主人に神様に 感謝しますというお捧げ物ですだって 元々恵まれた中からの収益の一部をお返し するわけですからそれは私たちのものでは なく元々全てもうあなたのものですという ところを神様がいや全部じゃなくていいよ 一部でいいよと言ってくださってんです
からあはい一部を感謝の気持ちとしてお 捧げしますというそういうことです ねですからもし私たちが感謝したくない え感謝しろと言われるのはなぜ嫌よという 気持ちがあるとしたならばどうぞここに 自分を自分の心に目を止めてあれ全部自分 のもの自分がやった自分自分自分って思っ てないかなと心の点検をいたし ましょうそうでないとそれは勘違いです から勘違いからいい結果は生まれませ ん さあこれが2番目ですね感謝の心がない はい3番目のあまち は下部たちそして息子まで殺したという 部分です暴力殺人なんて言ったら誰だって もうこれは悪いことだってお気づきになる 問題点 です悪いノフたちは下たち送られてきた下 を次々とを古いそして殺しましたそして 最終的に息子後継まで殺しましたこれは 旧約聖書を見れば正しい予言者たちが神様 から次々とえ送り出されるにも関わらず 迫害し殺してきたというイスラエルの歴史 旧約聖書に書いてある通り ですこれを見て 私たちも大丈夫でしょうかいや何を言うん ですかか先生私は誰に対しても暴力を振っ たこともなければもちろん人なんか殺した ことはありませんこの3番目の誤ちだけは もう胸を張って言えます私はこのちを犯し ていませんと多くの方がおっしゃるかと 思いますでも大丈夫でしょう かもし私たちがあなたそれダメだよと指摘 された叱られたとした時に言われてむっと したことはないでしょう かダメだよそれはそれは間違っていますよ これはこんなことしてはいけませんよと いう風に言われた時にむとしながらはい はい分かりましたみたいないうことは なかったでしょう か そして場合によってはあ私は叱られるより も褒められて成長するタイプなので叱ら ないでいただけますか褒めて私を育てて くださいなんてですねいうようなことが あったでしょう かもう叱られたくない悪いことを指摘され たくない 何か正しいことを言われた時にむっとする こうしてくださいって言われるとむっと するということであるなら ば確かに暴力は振っていないそして人を 殺してはいないかもしれないけれど も心の中
で 同じサイクルというんですかシステムが動 い てこの言う人のこと嫌だなという風に心の 中でググっと押しのけ場合によってはその 人のこと嫌だな避けようという風にその人 の存在を消すというそういうま人殺しまで はしないとしても似たような心の動きが 働いていないでしょう か正しいことを求めるああ言っていただい てありがとうございますそうですねこれは 本当に間違いでしたすべきことを果たし ます感謝を捧げますしなければならない ことを果たしますそして正しいことをやっ ていきますそれを追求し自分から自ら進ん で正しいことをしていきますというような こと態度よりもいやいやいやいやできる ことならそんなことはしたくない自分の 正しいことよりも自分の気分が良くなる こと楽なもの得することを求めていきたい と思うならばこの悪い農婦たちと何らか わく変わらないということになります彼ら も支払いなさいと言われた時に嫌 ですそういうような下部を排除しますと いうことをしてきた悪いの2たちともし 私たちも嫌です正しいことをするよりは楽 な道そしてえ自分の気分が良くなることの 方がまた自分が得することの方を求めて いきますということであるならばなんら 変わりない心の持 です教えてくれる人叱ってくれる人してし てくれる人を悪く思ったり遠ざけたりして はいないでしょう かあなたそんなことしちゃだめよって言わ れた時にもちろんショックを受ける でしょうけどもああそうだなって言って くれてよかった私はこれを変えなきゃいけ ないていう風に なる教えられやすい教えてもらいやすい心 これが私たちにあるでしょうかそれとも ああああああ分かった分かったうるさい から言う通りにするよとか人の目を気にし てバレちゃったからやらなきゃいけないな というそういう思いでいやいや正しいこと をするでしょう かそれとももっと正しいことを言う人あの 人あんなこと言っていやよねっていう風に え迫害し遠ざけ心の中で殺すという作業に 行ってしまうでしょう か私たちの心の点検この例え話を持って 本当に私たちも自分たち がこのような悪い脳にならないように気を つけなければなりませ んえー実はこの例え話はここでえ話自体は
終わっているのですけども導電返しの続き がこの後書いてありますイエス様はこの 例え話の締めくくりにこんな言葉を おっしゃっています10節と11節 あなた方は次の聖書の言葉を読んだことが ないのですか家を立てる者たちが捨てたい しそれが金めの意となったこれは主が なさったこと私たちの目には不思議なこと だこの言葉でイエス様はこの例え話の 締めくくりをなさいまし たいきなり武道園の話ではない石の話を なさったんですねその意はただの意では ありません建築の時に使う意の話です えー家を建てる者たちが捨てた意それが 金めの石となったつまり家を建てる建築士 まあ日本は木作りのいい家が昔ま今も多い ですけども 向こうの欧米の方でしたら石作りですね その 石家を建てる建築士専門家がこの石は 使い物にならないと捨てた石その捨てられ た石こそが金めの石となった重要な意と なったというのですこれは イエス様のこと を例えていますイエス様も十字架にかけ られて捨てられました殺されました宗教 指導者た小さ師たち立法学者パリサイ人 たちがいらない十字架にかけろ殺して しまえと言ったこのイエス様ご自身が実は 1番重要なな金めの石になっている金めの 石なんだよというそういうことですえこの 金めの意というものは英語で言えばえ英語 で訳されている聖書で見るとコーナー ストーンと書いてある聖書があります コーナーストーンと訳された場合それは 土台の意という意味ですえ土台の意もう 建築物にとっては1番土台が重要ですね あとどんなに立てあがってもまたどんなに きらびやかな建物だとしても土台が ちゃんとしていないともう全てが崩れはて てしまう このイエス様は土台の石金めの石だという のですまたえキーストーンという風に訳さ れる場合この金の重要な意思という意味に なるわけですけども えーイエス様がこのお話をなさっていた 時代古代ローマの建築物が立てられた時代 ですもう次々ともうローマ古代ローマ ローマ帝国があちらこちらに劇場を作っ たりまたが水道橋を作ったりというそう いう盛に作られた時期でありますでその 古代ローマの建築物が今でも現代でも残っ ていますね壊れないで何百年もいやえ 2000年前のものであっても残ってる
壊れないというのはよほど頑丈なんですで 素晴らしい建築物だということが言えると 思いますこれがえーどういう風に作られて いるかその水道橋やまたえ建物などもそう なんですけどもこういう風にアーチ状にえ 石が積みたえ積み重ねられていてその アーチ状の真ん中にこうはめ込まれるくび のように置かれる石これが金めの石と呼ば れているんだそうですこのアチ状になった 時にうまくここがはめられることによって ぐっとその石の重みがこう加わってその 隙間がぎゅっと詰まってもう崩れないもう きしっとはまってですねもうこの石のえ重 さがこのどんなにいこのの許され揺された としてももう隙間なくぐっとはめ込まれた これが金めの意だというの ですこれ が私たちの心にイエス様が金めの石て意思 としてぐっと中央にトップに入っている そうすると水道橋のようにこのえこういう 風に丸くなっているこの石が積み重ねた その真ん中にこのトップにぐっと入って いるこれは美しいだけでなく頑丈にする 重要なポイント重要な金めの石 ですこれがなぜ 家を建てる専門家建築士たちがいらないと 捨ててしまったのかと本当にびっくりです ねもしかしたら 古い建築様式ただただ積み重ねるっていう だけだったらいらないこんなん意思はと いうことになったのかもしれませんでも えーこういう風に上に積み重ねていくこの え建築様式からするならばそれは大変重要 な意思と なるそういうことで古い様式しか知らない 建築士には役に立たない意思だとしても 新しい建築様式それが何百年も何千年も 壊れない建築様式の金めの意思となっ た私たちの心にもこの金めの意が必要です いや私には必要ありません今までこうやっ て生きてきたんです私はこの人生こういう 風にこうやって積み重ねてきたんですって いうような古い様式しか知らない人にとっ てはイエス様を信じるイエス様の生き方 聖書のやり方そんなのは馬鹿らしいと 思えるかもしれませんけれども新しい川袋 新しい様式にはこのイエス様が私の心の 中心私のトップ優先順位の1番そこに イエス様がどうしても必要なんですそうで なければそれはこういう風に積み重ねた時 にバラバラバラと言って しまうそしてただ今までの古い様式のよう にただ重ねていくだけだったらまた ボラボラボラと揺れて
しまうイエス様が私の心の中心にトップに 入って収まってくださることによって1番 重要なところにしっかりと据えられること によって私の心魂生活人生私の全てが しっかりと納め られるこれがイエス様私のの金めの意思 ああ例え私自身が悪い悪い納富だったよう なそういう生き方をしてきたかもしれない けどもやめ ます私の心の中にしよイエス様来て くださいいやイエス様を今まで信じていた けれどももういらないみたいに隅っこの方 に片付けられていたかもしれない私は私の やり方があるんですという風に生きていた かもしれないでもそれをやめます私の心の 中央にトップにイエス様が入り据えられる ことによって全てがきしっと収まるああ そのように 私たち生きていくことができるというの ですそれは金めの意イエス様 がおられるからです イエス様が必要です絶対イエス様が私の 真ん中に私たちの真ん中にイエス様が必要 ですお祈りをいたし ましょう愛する私たちの天の父 様家を立てる者たちが捨てたいしそれが 金めの意となったそれ が金めの石となったこれは主がなさった こと私たちの目には不思議なことだと 愛する私たちの天の お父様不思議なことに見えるほど不思議な ことが 起こる主がなさったことだと主よどうぞ 私たちの心にもなさってください私たちの 心の真ん中にイエス様をどうぞ据えて くださいそれは 私たちに絶対に必要なこと ですどうか今までの私たちの生き方イエス 様をないがしろにしていたような部分が あったかもしれませ んお許しください そしてその生き方を今すぐ辞めてイエス様 を真ん中 に吸えますどうぞ しよ私たちの心にこの不思議なことを なさって ください私たちの中央に私たちのトップに 金め石としてイエス様を据えてください そうすると全てのものがそこ に納められ全て されてもう何百年どこか何千年どこか永遠 の神の住まいとなるでしょうどうぞしよう 私たちにそれをなさって ください感謝し ますイエス様の名前を通してお祈りいたし
ます それでは感謝の応答の時を持たせていただきましょう 感謝のお祈りをいたします 雪よりも雪よりも白くなしたまえ きよき血潮にて 愛する私たちの天の お父様 あなたが十字架にかかってくださり 私たちの真っ黒な心を雪よりも白くしてくださり 全ての罪を許してくださったことを心から感謝いたします それゆえ私たちは感謝せずにはいられません 賛美せずには折れませんそして感謝の心を持って今献金もお捧げ いたしましたこれはあなたから頂いた恵の 中から持ってまりました主よ感謝いたし ますなおなおあなたの恵の中で暮らす今日 1日またこの1週間とならせてください 私たちの神様となってくださり私たちの 救い主となってくださったことを心から 感謝申し上げますいつも私たちと一緒にい てくださりいつも私たちを導き助けて くださりいつも危うきから守ってくださり 心から感謝いたしますどんな時にも私たち を励まし強め私たちに新しい力を与えて くださることを心から感謝いたします イエス様の名前を通してお祈りいたします それではどうぞお立ちください 「使徒信条」を持って私たちの信仰を告白しましょう そのままお立ちいだいたままで頌栄します 新聖歌63番、ご一緒に賛美しましょう そのまま黙祷の姿勢をお取りください 祝祷します
【礼拝内容】
招詞:コロサイ人への手紙2:7
頌栄:新聖歌60
主の祈り
交読文:25
賛美:新聖歌46
聖書:マルコの福音書12:1~12
説教:悪い農夫と要の石
賛美:新聖歌378
祈り
使徒信条
頌栄:新聖歌63
祝祷
チャーチ・オブ・ゴッド 大江町キリスト教会
牧師 髙橋 香世