【能登半島地震1か月】石川県七尾市長に聞く 復旧・復興への課題 ゲスト:御厨貴(東京大学名誉教授)茶谷義隆(石川・七尾市長)2月1日(木)BS11 報道ライブインサイドOUT

これ三栗さんに伺いますけどこの被災者 支援です再建支援まあ300万ですプラス あの高齢者の方にで300万ということで ま最大600万ということなんですがはい まこれはあの今後再建に向けてあの歩ま なきゃいけないんですがこれ県段階では どのように捉えてますかそうですねあのま よく色々言われるんですけど私はあの北 政権としては割合とあのスムースにえ対応 したなというそういう印象を受けますねい はいそうですね非常にやっぱりねこの半島 という中での今回は地震でしたからま色々 最初の初期対応なんかも含めてご苦労され た部分というのは各方面であったと思い ますがまあの元日からこの大地震まで今日 でですね1ヶ月ということになるんですが 三谷さんこれあの元日の地震でしたこれ あのま震災直後ですねこれは情報接してと いうかどんなことこれお考えになりました はいはいそうですねちょうどあの和島乗り のですねそれこそお椀ではいはい雑煮を 食べ終わったとこだったんですよああはい でそれでテレビをつけたらえその半島は 地震だということになってしかもまさにの そのボワを食べたそのノトがやられて るっていんでねららららららてなもんで それでまこれまで3.11からの後はです ねま南海トラフが起きるとかね東京直下が 起きるとかまそれからあとつまに対しては こういう風にいいという訓練はしてきた けれども今回は半島ですからねこのね大変 なことになるだろうなとやっぱり思いまし たね半島についてってのはねやっぱり ちょっと多分ねあの全体から言うとそんな にそこで起きるってい風にあまりみ思って ないところに来たんじゃないかなとその時 思いましたそうですねあのこれ三谷さんは 東日本大震災の時も対応されたわけなん ですがこれとのやっぱり違い今半島の話が 出ましたそれと非常にあのまどうしてもソ 問題なんかも出てくるとは思うんですが これについてはどのように違いを見てます かそうですねあのね半島はま今日本全国 そうだと言えばそうなんですけどま過疎の もんですね特に過疎で半島っていうのは やっぱりですねそのま全部が全部そうで あるとは言わないけどやっぱりあの普通の 都市よりは あの家いえが見なくはいはい散在してます からねはいはいそうするとねそれ全体が もうどういう風に一挙に見たらいいかい 分かりませんよねうんこの地域でこう風に 行ってやらなくてやっぱり一見一件がこう 別々にあってしかもそれが上から見たん じゃ見えないという時にじゃどういう風に

ねしていくかってことこれはやっぱ大変 だったんじゃないかないやあの当初から ですねその孤立地域というのがねあちこち にあるんでなかなかそこまでいな食料で あるとかいろんな支援の手が届かないって いうのは心配された向きがあったわけです けどやっぱりそれはも完全に半島の特徴と いうのが出ていたわけですよね思います ポツンポツンとという中にそれ全部 ええ支援をしいいうそうそうそうそうそう うん難しさということなんですが難の半島 地震発災から1ヶ月石川県の被害状況 です死者は災害関連手を含め240人重賞 者は311人住宅被害は全回反回一部破損 合わせて4万7904無避難者は旅館 ホテルなどの2次避難所を合わせると 1万4431人となってい ますここからは災害対応でご多忙の中石川 県七尾市長の茶谷義孝さんに七尾市役所 からリモートにてご出演いただきますえ 視聴どうもありがとうございますお時間 いただきましてはい7のでございます どうぞよろしくお願いいしますよろしくお 願いいたしますまあの からですね1か月ということなんですが 大変あの人頭式に当たっておられてまあの ご苦労されてると思うんですが今の思い まず一言聞かせていただきますかそうです ねまあの発売から1ヶ月ま日々国国と状況 が変わる中でですねそれに対応する状況で ま1ヶ月あっという間だったなっていう 感じはしました当初はやはりこういかに こう人命を守るかそしてまあの水や食料 などの供給ですねそういうものをしっかり とい確保するその後はやはりこう避難所に おいての感染症対策ですねまコロナや インフルエンザっていうのが発生してき ましたのでえそういうものに対する対応を しながらですね1ヶ月が過ぎたなと今現在 はまた新たなフェーズに入ったそんな感じ がしておりますうんこれあのえ市長のです ねその役所の皆さんもですねまご自宅も 当然被災した方がたくさんいらっしゃった んでしょうしま消防隊の警察官にうんしろ ですね多くの方が自らも被災にあった中で 活動しなきゃいけないということの中って いうのは相当ご苦もあったんじゃないかと 思うんですがその点どうですかそうですね あの職員の中ではもう自宅をがあの開して ですねあの避難所からあ仕事に出てるそう いう職員しあとは部署によっては本当に 休みなく働いてるそういう職員もたくさん いますはいうんあのこれあの市長ご自身も やっぱりこの7おしですからえ震災のです ね被害はどどうなったんですかあ私の家は

自宅はまあの大丈夫だったんですけども やっぱりこう家具が倒れたりとかあの テレビが落ちてきたりとかあかなりええ 部屋中がこうガラスで散りたようなそう いう状況でそうそんなにやっぱりですねま その中であの7押しで現在も1000人 以上が第1次避難所でのですね生活を強い られてるとことなんで先ほどあの水の問題 とか衛星の問題も出ましたけど1番お困り のことてのは何ですかやはりあの断水です ねあの通水してない世代がもうかなりあり ますのでえそこによってのまトイレの問題 そしてま力ができないはいそして選択です ねえそれでまあの自宅に戻れないっていう 方が結構おられますねはいああ現在のこれ 給水状態っていうか断水状態っていうのは これあのどうなってるんですか あおかげ様であの七尾市は建水と言いまし てあの加賀の方の手取川の水がああの県 から送られてきてその水が あ大半の7市内に流れてるんですけども それが最初あの復旧の見込みが立たないと いうことで2ヶ月以上かかるとでそしてま 場所によってはま4月以降になってしまう ていう話があったんですけどもそれが途中 から思った以上に早く進みましてそ良かっ たですの入り口までその懸垂が来ておりま それまでにも色々と水道のこう破損箇所道 の修繕は行っていましたのでこれからは 少しスムーズになあの通過ができるんでは ないかなという風に考えていますあああと あの支援の輪ですけどもね災害 ボランティアの皆さんも登録というのは 相当進んでいるけどもやっぱりあの剣道が 1本であるとか寸断されてるとかですね 非常に道路事情も悪いという中でなかなか あの駆けつけよにもですねそういう環境 そのものがなかなか整備されないと難しい というとこがあると思うんですがこの辺 りってのはどうでしょうかそうですねま 当初はかなりこう災害車両と一般の車両で ですね渋滞が起こりまして一般の ボランティアは県としてもお断わりすると いうことでした名島では比較的金沢から 富山方面からえ1時間程度で来れるんです けどもその先が渋滞するということもあっ たんですけどもまあのあのなしとすれば できるだけ早くそういうボランティアの方 に来ていただいてえ瓦礫であったりとか あの災害のそういうゴミをですね片付けて もらえたいなという思いはあったんです けどもようやくこの1月27日からはい あの災害ボランティアの受け入れが開始し ましてただま当初は1日20名体制という ことでえまだまだ足りない状況なんですえ

2月3日からはようやく40名体制って いうことなんですけどもそれでもま まだまだ足りない状況になっていますそう ですねあのニュースなんか見てますとね やっぱりどうしてもあのお年寄りが多い ですからあのま老夫婦っていうか言い方 ですけどもあのやっぱりこう家の周辺を 片付けたいけども自分たちではとてもその 思いもも持てない人かっていうのはあって その点ではまあ20人40人ってどんどん 増えてくるとなんとなく自分たちも頑張ら なきゃいけないという被災者の方もそう いう意識もなんか勇気づけられる部っての はあるでしょうね はいあのどんどん街中が片付くことによっ てやっぱりこれから復旧してるなっていう のがあの市民にとってもそういう感情が 生まれてくるんではないかなていう風に 思いますそうですねあと災害込みの問題 ってのは随分心配されてますけど少しは 進んでいるんでしょうか片付けというか ですね災害廃棄物の仮置場につきましては 1月12日にえ設置しましてただま七星 っていうのは非常に広いのでそこにまあ みんな集まってゴミをを捨てに来るという 風になるとま時間もかかりますし渋滞を生 くっていうことがありますのでまあのの方 にはあと2箇所ぐらいえ別のところにです ねえ設置していただきたいということで 要望はしておりますこれがやっぱり相当 大きな問題になも今までのその東日本でも ですね例見てましてもやっぱり大きいん ですよね三栗さんやっぱり今あの市長さん がね色お話されてましたけどやっぱりあの どうしても東日本大震災まあれは大変平岩 というが中でしたけどもあのどうしても 半島という中において道路が1本である 国道がですねその点ではなかなか最初の 支援というのも含めてやっぱり違いって いうのは相当ありますかねそういやあると 思いますあのえつまりボランティアで行き たいって人はもううあすぐできるわけです よねだからま受け入れたいっていう方も そうなんだけどこれね東日本の時はまだ そこまで行ってなかっただから熊本の時に は最初に熊本の方がむしろ入ってくるなっ ていうのがあってねはいえ釈したんです 今回はそうではないんだけどやっぱり半島 特有の問題ずっとあの市長さんが おっしゃってるように1本の道がねするこ 崩れてるとこにどうやってその人を運んで いくかっていうね根本的なところが やっぱりあのやっぱり大変なんだっていう ことででそういうことに関してはどうなん でしょうかあのえちょっとお伺いしたいん

ですけどそういうその自信が仮に起きた時 に支援物資とか人間をどうやってその え現地に送り込むかみたいなことはずっと シミュレーション的なことはやっていらし たんでしょうかどうなんですかえっと物資 とか人の送り込みていうことでは シュミレーションっていうのはそんなに できてなかったんではないかなっていう風 に思いますはいただまあの実際にあの発売 した後はですねいろんな方法を考えて 例えばまあの7市っていうのは7子港が あるので海からの救援であったりとかま あとはいあの喉にはの空港の佐空港いうの あるでまあの空からのあのそういう物資 の搬入っていうのも今後考えられるんでは ないかなという風に思ってますうん なるほどねですね七尾町である茶谷さんは え七の和倉温泉の旅館を修繕し支援に入る 人たちを受け入れることができれば復興が 早まると訴えられているんですが茶谷さん その理由っていうのは何なんでしょうかね あの先ほども申し上げたた通りこの7まで 来るのにですねえ金沢方面富山方面からも 1時間以上かかりますしまた奥の方に行く となるとですねまあの金沢富山方面から2 時間3時間ってかかるんですねそうします と復の時間だけでやっぱり4時間5時間 かかってしまうと当然時間のロスになり ますしあの名はそういう和温泉っていうま 宿泊するキャパがあるのでそこでえ支援者 が宿泊をしていただいて奥に行くともう 時間的なロスがあかなり減るとえそれが奥 の復旧にも加速するというそういう思いが ありますうんうんニアさんどうなん でしょうかこのここにやっぱりその拠点を 持つっていうことの重要性っていうのは あるんでしょうかいやものすごものすごく あると思いますね例えばね今のお話聞いて て思い出したんですけどあのえいわゆる 阪神淡路の大震災あの時にあのの話を聞い た時にえ当時政府におられた野中さんね はい野中さんがまず最初に行ったのは温泉 を探せと言ったんですよ温泉をでね温泉に とにかくつるということは人身の安定に 非常に役に出すはいだからねとにかくそう いうところを抑えてそこにどんどん どんどんそこを刈り上げてでそこに人を 送り込めとねでそれとにかく関西中の温泉 を探せってことをやったっていうね やっぱりねそういうま野中さんすごい感が 良かったと思うんですけどねで今回の場合 はまさにそれをやることによってむしろ 道路自由や何かに関してもプラスになると いうことであればねええ然ねあのこの政策 ってのは進めていくべきもんだと思います

よねうんうんこれあの和倉温泉のこれあの 茶谷さんですね主要ってのはこれ人数的に はどのぐらいこう想定できるんですかそう ですね通常であれば2500人から 3000人ぐらいの方が宿泊できると思う んですけどもただまこういう常時なのでま 大広田線自体もこうダメージがそうですよ ねなのであまあの本当にこの和星の早期 復旧がですねこのの全体の復旧の早まる ことにつながるかなていう風に考えてい ますそうですよね和倉温泉でもね相当の 有名な温泉それいろんな可能ありますけど も皆さん頑張ってこれは復旧復建の再建へ という中でまずそれがあってじゃあこの 中心線の本部みたいなを作ってということ がこれ大事になってくるんだと思いますが ただあの今そのうん避難んですけども今7 王で現在36の避難所が解説されていると いうことなんですがよく二次避難の話が出 ましたけどもこの辺りというのはこれあの いややっぱり地元にとまりたいという方方 もま多いという風には伺ってるんですが これあの市長としてはこれどのようなお 伺えですかそうですねやはりま高齢者が 多くてえ地元を離れたくないっていう思い の方もおられますしあと若い方であると やっぱ仕事があるのでえこの場所を離れ られないあとまあの子供さんの学校の関係 ですねえそういうものもあってなかなか こう二次避難の場所には踏み出せないって いう方が結構おられると思いますまと やっぱりあの自宅がですねやっぱり いろんなあのこう安全状の問題とかですね 防犯上の問題でやっぱり確認したいって いうこともあってなかなか離れにくいて 言ってる方もいらっしゃるようなんですが やっぱりその不安というのも多少あります かそうですねあのに 不安があるのとあとやはりこうま建物を 解体する中でやはりあの重品とかある場合 はそれをま取り出したいというものがある のでその避難所と自宅を行ったり来たり するっていうのもちょっと負担になるのか なていう風に考えてますうんまその中で よくあのこれは過去のですねそれは 東日本大震災それ以前からそうなんです 熊本にしても仮説重作というのをですね今 も建設始まってる部分もあるというに伺っ てますけどうん この仮説住宅に関してはこれ三さんはこれ どのようなお伺いですかはいいやあのま 難所とかねそれからそのま貨住宅あの もちろん大事なんですけどもねここは やっぱ仮であるというねまさにことでなん となくねその不安から来るですねま災害

関連者なもそこで起きるわけですけれども ねだからあのなるべく早く高級化住宅を その作るべきであるとで我々のそのやった そのえあの時もえだからなるべく早くその 高級化住宅つまりいわゆるもう復興住宅 ってののにいかに早く行くかってことを やってでなかなかねしかしそれ難しいん ですけどもあのそれがやっぱりね希望を 生んでくるだここでよつ自分たちは いよいよこれからえうんもう1ぺ生活の 再建もやるんだと思えばねやれるんだけど そうじゃなくてずっと仮説というのはね なんとなくねやっぱり現場私も言ってみ ましたけどねこれでずっとや耐というのは 難しいなと思いましたもねはいはいま私も 何年か取材をねしましたけどこれあの茶西 長この辺りというのはですね非常にあの 現場のあのやっぱりですね人頭式に当たる ものとしてはま難しいこれから大体九春な 地形が多いのでその仮説住宅の土地その ものというのもやっぱり平地がずっと 広がってるとこと違っていると思うんです がこの辺りはどうですかそうですねあの やはり今避難所でえ過ごされてる方これ からま火星住宅に住まれる方もそうなん ですけどもやはりあの先ほどにお話もあり ましたけど仮の場所で非日常の場所なん ですねだからできるだけこう日常生活を しっかりと取り戻していただくていうため にはそういう高級なあの住宅っていうのは 必要になってくるのかなという風に思って おりますあとまあの七市内はあ結構古い 建物と新しい建物は混在してるのであの はい壊れてる場所っていうのは歯抜けに なってしまうんですよねだからこう まとまってえ高級住宅を高級的な住宅を 立てるっていうのはなかなか難しいい状況 かなっていう風にはいああそういう やっぱり難しさもあるんですねはいお 知らせあまお年寄りがあああお年寄りも 落しも多いのでやはりその経済的な部分 っていうのもしっかりと支援していかない といけないかそうですよねこれ本当に大事 なとこですね三栗さんあのこれからま復旧 復興というですねま段階へはいま一瞬行か なきゃいけないとは思うんですけどもこれ あの復興ビジョンという中で言うと やっぱりこの東日本大震災の教訓から得 られるものというかまこれからのことです けどもこれまずどのようにお考えですか うんあのねやっぱりその誰が戻ってくる かっていうねでこれその東日本大震災の時 もこれ若者が戻ってくるだろうってこと 随分みんな考えてやったんですけども結果 ねどうな住宅でも何でもやってみると若者

もた むしろおじいさんおばあさんはそこにいて 若に戻っておいでっていうけどねもうね嫌 だとそのやっぱ年に出たら年のがねず住み やすいから出てっちゃうってのは多かった だからここで考えなくちゃいけないのは それでもそのね若い人の力なかったらね 復興はありえないだからね割と若い20代 30代にその魅力的なね土作りをやっぱり 任せてもいいぐらいなことで参加させて戻 戻してくるでもちろんそこにあの年寄りの 声もえ反映されていのは当然なんですけど ねやっぱ若い人をどれだけそのねキャッチ するかってのは大きくてだからその南県の その川ではですねあれ若者の意見を 取り入れてねで街がね再建して今人口が 増え続けてますでしょうだからああいう ような街作りってのはやっぱりやって積極 的にね取り組んでいかないとこれねね なかなか難しいと思いますえまこれあ行政 の長としては今後ですね色々対応していか なきゃいけないと思うんですけどチ市長は あのま例えばコンパクトシティとか スマート形言われてますけどもやっぱり あのなるべく非常に利便性のあるような 中心部を作ってですねそこにやっぱり街を 作ってくというのは今後ま全てが何もま あのサチになるっていうわけじゃないん ですけどもいろんなことを考えていか なきゃいけないっていうのはやっぱりこれ どうしてもこの半島の中で起きた地震の中 においてその行政の長としてはやっぱり 考えなきゃいけないことが出てきますけど その点いかがですかそうですねまあの本当 に単なる復旧っていうだけではなくてです ねやはりこの地域の資源をしっかりと 見直ししてえその地域資源をいかに生かす かっていうことでまの半島は世界農業遺産 のにも認定されてますし然自然豊かで食も 素晴らしいものがあるそういうものを しっかり活かしていきたいと思いますし またあの先ほどの温泉もありますしあと 文化的なものそれからお祭りなんかもある ので祭りでまた人が集まるようなそういう ようなこともしていかないといけないかな という風に思ってますそれだけではなくて やはりこう新しい価値観っというものを 生み出すそういうチャンスでもあるかなと いう風に思ってますえここれをまどうやっ てえ地域の活性化とか地域の経済活動に つなげていくかっていうのがこれからの 課題でえしっかりとしたビジョンを描いて いきたいそう考えていますあと先ほど ニュースでもやったんですが市長ですね この住宅再建とかにかけてですねま

300万円プラス高齢者300万の 600万というようなことを政府がです 今日もまそういったことが話がされました けどまこれこの再建支援ということをま 600万でもですね大変だとはあのそれ プラスということは当然出てくるわけです けどこの辺りはどのように考えておられ ますかそうですねまあの住宅の再建って いう話であれば300万600万では何も できないっていうのが現状かなっていう風 に思ってますまあのお金だけではないです けどもその再建に向けてその高齢者も含め てですね夢や希望が持てる政策をま政府 にしても期待はいしていきたいしま要望し ていきたいなという風に思ってますまこれ 従来のねだから発想で300万とかじゃ なくてまこれだけあのまこうどうしても 震災っていうのは起きる国の中において ここでやっぱりあのある程度この国のです ねもう強力な支援というのはもう発揮して 欲しいっていうのはこれ市長は切なる願い ではないかと思うんですがその点はどう ですかそうですね本当にこうれがそのまま ま進めるぐらいのま市営住宅従来の市営 住宅じゃない 形でのですねおりがこう集えるようなそう いう住まい住まっていうますかねそういう ものも気ていく必要があると思いますし そこでの新たなコミュニティができれば年 よりも生害を持って生活できるんではない かなという風に思ってますこれ三栗さん あの全国にね仮想の問題ってのはま我々 抱えてるわけですけど共通することですよ ねやっぱり年が開発にこうこの生活できる ようなものという新に作り直さなきゃいけ ないといけないだから今市長が言われた ようなその生きがいねどうやってその 生きがいと新しい価値観を生んでいく かっていうだからそれが本当に想像的復興 ってことなんじゃないですかねええ先ほど あの和島乗りの話をね冒頭であのむさん おっしゃいましたけど非常に素晴らしい 伝統文化があるわけですよねま不の景色も そうですしどっちがも素晴らしいとこです からこれをやっぱり生かしてどうやって 生かすかですよでそれをどうやってPRし てでそれはその外だけじゃなくて自分て もう1ぺんそれをねええあの発行させて いくというかあの大きくしていくかって ことだと思いますえまこれ視聴いかがです かあの本当に素晴らしい伝統工芸があって ですね和島塗りも含めてそれから温泉も 素晴らしいま皆さん努力してあれだけの ものを作ったわけですけどもう一度 やっぱりそういったものを生かしてという

かそれからあの非常に真のりなんか ほとんどがですねやっぱり被災されたと いうことで果たしてと言ったなんか クラウドファンディングなんかでも 相当集まってるようなこともあって皆さん の支援の輪というのは随分出てきてるよう な気がするんですがそこはどうでしょう はいそうですね本当にまあのこの震災に よってですねこのノの地域そしてま七尾も そうなんですけどもま全国に全国だけでは なくて世界に知っていただくそういう機会 になったと思いますそういう意味であの 様々な方たちとの繋がりっていうのはこう 広がっていってる状況なのでま例えばこう ハロを海外に持ってくとか海外にそういう ものをPRするとかあそういうことによっ てこの地域が活性化していく1つの方法に なってくるんではないかなという風に思っ てますいやここは是非ねあの復興して もらいたいしできるという風には我れも 思いますけどもねそうそして政府は観光 支援策として北陸4件への旅行代金を 割り引く北陸応援割りをま3月から用意し ているということなんですがま今お話も あったようにこのノの魅力を感じに行き たいという方は大勢私たちも含めてそうな んですけれどもただシタさんこれ今私たち がそこへやっぱり訪れてしまうっていうの はなかなかちょっと言っていいのかなと 思う本当にねちょっとねやっぱり控え なきゃいけないのかなと思ったりしてる 部分っていうのは正直あるんですいま金沢 に行ってみよういやだけどノト半島までと 今ねそれ通の弁はいあの番組の中でもそう いうリモートでお話を伺いましたよねあの 観光業の方から金沢に来てそこで食べる だけでもは はい あになるんよそうするとあんまりれしない でいうんこの長この辺りはどうでしょう 笑いの気持ちとしてえ実は昨年の5月5日 に木でえ地震があったんですけどもその際 はあの名はほとんど被害がなかったんです けどもいわゆるこう風評被害で枠にお客 さんが来ないっていう状況がありましただ からあの地震でのダメージとそれからそう いう経的なところのジダブルで受けて しまうと地域がなかなかこ化しないのでえ やはりあの地域にとってもプラスになる ようにですね僕のの復旧に妨にならない ように北陸の方に是非え足を運んで いただければありがたいなという風に思っ てそれはあのま北陸の方でいずれなか私 なんかでもねまあの空港もまあ一といえで も色々復興してきてるというので復旧して

ますからこれやっぱりあの市長だからその あんまり記憶しないれなですねうんでも いいからていうか北陸にということと考え てよろしいんですかそうですねあのまた3 月16日に北陸新幹線が鶴川まで延伸し ますしえ鹿川県のみだならずですね福井 富山北陸地域にですね多くの方たちがえ来 ていただいてえ魅力を感じていただければ ありがたいなという風に思いますうんこれ 三栗さんどうですかこの辺りってねどうし ても我々がどこれ心理としていやこんな皆 さん大変なところにっていう風に思ったり してうんどうしてもトータルいや北陸全体 にってやっぱりデビ会みたいなねこの辺り とねだから発信をきちっとしてもらって ここまでもう復旧してますからどうぞと いうですねようなこともからねそうそうな だからここまで復旧してますどうぞそれを ご覧になってくださいとでますます支援し てくださいという支援旅行にすればいい ですそうですねそういった気持ち気運っと いうのはやっぱりわれも持たなきゃいけな いっていうのはま長もおっしゃってました けどそういうことだと思うんですがまあの 茶谷さん最後にですね復興に向けて国民に メッセージというものをお願いしたいと 思うんですが今1番も伝えたいことは何 でしょうかはいありがとうございます本当 に全国の多くの皆さんの力によりですねま 避難のからですね復旧のフェーズに変わっ てきたんではないかなという風に思います え物資両面でですね支えていただいた 皆様方には本当に心から感謝を申し上げ ますえ全国の皆様方にこの野半島自身を 忘れないでいただきたいえ今後も市民町民 に寄っていただくようお願いを申し上げ ますまたあこの地域がですね復旧復興した 暁月には是非元気なのと7を訪れて いただきたいことをお願いしてく笑れも そうですねその思いでおりますのでえ今日 は長時間ですね貴重な時間いただきまして ありがとうございましたありがとうござい ましたこちらこそありがとうございました 東日本大震災の時には復興高層会議で議長 代理を務め尽力された本日のゲスト三谷 孝志さんですが 今回のノ半島地震をの半島地震で改めて 最後の状態化にえ適切に対応することの 大切さを痛感されたということなんですが 三谷さんこの部分というのどういうことな んでしょうかですねあのとにかくこの10 年何が起きたかていうとま地震もそうです けども自然災害がねこんなにねたくさん 起こるようになったでしかもそこに今度は いわゆるコロナねがやってきてにははいだ

えってことですけどウクライナそして イスラエルのね戦争がきもうねなんか相 状態が当たり前ようになってはいでこう いうその危機と災害の状態化っていうのは ねだ危っていうことに対してある面で敏感 になると同時にですね逆に言うとですね これだけしち内外の危ってのが起きてると それが起きた時にもですねまたかねって いうねそういう気分でそれをこ見過ごし ちゃうというかあのえ当初の時の驚きが ないがやってこないこれがね危険だと思う んですよねで前と同じようにやってると 結局そやられちゃうわけですよだからそう いう意味で言うとこの災害の状態化っての はそれに今度はどうやって積極的に反応し ていくかっていうこれ相当考えなきゃいけ ない問題じゃないかというやっぱり時間が 経つとですね初は一懸あ現地に対しての 関心も持って今もそうですこのノト半島に 対してですねただこれがある程度だから これ最後っていうかいわゆる震災後でそれ があの非常に感覚がい麻痺してしまってい た鈍感になっちゃうというかこれはやぱ 絶対下げなきゃいけないということなん ですねそうねだだからあの今回でもですね ずっとこのえ自然災害が起きてる時にま いろんなシンポジウムなんかがあって そそういうのに出てみるとそこで現地の やっぱりそのえ研究者の方や現地の方が 言うのはですねやっぱり我がことのように いかに思うかとつね我がことそは自分ごで あると自分で前なんか予想のように思っ てるとですね結局あままた起きてるわって いうそういうはいその向こう側の話になっ ちゃうこっち側にそれをどう引き寄せる かっていうねそれはねやっぱ常に考えてか なくちゃいけない問題でしょうよねはい そうですよねあのこれはの一生なんかでも こうご苦労されてる中であれなんですが やっぱりあの例えば東大震災のねこの 避難所とかですねあの生活ぶりとか見てき て取材もした立場から言うとあれまだ同じ ようなこう体感の光景が見えてきて例えば 物資の問題それから例えばベッドの問題で もダンボールのこうベッド下にすぐそう そうそうはい あまり入はそれがこういつもでですねいざ という時に備えて半年分ぐらいいろんな もの置いとくっていうのはよくあの海外の アメリカなんかではそうだとか言われたり してるんですがなかなかその部分の対応 ってのがこれ政府も含めて国としてそれ から自治体としてこの部分っというのは やっぱりこう備というのはもう少しあって もなっていうないそうだと思いますよ

なんかね あのある一定期間で取り替えなきゃいけ ないものそれままになってたりねからその なくなっちゃったのよに補充してなかっ たりとかねていう事体がねやっぱり起き てるわけですよそれねいざことが起きた時 にあらってことになっちゃいますからね 我がことのようにそこつまりもうこの国に はねこういうことが起きるんだってことを 前提にそれで既にそ準備用意をしていか なくちゃいけないということですよね今 までのこうねサイクルなんか見てると 例えば別にあ起きたってこれこれ関東で あってもですね何回そのトラフの話も出て ますけどもなんとなくいやいや全然それは 自分たちの世代ではないみたいに思ってい たらとてももうこうこういったこと起きた 時に対応できなてことありますよことなん ですよねこれ日本にこれ住む以上は宿命的 にそれをもう持たなきゃしょうがないこの 国に生まれた以上そうだというえええだ からそれだけのそのいざ起きた時の対応で あるとか備蓄してるものをもうちょっと 増やすとかもうそういう定説のそういう 倉庫を持つとか各自治体が本格的にやら なきゃいけないって気がするんでどう でしょうねいやそれはねやっぱだからそう いうことがこれから行政の仕事になりそれ から行政だけじゃそれ積みませんからね それ我々っってかいわ一般人がどれだけ それに協力してくかっていうその両法だと 思いますねあのそういう中で言うとね本来 これにも全部こう今政府は集中しなきゃ いけない政治はという時に政治と金である とかこの裏の話とか言ってですね今こう いうような議論というか国会でもですねい もちろん震災の話もちゃんとあの総理は 答弁してますけども市政方針でもまあの ですけどもその辺りで言うと今のこう 大丈夫なのかなって多くの国民がやっぱり こう不安があるというか不信があるという 部分があると思うんですけどそ辺りどう 考えたらいいですかいやだからそこは 難しいんですけどもあのねおっしゃるよう にね今のみんなの関心ってのはやっぱり そのえそちらの政治の方にねよしても行っ ちゃうはいでねただこの僕はねそれ悪い 意味で言ってるんじゃないですけどもその 政治いいわゆる今のその政治の スキャンダルの問題の時にこの震災が起き たってことをね逆にそのよく取ってつまり 何があろうとその審査みたいな話やって くるんだということをねここでねやっぱ みんなが本当にこの確認をしてですねだ から自分のところで起きたらどうしようっ

てことをもう1ぺこの考えていくね勝にし ていかなくちゃいけないだから同時に起き たってことをですねそれどういう風にこの 受け止めるか受け止めの問題ええで考えて いかなきゃいけないあの初動対話な含めて 予備日の問題とかですね相当倍増するとか これは相当やっぱりこうそういう気そうと いうことは出てるのますで今までよりはね そこ早いですよえうんだからその部分って いうのがですねだからこうなかなか やっぱり初動でね遅れたとかですね言った のはさっき言ったように半島のやっぱり 仮装地それから国道がも非常に寸断された というここはやっぱりある程度はこれ考慮 をしなきゃいけないですかねただこれあの これ全国各でもこういう場所ってのは多い わけですからだから前からちゃんとやっ ときゃ良かったっていう議は必ず出ます からねうんそれはそれましょうがないまあ だからあと今の段階で言うと次に必要な 復興のですねやっぱりあの手順として1番 必要なの何だというにお考えですか僕はね やっぱりこの今回のこともそうですけど これだけたくさんのそれこそあのいわゆる 災害が起きてるんですからその災害にどう 対応したかっていうね特に初期対応を含め てそれなんですけどこれをどうだけどれ だけきちんと記録しておくかねだから人間 の記憶なんてねあってもね飛んじゃいます だから記憶をいかに記録化するかはい するって言いますけどもこれあの3.1の 時から僕らも考えてたことでそれね忘れ ちゃうとねま意味はないせっかくやってた のにいろんなことをあるいはこれこれを 痩せたからまずかったってことも含めてね やっぱり僕はそういう意味での記録って いうものをねやっぱり頑張って取っていく ことは必要だと思いますねうんですから こい東日本のやつとか熊本とかですね アーカイブとしてあの時はこうだった じゃあ1番被災地に必要なものはナに必要 なは何だったとかきちっと記録してそれと 称して今回これはい対応しようというやる とやっぱりちょっと違ってきます違って くる部分ってのが出てきますよねだから その先ほどあの冒頭でもそれにお話が出 ましたけど今コロナであるとかまそれこそ 海外で行ったらウクライナとかガザとか ですねいろんな問題起きてこれはずっと あんまりそのいい状態ってのはずっと続い てない中で我々がどういう気持ちでこれを 向かってかなきゃいけないのかってのは 非常に問われると思うんですがその点どう でしょうえだからもうやっぱりそういう いう意味でそのまあえ僕はずっと最後の

時代だと言ってきたんですけどねええで ただ問題は最後の時代がずっと続いてると いうと同時に実は来年で1580年なん ですよあもう80年ね1580年っていう のはね決定的にこれまでと違うのはもう 要するにそれこそ戦後の初めのところを 知ってる人がほとんどいなくなることです ねでその時に初めてだから我々のこの戦後 とは何であったかっていうね僕はそこで きちんとした総括をしないといけまはい そうだからその総括と最後の問題というの は実は重な実はこ今度重層化して重なって くるそうですねこれは日本はこれもう 抱える宿みたいなってよく言われますけど そういうことなんですねそうそうだと思い ますだ長い目で見て戦後短い目で短い ところで見るとその最後が重なってくるの が来年ですからそこへ目指して我々は一体 このこの国をこれからどうしていったら いいのかっていう割と大きな議論を政府を 相当大きなプランもビジョンも立てなきゃ いけないってことですよねそれ国民にも提 そうそう そうけどそうですねそっちへ行ってほしい うん今回の地震で被害が大きかった石川県 と富山県向けの現金のお知らせ です日本赤従事者では今年12月まで現金 を受け付けています振り込み先は銀行郵便 局の他各銀行の講座ですた援金は各県が 設置する委員会を通じて自治体に送られ 被災者の支援に役立てられ ますま三さん今日はその最後というですね 新最後どの我々がどうまた考えていか なきゃいけないのかということなんですが とにかくあの人言と思ってはいけないっと いうことでも自分事として考えていか なきゃいけないしまた当然こいうもの起き て我々対応しなきゃいけないっていうこと をやっぱり常々思ってなきゃいけないって ことでしょうかねいうことですね常にそれ に振り返るというねうんまあですからこれ 1ヶ月経ってもまだねこれだけ1万な数千 人というですねその避難所とかなんかに 生活していて二次避難の問題さきあの復興 の問題復興住宅の問題とかだから仮説では なくてっていうな話出ましたけどここは もう真剣にやっぱりにもう対応してか なきゃいけないですよねうん今までの対応 ぶりっていうのはどういうご覧になって ますいや僕は今までの対応ぶりはねまあの 大体そのねえ対応が遅かったのは常に出る んですえですからねまそれはしょうがない そういうに言われるのはねだけど私はね やっぱりそのそれぞれのやっぱりね持ち場 持ち場であのいろんなことをやってる人

たちを見ると随分対応早くなってしかもね よそからの支援ってのをねあっと今ねその やろうとしてるところねこれはねやっぱり ねそれぞれの最後がどんどんこの でき上がって最後でその慣れたて人間が じゃあこれよっていうことができるように なってきたこのね経験うんええだからそれ をもっと生かしてほしいですよねそうです ねそれと先ほど冒頭で出たあの和島塗り ですけどねはい今日はなちょっとニュース 聞いてましたらあのそのお店が再建する ためにクラウドファンディングを言ったら ですねもう想像以上に早く集まってまだ もうそれ以上あの規定というのはやっぱり 我々の意識ってかそういう支援の意識って のもやっぱり以前とは少し変化してきてる 考えたじゃないでょうかねだから日本全国 がそういう状態だっったらやっぱりそう なったところにやっぱ支援しようっていう そういうそのある種の目の広がりみたいな ものがあってそれで寄り添ってみようって 話ですよええこれはやっぱり相当やっぱり こういったあのなんていうか考え方っての は情勢されてきたっていう風に考えたら いいんですかねうんその方がいいと思い ますでそれをもっともっとうん応援し るってますかねえええうんそうですねあと ですからこれ長期的な展望にやるとこれ から復旧から復へという段階にいずれ行か なきゃいけないということなんですがこれ に向かっていったら1番あの必要うテー マってのは何だというお考えですかあのね 復旧から復興のところのテーマでは何が 必要かった要するに従来型のそのなんて いうか そのあれに戻すっていうだけじゃなくて さらに時々言われますけどいわゆる想像的 復興ねはいはいその地域にじゃ本当に何が 必要かさっき市長さんも言ってましたけど もう1ぺあなたな価値を考える言ったでし それいいチャンスなんですよでこの和島な 我何を今度どういう風に言ってくかはい 海外へってことも言われてましたよねそう はいななんかなんか広げていくあるいは それを発展させていく景気にそれをしてい くっていうことがやっぱり今一番大事なん じゃないでしょうかねあの手メカ中でも ほとんどねこうあのやっぱり開したと言わ れてるんですがもう1回やっぱりいい酒を と言ってあの考え始めてもう行動してる人 もいますからその部分というのはやっぱり 相当そう非常に大事だと思います意識が 高いというか是非頑張っていただきたいと いう風には思いますよね我々もそういった ものはもうあの人言だってじゃな自分の

ことなんだというに思ってやっぱり接し なきゃいけないという風に思いますねえ 今日は三さん本当にどうもありがとう ございましありがとうございまし [音楽] た

2024年元日、石川県能登地方を最大震度7の地震が襲い200人を超える人が亡くなり、現在もなお多くの人が不自由な避難生活を強いられている。過去の大震災を教訓に今回の大災害にどう対処していくべきなのか?我々が今できること。そして復旧・復興への道のりを考える。
ゲストは、和倉温泉で知られる、石川県七尾市の茶谷義隆市長。現地からリモート出演し、今一番の困りごとや、復旧・復興への課題を聞く。また、東日本大震災時に政府による復興構想会議で議長代理を務めた、東京大学名誉教授・御厨貴氏とともに、当時の復興課題を教訓に「いま必要なこと」を考える。

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