被災地で出した「約束の」婚姻届 輪島市の幼馴染が2月1日に夫婦に 「2人で末永く頑張りたい」  (2024年2月2日)

和島市役所の門前総合書を昨日尋ねたの は数月後には所 変更分かりまし たさんと主若さん2人は小学校からの 幼馴染み です半島自身が起きた時はそれぞれ市の 実家に規制中でした はからいつ津波が来るかも分からん状況 って安否確認がやっぱできんしなんか すごく不安でしたねね自転車でえと何時間 かかけて電届電波届くとこまで走っててで やっと取っていや私もその1日の午後から ちょっと病院で働いてるんですけども患者 さんを見てる中でもやっぱり頭の片隅では 彼のことちょっと心配で2日に取れた時は すっごいアドして ちょっとほと言ならなかったです ねの半島自身から1ヶ月の2月1日にコイ 届けを出した 理由実はこの日は2人の交際 記念日自信が起きる前からこの日に結婚 することを決めていまし た 1ヶ月前ですか自身で1ヶ月前起きたこと あったしななかこれど頑張っていきようと かでやってくるなで今後結婚の日とかって どうなるんやろうっていうの不安はあった んですけど今落ち着いてようやく考える ことができた中でまあ何役所がそもそも 機能しとったらいですま運よくでき機能し とったんでなんとかこの日を迎えることが できました 当たり前の日常が当たり前ではなくなった の半島 自身新たな門出を決意した2人の思い 場何があるかも分からない状況かでま ちょっと2人で 仲良く長く頑張っていきたいかなと思い ますお互いできること頑張りながら仲良く てきたいな と結婚式や新婚旅行の目は立ちませんが この地震が2人の絆をさらに強めたことは 事実 です

能登半島地震から1カ月が経った1日、被災地で婚姻届を出したカップルがいます。能登で生まれた幼馴染の2人。新たな門出への決意とは。

輪島市役所の門前総合支所を1日に訪ねたのは…。金谷裕也(かなや・ゆうや)さんと、塗師和佳奈(ぬし・わかな)さん。2人は小学校からの幼馴染です。

能登半島地震が起きた時は、それぞれ輪島市の実家に帰省中でした。

金谷裕也さん:
「いつ津波が来るか分からない状況で、安否確認も出来ないし、すごく不安でしたね。自転車で何時間かかけて、電波が届くところまで行って、やっと連絡をとりました。」

看護師の塗師和佳奈さん:
「私も1日から病院で働いているんですけど、患者さん見ている中でも、頭の片隅では彼の事が心配で。2日に連絡取れた時はすごく安堵して言葉にならなかった。」

能登半島地震から1カ月の2月1日に婚姻届を出した理由。実はこの日は2人の交際記念日。地震が起きる前から、この日に結婚することを決めていました。

金谷裕也さん:
「1カ月前に地震が起きて、どう頑張って生きようとかで、今後結婚の日がどうなるんやろうと言う不安はあったんですけど。今落ち着いてようやく考える事が出来た中で、役所が機能してたらいいんですけど。運よく役所が機能していたので、なんとかこの日を迎えることができました。」

当たり前の日常が、当たり前ではなくなった能登半島地震。新たな門出を決意した2人の思いは?

金谷裕也さん:
「何があるかわからない状況下ですが、2人で仲良く、末永く頑張っていきたい。」

塗師和佳奈さん:
「お互い出来ること頑張りながら仲良く暮らしていきたいです。」

結婚式や新婚旅行のめどはたちませんが、この地震が2人の絆をさらに強めたことは事実です。

6 Comments

  1. ご結婚おめでとう御座います(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)⁠❤
    苦しい事ばかりではないので、お互いを信じて、末永くお元気で仲良くしてくださいね。
    何時かきっと、楽しい思い出が作れる時がやって来ます。
    状況が良く無い時から始めたのですが、此れから幸せになりますので、2人のペースで素敵な人生を送ってくださいね。

  2. ご結婚おめでとうございます。阪神淡路大震災の翌年21歳で結婚したのを思い出しました。色んな方々のお陰で今でも当時と変わらず幸せです。お二人ともお幸せにねー。

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