本来の仏教は葬式を一大事としない『親鸞聖人の花びら』を読む36

の知恵でどんな問題も解決する仏教 チャンネル上土新集診断会講員の添谷りす ですあイヤホンマイクを忘れてましたね ちょっと今からけて反応してくれるかな はいえちょっと反応しないかもしれません のでえいつもよりも少し音声が聞き取り にくくなってしまうかもしれませんが よろしくお願いいたしますあでも今コネク トって言いましたからはいえこれでマイク が入りましたかね改めてよろしくお願い いたしますえこのチャンネルはあ川水目 そしてメンバーシップ限定で金曜日えの夜 の時間帯にこのようにライブでえ仏教の話 え譲渡新集の教えについてえ語るえお伝え するチャンネルでございますえ元々はあ よくね私ライブが始まる時に決まり文句の ように言うの知恵でえ様々な私たちのま 身近な 問題からですねえ根本的な問題に至るまで え仏教の知恵で うん その解決ヒントを探ろうというま比較的 身近な話題をあえてえ取り扱って裾を広げ たかったというかねちょっとあまりいい 言葉遣いじゃないですかねより多くの人に え仏教の教えに触れてえもらいたいという 気持ちがありましてえそのような コンセプトでえ解説したチャンネルでは ございましたがあま他にねその目的を 果たしておられる私の先輩方が YouTubeチャンネルを行っておら れることもありえ途中からですねえ普通の 動画を撮ることをしなくなってライブ専門 チャンネルとなってえこんにちに至って おりますえそしてライブを行った当初は ですねえ割と身近な質問にお答えする機会 も多かったんですけれどもえだんだんと 上土新州の おま教えについてのおま専門的な質問が 増えてきたこともありま途中からあもう ねえ上土新州信乱会講師の法はチャンネル というタイトルにえしてえ今日に至ると いうえものでございますはいえまそういう ことでねえかなりえこの私のチャンネルで お話していることは特にえ水曜日木曜日 金曜日などはうん専門的なまつまり私の 先生が書かれた上土新集の教えをお伝え する本をえ教科書にしてえお話を進めて おりますのではいえかなりえ上土真州に 特化し た内容ということになっておりますのでえ 特にえ初めてねえ見られる方 あしばらくこのチャンネル色々見てみよう かなと思ってくだされた方はできればです ねライブの場合はあタイトルに光に向かっ

て100の花束を読むという文言が入って いるものから視聴していただくとちょうど 身近なえより身近な話題になりますしまた 以前にライブではないえアップロード動画 をいくつも保存してありますののでまずは そちらからライブではないえ動画を選んで え見ていただくとよりえ入りやすいのでは ないかという風に思いますのでその点 よろしくお願いいたしますはいえそしてえ このライブ方案はえ夜9時30分から10 時30分の1時間行っておりますがあ10 分前の9時20分からえカメラをスイッチ オンいたしましてえそれが今の時間帯なん ですけれどもねまこのようにライブ チャンネルの内容でありますとかこの チャンネルの成り立ちとかえこれまでして きた話の復習などをすることもありますし え私が旅をしながらこのようにライブでお 届けしておりますのでその旅の近況報告 などをさせてえもらう時間となっており ますまそれ もマイクテカメラテストも兼ねております のでえできればこの時間帯に入室しておら れる方現在も名の方が入室しておられます がえその中でコメント発言できる方があり ましたらあ是非ですねえ見えてますよとか 聞こえてますよということを教えて いただけるとえ助かりますまあ過去何回か ですね自分ではライブを始めてるつもりな んだけれどもえ届いていなかったとかああ は途中で切れてしまったとかねいうことが ございましたのでま一応その確認テストと して埋設の時間を設けておりますはいまた えまあの何分これはあの私のスマホでね どこもの電波でいつも うお届けしておりますのでその電波状況が 突発的に悪くなったりえ何かスマホの不 具合でうんライブが途中で中断してしまう ということも過去数回ございましたがま そのような場合はですねもう仕方がないと いうことでお互い諦めてま私の方としては 対処として1度 おライブを終了してえまた立ち上げ直すと いうことをいたしますのでま あライブが中断してしまった場合はあもう 1回ねえトップページからえライブ新しい ライブが立ち上がっていないかどうかを 探してえ復帰していただけるとはいえ続行 ということになりますのではいえもし トラブルが起きた際はそのようにお願い いたしますはい そして9時30分からの1時間の内容とし ては最初の30分から40分はえ私の先生 の書かれた本をまずえ読み上げさせて いただきましてえそこにえ書かれてある

ことをま解説というとねおがましいのです がどう言いましょうかねその本を一緒に 読んでえ確認するべきこと を確認え学ばせてもらうという構成でえ ありましてえ後半の20分から30分の 時間帯で皆様からの感想や質問を受け付け てえそれに対してお答えしていくという 内容で行っておりますのでま仏法はね物を 言えもをいえと昔から言われるようにえ 自分で聞いて感じたことやえ疑問点は なるべく口に出してねえまあこの YouTubeの場合はうん視聴者の方 からの音声がえ発信できないようになって おりますのでま文字でねえ皆様からの発言 を届けていただけばなおねえ球道の少年に 道を求める上で良いご縁になりますのでえ 積極的にねコメントの仕方が分かる方はえ 少しでも自分の思いを述べていただくと 良いのではないかと思いますのでそのよう に活用してみてください はいということでえ今日はまだどなたも コメントいただけないのでちゃんと届い てるかどうかがなんか不安になってまいり ましたが大丈夫でしょうか私の え映像音声しっかり届いておりますかねえ どなたかあコメントできる方がありまし たらえしていただけるとちょっと安心でき ますのでよろしくお願いいたしますはいえ あTtitterよかったハマさんはい 配信良行ということでありがとうござい ます安心できましたはいえ久しぶりにえ 両親の住まう群馬県吾妻郡長野原町北 軽井沢標高1100mのところにえ戻って まいりましていややっぱり寒いですねここ 数日沖縄県は石垣島におりましたので余計 寒く感じますけれども今晩はまだいいよう ですが 明日明後日 え気温が下がってきてえ日中でもマイナ 10°近くまで行くというねえ予報になっ ておりますので風など引かないようにし たいと思いますけれどもえここがそういう 状態になるということはねやはり北国は 明日明後日ぐらいから寒くなるんですかね はいえお互いに風など引かないように 温かくいたしましょうということでえ時間 になりましたので改めて合唱で本番始め ます合唱仏教の知恵でどんな問題も解決 する仏教チャンネル上土新集診断会講師 部員の添介ですえ今日水曜日は仏教を基礎 から体系的に学ぶと題しましてえ私の先生 高森賢哲先生の書かれた1問一等集え診断 証人の花平藤野官を1つずつえ読ませて いただいてそこに書かれてある内容そのの 中でも特にま上土新州だけでなくえどんな

周波にも共通するま仏教の教えという ところにまスポットを当ててお話をして いるのがこの水曜日の内容でございますと いうことでねえ早速え診断証人の花平藤野 官の19番目ですねはい前回17番目をし ましたがえそうすると18番目という内容 がま順番ではあるんですけれどもこの18 番目はま上土新州がなぜえ東本願寺と西 本願次とにま本願寺というねま診断証人が 開かれたお寺が東西に分かれているのかと いうねえお話でまこれ上土新州のしかもま 競技的な問題というよりも歴史の話なので まこれはま仏教全般とはまねえ直接関係が ないかなという風に思いまして1つ飛ばし てえ19番目ということにしておりますま この19番目の問題もま上土新州に 特にうん現れるえ問題ではありますが しかしま本来仏教といういうのはどういう 教えなのかということをお伝えする上でも ねえ大事な問題だと思いましてえこの19 番目の問題を今日は取り上げたいと思い ますはいタイトルがなぜ市街を魚に与えよ と言われたのかとちょっとねえぎょっと するようなえタイトルでございますがなぜ こういうタイトルがついているかと言い ますと問いですね診断証人は私が死んだら 鴨川へ捨てて魚に与えようとおっしゃって お亡くなりになったと聞きましたがなぜ そんなことをおしゃったのでしょうかと いうねえ質問があ元になっておりますはい この診断証人が私が死んだらその遺体をね 泣きがを鴨川に捨ててえ魚たちに食べさせ てやってくれという異言なさされたとえ 伝えられる話はこれ有名な話でありまして 私ねこの診断省人のご発言はあ上土新州の 教えを学ぶ前から高校生ぐらいの時に何で 知ったんですかね本で読んだのかあるいは 学校で倫理社会の授業の時に先生が語って くれたエピソードだったのか うちょっとね記憶ははっきりしないんです けども何せえ診断証人がこのようにえ遺言 して行かれた方だということは元々私でも 知っていたのでま割と有名なエピソードな のではないかと思いますがえここでね原文 を紹介しておきたいと思いますこういう 記録が賞という本にあるんですねえ者賞と いう本は信男証人のひさんの角女証人と いう方が書かれたものでえひじいさんで ある信男証人がこういうことを教えて行か れましたということをねま述べておられる ものが多いえ書物なんですけれどもその中 にこういうお話がえこういうがあるんです ねえ信閉眼せば鴨川に入れて魚に後べしと 云々これすなわちこの肉身を変じて仏法の 新人を本とすべきよしを表し増しますゆえ

なりこれを持って思うにいよいよ早々を1 大事とすべきにあらず最も長時すしという ねえこれが原文でございますえこの中で 特にこの信乱平がセバ鴨川に入れて魚に後 べしという部分が有名なんですねはいえ 平岩セバということはま目が閉じたならば ということでえ死んだならばこの私が死ん だならばということですね鴨川はま若干 現在の表記の字とは違います漢字が違い ますけれどもあの京都の中心部を流れる あの川床などで有名なあのか鴨川のこと ですねえその京都の市街を流れる鴨川に 遺体を投げ入れて魚たちに食べさせてやっ てもらいたいというねま衝撃のうんご遺言 なんですねはいま実際に診断証人を見送っ た方々がこのご遺言通りに診断証人のご 遺体を鴨川にドボーンと投げ入れたかどう はちょっと定かではございませんがま 少なくとも診断証人は 生前このようなことをま常におっしゃって おられたということなんですねはいという 診断証人の衝撃的なこのお言葉はどういっ たお心からえ発生られたものなのかという 質問に対しての答えでありますえでは答え の部分ですねお聞きの信人は常に私が死ん だら鴨川へ捨てて魚に食べさせよと おっしゃっていたことが害者賞という書物 に記されています世間一般では盛大な葬式 や法事立派な墓を作ることに力を入れて 死後の幸福を祈っていますので何とも 不可解な商人のお言葉と思われるでしょう とね確かに例えばねここれがま証人はご 自身 のま亡くなった後の処遇について述べて おられるお言葉でありますのではあ信男省 にはそんなこと言ったのかという程度でね 皆さんもま聞き流すことができるかもしれ ませんがこれが あお葬式にね同士としてうんやってきたお 坊さんがまそれが仮に診断証人だったとし てえこののね亡くなったおじいさんの泣き はその裏の川に投げ捨てて魚に食べさせて やったら良いということをもし発言なされ たならばなんちゅうことを言われるんです かととんでもないというま避難合合になる 話でしょうねなぜならば今ここにあるよう にその亡くなった人をまその所定の手順に 従ってうんまいわゆる伝統というかねうん ま伝統と申しましょうかこれがなぜか仏教 の敷たりみたいな風に今日完全に受け止め られてえいるのでまそういう意味で皮肉を 込めて言えば仏教式にえ葬式をしてまツを して葬式をして最近ならばその日のうちに 初なのかをしてえコ上げえそしてま骨まで 一気に済ませてしまうということをえ滞り

なくしてこそ亡くなったおじいちゃんも 浮かばれるというものだとまこういう考え 方ですよねそこでもししっかりと仮装し なかったりしっかりとお墓におコを収め なかったりするといやこれでは亡くなった おじいちゃんも浮かばれないと いう感覚がこののねまその名神などがほぼ 撲滅したと思われるような時代においても このね亡くなった方のうこのご遺体のうん 後始末うんについてはま非常にえ根強い うんものがあ昔から変わらぬ根強いものが え残っておりますよね まあ私3年間え不況にえ携わったことに なる沖縄なんかはね特にその う思想が根強くありますね亡くなった方の まあ処遇というかねどのようにえ葬式を 進めるかというね納骨までしかも沖縄の 場合は納骨が終わった後でもですね 毎年生命というね設の4月ぐらいに当たる と思いますけれども生命という期間にうん ま沖縄ではシミと初発音しますがシミ祭と 言ってねお墓の前でま宴会をするみたいな うんまその風俗はもしかしたらね知って おられる方もあるかもしれませんけれども まいわゆるそのお墓の中にいるご先祖たち とま交流をするみたいなねまそのためにも ご先祖の遺骨をておく墓は立派にしなけれ ばいけないししっかりと管理をしなければ いけないしまうん粗末なことがあっては ならないみたいなねそういう気持ちが非常 にま沖縄の1つのこう文化として根強く あるなということを感じていましたけれど もまこれはえ沖縄に特にま顕著に見られる というだけでえ日本全国どこでもねその 遺骨を別ににどっか野山にえばらまいて おいてもいいとか川に流してもいいとかね ま最近若干その散骨みたいなことを言う人 はいるかもしれませんがしかしま一般的に はえそんなことをするとねうん浮かばれ ないとも個人がそうしてくれと言ったの ならばあともかくねえこちらの残された ものの意思でそんな処遇をするとうん 亡くなった方に気のくだとまうこういう 気持ちというものはなぜかえ根強くあり ますししかもこれが仏教でそのように教え られている仏教式の葬式であり敷たりで あるというように思われておりますよね はいまですからその仏教のま1え周波の 回そとま今日歴史上語られる診断証人と いう方がこういう発言をなされるというの はまある種ね驚きを持ってえ見られる事態 だと思いますはいでは診断省になぜこんな ね衝撃的なことを言われたのかということ がこの後書いてありますこの診断証人のお 言葉は主JUに推察できるでしょうが各に

証人が教えられていますように肉体の葬式 に力を入れずに魂の葬式すなわちま上土 真州の言葉で言えば新人逆得あるいは新人 欠場とも言われますがその魂の解決に最も 心がけよという意味合いであるということ ですねまこれはあ診断証人は直接のお言葉 としてはここまでが紹介されてるだけです がえこのね証人のお言葉はこういう意味な んだということをえ診断証人から免じ区別 と言ってね直接ご共同を受けたと言われる 核に証人が記しておられることですからま ここはねえ推察と言っても角女証人のご 推察ですのでえま非常にうん診断証人のお 心が現れていると言えるところなんですね じゃそこになどのように書いてあるかと いうとわま非おじい様の診断証人がこの ようにおっしゃったのはすなわち イコールこの肉身を軽んじてまいわゆる 肉体の後始末をま軽んじてというとね非常 にこう粗末に聞こえるかもしれません けれどもそこには力を入れずにという ニュアンスでしょうね えーそして仏法の新人を本とすべ を表し増しますゆえなりとま仏法の新人と いうのはあまあ本来ねお釈迦様がえ仏教で 教えておられる誠の心を得ることを最重要 え本文とすべきことを信男省人はこのお 言葉を持って表されたのですよという意味 なわけですねまつまりえ魂の解決こそが最 重要問題であるとま仏教の言葉で言います と魂の解決のことを生じの解決とも言い ますのでえこの人間があ生まれ変わり死に 変わりしている魂の解決これこそが最重要 問題であると一大事であるということを 示されたお言葉であるということですねえ ですからこの後各に証人ははっきりとこれ を持って思うにこのね一時を持って思うに いよいよ早々を一大児とすべきにあらずと ねこれもま 仏教者にとってま仏教本来の仏法者にとっ てはま当たり前のことなんですけれども まあ現状の仏教のイメージからするとま 驚きの後ということにえなると思います けれども早々を一大地とすべきにあらずと いうのは葬式や法事に力を入れるべきでは ないのだとならばそれが仏教の本文では ない本来の仏教の使命ではないからだよと 本来の仏教の使命というのは人々の魂の 解決を導くことであってえ葬式法事を 取り行っことが仏教の本部ではないのだと だからこの葬式法事を一大事と重要課題と してはならないのだとさらにね最も長じ べしとま乱暴に言えばやめてしまえという ことをま各に証人はま非常に強い論調で おっしゃっておられるお言葉なんですね

うんですからこの各証人のお言葉をま集の うん人がどの程度認識しているのか あるいは知らないのか知っているならば それをどう受け止めているのかま私もね うんま時間があればま時間とエネルギーが あればま色々な仏教関係者の人に インタビューして回ってみたいこのお言葉 ご存知ですかと外というま角女証人という 方上土新集において診断角女レニとま並び 消されるえ方ですのでえ上土新州において 特に上土新州のまお坊さんであったりその 関係者となれば角女という方の名前を知ら ないということはないと思うんですけれど もその角女証人が書かれた数々の書物の中 でも害者賞という本はま代表著作の1つで ありますからまこれもね害者賞という本の 名前ぐらいは一般の方は知らないでしょう けれどもま上土新集の関係の人ならばまご 存知であるはずなんですよねただその害者 賞全文をくなく読んでえそれを記憶して いるという人はねさすがにま学者の人など 限られるとは思いますけれどもですから この害者賞という本の中にこういう診断 証人のお言葉があるそれにえ核如証人が 解説を加えておられるえ文章があるという ことをまず知っておられるのかどうかで 知っておられるのだとすればなぜそのお 葬式がま仕事みたいになってしまっている のかあるいはそういうになってしまって いる仏教会に対してまどのように感じて おられるのかま自分に何かこうできるう その改善本来のねえ仏教を取り戻そうと する意思とかあこの努力ということに対し 関してはどのように思っていますかという ことをねちょっとなんか意識みたいなのを してみたいなとまついでに上土新州以外の え宗派のお坊さんにもまあそういう時間が あればですねうん何かまあの旅 のつれづれにうんお寺を尋ねてえ譲渡新州 の書物にこういう文言があるのですがま 本来の 仏教としてはねこの商事の解決ま周波に よってうん言い方はそれぞれまたねえそれ を修行によってえなそうとしたり学問に よってなそうとしたりえ上土新州のように え多本願あ物の本願によってその解決を なすと教える周波ありま手段はえそれぞれ であったとしてもこの商事の問題の解決と いう点に関してははえ仏教の共通課題で ありますので悟りを求めると言葉を変えれ ばね悟りを求める母体を求めるというのが ま仏教の共通課題というのはまこれは明白 なことでありますのでまそれに対して現状 を仏教と言えばま葬式法事という風になっ てしまっている現状をどのように感じて

おられますかということについてのねま 意識調査みたいなのをねましてみたいなと いうことをぼんやり思う部分もあります けれど もさてねえ皆様のご近所のお寺さんでは どんな感じなのかねまこんなこと尋ねると 嫌われるかもしれませんけれどもちょっと ねえーエネルギーのある方は私には ちょっと現状そこそのエネルギーがあ欠落 してるんですけれどもエネルギーのある方 はねちょっとこう意識調査をして見られて えその結果をねえ教えていただければなど と思ったりいたしますけれどもはいえその ようなまこの うん本来の仏教であるべき姿勢とま現状と がまかけ離れてしまっているということを ねま診断証人も角女証人もまある意味嘆か れ はいそれで診断証人はこのような衝撃的な え人々がね驚くようなことを述べられて 本来の仏教であるべき姿を示されたのだと 魂の解決こそが一大事であると肉体の後 始末よりもえ魂の解決を急ぎなさいという ことを診断証人はえこのお言葉を持って 示しておられるのだよという核の証人のご 解説ですねはいえ信男証人は平成ま生きて いる時にという意味です身に救われた時が 魂の臨時であり葬式であると教えられた方 ですそれを各に商人はま別のねえ修次省と いう本にこのように述べておられます平成 の時前自の言葉の下に奇妙の一年をほっ とくせばその時を持ってシバの終わり臨時 と思うべしとですからその普通はね私たち ま呼吸が止まって心臓が停止した同行が 開いた脈がなくなったことを持ってご輪住 ですと言いますがそれは肉体の臨時である と一方魂の臨時魂の葬式というものがある のだよということをここで角女証人は述べ ておられるんですねま角女証人が述べて おられるということはえ非じいさんである 信乱証人がそのように教えておられたと いうことでもございますまこのお言葉の 意味はねえ次に交互役が書かれてあります が平成に全自の教えに従って1年の身の 救いにあった時がこの世の終わり臨時で あるとおっしゃっていますされば新人逆し た人はもう葬式が終わっているのですま いわゆる魂の葬式が終わっているという ことですね魂の解決済みということですね だから後のセミの抜け殻のような肉体の 葬式などは問題ではないのですと例えね仮 にえその死体が打ち捨てられたとしてもね よく戦争でえ南方の方でね戦死されたまま あるいは病死されたままその遺骨が回収 できてないとだからま今はもうあんまり

ないのかもしれませんけど私の子供の頃 などはニュースで遺骨集集団がフィリピン のなんとか島に行ってえ100何十体の 遺骨を回収してきましたみたいなねでま その頃はDNA鑑定なんてなかったのかも しれませんけれどもある程度ねえどなたの 遺骨なのかということを特定できるものは 特定したりできないものはま合同葬儀 みたいなことでねま異例祭みたいなことを をしましたっていうニュースを子供の頃 よく見たことがありましたがま例えねその ようにえ肉体が打ち捨てられてえ骨がね 散り散りになってもう誰の骨か分からない その骨を供養するみたいなねまつまり うしっかりとま仮装してうん墓に収める みたいなことができなかったとしても魂の 解決があなされている人はえ必ず上土王女 できる極楽上土にえ仏の姿でえ生まれる ことができるんだよということをねえ教え られたのが診断証人また核に証人であり ますのでえ新人逆足魂の解決がなされて いる人はあお葬式などはまどちらでも良い とましても良しせずともよしとその遺骨を しっかりと墓に納めても良し納めずとも よしとまどっちでもいいとま別にえその うお骨のその納め方によってえーその死ん だ後の お結果があ変わるなどということは全く ないそこに一切因果関係というものはない ということをまはっきりさせられていると いうことです ねつまらんことに力を入れて大事な魂の 解決を忘れてはなりませんよと最後まで 真実の教えを叫び続けてゆかれた証人のお 言葉なのですということでねまずま非常に え今回まここに尽きるんですけれどもえ 信男証人が私が死んだら鴨川にえ投げてえ 魚にえ与えてやってもらいたいと おっしゃられたま最大の理由があ肉体の 葬式よりも魂の解決こそが一大事であると いうことを示されたお言葉であるという ことまこれに尽きるのでまここだけでも はっきりとねえ認識していただければま 今日の話はオッケーということになるわけ ですがま他にもねえ推察できる証人の見が があるよということでえ書かれてあります のがえ次に考えられる商人の見は生前に 多くの生命を奪いその肉を食べてきた中で も多く食べてきたのは魚であるいかに 生きるためとは言いながら誠にすまんこと であったせめて死んだ後なりともこの肉体 を魚に食べてもらおうという因果の通りの 人身からのお言葉と廃しますとねま信しは 肉食最大をなされた方として有名であり ますがま肉食肉を食べたと言ってもね当時

獣の肉というよりもまほとんどね生き物を 食べるとなればま日本人の場合は特に魚を 食べるということでありうんそのようにね ま生きるためとは言いながら多くの接 robを犯してきた自分であるとならばね せめてえ死んだだ後ぐらいはうまお返しに というかねうん魚に食べてもらうのが因果 の通りであろうというお心ではないかと いうことですねえ次にまた幸いに私は仏ボ 一体ナ物と一体にさせていただいたナ物に 染まった肉体を食べて仏縁を結び次の章 人間界に生まれて身の本願を聞いてもらい たいせめてもこれが罪悪人獣の最後の願い であるという見もあったのではなかろうか と愚行をしますとねえ商人はナ仏と一体に なられた方でありますのでえまそのうご 遺体をう魚が食べたならばま少しでもね 仏縁にえなるかもしれないというま魚たち の仏縁を念じたえ診断証人のお心では なかったかということですねえそれにつけ ても葬式や法事や墓番を任務のように心得 ている仏教会に信男証人のこのお言葉を よくよく伝えなければなりません真実の 仏法を知らされたものから真実の教えを 伝えていきましょうと結ばれておりますの でねはいえ私もエネルギー不足とか言って ないでねえま仏教関係の方々にもう上土 新集でえこのような書物がありますがあ いかが思われますかとまこのねあのお葬式 に力を入れるべきではないとえ本来え 1人1人の魂の問題を解決すべきが仏教の 教えであると特にえ仏法 えならばあその精神を体現しなければなら ないということはですねまあ日本の歴史上 を名を 残す空海とか最長とか同元とかね彩とか えーまえいわゆるこう1周一派を開いたと されるま歴史上のね え僧侶たち はまさかねお葬式に力を入れましょうと 言った人はないんじゃないかなとまこれは ね私そのそれぞれの宗派のその回そたちの 書物をえしっかりと読んだわけではあり ませんのでま単なるイメージと言えばそれ までなんですけれども同元前時がお葬式が 重要だよということをなんか書物で述べて いるみたいなことはちょちょっと想像が つきませんのではいこれはね うんどの周波にも共通して言えること だろうはずえそもそもまいわゆるその今日 のお坊さん方がしているようなというか もうほぼそれがもうお寺のみたいになって しまっているあの葬式の一連のこう所作 ってあるじゃないですかその葬式の一連の 行為を元祖であるお釈迦様やまたねその

お釈迦様の重大弟と言われるような方々や ま上土真州で言えば七高層と言われるよう なインドや中国の構想型またねうん日本に 限ってでも各周波の海とと言われるような 人たちがそういうお葬式に本訴していたと いう姿 はちょっと想像できませんよねそういう今 あげたような歴史上のう仏法者たちはま 修行している姿か学問をしている姿か あるいは人々に仏法を解いている姿かま そういう書物を記している姿か当然それは お葬式の仕方じゃなくって仏教の深い手に ついて え記したあ書物ですよまそういうその著作 の姿はイメージできても葬式をしていると いう姿は私はどうしてもイメージできませ んのではいこれは仏教各宗派に通ずるもの ではないかなともう大場仏教であれ症状 仏教でやれえねえ衝動自力の仏教であり あれ上土門であれもうこれはあの共通して いることではないかと思いますのではいえ 今日水曜日の問題として取り上げましたと いうことでえ私の話は一旦以上でえ終わり ましてえこの後は皆様の感想や質問など またえこういうことが分かったとかねえ逆 にこういうことが分からなかったとかいう ことについてえコメントをいただければと 思いますでは一旦え区切りをつけて 合しはいで はコメントを読ませていただきますとあ さんこんばんは最近 えでしょうがないですああ何かおすめの 趣味はありませんかということでねすみ ませんあさんからねえ仏教でおすめの趣味 ということを以前もえ質問いただいて 答える動画を撮ろう撮ろうと思いながらね 本当すいませんなんか決め決めた定期 ライブでなんか精一杯なぐらいで申し訳 なかったです今お答えしましょうえ仏教で うんまおすめの趣味うんとなりますとそう ですねあの抽象的な言い方をすればこの魂 の解決にえ繋がるようなことを趣味となさ れるのが最も良しと思いますはい信男証人 の先生である本年証人のお言葉にこの世の すぐべきよは念仏申されんようにすぐべし という有名なお言葉ががございましてうん まここでえ本年証人が念仏を唱えられる ように過ごすべきだとおっしゃられる念仏 というのは多きの念仏のことですよただ口 に南仏と唱えれば良いという意味では なくってえ本年証人や診断証人がただ念仏 と言われる時は常にえたきの念仏のことを 指してえおられるわけでということはええ 念仏を唱えられるようにえ過ごすのが良い ということは魂の解決にえつがるようなね

魂の解決ができるような魂の解決をして たきの人物を唱える身になれるようなこの 世の中の過ごし方暇の過ごし方が望ましい というお言葉なんですねはいですからその 朝の身周りでえあさんが できる事柄の中で えーまいわゆる譲渡真州の言葉で言えば 祝前となるような あ行動趣味が望ましいということになり ますね祝前となるということはえ言葉を 変えますと仏縁に なる行動ということですねはいそれをもう 少し象的ではなくて具体的にえ考えてみ ますと1つにはやっぱりこう人に喜んで もらえるような人を幸せにするようなま 仏教の言葉で言えば不正とか慈悲の行動に なるような行いはま非常に理想的だと思い ますねはいまあ世間的な言葉を使えば主の ボランティア活動みたいなこう人を お助ける行為っていうんですかね人の幸せ に繋がる行為これがあその過ごし方として は趣味としてはとしては最も理想的と いうことになりますねはいでま そのあさんにとってその人にとってうん何 がくで何がしやすいかということにもより ますがま例えば人に接することが嫌いじゃ ないという方であればその時間がたくさん あるとねえま暇だとえいうことならばうん そうですねえ何か人のお手伝いになるよう なあ行動がいいんじゃないでしょうかうん 例えばま自分がしたことがあることで言え ば何かこう用語施設でお手伝いをしてみる とかですねまこれ私中学校の時にま私の 担任の先生がまそういうあの学校で教えて おられた経緯があったことからそういう 用語施設のようなところと繋がりがあって はいま私たち社会勉強のためにもまそう いった施設でお手伝いさせてもらった みたいなことが何回かんあったんです けれどもねまですからまそういうところは ね何か繋がりがないといきなりそこへ訪ね ていってなんか手伝わせてくださいって 言ってもね気わがられるかもしれません けれどもでもはいあのきちんと私は何の 何がしでこういうものでえこういうことに 協力してみたいという気持ちがあってまり ましたという風に言えばねはいそういう 施設の人はえきっと喜ばれると思いますの でねそういう精神の人っていうのは なかなかない中そういう施設で働いておら れるということはもちろん生活のねためと いう部分もあるでしょうけれどもそれにし たってえそういうこう慈悲の気持ちが強い 人たちがそういう職業を選んでおられる率 が圧倒的に高いでしょうからまそういう

心ざしを持った人が訪ねてきてくれたら 単純に嬉しいですよねはいですからうん 何かねえその無害の人であってもその職員 じゃなくてでもできること何か資格などを 必要としないようなことをさせてもらえる ということは十分考えられますよねはいで 人と接するのが空だとそんなことすると もうエネルギーがどんどん吸い取られると いうタイプの人ならばそうですねゴミ拾い ををするなんていうのはとってもま色々な 方面に対してえこう うみんなのうん助けになるっていうかね はいいやなんかゴミがいっぱいあるなと うん海岸に公園にペットボトルとかなんか カカとかね結構よく見ると吸殻とか落ち てるなとみんなねそれで気持ちいいって人 は誰もいないわけですよでえ拾うって言っ たってね1つ拾うことはあってでもそんな ね公園中のゴミを拾ってもるなんていう人 はいない中えその公園中のゴミを拾って 回ったならばま気づく人は気づきますよね 別にそのやってる姿を見てもらわなくてで もあれなんかこの公園綺麗になったねと いうことは気づく人は気づきますの で非常に多くの人の心 を清らかにするでしょうしまま掃除をする ということ自体がま仏教的に見てでも非常 に球道上プラスになりますのでえこのもし 暇というかね時間がたくさんあって何かね え趣味を持ちたいなという風に思われる ならばゴミ拾いっていうのはねあの是非お 勧めしたい趣味でありますはいでそういう のは趣味と言わないよともうちょっとね 楽しいものが趣味なんじゃないかとという 風にえこの反発なされるならばそうです ね何を趣味としたらいいでしょうか ねま何でもいいと思いますけど例えば絵を 描いてみるだとかねあの詩を描いてみるだ とかまいわゆる捜索活動っていうのはいい んじゃないかなとで絵が上手にななったり したらその絵でねこう仏教的なその大事な メッセージを1枚の絵で示したりすること ができたらねこれはすごいことですよま 一コマ漫画と言いましょうか絵って ものすごくメッセージ性がありますので はい何かあの大事なことを訴える時でも 何かこう人々に愛され キャラクターが述べている絵を書いて くれればねただその言葉が貼ってあるより もまあ特に子供さんたちにはあ刺さるう 届くことになるような気がしますしねはい ですからま我が身の仏縁になるような そして少しでも人の助けになるま究極的に は人の仏縁にもなるようなことをその自分 ができる

範囲内で何かこう考えてみられたらいいん じゃないかなとまそれがま最も理想的です ねはいえ理想を無視してまあのただ世の中 の趣味ということで言えばそうですね自分 がそうだから言ってるだけですけれども 自転車で旅をしてみるとかねま別にあの旅 って言ったって何日も旅をするんじゃ なくってその半日え自転車で近所の行った ことのないところを走ってみるみたいな はいま人間あの見たことのない景色に 触れるとか行ったことのないところに行 くっていうだけでえー少しこうなんて言う んでしょうかねこうあの脳が活性化する そうですよはいですからまあのこう元気を 出すためにもねえそういった散歩とか サイクリングとかえドライブとかねま いわゆる旅ですねこれはまま自分が好きだ から言ってるだけですけれどもまあまあお 勧めでやりますはいえこれもね旅を なるべくこう仏縁に結びつけられるように できればなお理想的ですけれどもねはいと いうことでまあこれぐらいにさせて いただきます一旦はい次にえ仏教と キリスト教の両立ができるかどうか メンバーシップに入ってから聞いた方が いいでしょうかとあれこれはね私あのこの 短い時間ではありましたけどお答えした つもりになってたんですけれどもじゃもう 1回申し上げますと結論から言えば仏教と キリスト教の両立はできませんえその最も 顕著な理由を述べさせていただけば仏教と いう教えの根幹は因果の通りであり キリスト教の教えのま根幹という言葉を キリスト教で使うかどうかは分かりません がキリスト教の最も重要な大前提が神と いう存在であるという点が愛入れない問題 だからですねまどちらを選択するかという のはもうそれぞれのえ問題になります けれどもいわゆる両立ができないという 問題であるということですね ま例えとして適切かどうか分かりません けれどもま例えば [音楽] うん両立がしやすいものの中に例えばその 自転車競技とスピードスケートなどは両立 しやすいですよねはいなぜならば似た筋肉 を使うからはいあの今は国会議員になっ てるんでしたっけ橋本聖子さんって言い ましたよねあのスピードスケートで名はせ たであの橋本選手があの夏には自転車競技 にえトライしていたという話は有名で確か オリンピックの代表にもなったことあるん じゃなかったですだけ自転車の方でもうん というぐらいスピードスケートと自転車 競技はあれは足が重要なんですかね

やっぱり鍛えるところが共通しているから なのかま両立しやすいスポーツと言えます よねまアメリカなどでは夏は夏は野球を やって冬はアメリカン フットボールをする選手なんかが過去あっ たりしたのも聞いたことありますけれども でも一方ね例えばマラソンとオスモとかは 両立しにくいですよねマラソンといえばね うんそのレースに向けてま非常にこうあの 原料も重要でしょ多分ボクシングとかね はいでそれに対して相撲の場合はやっぱり できるだけこう体重があった方が結果が 残せますからいっぱい食べなきゃなりませ んしそのなんて言うんでしょうかうん自給 力よりもやっぱり瞬発力っていうか集中力 みたいなね相撲を30分もやってるなんて ないですからはいボクシングはま1 ラウンドで蹴りがつくという場合もある でしょうけれども12ラウンド15 ラウンドの長丁場も覚悟しなければなら ないある意味スタミナ勝負のう格闘同じ 格闘技でもねでマラソンの場合はもう完全 に金自給力の問題でありますしなるべく 体重は削った方がいいわけでオスモと マラソンみたいなものはやっぱりそのその 鍛えるところが違うし根本的になんていう かこのやるべきことが違いすぎるのでその どっちを選ぶかは別にどっちを選んでも いいんですけれどもどっちを選んでもその ま肉体や精神を鍛えることになるでしょう けれども両立はできないですよねはいでえ 仏教とキリストの場合仏教は因果の通りが 根幹なんですよこれがそのここから外れる と仏教ではないわけですねじゃ因果の通り とは何かと言うともうつまるところ人員自 の教えなんですよ全ての結果は自分自身が 巻いた種であるとこう解くのが仏教ですよ ね一方キリスト教というのはえその そもそも私を作り出したのが神様という 存在ですからで私だけではなくってこの 世界を想像した世界を作ったということは 人間以外の生物も皆生み出したのは神と いう存在であるとこの神という存在を否定 してしまったならばキリスト教ではない ですよねはいま私もすいませんキリスト教 のことが分かってるわけではないのでま 本当はねキリスト教にきちんと詳しい人に 語っていただかなければならないえものね えキリスト教の信仰を本当にその人生かけ てえ追求しているような人からその キリスト教とはこういう教えだということ を聞かないと片落ちではありますけれども ますいません私のイメージというか知る 限りで言えばキリスト教の場合はそのうん 天地創造した唯一心の存在を否定して

しまったならばこれはキリスト教ではない と思うんですよねちょうど仏教で因果の 通りを否定したならばその自院自家自業 自得を否定したならばもう仏教の教えは 成り立たないというのと同じくその最も 根幹部分の基本精神があ人員自家の教えと 全ての運命は神によって定められた神に よって与えられたものであるという思想と これやっぱり愛入れないわけですよはい そういう点でね他にもその細かいことを 言えばもちろん仏教とキリスト教でね表面 的に言ってることで似ている部分がある みたいなこともいくらでもあるでしょう けれどもましかしこの根幹の部分において え全くと言っていいほど相反しているが ために表面的なところで共通校を見つけて なんとなく上辺場を両立している感を 醸し出すということは別にえ ねや簡単にできるでしょうしまましてや その仏教の何か花祭りにも参加してえ クリスマスも新明にえね十字を切ってえ 参加をするとどっちの雰囲気も思いっきり 浸ってくるみたいなのを両立だというの ならばはいそういうことはいくらでも できると思いますけれども信仰という点で ね仏教で魂の解決を成し遂げようと えまたキリスト教で私の人生の問題を根本 的に解決してもらおうという信仰という点 で見たならば両立はできないとあまりにも その根本理念が違いすぎるからということ になりますねはいというえ答えでいかが でしょうかあさんが聞聞かれたかった疑問 点はこれでお答えしたことになりましたか ねそれともちょっとピントがずれてる あなたの答えは自分が聞きたかったことと はピントがずれてますよということであれ ばまたあのその点たしてえ再度聞いて いただけばまたしたいと思いますはいえ もう1つあさん上土真州で長文し続けない とあ煩悩に負けてしまいそうになりますと うんま長文が大事ですね確かにねはいえ キリスト教徒が教会に通うのに似ています ねとうどうでしょうかねそのキリスト教徒 の人がこの教会に通う気持ちっていうのが 私もその自分がそのような真剣にキリスト 教を求めて教会に通ったことがないのでま 若干ねお場に誘われてえま自分もねやると なったら割と真面目にあのやってましたの で何回かね教会にあの行ったことはあるん ですけれどもでもねそれもま子供の頃に数 回という程度ですからしっかりとキリスト 教のなんたるかを知ってその上でその解決 を求めて魂の解決を求めてえ教会に通うと いう経験はないのでねそこはすみません もう分からないという答えしかできない

ですね責任持ったことは言えませんねはい ということであの長文が大事だということ はねえこれは私え責任を持って言えます けれどもえすいませんキリスト教の教会に 通う人の気持ちとなると責任が持てないと いう返事でえ勘弁願いますはいえ次がさん こんばんはよろしくお願いしますえ仏教を 聞く前は仏教というと葬式や法人の イメージを持っていましたそうなんですよ ね私もそうなんですよねであの本来は違う はずだっていうのも一方では持ってたん ですけれどもねでも少なくとも日本の仏教 はなんだかもう葬式法事だなって思ってい たので仏教を学ぶには中国のなんか山奥 水木画とかに出てきそうななんかとんがり 山の上にあるあの寺に住んでる老師に 訪ねるか思いっきりなんか屋の麓ぐらいで 山ごもりしているなんかネパールの業者 みたいな人に聞かないと本当の仏教って いうのは教えてもらえる場所っていうのは もう日本にはないんじゃないかなぐらいな ねイメージをあの抱いてしまっておりまし た私もはいえ沖縄の人か人からお墓の前で みんなでケンタッキーを食べるとき いろんなお墓の形があるのだなと思いまし たそうですね沖縄の人はそういう別にその シミ祭の時にお墓の前での宴会でえこれを 食べちゃいけないあれを食べちゃいけな いっていうのはないんですよねお酒も飲み ますしお肉も食べますしねはいえ心のお 葬式かこ5章の1大地の解決が済まされた という際にえ身になるために文しいたい ですそうですねそれがえ上土真州のまた 本来の仏教のこの 説法学びの目的ですからねはいえまさん 続けてえ鴨川に入れて魚に与えよというの はそのような背景があったのですねとあと いうことはまどさんもこの診断証人の エピソードというのは聞いたことがあった ということなんですねはい息としけるもの に少しでも縁をという信乱書にのお心なん だか感動しますとそうですねという意味で はま私たちもこの信乱証人に触れた あるいはねお釈迦様はめえ大宇宙に増し ます様々な仏方またね信乱証人のように 正しく仏教を教えてくだされた方々と何ら かのねえ縁がこれまでたくさんあって まあ七高層のお1人の同着前時は3号地物 の因縁に合わなければえ根性みの本願を 聞くという仏縁には恵まれないとさえ おっしゃられてね35地物の因縁というの は3号会者 えー豪が者というね数の単位がございまし て10の何定なんですかね10のなんか 52乗みたいなそういうぐらいのなんか

大きなもう天文学的数字の単位ですけれど もまそもそも豪華者という言葉はガジ川の 砂という意味ですのでえガジ川の砂の数 ほどという意味なんですけれどもそれが3 号が車ですからえそのガンジス川の砂の数 の3倍ほどの仏方と過去性因縁がなければ その因縁というのはあ説法を激ofしたと いうことも もちろんですがえその仏様の肉体を食べた あ動物だったりバクテリアだったりね魚で あったりえーまたその仏様のうで買われて いたヤギだったとかねその仏様の住まいに 住んでたネズミだったとかゴキブリだった とかねそういうのも全部含めて3号地物の 因縁がなければ根性仏縁は結ばれないもの だとさええ言われますのではい私たちもね えこの診断証人のお言葉のような慈悲に 触れてま今日の仏縁があるということにえ なりますねはいえ大美さん御天山先生 こんばんはえ今夜もよろしくお願いします えご視聴中の皆様いいねをお願いしますと はいえいいねと思った方ははいお願い いたします というところでえ一旦皆様のコメントは 全部読んだとまどさんえもう1回いました ねえ最近はミスドもだそうですミスドが何 なんでしょうかああのあれですかシーミー 祭で墓の前で食べるのがケンタッキーだけ じゃなくてミスどってことですかミスター ドーナッツもってことですかねえ海水浴に 行くと父はまゴミ拾いをしていましたとあ あということはミスタードーナツが ゴミ拾い作戦を実施しているっていう意味 ですかねはいそのそういう意味でのミス どもだそうですですかねうんお父さんも 偉いですねはいそういうその人がね多く あるとま私もねゴミを拾って回るまではか ないんですけれどもねま気づけ気づいた ゴミは捨てるみたいなねうん まぐらいですけれどもま旅が好きという ことは様々な島や海岸や山に行くという ことでましょうがない海流の関係でねゴミ ダメみたいになってしまってる海岸なんか もあったりするともうとてもこれは自分 1人では拾われんしなんかねこうチームで 100人ぐらいでそのプロジェクトを組ん で回ったならばまああこの海岸が綺麗に なるんだかなと思ってみたりねでも実際に そういうことをやっている企業ってあり ますよねあの私なんか見たことあるのは コスモ石油があの心も満たにコスモ石とか 言いながらあのなんかそのプロジェクトと してえ全国の何かそう後楽地のゴミ拾いを するみたいなねことをやっていたことがあ なんかあるのをことありますけれども今も

やってるんですかねはいということでえ お前もやれよっていうことでねはい私も 心がけたいと思いますえ全に励んでこその 己れの悪が知らされるのは財政に限らない のでしょうかそうですよ私ね伏せのこと ばかりいうのでえそのようになんか限定さ れたみたいに誤解を与えてしまったかも しれませんけれども伏せに限りません何で も次回ニニ商人全盛知恵もちろんゴミ拾い も含めてはいあの全業によってえ知らさ れる己れの影の部分煩悩悪というものが あるわけですねはいえまどさんミスドと ケンタッキーで海水浴は関係ございません となるほどねミスドはやっぱりあのシミさ の方ですねはいえ失礼しましたえ本日も ありがとうございました生仏ということで え時間があ参りましたのでえこれにてえ 本日は終わらせていただきます よし

#説明欄もご覧ください

★毎回の説明欄に、私のメールアドレスとお布施の案内。加えて定期ライブとメンバーシップの案内を載せておくようにします。

【メールアドレス】mt.goten3@gmail.com

【LINEのID】0421sorio

個人的にご依頼がある方は、こちらにお願いいたします。

【お布施のご案内】

動画を観られたりライブを聞かれて、お礼がしたいと言って下される方があります。そのようなお志を、仏教では「御法礼」といい、尊い布施行であると教えられます。このチャンネルで皆さんからのお布施が集まって、やがて恵まれない子どもさんたちに、勉強はもちろん、大事な人生の知恵を教えてあげられるような学校ができたら凄いことだと思われませんか✨(不登校の子も通えるような、仏教の教えを元にした学校をつくることが私の夢です)

動画にはスーパーサンクス、ライブのときはスーパーチャット、という投げ銭ができるようになっていますので、これまでもそのような形で布施をされる方もありましたが、クレジットカード決済ができるようになっていない方は、以下の口座にお願い致します。

ゆうちょ銀行
11300-22987361
ソエヤ リョウスケ

他の金融機関からの場合は
ゆうちょ銀行・一三八支店(イチサンハチ支店)
(普)2298736

【定期ライブ】

毎週(火)(水)(木)の21:30~22:30の1時間、定期的にライブをしています。(カメラONは21:20からしていますので早めにお越しください)

(火)は、仏教の根幹・因果の道理

(水)は、基礎から体系的に学ぶ仏教

(木)は、浄土真宗の教義について

というテーマで行っています。今年から始めた旅レポートをしながらの動画は、仏教の話は半分ですので、しっかり仏教を学んでみたい方は、ぜひ定期ライブにお越しください。

質問も自由にできますが、もちろん聞いてお
られるだけでもOKです。

【メンバーシップ】

https://www.youtube.com/channel/UCZw8pF4dYQ0GEmRzfV3BR_w/join

上記のリンクか「メンバーになる」をクリックして手続きすると、月額990円かかりますが、昨年7月から続けてきた定期ライブの録画をすべて閲覧して頂くことができるようになります。

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