DIO110(JF58)で林道を攻める 兵庫県猪名川町 多田銅銀山

[音楽] え皆様こんにちはえ今回はえ宝塚市稲美町 の辺りかな稲軍ちょっとわかんないです けど えっとこちらのねあのただ銀道山という ところにえ今来ております でこの辺もエリアに入ってきてると思うん ですけどあここの道もなんか気になん なこのまただ銀道山というところに来た 理由としてはまこの近辺にあのちょっと 林道みたいな道があ面白い道があるみたい なのでまそちらに行こうということで来 てるんですけどまついでにこのただ銀道山 というところもねちょっとしていこうかな ということでえ今そちらに向かっており ますでえっとなんて言うんでしたっけこれ 有給の館だったかなそういう名前のあの 資料館みたいなところもあるみたいでま そちらの方にもねちょっと行ってみたいな というところです ねでその資料館の奥っていうのはあの車は ね一応あの入れないというかま入るの遠慮 してくださいみたいなあの法的にダメと いうわけじゃないと思うんですけどまあの 徒歩でねあの跡巡りをする方もいるのでま 配慮してくださいていうような感じで書か れていたんですけどまおそらくねバイクで あれば問題ないと思うのでまちょっと奥の 方にもねあの行ってみようかなという風に 思いますあここがその球 広場ってやつですかの里球の 館ふんふんふんなんかガラガラやけど ななんかやってんのかないうぐらい ガラガラや な ちょっと先にあの奥の方行ってみましょう か この辺ねただ銀狼 山ああいいすねなんかちょっと林道っぽい ようなね趣きもあります ねああここはあれすね廃墟ですねこれね うわすっげえ なめっちゃ怖いやんこっちは新しいっすね この家はこの家も現役っぽい な ふうんいやここは進んでるかどうかわから んよう なあ狭いっすねこれねまあねバイクなんで 全然余裕ですけど ねあ添谷 峠この先車両通り抜けできません分かって おります お青き青きマブ青きまブって言うんすかね そこちょっと行ってみましょう かここ止めといたらそんな邪魔じゃな

いっしょえっとこの今向かってるところが ねあの青木まぶというところ でえ元々ねこの胴を掘っていた場所みたい です ね えこちらですね 全長約57mで江戸時代の堀跡を昭和30 年代に拡張した とああなのでね江戸時代に 元々手掘りで掘られていたみたいです ねあヘルメットあるていうか私ねバイクの ヘルメット被ったままなんでね これ上から多少落石落ちてきても大丈夫 です おおああなんかとど丸い穴が開い てるうん今10°ですね気温 は うーん上からこれなんかあれなんやろうね 崩れて落ちてきた感ある ねなんか縦こがあるみたいなん で わこれ低いわ腰ておあここが多分タコ でしょうね この上もなんかうんありそうっす ねおわ すごいめちゃめちゃ緑のこれ6勝でしょう ねあの言ってみたら銅のサビだと思うん ですけど銅の成分がやっぱりいっぱいある んでしょうねこの含まれてるでしょう ねあここもなんかあこれあれでしょうね 手掘りでしょうね 完全うんこの辺は多分あのクサ費とかでね ガとほったやのけどおうわあ すげえあめっちゃ 緑なんかねコケとかみたいにも見えます けどコケではないですねこれ ね10円のサみたいなねそんな 感じはでここが終点 短うん青木まぶの鉱脈の堀跡と 鉱石ちょっと暗い なうこの上ちょっとね見えないかもです けどかなり高い位置まで ね穴が開いてるんでどなにしたんやろうね これあでもここは手掘りっぽい な ほう多分ここも手ぶりやと思うんすけどね これで人が入っていたんかなここね上まで 登っていっきたんでしょう ね 結構下が なんかガタンガタン言いますねこれ怖い わ人人 [音楽] おる えはいはい

はいびっくりした出てきたら人いました ね はず完全もヘルメットかぶったもう頭 おかしいやつやで これまあまあいい でしょうというわけでねえこのブという ところを今見に行きまして他にもね見所 あるみたいなんでえちょっとそちらにね バイクでちょっと走って行ってみ ましょう えっとこれね今行ってきたところが青部と いうところでこっから先にもね道があり ますんでえちょっと行ってみ ましょうま全然ね車でも余裕で走れる道で はあります けどま人がいたりとかねあとリゴしたり するのがちょっと大変でしょうからね車で 来るのは控えた方がいいでしょう ね 水抜き通風血跡 ああちょっとGoProでは多分ね映ら ないと思います けど確かにね あの山の斜面にボコっと穴が開いてますね [音楽] あなんか工場みたいなあるね うわうわここ行ってみてえ行ってみてえ けど行っていいんだかどうなんだか [音楽] ね 瓢た マブ お卵パック発生 のち へえ卵パックが作られてた誕生した工場と いうことになるみたいです ねそうなん やで今見たら 1979年になんか作られ たみほそろになりましたよ これうわいいじゃないすか思わ ぬいやいやいや結構すごいっすよ これいやいいっすねあれオアぬ収穫 大所マブと瓢 マブおおここ結構すごいぞこの 道いやいやマジ でうわマジでじめじめしてるから結構滑る よおお すげえ え日本工業株 ただ鉱山事務所 跡瓢比の地下120から200mで質の 良い鉱脈が発見されたため昭和41年に 設置され昭和48年に閉鎖されましたへえ 地下約120から

200mすごい ねへえ こんなトロッコみたいなんでね鉱石を出し て うんこれが 1973年に 閉鎖73年っていうこと はま私が生まれた年とねさほど変わらない ぐらいっていう感じなんですけどうわこれ 何これちょっと橋の跡とあれっす ね廃墟みたいながなんかありますね廃墟と いうか作業小屋でですかねいやちょっと なんか不気味な雰囲気でそこが結構ねこれ すごいっす [音楽] ね日本工業事務所 跡おお すごいえただ銀道山大路島って言うんです かね ふわこれ上登るのちょっと過酷じゃ ないちょ登ってみようかおおすごい [音楽] すごいあ思いの方普通やわそんなに勾配級 でもないえこれどっか行けんのこれこの 道なんかなんかける ぞうわめっちゃ登るねんけどでめっちゃ ボコボコやねん けどうわコケムシのや なうわずっと道ある え 日光日光最高エレベーターとエレベーター とエレベーターががあったんすかねこんな とこ にちょっとわかんないすけど ねま鉱山がねありし時はああこの辺も トラックとかなんか車が走ってたん でしょう ねなんかそう考えるとねま感慨深いという かすごいっすよね言ってみたらほんの50 年ほど前ですもん ねでこのただ銀道山の歴史ってのはかなり 古いみたいであの奈良の大仏のねあの銅も ここで取れたものっていうようなね伝承が あるみたいででそれはまあ事実なのかどう かっていうのはねちょっと分からない みたいですけどうわここもすげえな これすごいあこれすごいな これなんかあれやわ仮面ライダーが戦う 場所みたいな感じするわ なんかまだ先がありますね瓢たマブと台所 マブあこれがもうすぐやな台所 マブ うん ああマブ暴落の危険がありますこれにより 先には近づかないでください銀山武行行様

おんね やああ瓢太マブと同様豊秀吉が開口したと いう銀山の最も代表的な マブ豊富時代に良質な銀道が出行し当時 大阪城の大所を賄うすなわち豊政権の経を 支えるほどの豊富な量であったことから 台所マブと呼ばれてい ますうんなるほど ねそしたらそれだけあれですね豊秀吉が重 用紙してたぐらいの大量のね銀が出ていた と うーんだいぶ埋まっちゃってます ね上もそんなにあれやもんななんか薄い 感じするもん なそのうちあれでしょうね もうなくなってしまうんでしょう ね急特地跡あその対岸にお寺があったん でしょうかねもう影も形もないですけども ねおだんだんなんかすごい道なってきた よあそこにはなんか途端でなんかやってる ような跡がねあるけど お結構すごいっすよこ ここなかなかの迫力や ぞうわ一気になんか林道チックになってき まし たあこれが瓢たマブ うーんよいしょ稲川町なんですねこの辺は ね瓢た馬立入 禁止うん端マブ足時代に一度星山であった 旧馬豊富時代天勝期に帯びただしい銀道を 算出し大反映した代表的な マブ山崎鉱山義士の原丹波原親子がこの公 役を発見し法美として豊秀吉の馬印である 千なり端を与えられ入り口に掲げたこと からタマブと言われています憲文に来た 豊富秀吉が馬上のまま校内に入ったという 言い伝えがあり ます渦は瓢た馬部周辺の有料鉱脈の様子を 表しています へえあすごい ね地下までガーと掘り進んでいってみたい な感じなんやろな でこれをねその豊富秀吉の時代淳桃山時代 に発見してるっていうのがすごいですよね どうやって発見するんでしょうねそんなん ねええこれ かこれをえ豊秀吉は馬のまま入っ [音楽] たって狭いけどねもうちょっと下があれか な高かったんかなあ高かったというかあの 低かったんかなこれあの体積物がね 積み重なって高くなっちゃったんかな床が いや真っ暗や なすげえな入ってみたいけどね危険なん でしょう

ね いやすげえ素晴らしい素敵な 風景これ向こう行ってももう何もないんか なちょっと怖いよなこれ あ全然行ける かなんかね なんかほったて小屋みたいな見えるよ ねああここは終点っぽいですねうわ何 ここいやスーパーハウスあん ぞうわこれなんか何これ陽豚場かなんか みたいな作りやね これ違う めちゃくちゃ俳句やけど なめっちゃ怖い やんうわ足元グズグズ やいやこれどう見てもあれちゃいます頓場 とか陽状とかじゃないですかこれ は完全崩れてもとるけどね なんかヒントはないですかないですかあな 車のバンパーみたいなんが中入ってた なんかスピーカースピーカーみたいなもん が置いて あるいやすっげえなまなんかわみたいなが ドアあるからうん多分そういうねなんか 宿舎的 なものやったんでしょうねここに電気 メーターの残骸もある しやあめっちゃ怖いやんこれ すげえザ廃墟やなでそこのスーパーハウス であれやろねジム的なことやってたとかあ でも場所めっちゃ悪いけどね ここ車とかで入られへんぞ これうわめっちゃびちょびちょやん足元 が あというわけで ね銀道山の移行はこんなものでしょう かあとはねその銀道山のま資料感みたいな ところがあるみたいなのでちょっとそちら もね見ていきたいなと思いますけど多分 そちらはねちょっとあの撮影禁止っぽいん で撮影はねできないと思いますけど も いやでも これ車で入ってきたらなくやろうなこんな とこ なまディオ110でねあの全然余裕で走れ ますけど結構ね あのいい感じだバイクでうん来るのは結構 おすめかもしれないです ね歩くと結構しんどいと思います これ [音楽] うーんああここもまた 砂利まあまあすよこの 砂利ちょっと油断したらねあのやばいっす

ねこけますね これ マジで結構砂利です わおいおいおいおいおいおい おい よっしゃ卵パク誕生の血ねこれそっちに 行ってもそんな何もなさそうなんかな一応 行ってみる かうんそしたらまあただ銀道山の辺りはあ こんなものでしょう かまうんあのそうですね見所ないわけでは ないですけど もそこまでね あの足運んでえ見るほどのもんかなって いう気はします ねまあの興味はねありましたんでねその豊 秀吉のね時代からすごく こう徴用されてるね銀狼山でしかもね あの奈良の大仏の銅にもね使われたとかっ ていうようなね伝承があったりとかであと は豊秀のその資材さんがねここにあるん じゃないかっていうようなねそんな伝承も あるみたいなんで面白いですよ ねなのでねちょっと1回来てみたいなと 思ったのでえとりあえずねあの来てみまし [音楽] た hvad

多田銅銀山の近隣に林道のような面白そうな道があると聞き、どうせなら多田銅銀山にも寄ってみようということで今回の動画で取り上げました。
車で行くと駐車場に停めて歩き回る形になるかと思いますが、バイクならあちこち乗って回れるのでバイクで行くのがオススメです。
とはいえ見所はそこまでかなぁ・・・という印象は受けましたが、1000年以上も前から採掘が始まりほんの50年ほど前まで稼働していた歴史もある興味深い遺構でした。

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