千年の継承 〜変わる時代と変わらぬ信仰〜 ゲスト:太宰府天満宮 第40代宮司 西高辻󠄀信宏さん(後編)【番外編#100】

[音楽] suukさて本日の番編も引き続きフテ マング第40代偶西辻信さんをゲストにお 招きしてお話を聞いていきたいと思います お願いしますよしお願願いしますでもう 今回おそらく最終回になるんですけど ダザイフテマングそして神社新藤の未来 みたいなテーマで話していきそうですよね 今も前回も締め括りで言いましたけど やっぱり今でその神社にとってどういう 時代になってるっていう風に西田克さん からは見えますかそうですねやっぱり1番 大きい変化としては神社のまお祭りもそう ですし神社自体の存在も結構やっぱ濃厚 社会と結びついた部分が非常に多くて 成り立ちから基本的に近代と言われる ところに入るまではそこと結びついていた 部分があるんですねやっぱあの祈りのあの うんでぱ非常に農作物がしっかりとあの 取れますようにそれ取れたものを神様に 感謝でおえするというような形のサイクル があってそしてその神社が村の人が集う 場所であったりとかていうことだったん ですけども人口のこの移動というのが ものすごくやっぱ神社に与える影響が 大きくなってるなというのは思います都部 に移動してしまうとぱ地方の方が人がい なくなって周りでお守りしてくれてるとか 支えてくれる方がんそうですよね神社が ななちかなくなるいことありますしまその 中で新さんが1人の例えばグさんがあの 多くの神社を見るような状況になって しまう後継者がやっぱなかなか決まらない 成りてが少ないっていうことがあるのでま そういう部分としては非常に難しさを感じ てますねでま一応ま最新の統計で言うと 神社数と約7万8万社って言われているん ですけども新色数は2万1000人なです ねん 3倍以上1人3つ以上けたないとですしま ある程度大きい神社には浸食数が多くなる とやっぱ中方の方に行くと1人が数十者を やっぱりお守りいただいてるま普段は自分 のホームの場所があって春の祭りとか秋の 回りの時だけいって普段は地元の宇子さん とか地域の方々がお守りしていただいてる 状態なんですけどもそこさえも難しくなっ てきてるということもあるのでま全体で 言うとやっぱどうやってまこれまで先祖が 守り伝えてきたものをん次の世代にあの ちゃんと残していくかっていうところで 言うとなかなり考えなければいけない問題 があるなと思いますねだわ出雲とか めちゃくちゃ神社多いですけどやっぱり誰 もいなさそうなところいっぱいあるもんね

やっぱりうんなるほどねえもうこれズバっ と聞きたいんですけどなぜ少なくなってる んですかはいその受け継ぎ新色の方がです まあの本当に激務なんですね基本的にあの 普通にするとあの1でうん例やってあるグ 様とか神社だと休みがない状態うんうんで やっぱそこでなかなか今普通の会社に勤め たら休みがしっかり取れてっていうところ と違う部分でやっぱご奉仕をして祈りを 捧げてると部分があるのでまそうすると その姿を見ているとなかなか自分もって いうのはそうかなかなかちょっとそこでの そうか部分があるので土日休みで今日は 祈らないとかがないはいうんうんそこも あるのかなるほど 常な空間を保つていうこともあるので毎朝 経を清めてっていうことがあそうじゃもう 起きる時間っても含めてですけども固定さ れてるわけですねはい非常にまそういう中 の大変さ難しさっていうのが出てきてるな とは思います西克さんとかはあれですか 長期で海外に出張とかできない私はお祭り 日を避けてやるんですけどそれはもう ありがたいことに職員をが複数人あのいる ようなとなのでそれができるんですけども そうじゃない場合は非常に難しくでも 例えばどうしても出ないといけない場合は 他の地域の他の新さんからそこだけ スポート的に手助けしてもらうとかいうの もあったり誤情的なものもあるんですけど それさえ結局成り立たなくなってきてる ところもあるのでうもうそうすると なかなか難しさがあるなと思いますどうし てもやっぱりねあの建物もほぼ木造の ところが多かったりやっぱそういう建物も や手を定期的に入れていけばつけどね悪 なますそののメかかってしまうとかあるの で非常にそこのサイクルをどうやって考え ていくかっいうのもありますねすごい気に なってるのがうん神社って木造でま 5000宮とかよくあるじゃないですか はいでなんかすんごいお金かかるじゃない ですか数億とか数十億とか希望が大きい ところではそうですねそうですよねあれは どうやってらっしゃるんですか皆さんうん まあのご寄付を集めるっていうのがあるの はい例えまそれをどうやってやるかいう ですけど例えば文化に指定をされてる部分 についてはあの文化としてのお寺でも一緒 ですけども補助が出る部分あですけどその 無視定のもだと全て自前で賄わなければ いけないのでであのま長期的な視点で 例えば30年に1回手を入れなければいけ なかった毎年ちょっとずつ積み立てをして 30年後のために修理のために積み立てて

いくっていうことですけどもまそれも やっぱ地域とか神社によっては難しくなっ てるとこは本当に手が入れれなくてなんと か頑張っている状態ですけどもあまこれが 時間が経っていけばいくほど難しい状況に 神社全体はあるのでまここの解決策とは 非常に難しいと思うんですけどもなんとか 考えていきたいなとは思っているところ ですねもてことはやっぱりもう言って しまえば企業経営みたいなものの感覚も やっぱり取り入れないと維持すら難しい みたいなことになりますはいもうグさって いうのはま両方責任者だと思って1つは うんお祭り祈りの責任最高責任者であり もう1つは運営の責任者という両面がある のでここも非常に難しいところででまあの 特にね新色の資格を取れる学校ではどうし ても歴史とか新色としての左方振る舞いと かあのその祈りの部分を強く出すんです けど実際この運営の部分っていうのはもし かしたらあの外部のあの心ある方の応援が あったらとてもいいのかなっていう部分は 思いますね現実問題としてやっぱ実務部分 のとがやはりその知見が必要だということ ですよねそうですねえっとこれ主な収入源 って言ったらちょっと収入源っていう言葉 使っていいのかわかんないですけどどう いうところでお金を集めることになるん ですかま公益的な部分ということでは やはり宗教的な祈りに関する部分っていう のとあとま収益事業として例えば駐車場と かという部分とま片方だけの部分もあり 公益的なところだけの神社も多いですけど も両方なさってる部分もあの神社というの もあったりはしますうんでも基本的にお 葬式とかをはそ祭りという形では神社に よってはやってる部分があるんですけども まそういうところがないあのところは多く やっぱどうしても地域の方々のお気持ちに よって支えられてる神社が多いのでまそう いう意味では非常に運営は苦しい神社が 多くあるという風に考えてますしそれこそ あのどうしても手を入れて修復とかいうの が定期的にきますのでその時にためにどう するかっていうところの悩みはつきないっ ていうのはありますねうんこれねだか企業 系とかだったらやっぱ新規事業立ち上げて 新商品だつってマーケティングだって海外 だとかできるじゃないですかそういう感覚 とはやっぱ全然違いますよねどうしても やっぱ土地にねいてる部分だからこそ進行 をこれまでは支えられてきたっていう部分 があるのでねなんかこのね無人かあま実際 無人の神社もいっぱいあるけど祭祀がある 以上なんかシンプルに効率化させるとかも

できないじゃないですかそうですね祭祀 っって効率じゃないからはいまさしくそう なんですはいDXもできないそこのそこに 価値があるわけじゃないからお再戦を ペイペイにするとか全然やってもいいと 思うけどそれ以上のこって難しくなって いきますよねなんかお祈りをねうんVRに するとかもAIで文章作らせて読むとかも できないねなんかそのいろんないろんなの が生じるですこそうあとそのひさんが さっきおっしゃってたその企業経営ある じゃないですかで企業経営と決定的に違う と思ったのうんは企業って例えばま潰れる としても人類の歴史にとって別にどうでも いいんですよねうんまあ ねある意味ねま物によって企業によっては 違いますけどでも進行が1つ潰れ るっていうのが結構でかいことだと思うん ですよだ進行のバカなくな るっていうことは信仰がうんうん薄れてい くっていう感覚があるのでそれがこう進行 がなくなっていくっていうのが結構人類に とって何なのかっていうのは結構考えるよ ねになくなってたら別にその宗教なくなる 時ってあるじゃんうんあけど実際は なくなってないじゃん新党のはいはい普通 にお正月も行くし神棚もあるとこでまだ いっぱいあるしみたいなだけど神社だけ なくなっていくっていうのが多分なんか 問題なんだろうなんか起こるんだと思う そううんなんかが起こりそうっすよねいや で特に人が来て何かが行われる場があ るっていうとこでなるとコロナてあった じゃ はいあれてやっぱかなりいろんな影響が出 たんじゃないかなって思うんですそうです ねそれぞれの多分神社でなさったことは 違うのかもしれないですけどもダフ天満宮 のことで言うとやはりまずはどんな状況で もま神社を閉じずに祈りを続けていくこと をま第一に考えたっていうことがあります ね本当に大変な時期だったのでそれだから こそ心の寄りとに多くの方になればいいな と思ってそう開けてたことですねこれも すごい勇気ある決断でですよね当時今で こそあれですけどうん当時すごかったす からねはいまその中で実務上で言うと職員 を2半に分けて完全にA班B班だとしたら ここは接触しないようにして何か例えばA 班でもしあったとしてもカバーできたりと か武将ごとも複数に用意してそれを分ける ことによってこう神社を止めない祈りを 止めないっていうことを考えましたうんで まそうすることにって信じを続けられたと いうこともありますしまその中で1うん

あの自分の中で大きな支になったのが過去 のシャムというものを見ていたんですねで まここずっとわしに隅で1日何があったか とかどういう風なことをしあのあったかと いうことを記録してるのがあってそれで 明治12年のシャム日誌を来るとこれらが 流行った時でうんうんでその時にじゃあ どうやったんだろうと探すと真事なども 止めずに毎日のはやっていて大きな採点と かそういうのは延期しながらもちゃんと 最高してるという記をうんうんっこう悩み ながらもうな断をしてやってたんだなのが 分かったのでまそれににきづけられたと いうのもあるのでこういうのってやっぱ 歴史の持つ意味がこういうところにやっぱ あるんだなっていうのを感じましたそれ すごいすすごいあもう道でこんな気持ちで 歴史書勉強したんじゃないあうんでそれで 実もに生かしたじゃまでずっと記録残っ てるねあそれ以前からも残ってるのもある んですけどだからこそ今ももちろん デジタルの資料をデジタルでも残してるん ですけども同時にシャム2を書き続けてい て今もなおわしに住で毎日当直の方がちょ 書いていてということでま両方残すような 形をまこれがもしかしたらね100年後と かの未来の時に何かあった時に今回のこと が最高になるかもしれないと思ってこの ようなコロナの記録も全部残している ところですねいやこれだから今の話も 面白くて僕らからしたらえっと髪は燃えて なくなりそうだからなんかあったら困る からデジタル残しとこうと思うんですけど 1000年とかで考えるとデジタルはもう 見れるデバイスがなくなっちゃってて紙の 方が残るみたいなこともあるから両方残す ていう感覚今だから両方を残しております ねすごい実際でもまそうやって私もね美術 に関わってきたりすると残ってるものは どうしてもやっぱワシに書いたものとか木 に書いたものて本当に強いのでちゃんを 残していけば残っていくのでえこれも残っ ているという合理性ですよね前回の話じゃ ないですすごいななるほどその感覚そっか デジタルはどうなるかわかんねえもんな 確かに髪の方が残るかそうだねレアメタル 掘り尽くされるかもしんないからねPDF はワードが残るかどうかわかんないです それ考えたことなかっ たえめっちゃ面白かってる そこ思ったことっただけですけど今のこう 現代人にとっての神社ってそのどどういう ものななっていう風に思ってらっしゃい ますかまあの人によってやっぱそこは 受け取る感覚は違うというのはもちろん

ありますけども1番大事やっぱ祈りの場所 としてまここのよりどころに奥の方になれ ばいいなと思ってますしま本当ものすごく 思いとか悩み持った方にも対応でき逆に あの旅行できた方にもそこであの神社が いいポジティブな影響がなってやっぱ1つ はま元気になって書いてもらいたいていう のもありますしもう1つはあの季節感とか ま最もううんですけどそういうものを感じ られるような神社であってなかなか今って そういうのって意識する場所が少なかっ たりま文化が息づいていたりとか歴史が きづいてる場所ってとても少ないと思うん ですねそこが太した神社に行くとそこが 感じられてあそこから自分の普段の生活に もいい影響 がめちゃくちゃ 与えていくことができたら何よりいいなと う今自分の中でその参道の風景がずっと 流れ てる確かにそのもし神社が季節感を手放し てしまった場合うん我々の文化に残ってる その季節的な行事であるとか季節的にやっ てたこととかが大体ほぼ失われる可能性は すごいありますね一般家庭で残ってる ところあんまりないそうですねあと情景と かもそうですよね景とかね確かにビル外 じゃ絶対見れないような日本的な風景と かって全部がビルになっていけばもう なくなりますもんねうんそうですねやっぱ 禁化していく中で [音楽] あってますまその中でま先ほどから珍獣の 森という話もしていましたけどもやっぱ森 と共にある神社っていうのはその考え方 からもとても日本らしいなと思うところも あるのでこの自然をどうやって維持して いくかっていうこともあの考えてますので ま西天の取り組みなどもそこで得られた地 を横展開していって全国の神社とか神社 以外のうん いかなとってるとですねいや神社以外の ところとやっぱクロスするのすごいいい なって思いますねうんうんなるほどすね いやでなんか風景を残すっていうプラス 風景自体は残るんだけど風景を残したいと いう気持ちが残るみたいなのが多分大事だ と思ったんですよ要はこれを残すんだって いう意思がそこに集まるというかうんそう ですね多くの方がばそうやって思って いただけるようにと思いますし風うんを残 すっていうともこれも実際はなかなか大変 なことででま天満宮が目指してるところは 例えば100年前に取った景色と来てもあ 変わらないねって言ってもらえるような

景色も1つ目指してるんですねそご本殿 周りとかはでもそれって言うと100年 だったら環境もかるし植物の伸びるも ちゃんと手を入れ続けることによって 変わらない景色を作っていくまそこが多分 短いとこで言うと子供の時にお父さんとか おじいさんおじいちゃんおばあちゃんの来 たところがまだ自分も大人になって次次の 子供ついた時にあ同じここで自分も子供の 時来たなとかそういう記憶とか思い出も シェアでしていけるってなかなかこれだけ いろんなところが変わっていく中でそこっ てもう本当担えるところってなんか神社と か歴史があるところぐらいしかないと思っ ているので本当にそうだわでもそう考える と多くの方から先ほどしたいろんな気持ち が集まって残していただけるっていう風な 方までやっぱ神社としては進んでいけたら いいなと思ってます本当にそうだな何を 思ったかいうと繰り返しになりますけど はい西田克さんがおっしゃった音のええ なんか企業家とかスタートアップとかで 働いてきた自分たちからはうんこう どんどん入れ替わるそして新しいもの 新しい技術っていう感覚をめちゃくちゃ 持ってるけどそううん世界が全てそれだっ たらめっちゃやだ わそうだよね変わらないものとかうんそう なんだよね戻ったらそのままであるホーム であるとかうんその要素って世界に絶対 必要でそうなんだよねでそれを誰が担なっ てくれてるかっていうのは考えたこと なかったすうんうん確かにその通りだわ それを誰かがになってくれてないと全てが 変わりていくから確かにねなんか特にま ヨーロッパとかだと石の建物とかだからま 残ってるしね教会とかねもちろん手入れ ないと口はてていくんだろうけどとはいえ あるじゃないですか日本とかのその東 アジアとかだとやっぱ木だからうんそこで 行くといやあそうだね誰かがそうやって 強く意識しての残さない限り意思を持って 残さない限りほっととったら残らないです もんねうん確かそうですねそこはかなり 強い意思を持って取り組んでいるところ ですねなるほどいや我々がその懐かしいと いう感情を抱くためには裏でたくさんの人 たちのめちゃくちゃの努力があってこそ 我々が懐かしいと思えるか思えるんだよね うんとかね自分がその日本人であるところ ののアイデンティティとして担保している 根底の部分とかそうねうんがうんそのま まだ高々40年弱しか生きてないんだけど でも40年弱前とあんまり変わってない 場所があるっていうのはうんそのように

意識してる人がいるからだ今初めて気づい た本当だわうん確かにうんうんなんかいや 本当そっすねなんか日本っぽい風景とかっ てパッと思いつくんすけどあれって たまたまそうなってるわけじゃなくてやっ てるからそうになってるんですねそうなん です手を入れ続けないとどんどんなっとか 木も植物ももちろんですけど伸びていき ますほそこを手を入れ続けてあ変わらない なって皆さんに思っていただける風景を保 つっていうのはすごく大事ですしそこに ものすごく見えないところに労力を使って いますねうんえおそらくそういうなんか 感覚的に分かるじゃないですか昔の写真と 今の写真ってあ同じだって感覚的に分かる ことで繋がってるんだっていうその感覚も なんて言うんですかねピンとくると思うん ですよねなるほどな今めっちゃたけどその 打幼稚園がある意義とかめっちゃよく わかったあなんか遊園地との繋がりねあの なんて言うんだろうなその子供の頃から うんその神社との接点というかそまさに おっしゃってたみたいに季節を感じられる とかはい日本のそのずっと守り続けている 文化みたいなものを感じられる場所の近く に子供がそのこう育ってるみたいな うんうん あるとかめっちゃ大事ですねだからなので やっぱそこの子供がやっぱり知らず知らず 触れてたものが自分の元風景になったりと かもちろん大きくなって違う場所に行く人 も多いんですけどやっぱりこここに戻って きたら懐かしいなって思えるところとか 自然と日本の文化に触れていたとかそう いうのもあったらいいなと思ってますし そうですねだから必ずしもその明治時代と か江戸時代の人たちみたいに神棚なかって パンパンってみんながやってなくても うんうんそういう風にちっちゃい頃にあ そばに神社があったなとかここでお祭りし たなとかうんここでなんか友達と走り回っ たなみたいな元風景みたいなのが残ってて それが60歳になった時でもそのように あるみたいなことがそれによって担保さ れるあそうことかか懐かしさっていうもの は安心感なんじゃないかなそうそこに 懐かしさを感じることによって安心感を 抱くんですよねでその安心感は何かという とやっぱりこう歴史とね歴史と続を意識し たにめっちゃ安心感覚えるんですよ歴史の 必然性とこれは接続した時の安心感は やっぱこれありますよほとんどの人に伝っ てるだろうと思うけどう伝ってない人も いるんだろうなと思うんすけどなんかその 僕そのおじいさんの家なくなったんすよ

この前お大したことないなんか90年 ぐらいしか続いてない家だったんだけど そのハード部としてうんうんあのサチにし たんすよねうんすごい感情なんですよ なんかその けどうんなんとも言えない感情なんですよ なんか断ち切られた感覚ないなんなん だろうねなんて言うんかなこうホームが なくなった感覚ですよまいやなんて言うん すか ね本当に何とも言えない感じあんですよそ うんうんうんその夏休みの間とかそこにい たりしてたから1ヶ月間うんうんうんその 僕の幻風景なんですよねそうだねその幻 風景が2度と再現されないという あうん感覚うんあなんか小学校とか中学校 が進行者になってしまった人とか分かると 思うんですけどうんうんあの時暮らした 自分のあの建物もうねえみたいなそうなん だよね元風形の中にいるあるんだけどもう もはや訪れられない寂しさてあるんすよあ あるねうんそれはなんて言うかな別にあっ たところでそんなに訪れないかもしれない んだがうん2度と訪れられないという事実 を突きつけられるとうん絵も言われの感情 になるんですけどそう喪失感みたいなのが あるよねなんでしょうねホモサピエンスに とってなんかこれはすごいあるだからその ホームというかはいはいま実家だよねだ から多分うんうわなんか僕想像ですけど 繋がってない感覚なんじゃないかなと思っ たすなんか時間軸的に昔からずしちゃっ てるんでしょねだからなんか不安定になっ てるというか縦の線が切れちゃった感覚と いうかまでもその部分のそのそういう精神 性部分を担保するっていう役割を自認 うんもうねこれ辞任してるっていうのやっ てらっしゃることだっっていうことが すごくよくわかったなるほどなんかすい ません僕ら3人めっちゃ盛れいや本当でも ねなかなか我々も言語化してこう伝える 機会がないのでそうやって感じていただい たりとかっていうのはとても大事でそれが ま多くの方に同じように思っていただけれ ば全国各地の神社も少しずつ大変な中です けどあのいい方向に向かっていけばいいな と思いますよねそううん実際どうなっいく んでしょうねなんかその新色が少なくなっ てらっしゃる事実はもう変わらないはい うんしいきなりめちゃくちゃ増え るっていうのもなんか難しそうな感じが する一方でうん僕の感覚だと地方に移住 する人ってめっちゃ増えるんじゃないかな と思ってるんですよそのはいうん自動運転 とかが出てくるじゃないですかこの後で

そうすると移動のコストって結構僕下がる と思っていてうん移動のコストが下がった 先の世界でみんなで住みにくい東京に住み 続けますってならないだろうなと思ってる んですよねうんうんうんでそうなると結構 地方に行くあとはその通信技術もさらに 発展するだろうからうん今ってZOOMだ とやっぱり直接合ってるのよりちょっと 情報が劣化してるとか直接あった方がいい よねってなってるけどもう少しなんていう か直接合ってる感がある技術とかも僕たち が生きてる間に普通に発明されると思って いてうんでそうするとやっぱりなおさら 住む場所ってもう少し自由になるなって 思ってるし僕の世代の子供がいる世代とか の話を聞いてるとやっぱり都会じゃなくて 田舎で育てたい人たって結構増えてきてる 感覚があるのでうんうんま高度経済成長期 から今までの時代って本当都市部に人口 流入するっていうのがま当たり前だったん だけどこれから先それが繰り返され続ける かっていうその感覚僕今実は持ってないん ですねでそうすると結構地方人口がうん前 より増えるんじゃないかなともう少しバっ てばらつくのかなっていう感覚があるん ですけどうんうんうんうんその時代とかを 考えた時にいざじゃあもう地元の神社でお 祭りができませんとかなるとちょやっぱ 寂しいうんうんし僕がそれを想像した時に 思ったのがなんか子供たちが集まったりだ とか本当開かれた場所っておっしゃって ましたけどいろんな人が集まる場所みたい なのって今あんまりないはいそうですね どちらかというともうあの人がねあの 集まらないようにしようとか逆に排除して しまうところが多かったりするですけど そこの集まるで集まって集ってそこから あの多様性の中から文化が生まれるとか いうのをま各地でできたらとってもよく なるんじゃないかなとは思いますそういう 場として神社であったりだとかが機能 するっていうのも本当に1つのあり方だな まその場所はすごくいいところにやっぱり あると思うので神社って災害の少ないとこ にあったりだとかうはいなんか神聖感ある からうんいろんな宗教の方いらっしゃると 思いますけどうんなんでそういう形で機能 するってすごくいいなと思ったんですけど やっぱり問題うんやっぱその維持する人が いないそうですねうん問題みたいなのを 場所としてそして連盟と受け継がれた場所 歴史のある場所としてっていうこととうん さっきおっしゃってた祭祀する人がいない 問題っていうのがやっぱはいはいはい問題 ですよねそこでえちなみにそれってその

問題に対してその今アートとか普通の神社 でやられてない取組みとかされてると思う んですけどもそれってそういう問題識の 一環だったりはするわけですかテマでや ことですよね1つはあの歴史的にやっぱ 三子自身もあの文化の神様として信仰を 集めたり三猫子もそういう文化の再セタを 生きられた方というのとあとまダフテ マングで言えば博物館の勇志とかそういう の関わってきたっていうのと個人的なもの もありますけどもやっぱあのアートを 切り口にすることによって初めてアートを きっかけに神社に触れたという方も結構 多かったりしますでまその中であの神社に 来た神社っていいねと思ってもらってま それは天もわってもらのはもちろん嬉しい んですけども各地の神社にそう関わって もらったりとか足を運ぶきっかけになれば いいなと思ってそうそう入り口という風な 考え方も持って取り組みを行ってますね もう一方でもアーティストと一緒に私とも だとあの現代ビスの例えばアーティストお 招きしてまそこで一緒にいろんなことを 話してま新党とかダザイフテ番号をテーマ に作品を作ってもらうんですけどもその アーティストの味方から我々も新たに発見 をすることがあったりとして例えあの ライアンガンダーさんというイギリス人の アーティストをあのま10年ちょっと前に びして展覧したにはやぱ日本のあの人たち は目に見えないものに対してすごく思いを 持って例えば手を神社でも合わせていたり とかそういうものがあるって目に見えない ものをテーマに作品作りをあのしてくれ たりとかしてまそういう中で例えば新党に 匂いや音があるとすればそういうそれは どういうものでかていうそれもシトに 関するクエッションという形の作品なん ですけども普段我々なかなか そこに意識しないところを逆に アーティストから気づかされ るっていうこともあったりとか彼はその後 ヨーロッパでの展覧会では新党から インスピレーションを受けた風をテーマに した作品を作ったりとかでま総合的により 良い形で影響を与えたりとかまそれがあの 私どもがこう発信するんじゃなくて アーティストが例えば海外とかいろんな とこで活動してくとそれが自然と浸透的な ものが広まっていくていうあり方もある なっていうのは思いましたなるほどあは もう1つ面白い組みとしてはいし安崎君と いうアーティストがいてるんですけども彼 は大学院生時代に平成18年頃にダフに来 た時に我々が普段掃除をしてま松葉暴きで

楠の落ち葉の地とかはくともうすぐハワイ たから上から葉っぱが落してくるんですね それ我々は綺麗にするつでやっていたら彼 は次落ち葉が落ちてくる場所を我々が整え てるように映ったっていう面白い味方が 違うと味方がねでそうするとでもそれて この営が1000年以上続けられてる営 だっていうことに彼は気づいてじゃあ今 それをこの自分もそういうあの地元の方々 とかいろんな方と一緒にこの営をに加わり たいと言ってま楠かきというプロジェクト をあの4月を大体ベースにやっていて松葉 ボケから作って朝6時半頃経済に集まって あのそういうクスの書きと掃除をしてで次 のあの葉っぱが落ちる場所を整えてでま 最後の最初のプロジェクトのまま1ヶ月 ぐらいやってる最終日にはみんなで集まっ てアート作品を作るみたいなのをもう10 年以上繰り返しやっていてそうすると媒介 者が1人いらっしゃることによって普段だ となかなか神社行きにくいって方が集まっ たりとかそれはもう年代もももちろん高齢 の方から子供たちからやって10年すると 子供たちがもう今中古性になって次の世代 をやっぱ作ったりっていうそういうない 繋がりをコミュニティをアーティストが在 することによってできたりっていう可能性 もあるなっていうの気づかされましたね めちゃくちゃいいですねでまもちろんです けど普通に掃除してる時ってま言ったら あれですゴミだなと思って入ってわけ でしょもう見え方変わるだけで何か意味を 持ってはあいやその営に参加するっていう 感覚はすごくいいなと思いましたなんか はい西田和さんもさっき文化の話されて ましたけど僕その日本人のうんその所作と か考え方の根底にやはりかなり色こく浸透 ってうん未だに残っているそれは幼児とか であってもそうだと思ってるんですよね だかなんか2020年生まれの幼児とかに さえも僕は新党文化新党から来る文化と いうかその日本人が日本人である遊園 みたいなあんまりそうそういうこと言うと あれなのかもしれないですけどあの いわゆるこの地域で育った人たちですよね うんうんの独自の感覚みたいなのを感じる ことが結構実はあるんですよねでそれって 我々が本当自覚しないレベルでやっぱり 持ってるうん感覚で仏教とかってうんうん その古典ラジオでもやりましたけど まあまあ後で入ってきてるわけですよね うんうん数百年ぐらい前に入ってきシト よりだいぶ後にでその僕その仏教もシトの 上に乗っかってるような形でインストール されてる感覚がすごくあるんですよ日本人

だから中国の仏教ともやっぱりそのジザ 仏教とも全然違う形で我々の土地では仏教 が発展していって新物集合という形になっ ていったでま僕はんその信徒を語られる ほど全然特に西田さんの前で語られるよう なものではないんだけれどもなんかその 我々のそのOSの一部に未だになってい るっていうところは結構見落としてる点だ なと思っててそのうん本当にあらゆるとこ で感じるんですよね例えばそのニュースの 報道のされ方とかえどういうことかにみぎ の感覚めっちゃあるなとか汚れの感覚 めっちゃあるなとか感じたりもするしえ 例えばどういうことですかなんか芸能人が 不倫した時にうん介護の仕事するとか めちゃくちゃ意味不明なんですよ多分普通 の他の他国からしたらでもこれは汚れと みぎじゃんって僕から見たらすごい思っ たりとか面白いそれそのあらゆるところに その浸透感覚みたいなのが未だにあ るっていう感覚があってでさらにこれが 特殊だなと思ってんのが身体値なんすよね 言語地じゃなくて身体的に備わってる地だ から僕たちは自覚してないうんうんはい はいはいでこれってバウンドとかの時に すごくいいなと思ってるのんですよその 外国の人から見てう日本人ってどんな人な んだろうって実は全く理解されてない感覚 が実は僕あってその人たちに1つの方法と して神社で行われてる先ほどの千年の営み を体験してもらうみたいなのって実は めちゃくちゃ我々がどういう人たちなのか を伝える手法としてめっちゃいいなて思っ ていてうんうんうんなんかそういうのも なんかブラインドスポットだなって最近 その思ってる要はうんうんあまりそのよう に理解されていないんだが実はその秋葉原 行くのももちろんそういいし日本理解する ためにはいいし東京行ったりとかいろんな とこ行くといっぱいありますがうんうん うん1つはそれもあんなって思ってるん ですよねでそれって僕たちがすごい ブラインドスポットで分かってないところ でめちゃくちゃ文化を継承実はしているな て思ってるところうんああそのえなんで それするんだろうみたいなところで僕たち が思ってないやつが実はそこにあるから うんそこにご案内してなんか1泊2とかで 結構色々体験してもらうとうんうんうん うん自分たちとの感覚の違いみたいなの めっちゃ感じて帰っていくんじゃないかな みたいななるほどね全然違うな感覚がって いうのだけは分かるんじゃないかなと思っ てていやだから実際海外の方はその感覚で ワンダフルて言ってわけですよねおそらく

どれぐらい感じて帰ってらっしゃるんです かねでもねでいて関わる方は感じると思う んですけども例えば来てすぐ変られる方は そこまで深くそうですよね入り込んで並み までこうちゃんとできるかって言ったら そうなってないかもしれないのでまそこは 逆に言うと可能性の部分としてはとても 感じるとこですねうん可能性として感じ ますまさにさっき言ったその身体1系だ からうんうんうん言語化されてないのでな よくわからないわけですよねうんだから それも僕らは普通に日本で育って日本の 神社にお参り言ってるからなんか海外の人 が来た時にあ観光地だなってやっぱ認識し ちゃってるんですけど伊波を体験するばと 思ったのが今初めてなんですよ言われて そうあだからそうそのさっきのお話でそれ を僕は思いましたそのうんハワくって言う んですかねあのはいていくあすハワは ちょっと方言でした あの吐いていくっていうのをやるっていう 中に参加するっていう感覚がうんまさに その我々のブラインドスポットの1つだ なって思いますしそのの行事とかも参加し たらいいんだろうなと思いますねうんそう ですねも非常にそういう正常な概念って いうのはやっぱ日本文化とも日本人とも 非常に結びつくなと思うので海外の人から ますますその身体地という意味ではうん そうですよね清めるきめるという感覚が うんそうですよね子供とかにもなんかこう 体験させたいですねこれがうんうんま我々 の文化だよっていうことでうんうんうん いやあとちょっと僕気になったのがあの 先ほどそのなんかいろんな神社とのまま 連携というかそういったものを強めて るっていう話をちらっと出てきたと思うん ですけどもはいそれってなぜやられてるか とかどういった形でやられてるのかとかっ ていうのはどうなんすかはいまあの神社の 横の繋がりとしてはま全体の神社の繋がり もありますし例えば天人様をお祭りしてる 神社の繋がりもあったりとか例えば若手と 言われる230代の新色さの集まりとか いうのもあってその中で全国から集まっ たりとか九州から集まったりとして共する とありますうん 天としては結構うちは修行に来ていただく 新さんもとても多くて今やっぱ20人 ぐらいお預かりしているんですね20人 修行されてるんすかはい修行と形でまご 奉仕いただいてま数年から長い人で10数 年とかいた後に例えば今ご実家が神社で変 られてご報酬をされるまその時にどうやっ て打天満宮が営まれてるかその中で自分

自身がどう考えてまた自分の神社に書たに うんうん生かしていったりとか自分で考え てその地域性とか様々な神社優勝を考えて 神社を今後残っていくようにするかって いうところがあるのでまそういう意味の 繋がりが今大事だなと思って私もあの修行 に来てくれてる新色の皆さんにはそで 考える機会とかあの提供できたらなと思い ますし是非おさ方もザフテマであのそう いう話もねしていただきたいなと思います 結構古典ラジオを進めてるので内聞いてる 多いあありがとうございますいやだからも なんか教育期間みたいな役割もしてますよ ねそうですね関係廊下までとはいかない ですけどもおおそうってあのそういう意味 でははい育成をしたいなと思って少しでも そうやって貢献できることがあればなと 思っててますけどね季節感じるやつやって みたいなあザフテマグではそれこそ季節に よっておみくじの色も変わったりとかえ 気づかなかったはい10種類ぐらい年間で 変わったりもしはいあとまた失もも季節に よってミの色が変わるとかいろんなそう いうところをあの自然の植物だけ以外でも そういう見えるところで感じるようなえと いうのも意識したりとかま夏の時にはあの 音からも風林から音がなるとかそういうの とかも感じるような失いもしてますねと いうことは10種類あるんだ季節って式 よりもなるほどねうんええ家族連れて行き ましょうよきためちゃくちゃ行きたいです ぜひ辻さんめちゃくちゃ忙しいし責任重大 ですよねいやでもこうやってこういうお 役目を頂いてるのでその任さた期間は全力 で頑張りたいなと思いますしまあの神社の こと以外にも色々できることがあったらと 思ってやってる部分があったりもしますし 日本の文化ということで先ほどお話を少し しましたけどもまそれをどうやって残して いけるかっていうことを考えるような親友 者という団体があってそこの理事も親友者 といううん団体があってまそこの理もさせ ていただいてまそれはやっぱあの生活の中 で文化がきづかないと文化は残っていか ないということでナマ幼稚園では和菓子と 日本茶をトピックとして取り上げてあの それを学びとしてやってるんですけども 和菓子もとても季節感と影響して例えば 自然の見るものでもアサの時期はアサの 生菓子があったりとか例えばあのもみのお 菓子もあの夏は青いお菓子だけど秋になる とうんオレンジ色のになったりとかあとま そういういろんなお祭り事とも連動して ちまきを食べたりとかいうのもあったりと いうことでまそれを幼稚園生はあの学ぶん

ですけども和菓子がどういう材料ができ てるかということとあとあの鈴掛さんと いう和菓子屋さんにご協力いただいてま そこで工場の見学を特別にさせていただい てでそれで今まであの2ヶ月に1回誕生祭 という形で子供たちがご本殿に上がって あの展示さん前でお払いを受けて成長うん あのだっんどうして私も好きなんですけど もアレルギーのがいて同じものを食べれ ない時菓だとそれがアレルギーが結構 少なくて一緒のものを食べでまそれをやっ て繰り返していくと本当子供たちも自然と か行事とか様々なものを若しもそうです 観察をして目で見てまた切ってあの味わっ てとかま感を使っていろんな季節のことに 触れるようなことができてきてでうんと 和菓子が好きになって和菓子職になりた いっていう子供たちも出てきたりとかで そって生活の中にきづく文化として残して いけたりというのもありますしあとまた 日本家も福岡はやめ家という生産地がある んですけどもなかなか今ご家庭でキスから お茶を入れるっていうところが少なくなっ てきていてでもこれって日本のとてもいい 文化だなと思ってこれも日本茶の入れ方 どういう風な原材料からできてるかって いうこととあと工程もんだ上でん 分をえるとそうやって子たがんでもお渡し するとご家庭で子供たちがキスでお茶を 入れるとやるとやっぱご両親様とか周りに 広がっていくっていうことでそうやって 生活なんかきづかせることでま文化を残し てくようなあの取り組みというのも合わせ てやっていますねあ素晴らしいだからもう 街作りみたいなものですよねそれてそう ですよね人を作りながそういう方々が やっぱり地域とかをになっていったりとか もちろん遠く行ってもあの日本に萎える ようなところの特に幼少期に関わることが できたらなと思ってやってますし街づくり で言うとダフマは非常に特徴的なところが あるなと思っているのはまそれは結構 インフラのことを考えてあの関わってき たっていうのがあると思うんですねでそれ はどういうことかというとダフって江戸 時代までは結構ダフ天満軍の参道のとこっ て宿屋さんがありまして宿でやはりあの 旅行をする方がそこに止まってお参りを するということがあったんですけども明治 に入って鉄道が少しずつ出てきて普及さ れる時に結構今鉄道路線をもらいただくと 分かると思うんですけど郊外を走ってる ことが多いんですねでなんでかったら街中 は当時の鉄道ってすがものすごく出る鉄道 なので結構そのふえを嫌がられたっていう

のもあってま新しいものだっていうことも あったと思う結構郊外を通っていて財布の 場合も旅館がうん1泊来た方が被害になっ てしまうとかすの害があるっていうことで 財布で反対をしてちょっと遠くのところを 通ったんですね今のJRがそういうのが あってでも実際鉄道が需要が高まってくる とそれはちょっと失敗体験として残ってた のでじゃあ次の三子がなくなって1000 年の大戦の時に明治期には馬車鉄道って 言って馬が引く鉄道を誘致して2日一から ダフまでの西鉄電車の全身なんですけどえ それを天人様は000年の大差に合わせて 引いてうんでインフラっていうのがちゃ 整ってきてていうのもありますしその後 やっぱ戦後すぐの時ですけど祖父が先ほど 留学をしたという時にやっぱアメリカに 行って車社会の到来を非常に思ってきた らしくやっぱこれにこれからの神社のお 参りは電車と共にやっぱ車で来る方が 増えるだろうじゃ駐車場を設けようって 言った時に今だとま様々なお店もそうです けど近くの方が便利だから近くに駐車場を 作って止めて来てもらうてことを取るん ですがあえて遠くに作ったんですねうん車 の駅よりも遠くにそうする距離ありそこに 車を止めて皆さん待ちあきをして参道で 消費が起こってそうだでそれで皆さん歩く 時間も楽しいしということでで消費が 起こってあの経済的にも地元の方が売ると そういう方がたらまた神社が支えてもら うっていうその循環のことを考えてあえて 遠くに大きな駐車場を作って人が 受け入れる土上を作ったっていうことが あってままさしくそういうのをあの紐もえ ていくとうんづりと非常に取り組みとして づり目線ですね考えてやっているなという のは思うところがありますねこういうその 取り組みだったりとか視点だっていうのは その西高津さんご自身がアイデアとして 持ってたものですかそれともいろんな仲間 と一緒にやっていく中でこういった 取り組みをしようっていう風になったん ですかねま両方あると思いますし1つはで も歴史をひくとそこにものすごくヒントが あってそこを発想の源にして るっていうのも1つありますしこううん 機会もそうですけども様々な分野の方とお 話する中でアイデアが浮かんだりっていう ことと自分自身もいろんなとこを旅したり とか見る中であいいなと思った プロジェクトがあるとどういう方が関わっ てどのようにできてるかっていうのを学ん でまこれをダフにアレンジしてできない かっていうことを考えたりとか色々な

パターンがありますけどもってますね なるほどいやなんかちょっと話戻ります けどえさっき生活の中の文化の話がされて たじゃないですかインフラの話の前にうん あれめっちゃそうだなって思いましたああ うんなんかねなんだろうね言語かでき ないなんかそう生活の中にうん自然と 溶け込んでいるそういうなんかあ今味 ささいてんなとかうんうん自然との距離感 もそうですしま今月が新月だな満月だなと かうんうんっていう感覚みたいなものが こう1年を通じて自分の中にあるっていう 状態を失ってたのでうんおおなんかすげえ それ取り戻してえなって久しぶりに思った なるほどねでも深君にとっては出雲大社は そういう存在じゃないのいやそこまでそこ までねそう雲代謝はうんまもちろんすごい なんか特別な存在なんですけどま出雲出身 ですからね伊も出身なんでまそのはいこ あるごとに行く場所みたいな感じですうん うんうん季節感はないです僕季感ではない ああなるほどねあのこういう時行きます みたいなうんうんうんうんで神社の デフォルトが僕の中であれで設定されてる からうんうん出雲代謝で設定されてるから それはやっぱ他の土中の人とはうんちょ 感覚がうん違う感覚がありますけど やっぱりそのうん今日出てきてその正常な 感覚ってやっぱあってうんうん中教を違え ばその感覚持たない人もいっぱい いらっしゃると思いますけどうんうん行く とホリーな気持ちになりますはい これすごい重要なことだと思っててうん 人間を法理な気持ちにさせれる場所って うん基本的にあんまりないですよねやっぱ 宗教じゃないと難しいしそのなんていうか 宗教って言ってもねじゃあ僕が株式会社で あ人を法理にさせますができないじゃない ですかうんなかなかまねなかなか難しい ですよなかなかできないよねなんかそれっ てなんていうかこうあなんかこうすごい 清々しい気持ちになったなとかうんうん すごい気持ちいいなとか心が現れたなとか てんうんなかなかこう感覚としてうん持た せらんないなと最近よく思ってます出大社 に人案内することが最近多いんですけど はい僕らも言ったんすよ実ははい地元の 人間なんでその案内することが多いんです けどそれがすごい特殊だなって感じてます ねなんかこう人を清々しくさせれるって 大体が むずかしいなあと思っててもちろんなんか ねクリスチャンの方とかの方とか連れて 行くとまたちょっと違うんだろうなと思っ てますけどうんうんま多くの日本人に対し

ては同じような感覚を持たすことができ るっていうのはうんうんすごいなって思っ てますねまさにそこ担われて るってことですよねはいうんいやという ことでもう話はつきないですけどいや最後 ちょっと今後西高さんがどうしていきたい かみたいなものってあるんですかそうです ねやはり私はやっぱり打フテマグを今の 時代に任されているのでじゃこれがどう やって今後100うんそして長く見たら 1100年次の1100年残っていくかと いう風に考えておりますうん今あのご本殿 が124年ぶりに大きな大回収をしてまし てきことですよねこれま今回あのちゃんと 手をいて入れて修繕するというのもちろん ですけどもま学者の先生がだとも研究をし てじゃどういう成り立ちをで今のご本音が あるかとかいうのも同時に考えるってい こともやってますで先ほどちょっと何度か お話したやっぱ森の作り替えというか再生 というのも取り組んでいうんこれはま今 種まきをしたらやぱ何十年後かにやはり 大事なことになっていくっていうことま この知見はあの私のもだけでなくて他の 神社とか他のま業界の方も生かせるような 形でその知見をシェアしていけたらなと いう風に思っています同時にまあの神社は 引っ越すことができないのでその地域の ためにも何かできないかでそして関わる 方々のあのに対してもプラスになっていく ことができないかっていうことはま考え 続けてうんうんうん り どうやってできるかますます頑張っていき たいなといろんな方のと力合わせてそして まこれまで守りてきた皆さんに感謝をし ながらま次を担っていければなと思って おりますね僕からも1つ質問いいですかで その今後のその思いの中で道と今の人たち とでどのような関係性がなんかなればいな いうみたいな思ございますそうですねで やはり三ネコっていうのは特に江戸以降は ま庶民の皆さんの神様そして子供の神様と しての信仰が非常に強くあってそれは文化 的な面も影響があの与えてて文楽とか 歌舞伎で菅原伝授手習い鏡があってまそこ で非常に三に心を寄せる方が増えたりとか ま寺小屋の中で学びという場で三猫がその 神様として例えば25日には寺小屋では三 猫の像をかけてそこの前でうんみんなが学 が成長してさのうになれるようにっていう ことで子供たちが手習いを行ったていう ことがあって非常にま近しい関係だったと 思うんですねで今でもはなかなかあの場所 に来ても三のことを知るとか意識する機会

はどうしても少なくなってしまうっていう ことがあるのでまそこがまがどういうあの ご障害をあの遂げられてで何を思われた かっていうのはやっぱ神社としては伝えて いかなければいけないという風にとても 思ってるのでまそういうことで考うんと 本当今回古典ラジオで三猫を取り上げて いただいたらとてもありがたく嬉しく思っ ていうところでございますしまた是非第2 弾をどういう形かで行っていただけたら ありがたいなと思っているところです本当 にありがとうございましたありがとう ございありがとうございますじゃあ ちょっと第2なの前にあの子供連れて遊び に行かしてもらいます是非お待ちしており ますよろしくお願いしますいやちょっと 今日はめちゃくちゃ貴重な話を聞きました ねうんはいはいということでえ本日の番外 編はえダザイフテマング第40代 西辻さんでし本当にありがとうございまし ありがとございございまし た株式会社古典の活動は皆さんの古典 クルー費によって支えられています僕たち の活動を応援したいと思ってくれた人は 是非画面のアイコンからコテクルーに参加 していただけると嬉しいですお願いしお 願いし ます

私たちが日常的に直面する悩みも、歴史を知れば解決できるかも!?

今回のテーマは 「千年の継承 〜変わる時代と変わらぬ信仰〜 ゲスト:太宰府天満宮第40代宮司 西高辻󠄀信宏さん(後編)」です。

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※自由気ままな歴史トークですので、厳密な考証は行っておりません。
※内容は諸説あります。
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#コテンラジオ #COTENRADIO #歴史 #世界史 #教養

10 Comments

  1. 神社が一番多いのが新潟県。明治始めまで人口が一番多かったから。人が住むコミュニティ(集落)の数=神社の数だったからね。広大な越後平野の開拓でそうなったが、もうこれらも終わりです。ひしひし感じる。コミュニティの縮小衰退、地元の終焉。そして都会の人口なんて地方が輩出してきたわけだから地方が死ねば都会もいずれ死ぬ。東京の出生率なんて1でしょう。メタ的に見れば1000年なんてもたないよ。23:10この深井さんの考えは甘い甘い甘い甘すぎる。

  2. 筑豊の実業家・伊藤伝右衛門さんが、西鉄太宰府駅〜太宰府天満宮に至る参道に、大きな石の鳥居を寄進なさっている事を、先日お土産屋さんで教えていただきました。「ほら、そこから見えるアレよ」と指差してくださったその鳥居は、これまで何度もその下を潜ったことのある鳥居でした。あらためてよくよく見てみると、どうやってここまで持ってきたん?というくらい巨大な石で造られており、かつ周囲の街並みや自然と調和しており、駅〜天満宮への動線として、また街のにぎわい作りに多大に貢献しているもののように自分の目には見えました。
    伊藤伝右衛門さんに対して(一昔前に朝ドラで描かれていたように)いわゆる文化的なことに貢献した人だというイメージを持っていなかったのですが、その日から認識を改めました。お店の方に教えていただかなかったら、鳥居などはあって当然のもの、あたりまえのものとしてスルーし続けていたと思います。
    今回のシリーズを観てあらためて、地域にある神社仏閣や史跡、歴史的建造物や街並みなどが現代にも残っているのはあたりまえじゃないんだなぁと、よくわかりました。ありがとうございました。

  3. 数年前まで映像を管理する業務をしていたのですが、テレビ業界などは

    テープ→デジタルデータ

    の過渡期でして、過去のテープに記録されたデータをひたすらデジタルにダビングするという作業をひたすらしたりします。
    データだけで残すとこういう弊害もあるので、映像ならフィルムで残したほうが千年後も残る可能性がある。みたいな話題が出たりするのでアナログは管理が大変な反面、そういう価値がありますよね。

  4. 今年初のシリーズが、この内容で、本当に嬉しかったです。

    お3人さん(特にヤンヤンさん)それぞれが、傾聴され、感動され、質問され、思考を巡らせながら対話されている事に、とても感動しました❗️

    近年、奈良県に住み始めたのですが、もっともっと、奈良で関われる文化や歴史、折角なら風土に基づく日常生活に、目を向けて体感したいなぁと思わされました🙇

    是非長期休暇の旅行に、太宰府天満宮に旅行に行きたくなりました✈️

    ステキな配信、ありがとうございました😊🙇

  5. 懐かしい情景、変わらないのを守るための努力をやり続けている人が、日本の文化を支えているのだということに感動しました。  デジタル保存が1000年2000年の単位で考えたときに果たして有効か?ということも考えさせられます。

  6. 「『伝統』とは変化しつつも後世に残してゆくもの」だということを、西高辻さんの語られる太宰府天満宮の歴史から、鑑みることが出来て非常に興味深いお話でした。
    私自身は転勤族の家に生まれたので、どちらかというと『定住』農耕民族より『移住』狩猟民族側の感覚の方が強いのですが、そんな私でも、深井さんの言っている「故郷の解体=なんともいえない喪失感」は理解できます。
    歴史好きを自負してはいましたが、この道真公の回の動画を一通り見て、自身が実生活の中できちんと歴史・伝統を体得できているのか?今一度、見返してみたいと思った次第です。

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