【ゆっくり解説】幻のヒルクライム?!途絶えた人気シリーズ『鋸山ヒルクライム』

皆さんこんにちはゆっくりの霊夢です こんにちはゆっくりの魔理沙だぜ日本で ドリフトはジャフ競技にもなってメジャー になったがヒルクライムも地名度はないが そこそこ定着した感じだな最近は軍や ブレーキパーツを取り扱うブリックが主催 するヒルクライムが定期開催していてヒル クライムは根強い人気よね群馬サイクル スポーツセンターのヒルクライムイベント は峠バトルとかで企画されて有名だものな ブリックのヒルクライムの方は岐阜県え なしにある江中山モーターパークに上がる 一般行動ここを占有しての開催でシリーズ 化されていて長年継続するも人気は一部の 愛家にとまっているわまあ日本ではそんな もんかなクローズドコースだと開催場所も 限られるしなでも1980年代には1 イベントで薬草税168台ものエントリー を集めた大人気のヒルクライムがあったの よジムカーナでも100台超えれば多い方 ラリーになると60台と台数は絞られるぜ 168台って以上だなそうね同じ山道を 走る競技でもラリーは広域で開催される から参加台数が多いとオフィシャルも大量 動員しなくてはならないのでローカル イベントではきついけどジムカーナよりは 広い場所を使うイベントで160代声は 普通ちょっと想像できないわよねヒル クライムは世界的にはパイクスピークとか でメジャーだが日本ではマイナーな モータースポーツだろ当時だともっと マイナーなのにどうしてそんなに エントラント集められたんだなんていう 大会名称なんだそれはねのり山クライム 聞いたことないぜでもそんな楽境な イベントだったら現代でも続いていても おかしくないだろうし開催できなくなった としても名前くらいはもっと聞くだろう のぎヤマヒクライム1980年代の自動車 雑誌として有名なカーボーイが主催してい て改造者も出場できるイベントということ で人気が集まったのよそれで168代もの 参加台数かしかしその人気は参加者だけで なく雑誌に投稿されるようなチューニング カーやその熱い走り満たさに集まる ギャラリーの王様話題に第2回まで開催さ れたけど雑誌の盛り上げもあってお祭り 騒ぎになるようなイベントだったわ2回ま でってだったらなんで終わってその存在も 知られていないんだその理由ははっきり わからないけど第2回で人身事故が発生し ギャラリーの1人が足を切断する大怪我を 追うほどの大事故が発生したのとそれに 至る経緯に問題があったからみたいなのよ ねせ切断か死亡よりリアルすぎて逆に怖い

ぜそんな痛ましい事故の記憶から別に報道 制があるわけでもなく誰かが口止めしたり するわけでもなくモータースポーツの歴史 からすっぽり抜け落ちてしまった感じに なったみたいなのタブーとか アンタッチャブルな感じか今ではラリー ジャパンとか行動競技に堂々とギャラリー 入れて開催されているのに時代が早すぎた イベントかもなでもどうしてそんなに 盛り上がったのかどうして2回で終わった のか興味があるぜ分かったわではでは今回 は伝説か黒歴史か謎に道たのり山ヒル クライムについて解説する わ まずのぎ山ヒルクライムの場所からねのぎ 山ヒルクライム使われたコースは千葉県に あるの山登山自動車道千葉県阿郡南町元 明示名金にある有料道路相性はの山 パノラマラインと呼ばれているわ千葉田と 都心からのアクセスもいいぜしかし観光地 っぽいな関東ではあまり知られてないぜ この自動車道全長2.6kmの有料道路の ヤマヒクライムのコースはこの有料道路を 借りてれたわ行動だと警察署の行動占有 許可が必要だろうラリーで行われる スペシャルステージ通称SSはこの許可を もらって行動を封鎖行われるぜ同じ感じか だとしたらヒルクライムで当時行動使用 許可は難しいだろそう当時のラリー主催で は思想時にタコグラフ搭載して思想中の 情報を警察に開示するとか謎書類が必要な 時代特に千葉での戦友許可は難しくSS 主体のラリー開催はほとんどなかったわ しかも走る車も改造者ばかりとなると普通 は無理だろそうこの当時通常ならありえ なかったわねでもこのコースが使えたのは 起点から終点まで全て個人の所有地内に ある指導であったからなの管理は千葉県木 寿司に本社を置く進行土権株式会社で行い そこで許可が降りたらしいわねだから警察 の許可が必要なかったのかそんなことで第 1回の小切山ヒルクライムは1987年に のヤマヒクライムミーティングという名称 で一応はジフ公認のクローズド格式 イベントとして開催されジフ発行の スポーツライセンス保持者でも走れる イベントだったのそんなにそこ大事なこと なのか今では分からないけど昔ジャフは スポーツライセンス保持者に草レースの 参加は認められないって話でバレた場合 ライセンス剥奪なんて噂あったわそんな話 聞いたことないぜそしてジャフが唯一黙認 した草レースが東京の横田きジムかーな なんでそこだけ横田基ジムカーナ戦後に ジャフからライセンス保持者の参加に

クレームを入れたところ日米官の国際問題 になりかけてジフが黙ったらしいわそんな ことでジャフ公認クローズド競技ってこと でこのイベントの間口は車だけでなく運 ちゃんにも広かったわそしてさらにそれを 盛り上げたのは雑誌の企画でもあったから 雑誌が企画しただけでか現代の感覚では ピンと来ないぜどうして盛り上がったんだ それには当時は今よりチューニングカーと fr社人気がすごかったことがあげられる わ1987年はモータースポーツではFF か大廃気量だと4wdが対当してきた時代 それでも街を走るほとんどの車がFRと いう状況で1983年にデビューしたae 86カローラレビンスプリンタートレの 筆頭にそれ以前のFR社もチューニング カーとして元気に走っていたの古きよき FRの時代だぜ当時はバブルで景も右肩 上がりチューニングショップも乱立して チューニングカーを楽しむ若者が爆発的に 増えた時代でもあったわこの頃だよな峠族 やドリフト族と言われる日合法の走り屋 たちが普通にどこの峠にも出没して社会 問題になり始めていたのは そうねいわばチューニングカードリフト 走行はスポーツカー優勢の当時若者にとっ てワクワク間満載な流行りの遊びだったの よそしてその有効を拡散したのが オプションやカーボーイに代表される走り やチューニングカー系雑誌だったわそんな 走りやをカーボーイ族とかオプション族と も呼んでいたぜこれらの雑誌は チューニング情報だけでなく走りに関する 情報発信し特集が当たれば部数が伸びる ことで内容もより過激になる傾向があった の噂では当時は平気で合法のスタートから ゴールまでルールなしの映画キャノン ボールに類似する企画もあったり相当 やばかったらしいなのぎヤマヒクライムは 雑誌カーボーイの企画で第1回開催から 雑誌面での煽りもあって当時社会問題化し ていた峠族やドリフト族の締め出しから 走るステージを求めていた走りの小切山 ヒルクライムに注目したことで人気が一気 に沸騰していった経緯があるわ今ではミニ サーキットがあちこちにできているけど 関東近郊でそんなイベントあったら面白 そうかもなこののり山クライムを カーボーイではカーボーイ式のヒル クライムと目打ちチューニングカーが 走れるヒルクライムと大きく宣伝 チューニングカーが走れるって普通の ジャフの公式線とは大きく異なるところだ ぜジフの公式線は一時期こそ車検が通れば 何でもありの時代があったものの現在では

厳しい車両規則により制約満載それも力の 均衡を測るという建前があってのことでも 実際は規則すれすれの怪しい車はいつの 時代も存在してモヤモヤしたものがあった わ確かにイコールコンディションと言い ながらどう見てもパワーが他よりありそう 調子のいい車両ってのは存在していたがな ヒルクライムではのり山ヒルクライムに 限らず国内外他のヒルクライムでも車両 規則は緩い傾向にあるのをチューニングを 楽しみながら走る人には自由度の高いヒル クライムの方を好みエントラントは普段の 走りを堂々と披露できるそんなことから 応募が殺したのよ現代にあってもリッチや イベント内容からしたら面白そうだけどな しかし昼クライム開催にも懸念の声もあっ たの確かに完全地を行するにしても チューニングカーが走るんじゃなそれらの 車はキャリアカーで運ばれるものもあれば ナンバー付きで自装する車両も少なくない わしかもジフ公認イベントと言っても当時 公認コースだと安全対策が厳しくなり始め た時期だけど行動を使用する場合の安全 対策は主催者に一任されている側面もあっ て第1回大会終了後から安全面での懸念も あったわ海外ではよく見る光景のような気 がするが海外のモータースポーツでも観客 がエスカレートしても視された時期があっ たしラリーカーの前にギリギリまで立つ 度胸試しみたいな行為が横行した時期も あってドライバーも相当悩まされたなんて 話も聞いたことがあるわね特にグループB 時代なんかはでも危ない観客に気を使って いては早く走れない当時のドライバーは車 の近くや飛び出してくる人を立ちだと自分 に暗示をかけて走った人もいるくらいよ 暗示かけても実際に人を跳ねたら大問題 だろ確かに問題かもしれないけど海外は モータースポーツの血が日本より高いのと 日本より自己責任という考え方が強く 危ないと分かっていてそこにいる人が悪い 的な考え方もあったらしいわね確かにそう だけど日本でもギャラリー入れて開催する ラリーもあるだろ大丈夫なのか日本では ラリーに対する警察の目が厳しくちょっと した問題でも何癖をつつける傾向がある からそういった場合に備え運営が安全には すごく配慮するのよそれでも過去日本では スペシャルステージSSでの人身事故も 発生膨張大手自動車名の開発系社員が他車 性の車で参加豪雨の中ハイドロ プレーニング減少によりコントロールを 失いギャラリーではないけど許可をとって コース内で撮影を行っていたスタッフと 人身事故を起こしてしまったこともあった

わどうなった被害者も相当ごねたらしい けど加側であるドライバーは音なしどう やら撮影スタッフの自己責任ってことで 片付けられたようよまあいい画像を取るの が商売だから自分の安全管理が今一だった んだろうなの山クライムでは大会のの危険 性を危惧した警察は開催前に計4回に渡り 中止勧告していたそうよ韓国止まりか強制 中止はさすがにできないかしかしそんな 状況でよく開催したなどうもカーボーイ側 は責任は取るということだったらしいのよ 言い花って警察の静止をぶっちぎった感じ か大会はビデオ撮影のために地上カメラの 他に察用にヘリもチャーターされていた らしいわ事前準備で相当な失費があった ことから中止勧告を受け入れられなかった んだろうなで第2回大会の状況はボプロ ドライバーのデモラントかあって エントラントもギャラリーも エスカレートクラッシュするドライバーも 少なくなくそれはそれで中盤まで大会は 盛り上がりを見せるわそして事故は起こる の大会は午後の終盤に差し掛かり朝から 感染していたギャラリーにも疲労が見える 中ほとんど安全対策が施されていない路肩 のスペースで座って感染する人も多く見え 始めた16時過ぎ残りの出走が51台に なったところとあるコーナーで車のタイヤ ののスキルオの後ギャラリーの悲鳴が事故 かタイムアタックでコースアウトした車両 はギャラリーを巻き込みた破現場は前と なり救急者が駆けつけ救急活動を行うも車 と接触したギャラリーは3名とも重賞その うち1名は足を切断するほどの大家が覆っ てしまったわ写真を見る限りでは ギャラリー対策は確かにやばそうではある ぜこうしていろんな意味で前代未問ののり ヤマヒクライムは第2回でその後開催さ れることはなかったのよあまり語られない 理由がなんとな分かったぜ雑誌の企画 イコール部数伸ばすため強行したイベント で走る車は世間的に問題ありそして主催者 ドライバーギャラリーの安全意識欠場で 事故が発生したのも必然のような気がする わそして誰も言わないけどメディアでも ほとんど語られることがなくなってその 内容を知れば知るほど黒歴史って思える イベントだったのよねしかし今では車検で の改造範囲は広くなって合法チューニング カーが普通に走れるしドリフトもにキット とかで安全に楽しめるご時世だから今が あるのも過去の経験則ってのも生かされて の現代の確立した車の遊び方なのかもな のぎヤマヒクライムの教訓も少なからず後 のイベント開催の安全対策に生かされたん

でしょうね今後もスポーツカーが楽しめる よう走り屋さんには安全だけには気をつけ て楽しんで欲しいわね本日は以上です最後 までご視聴ありがとうございましたよかっ たらチャンネル登録をお願いしますそれで はまたJA

走行車両と観客の人身事故、観客○切断!?大会中断以来二度と開催されなくなった幻のイベント

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14 Comments

  1. 昔、国内ラリー日陰のキノコ論と言うのがあってだな、コアな同好の志が集まっているうちは良いが、メジャーになるとあまりよろしくない人達も集まって来て現場が荒れてイベントの存続が怪しくなる。紹介されていたBRICのヒルクライムチャレンジも参加台数が増えるにつれ山道を走るのには適さないヤバいクルマがチラホラ出始めて、ついにはけが人の出るクラッシュが出て、安全面での規則の引き締めで参加の敷居が高くなりそうなんですよ。

  2. その後、サーキットを使ったドリコンGPになっていったって事だね。まさか、それが世界的なドリフト競技の始まりになるとは当時は思わなかったけどね。

  3. 動画内でも言及されてたけど観客にも自己責任が問われるようなイベントなら主催者は強く念押しして完全は無いにしても安全な場所で観戦すべきだよな…こうしてイベント自体が消滅もするわけだし
    エンジンスワップのコンパクトカーやグループBカー、純レーシングカーまで走る欧州ヒルクライム選手権とか盛況だしTV放映されてもいい気がするけど必ずダメな方向に触発される奴が出るから難しいのかな…

  4. 1回目はまだ認知度が低くギャラリーも少ないから安全管理もそれなりに行き届いてたが、2回目は人が増えすぎた。
    事故のあった箇所は一番速度の出る直線後のヘアピンで、おそらく減速が間に合わずオーバーラン。サーキット等と違ってコース外に減速する砂利等も無いのでそのまま突っ込んだ感じ。通常ならアウト側にギャラリー置かない箇所だけど人が多過ぎて抑えられなかったんだと思う。

    自分は下の方で見てたけどそこでもオフィシャルの注意を無視してる阿保が何人かいたわ。

  5. 頭文字Dに一番近い競技ってラリーよりヒルクライムのはずだけど、ラリーよりもマイナーなのが不思議
    欧州じゃFIA規定もあってガンガンやってるんだけどなー

  6. 還暦をとうに過ぎた、CARBOY信者です。

    当時千葉に住んでおり2回とも、見に行きました。
    車での走りが流行っていった事もあり自分も走るんで楽しみにしていたのは憶えています。
    何で2回で止める事になったのかは後に噂で聞きました。
    正式に発表とかはまったくありませんでした。
    それに関係なく、どっちか忘れたのですが、ギャラリーが退出時にアクセルをアオり過ぎてコースアウトし崖の下まで落ちてしまったのを見ています。

    後のドリフトブームの火付けになるCARBOYドリコン第1回には仕事で出られませんでしたが、数年後の筑波サーキットでのそれに参加し、クラス第3位に入った「ハスキーセフィーロ」です。

  7. スミマセン、若い頃を思い出しました!昔、地元千葉でこんなイベントが行われていたなんて、走り屋始める迄知りませんでした。アレから35年、まさかの動画でしたね!

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